第三章「神殿」01


「じゃあこの欄に名前と出身地を書いてくれ」 「ええっと…たくや……アイハラン村出身…と。これでいい?」  あたしは差し出されたペンにインクをつけ、示された紙に上から順に書かれた人々の名前の一番下に自分の名 前を書き加えた。  身分証も何も持たないあたしを街に入れることは出来ない――そのため、門番の詰所前でこうして自分の名前 を書かされているのだ。 「ああ、構わないよ。――ほう、字に西部の訛りがあるな。アイハラン村と言えば…随分と端の方だな。お嬢ち ゃん、見掛けに寄らず冒険者か何かかい?」  お嬢さんだって……そう言う呼ばれ方をされると、どうにも背中がむず痒くなるような違和感ある。  もっとも今のあたしはどこからどう見ても360度女の姿だ。しかも自分でも見惚れてしまうほどのショート カットが良く似合っている美少女。――なんだけど、本当は男なんですって説明するとややこしいし、どうせ信 じてもらえないんだ。わざわざ門番のおじさんに話さなくてもいいよね。もう女で通しちゃおう。 「えっと…ちょっとしたトラブルに巻き込まれて、このへんにまで連れてこられちゃったんです。ワープの魔法 に失敗して」 「ほぉ、そりゃ大変だね。しかし魔法って言うのは凄いな。ワシも昔は冒険者でな、仲間の一人がこれまた凄腕 の魔法使いで――」  愛想笑いを浮かべながら歩いてきた三日間の間に考えていた不自然じゃない――と思っている――返答をする と、暇を持て余していたおじさんの興味を引いたらしく、あれやこれやと昔の話を自慢げに繰り出してくる。  うわ…ついてそうそうこれだと、なんだか先が思いやられるな。だけど……ここがフジエーダの街かぁ……  門番のおじさんの自慢話はなかなか終わりそうにない。とはいえ途中で結構ですからと話を止めちゃうのも悪 い気がするので適当に相槌を打って聞き流しながら視線を上へ向ける。するとそこには首を傾けなければ上端が 見えないほど巨大な壁がそびえ立っていた――  水の神殿の街、フジエーダ。  クラウド大陸の中央域と南部域のほぼ境に位置する地方都市である。  ここに辿り着くまでに出会った人に聞いた話では、中心に位置する大神殿には水と豊穣を司る女神・アリシア を奉り、モンスターを防ぐための市壁を備える程に栄えた街だ。  元はそれほど大きな街ではなかったものの、神殿へ巡礼に訪れる人を相手にする商売で徐々に繁栄し、この近 辺の領主が居を構えるクドーの街と並び、南部域でも有名な街として知られている。いわゆる観光名所だ。  今は街を取り囲む堀には跳ね橋が降ろされ、高さにしてあたしの身長の三倍はありそうな街門は大きく開かれ ている。まだ日も高い事もあって、旅装束に身を包んだ人や荷物を積んだ馬車があたしの横をにぎやかに通り過 ぎて行く。  恐らく門を閉めるのは夜だけなのだろう。モンスターや無法者を侵入させないが為の巨大な防壁であり、身分 をはっきりさせられないあたしも武器として携帯していたナイフを最初に門番さんに預けている。これには街中 での暴力事件を抑制する、と言う意味もあるようだ。  首を伸ばして街中を覗けば、あたしの暮らしていた村では考えられないような立派な大通りが街の中央にそび える白い建物へと伸びている。恐らくはあれが水の神殿なのだろう―― 「あそこで……あたしの体を元に戻せるんだ」  長かった……この三・四日、どれだけあたしが苦労した事か……  変な男に「結婚してください!」なんて言われるし、他にもナンパはされるし、おしっこするたびに妙な気分に なるし、服だって着替えられないし……どうしてこう、女って言うのは不便なのよ!  その苦しみからようやく解放される、そう思うと神殿を見つめる瞳にも力が入り、熱血っぽくググッと拳を握 りこんでしまう。 「おお、そんなにワシの話に感動してくれたのか!」 「………へ?」 「ならばじっくり話せて聞かせてやろう。どれ、こっちにきなさい」 「ちょ、ちょっとおじさん!?」  気付けばいつの間にやらあたしはおじさんに手を握られ、門番さんの詰所へと連行されようとしていた。いや、 連行って言うよりは格好の話し相手を見つけたと言う感じで―― 「今夜はワシの家に泊まっていくといい。なに、退屈はさせんぞ。ワシのレパートリーは無限大じゃからな、ハ ッハッハッ!」 「ちょっと待って、あたしは、あたしは早く男に戻りたいのにぃ〜〜〜〜!!」  結局……街に着いても色々と見て回ることも出来ずに一晩が過ぎて―― 「ふ…ああぁぁぁ〜〜〜……むにゅ…ねむぅ……」  そこそこ遅くまで眠らせてもらったけれど眠った気がしない。うみゅ……まぶたが重いぃ……  既に太陽は頭上にまで昇っている。だと言うのにあたしは今にもとじそうになる瞼を擦り、必死にあくびを噛 み殺していた。  あの門番のおじさん、最近は誰にも話を聞いて貰えなくてストレスがたまっていたそうで、その鬱憤を晴らす かのように激しい身振り手振りを交えての熱弁にあたしは窓の外が白み始めるまで一睡も出来ず、何故か元気に おじさんが仕事に出て行ってからようやく休ませてもらえたのだ。  もっとも、そのおかげで手にいれる事が出来たものもある。水の神殿への紹介状だ。  なんでもおじさんの奥さんが水の神殿の神官だったそうで、あたしがこれから水の神殿に向かう事を告げると 便宜を図ってくれるようにと一筆書いてもらえたのだ。なにしろ霊験あらたかな女神様の神殿だけに、普通なら 解呪などを申し込んでも二・三日待たなければいけないらしく、宿泊費も持たないあたしにとってはかなり願っ たり適ったり。  ま…話は長かったけど、泊まらせてもらえたんだし紹介状も貰えたし、ラッキーだったと考えなきゃね……ふ ぁぁ…… 「むにゅう……それにしても…凄い人……」  そうして眠気を振り払いながら大通りを神殿に向かって数分も歩くと、いつしかあたしの口からこぼれるのは 感嘆の溜息ばかりになっていた。  そこには大勢の人が溢れかえっていた。恐らくあたしが住んでいた村の全村民を合わせても通りを行き交う人 の数には適うまい。まさに初めて見る、異様な光景、と言うところだろうか。  最初は怯えもしたし緊張もしたけれど、お店を覗けば細やかな装飾を施された貴金属や南方産の色鮮やかな果 物の数々を目にすると沸きあがってくるのは好奇心。村にいてはめったに見れないような物品に思わず溜息がこ ぼれてしまう。  朝だからと言うのも幾分あるだろうけれど、品揃え豊富な店々からは通りを行き交う人への呼びこみの声が高 らかに響き、寄り集まる人達の声が街により一層の賑わいを与えているようだった。  ――とはいえ、あたしの財政状況はとことんまでひっ迫しているのよね。あ〜あ…せっかく大きな街にいるっ て言うのに……  本当ならあれやこれやとお店を見て回りたいんだけど、今のあたしは男に戻る事が最優先………いや、建前上 がそうなんであって、実際には1ゴールドもお金を持ってないがために物を買えなくて気分が逆に滅入ってしま うのだった。 「しょうがないなぁ……何か道具を売ろうかな……」  不要なアイテムを売り払う、これも冒険者には良くある事だ。  だけどあたしの荷物は旅をする上で最低限のものばかりだ。その中で売れそうなものと言えば、梅さんから貰 った手鏡ぐらいなものだ。重さん松さんから貰った靴は想像以上に履き心地が良くて脚も疲れないから体力のな いあたしはもう手放せないし……かと言って、梅さんからの貰い物をすぐに売り払うって言うのも気が引けるし …… 「あっ…そういえば解呪を頼むのってお金が要るのかな?」  やばっ……これはどうにかしてお金を工面しないと………しょうがない。あの鏡を売っちゃうか……梅さん、 ごめんなさい。  背に腹は変えられない。恩人に心で詫びながらあたしは目で道具屋を探し、背負い袋に手を入れて―― 「………そうか。この手があったっけ」 「あの…これを買いとって欲しいんですけど……」  あたしがマジックアイテム専門の道具屋のカウンターに「それ」を置くと、初老の店主は目つきを鋭くして「そ れ」を手に取りじっくりと眺め始めた。 「んっ? ほう…なかなかの年代モノだな。その割りに状態は…うん、申し分はない」 「ほっ……」 「表紙の細工も見事だ。金字に黄金のメダル…これは極小の魔方陣になっているのか。うむ、興味深い」  ものを見る目は確かなようだ。これなら売れるだろうと胸を撫で下ろす。 「あ、あの、それでいくらで引き取ってもらえますか?」 「ふむ……こいつのカギはどうやって開くのかね? 貴重な魔道書であっても中に書かれている事が分からなけ れば値段のつけようが無いな」 「そんな……ええっと、確か本人は…じゃなくて、一応中には古代魔法文明時代の凄い魔導式がいっぱい書いて あって――」 「それが問題じゃない。この本をどうやって開くかというのが問題なんだ。中を呼んだ事があるならこのカギの はずし方も知っているんだろう?」 「それは……」  あたしも「そいつ」のことはあまり知らないし…… 「鍵穴も見当たらないし、ロックの魔法でもかかっているようだな。しかし言う通りに貴重な魔導式がかかれて いるものならば特定の個人にしか開かれないという可能性もあるし、そもそもこの本をどこで手に入れたのかね ?」 「森で拾ったんですけど……」  あ、今さっきあからさまに胡散臭そうな目をした。これじゃ…やっぱり買い取ってもらえないかな?  一応あたしも道具屋さんをやっていたんだから交渉術をある程度は心得ている。けれどモノがモノだけにうか つな事が言えないまま店主からの質問が終わると、少しのあいだ店内には沈黙が流れ―― 「なるほど……これほどの本が森に、ねぇ……君、ちょっと衛兵詰所までいっしょに行こうか」 「ええっ!?」 「さっきから嘘ばかり言って。開け方も分からない本の内容を知っていた、森で拾った、誰が信じると言うんだ。 さぁ、詰所に行こう。そこでじっくり反省するといい」 「ちょっと待って。本当だって、さっきあたしが言ったのは本当の事なのにぃ〜〜!!」 「まだシラを切るのか。お前みたいな若い女がどこでこんな本を手に入れたって言うんだ? 言ってみろ。貰っ たのか、それとも盗んだのか、さぁどっちだ」 「最初っから人を疑ってかからないでよ。その本は確かに森で拾ったんだから!」 「それが嘘だというんだ。森にあったなら本はもっと湿気を吸って痛んでいるはずだ。なのにこの本を見ろ。ど こにもそんな様子はない。盗んだんで無ければ偽物だろうが!」 「だから違うって! 詳しくは話せないけど、この本はちゃんと森で拾ったものだし、中にはスゴい事が書かれ てるんだから!」 『えええぇぇぇい! さっきから人の顔の上でグダグダグダグダやかましいわぁぁぁぁ!!』  やば……魔王の本が目を覚ましちゃった。あちゃぁ……こうなる前に売っちゃいたかったのに……  自分が今にも売り払われようとしていた事を理解しているかどうかは分からないけれど、寝起きでかなり不機 嫌らしい魔王の黒本はぴょこんと跳ねあがってカウンターの上に立ちあがると、目の前の本から突然発せられた 大声に目をぱちくりさせて驚いている店主に表紙を向け、 『んっ? なんじゃ、この親父は。ワシの下僕になりたいなら全裸で土下座して腹踊りでもして見せろ。ワァ〜 〜〜ハッハッハァ!!』 「あ〜…えっと………すみません、お邪魔しましたっ!!」  ガシッ! 『ぬっ!? なんじゃなんじゃ、何でワシ、いきなり頭を鷲掴み!?』 「いいからあんたは人前で喋るな! おじさん、本当にごめんなさい。今日のことは忘れてぇ!!」  魔王のエロ本、売却計画失敗!  固まっている道具屋のおじさんにぺこりと頭を下げたあたしは、そのまま本を抱えて脱兎のごとく店を後にし た―― 「ほ…本が喋った……生きて…いたのか? 冗談じゃない、生きてる本なんて聞いた事がない、値段のつけよう が無いぞ!?」 「あ〜あ…せっかくあんたと別れられて、その上お金が手に入ると思ったのになぁ……はぁ……」  結局1Gも手に入れられないまま、あたしは売りそこなった魔王の本を胸に抱いて神殿に向かってとぼとぼと 歩いていた。 『人が寝ている間に売り払おうとは……貴様は人買いか、いや、人売りかぁ!! この外道、人の皮を被った人 でなし!』 「あんたのどこが人だっていうのよ。いい加減なこと言ってるとゴミ箱に叩きこむわよ」  今はこいつの声がやけに癇に障る。どうせ売れないんだったら火でもつけて焚き火代わりにしてやろうか…… そんな物騒な考えが次々に頭を過ってしまう。  旅をしている間にも考えていたけれど、そもそもこいつのせいであたしは女にされた挙句にこんな南部域にま で飛ばされたのだ。それなのにこのエロ本ときたら自分勝手で我侭でスケベでうるさくて……ホント、こんな役 立たずが魔王だなんて絶対に信じられない…… 『………な、なんだか目がものすごく恐いんですけど……もしかして、怒ってる?』 「あったりまえでしょ。あんたのせいで………はぁ、言ってもしょうがないよね。けど…お金どうしよう……」 『なんじゃ、金が欲しかったのか。だったら右を見てみぃ』 「んっ?」  そう言われ、足を止めて首を右に向けると一軒の露天商が目に入った。売っているのは銀製の指輪やネックレ スなどのアクセサリーで、離れているせいで細工の良し悪しまでは見えないけれど、何人もの人が店の前で物色 しているのを見ると品はそれなりに良い物のようだ。 「―――で、あれがどうかしたの?」 『あの店を襲って金を奪えばいい。な〜に、金は天下の回りもポグァ!』  誰がそんな言葉を最後まで言わせるか。あたしは手にした本を石畳の地面に思いっきり叩きつけると上を向い た背表紙に遠慮無く踵を落として踏みにじる。 『おおぉうっ!? 背中にぐりぐりと硬いものが、ああ、なんかこれってば病み付きになりそうな被虐感〜〜! !』 「……………はぁ…もういい。よ〜く、分かった」  一つ、大きな溜息をついて胸の奥に溜まった重たい空気を吐き出すと、あたしは本の上から足を降ろし、けれ どそのまま拾う事無く神殿に向かって歩き始めた。 『ま、待ていぃ! ワシを置いて行くなぁ!!』 「別にいいじゃない。どうせ自分で動けるんだし、着いてきたいなら勝手に飛び跳ねてついてくれば」 『え? あ…あのぉ〜…ワシ、一応魔王……なんだけど』  そこで一度後ろを振り返り、 「だからなに?」 『えっと………だから魔王…ものすごく偉いんですけど……だから丁寧に運んで欲しいかな〜…って思うんです けど。だってほら、地面飛び跳ねると汚れるし』 「魔王魔王って口先だけで全然役に立たないじゃない。そのくせ言う事はメチャクチャで傲慢で、人が寝てたら 胸の上に乗っかるし股間にもぐりこもうとするし。そんな本、あたしもう要らない」 『要らないって…そんな、お前はワシの下僕だろうがぁぁぁ!!』 「そんな事ばっかり言わないでよ!!」  ついに我慢の限界が来て、本と口論している事で注目されているにもかかわらず大声を張り上げてしまう。  けれどそれだけにこの一言は効いたらしく、本当に怒ったあたしの剣幕に押されて魔王の本は口をつぐんでし まう。 「―――ふん、後は勝手にしなさい」 『あっ…待って、待ってくれぇ!』  自分でも珍しいほどに怒りを露わにして再び歩き出すと、後ろから魔王の本がピョンピョンと蛙のように付い てくる。  けれどあたしは振りかえるどころかこれで不幸な境遇から少しでも解放されると内心喜びながら、水の神殿に 向かって足を動かしつづけた。


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