stage1「フジエーダ攻防戦」07


「衛兵長、敵が動き始めました!」
 明け方――街を囲む外壁上でさらに外側を囲むモンスターたちをジッと見つめていた衛兵長の元に衛兵の一人が報告するが、それは報告されるまでも無い。これまで動きを見せなかった千匹を超えるモンスターたちがにわかに動き始め、殺気とも狂気ともつかない気配を漂わせ始めて行くのは誰の目にも明らかだった。
 フジエーダの街の長老たちによる話し合いは事ここに至っても、まだ結論が出ていなかった。保身の為に何度も和平の使者を立ててはそのたびに追い返され、一時街を占拠するだけと言う言葉を信じて降伏を口にするものが大多数の意見だったけれど、神官長をはじめ、良識のある人間が交戦、もしくは街の人間を非難させるべきだとの意見であったために議論が長引いていた。
 その一方で街の防衛の準備は着々と進められていた。住み慣れた街を離れなければならなくなり、何かのきっかけがあればパニックに陥りそうな人々をなだめながら昼夜を問わず続けられた戦の準備ではあったが、数を相手にするには万全とは言いがたい。けれど冒険者として名を馳せた衛兵長や神官長の指揮の下、志願した若者を含めて百人を越える兵士が弓を手にして街壁上に並び、木材、大きな石などがうず高く積み上げられ、所々には並々と注いだ油を煮えたぎらせる大鍋までもが用意してあった。
「―――いいか、皆の者!」
 敵の動きが慌しくなったとは言え、その行動は迅速とは言いがたい。その間に戦慣れしておらず緊張と困惑を隠せない若い衛兵たちに老いた衛兵長が声を飛ばす。
「戦は数ではない。兵の質で勝負は決まる。見ろ、奴らは街を取り囲んではおるものの、たかが千匹。しかもゴブリンなどの妖魔の群れよ。決して強くは無く、恐れるものでもない! この中でゴブリンにさえ恐れる様な奴がおるか!? いたら今からでも構わん。無駄に命を落とす前にこの場を離れ、急ぎ避難する者たちと合流せい!」
 隣に立つものと顔を見合わせるが、誰一人として逃げ出そうとする者はいない。
 もとより、この場にいるのは自ら志願して街を守るために集まったものたちだ。家族を、恋人を、親を、子供を、誰かを守ろうと、ここにいて、武器を手に取り、不条理に彼らの生活を蹂躙しようとする敵と戦おうとしているのだ。
「よし、ならばここにいる者は今一度、ここに来た決意を思い出せ。なぜ戦い、何の為に戦い、何を守ろうとしているのかを!」
 水掘をまとった壁の上、森から流れてくる草木の臭いと対峙すべき獣たちの臭いが混ざり合った風を下から受けながら、岩に水が染み入るように衛兵長の言葉を聞いた者たちの顔に堅い決意の表情が生まれ始める。
「叫べ! そして振り上げろ! 我らは決して屈したりしない。理不尽を突きつける馬鹿な相手に我らは拳を叩きつけろ!!」
 衛兵長が握り締めた拳を高々と突き上げる。それを追い、付き従うように、今一度決意を固めた兵士たちは拳を、剣を、弓を掲げて雄たけびを上げる。
「―――よし」
 その光景を見て、この戦が決して負けることが無いと確信した衛兵長は深くうなずくと、隣りで両手を振り回していた既知の衛兵を一人、肩を掴んで引き寄せた。
「気合が入っているところ悪いが伝令を頼む。お前は急いで北門のジャスミン殿に動き出した事を知らせろ。おそらく呼応してあちらの敵も動き出しているじゃろうが念のためにの」
 そうして伝令を走らせると、衛兵長は年季の入った鞘から剣を引き抜くと歳を感じさせない大声を張り上げる。
「弓構えぇぇぇ! いいか、十分ひきつけて打て、狙って当てようと思うな、数打ちゃ当たる、ワシの号令と共にどんどん打てぇ!!」
 街壁の外ではモンスターたちが水堀に迫ってきていた。見るからに醜悪なゴブリン、犬顔のコボルトが前面に立ち、武器の代わりだろうか大きな石を両手で抱えてゆっくりと近づいてきていた。
「………待て。奴らは確か武装していたはず。なのに石じゃと!?」
 この数日の観察で、敵は石槍や木の盾などを手にしていた事が確認されている。戦いを前にして高揚しているため兵士のほとんどが気付いていないが、衛兵長の他に数名だけがモンスターたちの様子に疑問を覚えた。
「あんな大石を投げてもこちらには届かんはずじゃし……奴らめ、何を考えておる?」
「え、衛兵長! あれを…あれを見てください!」
 敵の意図が読めぬまま、じわじわと戦いの時刻が迫る中、思索にはまろうとしていた衛兵長は傍らの誰かが指差した方を見る。
「な…なんじゃと!?」
 朝日に照らされた白々とした空……そこに突如として黒い雲のようなものが湧き上がっていた―――



「―――向こうでは始まったようですね。それではこちらも取り掛かるとしましょう。皆さんは所定の位置についてください。決して避難する人々に敵の手が及ばぬよう心して事に挑むように」
 南門からの伝令、そして遠くから聞こえてきた時の声を耳にし、普段どおりピシッと服を着込んだジャスミンは、どこか冷たさを感じさせる瞳でレンズ越しに部屋にいる面々を見回した。
 室内にいるのは、静香の護衛として随伴していたクラウド王国の精鋭騎士、そして包囲される前から街に滞在していた冒険者たちの主だった者だ。
「打ち合わせ通り、私が退路を作ります。あなた方は打ち漏らしたモンスターたちから街から避難する人たちを守ること。ではよろしくお願いします」
「よっしゃあ! 見てなよ、美人さんよ。ゴブリンどもなんぞ俺のグレートソードで一匹残らずぶち殺してくれるぜ!」
 時は一刻を争う。―――適当な人材が他におらず、北側のリーダーに任命されたジャスミンの言葉が終わり、部屋にいるモノが部屋を出ようとする中で大柄な冒険者が大きな声で笑い声を上げる。
「―――お待ちなさい」
「は…へ……?」
 その男が、不意に宙を浮いた。室内にいる人間の中で最も逞しい体をしているはずの戦士が、彼の背後に立ったジャスミンにベルトの腰側を掴まれ、そのまま片手で仰向けになるように頭上へ掲げ上げられてしまっていた。
「な、なっ、なあぁぁぁ〜〜〜!?」
 「なにしやがる」と口にしたいようだが、あまりの出来事に言葉がうまく喉を通らない。自分の身に何がおきているのか理解できないまま、ジャスミンを除くその場にいた人間全員の視線を背中に浴びていると、巨躯の男を抱え上げてさえいなければとても悩ましく見えるジャスミンのため息が体の下から聞こえてきた。
「まったく……あなたは何か誤解されているようですね。もう一度だけ説明して差し上げます。あなたが受けた依頼は避難する人々の護衛であり、けっしてモンスター退治ではありません。フジエーダの東、大きな泉の近くに古い砦跡があるのでそこまで人々を安全に送り届ける事。もし持ち場を離れ、誰かが怪我をし、命を落とすようなことがあれば、契約不履行として冒険者ギルドに報告する事になるので十分注意してください。それだけの報酬もお支払いするのですから」
「わかった、分かったから早く降ろしてくれぇい!!」
 どんなに抗っても手足をばたつかせる事しか出来なかった男を床へと降ろすと、ジャスミンは手を打ち鳴らす。
「何をしているのです。あなた方は自分の成すべき事を成しなさい。今は一秒を争う時なのですから!」
 それを聞き、信じられない光景を目の当たりにしたばかりの冒険者たちは慌てて部屋を後にし、残されたのはジャスミンと二人の騎士だけだった。
「あなたたちも打ち合わせ通りに。姫様と人々を砦跡まで護衛したらすぐに周辺の領主へ救援を要請なさい。フジエーダだけでなく我らがクラウド王国との連名ならば決して無下に断られることもありません。その際には次は己が身に降りかかる災難であることを強調する事も忘れないように」
「は、心得ました」
「ジャスミン様もご武運を」
 そうして騎士たちを送り出したジャスミンはしばし息を整えてから部屋を出ると、建物の外ではなく上――屋上へと足を向けた。
「――――ジャンプ」
 屋外へと出ると、口の中で二言三言言葉を紡ぐと、ジャスミンの肩から背中、そして足首に魔力によって生み出された不可視の翼が生まれ、そのまま軽く建物の屋根にあたる地面を蹴れば、女性として理想的なプロポーションをし、体重も当然理想的なジャスミンの体はまるで鳥の羽根のように宙へと舞い上がる。
「………まだそれほど混乱は起きていないようですね」
 念のために下からは見えないよう簡易結界を張り、舞い降りたばかりの屋根をすぐに蹴って目的地へと飛びながら街の様子を観察する。
 北門に続く大通りには大勢の人々がびっしりと並んでいた。中には動けない病人や当座の食料を積んだ馬車も見えるが、そのほとんどが最低限の荷物だけを持ってその場に集まっていた。
 仮に――そうなる可能性は非常に高いのだが――街中が戦場になった場合の事を考え、一時的に住民を避難させようとしているのだ。これは長老衆の決議によるものではなく神官長の独断によるものだが、和平・降伏派の工作が遅々として進まぬ以上、この判断は決して非難されるようなものではない。むしろ自分の身と財産の事しか考えていない長老たちに比べれば、英断と褒め称えてもいい。
 だが、長くこの街で暮らしている者の中には悲しみにくれる者もいるし、残る事を選択した者もいる。緊急事態であるため、そういった人々全てを説得して回る時間がなかったものの、それでも九割を超える住民が一時的に街を離れる決意をしていた。
「船が使えれば楽なものを……」
 大河と繋がっているフジエーダには当然運搬用の船が存在していたが、そちらには多数のプラズマタートルが存在している。魔法で駆除する方法も検討されたが、プラズマタートルを一匹討ち漏らしただけでも船を鎮められてしまう危険性がある事等から、確実な陸路で避難する事が決められた。
(だが、これで静香様を安全な場所へ逃がす事が出来る。滞在していただけの参拝客や観光客と共に他の街へ向かってくだされば……)
「そのためにも、私は私の全力を尽くすのみ」
 実際、この場所への被害さえ考えなければジャスミン一人で千匹のモンスターと渡り合う事も可能だった。戦略級広範囲殲滅攻性魔法を用いれば大多数を瞬時になぎ払う事も可能だ。―――その手段を取る事が出来ないからこその避難なのだが、住民への心配さえなくなればジャスミンと神官長、そして衛兵や冒険者たちの戦力でも三日もあれば決着を付けることが出来るだろう。
 そして三度目の跳躍を経て、ジャスミンは街壁の上へたどり着く。
 降り立った場所には魔法陣が描かれていた。街壁の上が狭く、通路の幅に合わせて横長に描いた変形魔導式だが、ジャスミン自らが入念に確認作業を繰り返している。使用に何も問題はなかった。
「ジャスミン様、お待ちしていました。魔方陣への魔力の注入は終了しています」
 ジャスミンがざっと最終確認をし、魔方陣を起動させる中央の円陣に立つと、今まで精神力を削って交代で魔力を注いでいた水の神殿の神官たちが膝を着いた。
「お願いします……私たちではどうする事も出来ないのを歯痒く思いますが、今はジャスミン様だけが頼り。なにとぞこの街の人々をお救いくださいませ」
「わかっています。ではあなたたちもすぐに避難する人たちと合流を。その疲れ果てた身では戦うことも出来ないでしょう。人々と共に一時この場を離れ、街を奪還する際に回復した力をお振るいなさい」
「承知しております。―――ですが、神官として私たちは最後までこの地にとどまります。避難しないと決めた人たちの身に危険が及ぶなら、彼らを守るのが義務だと心得ておりますから」
「………言っても無駄のようですね。ですが、決して命を無駄に捨てない事だけを心に留めて置いてください」
「はっ」
 神官たちを下がらせると、ジャスミンは街壁から外の様子をその目に焼き付ける。
 数はおよそ二百―――攻めてくるまで隠れていたのだろうが、北側の敵戦力はこれで全てだろう。ゴブリンやコボルトばかりだが、中央には身の丈三メートルを越えるトロールが二体いるのが見える。これを排除しておかないと護衛の者たちだけでは手に負えないか……
「―――コネクト」
 目を伏せ、ジャスミンがキーワードを口にすると魔法人に蓄えられていた魔力とジャスミンの展開する魔道師帰途が繋がって行く。
 意識の内から外へ。普段なら圧縮して一言で済ませることも出来る呪文を形の良い唇から紡ぐたびに、ジャスミンの精神の糸が展開した魔導式を上書きし、より複雑で精緻、そして巨大な魔導式を周囲の空間に描き上げて行く。
 それを見るのではなく魔力的視覚で感じとり、周囲に控えていた神官たちは息を飲んだ。―――それは人間業ではない。いくら魔法陣によって一部を代替しているとは言え、ゆっくりと輝き始めた魔方陣の中央に立つ美女の描く魔導式は彼らには理解の範疇を超えるものだった。
「―――もう少し離れていなさい。発動時の巻き添えを食いますよ」
「は…はい……」
 詠唱を終えたジャスミンは最後の力ある言葉を口にしないまま神官たちに退避を促す。それは爆発寸前の爆弾を懐に入れたまま過ごすような行為であり、既に輝きが臨海に達していた魔方陣はいつ暴発してもおかしくは無いほど魔力を噴き上げていた。
「水の加護のある地にてどこまで威力を上げられるか分かりませんが―――下りなさい」
 ジャスミンの手が上がり、指が前を指差す。その先にいるのは一際巨大なために目標にしやすい二匹のトロールだ。
「―――サンダーフォール!」
 直後――轟音と共に世界が黄金の輝きに包まれる。
 天空高くより振ってきた雷の柱は狙いをはずす事無く、北門前の堀へ接近していたゴブリンの群れの中央に突き立った。そしてそのまま地面を一直線に疾り、進路上にいたモンスター全てをなぎ払い、その場に立ち尽くしているトロールを一瞬にして骨も残さず消失させる。
「まだ…行けますね」
 モンスター達の中央を分断するように駆け抜けた雷はジャスミンが手を振ると二本に別れ、さらに幾重にも分かれて無数の落雷へと変わると、生き残ったモンスター達の中で暴れ狂う。直撃を受けた者を一瞬で感電死させ、その余波でさえ十分な凶器として振り回す。
「これで……終わりです」
 さすがにこれだけの雷を操るのは苦しいらしく、ジャスミンの額には汗がにじんでいた。だがその美貌を歪ませる事は決してなく、眩い輝きの中で神々しささえ漂わせながら大きく手を振り上げると、もはや数えるほどしか立つ者の姿の無い焼け野原へ向け、クライマックスを告げる指揮者の如く、その指を振り下ろした。
 その直後、最後の白光が中央へと降り、衝撃と共に砕けた電撃が水面に広がる波紋のように周囲へ駆け巡って行く。
「ふぅ……余剰魔力が思ったよりも多かったので大半は打ち倒す事が出来ましたね。―――何をしているのです、跳ね橋を降ろしなさい! 大部分は排除しましたが念の為に斥候を先行させ、安全を確認しながら焦る事無く、けれど急いで砦へと向かうように!」
 あれだけの大魔法を放ち、制御しきった直後で精神的に疲弊したジャスミンであったが、腰を抜かしていた神官たちへすぐに矢継ぎ早に指示を出して行く。
「それと誰か南側へこちらが成功した事を伝えてくださいませんか。避難にはまだ時間が掛かりますが、神殿で敵を食い止めれば多少なら――」
「伝令、伝令――――――っ!!!」
 焦り、そして精神的な疲労が感じられる声がジャスミンのいる場所へと届くと、すぐに息を切らせた衛兵が街壁の上へ姿を現した。
「大変です、門が……南門が破られました!」
 ジャスミンと周囲にいる神官たちに緊張が走る。まさか……と言う思いと、想像以上に早く訪れたその報せに困惑を隠すことができないでいた―――



「うわあぁぁぁああああああああっ!!!」
 叫び声を上げながら衛兵の一人が街壁から外へと落ちていく。
 ―――下が水堀だから運がよければ助かるかもしれない……そんな考えを思い浮かべる余裕は、その場にいる誰にも無かった。
 フジエーダの街に最初に責めてきたのはゴブリンでコボルトでもトロールでもない。
 虫だった……黒い煙と見まごう程の何万、何十万匹とも知れない無数の羽虫――魔蟲の大群。それがなんなのかと分からないうちに街壁上で敵を待ち構えていた衛兵たちに襲いかかり、フジエーダ守備隊を混乱に陥れた。
 幸い、魔蟲は毒をもっていなかった。だが剣で切ることも出来ず、弓で撃つ事も出来ない魔蟲の群れに包まれ、口から進入されて気管を塞がれ窒息する者や混乱に陥って街壁から転落する者が続出し、組織立った動きを出来なくさせられてしまっていた。
「退避、退避〜〜〜!! ええい、この、たかが虫の分際でワシに喧嘩を売ろうというのか!!」
 衛兵長が声を張り上げても、誰にも聞こえていない。耳に入るのは魔蟲の羽音か魔蟲そのものばかりで、夜の間冷えないようにと鎧の上から着込んでいた上着を振りながら踏みとどまってはいるが、このままでは何も出来ずに全滅するのを待つだけだった。
「くぬぅぅぅ……若き頃は妻と共に大陸中を冒険して回ったワシの力を甘く見るでないぞ!」
 手にしていたのが上着なのが衛兵長の幸運だった。口に入った魔蟲をペッペと吐き出しながら上着のポケットをまさぐると煙草入れを取り出し、中にまだ火種が残っているのを確認する。
「どけどけどけぇぇぇ!!―――そりゃあ!!!」
 煙草入れと上着を手に衛兵長は篭城用に用意していた煮えたぎる油へと走り出した。途中、何度も蹴躓きながらも鼎の傍へとたどり着くと、弱々しく燃え続けている火種を煙草入れごと油の中へと放り投げる。
 ―――直後、油に火がついたかと思うと真っ赤な炎が立ち上る。
 勢いよく、爆発したかのように上へ向けて赤い炎の柱が立ち上がると、その場所を運悪く飛んでいた魔蟲が一斉に燃え上がった。
 魔法で生み出されたとは言え、魔蟲の基本的な体構造は本来の虫となんら変わりは無い。炎に弱いという弱点をそのまま受け継いでいる事がほとんどだ。しかも襲い掛かっていた魔蟲は大量に生み出しやすいものであったがためにとりわけ火に弱く、構造を単純にするため目や口などの感覚器を廃し、術者の命令が無ければ近くの熱源に群がる習性を有していた。
 大量の油を燃やすという方法は、そのような魔蟲の習性を知っての事では無いにせよ、実に効果的な対処法だった。炎をまとわせたまま苦しそうに羽根を動かす魔蟲と油の炎に次々と他の魔蟲たちが集まると、火は爆発的に燃え広がって行き、街壁の上を埋め尽くしていた次々に焼け死んでいった。
「カ〜ッカッカッカァ! みたか、人間様の知恵と勇気と根性を!」
 魔蟲がすぐに燃え尽きるため火事になるようなことは無かったが、それでも降り注ぐ炎と鼎から飛び散る油を避けるために長年愛用している上着を頭からかぶった衛兵長が高らかに笑う。―――が、その背後から長い棒を手にした男が飛び掛っていた。
「衛兵長、あぶねぇ!」
 男の影と衛兵長とが交錯すると、男は握り締めた棒で鼎の陰から現れた別の影を殴り倒した。
「ぬ、コボルトか!?」
「へい、どうにも虫にまぎれてでかい虫に乗ってこちら側へ飛び移ったようで」
「おぬしは確か志願兵の……」
「へい、しがない肉饅屋でございやす。しかし油を使って虫どもを撃退するとは、さっすが衛兵長。男が違うねぇ」
「男に褒められても嬉しくないわ。それよりも敵はどうした? 門はまだ破られておらんだろうな!?」
 コボルトがここまで来ていたなら門が内側から破られていてもおかしくない。数が激減したとは言え魔蟲がまだ数多く飛び交う中、身を乗り出して街壁の内側を覗き見ると、念の為にと下で待機させていた別の守備隊が数匹のコボルトと切り結んでいた。
「下は大丈夫でござんす。ですがこっちの方が大事だったんで取るものもとりあえず駆けつけやした」
「よし、ならばこの上着をその棒に巻きつけて松明を作り、まだ虫に襲われている者たちを助けてくれ」
「………よろしいんで? その服はなにやら大切な……」
「はっ、んな思い出に浸っておる暇なんぞどこにもありゃせんわい。大切なのはこの街を守る事。違うか?」
「く……ううう…さっすが衛兵長……了解であります。この棒は俺っちの商売道具だが、女々しい事を考えちまった……許してくだせえとは言いません。ただ今は行動あるのみよ!」
「うむっ!」
 力強くうなづきあうと肉饅屋と名乗った男に上着を渡し、衛兵長は無事だった衛兵たちに収集を掛け、予測される敵の本攻撃に慌しく備え始めた。
 壁の外には街を包囲していたモンスターがひしめいている。すぐにでも街は襲撃されるはずだった。―――だが、魔蟲で混乱している間に、なぜ敵は壁を登ってこなかったのか……それだけの時間は十分にあったものの、街へ侵入してきたのは少数の小柄なコボルトだけだったし、そもそもはしごなどを敵の中に見かけていない―――
「!? もしや!」
 魔蟲の襲撃の目的がこちらを混乱させ、時間を稼ぐ事であったなら―――
 そもそも、敵が壁を登る事を考えていないのなら―――
 大規模な防衛線と言うことで無意識に人間の軍勢を相手にするつもりでいたが、その前提からしてこの戦いは異なっていた。相手は何者かに操られたモンスターなのだ。
 ならば意思を手にして近づいてきてたのは何のためか……衛兵長はその意味に気づくと、今度は壁の外側へと身を乗り出した。
「なんてこったぁ!!」
 ゴブリンやコボルトたちが危険を承知で壁へと接近し、石を投げ込んで堀を埋める……そこまで想像していた衛兵長だが、敵の行動はその上を行っていた。
 堀に投げ込まれているのは石だけではない。ゴブリンやコボルトは石を抱え込んだまま、自分の体ごと堀の中へと飛び込んでいたのだ。
 何匹、何十匹、そして何百匹……街を包囲していたモンスターの半分以上が石を抱いたまま堀の中で折り重なり、上に圧し掛かる別のモンスターの重みで苦しみの声を上げながら絶命していく……まさに命がけで肉の橋を作り上げていく。
「え、衛兵長、どうすれば!?」
「くっ……」
 今から岩や木材を頭上に降り注いでも、かえって橋の完成を早めるだけだ。ならばその橋を渡るであろう本隊を弓で狙い打ちたいが、街壁上の混乱はまだ収まりきっておらず、用意していた弓も矢も散乱している上に人数も半減してしまっている。
「仕方ない……ならば門を破ろうとする敵をひきつけ、その頭上に岩と木材をお見舞いしてやるのみ! 無事な者は手分けして負傷者の救助と防衛の―――」
 何とか体勢を立て直して街を守る……そのための指示を飛ばした衛兵長だったが、地響きを立てて近づいてくるものの姿を見て、もはや門の防衛が不可能な事を悟った。
 石と妖魔たちの死骸で埋められた堀へと近づいてくるのは巨大な三匹のトロールだった。手には人間では抱えられないような巨大な棍棒を持つ身の丈三メートルの巨人の前では用意された石や木材では足止め程度にしかならない。
「こいつらの重みを支えるための石か…!」
 相手の思惑を悟ったときには全てが遅かった。肉と骨と石とで出来た橋を踏みしめ、足の裏でさらに何匹もの妖魔を押しつぶそうが頭上から石や弓の雨が降ろうが関係ないと言うように歩み進んだ先頭のトロールは棍棒をフジエーダの街の南門へゆっくりと――その巨体ゆえに遅く感じられるが、実際には速度も破壊力も驚異的な一撃を振り下ろす。
 破砕の音……引き上げられていた跳ね橋は一撃で砕かれる。分厚い門は数度の衝撃に耐えはしたけれど、何度目かの棍棒の打ち下ろしによって粉砕されてしまう。
「…………まだだ。まだ何もかもが終わったわけではない! 無事な者は武器を取れ。せめて…せめて住民が避難するだけの時間を稼ぐ!」
 そう周囲の人間に、そして自分自身へ言い聞かせた衛兵長は、トロールの後から阻むものが亡くなったフジエーダの街へ雪崩れ込もうとするモンスターへの攻撃を命じた―――


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