stage1「フジエーダ攻防戦」01


「ほ、報告します!」
 フジエーダの議事堂に一人の若い衛士が飛び込んでくると、足をもつれさせて床へと倒れこんだ。
 急遽防具屋で買い求めた頑丈な鎧は既に傷まみれになっていて、腕や脚の露出した部分の服は裂けて血がにじんでいる。よほど無理をしたのだろう、フルフェイスの兜を脱いだ顔は緊張と酸欠で歪んでおり、額から滝のような汗を流しながら荒い呼吸を繰り返していた。
「何をしておる。早く報告せい! 和睦は、和睦の話はどうなったのじゃ!」
 まだ話せる状態ではないのは誰が見ても分かると言うのに、長机がコの字に並んだ議事堂の上座――この場で最も位が高い者が座る場所にいる小柄な老人が杖を振り回して報告を急がせた。
 その老人こそがフジエーダの街の領主であり、長老集を束ねる男。――形式上はこの街の中で最も権力を持つ男である。
「ええい、この役立たずが! 早く話さんと、お前を首にしてやるぞ! いや、縛り首だ、死刑だぁぁぁ!!!」
「まぁまァ、そう怒らずに落ち着くアル。急ぐ必要は無いかラ、マずは呼吸を整えるといいアルよ」
 そしてこの会議の場に一人の女性を伴って、最も下座に座っている半裸のデブ――もとい、見るからに怪しい巨漢の男が、実質的にこの街で最も権力を有している水の神殿の神官長だった。
 この座席の位置にフジエーダと言う街の実態が如実に現れている。
 フジエーダの街が神殿への巡礼者で賑わう街である以上、神官長の発言力と言うのは自然と大きくなる。また、風体はともかく現在の神官長は実力・人望共に兼ね備えた人物であり、決して私利私欲のためだけには動かず現在では街の運営のほとんどは神官長が行っている。――そしてそうした人物は、自分に非が無くても権力者に嫌われるのが世の常である。
 名目だけの領主と誰もが信頼する神官長、普段はその構図が浮かび上がることはほとんど無いのだが、街の危機に際して重大な決議を行わなければならないこの会議の場では、不必要なまでに表面化することとなっていた。
「も、申し訳ございません。お見苦しいところを……」
「緊急事態で礼を失するのは仕方ないアル。それよりも、待ってる人が大勢いるかラ、喋れるならそろそろ報告して欲しいアルな」
 その言葉に衛士は頷き、深呼吸をして暴れる心臓の鼓動をノドの奥へと飲み込むと、緊張した面持ちで口を開いた。
「“敵”に和平の意思はありません。こちらが掲げる白旗に目もくれず、外へ出ようとした途端に雨のように投石が行われ、そばに隠れていたゴブリンたちが街中に侵入しようとする始末。その中で必死に和睦の使者である事を伝えたのですが……」
「こ…この役立たずがぁぁぁ!!!」
 和睦はならない。それを理解した長老は椅子を蹴って立ち上がると、テーブルに置いてあった文鎮を手に取り、必死の思いで生きて帰ってきた衛士に投げつけた。
「何が和睦はならずじゃ! どうせ命惜しさに途中で逃げ帰ってきたんじゃろう。そうじゃ、そうに違いないわ! ええい、この役立たずを何処かへ連れて行け! ワシは敵の親玉に和睦しろと言って来いと言ったんじゃ、馬鹿者め、ワシの、ワシの意見を無視しおってからにぃぃぃ〜〜〜!!!」
 わめきながら、紙やペンを手当たり次第に投げつける長老を周囲にいた人間が止めようとするが、かえって怒りを煽る事にしかならない。浮き上がった血管が今にも張り裂けそうな形相を前に、ただただ頭を垂れる衛士だが、その肩を席を立った神官長の大きな手が叩いた。
「ご苦労様だったアル。とりあえず神殿に行って治療を受けてくるアルね。ドれ、私も一緒に行てあげようカ」
 会議場はもはや話し合いなどできる状況ではなくなった。その事を非難するでもなく息をついた神官長は、分厚い黒本を脇に抱えた美女を伴って部屋の外へと出て行った。



「イヤ〜〜、とんでもないコトなったアルな。こちらは完璧に後手アルよ」
「私も警戒していたつもりなのですが……まさかこのような大掛かりな行動を、しかも気付かれずにやってくるとは思ってもいませんでしたので」
 神殿に戻った神官長は執務室に戻ると、連れの女性――ジャスミンに茶を出し、どさりと重たい体をソファーに投げ出した。
「相手が出した条件は二つ……どちらも飲むわけには行かないアルなぁ……」
「神殿の使用はともかく、姫の身を差し出せなど……そんな事を認めるわけには参りません!」
 とは言え……と、心の内では最悪の場合を想定しながら、神官長は音を立てて茶をすすり上げた。

 現在のフジエーダはまさに風前の灯、ネコに追い詰められたネズミと言うような状況だ。
 二日前の夜、大雨にまぎれて町に近づいたモンスターたちによってフジエーダの街は包囲された。
 その数はおよそ千匹。ゴブリンやコボルトなどの妖魔を中心にした集団で、それに対して街の自警団は五十人。追い払う事はおろか、石槍や木の盾などの粗末な武具とはいえ武装している上に統率の取れた大群と戦うことなど、とても不可能であった。
 街にいた冒険者の多くは襲来の方が街に広がるや否や、モンスターが押し寄せてきた南門とは反対側の北の門から脱出した。しかし、すぐに現れた別働隊によってそちら側の街道も封鎖され、何組かは惨殺されて門の前に晒された。もし逃げようとすれば同じ末路をたどる……その事を顕示したモンスター群は街の人々の心に明確な恐怖を与え、それから二つの要求を矢文にしたためて街の中へと打ち込んできた。
 一つ・レイライン上に位置する水の神殿の明け渡し。
 一つ・逗留中のクラウド王国王女・静香=オードリー=クラウディアの身柄の引渡し。
 この二つの要求を突きつけてきた相手にどう対処するかで、フジエーダの街は大きく揺れ動いていた。
 最初の条件に関しては、儀式を執り行った後に撤退すると相手も公言している。その言葉を単純に信じるわけにはいかないが、それを容認したとしても二つ目の条件が問題となってくる。
 静香はクラウド王国のただ一人の王位継承者である。現在の王に兄弟はおらず、子供も静香一人であるため、その身に万一のことがあった場合、クラウド大陸で最も巨大な国の王家の血脈が途絶える事になる。
 もし静香の身を差し出さなければ、街を取り囲むモンスターに街は蹂躙され、差し出して街の人間の安全を図ったとしても、何らかの報復措置が街に及ぶ可能性が非常に高い。責任者はその責を取らされ獄に入れられる事は間違いなく、そもそも彼女に仕えるジャスミンが黙ってはいないだろう。
 だが身分を隠したジャスミンが神官長と共に参加した会議では、静香の身柄を早々に“敵”へ引き渡すべき、と言う意見が大勢を占めていた。その理由は、静香の存在がモンスターたちをこの地に呼び寄せたのではないか、と言う憶測が広がっていたからであった。
「王女様ご一行は危険を察知したからクドーの街ではなくフジエーダに来たと……そこまではあっているアルな?」
「…………はい。我々を付け狙うものたちの存在には気付いていました。その目を誤魔化すために急遽ルートを変更しました。ですが……あまり効果は無かったようです」
 静香は既に一度、この街に到着してすぐに誘拐されている。その時はなんとか救い出すことが出来た上に、一味の人間を捕らえる事が出来た。だが、その男たちは取調べを行う前に監視の目をすり抜けた何者かによって毒殺され、日に日に水の神殿を監視する目は強くなっていた。
 そのような状況で街を出て聖央都クラウディアへ向かう旅路を急げば第二・第三の襲撃が起きる事が予想されたために、静香たちはフジエーダに足止めされる事になり……最悪の事態を招いた、そう言われても反論する事は出来なかった。
「申し訳ありません。全ては私の考えが至らなかったばかりにこのような自体へフジエーダの街を巻き込んでしまい……」
「いやいや、今回は相手にとって「都合がよかった」から攻めてきた…そう考える方が妥当アル。王女だけではなく神殿も目的となっているカラには、この街がそもそもの目的だったと考える事も出来るアル。悩まない方が良いアルよ」
「そう言ってもらえると少しは楽になります。……それよりも今は、この状況をどうやって乗り越えるかを考えなければ」
「まあ、備蓄はあるアルから、今すぐ街中の人間が飢え死にすることは無いアル。あと兵力に関しては戦えそうな人間を志願してきた人間の中から選んでいるアル」
「避難場所の選定も必要ですね。北側のスラムは通りも狭く、うまく立ち回れば一日二日は耐えられるでしょう。それと姫の護衛騎士から囲みを突破して他の街へ使者を立てます。一人ならば………そうでした。重大な事を確認するのを忘れていましたね。―――起きなさい」
 ジャスミンの手が机に置かれた黒い本へと伸びる。―――指先に紫電をまとわせた状態で。
「――ディグボルト(電撃)」
『うっっっぎゃああああああぁぁぁぁああああああああああああああ!!!』
 電光の火花は決して大きくなかったのだが、ジャスミンの指先が本の背表紙を撫でると部屋に絶叫が響き渡り、無機物である本がわずかばかりに身動ぎした。
『イダ、あた、な、なにすんじゃい! 古い本は大切にしやがれべらんめいって父ちゃん母ちゃんに習わなかったのか!?――って、見えん! なんでワシ腹ばいで寝てるの? もしかして回転板トラップでワシってば奇跡の三回宙三回捻りで着地を腹からぐへぇ!!』
 悲鳴に続き、ジャスミンを非難するその声も、明らかにその黒い本から発せられていた。……が、背表紙へ雷に続いて黒い重力塊をまとった手の平を乗せられると、カエルが潰れたような声を出してハードカバーの四隅をぴくぴくと痙攣させ始めた。
「魔王パンデモニウム。――あなたに最低限の敬意を表し、その名で呼びましょう。二・三、あなたに訊ねたい事があるので、我々の質問に答えてください」
『の…のぉぉぉぉ……』
「ノー……すばらしいですわ。脅迫に屈せず、自分の誇りと尊厳と命を懸けて意志を貫こうとするなんて……ですが、私としても無駄な労力と時間を費やしたくありません。三つ数える間に了承が得られなければ、あなたが人類に対して有害なだけの存在として、私が知る限り最高温度、まさに太陽に等しい熱量を生み出す禁術で焼き尽くします。すべての物質、魔法障壁が意味を成さない温度でも平気ならば黙秘をなさっても結構です。では…一、二、三」
『待ったああぁぁぁ! 平気じゃないから、話す、喋る、何でもするから燃やすのは勘弁を〜〜〜!!!』
「さらに、消し炭にした後で灰を七つの小瓶に分けて封印した後、未来永劫復活できないよう七つの海にひとつずつ流して差し上げます。ご安心を。特に深い海溝を選んで沈めて差し上げますから」
『だから待て、ジャストアミニッツプリィーズゥゥゥ!! 話します、ボケもせずにきちんと話しますから勘弁してくれぇぇぇ!! つかその前に、潰れて死ぬぅぅぅ〜〜〜……』
 すでに限定範囲で加えられる高重力によって魔王の書の分厚さは半分以下と化していた。同時に下から反重力で支えられたテーブルは軋む程度だが、上下から重力サンドイッチを食らっている魔王の書にとってはたまったものではなく、あっけなく服従の言葉を口にした。
「………女性は恐いあるなぁ……」
 おそらく、やると言ったら実際にやれるだけの魔法技量と権力を持っていると知っているだけに、その言葉の凄みは強烈だった。……が、今は確かに一分一秒でも惜しい。重力から開放されて瞬く間にもとの分厚さに戻った黒い魔道書を表に向けた神官長は、本なのにどこか怯えが見えるという不思議な感覚に戸惑いつつも、確認しておかなければならない事を口にした。
「まずはそうアルな……魔王、と言うものについて聞きたいアルがいいアルか?」
「………神官長?」
 怪訝な表情を浮かべるジャスミンを手で制す。
「返答は?」
『………そんなもん、ワシとたくやがいるのを見てわからんか? 今、この世には二人の魔王が存在する、それでいいじゃろうが』
 先ほど美人相手にとは言え、魔法で強制的に協力を約束させられたのがそんなに面白くないのか、魔王の書の声には不満の色が詰まっている。―――もちろん、ジャスミンにそれを向けるようなことはしないが。
「それでは質問を変えるアル。魔王パンデモニウム、あなたが古代魔法文明を相手に戦っている頃、他に魔王はいたアルか?」
『………一体何が言いたいんじゃ。そんなつまらん質問をするために、現在封印帯で全身緊縛「あ…そこはワシの大事なたまたま…あおぅん♪」ってな感じに露出しながら放置プレイ真っ最中のワシを起こしたというのか!?』
「そうアル。知りたいのは魔王がたくやちゃん以外に複数いるか否かアル」
『………………おらん。神様はどうか知らんが、世界に魔王はただ一人。それは世界が定めた事じゃから変更はできん。そもそも魔王と言う存在が二つあるという時点でとてつもないイレギュラーなんじゃ』
「なるほど……では、外のモンスターたちを率いているのは魔王ではないということアルな」
「神官長……先ほどからの質問の意味がわかりません。今はそのような事を問うべきときではないかと思いますが」
 現在の街の様子を忘れているのか、魔王の書の答えを聞いてひとしきり頷く神官長に、ジャスミンが苛立ちまぎれに声を掛けると、ソファーに座った巨体は太い指で器用にズボンから一枚の紙片を取り出した。
「これを見るアル。そもそもモンスターが人間を相手に交渉するコト自体が不自然で、背後にモンスターたちを操る黒幕がいることは気付いているアルな?」
 頷きながらジャスミンが紙片を取る。開くと脅迫文の写し書きだった。ほんの数行、簡潔に書かれた内容を目で追い、手紙の下端に書かれた文字を見て、レンズの向こう側の瞳に緊張が走るのが見えた。
「モンスターを千匹も操る能力、霧状の体組織を持つ見たことも無い巨大な蜘蛛、そしてその書名……あまりに符号が揃いすぎているアル。もしや相手は最悪の相手ではないかと勘ぐりたくなるほどに……アル」
『なんじゃ、なんて書いとるんじゃ? ワシにもちょっと見せてくれんか? ん?』
「神官長……この文字は……」
「一字一句、間違いはないアル」
 神官長も最初それを眼にしたときは信じられないという思いだったが、ジャスミンも同様に思っていることだろう……おとぎ話にしか出てこないよう名前を見て。
 だがそう呼ばれる存在を一人と一冊見ている以上、胸にわだかまる疑問と不安は増すばかりであった。
「相手も魔王……ですか。陳腐すぎて、かえって…信じてしまいそうですね」


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