第26話「陸永洋蔵」


 桜が満開となり、吹く風がいちだんと心地よくなっている中、結愛子は 課内で一番早く出社してきた。  昨日の社内誕生会での辱しめの件は忘れるようにして、今はただ崎長食 品会社で普通のOLとして頑張っていこうと思っていた。  奈緒の嫌がらせも郷幡部長の手前、しばらくはしてこないはずなので、 今日からは恥辱から逃れることが出来るかもしれない。 (毎日エッチな目に遭うわけないよね。昨日までのことは忘れて頑張らな くちゃ!) 「さて、せっかく早く来たんだから頑張らないとね。こう見えても私も料 理の腕があるんだから、それを活かさなくちゃ!」  今はまだ新人女子社員ということもあって雑用が多く、自分の腕が試せ ないことに少しストレスを感じていた。  そう、結愛子も料理に関しては多くの知識と高い技術を持っており、学 生時代には何度か小さな料理コンクールで優勝した経歴があった。  一日でも早く、自分の腕を発揮したい。川阪と同じ食品会社に入社した んだから、一緒に大きな仕事がもらえるまで、どんな困難にも負けずに乗 り越えてやると決意していた。 「それじゃ、まずはみんなの机拭きから始めますか〜」  上着の袖をまくり上げ、課内全員の机を綺麗に拭きはじめる結愛子。  この机拭き、別に新人の仕事と言うわけではなく、結愛子が自発的に行 なっている行為であった。  もちろん上司への点数稼ぎでしてるわけじゃなく、みんなが気持ちよく 仕事ができるようにと思って自分から進んでやっていたのだ。  こうして見ると、とても昨日までいろんな辱めを受けてたようには見え ない。 「湯川さん、相変わらず雑誌を出しっぱなしだわ」 「松下さん、またコーヒーこぼしてる。灰皿も灰が溜まりっぱなしだわ」  灰がたまった灰皿も全部回収して、灰を捨てた後で結愛子が自分の手で 1つ1つ丁寧に洗っていく。  20分ぐらい経つ頃には課内はピカピカになっており、綺麗になった机を 見て結愛子はにっこりと微笑んだ。 「よしっ。綺麗、綺麗っ♪さあ、今日も1日頑張るぞ」  両手でガッツポーズを取りながら、朝から張り切る結愛子。  こういった結愛子の前向きな姿勢が課内で少しずつだが評価されてきて いるが、まだ大きな仕事を任されるようになるには時間が掛かるだろう。  まあ、結愛子本人も今はどんな雑用でも一生懸命にやろうと思っていた。  が、こんな真面目に努力する結愛子のやる気を削ぐものが結愛子の近く に現れた。 「はぁぁ〜、やっぱこんなとこで寝てたのね。昨日、私を置いてさっさと 帰るなんて許せないわ!」  課内の清掃を終えた結愛子が、大きなため息をついてソファを見ていた。  ソファには大いびきをかきながら寝ている川阪が横たわっており、どう やら家に帰らずにここで夜を明かしたのだろう。  それも、ソファの周りが酒臭いとこから、昨日の社内誕生会で飲むだけ 飲んだ後で課内に戻って寝ているようだ。 「隼人っ!起きて。もう朝よ!まったく昨日は散々な目に遭ったんだから ねっ!途中で帰らないでよっ。ばかぁぁぁ〜」 「ふあぁぁっ..結愛子かぁ〜。今日は早い出勤だな。まだ当分、誰も来 ないんだから、もう少し寝かせてくれ〜」 「ちょっとぉぉ〜。また寝ないでよぉぉ〜。隼人ぉぉ〜」 (最初、水着が脱げた時に助けてもらったのは嬉しいけど、その後帰るな んてダメダメよぉぉ〜)  課内ではグータラ社員ぶりを見せる川阪にあきれ返る結愛子。 (はぁぁ〜、本当に隼人って料理以外は興味がないのよね..まあ、デー トより食材を求める料理バカっていうことは分かるけど..)  そう、この川阪は決して無能社員というわけじゃなく、料理に関しては 社内一の実力があった。だからこそ、これだけのグータラぶりを見せても クビにならないのだろう。 (んも〜、社会人なんだから無精ひげを伸ばしっぱなしにしないで欲しい わ。けど..やっぱ隼人って、格好いいのよね..)  結愛子の言うとおり、もし川阪が身なりを正して、きちんとすれば相当 な二枚目と見えるのだが、料理のことしか頭にない川阪にとっては格好な ど、どうでもいいらしい。 「ほらっ!さっさと起きてっ。ほらほらっ」 「わかった。わかったよ〜。起きればいいんだろ」 「コーヒーいれてくるから、顔洗ってきてっ」 「わかったよ。まったく、お前が配属してからオチオチ眠れないな」 「飲んで眠る自体、間違えてるでしょ。昨日も課長が怒ってたよ」 「あんな奴は怒らせておけばいいんだよ。ところで相変わらず掃除なんか してんのか?せめて自分が拭いたと言えば得するのに。みんな、掃除のお ばちゃんがサービスでしてると勘違いしてるぞ」 「別に誉められたくてしてるわけじゃないからいいの。誰にも知られなく てもいいと思ってるから」 「ふぅ〜、結愛子は本当にお人好しだな。わがまま社長令嬢に嫌なことを されても会社のために、ここまで頑張れるとはな」 「会社としては立派なところだと思ってるから頑張れるのよ。崎長食品会 社ってピンク会社の割に食にかける情熱は素晴らしいし」 「まあ、それは同感だな。だが、結愛子の場合は辱めばかり受けて、いい 会社にはならないんじゃないか..」 「!自覚してるなら、ちゃんと助けてよ。私だっていつまでも辱めなんか 受けたくないし、自分の腕を活かせる仕事がしたいんだから〜 「腕を活かせる仕事かぁ..それなら、社内の味試しの会合に参加するの が一番だな。そこで認められれば大きな仕事も貰える筈だ」 「味試しの会合?それって私みたいな新人でも参加できるの?」 「ああ、こういう味試しの会合に必要なのは料理に関する腕だからな。新 人もベテランも関係ない」 「でも、味試しの会合って課の推薦とか無くてもいいの?誰でも参加OK なら大勢の人が来るんじゃないの」 「いや、その手のものは誰でも応募できるようにするのが、ここの会社の 方針でな。社長令嬢も参加するから舌に自信のある奴しか来ないはずだ」 「そうなんだ..ちゃんとした会合なら参加したいけど」 「ああ、結愛子の舌もなかなか凄いから参加した方がいい。大きな仕事を すれば忙しくて、俺にかまう暇もないだろう。そうすれば俺の朝の安眠も 確保できるってわけさ。ふぁぁ〜」 「んもぉ〜、隼人っ!」 「怒るな、怒るな。ほら、コーヒー頼むぜ」  ムッ。「・・・わかりました」    酒臭い川阪に呆れながら、コーヒーを淹れに行く結愛子。  そう、結愛子は川阪が言うとおり、舌に関しては優れたものを持ってお り、本人も味覚に関しては強い自信と意地があった。  不味いものは不味いとはっきり言う悪い癖があり、それが原因で大きな トラブルへ繋がるときもあった。  先月も女友達とのグループ関西旅行に行った際に、一見さんお断りの日 本一を自称する蕎麦屋でトラブルを起こしたぐらいだ。  ここの店、味は最高なのだが店主に問題があり、客に対して横柄なのだ。  ちょっとでも談笑したり、泣く子供など居たら、大声で怒鳴って追い出 すのが当たり前の光景となっていた。  そして堂々と客である結愛子たちに、こう言い放ってくる。「俺の蕎麦 を食べたい奴は五万と居るんだ!女子高生のお前らなんかに味が分かるは ずはねーが、なじみ客の紹介ってことで食わせてやるぜ!言っとくが本当 なら俺が認めた客しか俺の蕎麦はくわせねぇ。そば粉もコシも最高、つゆ も最高、俺の手打ちも最高の蕎麦なんだからな!」  そんな店主の自慢の蕎麦を注文し、さっそく食べた結愛子がとんでもな い言葉を出してきた。 「・・・そば粉もコシも最高、つゆも最高だけど、大事な手打ちは最低だわ」 と堂々と店主に文句を言ってきた。  当然、店主は顔をゆで蛸のようにして怒り出した。「ふざけんな、小娘! てめーなんかの安い舌で俺の高級蕎麦にケチつけんな!」と大声で怒鳴り、 何と結愛子の胸ぐらをつかんできた。 「私も自分の舌には自信があります。これは高級蕎麦じゃありません。周 りの客に聞いてみてください。誰かしらは、この味に疑問を思ってます」 「ふざけた小娘だ。てめーみたいな女子高生に味が分かるわけねーだろ!」 「・・・分かります。あとこの春卒業したので女子高生じゃありません」 「うるせぇぇー!これ以上、くだらねーこと言うと素っ裸に剥いて外に放 り出すぞ!いいかっ、俺は本気だぞっ。さっさと俺に謝れば許してやる」 「あなたに謝る理由はありません。たとえ、脱がされても私は自分の舌に 嘘をつくわけにはいきません」 「ぐぬぬっ、そーかい。それなら、この店のルールを教えてやるよ。順二、 泰三っ!この小娘の服を剥いて外に追い出せっ!」 「へいっ、親分っ」「そういうわけで、お嬢ちゃん、覚悟してもらうぞ」 「こんなことしても、この蕎麦の手打ちが最低なことには変わらないわっ。 自分の腕が鈍っていることに気づかないなんて、残念だと思います!」  相手が本気だというのに、まだ結愛子は自分の主張を強く言い続けた。  エッチが苦手な結愛子だが、こういう時は自分の舌の意見を通すために 無茶をすることがあり、どんな脅迫を受けても最後まで自分の舌を信じる ことにしていた。 「俺が脱がさないと思ってるだろ?謝らねーと女子高生だろうが素っ裸に 剥いて追い出すぞ!いいのかっ」 「・・・どうぞ、勝手にしてください。不味いものは不味いんです。謝る意 味が分かりませんっ」 「ふんっ!それなら遠慮なく剥いて追い出してやんぜ」  普段だと店を追い出されるだけで済むのだが、この時は何と本当に裸に 剥かれて追い出されることになった。 「おりゃ、おりゃ!お前の服が塩の代わりだぁ〜」ポイッ、ポイ。  蕎麦屋の外には次々と店員に脱がされた結愛子の服が投げ捨てられてい く。そして信じられないことにブラやショーツまでも外へ投げ捨てられた。 「親分っ、全部服は捨てましたぜ」「へへ、お嬢ちゃん。下ばっか隠すの はいいが、綺麗なおっぱいが丸出しだぜ」「・・・・」  そう、店内には股間だけを必死に隠して、おっぱいを丸出しにした結愛 子が床に座っていた。こんな辱めを受けても、凛とした態度で店長にこう 言い放った。 「たとえ、裸で外に追い出されても、私は最後まで自分の舌の意見を変え ません!」「ぐぐっ、生意気なっ。そんなに裸で追い出されたいか」 「親分っ..これ以上は世間的に」「いい加減、お嬢ちゃんも謝りな」 「謝りませんっ。謝るのはそっちの方です」「順二、泰三っ、追い出せ!」  店長の言葉で店員が結愛子の両足を引きずるように外へ向けて引っ張っ ていく。ズルズルッ..  もはや、このまま裸で外に追い出されようとなる中、新たに入ってきた 客の言葉で状況がガラリと変わった。 「この蕎麦を作ったのは誰だ〜!店主は貴様かぁぁ〜!」  この客、まだ蕎麦を注文もしていなかったが、結愛子の蕎麦を勝手に食 べて店主以上に怒鳴ってきた。 「てめ〜、俺に文句あんのか!勝手に蕎麦を食べて何様のつもりだ!」 「わしは陸永洋蔵だ!美味しい蕎麦があると聞いてきたが、こんなものを 食わせるとは!!いったい、どういうつもりだ。店主っ!」 「げっ..陸永洋蔵って、まさか..」 「店主!わしが誰だが知っているな。豪華美食会を主宰する陸永洋蔵と分 かりながら、こんなものを出したのかっ!」 「いや..そういうわけじゃ..」ガクガクッ..  さっきまで怒っていた店主が、この陸永洋蔵という客の言葉で怯えだす。  どうやら、この食の世界では陸永洋蔵は絶対的な力を持っている大物の 美食家であり、陶芸家としても有名な天才料理人でもあった。  この陸永洋蔵が一声掛ければ、こんな蕎麦屋など1日も経たない内につ ぶすことが出来るらしい。 「店主っ!貴様の蕎麦の手打ちは最悪だ。己に過信しすぎて腕が落ちたな。 これはもはや蕎麦ではない!悔しかったら、修行をしなおせ!」 「・・・ぅぅっ」がくっ。思い切り陸永洋蔵に叩かれた店主が膝を落とし、 その場に愕然と座り込んだ。  そして、陸永洋蔵はいったん外に出て何と結愛子の服を拾って店内に戻 ってきた。 「そこの娘。貴様の舌は素晴らしい。今回は災難だったが、これぐらいで 負けるんじゃないぞ!貴様の名が世間に轟くようになったら、この陸永洋 蔵が主宰する豪華美食会に入会を推薦してやろう」 「豪華美食会に..」「そうだ!今後もこんな辱めに負けずに一生懸命頑 張るがよい。がっはは」  そう言って、嵐のようにやってきた陸永洋蔵は嵐のように店から出てい った。 (噂では聞いてたけど..今の人が陸永洋蔵..初めて見たけど..どこ かしら隼人に似てるわ..まさか隼人の?いや、そんなはずはないわ。苗 字が違うし..)  陸永洋蔵が川阪に似ていることに気になった結愛子だが、気のせいだと 思って後で川阪には聞くことはなかった。  が、この陸永洋蔵の存在が今後の結愛子の運命に大きく関わっていくこ とになるとは本人も思っていないだろう。  この後は、返してもらった服に急いで着替えたのだが、着替え終わった 結愛子の前に店主と店員が裸で土下座してきたのだ。 「すまねー!お嬢さん!どんな侘びでも辱めでも受けるから遠慮なく言っ てくれ」「俺たちを外のどぶ川に蹴り込んでくれっ!」 「・・・いや、分かってくれれば結構ですから..」 「それじゃ俺たちの気がすまねー。頼む!どんな謝罪でも受け入れるから」 「警察に突き出しても構わないっ。俺たちはそれだけひどいことをしたん だから」  頭を床に何度も擦り付けて土下座する店主たちに、結愛子は何か思いつ いたらしく、こう提案してきた。 「それなら..蕎麦の作り方を教えていただけませんか..私、まだ本格 的な蕎麦を作ったことはないので..」 「えっ?俺らの蕎麦を..」「どういうことで..」 「ちゃんとした手打ちで作れば、絶対に美味しい蕎麦が出来ると思うんで す。私にその最高の蕎麦を見せてもらえませんか..」  意外な提案に店主たちは驚いたが、結愛子の寛大な心に一緒に蕎麦を作 ることを決めたのであった。  驕りさえ無ければ店主の蕎麦の腕は本物であり、改心した彼らの蕎麦は 日本一と言っても過言ないほどまでに戻ったのだ。  結局、結愛子の関西旅行は蕎麦打ちで終わってしまったが、美味しい蕎 麦の腕を身につけることが出来たので良かったかも知れない。  一応、観光の方も結愛子が温泉好きということで、店主が幾つかの穴場 の秘湯(混浴)に連れてくれたので満足したらしい。


(最終更新:2011年3月27日)
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