第九章「湯煙」09


 ―――眠れない。
 並行空間と名前や理屈は難しい場所だけれど、夜の帳は普通に下りている。建物の外には夜が訪れており、虫の音一つ聞こえない静けさの中であたしはベッドから体を起こした。
 時間は……さすがに分からない。起きていれば綾乃ちゃんのその後ばかりを考えてしまうので何度も眠ろうとしたけれど、結局眠れなかった。それでもベッドの中にいたのは一時間や二時間じゃないことだけは確かだ。
 だけど眠れない原因は綾乃ちゃんのことだけではなかった。
 体が熱い……気温が暑いからでもなく、興奮して体が火照るのでも無い。遠火で肌をあぶられるように、皮膚の上に薄い熱の膜が出来てチリチリとくすぶるような感覚が、あたしの意識が眠りに落ちるのを許さないでいた。
 ―――様子を見に行ってみるかな?
 体の方は怪我も十分すぎるほど治っている。ナイフで穴だらけにされたけれど、魔王になってから備わった“治癒”の力と包帯と一緒に巻かれていた“療符”と呼ばれるよく分からない長方形の札の相乗効果か、致命傷寸前とまで言われた怪我は既に完治してしまっている。……時々、自分が人間やめたのかと思うほどの出鱈目ッぷりだ。
「にしても紙一枚がこんなに効くなんてね。……何枚か貰っていこうかな?」
 その事を考えるのはとりあえず後だ。今は…ちょっと散歩に出て、誰もいないこの並行空間の中を歩き回ってみるのも面白いかもしれない。
 なら「善は急げ」だ。さすがにこの時間まで温泉に綾乃ちゃんとギルドマスターが残っているとは思えないけれど、様子を見て、それからグルッと回ってくればいい。
「っと、剣ぐらいは持っていってた方がいいかな」
 誰もいないと聞いてるけど、これだけ深い森の中だ。何が出てきてもおかしくない。用心に越した事は無いだろう。
 あたしは背負い袋の傍に立てかけてあったショートソードを腰のベルトに差すと、防寒着代わりに肩鎧の付いたジャケットに袖を通す。篭手やニーガードは……まあ、いい。ちょっと外に出るだけなんだし。―――そう自分を納得させて防具を取ろうとしていた手を引っ込める。
「なんか変よね……なんだろう?」
 以前から戦闘になると体が勝手に動いたりする事はあったけれど、今日のはいささか感じが違う。意識が冴えているというよりも何かに触れられてささくれ立っていくようなざわつき。それがゆえに感覚が研ぎ澄まされているような……
「ははは……何があるってのよ、こんなところで」
 もし何かあっても、美由紀さんや三人のアサシンの子達が何とかしてくれるだろう。……そう自分を何度も言い聞かせている事に気付き、胸のざわつきが一層増していくのを感じてしまう。
「綾乃ちゃん……」
 旅のパートナーの名前を誰に聞かせるでもなくつぶやく。
「とりあえず、行ってみようかな」
 胸を騒がせているものの正体はわからない。それならば確かめようと、ブーツを履いて篭手だけは手に取る。
 ………この直感は、当たって欲しくないな。
 あたしの直感が何を告げようとしているのか分からない。もしかすると単なる気のせいなのかもしれないけれど……この直感にしたがってフジエーダの戦いを生き抜けた事を、あたしは不意に思い出していた。



「―――夜は来るけど月はなし、か。夜空はあんまりロマンチックじゃないのね」
 とは言え、こんなに広い空間を作り出せたというだけで驚きではあるんだけれど……あのギルドマスターと言う人、一体何者なんだろうか?
 それでも空には星が瞬いている。普段見慣れた夜空と星の配置が違って見えるし、方角を指し示す方位星さえ見つからない。
「ま、歩くには十分な明るさかな」
 温泉へと続く森に挟まれた細い道は、星の輝きに照らされて十分に明るく、歩くには困らない。綾乃ちゃんの事を気がかりに思いながら、虫の音一つ聞こえない森を進んでいくと、ふと、空の輝きに陰りが生じたように感じられた。
「なに?」
 空を見上げても、星はその輝きを減じさせてはいない。視線を降ろしても周囲の地面は星明りに照らされていて、なにも暗くなったようには感じられない。
「どうしたんだろ……鳥でもいるのかな……」
 虫もいないのに鳥がいるはずが無い。いたらいたで鳴き声の一つも聞こえていいはずだし……
「気のせい…よね。そうそう、気のせい。そういえばあたしってば、最近色々あったからな〜。うん、これからは普通に旅するわけであんな危険な目に会うことも無いんだし、もう少しのんびりしてたっていいはずだよね〜」
 と、気を取り直して歩き出そうとすると―――空から何かが降ってきて、あたしの前に立ちふさがった。
「たくや君!?」
「え……み、美由紀さん?」
 薄暗い夜道では相手が誰かの判断が一瞬遅れてしまう。けれどあたしの名前を呼ぶ声と、体に遅れて舞い落ちた長い髪の影で相手の正体を悟り、
「―――動くな」
 首に刃を突きつけられて、なんでどうして、と問おうとした言葉を慌てて飲み込まされてしまう。
 ―――そういえばこんなシチュエーション、前にもあったような……
 背後からあたしを押さえつけている人物の声は聞き覚えの無い男性のものだった。まるでアサシンのように音もなくあたしの背後に現れた身のこなしは……ああ、そうなんだろう。きっとこの人も暗殺者か何かなんだ………
「は…はは……なんで一日に何度も首筋に刃を突きつけられて脅されなきゃいけないのよ。そんな経験、一生体験したく無いってのに……」
「たくや君、動かないで……その人は私たちとは無関係よ、今すぐ離しなさい!」
 言葉の後半はあたしの背後にいる人物に向けてのものだが、男は開放してくれるどころかあたしの腕ごと腰に手を回して身動きできないように抱きしめ、そのまま後ろへ後ろへと後退さっていく。
「………こいつが何者であろうと、お前にとっては人質になりそうなのでな」
「なっ……あたしを人質に!? 何よこの卑怯者! 女の子相手に女の子人質にって、どう見たって悪者でしょ、あんた!」
「………黙れと言ったはずだ。すぐ済む。それまでおとなしくしていろ」
 星明かりを受けて鈍く輝く刃があたしの喉へ軽く押し付けられる。もし次に一言でも声を出せば、何のためらいもなく喉を掻っ切ってくれそうな気配が相手と密着した背中からひしひしと伝わってくる。……少し怒らせ過ぎたかもしれない。
「………殺れ。その女さえ殺せば、あとの護衛はたいしたことは無い」
 男が暗闇に向けてそう声を放つと、美由紀さんの背後に新たに二つの人影が現われる。
「ッ………分かった。降参するわ。私の命を好きにするといい。だからその代わり……」
 手にした剣を地面へ突き立て、美由紀さんが両手を上へ上げる。―――けれど男は、
「安心しろ。すぐにお前と同じ場所へ送ってやる」
 ―――と、あたしの頭のすぐ後ろで冷酷にそう言葉を放った。
「さ…三流悪役みたいな台詞を言うなァ!!!」
 一体どんな事情であたしや美由紀さんが殺されかかってるかも把握できないまま、体を伸び上がらせて背後の相手に後頭部を叩きつける。―――けど、相手がアサシンならこんな攻撃は食らわない。相手もまた体を反らせ、両腕を封じられたあたしに出来る一番破壊力の大きい攻撃をあっさり躱す。
 ―――だけど、喉と刃の間に距離が出来た。あたしには、それだけで十分だ。
「プラズマタートル!」
 押さえつけられている間に地面へ落としていた魔封玉へと呼びかける。すると間髪入れずにあたしと後ろの相手ごと、巨大な亀の甲羅に押し上げられる。
「ぬっ!?」
 相手のバランスが崩れた。すかさず屈みこんで刃から逃れ、そのまま肩から体当たり。体重が軽いとは言え、ショルダーアーマー越しの下腹部へのタックルは相手のバランスをさらに崩し、プラズマタートルの背中から落とすのには十分だ。
「昼間は遠慮してたけど、あんたたちには遠慮なんてしてあげないからね!」
「グッ……貴様ァァァ!!!」
 地面へ仰向けに倒れた男がアサシンらしくない声を上げてナイフを投げる。―――至近距離。とっさに飛びのくにしてもプラズマタートルの背中ではそうもいかない。……が、相手はここにいるのがプラズマタートルだと気付いていない。金属製の投げナイフはあたしに届く前に、甲羅から突き出した突起からの電撃に一瞬にして撃ち落される。
「オーク、ゴブリンズ!」
 続けざまに召喚。正面には四体の小柄なリビングメイルが現われ、後ろの倒れたアサシンの上にはポールアックスを手にした半人半豚のオークが襲い掛かる。
『おっしゃぁあああ! 久しぶりに揃い踏みィ!!!』
『あいつ等ワイらの魔王様に手ェ出そうとしゃーがってェェェ!!!』
『ぶちのめせ―――ッ! んでもってスライム風呂の刑に処せぇ―――』
『フンガ――――――ッッッ!!!』
「ブヒブヒブヒッィッィ(初の見せ場や、やったるでぇ)!」
「言っとくけど美由紀さんに手を出したら承知しないからね!」
『『『『ラジャーであります、魔王様ァ!』』』』
 一段高い亀の甲羅の上から突撃する四体のリビングメイルを見下ろす。エンやブと呼ばれていたあの女性アサシンよりも腕は劣るのか、突然現われたモンスターの突撃に判断の遅れたアサシンたちは、うち一人が避ける間もなくゴブハンマーの巨大鉄球をもろに食らってしまう。
「美由紀さん、今の内にこっちへ!」
 あたしが手を伸ばして呼びかけると、美由紀さんはためらいもせずに剣を手にしてこちらへ駆け寄ってくる。
 もう大丈夫―――あたしが美由紀さんのような騎士に言う言葉では無いけれど、安易で、一番気持ちの伝えられる言葉を口にしようとしたその時、あたしの体に何重にも縄が巻きつけられていた。
「早く逃げて、たくや君。敵はまだ他にも―――!」
 美由紀さんの言葉を最後まで聞くことは出来なかった。腕や体に食い込んだ縄は骨が軋むほどの強さであたしを締め付け、苦悶の表情を浮かべたその直後には、あたしは森を真上に抜け、体を空高く舞い上がらせていた。
「クケケケケケケェ! おもしろいのがいるじゃねェか。お前はオレの獲物だァァァ!!!」
「ッ―――!!!」
 急激な縦Gであたしの意識は軽く吹き飛んでいた。すぐに意識は再接続され、最初に目にした者は、一際高い木の天辺で縄の先端を手にした、異様に手の長いシルエットを持つアサシンの姿だった。
「いいねいいねいいねェ! とびっきりで美人で胸のデカいイイオンナじゃねェかァ。こいつは縛って嬲って犯してタップリ楽しめそうだねェェェ!!!」
「あ…あたしとしたいなら金払ええええッ!!!」
 ―――しまった。頭に血と酸素が回ってなくて変な事口走ったぞ、今のあたし。
「とりあえず前言撤回。出てきて、ゴブアサシン!」
 呼ばれた黒装束のリビングメイルは、あたしと縄男を結ぶ縄の上に軽やかに着地する。そのまま軽量ゆえのスピードを生かして縄の上を疾走し、縄男に二本の短剣で切りつける。
「………んであたしは落ちるのかぁぁぁ!」
 縄で引っ張り上げられただけの体は翼もなければ飛翔の魔法も掛かってない。―――いや、落ち着け。こう見えてもあたしは空を飛んだ事だってあるし、その時も最後には落っこちたんだし―――って、もう地面がすぐソコだァァァ!!!
 眼前に迫る固い地面。このまま顔から落ちれば、それこそ二目と見れない顔になっちゃうんだろうな……と心には意外と余裕があるけど、縛られた体では手足を振ってバランスをとることも出来ない。
 ……そうだ、ジェルスパイダーかオニガミを呼び出して受け止めさせれば。
 けれど間に合うか? とっさに一体の呼び出しで済むオニガミの魔封玉を手の中に握り締める。
 けれど、受け止めさせるには地面へ向かって放らねばならない。そうでなければ手のすぐ傍に召喚され、落ちるあたしとはあっという間にすれ違い、受け止めさせることは出来なくなる。
 ―――そして、その一瞬の躊躇が落下を止める最後のタイミングを見逃してしまうことに繋がった。
「ッ!!!……………あれ? 生きて…る?」
 恐怖から閉じてしまった目を開けば、視界は逆さまながらあたしの頭は地面へ衝突していなかった。
「いいとこ取っといて、簡単に怪我なんかしないでよね。せっかく治してあげたんだから!」
「み…美由紀さん!」
 あたしの体に巻きついている縄、その逆端が宙に浮く美由紀さんの手に握り締められていた。―――いや、よくよく見ると、美由紀さんは浮いているのではない。周囲の大樹から蜘蛛の巣のように氷の蔦を伸ばして網を作り、縄を絡め取るのと同時に氷の網の上にに立っているのだ。
「間一髪よね。ちゃんと感謝してよ」
「ええ、そりゃもう。美由紀大明神様♪」
 あたしの言葉に、小さく、美由紀さんの笑みを漏らす音が聞こえた。
「巻き込みたくはなかったけど、こういう状況だからたくや君にも手伝ってもらうわよ」
「あたし、あんまり荒事は……」
「このまま一晩中宙吊りになっててもいいんなら無理強いはしないけど?」
「はい、何でも手伝わせていただきます。何なりとお申し付けください」
「じゃあ手伝ってね。あいつ等をやっつけるのを」
 そのままあたしは地面に落ちる。どうも縄を途中で断ち切られたらしく、優しさとは無縁な落っこち方で頭と背中を強く打ちつけてしまう。
「あたたたた……もう少し優しく落としてくれたって……」
「ごめんね。私も今は余裕があんまり無いほうだから」
 傍らに降りてきた美由紀さんは手にした反身の剣を振り、こちらの体を締め付けていた縄を切り落としてくれる。そして右手に剣、左手には療符ににた長方形の紙を指に挟んで持ち、立ち上がったあたしと背中合わせになる。
「……ま、ここまできたら一蓮托生かな。言っとくけどあたし、物凄く弱いからね」
「期待してるからね、たくや君♪」
 ううう……弱いって言ってるのに期待しないでぇ……
 けれど不思議と不安は無い。相手が正体も能力もよく分からない相手だというのに、美由紀さんと背中を合わせているだけで、何でもやれそうな気持ちになってくる。
 ―――もしかしたら、さっきから感じていたのは美由紀さんが戦ってた気配なのかも……
 ともあれ、剣と篭手を身につけて置いてよかった。腰の鞘からショートソードを抜き、周囲でアサシンと戦っているモンスター達の気配を追いながら左手に魔封玉を握り締める。
「………フジエーダの戦いほどじゃないよね」
「なにが?」
「こっちの話。―――じゃあ美由紀さん、行ってみよっか!」



「ポチ、火炎放射!」
 巨大な炎獣の姿となったポチが大きく口を開く。その奥には自分の“敵”とみなした者だけ燃やし尽くす炎が、今にもあふれ出さんばかりに溜め込まれていく。
「ファイヤー!」
 発射。―――巨大な火球は剣を構えるアサシンへ向けて飛来するけれど、直線的な攻撃はそうそう当たらない。身をかがめ、溜め込んだ足のバネで頭上の枝まで跳躍してポチの炎をアサシンが躱す。
「―――これで最後!」
 けれど、その場所は美由紀さんが狙いをつけていた場所だ。相手に姿を見せないまま放たれた一枚の札は、周囲の水蒸気を巻き込んで巨大な氷柱と化し、アサシンの背中へと叩き込まれた。
 いいコンビネーションだった。
 ゴブリンアーマーたちで敵を一人ずつ追い込み、ポチやプラズマタートルの大技で攻撃を仕掛ける。しとめられればそれでいいし、躱されても次の瞬間には美由紀さんが確実に仕留めてくれる。一度気を失った相手には分離したジェルを乗せておき、目を覚ましても身動きの取れないようにして置けばさらに万全だ。
 そして最後のアサシンも、こうして地面へうつ伏せに倒れている。周囲を警戒するゴブアサシンも敵の気配を感じておらず、美由紀さんも木の上から降りてきたのを確認すると、あたしは走り回って火照った体に大きく息を吸い込み、脱力しながら一気に吐き出した。
「ふあぁ……疲れた。怪我が治ったばかりだって言うのに、容赦なく走り回らせるんだもん……」
 もっとも森の中を走り回っただけで、あたしはほとんど戦闘に参加していない。契約している全てのモンスターを呼び出していたので、その指示に追われてしまっていたのだ。二手三手先を読んで……とか言われていたけれど、結局は美由紀さんの指示通りにモンスターを動かしていただけ。あたしに指揮官は無理だと再認識させられながらも、モンスターたちには怪我らしい怪我はほとんどなく、あたしの周りに集まってきていた。
「スゴいわね……その子たち全部がたくや君の言う事を聞くの?」
「まあね。だからひ弱なあたしでもここまで戦って来れたんだ」
 仮面の下から勢ぞろいしたモンスターたちに視線をめぐらせる美由紀さんに、あたしはちょっと照れた笑いを浮かべて答える。
「でも中には―――」
『イ〜〜〜ヒャホウ! ついに我等ゴブリンズの、大・活・躍だぁぁっしゃ!』
『これで……これで魔王様とご褒美エッチしてもらえるわけですね、ゴブリーダー!』
『ああそうとも。魔王様にお仕えして苦節三十年。魔王様に嬲られる事にいつしか快感を覚えるようになった我が身ではあるが、ま…魔王様と、クッ…ウォオオオオオオッ! 今日はサタデーオールナイトォォォ!!!』
「やかましい! み、美由紀さんの前で恥ずかしい事ばっかり言わないでよ!」
 とりあえず一番騒がしくて一番スケベなゴブリンズを魔封玉に封印する。そして炎獣のポチ、オーク、プラズマタートル、蜜蜘蛛、四腕宿儺のオニガミと、一体一体に感謝とねぎらいの言葉をかけながら魔封玉の中へ戻して休ませていく。
「ジェルにはもうちょっと頑張ってもらわないと……食べちゃダメよ、その人たち」
 最後に倒されたアサシンの上に乗ったジェルへそう呼びかけると、森のあちらこちらから「アー!」とか「ウォー!」とか「そこはダメぇ!」とか不気味な声が聞こえてくる。………すら意味に包まれるのって、慣れても慣れてなくてもかなり気持ち悪いからなぁ……
「あっという間に消えちゃった……そんなに簡単に出したり消したりも出来るんだ。大きなモンスターもいたのに」
「ん〜……最初からこんなものだったし、気にした事はなかったな……あ、でも、今日みたいにいっぱい出すと頭の中に色々モンスター達の考えとか流れ込んでくるから、少し疲れるかな。―――あ、ジェル、溶かして啜るのもダメ。せめて舐めるぐらいにしときなさい」
 アサシンの人を食べようとしていたジェルに念を押すと、さっきよりも強く不気味な声が聞こえてきた。……無視しよう、こんな声。
「それで、この人たちは一体なんなの? 訳も分からないうちに襲われちゃったけど……」
「マスターの暗殺を目論んでる誰かの差し金でしょうね。冒険者ギルド、盗賊ギルド、娼館ギルド、どのギルドの席が空白になっても跡に座りたがる人たちは数え切れないほどいるもの。それなのにこんなところで逗留してるものだから、刺客が大勢集まってきちゃっててね」
 ―――倒したアサシン、十人は軽く越えてたんですけど。一晩でそれだけ多くの人に命狙われるあの人っていったい……
「でもたくや君のおかげで一網打尽に生け捕りに出来たし、あとは盗賊ギルドにでも引き渡せば依頼者の素性もすぐに分かるわ。当分は過激な手段に打って出る人も少なくなるでしょうね。人払いの結界が内側から破られてるのに気付いたときにはどうなるかと思ったけど、結果オーライかな」
「結界?………あ、もしかして」
 最初、美由紀さんを追いかけて森の奥へ足を踏み入れたときの、ある一線から誰も入ってきていなかった事を思い出す。
「そうよ。外の方に張っておいたヤツよ。たくや君がな〜んにも気付かないで踏み越えてきたアレ……はぁ〜。一度ならず二度までも。かなり厳重に張ったのに……自信なくしそう。簡単に破られちゃうし……なにやったのよ」
「うッ……ジト目で見られても、あたしは何も知らないんですけど……」
「ウソは通じないわよ。結界が破れたのは、炎の幻術の結界を破った時の余波のせいだって、ちゃ〜んと調べ上げてるんだから」
「………あ〜、そういえば魔力剣を使ったっけ。でも、いくらなんでもあそこから外の結界が切れたりは……そ、それにさ、あの時は殺されかかってて無我夢中だったし、あたしもつい力が入っちゃったのかもしれないかな〜なんて、あは、あはははは♪」
 あううッ……美由紀さんの疑いの眼差しが強くなってる……って、仮面で顔が見えないのに、何でジト目とか分かってるんだろうね、あたしは。
「………まあいいわ。不可抗力ってことで結界の事は許してあげる。さっきも手伝ってもらったし」
 美由紀さんも納得してくれたことで、ようやくあたしは安堵の息をついた。ただ、
「たくや君に聞きたいことは……もう一個あるから」
 そう言い、あたしの前で一度は鞘に収めた剣を抜き放った美由紀さんは、その切っ先をピタリとあたしの眉間に突きつける。
「え……え〜っと―――」
「これは何の冗談でもないわ。返答次第では……たくや君であっても切り捨てます」
「み、美由紀さん!?」
「答えて……どうしてたくや君が“魔王”って呼ばれてたの?」
 剣は微動だにしないまま、震える声が美由紀さんの唇から放たれる。
「フジエーダで魔王が生まれる予言は狂ったはずじゃなかったの? どうしてたくや君はモンスターを意のままに操れるの? 本当に…本当にあなたが魔王なの!?」
「それは……」
 仮面で顔を隠した美由紀さんには似つかわしく無い、感情に任せた悲痛を感じさせる叫びの声。剣は微塵も揺らがず、だけどあたしと向かい合っているだけで美由紀さんの心がどうしようもなく乱れているのは伝わってくる……伝わってきてしまう。
「答えて……もしあなたが魔王なら……私は………」
「―――ゴメンね、美由紀さん」
 あたしの口から最初に出たのは謝りの言葉。この一言の意味は美由紀さんにも伝わったのだろう、初めて、あたしの眉間の前で剣の切っ先が小さく揺れた。
 そして、俯きかけていた美由紀さんの顔がゆっくりと上を向く。………仮面の下の素顔はあたしには分からない。ただ、仮面が今にも泣き出しそうに見えたのは、あたしの気のせいだったのだろうか……


第九章「湯煙」10へ