Dルートその2


「そんなに硬くなさらず、気楽にしてください。さ、どうぞ。」 「は、はい…いただきます」  ソファーに座ったあたしの前のテーブルに高そうな陶磁器のカップに入れられた紅茶が置かれた。それを  両手で落とさないように慎重に持ち上げつつ、チラチラと部屋の様子をうかがった。  室内は想像通り広く、今いる部屋だけでもあたしの部屋の三・四倍はあろうかという大きさで、フロー  リングの床に南向きの窓から暖かな光りが降り注いでいる。そしてあたしの想像とは逆に、家具は思った  よりも少ないけれど、適所に置かれた品のよいソファーやテーブルは部屋全体に上品な印象を与えていて、  ごちゃごちゃとしていないだけ、落ちついて座っていられる。  ……どう見てもお金持ち…………う〜ん……本当にこんなところでエステとかマッサージとかしてるのかなぁ……… 「……あ、おいしい……」  手のひらにジワリと温もりを伝えてくるティーカップに口をつけると、ミルクでやわらげられた紅茶のふくよかな  香りと、思わずホッ…とため息が出てしまいそうな甘味が口から身体中に広がっていく。 「お気にめしてくれて嬉しいです。苦味の少ない紅茶の歯をティーパックに入れてゆっくりと煮出したものです。  それほど高いものではありませんけれど、お代わりならありますから」  高いものじゃないって……あたしが今まで飲んだ紅茶の中で、絶対に一番おいしいものなんだけどな…… 「あの……つまらない事をお聞きしていいですか?」 「聞きたい事…ですか? 別に構いませんよ」  そうだとは思うんだけど…やっぱり気になっちゃうし……  あいも変わらず、自ら墓穴を掘っちゃいそうな質問だとは自覚しながらも、あたしは先生に向かっておずおずと  口を開いた。 「えっと……ここってマッサージのお店ですよね?」 「はい、そうですよ」  ………なんだか、妙にあっさりした答え……普通はこんなものなの? 「初めて来られる方でそう言う質問をされる方は多いんですよ。一応出張マッサージとかもしていますが、そんな  人がここに来るとやっぱりイメージとは違うみたいです。ここは僕の自宅も兼ねていますし、マッサージの仕事  は趣味でやっているようなものですから、それほど診療所と言う雰囲気にしていないんです」 「へぇ〜……でも、趣味で…ですか?」 「ええ。まぁ、お金には不自由していませんしね。このマンションの他にもビルをいくつか持っていますし」  び…ビル〜〜〜!? ビルを持ってるって……もしかして、そうは思ってたけど、やっぱりお金持ち!? 「スゴいなぁ…女の人なのに……」 「そんなにスゴくは無いですよ。親の遺産ではじめた事業が偶然大当たりしただけですから。それを別の会社に  売って手に入れたお金ですから。それと僕は男ですよ」 「そんな事無いです、スゴいですよ。事業で大当たりなんてそんな簡単に……………男?」  き…聞き間違いかな? まさか、この人が男だなんて、そんな…… 「そうですよ。こんな外見をしていますけど正真正銘、100%、生物学的にはれっきとした男です」  まさか…と思ったあたしは手に持ったカップをお皿の上に置き、向き合うようにソファーに座った目の前の人物  を改めて観察しなおした。  何処からどう見ても女の人のような顔…しかも美人……髪も腰に届くぐらいに長いし、ちゃんと手入れされてて  サラサラだし……男と言われて信じられるのは平らな胸ぐらいだけど……ウェストもキュッと締まってて、座り  方も足開いてないし、服を着ていても何処と無く清楚な色っぽさが…… 「そんな…あんまり見ないで下さいよ。恥ずかしいじゃないですか」 「……あ、すみません……ちょっと信じられなくて……」 「自分で言うのもなんですけれど、こんな外見ですしね。街でも女性に間違われてスカウトやナンパされる事も  ありますから」  そうでしょうね。はっきり言って、何処からどう見ても女の人だもん。今でも信じられない………もしかして、  からかわれてるとか……でも、これで男……あたしと今の性別を入れ替えたらちょうどいいのに…… 「うう……神様のイジワル……」 「さて、今度は僕の方から質問しましょうか」 「えっ!?……な、なんでしょうか……」  小さな声で運命に翻弄される自分の運命を軽く呪ってみたりしているところへ、耳に心地よく響く美声に声を  かけられる。  慌てて背筋を伸ばし、姿勢を正す。そんなあたしの行動を、先生は顎に指をかけて腕組みをし、切れ長の目を  すぅ…と細めて見続ける。さっきまで優しさと上品さに満ちていた目が、どこか冷たく、刺し貫くかのような  視線へと変わり、それに気付いたあたしの背中に冷や汗が流れ落ちる。その打って変わったクールな表情は、  まるであたしを観察し、何かを推し量っているかのようにさえ感じられる…… 「………ここへはどう言った目的でいらしたんですか?」 「目的…ですか?」  ある意味恐いとさえ思える視線に見つめ続けられ、何を言われるのだろうかと緊張して待ちつづけていたあたし  は、先生の言った事を思わず反芻してしまう。 「あの……ちょっとダイエットを……」 「ダイエットですか!?」  さすがに口にするのは恥ずかしかったけど、今からマッサージしてもらう以上は話していた方がいいかと思い、  小さな声でここにきた理由を口にした途端、先生は驚いたかのように大きな声を上げた。 「え? あの…あたし、変な事言いましたか?」 「いえ……失礼とは知りつつ、あなたの身体を観察させていただいたのですが、それほど余分な脂肪が身体に  ついているとは思えなかったもので……」 「ほんとですか!?」  だったらダイエットなんてしなくてもいいじゃない。ラッキー♪…あ、でも、今回はあたしの命と言うか、  男に戻ったときの身の安全が掛かってるしなぁ…… 「服の下を見てみないことには正確には分かりませんが……では、はじめましょうか」  そういって、先生は長い髪を揺らしながらソファーからよどむ事無く優雅な動作でまっすぐ立ちあがった。 「はじめるって…やっぱり脱ぐんですか?」  先生の言葉を思い返し、自然と両手でワンピースの胸元を押さえる。  先生が男の人だって言うんなら……服を脱ぐのって……そんなの………いくら女性のような外見をしている  とは言っても、まぁ、人前で脱ぐ事自体恥ずかしいし…… 「あ、す、すみません。なにも僕の前で脱がなくてもいいんですよ。そもそも裸という意味ではなくて、下着姿  でも構いませんが――」 「下着ですか!? そ、それはちょっと……」  今あたしが履いているのは三枚千円、薄いブルーのブラ&ショーツセット。外国製だけど、見た目や肌触りも  そこそこいいし、何より、すぐに男に戻れるんだから高いものを買ってもしょうがないと思って、安いものを  選んだんだけど……とてもこの先生にお見せできるものではありません、はい。 「気になさらなくてもいいですよ。下着が恥ずかしいなら、水着に着替えてくだされば。オイルとかを使います  ので服を着たままというのはご遠慮下さい」 「でも…あたし、水着を持ってきてないんですけど……」  持ってきているのは小さなポシェットだけで、中には財布やハンカチぐらいしか入ってない。それに、水着を  持って来いなんて、美由紀さんは言ってなかったし…… 「大丈夫です。水着はこちらが用意していますから。あちらの部屋に衣装室とバスルームがあります。マッサージ  の前にある程度身体を温めておいたほうがいいので、着替える前にお風呂に入ってください。もし汚れとかが  気になるのなら身体を洗って頂いても結構ですよ。着替えられましたらバスローブを着て、向こうの部屋まで  きていただけますか?」 「はぁ…分かりました」  向こうねぇ……遠いなぁ……  決まり事のようにこれからする事を説明した先生の指差した方向……あたしの背中側にある扉……そこまで一体  何メートルあるのやら……  室内であるはずなのに、この広さ……あたしは貧富の差と言うものを実感しながら席を立ち、言われたとおりに  シャワー室に向かい始めた。


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