その15「陰謀の仮面ロリータ」
「おっはようございま〜す♪」
いつもにも増して元気な挨拶と共に、姫子はグローバルビデオジャーナル社の入り口ドアを開けていた。
決して広いとはいえないオフィスの中には、おやっさんこと立花社長が淹れているコーヒーのいい香りが
満ちている。
姫子はグローバル社こそ、世界で一番おいしいコーヒーが飲める会社だと思っていた。「おはよう。今日
はまたえらくご機嫌だな。何かいいことあったのかな?」
グローバル社のリーダー格社員である本郷が、キーボードを打っていた手を止めて微笑みかけてきた。
真面目な表情と、笑み崩れた時の表情のギャップが大きいのが彼の特徴である。
「えへへっ。今夜は接待なんですよ、接待♪ 江楠田ステーションホテル最上階の高級中華料理店で食べ放題!
うほほほっ♪」
想像しただけで唾液が湧き出してくるのを堪えながら、姫子はニヤニヤしている。
昨日の晩、牛型淫魔に犯されかけていた「鋼鉄院長」を、麗裸との共同作戦で打ち破った礼として、仮面
ファイター菊刺こと菊花医師が一席設けてくれるのである。
もっとも、共同作戦とは言っても、羞姫は武器である亀頭剣を麗裸によって強制的に引きずり出され、エク
スタシーで腰が抜けてへたり込んでいただけなのだが……。
「へぇ、あの店って確かすげー料金が高いんじゃなかったっけ? そこで食べ放題とは豪勢だねぇ」
奥のコーナーで記事の最終チェックをしていた滝が振り向いて話し掛けてきた。精悍に日焼けした顔をした
好青年である。いささか猥談好きなのがマイナスポイントだが、気さくな性格で、グローバル社のムード
メーカーである。
「ええ。そうなんですよ。こんな機会はめったにないだろうから、思いっきり食べちゃおうと思って、今朝も
ジュース一杯で朝ごはん終わらせちゃったんです」
「おはよ〜姫子ちゃん♪ はーい、皆さんおまちかねのモーニングコーヒーですよ〜」
香り立つ湯気を上げるコーヒーカップが乗ったトレイを持って、女性社員の由美子が給湯室から出てきた。
「由美ちゃん、姫ちゃんは今夜接待なんだって。江楠田ステーションホテルの最上階にある……ええっと、何て
店だっけ?」
滝は店の名前を思い出せないらしく、由美子に話を振った。
「ああ、肉林閣ですね〜♪ すごいね〜姫ちゃん。あそこってすごく美味しいけど、お値段もぴか一なんだよ〜」
姫子にコーヒーのカップを手渡しながら、由美子はいつもの口調で言って、ふんわりと柔らかな笑みを見せた。
母性に溢れた包容力のある女性である。
「なんだか景気のいい話をしてるじゃないか。内の会社も忘年会をああいう店でやれるようになりたいねぇ。
そのためには、仕事だ仕事だ。みんな頑張っていい記事書いてくれよ」
お代りのコーヒーが入ったポットを持った立花が笑いながらそう言ってみんなをけしかける。ほのぼのとした
朝のひと時であった。
「そういえば、一文字さんは?」
もう一人の社員である一文字の姿が見えないのに気付いた姫子は、由美子に問い掛けていた。
「ああ、一文字君は江楠田市立第一小学校に取材に行ってるの。天才少女の取材だよ〜」
由美子はそう答える。
「天才少女?」
「うん。独学でプログラミング技術を習得して、ブロードバンドで、童話コンテンツを作って配信しているの。
既に世界中に数百万人の読者がいるんだって」
「へぇ、凄いなぁ」
才能と、設備、そして相応のソフトウエアがあれば、誰でもブロードバンドコンテンツを製作して配信する事
は可能なのだが、やはりいい作品でなければなかなか受け入れられないのである。小学生でその世界において
多数の読者を獲得しているというのは、かなりのレベルの作品を作っている証拠なのだろう。
「アタシもがんばって何か世に出しちゃおうかなぁ」
香り高いコーヒーを楽しみながら、姫子はつぶやいた。
「お! なんだか変なメールが入ってるぞ。なになに、『仮面ファイター出没情報!』だとぉ!」
「ぶうううううううううっ!!」
滝の声に、姫子は思いっきりコーヒーを噴き出していた。
「きゃわっ! 姫ちゃん、どうしたの?」
霧状のコーヒーを浴びて可愛い悲鳴を上げた由美子が尋ねてきたが、姫子は返事もせずに滝のデスクに突撃
していた。
「かかかかか仮面ファイター!? どうして、どこにそんな出現が情報なんですかぁ!!」
「なんだよ姫ちゃん! 何言ってるかわからないよ……」
異常に取り乱した姫子の迫力にちょっと怯えてしまいながら、滝は彼女に席を譲る。
「さっき言ってた天才少女のサイトを見てたら、情報掲示板にカキコされてたんだ」
滝がカーソルを合わせた先には確かに、『仮面ファイター出現情報!』の文字がある。
その文字をクリックすると、詳細が表示された。
『最近、一部のブロードバンダーの間で話題沸騰中の謎のエロチックコンテンツ、仮面ファイター。その出現
情報をキャッチしましたのでお知らせします。本日二十三時から、Bサーバー第六ブロックチャンネル三十一
に、仮面ファイターが登場予定。内容はそのときまでのお楽しみ♪』
姫子はしばらく呆然とその画面を見ていた。滝や一文字の話から、自分たちの戦う姿がどうやらブロード
バンドの空きチャンネルで流れてしまっているらしいことは聞いていたのだが、まさか、これほど克明に
出現予告されてしまうとは……。
「確か、羞姫だったかな、あのナイスバディの仮面ファイター。あの子がやられるシーンが一番好きだなぁ。
あのぷりぷりの美乳がこってりと揉みこねられるシーンはもう……げふぅ! ……な、なんだよ姫ちゃん、
いきなり……」
姫子の肘打ちを腹に食らった滝は、苦悶の表情を浮かべて文句を言う。
「滝さんのスケベっ! セクハラオヤジっ!」
耳まで真っ赤になった姫子は、今にも泣きそうな表情で叫んだ。
「おいおい、滝、姫ちゃんにはそういうエッチな話はNGだって、前にも言ったじゃないか。耳元でそんな
話されたら恥ずかしいに決まってるだろ」
上手い具合に本郷が助け舟を出してくれた。
「うう……だからっていきなり肘打ちは勘弁だよ……ううう……」
「あ・・・…御免……アタシ、そういうのって苦手だから、あはははっ……」
乾いた笑い声を上げてその場を何とか取り繕った姫子であった。
昼休みに姫子の携帯に、仮面ファイター麗裸こと、麗子から電話がかかってきた。
「うちのお店の娘が、妙な情報仕入れてきたから知らせておこうと思って……」
「麗子さん、それってもしかしたら、『仮面ファイター情報』のこと?」
姫子がそう問い掛けると、受話器の向こうで驚く気配が伝わってきた。
「さすがジャーナリストに端くれ、情報が早いわね」
「うう……端くれっていう表現がなんだか引っかかるよぉ……で、どうする?」
「どうするって? 見られてるとわかって出て行くのかってこと? 私は今回は遠慮しておくわ。勝手にどうぞ」
麗子はあっさりとそう言ってのけた。
「どうぞって……アタシだっていやだよぉ! まだ戦い方わからないし…・・・でも、亀さんに勝手に連れていかれ
ちゃうんだよね、アタシの場合。麗子さんにはそう言うセコンドみたいな奴はいないの?」
以前から気になっていたことを姫子は尋ねていた。彼女のセコンド……というか、解説役には赤い亀みたいな
淫魔、亀甲魔がついている。彼女が倒した仮面ファイター操妃には、白いフクロウ型の淫魔が付いていたので、
恐らく仮面ファイターには何らかの動物の化身のようなものがついているのだろうと思っている。
「いるわよ、一応……でも、黒猫だから凄く気まぐれで、お互い不干渉ってことになってるの」
「はぁ、猫さんですか……それはいいですね。うちの亀さん強引だからなぁ。ろくな説明してくれないし」
そう言って姫子は大きくため息をついた。
「あの書き込みをしたのも仮面ファイターじゃないかと思うんだけど……何故あのサイトに書き込みなんて
したのかしら? あそこって確か、小学生の女の子が開設してる童話のサイトよね?」
「うん。そう言えば変だな……もっとそういうエッチ情報系のサイトが一杯あるはずなのに、何故かな?」
「あなた、ジャーナリストでしょ。取材してみない? その結果は今夜の接待の席で発表ってことで。仮面
ファイターが三人揃うんだし、その場で対応策も協議できるから」
「えーっ! そんなの無理だよぉ、アポも取ってないのに……って、そうかぁ! 一文字さんが今行ってるん
だぁ! 麗子さん、後から掛け直すね」
あわただしく携帯を切った姫子は、すぐさま一文字に連絡を取った。
「おう! なんだ、姫ちゃんか。どうしたの?」
「あの……一文字さんって天才小学生の取材中ですよね?」
「うん。ようかちゃんだね。授業風景は取材したから、昼休みと放課後にインタビュー撮って、それから戻る
つもりだよ」
「あの! そのインタビュー、あたしにやらせてもらえませんか?」
姫子は頼み込んで、何とかOKをもらい、その足で江楠田市立第一小学校に向っていた。
昼休みは終わっていたので、一文字と合流した姫子は彼の車の中で授業が終わるのを待っている。
「そうだ、午前中に取材した分、見てみる?」
そう言って一文字は取材したデータを再生し始めた。
「へぇ、結構な美少女じゃないですか」
画面にあらわれた少女を見た姫子は率直な感想を漏らしていた。年齢相応の無邪気さの中に、時折、十代
後半の少女のような色香が混じる。数年が楽しみな少女であった。
髪の毛をツインテールにして、ピンクの髪留めでまとめている。身長は小柄な方だろう。
昼休みに撮られたインタビューでは、はきはきとした利発そうな受け答えが印象に残った。なかなか頭の
いい子らしい。
『わたしは将来はもっと色々な文章を書ける作家になりたいんです。今は子供だから、子供のための話を書いて
るけど、どんどん大人の話を書いてみたい。みんなが興味を持つような物語を作ってみたいんです』
そう言って微笑んだ少女の顔は、奇妙に淫靡に見えた。
続く
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