]][.準備


「よっ……ふぅ〜〜…あ〜〜、重かった」  あたしは両手で持ち上げていた夕食の料理がずらっと並んで入っている容器を大広間の入り口に二段積まれた  同じような容器の上に積み上げた。 「ったく……タク坊、ちょっと情けねぇぞ」  どんっ 「きゃっ!」  重たい荷物から開放されてだるくなった手首をブラブラと振っていると、後ろからやってきた真琴さんが手に  持つ容器にミニスカートに包まれたお尻を押しのけられた。 「いったぁ……真琴さん、ひどいですよ!!」 「そんなところに突っ立ってるおまえが悪い。ただでさえ人手が少ないんだからさっさと働け!! と言うわけで、  あゆみ、料理はこれで全部運び終わったよ」 「うん、分かった。じゃあ、あとは並べるだけね」  畳の上に最後の容器二つを置く真琴さんが広間の中で膳に箸とかお手拭を並べていたあゆみさんに声を書けると、  振りかえらずに返事が返ってくる。当然その間も手は動き続けたまま。さすが若女将……  あたしとあゆみさんの二人を同じに相手にして力を使い果たし、真っ白を通り越して存在自体が希薄になりかけて  いた隆幸さんは、さすがに現在ダウン中。今ごろはあたしが寝ていたソファーの上でうめきながら寝てると思う。  ……あたしの顔のどこが恐いんだろう? 顔を合わせた途端悲鳴を上げるし……自分で言うのもなんだけど、結構  かわいいと思ってたんだけどなぁ……  そんなわけで隆幸さんの介抱に時間を取られ、五人でやる仕事を四人でこなし、さらにその上タイミングが悪い事  に、全員の食事がいつもより豪華で品数が多い!! すでに予定していた夕食の時間はあと五分のところまで迫  っているけどお膳の上に載っているのは二品だけ!!  もう間に合わない!!………けど、ま、もうあきらめてるから梅さんが食事が遅くなるって各部屋に電話で連絡  している。急いで準備して料理を落っことしたりしたら大変だもんね。  しかし、その前に梅さんはどこ行ったのよ〜〜!! 猫の手も老人の手も借りたいのに〜〜!! 「しっかしタク坊、お前って男のわりに貧弱だよな〜〜。あたしでも持てるのになんで持てないんだ?」  それぞれが料理の入った容器を持って九人分の夕食を並べていると真琴さんが不思議そうにあたしに聞いてきた。 「どうせあたしは貧弱ですよ………ボソッ(それに真琴さんが馬鹿力だから)………」 「ほぉ〜〜…そう言う事を言うか……いい覚悟してるじゃないか!!」 「な、なんで小さな声で言ったのに聞こえるんですか!?」 「うるせぇ!! 地獄耳なのがそんなに悪いか!! そんなにあたしは女らしくないってのか!! 自分の胸が  ちょっとデカいからって言いたい事言ってくれるじゃねぇか!!」 「そんな事まで言ってません!!」 「偉そうな口を聞くのはこの胸か!? この胸か!! この胸かぁ〜〜!!」 「あぁん♪ そ…そんなに強く握ったら……んっ…ふぁ……」 「二人とも!! 遊んでないでちゃんと仕事して!!」  仕事そっちのけで畳の上でじゃれあっていたあたしと真琴さんに、初めて聞くあゆみさんの怒鳴り声が飛んできた!! 「「す…すみません……」」  あまりに意外な人物からの意外なお叱り。ぴたりと動きを止めて、妙にハモるあたし達の謝る声。 「あ……ごめんなさい……私の方こそ…あんなに大きな声……出しちゃって……」  なぜか悪いことをしていたあたしたちに謝ると、あゆみさんは顔を真っ赤にしながら再びお膳のほうに向き直った。 「び…ビックリした……あゆみさんもあんな風に怒るんですね……」 「あたしも結構長い付き合いだけどはじめて聞いた……ありゃきっとタカ坊が自分のことを構わず遊びまくってたから、  ちょっと頭にきてるんだろうな」  おっ!? なんだか久しぶりに聞く真琴さんの迷推理! 「いえ…それは無いと思いますけど……それだったら倒れちゃった隆幸さんが心配だけど自分は仕事しなくいちゃ  いけないから……って言うほうがぴったりきませんか?」  なんて、ついあたしも合いの手を入れてしまう。だって構わなかったわけじゃないし…… 「もう……二人してそんなに言わなくても……いじわる……くすん……」  だって、あゆみさんって、つい自然といじめたくなると言うかなんと言うか……そんな風にすぐいじける所も  なんだかかわいいし♪ 「悪い悪い、つい調子に乗っちゃって♪」 「もう……そういえば今日はたくさん料理があるね。いったいどうしたの?」  あゆみさんの手はお膳の上に綺麗に盛り付けられたお刺身の乗った皿を置いている。あゆみさんがそう言う風  に不思議に思う以上、この豪勢さはめったに無いものなんだと分かる。 「いや、それなんだけどさ、仕入れに行く前に夏目って言う客が金を出すからご馳走作れって梅さんが言ったん  だよ。おかげで川に魚を釣りに行かなくてもすんだし、腕だけは久しぶりに奮えたしな」 「? 腕だけなんですか?」  ふと真琴さんの言葉が耳に残り、料理を並べる手を止めて聞き返した。 「ん……ちょっとね。気になることがあって……な。気分が乗らなかったんだよ。でも、ちゃんと仕事はしたけどね」 「気分が乗らなかったって……そんなのでいいんですか?」 「あたしだってそんな時ぐらいあるに決まってるだろ。一体あたしのことをなんだと思ってるんだ?」 「えっと……男らしい板前さん」 「ほぉ……、まだそんな口が聞けるのか? 根性だけは一丁前だな……」  がしっ  あたしの目の前が急に真っ暗になる。そしてその直後、万力で締め付けられるみたいに頭に激痛が走る、って  言う前に潰れる〜〜!! 「いたぁ〜〜!! イタイイタイ、イタ痛いたぁ!! ギブ、ギブアップギブアップ、ブレイクブレイク、真琴  さんギブア〜〜ップ!!」 「おらおらおら〜〜、トマトみたいに潰しちゃうぞ〜〜!」  真琴さんはあたしが叫びながら身体や床を叩くのを無視して、こめかみや頭に食いこませた五本の指をさらに  締め上げていく!! 「ああぁ〜〜〜〜〜!!! あ〜〜、あ〜〜、ああぁ〜〜〜!!」 「何をやっておるかぁぁ〜〜〜〜〜〜!!! 遊んどらんでさっさと準備をせんか〜〜〜〜〜!!!」 「わひゃひゃひゃああぁぁぁ〜〜〜!!!」  大広間の入り口から飛んで来た怒鳴り声にあたしとあゆみさんは慌てて畳の上を後退さった。  び…ビックリした! 一体何が?……あ、梅さん!! 「時間が無いと言うのが分からんのか!! 夕食の時間はとっくに過ぎておるんじゃぞ!!」 「はいはいはい〜〜!! わかってます、ちゃんと仕事してます〜〜!!」  広間の入り口でビールケースを抱えながら眉を八の字に逆立てた梅さんの怒鳴り声に、広間中がビリビリと振動  する。その声に恐縮して肩をすくめながらも、真琴さんと一緒にあたふたと急いで準備を再開する。 「まったく……少し目を離すとこれじゃから若いもんは……それよりもたくや、ちょっとこっちにきなさい」 「え………えぇぇ〜〜!! あたしだけ!? 真琴さんは一緒じゃないの!!?」  いきなり指を刺されて手招きされたって、なんであたし一人が呼ばれるの!? 真琴さんだって一緒にサボって  たじゃない!!  いきなりのお説教宣告と、一人だけ怒られるという理不尽さに、パニックになってその場からすぐには動けな  かった。  そんなあたしの肩に後ろから真琴さんがぽんっと手を置いた。 「タク坊…達者でな……短い付き合いだったけどお前の事は忘れないからな」 「何言ってるんですか!! 縁起でもないこと言わないで下さい!!」 「夕食の時間には許してもらえると思うから、頑張ってね」 「あゆみさんも助けてくれない〜〜!! みんなが、みんながあたしをいじめるよ〜〜!!」  あたしが新参者だから……周りはあたしを受け入れてくれないのね……よよよ〜〜……などと色っぽく嘆いて  いる場合でもないか。 「ふざけておる場合か!! 客室を回って夕食の準備が整う事を知らせてこんか!!」 「え!? なぁんだ、ビビっちゃって損しちゃった。それならそうと……」  ほっと胸をなでおろす。廊下で正座させられるのは御免だもん。 「たくやは慣れておらんから手の動きが遅いんじゃ。あゆみや真琴を見てみい」  で、首をめぐらすと……うっ、あたしをいじめていた真琴さんでさえ既に次の料理を並べ始めてる…… 「ここは儂がおるから、たくやは、そうじゃの……あと二十分ほどで用意が整うから、そのぐらいに広間に集ま  ってもらえるよう各部屋に伝えてくれるか」 「わかりました。それじゃ、早速――」  そこまで言ってから、各部屋の住人の顔を思い浮かべる。  一階の遼子さんと男四人組――遼子さんはともかく、あの夏目とか言う人は恐いし、他の三人にも昨日ビール  まみれにされたし……  二階の砥部さん親子――今日は朝から腰が抜けちゃうまでされちゃって……遙くんになんてどんな顔をして  会えばいいのやら……  で、最後に松永先生――部屋に入った途端、布団の中に引きこまれちゃいそう……  い…いやだ……全員と顔を合わせたくない……何処に行ってもあたしの身に危ない目が起こっちゃうような  気がする…… 「あの〜…あたしが行かなくちゃダメですか?」 「何を言うておるんじゃ!! はよう行かんか!! 時間が無いと言っとるのが、まだ分からんのか!!!」 「はい〜〜! 行ってきます〜〜!!」  最後のあがきも虚しく、あたしは梅さんの怒りが頂点に達する前に、急いで大広間を後にした―― 「まったく。タク坊もまだまだ甘いな。この旅館じゃ梅さんにだけは逆らわないほうがいいのに」 「そうね。でもたくやくんはまだ、えっと……四日目だし。でも、いろいろと頑張ってくれてるから、すぐに  お仕事に慣れると思うよ」 「それはそうだね。普通の奴なら初日で根を上げるもんな〜〜」  梅さんが反対側の準備をしていてこちらに背中を向けているのをいい事に、今度はあゆみに近づいて話し掛けた。  仕事に関しては生真面目と言うのを絵に描いたようなあゆみが、今日の午後は掃除を切りのいいところで切り  上げて、なぜか(あたしが殺す前から)死に掛けていたタカ坊同様旅館の何処にもいなくなっていたのが気に  なっていた。  卸市場の親父にもそれとなく聞いたが、二日前にタク坊をレイプした犯人が捕まったと言うニュースは未だに  聞こえてこない。  あたしも自分の仕事が無い時には旅館の中を歩きまわってあんな事が起こらないように注意してたんだけど、  特に妊娠しているあゆみの姿が見えなくて、どれだけ心配した事か。あゆみが言うには、体調を崩したタカ坊  を看病していたって言う事だけど、昼間に覗いた部屋には二人の姿も無かったし………怪しい。まさか誰かに  脅かされてるなんて事は……ま、考え過ぎか。何にも無かったみたいだしな。 「でもたくやくん、行きたくなかったんだろうな……」 「ん、なにが?」  手を動かしながらいろいろと考えをはせていると、あゆみが小さな声でつぶやきを漏らすのが聞こえた。あゆみ  はおどおどした性格だけど、モノはしっかり喋るほうだ。だけど珍しい事に語尾を濁している。 「あゆみ、タク坊と客の間でなんかあったのか? そういえばタク坊も客室のほうに行くのをいやがってたな。  もしかして、なんか嫌がらせでもされたのか?」 「え? あ、ううん、そう言う事じゃないの……ただ……」 「ただ?」  あたしはあゆみの言う事を聞き逃すまいと、触れ合うぐらいに身体を寄せて耳を近づける。 「う…ん……あんまり話したくないんだけど……」 「いいじゃねぇか。あゆみが喋ったって言わないから、ほら、言わないとあゆみの分の飯の盛りを少なくするぞ」  まぁ、こいつはもう少し飯を減らして、この胸を小さくするべきなんじゃないかとも思わないではないが…… 「……そうね…真琴さんには話しておいたほうがいいかもね……」 「うんうん」 「実は…昨日の夕食の時に……」 「こりゃ!! 喋ってる暇があったら仕事をせんか!!」 「っと、やべ!! あゆみ、その話しはまた後でな」  あたしたちの背中に叩きつけられた梅さんの迫力ある怒りの声に、それ以上はごめんだとばかりに急いでいる  ように見えるように仕事を再開した。  しかし――タク坊と客――か………店の親父に貰ってきたのに、ひょっとしたら…… 「………はぁ」  イヤになるよなぁ……あれを調べるのは。あれを調べると考えるだけでイヤになる、鬱になる、眠くなる、  暴れたくなる、燃やしたくなる――  あゆみはタカ坊の看病だろうから……しかたない、タク坊に手伝わせるか。美味い夜食でも作ってさ。  そして頭の中で一区切りつけたあたしは、今度こそ真面目に夕食の準備をはじめ出した。


]]\.危験へ