Gルートその9


「ねぇ彼女、一人かい?」 「えっ?」  長距離を泳ぎきった疲れと人の少なさとで少し注意を怠っていたあたしは、後ろからかけられた声にそのまま 何気なく振り向いた。  そこにはさっきの痴漢変態強姦魔の筋肉馬鹿男二人と同じく、思わず嫉妬してしまいそうなほど鍛え上げられ た体の男がビキニタイプの海パン一丁の姿で立っていた。身長も高くて、顔は結構さわやか系、普通の女性だっ たらほいほいついて行っちゃいそうな感じだけど、あたしは元々男。同性愛の気は無いし、それに午前中に二回 もレイプ未遂を受け、こんなナンパ男にはついつい警戒してしまう。 「いえ、連れがいます。悪いですけど、ナンパだったら他を当たってください」 「そんなに冷たくしないでよ。別にナンパって言うわけじゃないんだからさ」  ナンパじゃなかったらなんだって言うのよ、まったく……  ブールサイドに座っているあたしの胸は、上から見れば胸の谷間まで覗くことができる。大きく前に張り出し た膨らみは水に濡れてますますエロティックになり、整えられたボディーラインはこうやって座っているだけで も結構様になっているんじゃないかと自分でも思う。  そんなあたしの体を上からじろじろと見ていれば、誰だってスケベな男としか思えないじゃなの。もう、今日 は一日、声をかけてきたやつは全員痴漢だと思うことにしてるんだから。 「実は俺、水泳選手でさ。ここには毎週やってくるんだよね。ここって新しいし設備も整ってるから体を鍛える には最適で――」  は〜は〜、さよですか。そう言う話は壁に向かって一人でしててね。  いいかげん聞いているだけでもイヤになってくる自慢話から逃げるように、あたしは腰を上げ、もうひと泳ぎ しようと歩き出すと、男はいきなりあたしの右手を握り締めた。 「まぁまぁ、もう少しゆっくりしたっていいじゃないの」 「……すいませんが、手を離してくれませんか? 人を呼びますよ」 「う〜ん、怒った顔も素敵だねぇ。本気で惚れちゃいそうだよ」  こ…こいつは……人が本気で嫌がってるってのがわかんないのかしら…… 「それよりさぁ、もしよかったら俺が泳ぎを教えてあげよっか、なんて思ってるんだけどどう?」 「教える? あなたがですか?」 「そうそう。さっきも行ったけどさ、俺って水泳じゃちょっとは名前を知られててさ、オリンピック選手の候補 にもなったんだぜ」 「へぇ……」  そんな事話してたんだ。全然聞いてなかった。  そう言われてから改めて見てみると、あたしと同じようにプールの水で塗れた胸や腕の筋肉もそれほど太くは 無いんだけど、余分な物を落としきっていて、しなやかと言う印象を受ける。確かに体つきだけを見れば泳ぐの は得意そうだし…… 「さっき君の泳ぎを見たんだけどさ、腕や足の動きがバラバラじゃない? あんなんじゃいくら泳いだって体力 の無駄使いだよ。だけど、俺が指導すれば、すぐに速く泳げるようになるぜ」 「……速く?」 「ああ、オリンピック代表候補にもなった俺が保証するぜ」  速く泳げるように…か……結構それはいいかも……  さっき片道泳ぐのにあれだけ時間をかけた上に体力のほとんどを使い果たしていたあたしは、その言葉に少し だけ引かれてしまう。だけど…… 「……やっぱりいいです。間に合ってますから」  別に速く泳げたからってあたしが男に戻れるわけじゃないし、明日香と泳ぎに行くわけでもないし……行きた い事は行きたいんだけどね。でも、一番イヤなのはこの男から教わるって言う事だった。さっきからあたしの気 を引こうとあの手この手と話題を振り、確かに興味が無くは無いんだけど、握られていた手を無理矢理振り払い、 あたしは泳ぐ気も無くしてそのまま出入り口に向かって歩き出した。 「ま、待ってよ。そんなに急がなくたっていいじゃないか。どうせなら俺の泳ぎを見ていってよ。そしたら君だ って俺に惚れて――」 「いいかげんに……して!」  ズムッ! 「ホオゥゥッ!!?」  振り向きざま一閃。あたしもこうも見事に決まるとは思ってなかったけど、立ち去ろうとする男が掴んできた 肩を支点にして後ろを振り向くと、思わず突き出した膝が相手の股間にモロ直撃してしまった。ゴムのような固 い弾力のある感触と同時に生暖かい感触が膝に伝わってくる。 「あっ……大丈夫…じゃないですよね、やっぱり……」  あたしもあまりのしつこさに対する咄嗟の行動だったとはいえ、股間を蹴り上げられた男の硬直した顔が目の 前にあると、その痛みを知っているだけに今は無き自分のおチ○チンにも同じような激痛が走っているような気 分がして、まさにこれは他人事ではなかった。  さすがに悪い気がしてしまい、恐る恐る膝を引くと、悶絶したまま呼吸も止めてしまった男はゆっくりと股間 を抑えながら床へと崩れ落ちていく。 「あ…あの…その…ごめんなさい!」  おそらくあたしの声など聞こえちゃいないだろうけど、頭を下げながら一言謝ると、あたしはプールにいた人 たちの注目を浴びながらダッシュでその場を後にした。 「はぁぁ……プールもダメになっちゃった……どうしよう、せっかく静香さんが連れてきてくれたのに……はぁ ぁ……」  軽く体を拭き、水着と一緒に渡されたパーカーを羽織って自販機横のベンチ(3F)に座ったあたしは、長々と 溜息をついていた。  あたしだって最初はこんなつもりじゃなかった。スポーツジムに連れてきてくれるって言うから気持ちよく汗 が流せると思ったし、静香さんも嬉しそうにしていたから、それだけでも来る価値はあったと思っていた。  だけど蓋をあけてみれば、行く先々で痴漢ばっかり出る始末……静香さんに心配をかけまいと明るく振舞って はいたけれど、あたしはすっかり楽しい気分なんてどこかに吹き飛んでしまっていた。 「はぁぁ……一人で帰る事もできないし、これからどうしようかなぁ……」 「やっぱり楽しく無かったの?」 「楽しく無かったってわけじゃないんだけど………静香さん、いつの間にか現れるのは、お願いだからやめて」 「そう? 私は構わない」  あたしの方が構うんだってば……もう……  いいかげん慣れたとは言っても、気づかぬうちに隣に座っている静香さんの少し驚いたあたしが横に顔を向け ると、あたしと同じ顔をした彼女はあたし以上に深く俯き、ギュッと両手でスカートを握り締めていた。 「あの…静香さん、何かあったの? すごく落ちこんでるようだけど……」 「ごめん…なさい……」  心配になって声をかけたあたしは、そうつぶやく静香さんの声を聞き取る事ができた。  ごめんなさいって……あたしが言う方じゃないのかな? せっかく連れてきてもらったのに、全然楽しめなく て……  だけど、それを口にする事はできない。たぶん、静香さんには静香さんなりの理由があってあたしに謝ってる んだろうし……あたしがそれに口を挟んじゃいけないような気がする。  とは言っても、こうやって俯いてる女の子を放っても置けないのがあたしの唯一のいいところ(自慢して言え る事じゃないけど…)。ウンウン頭を捻って思いついた静香さんを元気にさせる方法とは―― 「ねぇ、静香さん、よかったら散歩に行かない?」 「え…でも、運動は……」 「歩くぐらいだったら全然運動じゃないって。それにさ、今日はいい天気だし、こんな自然がいっぱいある綺麗 なところに来てるんだもん。いっつも寮の中にばっかりいるんだから、ちょっとぐらい外を歩いたほうがいいて。 ね、決まり♪」 「あ、あの……」  突然の展開に戸惑う静香さんの意見を聞かずに散歩する事を決めたあたしは、ベンチから元気よく立ちあがる。 「ちょっと待っててね。さすがに水着じゃ外に出れないから着替えてくる。せっかく作ってくれたのに、あんま り泳がなくてごめんね」 「それはいいの。でも……散歩って二人で?」  あたしの顔を見上げて静香さんが不安げに尋ねてくる。それに答えるあたしが明るい笑顔を浮かべて、 「うん、当然♪ 二人の方が楽しいに決まってるでしょ?」  と肯いて見せると、それまで暗かった彼女の顔にも少し照れた感じの笑みが生まれ始めていた。    ちなみに―― 「ううう……お嬢様はよいご友人をお持ちになられた……熊田はうれしゅうございますぞ……くううぅぅぅ!」  と、廊下の角からあたしたちを盗み見て、熊田さんが感涙を流していた事は……ちょっとだけ見ちゃったけど 見ない振り………


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