stage1「フジエーダ攻防戦」06


―――ウォオオオオオオオオオオオォォォォォ!!!
 決して広いとは言えない洞窟の中に、コボルトたちの咆哮が響き渡る。小柄な半犬半人のモンスターとは思えない雄々しい声にひるみそうになるけれど、あたしもこんなところでやられるわけにはいかない。
「来るなら来なさい。そう簡単に負けてやら無いからね!」
 決意と共に手の中の棍を握り締めると、あたしの正面にいるコボルトが餓えた獣のように口から涎を滴らせて飛び掛ってくる。
 今いる地下水路は洞窟の中央の水の流れをはさむように二本の通路が延びている。あたしがいるのは右側――コボルトたちへと振り向いたので、体の左側に土の壁がある方だ。
 幸い、三匹のコボルトのうち、二匹は反対側の通路にいる。こちら側へ飛び移ろうとしているようだけど、対峙しているのは今だけは一匹だけだ。今の内に一匹を倒してしまえば活路を見出せるはず……
「これがワーウルフとかなら絶体絶命なんだろうけどね……」
 水の流れと獣の方向を耳にしながら、あたしは右半身で棍の先端をコボルトへ向ける。
 襲い掛かってくるコボルトの目には知性の光が見られない。森に囲まれたアイハランの村でもコボルトと遭遇する事はあったけれど、ここまで凶器を宿らせた目をしていなかった。
 それなら……と、あたしは前に出した足を引き、構えを左右入れ替える。
 普段の状態ならすぐに反応できるようなあたしの動きにも、突っ込んでくるだけのコボルトには対応できず、あたしへと振り下ろされるはずだった爪は宙を掻く。
「――――――!」
 必殺の一撃を躱されて頭にきたのか、もはやあたしの耳では聞き取れない叫び声を上げるコボルト。それを、
「うるさい!」
 壁を背にし、両手で水路へと突き飛ばす。
 盛大に水の跳ねる音が響く。流れは速くないとは言え、十分深い水路にコボルトは沈んでしまうけど、それを確認する間もなく二匹のコボルトが正面――反対側の通路から跳躍し、一匹は鉄格子とは反対、あたしの左手へと着地し、もう一匹はあたしの体を掻き切ろうと空中で腕を振り上げる。
 ―――衝突音。右へと飛んでコボルトを躱すと、弧を描いて腕を振り抜いたゴブリンは目標を見失い、前のめりになりながら頭から固い土の壁へと衝突する。そして通路に落下し体を弾ませると、ガとノドを震わせ、頭を抱えてのた打ち回る。
 残り一匹。――二匹をあしらえたのは上出来だ。それに位置的にもそうまずいものじゃない。無事な一匹とあたしの間に倒れこんだコボルトは障害物扱いで相手の動きを阻害―――
「――――――――――!!!」
 その瞬間、あたしは自分の目を疑った。
 正面に立ったコボルトはその視線をあたしにではなく、地面に倒れた仲間のコボルトへと向けられる。―――が牙の並んだ口を大きく開き、地面に倒れる仲間のコボルトの腹へ噛み付き、そして食いちぎった。
「うっ………」
 耳にしたくない噴出音と共に、カンテラの光の中を鮮血が飛ぶ。
 ノドへ込み上げるものを押しとどめるように口を手で抑えるあたしの目の前で、カンテラに照らされたコボルトの腹が鮮血に染まり、片方のわき腹が食いちぎられた直後にビクッと強く大きく体を震わせ、手足から力が失われた。
 仲間が、同族が死んだ―――けれど、狂っているとしか言い様が無いコボルトの「食事」は終わらなかった。噴き出す血を嬉々として飲み、既に屍と化したコボルトの腹を貪るように食いちぎり、租借していく。まだ洞窟の中がカンテラの薄い橙色の明かりだけだったから見ることも出来るけれど、もしこれが屋外で、二宙であったならば、あたしは胃の中のものを全て吐き出し、足早に立ち去った事だろう。
「………ごめん」
 あたしが歩み寄っても、コボルトは仲間の屍を貪る事を辞めようとはしなかった。
 内臓のほとんどを食い散らかされ、肋骨をさらして横たわるコボルトの光を失った瞳と、もう獣とも呼べないほど顔を赤く染めたコボルトとを目を逸らしたい衝動に必死に抗いながら直視すると、あたしは鞘から抜いたショートソードをコボルトの心臓が位置する場所へと突き立てた―――



 ―――カラァン……
 四本目の格子の鉄棒が上端を溶かしきられ、音を立てて地面へ転がる。
 これで先へと進む道が出来た。折り重なるように息絶えた二匹のコボルトに背を向けたあたしは地面へ落ちて軽く弾んでいる小さなジェルへと手を差し伸べた。
「お疲れ様、ジェル」
 物言わぬスライムはあたしの呼びかけに素直に喜びをあらわし、手の平からピョンピョンとあたしの腕を飛び方まで上がってくると、背後のコボルトたちに気付いたらしい。動いてはいないけれど敵と判断し、透明な体に力と緊張をみなぎらせ始める。
「いいから……そっとしといてあげようよ」
 あんなふうに狂ってしまったんなら、この場所で土に還る方が幸せなのかもしれない……そんなのが自分勝手な思い込みだとは分かっているけれど、せめて今だけは静かに眠らせてあげたかった。
「さ、早く街に入って何とかしなくちゃ。この地下水路を通って外に連れて行く事だって出来るんだし。―――ジェル? どうしたのさっきから。あのコボルトたちはもういいって………」
 いつもはあたしの言葉に従順なはずのジェルが、いくら呼びかけても緊張を解こうとしない。まるですぐそこに敵がいるような態度が伝わってくると、あたしは背筋を駆け上る悪寒にも似た直感にしたがって鉄格子の傍へと跳躍した。
「な、なに!?」
 コボルトたちが息を引き取っているのは確かめている。だったらあたしの背後に何がいたのか……それすら分からないまま前方へ飛ぶと、ショートソードを抜きながら背後へと振り返った。
 そこに何がいるかは一目では分からなかった。けど、まだ地面へ置いていたカンテラの明かりの中を目を凝らして見つめ、その正体をようやく見つけることが出来た。
 小さな虫だ。指の幅ほどしか長い胴体はムカデのように無数の節を持ってその身をくねらせ、蜘蛛のように長く、けれど細い足の胴体もかなり小さい。おそらく全長も10センチと無く、遠目には長い尾を持つ蜘蛛のようにしか見えなかった。
 けれどそれを目にした途端、あたしの背筋に走っていた嫌な予感が数倍に膨れ上がる。
「もしかして……魔蟲(バグ)!?」
 だとしたら、もしとっさに前へ逃げていなかったら、あたしの命は無かったかもしれない。
 魔蟲と言うのは高レベル魔法使いが魔法を用いて生み出した昆虫型モンスターの総称だ。体は小さくても、毒を持っている場合が多く、相手にする場合、その体の小ささから非常に困難と言うしかない。
 扱い的にはあたしの肩に乗っているジェルのように魔法生物に分類される。けれど自然発生するようなものではなく、ある程度の専門知識と技術と経験を有する魔法使いが人為的に生み出すものだ。それに生み出したからといって、それを自在に扱えなければ意味が無い。―――となると、魔蟲を扱おうとすると魔蟲専門に修行を積んだ高位魔法使いの存在がその背後にあることになる。
 ちなみに何であたしがここまで魔蟲に詳しいかと言うと、アイハラン村には森の奥深くに老魔法使いが一人住んでいて、あたしがやってた道具屋に大型の魔蟲に買い物させに来ていたからだったりする。あそこには研究に最適だからって各分野の権威が大勢いたからなぁ……
「―――て事は、そのレベルの魔法使いが相手にいるって事か」
 魔蟲は確かに針の一刺しや牙の一噛みで人を死に至らしめる能力を持っている場合もある。けど虫は虫だ。対応策を事前に取る事だって出来る。
 ―――この情報も街に持って帰らなくちゃ。
 けれどそんな先のことよりも、今はここから生き延びる事の方が目前に迫った大問題だ。魔蟲は殺傷力が体の大きさに比例しないから……
「……あれ? ジェルが何処かに……あれ?」
 気がつくと、あたしの肩の上にいたジェルがいなくなっている。慌てて辺りを見回すと、丸いスライムはピョンピョンと魔蟲のほうへと無造作に近づき、一気に膨張すると二匹まとめて飲み込んでしまう。
「うわぁ……なんか恐がってたあたしが情けなるぐらいにあっさりと……」
 確かにスライムになら毒も牙もへったくれも無い。どう逃げるか必死に考えていた自分にちょっぴり恥ずかしさを覚えながら安堵の吐息を一つ吐き出すと、地面に置いたままだった背負い袋を拾い上げる。
「ここでこんな事してる暇も無い…か。ジェル、ちょっと急ぐわよ」
 時間はもうそれほど残されてはいない。ここから後どれだけ歩けばいいのかもわかっていないのだ。危険が去ったのなら、もうこれ以上ここでのんびりしている暇はなかった。
 けれど、あたしもすぐに再出発するわけにはいかなかった。
 ―――あたしが一番最初に水路へ突き落としたコボルトが、通路へと這い上がってきたからだ。
「っ……このややこしい時に!」
 剣を使うのはやっぱり気が引ける。地面に置いていた棍を急いで拾い上げ、口から水を吐きながら水路から上がろうとしているコボルトを突き落としに掛かる。
 けれど、水が無かった。―――今の今まで、洞窟の真ん中を流れていたはずの水路の水が底が見えるほど減少していたのだ。
 考えろ。―――なんで水が無くなった? この現象が意味することは……
「―――しまった!?」
 あたしはカンテラを拾い上げると、格子の奥の水路を照らす。水は少なからず流れてきているし、何処かで水がせき止められたというのも考えにくい。街にいる人がそんな事をしても何のメリットも無いからだ。
 それなら水はどこへ行ったか……下り坂の先の上流で何かをしていると考えられなくも無いけれど、あたしや街の人の「敵」は街の外にいる。それなら何かをするならそちらの方だろうけど……
 あたしは様々な考えが渦巻く頭を勢いよく左右に振って一度何もかも忘れ去る。―――結論は既に出ている。それならば、今すぐにでも行動を起こさなくちゃいけない。
 ジェルを魔封玉に戻し、カンテラを拾い上げるとあたしは奥へと向かうべく足に力を込める。
 急がないと―――もうすぐこの場に訪れる危険を回避するには、今来たまっすぐな洞窟よりも、この奥にあるかもしれない「なにか」に賭けるしかない。
 遠くから音が聞こえてくる。あたしが来た方から、あたしの考えを裏付ける轟音が洞窟を埋め尽くす勢いで近づいてくる。
 急げ。急がないと、街に帰る前に何もかもが終わってしまう。―――けれど、あたしは高位を潜り抜けて先を進もうとして、戸惑いを覚えて足を止めてしまう。
「………ああもう、こんな時に!」
 自分の馬鹿さ加減に頭に来ながら、あたしは棍とカンテラを放り投げて数歩後戻り、地面に這いつくばっていたコボルトを引っ張り上げる。
―――ビチャ
「え……耳から魔蟲……?」
 引き上げた拍子に、だらしなく垂れ下がったコボルトの犬耳から水にまみれた先ほどの魔蟲一匹落ちてくる。
 ―――その意味を考えている暇は無い。教われないようにと溺れ死んでいる魔蟲を足の裏で踏み潰し、コボルトを抱えて通路の奥へと急いで進んで行く。
「逃げなきゃ、いけないってのに……なんでこんなお荷物を!」
 けれど見捨てる事も出来なかった。死んでしまったコボルトたちに義理立てするわけでもないわけじゃないけれど、まだ生きていたこのコボルトを単に放って行く事が出来なかっただけだ。
 身長差もあり、抱えて走ってもそれほど速く進めるはずも無い。それでも必死に明かりを無くした暗い通路を奥へと進むと、ついに背後から迫る轟音が洞窟全体を揺らし、もうすぐそこにまで迫ってきていた。
 タイダルウェーブ―――津波の魔法。術者の近くへ水を寄せ、大波として打ち出す大規模魔法だ。
 限定された空間しか存在しない洞窟の中では、津波はまさに鉄砲水としか言い様の無い勢いで迫ってくる。
 足を動かし、必死に前に進んでも津波の轟音は容易く距離を詰め、逃げるあたしをあざ笑う。
「あ………」
 そして……体と意識が水に飲み込まれるのは、ほんの一瞬の出来事だった―――





「けっ、怪しそうな奴ってのもこれでおしまいだな。手間かけさせやがって」
 洞窟の入り口近くの地面に描かれた魔方陣の中央に立つ男は、誰とも知らない洞窟の仲の相手へ向けて悪態をついていた。
 男はフジエーダの街を包囲するモンスター軍の中において、数少ない人間だった。魔法剣士の冒険者として名を上げていた男だったが、黒ローブの男に請われ、モンスターたちを操る部隊長の役目を勤めていた。
 だが、彼に与えられたのは十匹程度のゴブリンやコボルトだけだった。彼には与えられたワンド(短杖)を用いてモンスターを操る才能が不足していた為なのだが、それまでの名声を捨てて黒ローブの男の誘いに乗っただけの待遇を得ていないと不満を募らせていた。
 そんな彼の背後にはコボルトとゴブリンがひざまずいているのだが、見るからに痩せこけている。―――これはなにもこの男が引き連れているモンスターに限らない。この周辺だけで千匹ものモンスターの腹を満たす食料を調達する事など無理な話であり、それ以前にモンスターの多くは掻き集められただけの「使い捨て」でしかなく、食事を与えるつもりも最初から持ち合わせていなかった。
「テメェらがもっと早く魔方陣を書き上げれば寝る時間もあったってのによ。くそったれが」
 ポケットから酒瓶を取り出し、喉へ強烈な酒を流し込むと、男は目に留まったゴブリンの頭を蹴りつけた。
「ギャウッ!!」
「お前らとも明日でおさらばだ。せいぜい明日は派手に死んで俺の手柄になってこいや。ハッ、ハハハハハハハハハッ!」
 ゴブリンたちに魔方陣を描かせている間、ずっと酒を飲んでいた男の、やけに昂ぶった感情が笑い声になって夜の森に響き渡る。
 そして―――その笑い声が止まったのは、男の胸から槍の穂先が突き出た時だった。
「………は?」
 最後の台詞にしては何の意味も持たない言葉を発し、何が起こったか理解できないまま男の意識は途切れる。
 その直後、疲れ果てたゴブリンたちが一斉に目の色を変えた。
 無から恐へ。一人の男の命令をただ黙々と受け入れるだけだったゴブリンたちは、その男の死によって束縛から解放されると、慌てて森の奥へと姿を消していった。
「―――なるほどね。リーダー格の人間を倒せば支配から逃れられるって訳か。意外と簡単だな」
「そんな分かりきった事を再確認しなくてもいい。それより僕たちも急いでフジエーダに向かうよ」
「おうとも。今度は俺がたくやちゃんと楽しませてもらわなきゃいけないんだからな♪」
「それもこれも、全ての事が終わってからだ。行くよ」
 二人の男――ユーイチとユージは、今しがた倒した男が何の魔法を使ったのかも知らぬまま、津波で壁を抉られた洞窟の中へ足を踏み入れ、先に入ったはずのたくやを追いかけ始める。
 向かう先はフジエーダ。……明け方にはモンスターたちの総攻撃にさらされる場所だった。


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