第四章「王女」01


 石畳の大通りはいつも以上に活気に満ち溢れていた。
 水の神殿への参拝者を相手に商売をする観光地のフジエーダは日々多くの人が訪れ、大通りが人で埋め尽くされてしまう。だが今日はいつも以上の人が集まり、南部の暑い日差しよりもさらに熱い、すっかりお祭モード一色のにぎわいぶりだった。
「今日はスゴい人ですね。もぐもぐ……」
 視界を埋め尽すほどの人数にもこのフジエーダに滞在していた数日である程度慣れていたけれど、それをさらに強烈にされては慣れる慣れないの問題以前に山里で生まれ育ったあたしには到底耐えられるものではない。
 そんなわけで、休憩時間などに間食に来て顔なじみになっていた肉饅屋台の日陰に美少女――自分で言うのもものすごく抵抗があるけれど…――の特権を活かして入れてもらい、蒸かしたてのお饅頭を頬張っていた。
 ………このお饅頭、美味しいんだけど暑い土地で食べるのは……どうしてあたしはこんなに熱い物を食べてるんだろ? なんでも近くの大河に生贄の代わりとしてお饅頭を投げ込んだのがどうとか言ってるけど……美味しいけど熱い。あうっ……
 熱い熱いと言いながらもお饅頭を頬張りつづけているのは、疲れて空腹だった事もある。
 この人ごみの中、街のあちらこちらを移動してこれからの旅に必要な物をいろいろと買いこんできたのだ。
 なにしろ今のあたしのお財布には金貨が50枚も入っているのだ。それだけあれば食料、薬、油瓶とかランタンとかその他のアイテムなど、旅の必需品はたいてい買い揃えられる。――が、この先いつどれだけお金がいるか分からないから…いや、決して貧乏性とかケチだからって言うわけじゃなく、あくまでも今後のためにと思って費用の節約を図ってきたのでただの買い物よりも倍は疲れたのだ。――ぶっちゃけて言うと値切りまくっただけなんだけどね。だってこの街、物価が高いんだもん……
「ふぅ……ごちそう様でした」
「うい、まいどぉ!」
 あ〜、熱かった! けど美味しかった。食べ終わると体がホカホカしてくるから逆に涼しい感じがするのよね。
 とは言え、食べる最中に体に汗がびっしりにじみ出ている。あたしは少し体の火照りを冷まそうとシャツの胸元を引っ張り、手を仰いで風を送り――目を見開いてこちらを凝視する饅頭屋のおじさんや道行く人達の視線に気付き、愛想笑いを浮かべて襟を正した。
「………たくやちゃん、よかったらもう一個、食べていくかい?」
「い、いいです。なんだか目が血走ってますよ、おじさん…ははは……」
 そこまであからさまに怪しい目をされたらねぇ…あたしでも気付くって。
「それよりも今日は何かあるんですか? いつもより人が多いし、屋台の数も倍近いじゃない。神殿の方も今日は受け付けやってないし…お祭?」
 何気なくおじさんにそう訊ねると……「いまさら何言ってるんだ!?」みたいな視線が帰ってきた。
「たくやちゃんは神殿の人だろ? なんで知らないんだよ」
「神殿って言っても、あたしはアルバイトだし……そういえば神官長とかプリーストのみんなも何かやってたっけ」
 昨日は一晩中娼館にいて、神殿に戻ったのは早朝だ。そういえば寝る直前に慌しい人の声を聞いた記憶はあるけれど、三秒たたずにベッドに沈み込んだし……正直に言って、本当に何があるのかはまったく知らなかった。
「う〜ん……なにか言われてたっけ……仕事覚えるので精一杯だったしなぁ……」
「おいおい……ま、それならしょうがないから教えてやるよ。実は今日はな、王女様がお目見えになるんだよ、この街に! なんでも人前に姿を現さない絶世の美女だって言う話でな、それを一目見ようとこうして待ってるって訳なんだな」
「………王女? 王女って……この国の?」
「いや、そうじゃないって。来るのはあのクラウディア王国のお姫様だって話だ」
「く…クラウディア!? 聖央都クラウディアのお姫様って…それ本当なの!?」
「昨日の夜のうちに回状がこの辺りに回ってな、昼過ぎごろにこの大通りをお姫様の馬車が通るんで商売は自粛する様にって神殿からお達しがあったんだ」
「……昼過ぎって、もうとっくに過ぎてるじゃない。だけどそんな、王女様が通ったなんて全然聞いてないわよ?」
 そもそも、朝ご飯も食べずに昼まで寝ていたあたしが買い物を始めたのが昼過ぎなのだ。もしクラウディアなんて言う大陸の中心に位置する大国のお姫様がやってきた、なんて事があれば、何処かでそれなりの噂を聞いているはずだった。
「まぁ、聞いてないのもしょうがないさ。なにしろお姫様が来るのは明日に延期になったって話だからな。ちなみにこれは神殿の神官たちが振れ回ったんだ。職務怠慢だぜ、たくやちゃん」
「ふ〜ん…でもあたしってアルバイトだから、そんな重要な事って教えてもらえなかったんじゃないかな」
 そう考えると……ちょっぴり悲しい……めぐみちゃんやみっちゃん、それに神官長とだって親しく慣れたと思ってたのに、一人だけ仲間ハズレなんて…はぁ……いいもんいいもん。
「でもまぁ、しょうがないか。おじさん、お邪魔しました」
 あたしは饅頭屋のおじさんに休憩させてくれた事へのお礼を述べて買い物袋を持ち上げる。
 あと買ってないのは……武器と衣類だけか。どうしようかな……
 冒険者カードを貰ったから門の所で預けておいた大型ナイフは返してもらってきたけれど、これから先、本格的に旅をしようと思うならちゃんとした剣や鎧を買っておいたほうがいいだろう。……けれど、道具屋のあたしにはそっちの方がさっぱり。武具屋さんを覗いては見たけれど、あたしに使えそうなのとか旅に役立つのとかを考えると一体どれを買えば良いのか分からなくて、そのまま引き返してきたのだった。
 で、衣服の方はというと……下着ばかりのお店に入るのはちょっと勇気が必要で………とりあえず、神殿に帰ったらみっちゃんに聞いてみよう。娼館で働いてるくらいなんだから、どんな下着がいいとか教えて……う〜ん、なにかエッチな下着を着せられそうだけど……めぐみちゃんに聞くのは恥ずかしいしなぁ……
 考えれば考えるほど、頭がズキズキと痛くなりそうだ。―――だからだろう。饅頭屋さんの屋台から出た途端、真横の路地裏から飛び出してきた人影に反応できずに体当たりされたのは。
「あっ……」
 気付いた時にはあたしは地面に押し倒されていた。手にしていた袋の中身は地面に――拾い集めるのが大変だろうなぁ…って言うぐらいに散乱していた。
「たくやちゃん、大丈夫かい?」
「え…うん、大丈夫。ちょっと驚いたけど……だれ?」
 青い空と白い雲…なんてものを見つめる仰向け状態から体を起こそうとすると、何かが体の上に乗っているのにようやく気が付いた。
 自分の胸の向こう側を見るようにお腹の上に乗っているものを見やると、そこにいたのは汚れの目立つ大きな布をローブの様にまとい、姿も顔も覆い隠した女の人だった。――女の人と分かったのは、お腹の上にギュッと押しつけられた柔らかい二つの膨らみの存在があったからだ。
「えっと…大丈夫?」
 いきなりぶつかったりしたけど、あたしの上に倒れ伏したまま動きを見せない女の人。もしかしたら気絶でもしたのかと思って手を伸ばすと――
「………ごめんなさい」
 女の人の声はその汚れた風体からは想像できないほど若く、済んだ響きだった。年の頃ならあたしと同じくらいだろう…彼女が身を起こして謝った時に布の隙間から覗いた口もとを見てそう思っていると、そのまま立ちあがり、集まってきた人ごみの間に体を押し込みんでこの場から姿を消してしまった。
「―――ったく、謝るんなら荷物ぐらい拾ってよね。あ〜あ……こんなに散らばっちゃって……」
 食料品は紙に包まれているし、重いから袋の底に入れてあったから砂がついたなんて言う事はないだろう。けれど細細とした物があちらこちらに飛び散っているので拾い集めるのは一苦労だった。
「さて、これで全部――」
「探しましたぞ」
 うっ……また何か揉め事? 今日はついてないなぁ……
 往来の端っこと言っても、地面にひざまずいて買ったばかりの荷物を拾うのは人の目もあって、かなり恥ずかしい。それでもなんとか全部拾って袋に入れ終えたあたしの背後、さっきの女の子が現れた路地から二人の男が姿を現した。
 肩越しにそちらを見ると、二人とも鎧はつけていないが、服の上からでも鍛えられた筋肉が見て取れるほどたくましい男だった。その肉体はある意味頼もしくもあるけれど見るものを威圧し、しかも腰には剣まで吊るしている。
 騒ぎを聞きつけてやってきた衛兵……とは違うようだけど、冒険者というのも違う気がする。
「あの、あたしに何か用が――へっ?」
 けど今は相手の素性を詮索している場合じゃない。荷物を抱えて立ちあがり、体を半分ほど振りかえらせてすぐに、あたしは男二人に左右から両腕を掴まれ、拘束されてしまう。
「え? え?……ええっ!?」
 再び荷物袋が地面へと落ちる。けれどそれを拾う事を許されないまま、男二人は衆目を避けるように路地裏へと体を滑りこませた。――当然、あたしを掴んだままで。
「ちょ、ちょっとぉ!」
「しばらく不自由でしょうが我慢していただきます!」
 不自由はいいとして…なんであたしが拉致誘拐されなきゃいけないのよ!!――って、うわぁ!? や、道狭いんだから、もうちょっとゆっくり走ってぇぇぇ!!
 あたしの腕をしっかりと抱えた二人の男は、彼らなら肩幅ギリギリじゃないかと言うような狭い路地でも躊躇う事無く、疾風の様に駆け抜けていく。――だけどそうするのは、あたしを連れていない時にして欲しい。
 前後に並んだ屈強な男に拘束されたあたしはゴミを蹴散らし、猫を追い払って駆ける二人のスピードを側面を向いて体験させられているのだ。
 眼前にはほぼ切れる事無く建物の壁が通り過ぎて行く。鼻の先が壁に擦れそうな狭さの細さで髪が拭き乱れるほどの速さで駆け抜けているのだ、そのスピード感たるや……恐いからスピード緩めて、お願い、お願いだからぁぁぁ!!
「こんなところを人に見られるわけにはいかない。急ぐぞ!」
「おうっ!」
「やだ、そんな、速いのはいやあああぁぁぁ―――――――――!!」



 あたしの言葉は女性(?)の扱いを知らない男二人には当然聞き入れてもらえず……彼らの「目的地」に着いた頃にはあたしの足腰には連続した緊張と恐怖の為に力が入らなくなってしまっていた。
「お怪我はありませんか?」
「も…もういや……こわい…壁が…壁が鼻先に…あうっ…お願い…もっとゆっくり…あうううう〜〜〜……いやぁ! ゴミ箱が頭の上を飛んでくぅ〜〜〜!!」
 怪我は無いけど……トラウマっぽいものなら負っちゃった気がするぅ……しくしくしく……
「す、すみません。事が事だけに少々急ぎすぎました様で…この非礼、言葉を持っては償いきれませぬ」
「ですがお叱りは後ほど。ジャスミン様がお待ちしております。あの方がもっとも心配しておられたのですから、姫様のお顔を見せて安心させてあげてくださいますよう」
「…………姫様?」
 その聞き慣れない呼び方はあたしに向けて放たれた……ような気がした。
 だけど、あたしは由緒正しき普通の道具屋の長男坊だ。上に極悪な姉はいるけれど今は旅に出てるし、両親だって……実はどこかの王族だった、なんて言う話はこれまで一度も聞いてない。
「取り敢えず、ここでは人目につきます。姫様、どうぞ中にお入りください」
「う…うん……で、ここって……」
 到着と同時に地面に座り込んでいたあたしは、その時になってようやく顔を上げ、すぐ傍にそびえる大きな建物を見上げた。
「なんで……あたしは神殿まで誘拐されてきたの?」
 それはここ数日、あたしがお世話になっている水の神殿だった。目を擦ってみても眼前の光景が変わる事も無い。間違い無く……あのまま大通りをまっすぐ歩いてくれば、あんな恐い思いをしなくても帰って来る事の出来た神殿の裏手にあたしは連れてこられていた。



「おやマぁ、たくやちゃん、一体どうしたアルか? 今日は色々立て込んでるアルから例の本の解析はマタ今度に――」
「姫様! ああ…よくぞご無事で。心配いたしておりました」
 結局何も教えてもらえないまま、だけどあたしには不要だろうと言うほど礼儀正しく二人の男に連れてこられたのは、あたしもここに来た時に一度入った事のある応接間だった。
 そして男の一人に扉を開けてもらい、室内に足を踏み込んですぐに飛んできたのが、今日はブルーの神官衣を着ている水の神殿の神官長と、長い髪を結い上げた女の人の心配する声だった。
「え…えっと……これはいったいなにがなにやら……」
「お怪我はございませんか? 街は物騒ですからあれほど一人でお出にならないでくださいと念を押していましたのに……とりあえず戻って頂けて何よりです」
「ジャスミン殿、なにヲ言ってるアルか。コレはたくやちゃんアルよ。お探しのお姫様とは違うアルね」
「今すぐお召し物を用意させます。ああ…そのようなみすぼらしい格好を無さって。父王ぎみが知られたらさぞお嘆きになりましょう。だれか、今すぐ姫の衣服をここへ! それと湯浴みの準備を大至急――」
「まって、ちょっとまってったら! さっきから姫様姫様って言ってるけど、人違いです!」
「………姫?」
 女の人の言葉を無理矢理遮ると、教師のような知的さを感じさせる女性は目をしばたたかせ、表情を和らげている横に長いメガネのレンズ越しにあたしの顔をじっと凝視してきた。
「うっ……」
 あたしの鼻を甘い香りがくすぐって行く。その香りが女性の体から漂ってくるものだと気付くと、あたしは溜まらず頬を火照らせてしまっていた。
 ―――スゴく…綺麗な人なんだけど……どうしてこう詰め寄ってくるのよ……
 あたしが後退さるとその分だけ詰め寄られ、あたしは彼女の顔をそれこそ吐息が触れ合うような至近距離で見つめる事になってしまう。
 そこにいたのは、今まであたしが出会った事の無いような女性だった。背が高く、やや鋭い印象を受けはするけれど、あたしを見定める様に見つめる瞳には知性の輝きが灯り、こうして間近にいると魅入られてしまいそうな美貌を併せ持っていた。
 その一方で肉体の方もかなり豊満、かつ引き締まるところはキュッと引き締まっていて、一見すると執事を思わせるデザインの服をそのスラリとした長身の身に纏い、芸術品のような見事なボディーラインを見事なまでに知と美の両面で引き立たせていた。その中でも特に目に付くのが胸の膨らみだ。白いブラウスに包まれ、首から胸元をスカーフの様に広がるタイであしらわれた胸元は、スーツを着ていても隠し様の無い張りとボリュームを誇っている。それをあたしに向けて突き出されると、たっぷりとした存在感が重たげに揺れるのがこんなにも近くで視界に入ってしまい、ウエストのくびれたラインを強調する服を着ているが為に彼女の胸の豊満さが至近距離にいるあたし一人限定で一層強調される事となっていた。
 このままじゃ鼻血が出ちゃいそう……そんな思いが脳裏を掠めても、あたしは彼女の美貌から目が離せなくなっていた。いつしか壁に背を預け、それ以上引けなくなってさっきよりも数センチ近づいてしまうと、高鳴るあたしの胸と彼女のたわわな乳房が触れ合いそうで……気が気じゃない。もしそんな事になったら、あたしはすぐにでも恥ずかしい声を上げちゃうかも……
「―――確かに。神官長の言うように、この方は姫様ではありませんね」
 そう言うと、女の人は結い上げた髪をなびかせてあたしから離れ、ソファーへと腰をかける。そのしぐさの一つ一つに優雅さを感じさせるものの、あたしが彼女の探していた「姫様」ではなかった事に落胆しているように見えた。
「まぁまぁ、ジャスミンさん、そんなに気落ちするト美容に良くナイよ。オ〜イ、誰か香草茶を入れてあげて」
「………申し訳ありません、取り乱してしまいまして。ですが私は――」
「分かテる分かテる。ケドまぁ、この街は治安いいから、きっとお姫様はダイジョウブ。無事ニ見つかるヨ、キット」
「はい……そう言っていただけると……」
「あの〜……いまいち話が飲みこめないんですけど、よかったらあたしにも説明してもらえませんか? 姫様って…もしかして今日来るって言うクラウディアのお姫様の事ですか?」
 言葉や態度にも先ほどまでの気丈さを失っている女性――ジャスミンさんと、彼女を慰める神官長に置いてきぼりにされたような感じのしたあたしは、先生に質問する様に小さく手を上げて、気になっていた事を訊ねてみる。
「んっ? ソウ言えば、たくやちゃんニハ話していなかったアルか」
「ええ、そりゃもう全然まったく。お姫様が来るのとかさっき街で聞いたばかりですし、人に面倒な受付の仕事を押し付けてなにかの準備をしていたなんて、これっぽっちも知りませんでしたから♪」
 あたしはニコニコと笑みを浮かべ、ちょっぴり頭に来ていた事を皮肉混じりに神官長にぶつけてあげる。
「ア、アイヤ〜。これは別に隠していたとかそう言うわけじゃなくテネ、ホラ、お姫様が来るト警備の問題とかもアルから迂闊に喋る事ガ出来なかったノヨ。ウチノ神官、ソウ言うのに頭が固くてネ〜〜」
「………まぁいいですけど。だからって当日まで教えてくれないなんて……」
「話そうと思ッたケド、たくやちゃん昨晩出かけてテいなかったデショ。ソレニ帰って来るなり昼まで寝てタカラ」
 うっ……確かにそりゃそうだけど……しょうがないか、あたしが夜に出かけたのが悪いんだし。
「で、それはそれとして、お姫様がどうかしたんですか?」
「ソレハ――」
「それは私から説明させていただきます。たくや様…でしたね。あなたも神殿関係者の様ですし、お話しても問題はないと判断いたします」
 汗を掻き掻き説明しようとする神官長を遮り、いつの間にかテーブルに用意されていたお茶を飲んで一息ついたジャスミンさんが口を開いた。
 それに合わせ、神官長に促されてジャスミン参と向き合う様にソファーに座ったあたしも、胸の空くいい香りのする冷たいお茶で唇と喉を潤すと、少し考え込んでいたジャスミンさんがやっと言葉を紡ぎ始めた。
「―――先に非礼をお詫びさせていただきます。部下も焦りがあった為、たくや様のご都合も考えずに半ば強制的にお連れしてしまいました事、代わりに謝罪させていただきます」
「い、いえいえ、それはいいです。なんだかジャスミンさんたちも大変みたいだったし、今思えばスリルがあって面白かったかな〜って。あはははは〜〜」
 ジャスミンさんに頭を下げて謝られ、すっかりあたしも困惑ぎみだ。手の平を振って気にしていない事を示すと、ジャスミンさんも少し表情を緩めて安堵の息を突き、「それでは」と前置きをして言葉を選ぶ様にゆっくりと口を開く。
「あ、その前に「様」付けしなくていいですから。あたしはそんなに偉くないし、どうも堅苦しくて……」
「ええ。――それではたくやさん、あなたがここに連れてこられた理由、どうお思いですか?」
「理由って言われても……あたしをお姫様と間違えたから?」
「その通りです。事情をご存知無いようなので最初から説明いたしますと、我が主、クラウディア王国第一王位継承者の静香様は親善大使として南部域の各国を歴訪され、その帰途の途中に、アリシア神を奉るフジエーダへと立ち寄るようにと申されました。
 旅も会談も順調でしたが、常に緊張を強いられる護衛の騎士達の疲れが目立っていましたし、豊潤と慈愛の神アリシアの祝福を受ける事はクラウディアにとっても姫にとっても好ましい事。なにより、姫がご自分から興味をもたれる事が非常に稀有な事でしたので、クドーの街から予定を変更し、そちらの神官長殿に無理を聞いて頂いてフジエーダに立ち寄らせていただいたのです。ですが……」
「もしかして……お姫様が誘拐されたとか!?」
 沈痛な面持ちで言葉を切ったジャスミンさんに代わって、あたしが身を乗り出して言葉を続ける。
 もしお姫様が誘拐されたのならこうして慌しく探しまわるのも納得が行く。――けれどジャスミンさんは長い髪を揺らす様に顔を横へ振ると、
「姫様は……お一人でお出かけになられたのです」
「………出かけた? それだけ?」
「ええ……恐らく観光かと。姫は「外」の世界に憧れておいででしたから……」
 ジャスミンさんはうめく様に囁いた。
「悪の大国に狙われてるとか」
「いいえ……」
「病に犯されてて、いつ倒れてもおかしくないとか」
「姫様は少々お体が弱いところもありますが、健康です」
「―――じゃあなんの心配もしなくたって」
「なんと言う事を言うのですかッ!!」
 フツーの意見を言ったつもりなのにそれがNGワードだったらしい。ジャスミンさんは落ちついた容姿からは想像もつかない大声を上げ、バンッとテーブルを叩いて勢いよく立ち上がる。
「ひえぇぇぇ〜〜! ご、ごめんなさ〜〜〜い!!」
「姫様は現国王のだたお一人の御子様! もし姫の身に万が一、いえ億が一の事でもあれば我が国の王の血脈は絶たれて――い、いえ、申し訳ありません。取り乱してしまいまして」
 ううう……恐かった、美人なだけに怒るとものすごく恐い……こんなに恐い思いしたの、随分久しぶりだし……
 迫力に負けてびくびくと震えるあたしを見て、自分の取り乱し様を悟ったジャスミンさんがコホンと咳払いをしてソファーへと腰を下ろす。それでも明日香以上の恐さを目の当たりにして驚き暴れる胸の鼓動はなかなか収まろうとしなかった。―――やっぱり久しぶりだし。
「―――ですが」
 何度も深呼吸を繰り返して、そのたびにジャスミンさんから発せられる甘い香りを嗅いでしまい、はにゃっと呆けてしまいそうなあたし。
 あたしの横で、同じくジャスミンさんの怒声に驚いて汗をたらしている神官長。
 そんなあたしたちの前でより深刻そうな表情を浮かべたジャスミンさんは、内心の不安を抑えこんで静かに目を伏せると、まるで世界の終わりを告げるように、こう呟いた。


「もし仮に、姫に万が一の事が起こった場合……この街は瓦礫に埋もれ、地図上から消え去ってしまうかもしれません……」


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