第四章「王女」02


 フジエーダの街が消えちゃうって……そのお姫様、何者なんだろ……
 ジャスミンさんの話では、「お姫様に万が一の事をされた報復だぁ!!」と言ってクラウディアの軍隊が街に攻め込んでくる……と言う事ではない様なんだけれど、それが一体どう言う事でどうしてそうなるのかを説明する事を拒まれたので、結局その辺りはうやむやだ。
 もっともお姫様を見つけて無事に保護すれば問題無い。……けれど、ジャスミンさんの忠告とも脅迫とも取れる一言で神官長も肝を冷やし、丸い体で転がる様に応接間を飛び出して、残されたあたしも、
「お願いします。姫様を…静香様を見つけてください」
 と、ジャスミンさんに手を握られてお願いされて……悲しいかな、あんな美人の女性にお願いされて断れないって言うのは…男冥利には尽きるけれど…ああ、なんだか複雑……でも手を握られて……はぁ…やっぱりちょっぴり幸せ……
 だけどジャスミンさんにお願いされなくたって、あたしはそのお姫様を探しに行くつもりでいた。まぁ…なんとなくで、だけど。そう言うのを放って置けないのがあたしの良いところでもあるし悪いところでもあるしね。それに……あたしにそっくりな女の子って言うのも一目見てみたいし。
 人助け半分好奇心半分でお姫探しを了承すると、あたしは扉の左右に立つ騎士――ここへあたしを拉致してきた二人組――に会釈して応接室を後にした。
 とりあえず今から街に出てお姫様を探して回ってみよう。あんまり街には詳しくないけど、観光目的で抜け出したんなら大通りで見かけることもあるかもしれないし。――それにあたしの買い物袋も…う〜…どうせなら一緒に持ってきてくれればよかったのに……
 拉致される際に地面に落とした荷物のことを考えると頭が痛い。冒険の基本的なアイテムばかりと言っても、結構買い物するのにも時間がかかったし、もう一回値切り倒すのも……
「こうなったらお姫様を見つけて謝礼でも貰わないと」
「お姫様…ですか?」
 応接間から関係者の出入り口へ向かって歩いていると途中でめぐみちゃんに出会った。
「ん―――あ、めぐみちゃん。おは…えっと、こんにちは」
「ええ、おはようございます」
 うっ……それって昼まで寝てたあたしへの皮肉? あう…めぐみちゃんが意地悪だぁ〜〜…
 普段物静かな彼女にしては、ちょっぴり痛かったけれど洒落に聞いた返答に、あたしは頭を掻きながら照れ笑いを返す。
「たくやさん、お昼ご飯はお食べになりましたか? よかったら一緒に食べませんか?」
「ごめん。ご飯はさっき外で済ませてきたから。……と言っても肉饅だけどね」
「そ…そうですか……」
 あたしの返答がそれほどショックだったのか、めぐみちゃんは顔を俯かせて右手の指を肩の辺りに伸ばし――何かに気づいた様にその手を下ろした。
「あれ? めぐみちゃん、髪形を変えたの?」
 そう言えば昨日まではめぐみちゃんの三つ編みは二本で肩から前へと垂らしていたはずだ。けれど今日は一本に結い上げている。
「ん〜…うん、めぐみちゃん、似合ってるよ」
「え? あ…いえ、私は……」
「ほら、前みたいに二本にしてると髪の毛が長いから耳元とかが隠れちゃうじゃない。それで野暮ったい印象があったのかな。だけどめぐみちゃんは可愛いんだから、顔がよく見える今のほうが断然似合ってると思うよ」
 それはあたしの正直な感想だった。まぁ、あたしの幼なじみが少し髪の毛を弄っただけで何処が変わったかとか似合っているかとか聞いてくることがたびたびあったので、自然とそう答えてしまったのだ。……決して、あたしがお洒落に目覚めたとか、そう言う事ではない。
 けれど、めぐみちゃんはあたしの言葉があまり気に入らなかったようで、何も言わずに俯いたまま、小刻みに肩を震わせているところを見ると……かなり怒ってる。
「あ、あの…わた、わたし……その……じ、実は……」
「………めぐみちゃん、ごめん!」
 こう言うときはあたしに悪気が無くても謝ってしまうに限る。そりゃ、頭を下げるのが好きって言うわけでもないけれど、相手を怒らせてファイヤーボールを食らうよりもずっと安全な解決方法だ。
「その…女の子の髪型の事をあたしがどうこう言うのもおこがましいよね。ごめん、さっき言った事は忘れて、お願い!」
 パンッと手を打ち、さらに深く頭を下げる。するとめぐみちゃんは口を開いて謝罪の言葉を言うよりも先に戸惑い、その場でおろおろと困惑し始めてしまった。
「そんな、忘れろと言われましても…あの……だから、あの、か…顔を上げてください。私は別に怒っているわけじゃないですし…」
 その言葉を聞いて、あたしはおやっと首を捻った。
「ええっと……女の子って相手の顔を見ない時とか小さく肩を震わせてる時って、実は拳を固めて殴りかかろうとしてるとか、実は攻撃魔法を小声で唱えてるとか、そういうのじゃないの?」
「私、そんなに乱暴に見えるんですか? それは…ちょっとショックです」
 それは確かに……あの幼なじみが青筋を浮かべて黄金の右を繰り出したり、聞きとして攻撃魔法をぶっ放すところは想像できるけれど、めぐみちゃんでは……だめ、最近想像力豊かにはなってきたけど、それでも頭が考える事を拒否しちゃってる。
「あ…あはは……ごめんね〜〜…そうだ、めぐみちゃん、お詫びに外でご飯を奢ってあげる」
 うん、それは名案とばかりにめぐみちゃんの手を取って出入り口へと歩き出す。
「あ、あの、私、まだお仕事が…今ちょっとした緊急事態ですから、外へ出かける余裕はないんですけど」
「分かってるって。クラウディアのお姫様が勝手に出かけちゃったんでしょ?」
「は、はい。ですから私も捜索に向かわないと、神官長に……」
「だったらあたしと一緒にいこ。探しに出るならご飯食べてから二人で回ればいいじゃない。ね?」
「それは…そうですけど……」
「それとも…あたしとご飯食べに行くのはイヤなのかな……ここに来てからめぐみちゃんには迷惑かけっぱなしだから、お礼もしたかったんだけど……」
 足を止め、少々強引に引いていた手を離す。そしてめぐみちゃんを振りかえらずに顔を伏せる。
 すると当然人のいいめぐみちゃんは慌てちゃうわけで――
「そんなことありません。スゴく嬉しいです。ただ…いきなりだったんで戸惑ってしまって……」
「………じゃあ一緒にご飯食べてくれる?」
「え、ええ…私でよかったら……」
「よし♪ んじゃ早速出かけよっか♪」
 これでめぐみちゃんの了承も得た。あたしは今度こそちゃんと振り向いてめぐみちゃんの手を強く握り締めると、なんとなく嬉しくなってにこやかに笑みを浮かべながら再び外へと向かって歩き始めた。



「本当にここでいいの? お金の心配だったらしなくてもいいんだけど」
「それほどお腹が空いているわけではありませんし。それにたくやさんのお気持ちだけで十分ですから」
 そんなわけで、あたしとめぐみちゃんがやってきたのは僧侶の皆さん御用達、あたしもさっき寄ったばかりの肉饅屋だった。
 あたしとしては懐も暖かいし、ちょっとぐらい豪勢なご飯を食べに行っても良かったんだけど、めぐみちゃんのご指名を無碍に断ることも出来ずにここへとやって来たのだ。
 それにここへはもう一度来るつもりでいたし、都合がいいといえば都合がいいし。
「おじさ〜ん、肉饅四つちょうだい。それと串肉も二本」
「おう、たくやちゃん、一日に二度も来てくれるなんて嬉しいじゃねぇか。おし、肉饅一個サービスだ。たっぷり食ってボインになってくれ!」
「あはは…それはヤダ」
 そうこうしている内にもおじさんの手は紙袋に肉饅をぽいぽいっと放りこみ、焼きあがったばかりの香ばしいお肉の串を手渡してくれる。
「あいよ。7ゴールド、まいどぉ! ここで食ってくならまた裏を使ってもいいぜ。めぐみちゃんは食い歩きなんかできないだろ。それにまた来るだろうと思って、落としてった荷物はちゃんと拾っておいてやったぜ」
「おじさん、ありがと♪ めぐみちゃん、中に入ろ」
「あ…はい。それじゃお邪魔しますね」
 おじさんの申し出を受け入れたあたしとめぐみちゃんは、飛び出してきた人とぶつかったり有無を言わせてもらえずに拉致された屋台横を回って店の裏へと入りこんだ。
「さて…せっかくだからジュースでも買ってくるかな」
 熱い物と一緒に飲む冷たいジュースがまた美味しい! めぐみちゃんとこうやって一緒に肉饅を頬張るんならそれぐらいサービスしようと、あたしは肉饅の袋と串肉を置いて近くにある果汁屋台へと目を向けた。
 すると――

「たくやさああぁん♪ 会いたかった、会いたかったぁぁぁ♪」

「ひっ!?」
 この声…この背筋に這いまわる悪寒……もしかしてあいつに見つかったの!?
 初めに会った時には食料を失い飢えに苦しみ、二度目にあったときは体を弄ばれ陵辱三昧……はっきり行って出会うたびにあたしに不幸をもたらす男、弘二が、遠くであたしの名を呼ぶのが聞こえてきた。
「ど、どうしよう!? 隠れなきゃ、あいつに見つかる前にどこかに身を隠さないと!」
「あの…あちらでたくやさんを呼んでるのはお知り合いの方ですか?」
「知り合いなんてもんじゃないわよ! あいつの所為であたしは…あたしは……ああああああっ、思い出したくないぃ〜〜〜!!」
 考えてみれば、昨日の夜に娼館で会った――もっとも、認識阻害の魔法の効果で弘二はあたしを別人だと思っている…はずだ――んだから、こうして街中で遭遇する可能性もあると考えれば分かったはずだ。だけどあたしも疲れ切っていたし、昨晩の出来事のショックが大きすぎて弘二の事なんて覚えておく余裕も無かったのだ。
 それに……一体どんな顔をして会えばいいって言うのよぉ!
 もしあたしが男で友人として慕ってくれるなら、それはそれで嬉しかったに違いない。だけど今のあたしは女、しかも本人の口から弘二があたしに惚れていると聞かされてるのだ。
 体は女でも心は男だと自負している以上、男に告白されるのは絶対にイヤだ。しかも相手があの頼りない弘二だと……でも、ちょっとは可愛いところがないわけではないんだけど………はっ!? あ、あたしはなんてことを考えてるのよぉ〜〜!!
「あ〜ん、バカバカ、あたしのバカァァ―――ッ!! えっぐ、えっぐ、あたし、女でいるのもうヤダぁ〜〜〜!!」
「たくやさん、落ちついて、落ちついてください」
「だって…だってあいつがすぐ近くまで来てるのに、落ちつくなんて絶対無理ッ!」
 もし顔を会わせたら……ダメ、弘二に体を許すなんてそんなのは許しちゃダメぇ!!
 あたしの頭はすっかり弘二に陵辱されるシーンでいっぱい状態だった。自分では昨日の事はもう済んだ事だと割りきっているつもりだったのに、一気に経験豊富になってしまったあたしはもうこれでもかって言うぐらいに弘二に犯されるイメージを具体的に想像してしまっている。
 ああ……純情なあたしよ、さようなら……もう戻れないのね、しくしくしく……
「こうなったら…あいつを速攻で気絶させて、その隙に逃走を……」
「だから落ちついてください。あの声の人、たくやさんの名前を呼んでいますけど、こちらには近づいていませんから」
「………ホントだ。あれ?」
 世間知らずだけど性格一直線の弘二なら、あたしの姿を見かけたとたんにダッシュで駆け寄ってくると思ったのに、先ほどから聞こえてくるあたしを呼ぶ声は近づくどころか遠ざかっている様にも聞こえる。
 ―――――なにか、ものすごくイヤな予感がする。
「あたし、ちょっと見てくる。街中であたしの名前を連呼されるのも恥ずかしいし、なにか気になるから。すぐ戻るからめぐみちゃんはここで待ってて。それからおじさん」
「おう、刃物持ってくのもなんだろう。これを持っていきな」
 肉饅屋のおじさんから1メートルほどの木の棒を受け取る。肉饅の記事をこねたりするのに使う棒だけど、かなり硬くてしっかりしている。これなら十分武器にも使えそうだ。
「それじゃ借りてくね」
 そう言うと、あたしは屋台から出、大通りに響くほどの声であたしを呼ぶ弘二のいる方へと人ごみを掻き分けて進んで行く。――でも、弘二の声が徐々にはっきりしてくるに連れて、あいつの声があたしを呼んでいるのではなく……
「ああぁ、こんなところであなたに会えるなんて、これは僕たちが赤い運命の糸で結ばれていると言う証拠です。もう離しません! 幸せにします! 僕は…僕はたくやさん、あなたが好きなんです!」
 何事かと集まった野次馬を抜けて弘二のいるらしい場所を目にしたあたしは、底で繰り広げられている光景にしばし愕然としてしまった。
 弘二は事もあろうに、往来のど真ん中でフードを被った女の人のしがみつき、あまつさえ愛を語ってキスをしようと唇まで伸ばしているのだ。当然女性は嫌がっていて、みすぼらしいフードで体を庇ってはいるが、弘二の力に敵わずに腕の中で必死にもがいているだけだった
 そんな光景を目撃して頭にこないわけが無い。
「あんたはこんなところでなにやってんのよッ!!」
 あたしを愛していると言った弘二に焼餅を焼いているのではない。嫌がる女性にあたし自身の姿を重ねてしまい……沸きあがる怒りの感情を抑えきれず、棒を片手に飛び出してしまった。
 ―――打撃音。頭蓋骨を木の棒がものの見事に殴打した高い衝突音が周囲へと響き渡る。
「きゅうぅぅぅ………」
「ハァ…ハァ…ハァ……この偏執変態見境無しのどスケベ弘二! あんたというヤツは……この馬鹿ぁ!!」
「……………」
 地面へと倒れ伏した弘二の襟首を掴み、引き起こしてガクガクと前後に揺さぶり……そこで完璧に気を失っている事に気がついた。
「ありゃ〜、ちょっと強く叩きすぎたかな」
 あたしに殴られて気絶するなんて……弘二って結構貧弱ね。さて、それよりも――
「ねぇ、大丈夫だった? こいつに変な事…された様だけど、怪我とかはしてない?」
 とりあえず目を回している弘二はどうする事も出来ないので捨て置き、あたしはフードの女性へと目を向けるが――
「あれ? もしかしてさっきぶつかった……」
 改めて弘二に抱き疲れていた人の姿を見ると、身に纏っている物はマントやローブと言えないような薄汚れた布だ。穴も開いてるし、とてもそれを着て人前に出たり旅をしたりするような物ではなかった。
 けれど弘二に抱き疲れているときに嫌がり方やあたしの体に押し付けられたふくよかな胸の膨らみからして、顔も姿も隠しているこの人が女性であることに間違いは無い。周囲で「なになに、痴話喧嘩?」「男が他の女に走って逃げようとしたから棒で殴り倒したのよ」「や〜ね〜、女の嫉妬って」などの根も葉もない推測が飛び交っているけれど、意識的に無視を決め込んで女性の傍に近づいたあたしは、地面にへたり込んでいる彼女を引き起こそうと腰をかがめて手を差し出した。
「あいつとの事は犬に噛まれたとでも思って気にしないでね。さ、いつまでもこんなところにいたら、いい晒し者よ」
「…………うん」
 言葉少なに顔を肯かせた女性はあたしの手に自分の手を重ねてくれる。その華奢な手指の感触に何故か胸の鼓動が速くなるのを感じたあたしは、緊張しながら女の人を立ち上がらせる。
 すると、ボロ布を纏った女の人はあたしの顔を見て動きを止め、どうしたんだろうと首を捻ったあたしも布の隙間から覗く彼女の顔を見て、「えっ」と短く驚きの言葉を漏らし、失礼な事だと分かっていても思わず彼女の顔を凝視してしまう。
 そこにいたのは……まぎれもなく「あたし」だった。
 顔立ちも、髪型も、少し影になっているのでよくは見えないけれど、まるでそこに鏡があるのかと思うほどに、その女性はあたしと瓜二つの姿をしていた。
 いや、顔だけじゃない。こうして立って向かい合うと、身長だってほとんど変わらないし、体つきは…さすがに布を羽織られていて分からないけれど、それでも出るところはしっかり出ているのをぶつかったときの感触で知っているし。
 そういえばドッペルゲンガーというモンスターがいる。自分の姿にそっくりで、見たら三日後に死ぬと言われている。
 でも……と、あたしは力に篭りそうになる手指をこれ以上動かさない様に緊張させながら唇を開き、信じられない表情のまま「あたしとそっくり」という心当たりを意識の隅っこから手繰り寄せて問いかけてみる。
「もしかして…あなたが静香さん?」
 周囲に大勢人がいる以上、「様」や「姫」とか言うわけにもいかない。名前を呼ぶだけなのに最大限に精神を集中して注意を払いながら呼びかけてみると、
 ―――コクッ
 無言のまま顔を肯かせて、あたしの想像を肯定してしまう。
 これは確かに……あたしを間違えて拉致しちゃうわけよね……
 クラウディア王国第一王女、静香=オードリー=クラウディア。
 あたしと同じ顔をした、この世でもっとも高貴な女性――
「はは…は……ははは……」
 そうとは知らずにお姫様の手を握り締めていた事を知り、混乱と緊張と驚愕で頭の容量を埋め尽くされたあたしは、こめかみに冷や汗を垂らしながらただただ乾いた笑いを浮かべる事しか出来なかった。


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