第2章「−1」第2話


 う〜〜ん……おかしい………  学園前から出ているバスに乗りこんだあたしは幸い乗客も少なくて空いていた座席の一つに座り、あまりにも 起こりすぎている奇々怪々、おかしな出来事に眉をひそめてうなっていた。  化学室を出てからも、教室と一緒で下駄箱にあたしの靴はなかったし、今乗っているバスの天井から吊るされ ている広告には「やったぜトラトラズ・八連勝!」「人気俳優H・アナウンサーと危険な不倫!?」っていう一年ほ ど前のニュースについて書いてあった。  何か変なのよね。佐藤先輩がいたり、靴やカバンがなかったり……それよりも一番気になるのは明日香と一緒 に帰ったって言うあたしが一体誰なのかよね。  明日香は美男美女が集まる宮野森学園の中でも指折りの美少女として知られていて、恋人のあたしが女になっ てからは交際して欲しいって告白してくる男は後を絶えない(告白された回数でも人数でもあたしの方が多いの は何故…)。それに佐野先生に脅迫された時のようにあたしに黙って自分だけで解決しようとするところがある から、今回もひょっとしたら……  とにかく、まずは家に言って戻ってないか確かめなきゃ。でも…もし戻ってなかったら……  バスが降りるバス停に到着するまで、もし明日香の身にあんな事が…とか、ひょっとしたらこんな事が…とか、 危ない想像から口に出しては言えないようなエッチな妄想まで色々考えていたあたしは短くても落ちつかない時 間を過ごしていた。  で、バスの車内で「あ〜」とか「う〜」とか思考の一部を垂れ流しにしていたところは省略して、目的地のあたし の家に到着。  ………な、なんだか緊張しちゃうな。  短い時間に色々な事が起こりすぎたせいで、朝も通ったマンションの入り口に立ったまま、なかなか足を踏み 出す事ができないでいた。もしかしたら、またこの中で変なことが起こるんじゃないかって不安に駆られてしま う……  でも…明日香の貞操が危険なのかもしれないし、ここでじっとしているわけにはいかないわよね。 「ちょっと、あなた邪魔なんだけど」 「えっ!? す、すみません、すぐにどきますから…ははは………はっ!?」  と、なんとか自分の心を奮い立たせている時にいきなり背後から声をかけられ、あたしは慌てて入り口脇へと 体をどける。  そして、声を書けてきた人物の顔を見て、思わず大きな声を上げてしまった。 「な、夏美義姉さん!?」  今まさにマンションの中に入ろうとしていたのは、去年の今ごろ、あたしが男に戻って少ししてから一人暮し を始めた義理の姉の夏美だった。 「ん? なに、あんた誰?」  や…やっぱり、あたしの事おぼえてない……でも、なんでここにいるの? 滅多な事じゃ家に帰ってこないは ずなのに……  夏美は一人でのびのび自由に過ごすのが性に合っているらしくて大学が長期休みになっても家にはほとんど顔 を見せてない。一回あたしが電話した時はその…エッチの真っ最中だったりしたんだけど……でも学費の大半に 自分の生活費までちゃんと稼いでいるし、父さんどころか実の母である義母さんも家に迷惑をかけてないからと いって容認している事もあって、こうやって顔を合わせるのも実に久しぶりだったりする。  ひょっとして夏美まであたしのことを忘れちゃったのかなぁ……  見るとタンクトップにズボンと言うラフな格好に加えて、肩から大学に通う時にナップザックをかけている。 以前はよく見ていた大学へ行く時の格好だけど、そんな姿で家に帰ってくるというのはどうにもおかしい。 「あ…あの……弟の顔って覚えてます?」  どうやって切り出したものか悩んだ挙句、あたしは顔に愛想笑いのようなぎこちない表情を浮かべながら、ま るで他人のようにあたしの事を聞いてみる。  これで「何言ってるのよ」とか言って笑い飛ばしてくれればよかったんだけど―― 「……へぇ…あいつがねぇ。てっきり明日香ちゃんとくっつくかと思ってたんだけど、これはこれで面白いかも ね」 「へっ? あ…あの……面白いって何が……」 「分かってるって。要は拓也の事が知りたいんでしょ? あたしの事を「姉さん」って呼ぶぐらいだから結構調べ ているみたいだけど、あいつはやめといたほうがいいわよ。隣の部屋でこんな美人が寝てるって言うのに今まで 一度も夜這いにきた事もないし、下着を盗んでオナってる気配もないし、つまらないったらありゃしない」 「………え…ええぇぇぇ!?」  ま、まさか、覚えてないどころか、あたしの事を「相原拓也」の恋人だって思ってない!? 冗談じゃないわよ、 一体どうなってるのよ!? 「違う違う違う!! そう言う事じゃなくって!!」 「そう? やっぱりそうよね、あの性格だもんね。ペ○スは結構大きいみたいだけど、地味だし、気弱だし、存 在感薄いし、いてもいなくても変わんないし、あ、あれでもいじめると結構面白いのよ、女みたいに泣きそうに なってさ、きゃははは♪」  そ…そこまで言う……相変わらず美人なのに口は悪い…… 「まぁ、人の趣味はそれぞれだって言うからね。それに幼なじみがいるって言っても、あれは恋人でもなんでも ないからね。お姉さんは応援してるわよ♪」  ………嘘だ。絶対に面白くなりそうだから、そう言ってるんだ……そんなにあたしと明日香の仲を崩壊させた いのかな……  だてに長年義弟をやっていない。目に涙を浮かべるほど大笑いしてるのに、そんな言葉を信じられるはずない じゃない。けど………やっぱりあたしの事を覚えてないんだ……  ふざけた調子であたしと「拓也」の関係をしつこく尋ねてくるけど、それはからかうようには見えず、佐藤先輩 と同じであたしの事を「相原たくや」として認識してくれていない、つまりあたしの事を本当に知らないみたいだ った。  一体、どうしてこんな事になったんだろ……朝まではこんな事はなかったのに…………あれ? あっちから歩 いてくるのって明日香じゃないの? 「す、すみません、あたし用事を思い出したんで、それじゃあ!!」  根掘り葉掘り聞いてくる夏美にここで話は終わりと言わんばかりにぺこりと頭を下げると、マンションから少 し離れた位置にあるバス停に下りた明日香らしき人物に向かって駆け出した。  そうよ、佐藤先輩も夏見も女のあたしを最近見てなかったから、きっと忘れちゃったんだわ。明日香なら…明 日香だったらあたしの事を覚えて………あ、あれ?  あたしが屋上で目を冷ましてから、まるであたしがここにいないとでも言うように起きている様々な現象。誰 も自分を忘れてしまったんじゃないかと無意識に抱いてしまった不安……それを払拭するためにも絶対にあたし のことを覚えているはずの明日香に最後の希望を抱いて駆け寄ろうとしたんだけど、明日香と一緒に下りてきた 男の人を見て、上履きを履いたままの足の動きを少しずつ緩め、遂には明日香からずいぶん離れた位置で立ち止 まってしまった。 「ほら、何してるのよ。バスぐらい早く降りなさいよ」 「ま、待ってよ、明日香。わわっ!?」  その男がバスの入り口より出るよりも早く明日香が歩き出したために、何をぐずぐずしているのか、もたつき ながら出てきた男――どこの学校でも着ているようなカッターに学生ズボンと言う普通の学生姿の男は何もない 地面でつまずきながらも急いでこちらに向かって歩き始めた。 「まったく…たまに買い物に付き合わせてあげたっていうのに、全然参考にならないんだから。結局何も買えな かったじゃないの」 「ごめん……そ、そうだ、今日の交通費は僕が出すから」 「いいわよ、そんな事してくれなくても。付き合わせたのは私なんだから」 「で、でもさぁ……」 「私がいいって言ってるんだからそれでいいの! まったく、いっつもはっきりしないところ、早く直してよね」 「ご…ごめん……」  気弱そうな男子生徒と並んで歩きながら、かなりきつめの言葉を彼に投げ掛ける明日香。男の方は何も言い返 さず、謝っているだけだった。  そして、明日香はその青年を怒ることに夢中になっていて、同じ制服を着て道に立っていたあたしを特に気に した様子も無く、あたしの横を二人並んで通りすぎていった。 「どういう……こと?」  おそらくは明日香たちがあたしのことをまったく気にせずにマンションに入った辺りの頃、目の前で起きた光 景にショックを受けたあたしの口から、かすれた呟き声が搾り出される。  ただ、ショックを受けたのは明日香があたしを無視したからじゃない。 「どうして……あたしがもう一人いるのよ」  そう………明日香と一緒にいた男子生徒。それは紛れも無く「男」のあたし――  「相原拓也」だった。  なんで……一体何が起こってるって言うのよ……みんながあたしのことを忘れてて…あたしがもう一人いるな んて……  明日香があたし以外の男性と楽しそうに話しているのを見た事自体がショックだったって言うのに、そこへあ たしがもう一人、しかも男のあたしがいたという理由がわからない事態が重なって、完全に頭は混乱のピークに 達していた。できればこの場で早々に気を失って、悪い夢から目を覚ましてしまいたかった。  ひょっとして……千里がまた変な実験をしたのかも。ありえる……ものすっごくありえる。そういえば、クロ ーン羊みたいにあたしの体を作り上げるとか話してた事もあったし……でも、それだとまずはそれを自慢するわ よね。あんなタイムマシンとか言ってた機械よりも「世界初のクローン人間です!」とか言って……………タイム マシン?  ふと、屋上で千里が大きな機械を前にして自慢していた言葉を何気なく思い出し、あたしの考えは嗜好性を得 てそれについての検討を始め出した。  最初っからタイムマシンっていう眉唾物の発明なんて信用してなかったし、失敗ばかりの千里の話も全然聞い てなかった。けど、もし仮に万が一の可能性を考えてひょっとすると、その話が本当で、あの機械がタイムマシ ンだったとしたら……今のこの状況を説明できるかもしれない。  佐藤先輩がまだ宮野森学園にいて、夏美が家から大学に通っていたのは去年まで、つまり一年か二年前。  あたしがタイムマシンで一年以上前に来たのなら、そしてそれがあたしが「女」になる前の事だったら、誰もあ たしの事を知らないことにも納得がいく。「男」のあたしと「女」のあたしは確かに顔は似てるけど、事情を知って いるか、最初から疑ってかからない限り同一人物とは気付かないと思う。だって女装じゃなくて、完全に性別が 変わっちゃってるんだから。  他にも教室も、下駄箱も、バスの広告も、全てがパズルを型にハメるように、つじつまが合っていく。もう疑 う事はできない。千里の話は本当で、あの大きな機械は――ひょっとしたら、あたしが乗っていた板がタイムマ シンなのかもしれない。  じゃあ…あの猫型ロボットのように………  ある考えが頭に閃く。同時にあたしはポンと手を打った。 「ひょっとして、あたしが女にならなくてもいいようになるんじゃないの!?」


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