第四章「王女」03


 細くしなやかな指が、熱い固まりをそっと包む様に持ち上げる。
 彼女がそれを目にしたのは初めてのはずだ。これは一体なんなのか――清らかな瞳に好奇の目で見つめられ、それは彼女の頬を伝わせる様に湯気を立てた。
「……………」
 それまでつぐまれているだけだった唇が、あたしに促されてゆっくりと開いていく。当然、手の中の熱い固まりを頬張る為だ。
 今まで蝶よ花よと育てられてきた彼女にとって、そのような行為は許されざるモノだろう。
 はしたない…もし彼女の従者がいれば、手の中から汚らわしいと言いながら叩き落としたかもしれない。
 だが、彼女は今一人だ。だからこその冒険…今までの自分が知らなかった扉を潜り抜けるような初体験を向かえる為に勇気を振り絞る……
「あっ……」
 固まりの熱気に押される様に、小さな吐息がその可憐な唇から漏れる。
 それを耳にした途端、あたしは言いようのない、妙な気分に襲われてしまう。
 唇から覗く、唾液に光る彼女の口内……ほんのわずかに見えるだけのその赤と白……そこへ早く頬張られるところが見たい、それが今のあたしの最大の望みだった。
「……………」
 初めてなのだ、躊躇う事は仕方がない。それでも、未知の世界へ一人で飛び出してきた彼女は静かに睫毛を伏せると、唇をもう少しだけ大きく開き、熱くて大きな固まりを―――



「…………美味しい」
「ほんと? よかったぁ、冷たいものの方が良いんじゃないかなって思ってたから。あ、おじさん、代金はあたしが払うから、静香さんが食べたいだけ食べさせてあげて」
「ありがとう……もぐもぐ……」
 いや〜、しかしなんて言うか、あんな小さな唇に大きな肉饅は似合わないって言うか……やっぱり別のものにした方が良かったかな? けど…美味しそうに食べてる事だし、ま、いっか。
 クラウディア王国の王女、静香=オードリー=クラウディア。
 年はあたしと同じぐらい。身長もあたしと同じぐらい。体つきもあたしと同じくらい…ちょっと勝ってるかな? 顔はあたしと同じ、まったく同じ。これなら弘二があたしと間違えて抱きついたのもうなづけるというものだ。
 身体的特徴に関しては、あたしと違うところを探す方が難しいんじゃないかと思うほどにそっくりだ。違うのは、あたしが触れたことも着た事も無いほど上質の衣服をボロ布マントの下に来ている事ぐらいだ。―――いや、女物の服を着た事なんて無いんだけどね。
 ただ、もう一つだけ。感情を余り表に出さない表情が、慌てふためく事の多いあたしとは異なっている。
 とりあえず、人の集まっていたあの場所から静香さんを饅頭屋さんまで連れてきてはみたけれど、すこし独特の会話リズムにも慣れてきた。そこさえ除けば……こんな事を言ったり思ったりしていいのかどうか分からないけど、ちょっと変わってるけど可愛い女の子だと思う。無表情だけど、感情が無いって言うわけじゃなさそうだし。
「………ご馳走様でした」
「お、おおおおおお、お〜うじょ様! よっよよよろしければ、もうももう一つ、いかがっすかぁぁ!?」
「…………うん。ありがとう」
 あはははは……饅頭屋のおじさん、緊張しまくりね。まぁ、気持ちはわからないでもないけど。ここに連れて来た時に「粗相をしたら打ち首獄門かも…」って脅かしちゃったし。
 静香さんの手が汚れない様にと紙に包んで手渡すおじさんのがちがちに固まった様子に、思わずプッと笑ってしまう。
「おじさん、そんなに緊張しなくてもいいのに。もっと普通にしてないと、他の人に怪しまれるわよ」
「だ、だってよぉ、王女様だぜ? 王女様なんだぜ!? 俺、まだこの首とおさらばしたくないぃぃぃ!!」
「あれは冗談だって。静香さんも………肉饅美味しい?」
 あたしがそう問いかけると、静香さんは湯気の立つ肉饅をモフモフと一生懸命頬張りながら、小さくコクンと肯いた。
「だって。本人がそう言ってるんだから大丈夫よ、きっと。―――あ、そうそう、あんまり急いで食べると舌が火傷しちゃうから落ちついて食べてね」
 しかしまぁ…なんて言うかその〜……あたしってこう言う顔なんだな〜…と思ったり……う〜む……こう言う風に面と向かえる機会ってまず無いもんね。魔法で幻影を作るって言う手もあるけど、あたしは出来ないし……
「あの…たくやさん、すこしいいですか?」
 あたしの声が聞こえないぐらいに肉饅に夢中になっていた静香さんをまじまじと見つめていると、不意に服の袖が隣りに座っているめぐみちゃんに引っ張られた。
「ん? どうしたのめぐみちゃん、そんなに小さな声で」
「だって…王女様なんでしょ?」
「うん。本人もそう言ってるし、あたしにそっくりって言うのも当てはまってるし―――間違い無いんじゃない?」
「そ、それじゃあ早く神殿にお連れしないと。彼女がいなくなって、今、スゴく大慌てで、あの、みんな探しまわってるんですし」
「いいじゃない、もうちょっとぐらい」
「え…えええええっ!?」
 あたしが静香さんを連れて帰る事を先延ばしにすると、めぐみちゃんはいつもの彼女なら絶対に出さないような大きな驚きの声を上げた。
「めぐみちゃん、声、声が大きいって!」
「で、でも、でもでも!」
「お願いだから落ちついてぇ〜〜!」
 椅子から立ちあがるけれど、興奮しすぎて意味のある言葉を何一つ喋れずにあたふたと手だけを動かすめぐみちゃんをなだめると、あたしは二つ目の肉饅を平らげたばかりの静香さんへと顔を向ける。
「あのさ、静香さんに訊きたい事があるんだけど…いい?」
「………(コクン)」
「ん。じゃあ訊くけど、なんで抜け出したりしたの? ジャスミンさん、スゴく心配してたよ。静香さん、見た感じだと一人で町へ遊びに出るようなお姫様には見えないし、あたしも詳しい事情は知らないけど……みんなに心配かけてまで、抜け出さなきゃいけなかったの?」
「……………」
 無理矢理拉致同然でジャスミンさんのところまで連れて行かれたし、顔がここまでそっくりだと、ちょっとした親近感も覚えてしまう。
 だからこそ、もし理由があるんだったら、あたしはちゃんと聞いてあげたかった。―――あたしがそうしたい理由は「なんとなく」というのが一番正しいんだろうけど。
「……………」
 静香さんが紙で指と口元を拭いてから、ぼんやりとあたしの顔を見つめる。
 相変わらず表情は読みづらい。けど、あたしは静香さんが答えてくれるのをじっと待つ。そして―――
「……………見て、みたかったから」
 一分ほどが経過し、ようやく静香さんが唇を開いてくれたけれど……ごめん、短すぎてよくわかんない。
「見たいって…街を?」
 観光目的なのかと聞き返すと、静香さんは首を左右に振った。
「………人………旅の間、ずっと見るだけだったから」
 静香さんはあたしから視線を外すと、あたしたちに気を止めずに人々が行き交う往来をじっと見つめる。
「私が出会うのは……その国の王や領主、それにその人たちの配下の人だけで……一度も、その国の人達に会うことは無かったから。いつも見ているだけだった……馬車の窓から…部屋の窓から……だから見たかったの」
 静香さんは通りを眺めつづける。その横で彼女の真剣な横顔をずっと見ていたあたしは、ふと思い付いた事をそのまま口にしてしまう。
「静香さん……羨ましいんだね」
 ―――恐らく、今まで一度も飢えた事が無く、なに一つ不自由のない生活をしていたお姫様にとって、このごみごみした人通りが羨ましいのか、そんな事、庶民のあたしに分かるはずもない。
 だけど―――
「………うん」
 ただ一言の答え。
 感情を余り見せないから、声にも抑揚がほとんどないから、静香さんの感情を読み取れるはずなんてない。
 だけど…あたしと顔が瓜二つだからなのか、その中に見えた小さな優しい笑みと、人々をまぶしそうに見つめる眼差しに気付く。
「………どうかしたの?」
「ううん。なんでもない。なんでもないから、うん♪」
「………変なの」
「いいからいいから。それでさ、人ごみの中を歩いてみてどうだった? やっぱり楽しかったんでしょう?」
「………………」
 あれ…答えてくれない……それになんとなく落ちこんだような……まずい、あたし、訊いちゃいけない事を訊いたりしちゃったのかな?
 さっきまでは、特有の間とリズムだけれど、静香さんは聞けば答えてくれていた。けれど、あたしが不用意にはなった質問のすぐ後に、あたし以外の人にも見て取れるぐらいに眉尻を少し下げて表情を曇らせる。
「あの…ごめん、その、あたし……」
「――――よく…わからなかった」
 焦り始めたあたしの前で、そう、静香さんは口にした。
「近すぎるから……遠くから見れば分かったものが、全然わからなかったの。何処に行けばいいかもわからなかったし……」
 言葉を区切り、伏せていた顔を上げた静香さんは、力のない表情で屋台の外へと、近いはずの人ごみを遥か遠くに見つめるような視線を向けた。
 あたしたちの方を見つめる人もいるけれど、それでも通りには大勢の人が行き交っている。
 その人達の中で、向こう側で、静香さんの言う「見るだけだった世界」があったとして……その世界の中にいる静香さんには、それを見つめる事が出来るはずもない。地面に足をつける人には、上から俯瞰する事など魔法を使わなければ出来はしないのだから。
「わからない……何をしにここまで来たのか……」
「静香さん…………だめ、そんなじゃダメ!」
「………?」
 突然のあたしの声に首を傾げる静香さんの手を、あたしは強引と言っても良いほどに強く握り締める。
「静香さん、今、諦めようとしたでしょ」
 あたしの手の中で、静香さんの指が僅かに反応を示す。無表情ではあるけれど、静香さんがあたしの言葉にうなずいたものと判断すると、あたしはイいたい事が未整理で頭の中を埋め尽くした状態のままズズイッとお姫様へ詰め寄った。
「あの………」
「そりゃあ、静香さんが勝手に出かけちゃったせいでジャスミンさんは心配してるし、神官長とか神殿の人達も探しまわってるわよ。あたしもいきなり拉致されたし。だけど…だけど静香さんは知りたかったんでしょ? 見てみたかったんでしょ!? それがまだわかってないのに、全部諦めたような顔して帰るのなんて、絶対にダメなんだから!!」
「でも………」
 と、躊躇いの言葉を出そうとした静香さんの手を、あたしは強く握り締める。
 ………落ちつこう。軽く目を伏せ、大きく息を吸いこんで吐き出し、静香さんと視線を合わせる。
 静香さんの顔には驚きの表情が僅かに浮かんでいた。
 自分がここにいる事で大勢の人に迷惑をかけている、その事への迷い、罪悪感、躊躇い…だけど、それでも静香さんはあたしの手を振り解くことはせず、無言のまま、あたしの手を―――
「…………あっ」
 女の子の手を、握っちゃってます。
「ご……ごめんっ!! あの、私、悪気があって握ったわけじゃなくて、そのっ!!」
 生まれてこの方、手を握った女の子なんて明日香ぐらいだ。あれはあれでまぁ幼なじみなんだしノーカウントだとすると………じゃなくて、大切なのは今! あたし…女の子の、しかもお姫様の手をあんなギュッて、ギュ〜〜ッって握っちゃって―――とりあえず離す!
「―――」
 そ、そんな曇りのない円らな瞳で責めるようにあたしを見ないでぇぇぇ!! 違うの、これは負荷抗力なの! やましい心なんてこれっぽっちもありません。本当に無いんだから、信じて、静香さん、信じてよぉ〜〜〜!!
「――――――?」
 弁解はしたい。けれど、自分から女の人の手を握ったという事実が真っ白になったあたしの頭を掻き回し、言うべき言葉すら放てないほどのパニックに陥ってしまう。もう男の人とも女の人ともエッチをしちゃっているのに、だ。
「え〜っと、え〜っと、えっとね、だからこれは天に誓ってやましい思いは一切無し! 静香さんは可愛いなって思うけど、それはあたしと顔が同じだし妙な親近感を身分違いで持っちゃってますがそれはこれとは関係無くって――」
「………ダメ」
 えええええっ!? それじゃ…それじゃやっぱりあたしは不経済で打ち首獄門なのおおおおっ!?
 当然と言えば当然だ。あたしみたいにナヨッとしていて胸が膨らんでておチ○チンが無くて男だか女だか分からないような奴に手を握られて、怒らないお姫様がいるはずもない。
 ああ……お父さん、お母さん、姉さん、明日香…たくやの命はこれまでです。せめて男に戻ってから死にたかった…とほほ……
 ―――と思ったんだけど、
「もっと………ちゃんと握って」
「―――ほへ? いや、だって…」
 すっかり罪人気分で、どのような極刑に書せられるか、そんな事を考えていたあたしの眼前に、静香さんは自分の手を差し出す。
 綺麗な指先だ。擦り切れ一つなく、今までナイフとフォーク以上に重い物を持った事が無いような、美しい指先を突き出されて、
「手を……」
 などと言われても、あたしはすぐに動く事が出来ず、呆然と静香さんを見つめる事しか出来ずにいた。
「………握って…くれないんだ。少し残念……」
「え、あ、いや、だから、えっと、あの……あ…あうっ……」
 そんな悲しそうな目で見られたら……手を取らないわけには行かなかった。
「じゃ、じゃあ…失礼して……」
 ぎこちなく、甲を上に向けた静香さんの手を掬い上げる様に自分の手を合わせる。
 まるで姫に忠誠を誓う騎士の様に……とはあたしの勝手な想像だろうけれど、静香さんに最大限の注意を腹ってそのまま手を引いて立たせてあげると、一言、
「………忠誠のキスは?」
「んなっ!? な…なん、なん、なんですか、それぇ!!」
「………残念。でも、いいの。気にしないで」
 ううっ…あたしってば、もしかして静香さんに良い様に遊ばれてるだけかも……とりあえず、首はつながったままでいられるんだし、良かった事は良かった……あれ?
 安堵しながら手を離そうとするけれど、静香さんは無言のままあたしの手を握り締める。
「あの…静香さん?」
 そこに鏡があるかのような錯覚。
 感情を見せない表情はどこか冷たく、だけどあたしの手を離さない指先は細く、温かい。
「えっと……手…離してくれないかな? あの…恥ずかしいと言うかなんというか……」
「………ダメ。握ってて」
 そんなぁ〜……ただでさえあたし、女の子と手を握るなんて…いやいや、静香さんを女の子なんて言っちゃいけない。気安く話してるけど、物凄いところのお姫様なんだし……あ〜ん、意識したら余計に…ああ、あ〜〜〜〜っ!!
「………それで、どうすればいいの?」
「へ…な、なにが……」
「だって…帰れないもの。だから……責任、とって」
「………………………………………責任……せ…せき……せきに……」
 こう言う場合の責任とは、
 ―――男の人が女の人を傷物にしてしまい、他の所へ嫁げないから男が面倒を見ると言う事で……
「も…ももももしかして…その……」
 混乱……そんなもの、頭の中で一気に膨らんだいけない妄想に押し出されて耳の穴から出て行った。
 あたしの瞳をじっと見詰める少女。―――あたしと同じ顔をしている事を除けば…いや、それでも、自分で自分に見惚れるあたしの姿が別人となって目の前にいて、あたしの手を掴んで、離さない。
「あ…あたし…あたしは…あたたたししししはその……」
 目の前には女の子。
 責任は、取らなくちゃいけない。
 「言え、言っちゃえ言っちゃえ、あたしがこんなに可愛い女の子とそんな関係になるチャンスなんて、これを逃せば永遠に訪れないわよ! さぁ、今だ、勇気を振り絞れ!」と言って拳を握る自分と、「だめぇぇぇ! そんな、あってまだ一時間とたってないのに早過ぎます。こう言う事はやっぱりじっくり時間をかけてお互いの気持ちとかそう言うものを確かめ合ってからでないと、おとーさんは許しません!」と悪い自分をぽかぽかって叩いている自分の脳内闘争は激しくなる一方で、「さぁ、そこだ、ハートを狙い撃ちぃ!」「やめなさいって言ってんでしょうが。女の子の気持ちも考えて!」なんて言う幻聴が耳の奥で木霊していたり……あああああっ、あたしは一体どうすればいいのよぉぉぉ!!?
「―――もしかして「後悔したまま帰っちゃいけないんだから、たくやさんが責任持ってなんとかして」と言う意味じゃないんですか?」
 と、突然――と言うより、思考の落とし穴にはまり込んでいたあたしが気づかなかっただけなんだけど――背後からめぐみちゃんの声を聞こえてきた。
 それを聞いた途端、あたしはようやく自分の勘違いに気づく事ができた。
「……あ…ああ、はい、はいはいはい。そ、そう意味なのか、な〜んだ、あはははは〜〜〜♪ そう言う事ならもう、喜んで♪」
「………お願い…聞いてくれるの?」
「そりゃもう。あたしでよければ協力するよ♪」
 肯き、静香さんに笑顔を返す。―――が、安心した直後だっただけに、その反応があまりに用意過ぎた事を、
「そう……じゃあ、私が知りたかった事…教えてくれる?」
 ―――この静香さんの言葉の直後に思い知らされることとなってしまった。







「………それで、どうしてここに来るの?」
「どうしてって言われても……これ以上騒ぎを大きくして迷惑かけるわけにはいかないでしょ? だからジャスミンさんに一言ぐらい言っておこうかと思って」
 肉饅屋の屋台を後にしたあたしと静香さん、めぐみちゃんの三人は、そのまま水の神殿の前にまで戻ってきていた。
 せっかく抜け出してきた神殿に戻ってきた事に首を傾げる静香さんの顔には、分かりづらいけれど不満と言うより不思議そうな表情が伺える。
 お姫様だから、他人の迷惑を考えたりするのは苦手なんだろうか……
「そもそも、今回大騒ぎになったのは静香さんが何も言わずに出てきたからでしょ。だからジャスミンさんにキチンとお許しを貰ってから出歩けばいいのよ。そうすれば静香さんだって逃げまわる必要も無いし、ゆっくり街を見て回れるでしょ?」
「でも……」
「私もその意見に賛成です」
 静香さんの疑問の声をめぐみちゃんが遮った。
「今こうしている間にも静香様を探して皆さんが街中を走りまわっているのです。私も静香様の境遇には同情しますけれど、その事を考えますと……」
 うんうん、他の人に迷惑をかけちゃいけないよね。でも……なんでそんなに緊張してるんだか。
「まぁ、そう言うわけだし、静香さんとめぐみちゃんはちょっとここで待ってて。いきなり戻ったらまた一騒動起こりそうだし」
「えっ……わ、私ですか!? あの…私たちも一緒に中に……」
 そんなわけで、この二人を残しておくと、めぐみちゃんがちょっと可哀想な気がするけれど、部屋に荷物を置いてこなくちゃいけないし、一度はジャスミンさんと顔を合わせてるあたしのほうが話は通しやすいだろう。だけど静香さんを一人で残しておくのも心配だし……てな訳なので、めぐみちゃんにはあたしが戻るまで頑張ってもらう。
「大丈夫大丈夫。すぐに戻ってくるから……そうね、人目につかない裏手に回ってて。もしかしたらジャスミンさん連れて行くかもしれないけど、静香さんはそれで構わない?」
 そう言い、静香さんの顔を覗き込むと、無言のまま顔を肯かせる。
「うん。それじゃ急いで行ってくるから。まずは三人で街の観光だからね」
「えっ…私も、ですか?」
「めぐみちゃん、あたしがこの街に詳しいと思う?」
「で、ですが、私なんかが王女様と一緒にだなんて……心臓に悪いですよぉ……」
「それこそ大丈夫だって。静香さん、少し喋り方がおかしくて感情表現が苦手みたいだけど、酷い人じゃないもん。ね♪」
 あたしが笑みを浮かべて顔を向けると、静香さんはコクンと素直に肯いた。
「でも…もし何かあったら国際問題どころじゃ……」
「そういうわけで、しばらく待っててね〜〜」
「ああっ!? 待って、待ってください、置いて行かないでください〜〜〜!!」


 街に滞在する間は自由に使っていいと言われた部屋は、神殿裏手の宿舎の二階、通りに面した所だった。
 さすがに荷物満載の袋を抱えていて腕が疲れた。部屋に戻ったあたしは、荷物とお金を入れたポーチとをベッドの上へと降ろし、ふぅ…と息と一緒に疲れを口から噴き出した。
「ただいま〜〜…と言っても誰もいないんだけどね」
『おお、遅かったではないか。すっっっっごく心配しておいたぞ』
「………誰かいるの?」
 荷物を置いてすぐに部屋を出るつもりでいたものの、誰もいないはずの室内からは返ってくるはずの無い返事を聞き、慌てて部屋の中を見回した。
 ………やっぱり、誰もいない。狭い個室には質素ながらもちゃんとしたベッド、テーブルと椅子が二脚、それと荷物を積めこめる小さなクローゼットがあるだけ。ベッドの前に立ち、声の聞こえてきた方を見回しても、人の姿などあるはずも無い。――そもそも、誰かいたら室内に入った時点で気付くはずだ。
『何を怯えている。ワシだ、ワシの事を忘れたのか?』
 うっ…もしかしてゴースト? 神殿内でそんなのがいるなんて……いや、魔法で姿を消してるのかも……
 あたしに分かる言葉で話しかけている以上、人間…のはずだ。けれど姿無き侵入者に警戒心を抱いたあたしは、後ろ手で探って荷物袋の下側を持ち、ベッドの上に中身をひっくり返す。
 ―――あった。
 その中にある唯一の武器、門衛に返してもらった大ぶりのナイフを掴むと、左右に視線を走らせながらゆっくりと引き抜いた。
『ま、待て待て待てぇ! そのナイフで一体何をしようというってんだぁ!! 事としだいによっちゃ黙っちゃいねーぞ、乳繰り回すぞ、こらぁ!!』
「うるさい! ごちゃごちゃ言ってないで姿ぐらい現しなさいよ!」
『……姿? いや、ワシは目の前にいるぞ〜〜』
「そんなすぐに分かるウソをついて…何処にいるって言うのよ!」
『ほらほら、テーブルの上。ちゃ〜んとおりますがな〜』
「………へ?」
 言われた通りテーブルへと目を向けると、そこには黒い本が置かれていた。
「…………ああ、エロ本じゃないの」
 ナイフをしまい、ポンと手を打ち鳴らす。
『わ、忘れてたなぁぁぁ!? ワシを、この大魔王パンデモニウム様の存在をすっかり忘れておりたがりましたかってぇぇぇのぉ!! 確かに最近、ワシの出番がすっごく少なくて誰にも彼にも邪魔物扱いされてる感じがするけど、たくやにまでそんな言われ方をするなんて、うおおぉぉぉん、ワシ、悲しいよぉぉぉ〜〜〜!! お前なんか全国二千五百十二万人いるワシのファンに呪い殺されちゃえ、え〜ん!!』
「あ〜…ごめんごめん。そういえば久しぶりよね。なんか二ヶ月ぶりぐらいにまともに話した気がするわ」
『その間…ワシはあのむっさい神官長に身体をあちらこちらと弄られた挙句に全身を縛られて…ああ、紐が、紐がワシの心のチ○チンに食い込んじゃうぅぅぅ!!』
 な…なんかこいつと話してると頭が痛くなってくる……久しぶりだし、強烈だわ、これ。
 聞いていると恥ずかしい言葉を臆面も無く連発する魔王の黒本に妙に疲れを覚えるけれど、よくよく見てみると表面に複雑な文字が書かれた幅の広い皮紐に魔王の本は幾重にも巻かれていた。それに今までなら、あれだけ叫べば興奮して立ちあがったりピョンピョン飛び跳ねたり、とてもホントは動けない動きをする筈なのに、今日は借りてきた猫の様におとなしくテーブルに横たわって、身動き一つしなかった。
『ねぇねぇ、たくやぁん、ワシってばこんなふんどし姿を見られるの恥ずかしいのぉん。お・ね・が・い・だから、この紐ほどいてぇ〜ん♪』
「いやよ、気色悪い。それ、神官長が巻いた封印の紋章魔術なんでしょ。だからあんたは動けなくなって……」
『な、なんの事かな? ワシ、そんな事全然知らんもんね〜〜、ピ〜ピ〜♪』
「口笛吹いて誤魔化さないの。――ったく、どうせ逃げようとするから、こんなのを巻きつけられたんでしょ」
『うっ………仕方ないんじゃあああああっ!! だってアイツ、前身汗だくだから近くにおるとワシの身体が湿るんじゃもん。それに、見られたくないワシの秘密を抉じ開けようとするの。ああ、やめて、そんな乱暴にしないでぇぇぇ!!』
「ぶ…不気味だから女声はやめて。鳥肌が立つから」
『ならば少し紐を緩めてくれ。こうもキツく縛られてるとマジで食いこんで痛いんじゃ。本はもっと大切にーーー!!』
「しょうがないなぁ……で、どれが痛いの? これ?」
 いつまでもこうやって踏もうな言い合いをしていたらめぐみちゃんと静香さんを待たせるだけだ。そう判断したあたしは指を魔王の本の表紙へと滑らせる。
 触れた感じだと、なんだか冷たい魔力が紐から発せられている。これが封印魔術だとするなら……あたしには解けそうに無い…かな?
『お…おおおおおおっ! そう、それ、そこぉぉぉ! わ、ワシの心のチ○チンが、エクトプラズムマイディックが、むくむくと先端をホップアップさせてイくぅぅぅ!! た、たくやの指先に…ンッ、ノオオォォォオオ!! ま、まさかこれほどのテクとは…ううぅん、ワシ、イきそ、はぉおん!!』
「………てい」
 ガスッ
 いつまでも妙な声ばかりを上げるので、あたしは黒本が「心のチ○チン」といって反応する場所に肘を落とした。
『おっ……うおおおおぉぉぉおおおおおオオオぉおおおおォォオおおおおおおおおおおおおお!!!!??』
「はぁ…ほんと無駄な時間だったわ。さて、ちょっと急がないと――」


―――離して、離してください!!


「えっ……めぐみちゃん!!?」
 ポーチを再び腰に巻いて部屋を出様としていた矢先、魔王ではない、窓の外から女の子の悲鳴が聞こえてきた。
 それは紛れも無くめぐみちゃんの声だ。それを耳にしたあたしは室内を振りかえると、声が聞こえてきた窓へと急いで駆け寄った―――


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