stage1「フジエーダ攻防戦」20


『いいかテメェら。そいつが動かんようにしっかり押さえてろよ』
『分かってますって。それよりも…へへへ、俺たちにも後で使わせてくださいよ』
『まずは具合を見てからだがな……クックックッ、見ろよ、一言も声を漏らさねぇぜ、こいつ』
『俺たちのことが恐いんでしょうよ。それよりさっさとヤっちまいましょぜ』
『慌てんな。すぐにこいつの中に入ってやるさ。俺たちで中を満たされたとき、どういう声でなくか、見物だな』
『……………』
『安心しな。なんも心配する事あらへん。こいつは俺たちの言いなりになるんや。有無を言わさずな……ほなそろそろ、入らせてもらおうか!』

――――ワンワンワンワンワン

『―――あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! 身体が、ワイらの新しい体がぁぁぁ!!!』
 何か臭いをかぎつけたのか、それまで地面に伏せて眠っていた野良犬は顔を上げ、尻尾を振り振りその場を走り去ってしまう。するとその後姿を見つめながら声を上げる者たちがいた。
 たくやと契約しながらも、契約したことさえ知られること無く死んだと思われていたゴブリンたち――今では体を失い、魂魄、もしくは意思のみの存在となった五匹のゴブリンゴーストたちだった。
『あ〜も〜〜! だからはよしましょって言ったやないですか。やのに妙な雰囲気だけ盛り上げて時間食って、結局逃げられたら洒落ならんは、ホンマ!』
『そやそや、あてにならんリーダーやで。せっかく生きた奴見つけたってのに。後はもう、その辺におるのは死んだのばっかやで』
『こ〜してる間にも愛しのマイラブリー魔王様ぁん♪はひどい目に会うてるかもしれんゆうのに。どないすんねん、腹切って詫び入れろ!』
『…………………』
『じゃ、じゃかましいおんどれら! たしかに時間かけたのは悪かったが、ワイらは誇り高き魔王様の契約モンスターやで。ただ身体を手入れてもあかん。悪には悪にふさわしい美学ってぇもんがあるじゃろが! それにや、抑えとけ言うたのになんじゃ、四匹がかりで犬一匹捕まえとれんのかいな!』
『あ〜、それ責任転嫁や。ぶ〜ぶ〜!」
『自分が魔王の姐さんといっちゃん話したからゆうてえっらそ〜に。ぶ〜ぶ〜!』
『幽霊やから腹減らんけど腹減った。ぶ〜ぶ〜!』
『……………………』
『じゃっかぁしいわぁぁぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! そもそもおどれらが「暗いの恐い」言わんかったら今頃姐さんと一緒におられたんちゃんか、え? え? ええっ!?』
 ―――と言った感じに、人がいなくなり、代わりに時折モンスターが徘徊するようになったフジエーダの街の一角で、五匹の体無きゴブリンたちは不毛な言い合いを繰り返していた。
 たしかに五匹ものゴブリンが言い合いをしていれば、飛び交う言葉も下品で聞くに堪えない。だが、五匹全部が一度死に、その直前に結ばれていた魔王との契約のおかげで存在こそ世界に残れたものの夜にも珍しいゴブリンのゴーストになった五匹の声は、周囲にまったく聞こえていなかった。
 精神体――一般に幽霊といわれる状態になったものでも、意思が強かったり、有している総合的な「力」や「存在」次第で、声を普通に出す事も出来る。
 ゴブリンゴーストたちも魔王との契約時に膨大な魔力が与えられたため、ゴーストになっても明確な意思をもって存在していられる。しかし、一つの契約を五匹で分けあってしまったゴブリンゴーストは、五匹で一匹分、つまり一匹換算では、他にたくやと契約しているスライムやコボルトの場合の五分の一の魔力供与しかたくやから受けていない事になり、さすがに声を出せるほどの力までは振るう事が出来ないでいた。
 そのため、存在はしているけれど声は出せない、姿は見えない、誰にも気付いてもらえない、トドメとばかりに生物に憑依することまで出来ない、いわばまったくの役立たずの状態だった。
『………はぁ…結局、ワイらはどうなるんやろな』
 辛うじて、物に触れることは出来たが、せいぜいガタガタ鳴らして相手を驚かす程度だ。そんなちっぽけな能力でなんの役に立てるのかと自覚しているのだろう、言い合いに疲れて座り込んだゴーストの一匹が落ちていた小石を摘んでポイッと放り投げた。
 通常の幽霊であれば、それはそれで長所と言えなくも無い。が、物に触れる特技のせいで、入れるのは内臓の中だったり、存在を希薄にして重なり合えばすり抜けてしまう、まさにどうしようもない状態だったりする。
『せめて身体があればのう。あんだけゴブリンもオークもおったっちゅうのに、だ〜れも乗り移る事はできひんかったしのう……』
 ゴブリンたちにも幽霊に関する基礎知識はある。だから新たな身体を得るべく、戦闘中には手当たり次第に体当たりをするように憑依実験を繰り返したのに、乗り移れるどころか気付いてさえもらえない。時にはトロールの棍棒に誰かが殴られるというハプニングもあったのに、それでも気付かれなかった、ある意味、最強の影の薄さだった。
『ええいくそ。せめて死体でもええから乗り移れたらな……胃袋の中に入るだけじゃ、ボコボコ腹が膨れるだけで身体は動かせへんし……』
『魂無いから体は奪えるけど、死んでたら元も子もないし』
『ああっ! せめて今必殺のゴブリンパンチが使えたならば!』
『頭の中からつま先まで、がらんどうの死体って無いもんかのう…とほほ……』
『………………………』
『ん? なんじゃい、ワシ、今ちょっと黄昏れてるから用事なら後にしてんか』
『………………………』
『―――なに? がらんどうのがある? マジか我ェ!』
『どこや、どこにあるんやそんなええもんが!』
『こういうときは発見者じゃなくて早いもん勝ちや。位置について、よ〜い!』
『って、まずは場所聞かんとゴールが分からん――って、こっちにケツ向けんな!』
『オドレら、じゃかしいわ! ワイらには魔王・たくや様に仕える中共通目的があるんや。そのためにも、リーダーであるワイが一番にやな』
『またそれかい。ええかげんにしいや!』
『リーダー風がクツゥてかなわんわ、ホンマ』
『それはええから、んなもんがどこにあるんや。はよ教えんか!』
『………………………』
 いつまでも無益な叫びを繰り返す仲間たちに対して、一匹だけ無口を貫くゴブリンゴーストは、口をつぐんだまま一つの建物を指差した―――





「準備の方はどうなっているアルか?」
「怪我人の治療は九割がた終わっています。戦闘可能な者には食事を取らせています」
 フジエーダの再開発地区に集結した残存勢力は、モンスター軍が本陣としている水の神殿へ強襲をかけるべく着々と準備を整えていた。
「敵のモンスターは調べた限り、食事も睡眠も取っていないアル。恐らく、そのほとんどが捨て駒として考えているアルから当然といえば当然アルが、こちらには好都合アル。あれだけの戦闘の後に一切の補給をしていなければ、力が出ないのも自明の理アルからな」
 そう言って周囲の人間に勝ち目があるような事を言ってはいるが、神官長自身は、それほど楽な戦いになるとは考えていない。戦力差は一対五。敵にも強力な魔道師がいる以上、下手な油断は命取りにもなりかねないが、今は少しでも士気を高める方を選ばざるを得なかった。
「………せめて衛兵長が生き残っていてくれれば、話は変わったんアルが……」
 戦場で多くの人間を指揮できる人間が欠けた状態で戦いに挑まなくてはならないことに不安を覚える。だが―――
「な、なにアルか!?」
 鳴り響く轟音。揺れ動く建物。続けざまに衝撃が建物を襲い、兵士たちの間に高まっていた戦意が一気に混乱と不安に入れ替わる。
「しまった……先手を打たれたアルか!?」
 警戒は密にしていたつもりだった。だが、仕掛ける側だと思っていた自分たちがよもや攻められるとは思っていなかったのも事実だ。
「クッ……退避アル、第二防衛ラインまで急いで退却するアル〜〜!!」
 崩落する壁や天井からウォールの魔法で兵士たちを庇いながら神官長が声を張り上げる。
 第二ラウンドにも戦わずして破れ、悔しさに歯を噛む神官長はまだ見ぬ魔道師の打倒を誓うが、今は一人でも多くの仲間を救うことだけを考えていた。



「―――ま、僕が手を下すのはこのぐらいでしょうかね」
 混迷を極めるフジエーダ残存部隊に対し、城砦攻略用の魔法・ウェイブカノンを連続して放った佐野は、まだ魔力の余韻が残る手の平を振り払う。
 堅牢な城砦を破砕する事を目的とした魔法は破壊力に重点を置かれ、その威力はものの数分で瓦礫に変わった建物数十棟が物語っている。
 壁は粉砕され、柱は折れ砕け、無秩序に乱立していた無人の住居と入れ替わりに舞い上がった砂煙が視界を覆う。
 魔方陣を併用する事無く、それだけの威力を振るった佐野だが、まだ地鳴りが小さく聞こえる瓦礫に興味を失い背を向けると、肩から埃を払い、何処か芝居がかった動作で手にした木製の杖を高々と振り上げた。
「さあ、待ちかねたことだろう。お前たちに食事を与えてやろう。最も欲しているであろう、人の肉をたらふく食わせてやる」
 杖は腐りかけた木のように黒ずんだ色をし、放たれる魔力も黒く、おぞましいものだった。
「下等なる豚の魔人どもよ。今宵は宴だ。その腹がはちきれるまでたらふく喰らえ、喰らい尽くせ。だが女は別だ。手を出す事は決して許さない。代わりに必ず捕らえろ。貴様らが全滅しようともだ」
 夜闇に溶けるような黒衣姿の佐野が背後へ振り返り、杖を振るう。その先には、魔力を浴び、命令を享受するために百匹のオークが槍と盾を地面に置いて跪いていた。
 睡眠も取れず、腹を締め上げる空腹感で血走った目を除けば、それは統制の取れた軍勢そのものの姿だった。だが、佐野と言う楔から解き放たれ、飢えの苦しみから解放されようとしているオークたちは生臭い息と涎を撒き散らし、大きな鼻を鳴らして人間の――獲物の臭いを嗅ぎ取ろうとしていた。
 そこにいるオークには、一匹として弱まっているものなどいない。とうの昔に狂いながらも一方的な支配を受け続けてきたオークたちは、内側に人間では計り知れないほどの凶暴性を秘め、いまや遅しと佐野の一言を待ち続けていた。
 ―――統制と狂気。相容れない二つの要素の狭間で動く事を許されず苦しむオークを目にし、支配欲を多少なりとも満たされた佐野はローブから覗く口元に笑みを浮かべると、
「行け。そして喰らうがいい」
 短く、簡潔な、けれどオークたちを解き放つのに十分すぎる命令を下す。
 ―――咆哮。
 地面が震える。だが誰一人としてその場から走り出さない。与えられた武器を星のきらめく空へと突き上げ、喉が張り裂け、血を吐くほどに声を張り上げる。
 飢えは満たす。―――だがその前にやらなければいけない。
 女を捕らえろ。―――喰らってはいけない。犯してはいけない。自分の命は関係ない。
 それが全てだ。―――後は自由だ。喰らい、犯し、蹂躙し、全てを壊す。
 そして、一匹、また一匹と、砂煙が収まりだした瓦礫へと駆け出して行く。やがて壊れた砂時計のように前へ進むオークは増え、勢いは増し、無人の街へと突き進んでいく。
「クックックッ……なんと愚かな。やはり豚は豚だ。目の前の餌の事しか考えられないのか」
 オークたちがいなくなった広場には大杖を手にした佐野と、佐野同様に黒いローブを頭からかぶった男たち十数人が残されていた。
「後は任せる。あれは僕の后になり、その処女血は魔王の力を呼び出すための貴重な贄だ。命令は絶対だが、勢い余って殺さぬように目を光らせておけ」
「御意」
「地下では楽しんだのだろう? 君たちにはその分の働きを期待しているよ」
 佐野の言葉に、黒衣の男たちが言葉を失う。ここへ来るまでの数時間、男たちが地価でしていた事といえば一つだけだった。
 内に恐れるものあれば、その軍は強くなるという。だが、配下の行動一つ一つにまで目を光らせている佐野に対し、男たちは自分もまた、あのオーク同様の運命をたどらされるかもしれない危惧を抱いていた。
「この街で人が残っているのは、もうあそこしか残っていない。ならばあそこにいるはずだ。必ず捉えて我が前につれて来い。静香=オードリー=クラウディアと、ジャスミンと言う美女の魔道師とを。―――その暁には、人間に対してこれを試すのも悪くは無い」
 暗闇では、近くにいても黒衣の輪郭がぼやけて見える。まるで目の前にいるのが幻覚ではないかと疑う目に、白い輪郭がくっきりと浮かび上がるものが佐野の広い袖口から姿を現した。
 形状はサソリやムカデに近く、尾の先端には小さな針を持っている。だが、数センチに満たない小さな体は魔力を帯びてうっすらと輝き、それが昆虫や甲虫ではなく、モンスター――佐野が生み出した魔蟲である事を示していた。
「どうだ。お前も宿主が欲しかろう? 豚や犬ではなく、もっと美しい人間の女を虜にしてみたかろう? クッ…クックックッ………!」
 佐野が自分の指先に魔蟲を絡みつかせ、肩を震わせて笑う。
 この男がこの笑いをするときは、決まって女の事を考えていた。ただ、その思いは純粋なものではなく、屈服させ、蹂躙し、対象が死にも等しい屈辱と絶望を味わう様を想像し、興奮を昂ぶらせているのだ。
 事実、佐野は各地の娼館で何人もの娼婦を「買って」は「壊し」、数え切れないほどの女性を「屈服」させてきた。それは文字通りの意味であり、自分以外の人権を基本的に認めていない佐野の行為は周囲に多くの悲劇を撒き散らしてきた。足元に跪き、虚ろな瞳で佐野を見上げる女性が、そこからさらに肉体的に、精神的に、追い詰められて自壊する。その最後の崩壊の瞬間を見るのを何よりの喜びいしているのがこの黒衣の、そして狂気の魔道師だった。
 それを知りながらも、男たちが佐野に従うのは、その対象にならないためである。恐らく、明日、遅くても明後日。確実に魔王としてこの世に君臨するであろう男の矛先が自分に向けられないために、ただただ忠誠を尽くしていた。
 そして今、佐野の性格と、黒衣と対照的なまでに白い魔蟲の能力を知る男たちは、餌食となるであろう静香とジャスミン、そして地下に打ち捨てるように放置されているたくやの事を考えていた―――


stage1「フジエーダ攻防戦」21