Aルートその3


「うわああぁぁぁ〜〜〜〜〜〜!!!」  がばぁ!!  あたしの意識が自分で発した大声によって強制的に目覚めさせられる!!  どすん  そしてそのまま後ろに倒れこみ、あたしの身体はベッドのマットレスに沈みこんでから力強く跳ね返されて、  二度三度とバウンドを繰り返した。 「……………あれ?」  たしか………今さっきまで学校の教室にいたような気が……おや???  仰向けになっているあたしの視線は当然上を向いているけど、薄暗い視界の隅々にまで移る天井は教室の白く  味気ない天井や照明なんかではなく、何処かで見た事のある……どこだっけ?  もしあたしが記憶通りに教室にいたんだとすると、ここは保健室……でもなさそうだし……  女になってからいろんな意味で寝ることが多くなった保健室のベッドはもう少し固くて、こんなに弾力は無い。  背中に当たる感触は少し固めではあるものの、沈み込もうとするあたしの身体をしっかりと受けとめてくれて  いる。  じゃあ……さっきのは夢?……だったら……あぁ、そうか。ここってあたしの部屋じゃない。  ようやくこの天井が何処の天井かを理解して身を起こして周りを見まわす。 「あ……制服じゃない……やっぱり夢だったのかな………」  ガチャ  今が何時かもわからず、暗さから見て真夜中ではないと思っていた時、前触れも無く部屋の扉が開き始めた。  そして開いた隙間から滑るように入ってきた真っ黒な人影は、扉の近くで何やら動きを見せて―― 「ん……」  急に視界を見たし真っ白な光に、目が慣れていなかったあたしはとっさにまぶたを閉じて、手のひらで目を  閉じていてもまぶしく感じる光をさえぎった。 「たくや……起きたの?」 「ん……明日香?」  眼の端に涙を浮かべながらも徐々に明るい世界に慣れてきた瞳を開くと、扉のそばにある電灯のスイッチの  ところに制服姿の明日香が立っていた。 「………ひょっとして、もう学校に行くの?はぁ……マラソンはイヤだなぁ……」  明日香が制服を着てあたしの部屋に入ってきたって言う事は、もう既に朝になっていて、これから地獄の登校  マラソンが始まると言う事である。 「あ……違うの……マラソンは……もうしなくていいから……」 「ほ…ほんと!?ほんとにもうしなくてもいいの!?」 「………うん」  ?…なんだろ……明日香、なんだか変な感じがするな………  どこか影を感じる喋り方をしながら、手を後ろに回した明日香はベッドの側に近づいてきて、未だに布団の中  にいるあたしのすぐ側に立った。 「あのさ……あたしって、学校にいなかったっけ?確かそんな気がするんだけど、どうも自信が無くて……」  明日香が一言も話し掛けてくれないので妙に重たく感じる空気に耐えきれなくなったあたしはどうでもいいよう  なことを明日香に尋ねると、少し間を置いてから近づいてきてから初めて明日香が口を開いた。  お願いだから、もっと明るく喋ってよ……間なんか開けないで…… 「.あの後……倒れたたくやを保健室に運び込んで……いつまでたっても目を覚まさないから松永先生が車で運んで  くれたの……」 「へぇ………って、あたし倒れたの!? いつ!? なんで!?」  たしか……えっと…えっと……教室に入って机に突っ伏したところまでは覚えてるわよね……その後は……その  まま寝ちゃったのかな?  その時の事を何とか思い出そうとしても、その部分だけすっぽりと無くなったかのように思い出す事ができず、  あれやこれやと首を捻っているあたしを無視しているのか、それとも気付いているのかいないのか、明日香は  静かに抑揚無く話しつづける。 「私……本当はダイエットのやり方なんて知らなかったんだ……ただ、運動して、食事をしなかったら痩せると  思って……でも、それじゃダメだったんだよね……先生にいろいろ教えてもらって………私……たくやに無茶  な事ばかりやらせちゃって……」 「………明日香?」  下から覗きこむ形で明日香の顔を見ると、俯いて下に垂れた前髪に隠れて瞳は見えないけど、時折、光るものが  明日香の髪の間から真っ直ぐ下に落ちていく。  明日香………泣いてるの? な…なんで? 普通はここであたしが「ひどいよ明日香!」とかぶちぶち言いながら  泣いちゃうシーンじゃないの?ひどい事されたのはあたしの方なのに! 「ごめん…な…さい……ただ……私……他のみんなに…負けたくなくって………だから……それで………」 「うっ……」  それって……焼きもち……なのかな? 今のあたしは女だから別に女の子と仲良くしてもいいと思うんだけど……  それでも……明日香はあたしの「男」でいて欲しかったのかな………?  零れ落ちる涙の粒……わずかに震える小さな肩……身体の内側に渦巻いている自分の気持ちを押さえようと必死  に耐えているその姿に……あたしは……… 「だ…だからね、今日は今までのお詫びにたくやの好きなものを食べさせてあげる。私がたくやの食べたいって  思ってるものをいっぱい食べさせてあげるから!」 「へ? え?……あたしの食べたいもの……??」  急に大きな声でできるだけ明るく喋った明日香のその言葉と同時に、あたしの頭の中は明日香への心配は何処  へやら、大量の涎を口の中に溢れさせながら、いろんな美味しそうなものの想像でいっぱいになってしまった。  えっと、まずはハンバーグでしょ、エビフライでしょ、焼肉でしょ、カツ丼でしょ、ラーメンに焼き魚、お鍋  なんかもいいかな〜〜、あ、ご飯も食べたいな〜〜、ほかほかで湯気の立つ真っ白いご飯♪ それと絶対に甘い  ものよね、チョコレートパフェにイチゴケーキに白玉ぜんざいにプリンにあんみつにそれから、それから…………  あぁ〜ん、たくさんありすぎて困っちゃうよ〜〜〜♪  この三日間、ろくに働く事もできずに小さくなっていた胃袋がいたくなるぐらいの勢いでどんどん広がっていく。 「ねぇねぇ明日香、本当になんでもいいの!? どれだけ食べても怒らない!?」 「うん……もう、ダイエットはいいから……私は…たくやが元気だったら……それでいいの……」 「ん〜〜、それじゃあ何から食べよっかな〜〜、あれもいいな〜〜、これもいいかな〜〜♪」 「もう……たくやったらすぐにこれなんだから。ふふふ♪」  さっきまであんなに悲しそうにしていた明日香の顔が、あたしのあれこれ想像する様を見て何が面白かったの  だろうか、片手で軽く口元を押さえながらくすっと小さな笑みを見せる。 「あ〜〜、明日香が笑った〜〜! 明日香のせいでこの三日間、あたしがどれだけ苦しい思いしたと思ってるのよ!」 「ごめんって言ってるでしょ。だからそんなに怒らないの」 「むぅぅぅ……わかったわよ、だから早くご飯ご飯♪」 「え? 今すぐ食べるの? じゃあ最初はおかゆとか胃に優しいものから食べたほうがいいわね。ちょっと台所  を借りて作ってあげるから待っててね」 「えぇ〜〜〜〜〜〜、おかゆ〜〜〜〜!? いや、絶対やだ。もっと美味しそうなものがいい!!」  露骨に非難の声を上げるあたし。だって、お腹ペコペコなのにおかゆなんか食べてられないもん!!  ほとんど駄々っ子のように我侭声を上げるあたしを見て明日香はさらに顔をほころばせる。 「しょうがないわね……だったら私がたくやに一番食べたいものを今すぐ食べさせてあげるから、それで我慢  してね」 「あたしの……一番食べたいもの?」  明日香ってば妙に自信満万ね……できればいろんなものを一度に食べたいって言う気分とお腹なんだけど……  でも気になるな……明日香ってばあたしの事は子供の頃の事からなんでもかんでも知ってるから、あたしでも  気付かないような好物を知ってるのかな? ま、明日香の料理はなんでも美味しいんだけど…… 「なんなの、あたしの一番食べたいものって?」 「それはね……これ」  そう言うと、明日香は後ろに回していた手をあたしに向かって突きつける。その手に握られていたものは―― 「………ソーセージ?」 「そう。だって、たくやはこれが大好きでしょ?」 「確かに好きだけど……」  明日香が握っているソーセージは普通のソーセージとはかなり違っていた。何より目を引くのはその大きさ。  たぶん30cmか40cmはあろうかという長さで、太さは明日香の親指と人差し指が回りきらないぐらいある。  普通のスーパーなんかに売っているようなものではなく、どう見ても「これぞ本物!!」とか言ってTVで紹介  されていそうな程の一品である。  確かに美味しそうだけど……なんか変よね? ハムとかならまだしもソーセージでこの大きさと太さ……形は  ともかく、色は茶色っぽくなくて肌色に近くて…… 「どうしたの? 遠慮せずに食べてもいいのよ?」 「え? えぇ…ちょっと大きすぎるからビックリしちゃって……」 「そう? だってたくやってばいつもこれぐらいの大きさのを食べちゃってるんでしょ?」 「えっ?」  あたしが疑問の言葉を発する前に動き出した明日香の手が巨大ソーセージを口元に持っていくと、小さな唇から  ちょっとだけ舌を突き出して、中ほどから上に向けた先端に向かってつつつ〜〜っと舐め上げた。その様は……  まるでアレのようで……… 「そうだ。たくや、まだ身体のほうはフラフラでしょ?」 「へ? う…うん、まだちょっと重いかな……」  明日香の行動につい見入ってしまったあたしはその言葉に我に帰って、慌てて返事をする。そして、その言葉が  間違いだった……… 「だったら……私がたくやに食べさせてあげる……このソーセージ……」 「ほへ?」  あの〜〜、明日香さん、何を言ってらっしゃるんで………? 「たくや……いっぱい食べてね♪ いくらだって食べていいんだから……ふふふ♪」  ふと明日香と視線が合う。  その奥には、今まで何度か見た事のある熱いゆらぎが見えたような気がした……


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