stage1「フジエーダ攻防戦」10


「―――ディグボルト!」
 ジャスミンの指先から放たれた電撃がゴブリンを打ち据え、建物の壁へと叩きつける。
 だが倒したかどうかを確認する事は暇はない。今の魔法が目印となり、今いる路地にもすぐにもモンスターたちが殺到してくる事だろう。
「雷の剣を抜き放ち・王よ・全てを薙ぎ払え――」
(どうも私が標的になっているようですね。……むしろ私一人に敵が注意を集めてくれるなら好都合と考えるべきでしょうか)
 もてる女性は困りますね、と言わんばかりの表情でため息を突くと、早速ゴブリンやコボルトが路地の入り口へ姿を表した。
「―――ボルテックス!」
 モンスターの気配を察しただけで、そちらを見ることもせずに手の平に集めた雷の魔力を左右へ――二箇所ある路地の入り口両方へと撃ち放った。
 伏せたまぶたの向こうが白く輝く。
 光が収まるのを確認してジャスミンが目を開けると、路地を挟む建物の一階部分の壁は大きく抉れていた。雷嵐によってモンスターごと吹き飛ばされたのだ。
 事ここに至っては、周囲の被害を気にしている余裕など残ってなかった。騎士や神官たちは散り散りになり、ジャスミン自身の余力もそう残されてはいない。出来れば何処かで休むことが出来ればと思うのだが、どんなに巧妙に隠れても三分と経たずに発見されてしまい、不休に戦いを続けさせられていた。
(それに敵はまだ余力を残している。オークもトロールもほとんど戦闘に投入されていない)
 ジャスミンが落雷の魔法で焼き払ったトロールは二体。伝令のよれば南側の門にもトロールは現れたものの以後の街中での戦闘には姿を見せていない。さらにゴブリンやコボルトを従える立場にあるオークやホブゴブリンなどは最初から姿が無かった。もう勝負はついたと考えて温存していると言うよりは、最初から使う気がない、と言うように感じられる。
「全ては使い捨ての駒任せですか……反吐が出ますね」
 決して王女のまでは口にしないキツい言葉を使い、舞い散る土埃を長い髪から払うと、ジャスミンはヒールを履いたままの足で軽く地面を蹴り、ちょうど入りやすい大穴の空いた建物の中へと入り、そのまま階段を上ると大通りに面した窓へ近づき、勢いよく開け放った。
「まだかなり残っていますね」
 窓からジャスミンが姿を現すと、通りにいたモンスターたちは奇声で喜びを表現し、建物の入り口へと殺到し始める。中にはジャスミンの鋭い美貌を見つめたまま粗末な腰布を引き裂いていきり立ったものを自慢するように露出させると、その場で扱き、十秒と経たずに汚らしい精液を大通りの地面に次々と噴出するゴブリンまでいた。
「………汚らわしい」
 走り回っている間にわずかにずれていたメガネのフレームを押し上げると、ジャスミンの美しい唇から歌うように呪文を唱える声が響き出した。
「雷精の子等よ・風と共に大気に漂いし諸々の力よ・我が手に集い・風と共に汝の敵を雷雨となって撃ち貫け―――スパークブリット!」
 ジャスミンが突き出した両手の間から無数の雷球が通りに向かって降り注ぐ。狙いもつけずに放たれた魔法だが、索敵範囲内に敵の存在を確認すると分裂し、自動追尾しながら確実にモンスターたちに命中して行く。遠くにいるものほど命中数は少ないが、ジャスミンの真下――建物の中へと殺到しようとしていた妖魔たちはその場に悶絶して倒れこんだ。
「死にはしていないでしょうけれど」
 自動追尾、分裂など命中率を重視しているので一発一発の威力は低めだ。だが、窓の下にいるモンスターたちが動けなくなったことで、下へ飛び降りることも容易になった。
「――ガアァァァァァ!!!」
 部屋にモンスターが飛び込んでくる直前に窓から外へ身を躍らせたジャスミンは、普段から自動展開している体重軽減の魔法とうずくまるゴブリンをクッション代わりに着地すると、満員となった家屋の一階部分へ手を向け、落下中に唱えていた魔法を解き放つ。
「―――ボルテックス!」
 建物の一階に白く輝く電撃の嵐が吹きすさぶ。それと同時に、事前に外壁の一面を大きく抉られ、今またモンスターたちごと内壁や柱を打ち砕かれた建物は、二階や奥にいて電撃の難を辛うじて逃れた妖魔を内に抱えたままグラリと傾き、自重で一気に内側へ向けて崩れ落ちていった。
「………ふぅ。私とした事がはしたない。姫の侍従としてもっと優雅に立ち振る舞わなくてはならないと言うのに」
 さすがに限界が近い。―――が、汗一つかいた様子もなく、ようやくつけた一息の合間にスーツに降りかかったほこりを払う姿には、とても百匹以上の妖魔を打ち倒してきた事などとても考えられないほどの優雅さが感じられた。
「さて……これからどうしましょう。まだもうしばらく時間は必要でしょうし……」
 共に戦ってくれた騎士や神官には、いざとなればプランBに従って退避するように命じてある。自分の目で選んだ騎士たちの技量を考えれば、神官たちをかばいながらでも上手く戦い抜くことは想像に難くない。
 しかし避難した人々は街からそう離れたとは考えにくい。自分がここを離れれば、モンスターたちはすぐさま彼らの後を追いかけるだろう。
「そうなると……篭城をしてでも敵の目を引き受ける必要がありますね。私も避難場所へ――」
 逃走経路、いまだ健在な敵戦力、モンスターの誘導方法などを幾通りも思い浮かべながらジャスミンが体の向きを変えたその瞬間、周囲に濃厚な――それすら通り越し、まるで氷で固められたかのような強烈な殺気が充満した。
「なっ―――!」
 とっさにその場を跳ぶ。あまりに殺気が強すぎるため、襲い掛かってきていると判断して回避を選択したが、数メートル離れた場所で今いた位置を振り向いても、そこには何もいなかった。
(錯覚? ――いや、違う。これは――)
「―――後ろ!?」
 もし気配で人を殺せるなら、それは殺気だけで十人以上を瞬殺するだろう。――それだけの殺気がジャスミンの斜め後ろで膨らむ。
「――雷の壁よ・ボルトウォール!」
 常時展開している障壁だけでは防げない。とっさの判断で雷の壁を発動するが、展開直後の雷壁はその向こう側にいるものの豪腕によっていとも容易く撃ち貫かれた。
「ぐっ―――!」
 多少威力を削ぐ事も出来たが、腹へ叩き込まれたフック気味の一撃はジャスミンの体を軽々と吹き飛ばした。
 ウェイトコントロールの魔法を使い、自ら後ろへ跳躍したことでダメージは最小限に抑えられたが、元いた位置へ押し返されるように殴り飛ばされたジャスミンはその場に崩れ落ちると、地面へ手を突き、喘ぐように必死に呼吸を繰り返した。
(このダメージ……すぐには抜けはしない。息を整え……12……10………7……)
 呼吸が出来なければ、呪文を唱えることも精神力を振り絞ることが出来ない。まして、衝撃を抜かれて攻撃を受けたのはジャスミンの抱けば折れそうなほどくびれたウエストなのだ。―――だがジャスミンは冷静に自分の食らったダメージを図り、息を整えて回復を図ると、初めて苦痛の表情を見せた顔を上げて突然現れたなんて気の姿に目を向けた。
 そこにいたのは明らかにゴブリンやコボルトとは違う、二メートルを越える巨大な姿だった。だがオークやトロールのように全身に余分な贅肉をつけておらず、容姿的には人間に近い。両腕が人間のバランスからすれば長く感じられるものの、引き締まった肉体はむしろ彫刻家が大理石から掘り出したかのような美しささえ感じられる。
 だが……「それ」を見た途端、ジャスミンはある種の恐怖を覚えていた。石畳を踏みしめるようにゆっくり近づいてくる巨体からコボルトやゴブリンたちから感じていた飢餓感が濃密に漂ってくる。―――それがこのモンスターの本質であると言うかのように。
「オーガ……このような隠し玉を持っていたなんて……」
 オーガと言えば残忍で、攻撃性の高いモンスターとして知られている。そして誰もが思い浮かべるのが……人を喰らうモンスターだと言うことだ。
「私は人間ではないのですがね……」
(ですが倒せない相手では…………よし)
 最初の一撃こそ喰らってしまったが、もうジャスミンに油断は無い。こちらの出方を伺っているのか、なかなかジャスミンの傍へ近づいてこなかったけれど、それはジャスミンにとってはむしろ回復する時間と呪文を唱える時間を与えてくれた幸運だった。
(身体能力ではあちらの方が上。――これで決めなければ)
 呼吸が整ったことで、展開している身体強化系の魔法の効果も戻ってきている。それを静香に確認し、静かに一息ついたジャスミンはオーガを睨みすえながら横にとび、右手の平を差し向ける。
「サンダーボル――」
 必殺の魔法の発動準備は整っていた。――だが、目標がいない。目を離さないようにしていたというのに一瞬にして視界からオーガの姿が消え……再びジャスミンの背後で殺気が膨れ上がる。
(魔法キャンセル、魔導式の流用で別の魔法を………間に合わない!?)
 今度は蹴りだった。ジャスミンが首だけ振り向いた先では右足が大きく振りかぶられており、攻撃を受けるイメージに従って反射的に息を飲むよりも早く、無防備なわき腹へと叩き込まれていた。
「――――――――ッ!!」
 ジャスミンが次に感じたのは、己の体が吹っ飛び、壁に激突する衝撃だった。
(っ………肋骨が折れたか。内臓に刺さってはいないが……グッ…満月ならオーガなどに遅れを取ることなど……)
 せめて夜なら月の力で回復力も上がるが、今は無い物ねだりをしている場合ではなかった。―――このオーガはそれほどに強い。
 壁に手を付いて何とか立ち上がるけれど、節約していた戦う力は一気に奪われた。骨折を抱えていては息を吸うだけで痛みで集中力が途切れ、魔力を練る事さえ出来ない。なんとかこの場を逃げる方法を模索するが、目の前にあのオーガがいては、指一本動かす間に命を奪い取られる可能性の方が高い。
(万事…休すか……)
 いくら思考をめぐらせても自分が助かるイメージが想像できない。
 呪文を高速詠唱すれば頭をつぶされる。
 無詠唱魔法でも狙いを定めようとした途端に死角から攻撃される。
 逃げようとすれば背中から打ち抜かれる。
 このまま睨みあっていても、やがては相手が飽きて、殺される。
(せめてゴブリンたちが間に入ってくれればやりようがあるものを……)
「さて……どうします?」
 肋骨の痛みは言葉を発するだけでもジャスミンの神経を圧迫する。それでも毅然とした態度を崩さず、壁から背を離したジャスミンは息を整えて襟を正すと、手負いの獲物を確実にしとめるためにジッと様子を伺い続けるオーガを睨みつける。
「戦うというのならば、私も是非は問いません。この命が消えるその時まで、全力でその運命に抗いましょう。―――そう容易く、私を食せると思わないことです。来るならば全力で来なさい」
 意味が通じたかどうかは不明だ。何者かに操られているのなら、その向こう側にいるものに声が届くかとも思い長髪の言葉を口にしたが、反応は無い。―――ただ、ジャスミンが弱りきっているのを感じ取ったオーガは唇を歪ませ、ジャスミンを前にして涎を滴らせ、空に向けて雄々しい獣の雄たけびを上げる。
「―――油断してくれればよいのですが」
 石畳の床を蹴り砕き、オーガの巨体がジャスミンへむけて突進する。
 両拳がギリッと固く握りこまれる。岩同然の固さのpそれに殴られるだけで、細いジャスミンの体は容易く吹き飛んでしまうだろう。
 オーガの速度は速く、動きに躊躇も油断もありはしない。目の前にある極上の獲物をしとめることに全力を注ぎ、風のような速さでジャスミンへ迫り、その姿は―――不意に視界から消えた。
「―――――」
 オーガが先ほどのように横に回りこんだわけではない。何かが、何者かがジャスミンの視界を塞ぐように前へ立ちはだかる。両腕を広げ、背後にいるジャスミンをかばうように視界をさえぎり、オーガの前へ身を投げ出したのだ。
 柔らかそうな短めの髪が宙に舞う。――一瞬の光景を目の当たりにし、ジャスミンの頭に疑念がよぎる。
 なぜ、彼女がこの場にいるか。
 街の外にいたはずだ。―――なぜ危険なこの場所に、どうしてこのタイミングで現れるのか。
 見間違えるはずが無い。彼女が身にまとっている物ほとんどをジャスミン自身が選んだのだ。見間違えるはずが無い。―――疑念を挟むことすら拒否し、冷静な思考はオーガとの間に割り込んだ人物が誰であるかを一瞬で理解する。
「―――たくや様!」
 彼女が敬愛し、仕える王女を命がけで救った恩人。
 力を内に秘めながらも、使い道を知らない未熟な魔王。
 男として生まれ、女として生きて行かなければならなくなった性転換者。
 ―――オーガは決して彼女を殺す事をためらいなどしない。それが分かっていながら、ジャスミンは期せず訪れたチャンスを無駄にしないために一気に魔力を練り上げる。
(我ながらなんと無慈悲な―――!)
 だが、たくやを助ける時間はない。彼女が現れ、一秒と満たない時間の後に、その体は軽々と吹き飛ばされ、先刻ジャスミンが崩壊させた建物の瓦礫の方へと飛ばされていく。
 ―――だが、それこそが最後の好機だった。たくやを払いのける動きが行われたのはジャスミンの目の前であり、動きを止めたオーガから攻撃をはずす理由はジャスミンには無い。
「―――ヴォルフレア!!」
 一息の間に練れるだけの魔力を練り、最速の詠唱を持って為せる最大の攻撃力を有する電撃をオーガに叩きつける。
 手の平から迸った紫電の爆発は一瞬にして雷の蛇の如くオーガの四肢へと絡みつく。―――だが、それだけだった。
「グァアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
 膨大な電撃に身を撃ち振るわせたものの、オーガはなおも健在だった。―――わずかに、その命を断ち切るには魔力が足らなかったのだ。
「もはや…これまでですか……」
 打つ手は無い。最後まで活路を見出そうと思考を継続し、的確な判断を瞬時に下す事の出来るジャスミンが動きを止める。―――後は己の運命を受け入れるだけだった。
 だが、おかしい。魔法に耐え切れたのなら、攻撃するのに数秒と掛からないはずが、失意に支配され始めたジャスミンを前にしてオーガは拳を振るうどころか、苦しみ悶えるような声を上げ始めた。
「グアウッ! ガウ、ガルルルルゥ!! グァウアアアアッ!! ギャウウウウウッ!!!」
「な……スライム!? どうしてこんなところに……」
 再び火たいたジャスミンの瞳には、右半身を巨大なスライムに飲み込まれ、身動きが取れないオーガの姿が映る。
 たしかに物理攻撃の効果が薄いスライムならオーガに攻撃されてもダメージを受ける事は無い。―――ではこのスライムは……
「ガアアアァァァァアアアアアアアアアッ!!!」
 今度はコボルトだ。手にロングソードを携えた半犬のモンスターがオーガの左足へ刃を食い込ませている。
 仲間割れ……違う。敵のモンスターの中に金属性の武器を持った者はいなかった。ならば……これは敵とは別の、違う誰かに支配された魔物と考えるべきだ。そしてその人物とは―――
「いっっったいなぁ!! 思いっきりコブが出来ちゃったじゃないの!」
 ―――――いったい何が起こっているのか。
 絶体絶命のはずが予想もしない出来事が次々とジャスミンの目の前で巻き起こる。―――そう、例えば目の前に巨大な壁が通り抜けて行く事など、誰が予想できると言うのだ。
「ジャスミンさんから離れろ、このぉぉぉ!!!」
 その壁はたくやが殴り飛ばされた建物の瓦礫の中からたくやが持ち上げ、オーガに向けて投じたものだった。
 いかに巨体と怪力を誇るオーガでも強力な電撃を浴びた直後に、しかも半身をスライムに束縛され、左足に怪我を負った状態で巨大な瓦礫を受け止める事は出来なかった。
 タイミングよく引いたスライムとコボルトに取り残され、瓦礫の直撃を受けたオーガは吹き飛ばされはしなかったものの、巨大な質量に押されて後退さる。
「グァアアアッ!!」
 オーガの全身の筋肉が盛り上がり、その力で瓦礫を横へと弾き飛ばすが、既にジャスミンは間合いを取り、確実にこの強敵を倒せるだけの魔法の詠唱を開始した。―――そしてその横を、身を低くしたたくやが駆け抜けて行く。
「――――――――ッ!!!」
「こん…のやろぉぉぉ!!!
 力を放出し終えたばかりのオーガは、息を吸う暇さえ与えられずに迎撃せざるを得ない。ジャスミンに放ったものの半分の威力も持たない右の拳を咄嗟に突き出すが、人間離れした脚力で距離を詰めたたくやは頭を下げて一気にオーガの懐に飛び込むと、同時に手にした剣を頭上へと振り上げた―――


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