第2章「−1」第1話


「えっ!?」  ば…爆発するのっ!?  一瞬のうちに急激に膨れ上がった光の奔流の中で本能的に身の危険を悟ったあたしは、両手で顔と頭をかばう。 でも、そんなささやかな抵抗じゃこれだけ大きな機械の爆発は防げないだろうけど……  そんなあたしの行動をあざ笑うかのように――必死に目を閉じるあたしの体に衝撃はお尻からやって来た。 「きゃあっ!?」  心構えはできてるけど、やっぱり痛いのはいやぁぁぁ〜〜〜!!…………………………あれ?  痛みはそれだけだった。  いつもの千里に実験のように体がぺしゃんこになるような圧迫感や皮膚や髪の焼ける熱さはどこにもなく、ま るで尻餅をついたようなお尻のジンジンとした痛みだけ感じ取れていた。  もしかして……痛みを感じる前に死んじゃったとか!? そんなのやだ、せめて死ぬ時は男に戻ってからに……  などと、今までにも爆発のたびに考えていた事が頭をよぎる。  そのまま何分たっただろう。いつ爆発が起こるのかと力いっぱい閉じていた目蓋や、両手を頭の上に上げたま ま硬直した筋肉がいいかげん疲れだし、一体何が起こったんだろうと不思議に思っていたこともあって、ゆっく りと目を開き始めた。 「あ…あれ?」  予想していた足元の板からの光は消えていて、それでも一番最初の光で焼かれた両目をしばしばさせながら辺 りを見回す。あたしの目の前にそびえ立っていたはずの機械――千里が言うにはタイムマシン――が忽然とその 姿を消している事にすぐに気がついた。  爆発したわけでもない。首を左右に振って見まわしても屋上のコンクリートの上には爆発による焼け焦げた跡 もなく、飛び散った破片もどこにも見当たらなかった。ただ、いつの間にか尻餅をついていたプラスチックかア クリルのような板だけはあたしのお尻の下に装置付きで残っている。  ひょっとして……どこかに飛んでいったのかな?  ロケットみたいに飛んでいったんだったらさっきの光も噴射とかで納得できそうなんだけど、座ったまま見上 げた空にも装置の影も、飛行機雲さえ見つからない。  となると幻だったのかな? それとも……まさか本当にタイムスリップしちゃったとか……  頭の中に想像だけは広がっていく。けど、そのどれもが千里の実験にはありそうだけど、今の情況には符合し ない様に思えた。  ―――まぁ、いいか。消えてくれたんだったら、これ以上は先生に怒られる事もないし。千里は悲しむだろう けどね。  爆発したにしろなんにしろ、要は千里の研究は今回も失敗だったと言う事。自業自得だと考えたあたしはその 場から立ちあがり、先に教室に向かった明日香たちを急いで追い掛けた。  この時、まだ少し混乱していたあたしは気付かなかったんだけど、太陽の光は西に傾いていた。  異変にはすぐに気がついた。 「なんで……誰もいないの?」  理科室や音楽室の集まる特別教室棟ならまだしも、一般の教室の集まっている廊下を通りすぎるあたしの耳に は、教室から聞こえてくるはずの授業をしている先生の声が全然聞こえてこなかった。自習と言うわけでもない。 誰の声も聞こえてこないし、開けっ放しになった入り口から中を覗きこんでも誰の姿も見えなかった。  どうしたんだろ……もしかしていきなり全校集会で体育館にでも行ってるのかな?  その証拠と言うわけじゃないけど、教室の向こう、運動場に面した窓から小さな声が聞こえてきている。  余所の教室に入る事に少し抵抗を覚えながら窓へと寄ってみると、運動場には思っていたほど人はいなかった。 しかも集会じゃなくて野球やサッカー――って、なんで朝から部活動を始めちゃってるの?  慌てて時計を見る。短い針はちょうど五時を指している。  そっか。あたし、爆発の衝撃で気絶してたのね。な〜んだ。………だったら片付ける時に起こしてくれればい いのに。あんなところに放ったらかしにして。またエッチな目にあったら千里のせいにしてやるんだから。  ようやく胸にわだかまっていた疑問も晴れてすっきりしたあたしは、こんな時間になるまで誰も起こしてくれ なかった事に腹を立てながら、とりあえず自分の教室へと向かった。  カバンを取ったら化学室に行って千里に説明させなきゃ。実験に失敗した後だから、また落ちこんでるだろう けど……ううん、ダメよ。ここで慰めたりなんかしたら、また頭に乗ってあたしが頑張って稼いだアルバイト代 を別の実験に使っちゃうんだから。ここは一つ、部長らしい威厳でビシッと…………あれ?  頭に浮かんでくるのは千里への不平不満ばかり。それを小さく口にしながら自分の教室にやってきたあたしは、 入った途端に変な違和感に襲われた。  あたしのいるクラスが他のクラスと違う形をしているわけじゃない。どこも同じ大きさだし内装だって一緒な んだけど、掲示板に貼ってあるプリントや机の配置、黒板に書いてある文字なんかが、どうもいつもと違うよう な気がする。  ………教室間違えたかな?  そう考えるのが普通だった。でも廊下に出てクラスを確認しても間違いはない。  だけどあたしの席にはカバンや教科書がないどころか、他人の荷物まで入っている。明日香の席も同じだった。  結局、すっきりしたはずの胸に新しい疑問を抱え込んでしまったあたしはカバンを誰かにもって行かれた以上 はここにいても仕方ないと思い、とりあえず化学室へ。  どうなってるの? あたしの荷物どころか明日香のまで……う〜ん……なんだか今日は考えてばかりよね。  考え始めれば、屋上で八時間以上も気絶していたって言うのも腑に落ちないし、そもそも爆発が起こってたら あたしが無傷って言うのもおかしい……じゃあ、爆発は起きなかったの?  最初から爆発をなかった事を考えれば怪我がなかった事や屋上に痕跡がなかった事も納得が行くけど、この時 間になるまで気を失っていた事や教室に感じた違和感なんかはまったくの謎のままだった。  あたしの頭じゃ答えは出ないか。しかたない、千里を問い詰めよっと。 「千里〜〜、ちょっと聞きたいことが………」  と、化学室についたあたしはいつものように扉を開けたんだけど……さっき、教室でもそうだったように、化 学室にも違和感を感じて、入り口を開けた姿勢のままで固まってしまった。  って言うか……これ…どうなってるの? 違和感どころじゃないんだけど……  千里が入学してからと言うもの、一年間の部費を勝手につぎ込んで購入しまくって、化学室を半ばまで埋め尽 くしていたはずの数々の研究機材が姿を消してしまっていた。おかげで元もとの大きさに戻っただけの化学室が 異様なまでに広く感じられてしまう。  そしてそこには千里の姿はなく、代わりに千里と同じような白衣を身につけた女子生徒が、机の上に幾つかの 試験管や薬品を並べて何かの実験をしているようだった。 「うそ……なんで………」  その後ろ姿を見た事が一番の驚きだったのかもしれない。  身長はあたしと同じぐらい。肩の辺りで切りそろえた黒髪は薬品を混ぜ合わせるたびに小刻みに揺れていた。  何度もこの場所から、こうやってその後ろ姿を見つめた事があった。だからこうやって一目見ただけでそれが 誰かと言う事がすぐにわかったんだけど……それは実際に見ている光景なのに、すぐには信じられなかった。  だって、その人はとっくにこの学校を卒業したし、いくら調べても住所どころかどこの大学に行ったのかも分 からなかったのに…… 「佐藤…先輩?」  あたしの口からこぼれ出た声は広い化学室に響くにはあまりにも小さすぎた。彼女が耳にしたのは本当に偶然 だったのかもしれない。  そう、彼女こそあたしを最初に女にした(いや、処女がどうとか言うんじゃないんだけどね…)張本人、佐藤麻 美その人だった。  ようやくあたしが来た事に気がついて振り向いた顔には相も変らぬ黒ブチの眼鏡がかかっていて………でも、 白衣の下に来ているのは宮野森学園の制服……大学生がそれを着ちゃまずいでしょ…… 「先輩、当然あたしを男に戻すために来てくれたんでしすか? もう、それだったら電話でもくれればよかった のに。水臭いですよ♪」  とにかく、最初の驚きも引いたあたしは急いで先輩の元へと駆け寄っていく。先輩があたしのところに着てく れたからには、すぐに男に戻れると思って―― 「えっと…失礼な事聞いちゃうかもしれないんだけど……どこかであったかしら?」 「………へっ?」  気まずそうに笑顔を浮かべる佐藤先輩の言葉は……喜んで駆け寄ったあたしの喜びを打ちのめすには十分な破 壊力を持っていた。 「制服を着ていると言う事は宮野森の生徒よね。一度会った人なら顔は覚えているはずなんだけど……」 「や…やだなぁ。あたしですよ。ほら、女になってるからって分からない事はないでしょ。相原です、先輩の後 輩の相原たくやです!」 「あ、相原君!?」  真剣にあたしの顔を思い出そうとしている佐藤先輩の態度が冗談のように思えなかった。  先輩の記憶力が確かだと言う事もあるけど、あたしを実験台にするときに嘘をついたりはぐらかしたりはして くれたけど、こんな人を不快にさせるような冗談は言わない人である事は放課後一緒に時間を過ごしていたあた しが一番よく知っている。  それだけに佐藤先輩があたしの事を忘れていると言う事態にイヤな予感がしたあたしは、大きく自分の名前を 叫びながら先輩に詰め寄った。 「相原君ならさっき片桐さんと一緒に帰ったけど……」 「あ、あたしが明日香と!? そ、それってどう言う事ですか!?」 「ど、どうって言われても……でも、あなた女性でしょ? 相原君は確かに男らしくないけど、身体上はれっき とした男……」  ど…どうなってるの? あたしはここにいるのに明日香があたしと帰ったって……もしかして、誰か別の人と!?  次から次に起こる訳の分からない事態にあたしの頭は完全にまともに考える機能をなくしていた。一体何が起 こっているのか、考えれば考えるほど混乱してわからなくなっていく。 「と、とにかく、あたしは明日香を追い掛けますから。薬は後でとりにきますから、机の上に置いておいてくだ さい。それじゃあ!」  今は明日香が誰と帰っているのか、と言う事が一番気になっていたあたしは、先輩にぺこりと頭を下げると大 慌てで化学室を飛び出した。 「ちょっと、それであなたは誰なのよ!?」


第2章「−1」第2話へ