第三章「神殿」02


「すいませ〜ん、だれかいませんか〜〜?」  起きたのも遅かったし、道具屋さんでのいざこざで結構時間を取っていた事もあってか、あたしが水の神殿に やって来たときには昼を既に回っていた。  しかも運の悪い事に、神殿からぞろぞろと出てくる大勢の人の流れに逆らって受付に着いたときにはお昼の休 憩時間中。  さらにトドメとばかりに白亜の神殿内のカウンターには「今日は午後の受け付けをお休みしています。申し訳 ありません」との立て札が………ちょっと待てぇ! 人ごみ慣れしていない田舎者のあたしがやっとここまで着 いたって言うのに…… 「そんなのって無いよ……はぁぁ……」  ひとえに、男に戻れる事を楽しみに、人を押しのけ押しつぶされて、それでもここまで辿り着いたのに明日へ 持ち越し……すごろくのゴール一歩手前で振り出しに戻されたような気分は、疲れ果てたあたしの体をつなぎと めていた最後の体力を情け容赦無く奪い去る。そうして立っている気力を失ったあたしは長い溜息をつきながら カウンターの前にへたり込んでしまった。 「うう……どうして…なんであたしはこんなに運が悪いのよぉ……」  こんな事ならもっと早く起きて朝一で来ればよかった……いまさら公開しても遅いけれど。 「………どうしよう。お金も無いのに……またあのおじさんの家に泊めてもらえるかな……」  それには今夜も長話に付き合わされるリスクもあるけれど、無一文のあたしには手段を選ぶような我侭は許さ れない。背負い袋の中にはある程度食料は残っているけれど街中で野宿するわけにもいかず、落ちこんだ気分の ままなんとか立ちあがって入り口のほうへと振り返ると―― 「んしょ…んっしょ…」  ナイスタイミング♪ あの格好、この神殿の人よね。――でも歩き方もかなりおぼつかないんだけど……  ちょうど奥の扉から現れたのは女性の僧侶だった。――が、顔が隠れるほど高く積まれた紙の束を両手で抱え、 足首まである僧衣を今にも踏みそうになりながら右へ左へよろける姿はかなり危なっかしく、あたしが声をかけ たらその場でひっくり返っちゃいそうで――って、言ってる側から危ない! 「あっ!」  女性の僧侶がこけたのは何にも無い、平らな場所でだった。うわ、ドジっ娘――なんて思う暇もなく、話しか けるのを彼女の側でためらっていたあたしは手を伸ばして彼女の体を横から抱え込んだ。 「ちょ…大丈夫!?」  塔のように積まれた紙は床に散乱したけれど、なんとか助けられた女性――あたしよりも小柄な女の子――を 立たせる。 「は、はい。どこのどなたかは知りませんが、助けてくださってありがとうございます」  ――と、僧服の女の子は丁寧に頭を下げるけれど、 「あの……あたし、こっちなんだけど……」  どうしてあたしにお尻を向けてお辞儀するんだろ……完全に明日の方向を向いちゃって…… 「えっ? ……あ、わ、私またやっちゃいましたか? すみません、すみません!」 「いいのいいいの。あたしは別に気にしてないから。だからそんなに謝らないで、ね」  彼女はハッと頭を上げるとこちらに向き直って――それでも少しずれてるんだけど…――見ているこっちが悪 い事している気分になっちゃうぐらいペコペコと頭を下げつづける。それをやめさせようと彼女に手を置くと、 小さく踏み出したつま先にこつんと硬いものが触れる。 「なにこれ、眼鏡?」 「あの…それ私のです。私、ものすごく目が悪くって……」 「ああ、そう言う事ね。はい、これで見えるよね」  あたしは眼鏡を拾い上げると、いまだ少し斜めを向いている女の子の前に回りこんで少しそばかすのある彼女 の顔に眼鏡を掛けてあげる。  うん、こうしてみたら結構可愛い子じゃない。  眼鏡のおかげであたしの顔をまともに見ることの出来ただろう、やっと顔を合わせてくれた女の子は素朴な感 じがする優しそうな子だった。サイズが合っていないのだろうか、少しずり落ち気味の眼鏡を指で直すたびに左 右の肩に垂らした三つ網の先端が揺れ、その様子を見ているとついつい頬が緩んでしまう。 「あ、やっと見えた。本当にありがとうございました。私ってドジだから……」 「気にしなくても良いって。――それにしても散らかっちゃったね。さっさと片付けちゃおっか」  どうもこう言う子を放っては置けない。あたしは眼鏡を掛けた僧侶の女の子に軽く微笑みかけると、床に膝を 着いて散らばった紙を一枚一枚拾い集め始めた。 「そんな、そこまでして頂かなくて結構です! 私がばら撒いたんだから私が――」  そう言いながら慌ててしゃがみこむ女の子の口に、あたしは右手を立ててそっと突き出す。 「はい、ストップ。これを早く片付けて運ばなきゃ怒られちゃうんじゃないの?」 「いえ、そんな事は……皆さん、優しい人ばかりですし……」 「じゃあ言い方を変えるね。神殿って神様がいる場所なんでしょ。そんな場所で人の善意を断るのっていけない 事なんじゃないかな。――でもあなたが迷惑だって言うんならやめるけど」 「迷惑だなんてそんな! あっ……ありがとうございます」  あちゃ……顔を赤くして俯いちゃった。なんだかあたしが苛めちゃった気分……だけど、女の子を照れさせる のってなんか胸に甘い感じが…病み付きになっちゃうかも♪ 「〜〜〜♪」  それから紙を拾い集め終わる間は女の子の方が喋ってくれなかったのであたしも無言だったけれど、年頃もあ たしと同じぐらいの女の子とこうして話が出来たって言うのは……村では余りもてなかったあたしにしてみれば 新鮮な出来事で大いなる一歩だと思う。  とは言っても、あんまり苛めすぎたら罰が当たりそう。だってここ、神殿だもんね。 「――さて、これで全部ね」  周囲の床や背後を見まわしても四角い紙はもう落ちてない。それを確かめると、あたしは自分の集めた分―― 隣の女の子よりも多め――を手にして立ち上がり、 「で、これをどこへ運べば良いの?」  と口にすると、「あちゃ〜、またやっちゃったかな?」と罪悪感を覚えてしまうほどに女の子ハメをぱちくりさ せて急いで立ちあがった。 「大丈夫です。あの、そこの扉を入ってすぐですから大丈夫です。私一人で運べますから!」 「近いんだったら早く運んじゃお。こっちでいいのよね?」 「あっ…はい。――じゃなくてですね、あの、神殿の中は一般の方は立ち入り禁止なんですよぉ」  聞こえてない聞こえてない。このぐらいの事をしなくちゃ、あたしのほうが申し訳無いんだから。  どうせたいした距離でも重さでもない。だったら少しでも女の子にしちゃった些細な悪意への罪滅ぼしだと思 ってあたしは先に立って歩き始めた。  結局、運び終えた後に女の子に何度も何度も、あたしが止めてもお礼を言われ続ける事になったのは言うまで も無かった…… 「解呪…ですか?」 「うん、なんとかならないかな……」  受付のある入り口前の広間へと戻ると、あたしは女の子に無理は承知で解呪を申し込んでみた。 「あの……私も出来る事なら何とかしてあげたいんですけど、今日の解呪の儀は終了してしまって……」 「そこをお願い! あたしもいろいろと困ってるの。出来れば一刻も早く呪いを解いて欲しいのっ!」 「そ、そう言われても……どうしよう、私じゃ解呪なんて出来ないし……神官長も午後から遠出をなさるんです。 お帰りは明後日になりますし……」 「ええっ!? あ、あさって!?」 「はい……クドーの街から使者がいらっしゃいまして、その方と共に出立なされてしまいました。ですから複雑 な解呪となると……」 「あ…あああああ……」  明後日――もちろんお金の心配もあるけれど、ここまで気ながらあと二日もまた無ければいけない、そのショ ックであたしは受付にすがり付きながらしゃがみこんでしまう。 「どうかしたんですか!? あの、ちょっと待っててくださいね。いますぐ先輩を呼んで来ますから、そしたら 治療の奇跡をかけてもらえますから、あの、待っててくださいね! あの、あの――!」  あ…ははは……呼んでくるって言ってもオロオロしてるだけで受付から出てもいないじゃない。よっと、この 子に心配かけさせちゃ…いけないよね。  落ちついて考えれば明後日には元の体に戻れるんだ。別に一日二日延びたからって死ぬわけじゃないし、ちょ っと取り乱し過ぎだと自分でも思う。 「ふぅ……ごめん。もう大丈夫だからそんなに心配しないで」  深呼吸をして冷静さを取り戻して立ちあがる。そして心中複雑ではあるけれども無理矢理作った笑顔を三つ編 みを揺らして困惑する女の子に向けると、彼女も多少は落ちついてくれる。 「すみません……なんだか私、取り乱してばっかりで……」 「いや、あたしが無理言っちゃったんだもん。あたしの方こそごめんね」 「そんなことありません。水の神アリシアは癒しの神。彼女に仕える私たち水の神殿の僧侶が呪いで苦しむお方 になんのお力にもなれないなんて……私の修行が足りないんです。本当に心苦しくて……」  う〜ん、こりゃダメだ。かなり思い込みが激しくて自分が悪いのマイナス思考一点張りであたしの慰めもそれ ほど効果を見せていない。それよりも下手に言葉をかけたら逆に落ちこみっぷりを悪化させるだけだ。  こうなると道具屋だけど話術が巧みじゃないし、人付き合いもどちらかといえば苦手なあたしには手も足も出 せない。放っておけば小さく呟きながらドンドン沈んでいく女の子を前にして右往左往していると、これも神様 の救いの手だろうか、最初に目の前の彼女が出てきた扉からもう一人、僧服姿の女の子が今度は勢い良く戸板を 開けて飛び出してきた。 「めっぐみ〜〜、めぐみちゃ〜ん、どこ行ったぁ!…って、なになに? なにこんなところで落ちこんでるのよ」  今度現れたのは……めぐみと呼ばれた目の前の女の子よりも数段、いや比較にならないくらい明るかった。  年の頃はあたしと同じくらいだろうか。少し細めの目に明るい声を放つ口からは八重歯が覗き、めぐみちゃん と同じく三つ編みにした赤毛の髪は駆け寄るリズムに合わせてテンポ良く跳ねあがっている。けれど健康的な男 子ならついつい目が行ってしまうような健康的なふくらはぎの白さが剥き出しになってしまうほど短くされた僧 衣を見ると、本当に僧侶なのかという疑問視が頭に浮かんでしまう。 「せ、先輩…私、あの……」 「あ〜〜、めぐみ、泣いちゃダメじゃない。涙は女の最後から二番目の武器よ。ちなみに最後は「できちゃった …責任とってね…」この一言ぉ!」  で…ででで、できちゃったぁ!? この人、ホントのホントに僧侶!? やだ、なんだかさっきの一言を聞い てドキドキしてきちゃった。その時だけしおらしくなってたし妙な雰囲気が…って、あたしは何を戸惑ってるの よ……  どうもこっちの僧侶の娘は神聖とか厳粛という言葉とはまったく無縁そうだけど、彼女が現れた途端に顔をあ げたのを見ると頼れる先輩らしくて悪い人ではなさそうだ。けど、 「なによ、こいつがあたしの可愛いめぐちゃん泣かせたの!?」 「ちょっと待てぃ! なんでいきなりあたしが泣かせた事になってるのよ!?」 「どうせめぐちゃんがちょっと気弱でちょっと泣き虫でちょっといじけ虫だからって無理難題を押しつけたんで しょ!」 「うっ……」  確かに無理なお願いしちゃったけど……あんたも結構酷い事言ってるよ。めぐみちゃんの目がさっきよりも潤 み出したし。  が、一瞬とはいえひるみを見せるには相手が悪すぎた。 「ふんだ。どうせ神頼みするような奴は他力本願なんだから幸運が降ってこないかな〜って真上をのほほんと見 上げてればいいのよ。まったく、自分じゃ人の役になんにも立たないくせにこんな可愛い子を苛めて。もしかし て初恋の男の子の上履きに画鋲入れたタイプでしょ、あんた!」 「なんであたしが男にそんな事しなくちゃいけないのよ!」 「もしかしてレズ!? めぐみ、危険よ。この人の半径100メートルに入ったら女同士だろうと強姦されて妊 娠させられた挙句に魔法の実験とか称して口では言えないもの凄くイヤらしい事されて売り飛ばされちゃうんだ から。特にあんたは可愛くて襲われやすいんだから注意しなさい!」 「先輩、違うんです。この人は――」 「ええい、近寄るな変態! NOと言えない女の子を卑劣な手段で丸め込んで! ここは神聖な水の神殿なんだ から変態押し売り恐喝勧誘消化剤の販売に預金するお金も無いからそう言った類いは回れ右してさっさと帰れ!  めぐみに手を出したらあたしが許さないからね!」  お願いだからあたしの話を聞いて……この剣幕じゃ一言も口を挟めないんですけど……  このまま一方的に喋られて印象を悪くするのもあまり好ましくない。あたしは明後日でもいいと納得しちゃっ てるんだけど、このままじゃ当日顔を見せただけで犯罪者扱いされて詰所にでも引っ立てられそうだし……ここ は一つ覚悟を決めて…!  百の言葉を並べてくるならこっちは大声で相手しよう。――なんとも単純な考えで息を吸いこむけれど、あた しが大声を放つより早く、受付カウンターを回ってきためぐみちゃんがあたしをかばうように先輩僧侶との間に 割って入ってくれた。 「先輩、落ちついてください。この人は悪い人なんかじゃありません」 「めぐみ……どんなネタを握られて脅かされてるかは知らないけれど、下着や肌をちょっと見られたぐらいで鬼 畜の言いなりになっちゃダメ。こう言う手合いには一発がつんとメイスの一撃を食らわせて世の中って言うのを 教え込まないと」  メイス(棍棒系武器・凶悪な鈍器)で一撃食らったら下手したらあの世行きだって。可愛いのに言う事がものす ごく恐い……本当にこの人、僧侶なの!? なんていうか、戦の神様を信仰してない!?  そんな恐喝まがいのお言葉に引きがちになるあたしだが、さっきまでの様子だと怯えてしまうだろうと思われ ためぐみちゃんはその場に立ち止まると、あたしがどいた場所へと入りこんでしっかりと先輩僧侶を正面から見 つめ返す。 「この人は悪い人じゃありません。だって、私がこけそうになった時、助けてくれました」  それだけで良い人って判断されるの?……ちょっと微妙。 「その後で、紙を拾うのを手伝ってくれましたし、運んでもくれました」  胸の前で祈るように手を組み、ゆっくりとではあるけれどそう言う風に言われると……ものすごく恥ずかしく、 頬が熱くなってしまう。 「それに今日はもう受付をしていないと教えればちゃんと分かってくれました。先輩、この人は悪いお人ではな いです。とても親切な人ですから」  お…おねがい……おねがいだから、あたしをどこかに隠れさせてください。こんなの一歩間違えば拷問よぉ… …  別に他意があって親切をしたわけじゃない、めぐみちゃんを助けてあげたいと言う素直な気持ちだったんだけ れど、それを今ちょっぴり後悔している。いや、めぐみちゃんだってあたしをいじめようとして言ってるんじゃ ないんだって分かってるんだけど、本人を目の前にして優しいとか言い人とか連発されると背中がどうにもむず 痒い。 「ふん…………いや、ごめんね。めぐみってどうにもだまされやすくってさ。いきなり疑ってかかっちゃった、 ごめんごめん、にゃははは♪」  うわぁ…こっちの僧侶の女の子もいきなり態度を変えちゃうのね。でもまぁ、いつまでもいわれの無い文句を 捲くし立てられるのも精神的によくはない。 「あたしはみっちゃんって呼んでね。で、こっちはめぐみ。めぐちゃんでもOKだから好きに呼んであげてね」 「せ、先輩、あまり変な事を言わないでください! あ、す、すみません、変なところをお見せしちゃって!」 「は…ははは……」  なんだか…完璧について行けてない。この二人に完璧に置き去りにされているような気がする……  照れ隠しなのだろう目を猫のように細くして明るく笑うみっちゃん――本名なに?――と、頬をヒクつかせて いるあたしに向かって改めて頭を下げるめぐみちゃん。元気が良くて面倒見のいい先輩と、気弱でおっちょこち ょいだけど優しい後輩。こうして話をしているとちょっと困った事になりはするけれど、二人を見ているとつい つい微笑ましくて口元が緩んでしまう。 「えっと…それで解呪の申し込み、それでいいの?」 「――へっ? ああ、はい。そうです、解呪をお願いしたくてきたんですけど…そうそう、これ、昔ここに仕え ていた人からの紹介状です」  みっちゃんに急に話を振られて一瞬うろたえはしたけれど、あたしは昨晩泊めてもらった(?)おばさんの手紙 をポケットから取り出した。 「どれどれ……うわっ、なにこれ!? 先代の神官長からの手紙じゃないの。どうしてこれを最初に出さないの よ!?」 「先代様ですか!? ど、どうしましょう先輩。あの方の紹介だなんて……もし粗相を働いたら私達、この神殿 を追い出されちゃいますよぉ」 「………あのおばさん、そんなに偉いの?」  二人の態度の変わりように不審に思ってたずねてみると、そんな事も知らないのかというようにめぐみちゃん まで目を見開かれてしまう。 「偉いも何も、先代様は当代きっての癒し手で、水の神殿の現在の繁栄はあの方を抜きにしては語れません。昔 は現在の旦那様と一緒に世界中に旅をなされ、その見識の広さからも――」 「めぐみ、そんな講釈は後で良いからまずはお茶! それと応接間の用意をして。ああもう、こんなのが神官長 に知れたらスズメの涙の給金がさらに減らされちゃうんだから!」  なんだか身も蓋も無い言い方だなぁ……とはいえ、あたしが出した紹介状のせいで二人が慌てるのもあまり気 分が良いものじゃない。どうせ今日は解呪の儀とか言うのは出来ないんだし―― 「あの…別にそんなに慌てなくてもいいですよ。確か神官長さんが返ってくるのは明後日ですよね。じゃあその 時にまた来ますから」 「ちょっと待ったぁ!!」  このままここにいたら二人の迷惑になるだけだろうとカウンターを後にしようとしたあたしの肩を、背後から 伸びてきたみっちゃんの指が強烈に握り締める。 「いたっ、いたいいたいいたい! ちょっとタンマ、ギブギブ、ギブア〜〜〜ップ!」 「あんたにここで帰られちゃこっちが困るのよ……とりあえず、呪いが解けるまでここに監禁…じゃなかった、 滞在してもらうからそのつもりでいてね♪」  うわぁ〜、なんだかみっちゃんの目が本気と書いてマジって言ってる気がするんだけど〜〜!! 「落ちついて、先輩、落ちついてください! えっと…そういえばお名前をまだ聞いてませんでしたね。もしよ ろしければこちらの紙にお名前と呪いの症状を記入していただけますか?」 「あうぅぅぅ…痛い…骨がミシミシって軋んだんだけど……」  とりあえずあたしに逃げる意思無しって事で解放はしてもらえたんだけど、肩には指の食いこんだ感触がまだ 残っている。溜まらず涙を流しながら痛い部分を押さえてペンを手に取ると、名前と出身地、そして男の体に戻 して欲しいと所定の欄に書きこんだ。 「えっと…これでいいかな。――なんで二人ともあたしを見てるんですか?」 「えっ……だって…ねぇ……」 「男の方……だったんですか?」  あたしが書きこむのを見ていたのだろう、髪をおそろいの三つ編みにした二人の僧侶は信じられないものを目 にしているような感じであたしの顔を、そして視線を下げて胸や腰のくびれをまじまじと見つめていた。 「あの…そんなに見つめられると恥ずかしいんだけど……ははは……」  めぐみちゃんまでそんな驚いた表情で……あたしは注目されるほどのものじゃないんだけどなぁ…… 「………あたしより胸が大きいのに…男…なの?」 「えっと……胸のことは良く分からないけど、ちょっといろいろありまして……こんな体になっちゃったんです」  みっちゃんの視線は特にあたしの胸に注がれていた。たわわに膨らんだあたしの胸を穴が開くんじゃないかと 思うほどジィ〜〜っと見つめると自分の胸へと視線を移し、 「………はぁぁ〜〜〜…世の中って不公平………」 「先輩、あの、あの、そんなに落ちこまないでください。きっと私達の胸だってそのうち……」  あうっ……そこで言いよどまれると……悪いのはあたしなんだろうか? 「………すみません。気を悪くしないでくださいね。えぇっと……そう言った症例は私達も初めてで、どう対処 すれば良いのか分からなくて……」 「じゃあ……もしかして解呪とかそう言うのじゃ元に戻せないの?」 「いえ、呪いでしたら解呪できると思います。ただ全身に及ぶような呪いですし、かなり複雑な術式になります が……」 「めぐみ、あたし達じゃどうしようもないんだから、まずは出来る事をしましょう。それじゃえっと…たくや… ちゃん?」 「できれば「ちゃん」は……」  反射的に言い返したあたしの言葉を受けてめぐみちゃんとみっちゃんは顔を合わせて肯くと、 「では「たくやさん」で構いませんか?」 「うん…まぁ、そのぐらいなら……」  この体のまんまじゃ絶対に男扱いしてくれないよね……ああ、早く男に戻りたいのに……  その時にあたしの表情が複雑な心情の為にかなり微妙な笑顔だったのだろう、めぐみちゃんは言葉を選ぶよう にゆっくりと言葉をつむいでいく。 「では…その……たくやさんの属性は「なし」と書かれていますけど…これも呪いか何かなんですか?」 「それは生まれつき。「なし」じゃなくて「無」ね。どうもあたしって不幸な身の上だから…あはは」 「はぁ……あの、こっちも見たことが属性なので、一応たくやさんの属性を再確認させていただきたいんですけ ど……」  そう言うとタイミングを見計らっていたように、みっちゃんが横合いから人の頭ほどもある大きな水晶玉を取 り出した。 「じゃあこれの上に手を置いてね。あとは精神を集中して――」 「それなら分かります。こう…ですよね」  あたしはこれでも魔法使いの村出身だし、子供の頃から珍しい属性と言うでよくこうやって属性を調べられた ものだ。だからこのタイプの水晶球にもかなり馴染み深い。  この水晶は人の魔力の色を映し出す。五大元素に従って大別し、色の揺らぎや濃さで属性を細分化していく。  魔力の属性はその人がどのような魔法を使うのが得意かを示すものだけではない。成長率、そして運命までを もがこの透明な水晶に映し出されると言う。  でも……あたしがどんなにやっても何も映らないのよね……  冷たい水晶に手を乗せ、目を閉じて集中する。思い出しそうになる子供の頃の出来事を強引に振り払い、あた しは手の平から体内を巡る魔力を放出し―― 「………えっ…あの、これって……」 「―――ん? どうかしたの……って、えええっ!?」  めぐみちゃんの息を呑む音で集中が乱れたあたしは気になって目を開く。  すると………過去、あたしが手を乗せて一度だって色がつくことの無かった水晶球、その内部に黒い闇が渦巻 いていた。  ―――通常、人の属性に「闇」はない。負を表すマイナスの魔力、全てを飲みこむ黒い色は禁断の色として人々 に忌み嫌われている。もし仮に、「闇」と言う属性を持つ人間が入るとしたら、それは…… 「あっ……あたし…そんな……」  あたしはこの色が何を意味するかを知っている。自分の魔法不能を直したくて色々調べた時期があったからだ。 それに神殿に仕えるめぐみちゃん達も不吉な濃い紫に似た闇が渦巻く水晶の輝きに怯えと驚愕の入り混じった視 線を向けている。 「ウソ……こんな事って……あたし、違う、あたしはこんなの――」 『ハァ……ハァ……やっと…追いついた……ゼイ…ゼイ……』 「………ん?」  見た事もない黒い魔力の色に少なからずショックを受けていたあたし。――だが足元から聞こえた息切れした 声に視線を向けた途端に、なんとな〜くこれがなんでこ〜なったかって事を全部理解できてしまったような…… 「あんた……結局ついてきたの?」  あたしの足元で疲れ果てていたのは大通りで放ってきたはずの魔王の黒本だった。相変わらず芸が細かいと言 うか、本なのにゼイゼイと荒く息をつき、肩――というか角を上下に動かすさまはいかにも人間臭い。  ――が、今はそんな事を気にするつもりは毛頭無いし。 『き…貴様…放って、いくから、踏まれるし、ガキに追いかけまわされ……って、なに!? なんでいきなり持 ち上げられ――おお、そうか。ついにワシの下僕である事を受け入れてそのふくよかな胸でいたわって――』  ―――ポイッ 「誰があんたの下僕だって言うのよ……さて、とりあえずこれでもう一回調べてもらえませんか?」 『ちょっと待てえええぇぇぇぇぇええええええっ!! 人をゴミ箱に捨てていくなぁ!!』 「――――ええ、今度は黒くありません。でも透明で変化なしというのも珍しいですね」 『こら、そこの眼鏡のおさげ。ワシの代わりにゴミ箱から拾い上げてくれないかな? ワシって人畜無害でぷり ちーな魔王様なのよ、ほんと♪』 「めぐみ、あんなのにかかわっちゃダメよ。――あ、そうだ。とりあえずたくや君には身を清めてもらったら。 そこであたしも簡単な解呪を試みてもいいし、ダメならダメで神官長待ちって言う事で。寮の空き部屋を使って もらえば先代にもばれないだろうしさ」 『ワシを無視して話を進めるな〜〜〜〜〜!!』 「二人ともごめんね。あたしが無理言っちゃったばっかりに……」 「いいのいいの。たくや君はな〜んにも気にしないであたし達に任せておけば」 「神を頼っていらした方を無碍にお返しするわけにもいきませんから。それでは清めの間にご案内します。たく やさん、こちらへどうぞ」  そうしてあたしはめぐみちゃんに先導され、受付のある玄関広間を後にした。当然、人の事を下僕扱いする魔 王の本はゴミ箱に捨てたままで。  けれど―― 『くっ………く〜っくっくっく……こ、この魔王パンデモニウム様を、ご、ゴミ、ごみ箱に置き去り……くぁ〜 〜〜かっかっかっかっかぁああああっ!! いい度胸じゃ、ならば見せてくれるわ、この大魔王様の封印された 実力をぉ!! 泣いて謝れ、我にひれ伏せ、どちらが主従かはっきりさせた後で恐怖と恥辱と悶絶の果てに全身 リップの刑じゃ、そのふっかくてぽよよんのおっぱいの谷間で心行くまでパイずり三昧、いやぁ楽しみ楽しみ、 どわぁ〜っはっはっはっはぁ!!』  誰もいなくなった広間でただ一人――いや、ただ一冊、声を上げて高らかに笑う魔王の本の力によって引き起 こされる出来事を、その時にあたしは何も知らずにいたのだった……


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