stage1「フジエーダ攻防戦」09


 フジエーダの街は混乱の戦場と化していた。
 敵によって耐える事もままならず南の大門が破られると、最も数の多いゴブリンやコボルトなどの下級妖魔が津波のように街中へ押し寄せてきた。
 最初は千匹いたモンスターたちも、その数を半数近くにまで減らしていた。それでも手にした原始的な石槍を突き上げ、雄たけびを上げて狂気を鼓舞すると、彼らの目標に向けて我先にと駆け出した。
 だが彼らが目指すモノは、要求されていた水の神殿ではない。むしろ彼らがそこの押し寄せてその場を汚す事は彼らを操る者の望まぬ事であり、それゆえ別の欲望を満たす事が許されていた。
 それは暖かい食事だった。――噛み付けば肉汁のように鮮血が噴き出し、いい物を食べて成長した極上の肉……彼らの一週間ぶりとなる食事はここには無い。あるのは街の北側だ。そこから怯えの気配と共に美味そうな「人間」の匂いが漂ってくる。
 急げ。
 獲物はいくらでもいる。
 喰らえ。
 一匹残さず喰らい殺せ。
 だらしなく開いた口から涎が滴る。荒れた呼気は生臭く、水の女神を崇める街の空気が獣臭いものへと塗り替えられていく。
 そこにいる妖魔たちは狂おしいまでの食欲を満たす事しか考えていなかった。
 極度の飢えで減じていた体力は、食事を前にして残された力を振り絞る。森の中を駆け巡っていた足に力を込め、さらに加速し、地面だけではなく、空気も、空間をも震わせて、ただひたすらに走り続けた。
「―――――――――」
 だが突然、彼らの行く手から電撃の固まりが飛んできた。
 それはまるで巨大な斧のように妖魔の大群へ深々と食い込み、巻き込んだモノを容赦なく感電させ、焼き殺して行く。
 密集していたためにたったの一撃で二十から三十の仲間がやられた。―――仲間? 仲間とはなんだった……獲物を目の前にして胃をねじ切らんばかりに強烈になる空腹と、頭の奥に深く食い込んでいる本能とは別の従わなければならない命令と。その二つが彼らの理性を崩壊させた。焼け死んだのならそれは生き物ではなく、ただの肉だ。死んだばかりの味方に瞬く間に餓えたモンスターたちが群がり、骨をも噛み砕く勢いで貪られていく。
 ―――だが、まだ足りない。貪った者も、ありつけなかった者も、まだ一向に空腹感は満たされていなかった。
 では、次に喰らうのはどれだ?
 先ほどの電撃を飛ばしてきたのは、彼らの前に立ちふさがる「食事」達からだった。
 硬い殻の様に鎧を身に着けたものが数匹。不味い布切れを身にまとったものが数匹。―――極上の、見るからに柔らかそうなメスの「肉」が一匹だけその中央にいる。
 ―――あれは最高のご馳走だ。あの一匹だけは周りのものを殺してでも自分が奪い喰らう。誰にも渡さない。あれは……あれだけは自分が喰らうのだ。



 そうして、戦いの第二幕が始まった―――



 臨機応変に自分で判断を下す事が出来る冒険者たちと、三人で一組になって戦う組織戦を短い期間で教え込まれた衛士たちを避難する住人たちの護衛に残した。その代わりとして、王女の護衛として随行してきていたクラウド王国軍の中から選び抜かれた魔法騎士八名の内、五名を連れ、回復魔法に長けながらも武器を手にして戦う事も辞さない神官戦士四名を加えて九名。それにジャスミン自身を加えた十名で五百匹ものモンスターを足止めし、人々が避難する時間を稼がなければならなかった。
 決して相手を見くびっていたわけでも、楽観視していたわけでもない。それが現状において各所から抜き出せる最大限の戦力であり、五百匹ものモンスターたちを足止めしなければならないのも現実であった。
 ジャスミンにしてみれば、王女の護衛の数を減らす事に不安はあった。けれど敵の想像以上に早い街への流入に対処するためにはジャスミンと確たる指揮系統がある者の方が都合が良かったし、そしてこのような時だからこそ自らが民を守る盾となるという王族たる者の矜持を示すべきだと、静香の安全のみを最優先で考えそうになる自身を納得させた。――納得させるしかなかった。
 その甲斐もあってか、序盤はジャスミンたちに有利に動いていた。広範囲攻撃魔法で突進してくるモンスターたちを吹き散らし、討ち漏らした妖魔は騎士や神官たちが切り伏せる。
 大通りの幅は広かったものの、矢継ぎ早に繰り出される電撃の魔法の前に五百いたモンスターたちは見る見るその数を減じさせていった。
 だがいくつかの計算違いが、その戦局を少しずつ変化させていく。
 神官四人はつい先ほどまで魔方陣に魔力を注ぎ続けていた。こちら側の切り札と言うべき落雷の魔法の効果を少しでも上げるためにと夜を徹し、ろくに休憩さえ取らずに精神力を削って魔力を放出し続けた結果、人々のためにと奮起はしているものの気力も体力もすぐに底をつき、後ろに下がらざるを得なかった。
 それはジャスミンにも言える事だった。サンダーフォールの魔法は巨大な雷を落とす魔法だが、その本数は三・四本が限度といわれていた。だが十を超える雷を落とし、三十秒を越えてその雷を操り続けたのだ。魔力は普段からの蓄積があるのでまだ余裕があるが、不可能に近い魔法を行使した事による精神力の疲労はどうしようもない。呪文詠唱の速度は落ち、魔力制御の甘さから威力までもが落ち始めていた。
 そしてもう一つの計算違いは、敵がまったくひるまない事にあった。目の前で何匹もの仲間が倒されても、その屍を乗り越えて襲い掛かってくるモンスターは時が進むにしたがって凶暴性を増していた。どんな魔法が飛んでこようとも決して引く事はなく、ジャスミンたちを押し進むように通りを埋め尽くし、そして左右に並ぶ建物の窓や屋根などから嬉々としてジャスミン達の真上へと飛び降りてくるのだ。
 怯む事無く押し寄せるモンスターたちを十名だけでもはや押しとどめることは出来ない。一人が傷つけば、その穴から大量にモンスターが押し寄せ、さらに別の一人が傷つけばさらに勢いを増してモンスターが迫る。
 いくつもの死骸が折り重なる。それを踏みつぶし、左右や頭上から襲い来るモンスターたちにジャスミン達は押し込まれていく。
 モンスターたちは歩みを止める事無く、吠える。
「――――――――――!!!」
 人間には意味が聞き取れなくても、その声を上げた理由は理解できる。
 ―――悦びだ。
 餓えた獣たちの狂気の咆哮がフジエーダの街を揺るがせ、まだ避難を終えていない人たちの背に突き刺さる。
 そしてそれはフジエーダの街がモンスターたちに敗北した事を告げる声でもあった―――


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