序章03


 不思議と長く感じる一瞬の浮遊感の後、足先が固い地面に触れる事で僕は転送が終わった事を知った。  やっぱり慣れないな…アレは。  体が浮き上がっては何倍もの重さになって落っこちるような感覚が好きだと言う人間がこの世の中に何人いる かはともかく置いておき、今はすべき事――鎮魂祭の「勇者」としての役目を果たさなければならない。  本当ならしたくない事だけどここまできて泣き言を言うわけにもいかない。そんな事をしたら明日香に半殺し ……いや、3分の2、もしかすると5分の4ぐらい殺されて一生ベッドから起きあがれなくなっちゃうかもしれ ない。 「んっ……」  頭に重くのしかかった不快感を払い、転送の恐怖からキツく閉じ合わせていたまぶたに力を込め、まぶしく感 じる日の光に目を徐々に慣らしながら――― 「………へっ?」  ―――なんで、目の前に、兵隊さんが列を作って並んでいるんでしょうか?  一昨日の予行練習では僕の体は橋のすぐ前に転送され、本番でもそうなるって言われていたのに……なんで?  眼前の光景を信じられぬまま、一歩も踏み出すことなく数秒の時間が流れていく。  白銀の甲冑で身を固め、陽光を反射させるほど鋭利に磨かれた槍を手にした兵隊の後ろには目にしたことが無 いようなさまざまな楽器を手にして演奏している音楽隊。  そしてそのさらに後ろ。一ヶ月前から村に着ているエラそうな監督者の指示で作らされていた見物席には見る からに高級そうな衣服に身を包んだ貴族や武官、そしてやや控えめだけれどどこか威厳を感じさせるのは教会の 神父……いや、中央にいるのは司祭クラスの人だ。  頭の中は困惑でいっぱいだった。この世界にある全てが僕の知っているものとは違う、全部理解するには時間 が足りなさ過ぎる!。そして、何とか搾り出せた結論は……  やっぱり僕は…場違いな場所にやってきてしまった……  忘れていた緊張が一瞬にして僕の体を支配し、指一本動かす支配権さえも僕から奪っていく。そうして、いつ までも動こうとしない僕を急かすかのように晴天の空に高らかに管楽器の音が鳴り響いた。  ど、どうなってんのこれ、ぜんぜん練習と違う事になってるんだけど!?  遠く晴天の青空に響いていくトランペットのリズムにドラムなどの打楽器の音が重なり、音は祭りの日に相応 しい心踊るような音楽へと変わっていくが、鎧姿の僕だけはそのリズムに乗る事が出来ずに明らかに外れてしま っていた。  お、落ち着け、落ち着くんだ。きっとこれは何かの間違いなんだ、前に幻覚の魔法の練習台にされたときも今 まで見たことも無いような光景が……いや、違うって、アレはもっとこう…うにゃうにゃしたような感じだった し…… (こら、そんなところでいつまでも立ち尽くしてないで、早くこちらにいらっしゃい)  頭の中で必死に以前見た(と思う)うねうねした物を思い出そうとしていた頭の中に大きな声が響きまくる。 「あっ…おばさん!?」 (大声出さないの。役でもなんでも今の拓也君は勇者なんだから、練習通りに前だけ見て、ゆっくり歩くだけで いいんだから)  もし音楽隊がいなければ、いきなり頭の中に響いた女の人の声に反応して挙げた僕の声は賓客の失笑を買って いただろう。  これは「遠話」という魔法だ。術者と相手の意思とを魔力の糸でつなぎ、声に出すことなく念じるだけで会話が できると言う便利なものなんだ。  だけど使用条件として相手を視認している必要がある。これは明日香がさっきも使っていた偵察用の魔法「鷹 目」と併用する事で解消できる問題ではあるけれど、人ひとりの意思力、精神力ではそれほど遠距離での会話が 出来ず、村の大人でも3メートルがせいぜいと言うところだ。それに魔力探知にも引っかかるから秘密話にも使 えない代物だったりする。  ところが、この村には20〜30メートルぐらいの距離でも平気で「遠話」を使い会話する人がいる。  それはこの村の村長でもあり、明日香の母親でもあり、落ちこぼれで一人暮しの僕の面倒をいろいろと見てく れている女性―――そう、この目の前に並ぶ兵士の列が作り上げた道の向こうでにこやかに手を振っている人だ ったりする。 (おばさん、いったいこれってどういうことなんですか!? 予行練習とぜんぜん違うじゃないですか!)  ちなみに魔法が使えない僕でもおばさんの方が勝手に僕の思考を読んでくれるので会話はちゃんと成立する。 とは言っても、抗魔力(RM)の低い僕では会話を拒絶する事は出来ないけど…… (あらあら、本当にどうしたのかしらね。ちゃんと座標設定したはずなのにね〜〜♪)  ………間違いない。犯人はおばさんだ。しかも確信犯だ。 (ひどい、犯人扱いなんてひどいわ……ただ、せっかくの拓也君の晴れ舞台なんだから、ちょ〜っと格好いい登 場シーンを演出してあげただけなのにぃ!)  やっぱりおばさんが犯人だったんだね。だったら一言言ってくださいよ! 本気でなきそうでしたよ、今!… …それよりも、いつも通り僕の考えてる事はだだ漏れですか。 (当っ然。拓也君がおしっこ漏らしそうなぐらいおびえてるのも手に取るように分かってるわよ)  うわ、相変わらずプライバシー侵害をものともしない発言ですね。セクハラですよ、それ。 (セクハラって何かな〜〜♪ そんな言葉知らないな〜〜♪ それよりもいつまでそこに立ってるつもり? 早 くこっちにこないと不審に思われちゃうわよ〜〜)  くっ……言い合い(?)でおばさんには勝てないか……ええい、こうなったら行ってやる、行ってやるとも!  ―――とまぁ、おばさんにうまい具合に乗せられた事を自覚しながらも緊張から解放された僕は、勇ましい音 楽と来客たちの好奇の視線をその身に浴びながらゆっくりと進み始めた。 (拓也君、恥ずかしいのは分かるけど顔はちゃんと上げて。それから背中も伸ばして腕も振って。あ、あそこの お嬢様、拓也君に熱い視線を送ってるわよ〜〜) 「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!」 (そうそう、ちょっとぐらい勢いがあるほうが格好良いわよ、その調子、拓也君、がんばって〜〜♪)  あっ…ああああああっ!! おばさん、お願いだからそう言う声援はやめて〜〜!!  ―――とにかく、始終そんな感じに茶化されて緊張するまもなく、ようやく橋の前に待つおばさん――いや、 祭を取りしきるアイハラン村の村長の前へと辿り着いた。  ここからは練習通り。  村長は魔王を討つ勇者に祝福を与える役割を持つ。そんな彼女に敬意を払って片膝を突き、その場に屈んで頭 を垂れる。 (………なんだか感無量よね。実の息子じゃないとはいえ、あの拓也君が…こんな…立派になって……ううう… …)  おばさん……遠話での泣きまねなんていう器用な真似はやめて、お願いだから…… (いいじゃない。特技は使うためにあるんだから)  神様……どうしてこんな人が村一番の魔法使いなんでしょうか……与える才能を間違えてますよ…… (あ〜〜、なによ、その言い方。今日はせっかく拓也君のためにご馳走を作ってあげようと思ってたのに〜〜。 いいわよいいわよ、明日香と二人で食べちゃうんだからね)  はいはい、食べてもいいですよ。 (そんな! そうやっておばさんのプロポーションを崩して、太ったら大笑いしてやろうって腹なんでしょ!  酷い、そんな拓也君に育てた覚えは無いわっ!)  …………おばさん、そんなに退屈なんですか? (ええ。さっきまでえらい人の長〜い話だったんだけど、なんなのよあれ。自分、何様のつもりよ! いいかげ んにしないと隕石の雨を降らすわよって感じだったわ)  へ…へぇ〜〜……  いつもは明日香にも僕にもやさしい人なんだけど、どうして子供っぽいところがあるんだろうか……  それだけ気を許してくれていると言うのもあるんだけど……この遠話が誰にも聞かれていませんように……  それでも、上を盗み見るまでもなく、おばさんは自分の役割をちゃんと果たしているだろう。背後の音楽も人 の声も止み、不思議な静寂を保っている湖前の広場には粛々とおばさんの祝詞の言葉だけが響いている。その裏 でこんな日常的な口喧嘩……ばれたら捕まるかな…… 「―――では勇者よ。勇気あるものよ。光と共に歩み、人々の希望となるものよ」 「―――はい」  さて、ここまできたらおしゃべりもさすがに終わりだ。  祝福の言葉が終わると一拍置いてからその場に立ちあがる。 「この地に受け継がれし勇者の想いは、ただ人々に安らぎを。故に我らが守りしこの地の祈りは、彼の人の魂に、 穏やかなる休息と安寧を……さぁ、勇者拓也よ」  おばさんは手を胸の前で組み、ゆっくりと目を閉じて祈り始める。 「お行きなさい。あなたの英雄なる魂は我らと共にあり……」  その言葉を最後に、周囲から一切の音が失われていく。誰もが息を呑み、事の成り行きを見守る中、唯一動き 出したのは勇者――役に選ばれた僕だけだ。  脚を一歩前に。  これがこの祭のクライマックスだと言うのに、思っていたほど緊張もない。これも無駄話に興じてくれたおば さんのおかげだと感謝しながら顔をまっすぐ前に向け、勇者の魂が奉られている神殿へと視線を向けた。  来賓席の最上段。  今日は晴天という事もあり、どこまでも広がる青空が触れそうなほど近く、静けさをたたえた湖面を見渡す事 ができるその場所からの光景は格別であり、言いかえればそこは祭――いや、儀式の全てを座したまま見る事が できる場所でもある。  その場所には当然この場に集まった貴族や司祭の中で最も位の高い者が座するのが通例――なのだが、十人以 上座れる特等席に座るのは妙齢の美女ただ一人だった。  その姿を見ればその場にいる男性は誰もが目を奪われた事だろう。彼女が身につけている黒いドレスは露出度 が異様に高い。胸の半分は露出してしまうような開き具合を見せる胸元は豊満でありながらも見事な張りを持ち、 さらに下側から寄せ上げられてボリュームを増した美巨乳が先端部分になんとか布地を引っ掛けた状態で突き出 ていて、下は網目状に日もが交差しながら腰の上まで深深と入ったスリットからは十代と見紛うばかりの張りと 成熟した女性の色艶を持つ太股が突き出されていて、その二本の足が組替えられるたびに見えるはずもないドレ スの影の向こう側から濃密な色気が辺りに惜しげもなく放出されていた。  ところが、そんな彼女を振り返るものは誰一人としていなかった。  口元に微笑を浮かべて椅子に優雅に座る彼女の正面に座っている男――おそらく、共生式に招かれた賓客の中 でもっとも位が高い貴族――も、退屈な儀式に飽き飽きしていると言う顔をして必死にあくびをかみ殺している だけだった。  不可視の結界――いや、人の注意が集まらない、と言う程度の簡易結界だ。  ミステリアスな雰囲気を漂わせる美女はまるで風景と一体になったようにそこに自然とありつづけていたた。  けれどそんな彼女だけの空間に姿をあらわしたものがいた。拓也が出会った仮面の女騎士だ。 「―――マスター。周囲の探索は終わりました。湖を守る結界にほころびはなく、警備にも抜かりはありません。 もう儀式も終盤ですし、以降の賊、及びモンスターによる襲撃はありえないと判断します」 「そう、ご苦労様。……そういえば森の奥から感じた魔力はどうだったの?」 「転送の魔方陣でした。あそこにおられる恥ずかしがり屋の勇者殿がこの場に現れるための」  そう口にすると先ほどの森での出会いを思い出したのか、仮面の少女は口元に微笑を浮かべた。 「――どうやら彼の事を気に入ったようね」 「い、いえ、そう言うわけでは……失礼いたしました」 「そんなにかしこまらなくてもいいのに……でも、かわいい子ではあるわね」 「マ、マスター、お戯れを……」  背後で慌てて身を正す騎士に目を向けることなく拓也の姿だけを追いつづけていた彼女だが、それまでのどこ か淫靡さを感じさせる雰囲気から一転して、不意に表情を固くする。 「けど…今回はイヤな予感がするの。強大な魔力を感じるわけじゃないけど………もしかすると「封印」に何かが 起こるのかもしれないわね」  右手の指をあごに当て、秀麗な眉をひそめて考えこむ。何事もなく進んでいるように見える儀式だが、何かが 彼女の感に引っかかっているようだ。  そこで初めて背後に視線を向けると、直立している仮面の女性に向けて、 「……頼めるかしら?」 「御意」  短い命令。  そしてさらに短い言葉による承諾の意思。  直後、湖面を走り抜けた強い風が観客席を吹き上げ、それが収まった時には騎士の姿はその場から掻き消え、 美女もそれを不思議に思う事無く再び拓也へと視線を戻していた。  だがその瞳から憂いが晴れる事はなく、一人神殿へと向かう青年の背へ投げかけられる視線には悲しみとも哀 れみとも取れる感情が見え隠れしていた。 「けれど…もう遅いのかもしれないわね。それが運命だと言うのなら……」


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