Aルートその2


三日後―― 「はうぅぅ……」  ばたん  始業五分前に教室に入ってきたあたしは自分の席につくと、最近毎日の恒例 になったかのように、机の上に突っ伏して、タオルで拭いきれなかった汗でし っとりと汗ばむ頬を冷たい板に貼りつけた。腕で枕を作ると、それも熱いの で、汗が垂れようが、涎が垂れようが、顔を全開に開いた窓のほうに向けて、 閉じきらない目を半開きに開いてぼんやりとする。  今日も今日とて朝からマラソン……帰りもバイトがある日以外はマラソ ン……ここのところ食事は豆腐一丁とかトマト一個とかきゅうり一本とか…… 財布も明日香に没収されちゃったから買い食いもできない……ダイエットっ て……こんなに厳しいんだ……… 「よ、たくやちゃん。相変わらず朝から精が出るね〜〜。俺は絶対に徒歩通学 なんかしたくないけどな」 「あ……おは…よ……」  鼻を机に擦りつけながら顔を反対側に向けると、ニヤニヤ笑ってる大介と、 心配そうにあたしを見ている由美子が並んで寝ていた………あ、横になってる のはあたしの視界か…… 「三日でずいぶん痩せたわね……というより、やつれたって言う感じね。げっ そりしてるわよ」 「そ……痩せ……よかっ……はは……」 「ちょっと、ほんとに大丈夫? 無茶なダイエットは逆に身体に悪いわよ。あ と急激に痩せるのも」 「そ……よかっ………あは……」  なんでそんな心配そうな顔をしてるんだろ……あたしは…やせなきゃいけな いんだ……やせなかったら死ぬんだぁ………  ろくに聞こえない由美子の声に適当に相槌を打ちながら――というより、乾 いた笑い声ぐらいしかできないけど――少しでも体力を回復させるために徐々 にまどろみの中に落ちていこうとしていた。 「これはダメだわ。ちょっと大介、あんた何か食べるもの持ってないの?」 「食いもん? ま、授業中に食おうと思ってコンビニで買ってきたヤキソバパ ンならあるけど」 「それ持ってきて。このままじゃ相原くんが死んじゃうわ。明日香が職員室に 行ってる間に早く!」 「別にいいけど……たくやちゃん金持ってないんだろ? 俺の120円はどう なるんだよ」 「私が払ったげるからとっとと持ってきなさい。大介だって友達が倒れるのは イヤでしょうが」 「まぁ……金は後でたくやちゃんに身体を返してもらうか。元気になったらお フェラとか」 「あんたはクラス中の女子を敵に回したい?」 「………謹んで献上させていただきます」  なんだかうるさいなぁ……授業が始まるまで時間が無いんだから………でも 授業中も寝ちゃうけど……寝てた授業は明日香がノートを見せてくれるし……  まぶたの向こうから聞こえてくる騒音に辟易しながらも、あたしの意識はど んどんとまどろみの中に沈んでいく……  あ………頭が机の中に沈み込んでいく……手がだんだん長くなって下に落ち ていく………一番疲れてる足もどんどんと溶けて、地面の中に沈んでい く……… 「くぅ〜〜〜」  ぐぅ〜〜〜  ううう………お腹だけが………減りすぎちゃって………なんだか苦しい…… ていうか痛い………お腹と背中が……くっついちゃうって言うのは……こんな 感じなんだね………朝だって……食べてないのに…………寝ちゃえば……苦し い事も無くなるし…… 「ほ〜れ、ヤキソバパンだぞ〜〜」  ふと、あたしの横を向いている鼻先に何かを突きつけられた気配がした。  ………なに……いったい……………………ん?  あたしの鼻が美味しそうな匂いを嗅ぎとってヒクヒクと勝手に動く。 「ほれほれほれ〜〜、腹減ってるんだろ〜〜、おしゃぶりしてくれるんなら― ―ぐはぁ!!」 「まだ言うか、この変態男は。相原くん、目を開けて。早く食べないと明日香 が帰ってきちゃうよ」  この匂いは……ソース……パン……青海苔……  きゅるるるるるるるる〜〜〜〜〜〜ぎゅるるるるるるるるるる〜〜〜〜〜〜 〜 「うわ、すっごい音。よっぽどお腹が空いてたのね………さ、遠慮せずに早く 食べて」 「お…俺のおフェラ……」  ぐしゃ 「お金の事は気にしなくてもいいからね。さ、まだ暖かくて美味しそうよ〜 〜」  美味しそう?  少しずつ起き始め、その言葉を聞いた意識がゆっくりと目が開き始める。  そして見つける茶色い物体………それは!! 「パン!!」  そうと認識した瞬間、あたしの本能がすかさず獲物を狩り取った!!  手を伸ばして由美子の手からヤキソバパンを奪い取ったあたしは形が潰れる のも構わず強く握り締め、そのまま椅子から滑り落ちた。 「パン!! ヤキソバパン!! パン〜〜!!!」  近くの机数個を動かすほど派手に倒れたけど、そんなことは気にせず――と 言うより気付かずに、あたしは床に正座で身を起こして、手の中の潰れたヤキ ソバパンをまるで宝石でも見つめるようにうっとりと眺めた。 「あぁ……ヤキソバパン……美味しそうなソースの匂い……上にふってある青 海苔に紅生姜……に…人間の食べ物〜〜〜♪」 「そ…そこまでお腹が減ってたの? 明日香は一体どんなもの食べさせてた の?」 「食べ物食べ物〜〜〜♪」  あたしは回りのことなど一切気にせず、急いでパンを包むビニールを外し、 妙にくびれたパンの先端を口の近くに持っていく。 「いっただっきま〜〜〜〜〜」 「たくや、何をしようとしてるの?」  ぴた  今にも大きく開き、唾液がこぼれそうになるぐらい溢れている口の中にパン をつき入れようとしていた手の動きが、その声が聞こえた直後にぴたりと止ま る。 「た〜く〜や〜ちゃ〜〜ん、何をしようとしてるのかな〜〜?」 「は…はふは(明日香)……はんへほほひ(どうしてここに)……」 「口を閉じて喋りなさい」 「はひ(はい)……」  振りかえるのが恐い……だって……だって……… 「由美子、ダメじゃない。たくやはダイエット中だって知ってるでしょ。どう して止めてくれないのよ」 「だって……相原くん、とてもぐったりしてたから……」  由美子と話し始めた明日香が気になって、ちらっとだけ後ろを振り返ると、 プリントを両手に抱えた明日香が眉を逆立てているのが見て取れた。 「とにかく!! これは没収!!」  プリントを近くの机の上に置いた明日香はあたしの手から有無を言わさず、 ヤキソバパンを取り上げてしまった。 「あぁ、あたしのヤキソバパン!!」 「そんなに手を伸ばしたってダメ!! たくやはダイエットしなきゃ命が危な いってわかってるの!? こんなの食べたら今までの苦労が水の泡でしょ う!!」  慌てて立ち上がって高く伸ばされた明日香の手に握られたヤキソバパンを取 り返そうとあたしも手を伸ばすけど、明日香はそんなあたしを振り払ってつか つかと教室の後ろに歩いていくと、躊躇無くパンをゴミ箱の中に投げ入れ た!! 「あぁ、俺のヤキソバパン!!」  なんか足元のほうで大介の声が聞こえたような気がしたけど……そんなのに 構ってられない!! 「あ……あ………」  あたしあ震える足に鞭打って、ふらふらとゴミ箱に向かって歩いていく。 「ちょっとたくや!! あんたはゴミ箱の中のものを食べようっていう の!?」 「ヤキソバ〜〜…ヤキソバパン〜……」  どんなに離れてたって……ちゃんと食べてあげるから〜〜……  幽霊かゾンビかといった感じでゴミ箱に向かうあたしを慌てて明日香が取り 押さえる。  もともと力も無く、食事制限運動付きの日々で体力ゲージが空っぽの今のあ たしならあっさりと明日香に取り押さえられるはずなのに、ヤキソバパンへの 執念か、クラス中の人間が見つめる中、ズルッズルッと明日香を引きずってゴ ミ箱に向かっていく。 「た…食べ物〜〜〜〜…」 「だめだって言ってるでしょうが!!!」  歩みを止めないあたしに業を煮やした明日香が力いっぱいあたしを押し返 す。 「あう……」  ふら……ぱたん……… 「?……たくや、ちょっとどうしたの?」 「………………………………………」  ………あ……天井が………ケーキだぁ……真っ白生クリームのケーキだ ぁ………おいしそ……………… 「たくや? ちょっと、なんで倒れちゃうのよ、たくや、たくやってば!?」  ケーキがいっぱい……あはははは………いっぱい…いっぱいなの〜〜 〜……………  そして……あたしはとうとうヤキソバパンもケーキも食べれないまま、意識 をぷっつりと無くしてしまった………


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