stage2「聖天の主」-07


「触手どけぇぇぇ!」
『バルゥン! バルルルバルゥ〜〜〜ン!!!』
「らめぇぇぇ! ヌルヌルが、ヌルヌルが、お尻の穴だけは許してぇぇぇ!!!」
「ひるむな! 犠牲が出ようとも足を止めるんじゃない! たとえ相手が化け物だろうと、オレたちの目指す場所はこの先にあるんだ!」
『ブ〜ヒッヒッヒッ、ブヒ、ブヒィ!(無駄無駄無駄ぁ! あんさんらをこっから先へは一歩も行かさへんでェ!)』
「ちっくしょう……退けよ、退いてくれよォ! オレたちには、もう時間がないんだ!」
「お前たちにはわからないだろうが、これは、俺たちの誇りをかけた戦いなんだ!」
『…………、………!』
「ぐはァ!」
「大丈夫か!? しっかりしろ、傷は浅いぞ!」
「お…オレのことはもういい……ここでギブアップだ……だからお前だけでも先に……」
「バカ野郎! なに言ってやがる。オレたちは一緒だ、あの桃源郷(おっぱい)にたどり着くまでは!」
「お前って奴は……なんて顔してるんだよ。いいだろ、オレ一人ぐらい……」
「お前がいなくなったら、オレは誰にのぞきの罪をなすり付けたらいい! 動けないなら盾になれ、そしてオレのために死ね!!!」
「逆だろうが! お前がオレのために囮になって、時間稼ぐんだよ。たくやちゃんのオッパイはオレんだァ!!!」
「違う、オレの、オレが最初に突入して最初に目を付けたんだ、だからオレのなのぉぉぉ!!!」
「はっはっは、何を言ってるんだか。傷ついた彼女に優しく服を掛けてやったときから、彼女はオレに惚れてるのさ」
「なにぃぃぃ!?」
「これだから哀れだな、負け犬は!」
「………えい」
「のわぁあああっ! 何でオレを殺そうとする!?」
「これが運命って奴なのさ……オレがオッパイにたどり着くためには、お前が邪魔なんだよォォォ!!!」
「ならば、今ここが決着の時!」
「おうよ! 勝者こそがオッパイだ!」
「オレが、オレこそがオッパイだァァァ!!!」


『………全! 敵! 粉! 砕!』


 ―――おお〜、人が吹っ飛んでく。スクナが必殺技を使ったかな?
 ドカンと大きな音が響くと、見上げた視線の先に数人の男が空の彼方へ吹っ飛ばされていくのが見えた。
 でもまあ、前にいたアーマキヤ村ではよく見た光景だ。特に気にする必要もない。
 道具屋裏にあった井戸で身体を冷たい水で綺麗に清め終えたあたしは、それ以上気に留めることもなく、髪の湿り気を拭きとるのを再開する。
 幸い、あたしの身体の異常な回復力が蜜蜘蛛の蜜で後押しされたこともあって、左腕も何とか大丈夫だ。指を一本ずつ折り曲げてもちゃんと動く。というか早くに直りすぎて、応急処置として巻かれた包帯の下が妙に痒くて困ってしまう。タオルで頭を擦るのにも十分使えるほどだ。
 ここは周囲の民家の共有ペース。それゆえに井戸につながる通路も多く、周囲の建物の窓からも覗ける場所でもある。
 だから契約したモンスターを全部呼び出して警戒すると伝えていたのに、自警団員全員で突撃してくるのだから困ったものだ。中にはバルーンの触手や蜜蜘蛛による緊縛で新たな世界に目覚めたりする被害者も出たはずなんだけど……
 ―――まあ、いちおうは手加減して殺さないように伝えておいたから大丈夫かな?
「てか、見張りを出してるって前もって警告しといたのに、どうして突撃してくるかな。プラズマタートルとか、近接戦闘装備じゃ、まず勝てないのに……」
「あいつら、女にもてないもん」
 あたしの疑問に、涼乃ちゃんが答えてくれる。―――白銀の鎧を着た涼乃ちゃんがなんで一緒にこの場にいるのかというと、あたしを覗き魔から守るためではなく、あたしが逃げないように見張るためだ。いつでも剣を抜けるように剣の柄に手をかけたまま睨んできているので、ちょっと恐い。
「美人と見るといっつもこんな感じよ。人がいなくなって娼館も別の街に引っ越して、万年女日照りだし。……モラル崩壊してるのは認めるけど」
「それじゃ涼乃ちゃんも大変ね。毎日あんな風に迫ってこられたら」
「………あいつら、あたしにだけは声かけてこないから。かけてきたら、ちょん切るし」
「あ、あはは……それは大変だね、あの人たち……」
 こんな物騒な隊長の下では、ちょっとかわいそうに思えてきた。
 ―――でもまあ、スケベなのはいけないことよね。これで「実はあたしって男なんです、てへ♪」とかやったら、あの人たちのスケベスピリッツをへし折れるかな?
 実験結果には興味はあるけど、「男でもいいからァ!」とか「まずは女の子チェック! 股の間まで綿密に念入りに大胆にィ!」とか言われそうなので、やっぱりやめとこう。
「それにしても井戸が近くにあって助かったわ。あーもー、この街に着いてから、なんだかついてない。疲れ果てたって感じだわ」
 天使探しを依頼されたり、見知らぬ男の子にイかされたり、いきなり槍で突かれたり、バケツかぶった女の子に襲われたり、挙句の果てには監禁陵辱。
 いくらあたしが騒動ごとに巻き込まれやすい体質だからって、こうもハプニングとアクシデントの連続では身が持たない。お店の中から持ってきたさらしを巻いた胸の上から新品のシャツを羽織って溜息をついていると、……なぜか微妙な表情で涼乃ちゃんがあたしのことを見つめていた。
「どうかした?」
「………あんた、あれだけのことをされといて、それですむの?」
「ああ、ヤらしいことをさらたこと? そりゃショックも受けてるし、おぞましさとか残ってるけど、なにも鬱になったり自殺したりとかはしないから安心して」
「タ、タフね……気とか狂ってない?」
「ははは、大丈夫だってば。まあ、よくあることだから、慣れもあるかな」
「よくあるんだ……へ、へぇ……」
 ジャケットなどには異常なし。冒険者である以上は自分の命もかかっている装備類の点検をしながら答えていると、涼乃ちゃんの顔はさらに困惑と言うか微妙の度合いを増していた。
 ―――まあ、ゴブリンや触手やスライムなんかにエッチされるのに比べたら……
 今回のことを「よくあること」とか「しょうがない」ですませるつもりはないけれど、気持ちは切り替えないとやっていけない。生きてるのだから、とりあえず大丈夫、そう思うことにしている。
 ………きっと、男に戻ってからトラウマになったりするんだろうな……
「それで、これからどうすればいいの?」
「自首する気になった? でも誘拐は打ち首だから」
「ちょっと待ってよ! だから何度も言ってるでしょ、それは誤解だって!」
 まだこの話を蒸し返すのか……どうしてもあたしを犯罪者に仕立てたいらしい涼乃ちゃんに、また頭が痛くなってきた。こめかみを指先で揉み解しながら、どうやって人の話を聞かないこの子を納得させたらいいのやら……
「えーとね、冒険者ギルドに問い合わせて。綾乃ちゃんはあたしのパーティーメンバーだって正式に登録してあるから」
「どうせお姉ちゃんを脅して無理やりパーティー組ませたんでしょ。最低ね、この女」
「だったらギルド行ったときに、とっくに駆け込まれてるわよ。そういうトラブル解決や保護もギルドの仕事だし。そうしなかったんだから、綾乃ちゃんが自分の意思であたしといたってことになるの。判るわよね?」
「なら弱みね。この外道、お姉ちゃんの身体の秘密を知って、それをネタに……この悪魔、人でなし、鬼畜王、あんなに優しいお姉ちゃんを弄ぶなんて、あんたそれでも人間なの? 死ねばいいのに」
「ぐぬっ、そこまで言う……だ、だったら綾乃ちゃんに直接確かめましょ。本人の口から聞けば、判ってくれるよね」
「ええ、いいわよ。いま宿まで迎えに行かせてるから。そしたらおねえちゃんの洗脳を解いて、あんたを首都に送って打ち首獄門晒し首にしてやるんだから!」
 ―――マズい。この子、あたしの有利になるような発言は全部却下にするつもりだ。
 涼乃ちゃんの中では、「あたしが悪人である」という結論があって、そこから全ての話が始まっている。「あたしを有罪にした後の拷問をどうするか」しか考えてない。
 これじゃ綾乃ちゃんが来ても、焼け石に水になるかもしれない。ここまで人の話を聞かない妹さんだと、控えめな綾乃ちゃんの説得がどこまで通じるやら……
 ―――せめて留美先生が一緒に来てくれれば……
 とりあえず大賢者が間に立ってくれれば、涼乃ちゃんも納得してくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱いて綾乃ちゃんが来るのを、しばしの間待ち続ける。
 すると、
「や…宿が家事!? 綾乃ちゃんは、綾乃ちゃんはどうなったの!?」
「そうよ、お姉ちゃんは!? 火傷のひとつでも負ってたら、こいつの罪状に放火も付け加えるからね!」
 ………うわー、いやだなー、あたし関わりないんだけど。
 ともあれ、チェックインした宿まで大急ぎで往復してくれた自警団の団員は、報告一言目であたしと涼乃ちゃんに迫られて……あ、なんで嬉しそうな顔をしてるのよ、こいつ。
「し、失礼しました。宿はほぼ全焼。当時は一階の酒場に大勢入っていた冒険者の協力によって、救助活動も迅速に行われたため、重軽傷者多数ですが、幸い、死者はありませんでした」
 道具屋に囚われていたので気づけなかったが、宿のあるほうの空へと目を向けると、たしかに細い煙が空に立ち上っている。
「周囲への延焼もなく、消火作業は終了しましたが、これは火の手が異常に強く、宿のみを全焼させたためです。そして証言によれば―――」
「そんなのはどうでもいいのよ!」
 どうでもよくはないんじゃないかな……本来なら、自警団も火事の際には救助活動や消火活動に協力しないといけないと思うんだけど、隊長の涼乃ちゃんは眉を逆立てて団員さんの言葉を中断させてしまった。
「それよりもお姉ちゃんよ。宿にいたんでしょ? 死者はゼロなんでしょ? 怪我は? もしかして大怪我して病院に運ばれたなんていうんじゃないでしょ!?」
「いえ……お、おそらく無傷かと―――だ、だから、首、絞めないで……ア、アア…スズノサマ、モット……!」
 ―――ここにも変態がいたか!
 でもこれじゃ話が進まない。甲冑姿の涼乃ちゃんを団員さんから引き剥がすと、あたしは話の続きを促した。
 ―――“おそらく”っていうのが、やけに引っかかるし……
 “おそらく”を使うということは、確認が取れてないということだ。無事を確認できたら、そんな言葉は使わない。「無事です」と報告すればいい。怪我をしてても怪我をしてるというだけだし。
 じゃあ、なぜ「無傷」だとわかるのか。
 綾乃ちゃんはいなくて、会えなかった。誰かが証言した。「火事のときにいなかった」のか、「怪我をしていない姿」を見たのか。もしくは―――
 ………嫌な予感がする。
 背筋に冷たい感触が伝い落ちていく。それは井戸の水の冷たさとは別のものだ。
「涼乃隊長のお姉さまの綾乃様ですが、その、申し訳にくいのですが……現在、行方がわかりません。目撃者の証言によると、宿に火を放った魔法使いに、連れ去られたと……」
「―――――――――!」
 綾乃ちゃんが連れ去られた……その言葉に、涼乃ちゃんもあたしも衝撃を受け、すぐに言葉を継げなくなる。
「お姉ちゃん……まさか、そんな……」
 さきほどまで、あたしのことを責めていた涼乃ちゃんの身体から力が抜け、顔色が見る見る青ざめていく。
 ようやく会えると思っていた姉が、今度は紛れもなく誘拐された。その衝撃はあたしが受けたものを上回っているかもしれない。
 ―――ここが綾乃ちゃんの生まれ育った街なら……
 顔見知りはいる。そして領主の娘だということを知る人間もいるはずだ。また、身体の秘密を知る人間も……
 何か言うべきではあっても、考えがまとまらない。情報が少なすぎて憶測しか出来ないからだ。
 それでもよろめいた涼乃ちゃんの肩を背後から抱き、力づけるように、その手にだけは力を込める。
「それと放火と綾乃さんを連れて行った犯人ですが……“赤毛”です。あの危険人物の“赤毛”が、この街にやってきたんです」
「“赤毛”?」
 個人を特定する名称にしてはシンプルすぎる単語に、あたしは思わず問い返す。
「そいつだれ? どんなやつ? 教えて!」
「え? ええっと、女です、赤毛の女。長い髪を束ねていて、黒い衣服に身を包んでいて、肌は褐色……未登録の違法冒険者で、あちこちで恨みを買っていて、この街に来るっていう情報が裏で出回っていたそうで」
「それだけ情報があれば十分。ゴブリーダー、ゴブランサー、ゴブガーダー、ゴブアサシン!!!」
 怒鳴るようなあたしの呼びかけに、すぐさま四体の寸詰まりのゴブリンアーマーズが路地から戻ってくる。
『はいな、お待ちしてました! 綾乃の姐さんを探してくればええんですね!?』
『どこのどいつか知らんけど、見つけまわしてぼて繰り回す!」
『美人らしいな……くっくっく、犯す、犯し抜いて、自分が何したかを思い知らせたるわぁ!』
『…………………………っ!!!』
 改めて指示をするまでもない。契約モンスターたちとあたしの意識はつながっており、聞かされたばかりの情報も既に伝わっている。
『ではいってきまー!』
 先ほどまで動いていた鎧がガシャガシャと音を立てて地面に崩れ落ちた。中にいたゴブリンゴーストが姿も見せずにカダの街へ飛び去っていったからだ。ただ一人、ゴブアサシンだけは身に黒い布を巻きつけたまま、路地裏の影に溶け込むように姿を消したけれど。
「ゴブハンマーはあいつらが戻るまで、鎧を預かっておいて」
『ハーンマー』
「他のみんなもすぐに戻って。あたしも綾乃ちゃんを探しにすぐに動くから。相手は炎を使う魔法使い。危険人物らしいから、今のうちに身体を休めて力を貯めておいて!」
「ちょ……なに仕切ってるのよ、勝手に動くな!」
 モンスターたちが次々と魔封玉の封印に戻り、姿を消して行く。その最中、やっと忘我から立ち直った涼乃ちゃんがあたしの腕から身を起こし、こちらの服の胸元を掴んで詰め寄ってきた。
「今は緊急事態なの。いくら綾乃ちゃんの妹でも邪魔されたら困る」
「邪魔なのはあんたのほうでしょ!? お姉ちゃんの捜索はあたしたちでやる。あんたは、あんたなんか、すぐに牢屋にぶち込んで……!」
「いっとくけど、捜索なら霊体のゴーストたちのほうが早いし、さっき覗こうとした人たちは全員、死んではいないけど動けないから」
「ど……どうでもいいのよ、そんなこと!」


 どうでもいいわけないでしょうが!!!


「っ………!」
 肩を掴み返して至近距離で大声を上げると、心が弱まっていた涼乃ちゃんはビクンと身体を震わせた。
「いいから現状を理解して。あなただって隊長なんでしょ?」
「……………」
「綾乃ちゃんは拐われた。涼乃ちゃんの部下は統制が取れてなくて絶賛全滅中。あたしには有用な探索手段がある。それなのに何もするなっていうの?」
「違う……違う違う違う! お姉ちゃんを助けるのは私なの、そのために私は騎士になったの、強くなったの! だからあんたはいらないの、お姉ちゃんには私がいるから、あんたなんかどっかいっちゃえばいいのよォ!!!」
「いい加減にしなさい!!!」
 綾乃ちゃんが連れ去られたと聞いて、あたしも心の余裕がなくなっている。そう自覚していても、声を荒げてしまうのを止められなかったのがその証拠だ。
 けれどこのままではいけない。あたしは次の言葉を継ぐ前に大きく一度だけ息を吸い込んで無理やり自分を落ち着かせ、諭すように涼乃ちゃんへ語りかける。
「………今はね、“どっちが”じゃなくて“どっちも”なの。協力して綾乃ちゃんを探すの。一分一秒を争うかもしれない今、あたしたちが協力して、綾乃ちゃんを探し出すことのほうが先決なのよ」
「でも……わたし…私が………」
「あたしのいたアイハラン村、カータ=ギーリにあるから知ってる。あそこで騎士になるの、男の子の憧れだしね。涼乃ちゃんがそこに留学して、その若さで修道騎士に叙任されるのって、ものすごい事だよね。……綾乃ちゃんを助けたくて、一生懸命がんばったんだよね」
「………………」
「けどね、今はあたしにも手伝わせて。あなたたちの探索の邪魔はしない。誘拐どうのこうのって話も、あとできちんと取調べでも何でも受ける。わかった情報は全部伝える。だから………!」
 相手の肩を掴み、じっと目を見つめながら強引に説得する。……きっとこうしないと伝わらない。綾乃ちゃんのことしか見えていない涼乃ちゃんには、時間がない今、強引にでも言い聞かせるしかないのだ。
 それに騎士にまでなった涼乃ちゃんの判断力なら、わかってくれるはずだ。綾乃ちゃんを助けるためには協力したほうがいいって。
 ………そして、涼乃ちゃんが唇を開く。
「あらぁ〜? もしかしてキスシーンをお邪魔しちゃいましたぁ?」
「「なっ………!?」」
 言われて気づけば、あたしたちの顔、距離が近すぎた。
 あたしの両手は涼乃ちゃんの肩を掴み、こちらのシャツを掴んでいた涼乃ちゃんの手は胸の前で握り合わされて……いや、これは違うんです。おもわず熱が入っちゃったからのこの距離でして……!
「いや、ちがっ、これは勢いで、あの、ちがァ!」
「さ……さっさと離れなさいよ、この同性愛者の変質者!」
「ぐはぁ!」
 蹴り飛ばされた。
「その………こ、今回だけだから。お姉ちゃんを助けるために、一時的に手を組んであげる。ありがたく思いなさいよ。ベ〜ッだ!」
「あ、あはははは……ありがとうございます……」
 最後にかわいらしく舌を突き出されて嫌悪の言葉を投げつけられ、なんで蹴られた痛みに涙まで出てるのに笑ってしまうのやら……ちなみにあたしはマゾじゃない、たぶん。
 それよりも―――あたしは軽く咳払いをして平静を取り戻すと、この場に突然現れた三人目の女性に目を向ける。
 そこにいたのはメイド服、三つ編み、そしてメガネ……顔を向けた先に立っていたのは、どこから見てもメイドさんだ。
 そして、あたしが見知った人物でもあった。
「先ほどは不法侵入者と勘違いして排除しようとしてしまい、申し訳ありませんでした。わたくし、タッカー家の新人メイドの美月と申しまて―――」
「ミッちゃん、なにしてんの?」
「………………」
 あたしが相手の名を呼ぶと、なぜか空気が固まってしまった。
「もしかしてフジエーダからこっちに引っ越してきたの? 奇遇よね、こんなところで再会するなんて」
「………いえ、あの、その……どなたかと勘違いされては……わたくし、タッカー家のメイドの美月……」
「やだなぁ、いくらあたしでも友達の顔は忘れないって。でもメイドさんか……ウエイトレス姿は前に見たことあるけど、クラシックなのも結構似合うのね」
「お褒めの言葉をいただきまして……じゃなくてですね。人違いです、誰かとお間違えです。わたしは美月、美月ですって!」
「ああ、もしかして以前の経歴はナイショ? そうだよね、まあ……あれはねぇ……領主様の館で働くならバレるとねぇ」
「こ、困るんですけど、私はあなたとは今日が初対面であれこれバラされると……涼乃お嬢様、何とかおっしゃってください!」
 そう言われても、涼乃ちゃんも話の展開が読めず、首をかしげている。そして当のメイドさんも困り顔をしていて、あたふたしているから、つい……
「―――えい」
 隙を突いて、メガネをひょいっと取り上げてしまった。
「わ―――――――――――――――――――――――――――ッ! こら、メガネ返して、返しなさいたら、たくや君!!!」
「やっぱりミッちゃんだ。雇い主の娘さんの前だからって、友達を知らん振りするなんて薄情過ぎやしない?」
「知らん振りしてるのには事情があるって察しなさいよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 メガネの下から現れたのは、紛れもなく、フジエーダであたしが世話になった、水の神殿の僧侶にして娼館で娼婦長をしていたミッちゃんだった。
「ちょっとあんた、人の話を聞いてるの!? いいからさっさとメガネ返してって。この、この、あんた、胸がまた大きくなったんじゃない? 邪魔すぎてメガネがとれないじゃない!」
「うっ……ひ、ひとが地味に悩んでることをズバッと……」
「人はそれを贅沢な悩みって言うのよ。富める者に貧しい者の気持ちは解らずって言ってね……隙あり!」
「イ―――――――――ッ!?!?!?」
 まるで鉄の塊で殴られたような向う脛の硬い痛み。
 ミッちゃんに軽く蹴られただけだというのにあたしは足を抱えて倒れ込み、あっさりメガネを取り返されてしまう。
「ひどい! 久しぶりに会った友達を蹴るなんて、血も涙もないのこの残虐メイド!」
「脛を蹴られて痛いのが嫌なら、もっと防御力の高いブーツを履きなさいっての。あーもー、おかげで計画が滅茶苦茶じゃないのよ、どうしてくれんのよ、正体ばらすのまだ先だったのに。たくや君のおバカおバカおバカ!!!」
「痛い痛い痛い! その靴、絶対に鉄か何か仕込んでるでしょ!? 骨折れるって、イッタァ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
「だったら痛いのが気持ちよくなるぐらい蹴って蹴って蹴りまくって調教してやるんだから!」
「うわぁぁぁぁぁん! 愛情表現にしてもやりすぎだぁぁぁぁぁ!!!」
「ほぉら、ここ? ここが気持ちいいんでしょ? はっきり言ったら、このメス豚!」
「違うぅ〜〜〜! あたし豚じゃないもん、太ってないもん! あと人の股間につま先グリグリしないでェ! あ、あン、こらァ!」
「そうね、たくや君は牛だったよね、この淫らで卑しいホルスタイン! そのおっぱいをどれだけ絞って欲しいのかなぁ?」
「いい加減にしないと怒るよ? 怒るからね? もー怒ったァ!!!」
「わー、牛が怒って“もー”だって。やっぱり自覚あるんじゃない。あはははは♪」
「あの頃のあたしと思うなよ! こうなったらケッチョンケッチョンにしてやるんだから!」
「ふっふ〜ん、半泣き半べそでわたしに勝てると思ってるんだ。いいわよ、今晩ベッドの上でタップリ泣かせてあげるから……♪」
「―――ねえ、あんたら、なにやってんの?」
「「………はっ!?」」
 涼乃ちゃんの妙に覚めた一言で、ミッちゃんと二人そろって我に帰る。
「あ、危なかった、もうちょっとでミッちゃんの策略にはまるところだった。急いで綾乃ちゃんを探さないと!」
「あんた今、完全にお姉ちゃんのこと、忘れてたわね?」
「そんなことないって。やだなァ、大切な旅の仲間の危機を忘れるわけないじゃない」
「私に格好いいこと言った直後にこれか……私、一生あんたのことを信頼しないから」
「いやー、たくや君、災難だねぇ。やっぱこれも人徳ってヤツよね。あはははは♪」
「美月も猫の皮をかぶってるのが良くわかったから、付き合い方を考えるわ。ええ、こっちも信頼性ゼロね」
「ぐはっ!」
 姉の綾乃ちゃんのピンチだけあって、涼乃ちゃんの言葉も容赦ない。
 ―――これも全部、ミッちゃんがあたしの脚を蹴ったのが悪いんだ。ぶつぶつ……
 ともあれ、ミッちゃんとの再会は喜ばしいことではあるけれど、今は優先事項がある。ここからは涼乃ちゃんの信頼を回復するぐらいに全力で動かないといけない。
 あと、ゴブリンゴーストが戻るまでに、出来れば食事や休憩が欲しい。水を口にした程度では、陵辱された疲労がまだまだ消えていない。そのためにも……と考えていたら、クイクイと、ミッちゃんがあたしの服の袖を引っ張ってきた。
「たくや君、悪いんだけど、私と一緒に来てくれない? 呼んでる人がいるんだけど」
「あたしのことを? だれが?」
「領主様のお嬢様、て言えばわかるよね?」
「それって……」
 あたしが顔を向けると、涼乃ちゃんも自分の顔を指差していた。
「私がこいつを?」
「だったらここまで呼びにくる意味ないっしょ。もう一人のほうに決まってるじゃないですか〜」
「………綾乃ちゃん!? ちょっとミッちゃん、綾乃ちゃんがどこにいるのか知ってんの!?」
「知ってるも何も。領主様の娘なんだから、家にいるに決まってんでしょ。たくや君てば、おっかしなこときくよね〜♪」
「おかしくなんかないっての!」
「お姉ちゃんは屋敷なの!? ああもう……お姉ちゃん!!!」
「涼乃ちゃん!?」
 呼び止める暇もない。綾乃ちゃんの居場所がわかるや否や、涼乃ちゃんは重い甲冑を着ていることなんて感じさせない速さで表の通りへと駆け出していった。
 ―――あたしも一緒についていきたいとこだけど……
 せめてちょっとは考えてから行動して欲しい。報告をしてくれた団員の人も慌てて涼乃ちゃんの後を追いかけたけど、だからといって安心できる状況では、まったくない。
 連れ去られた綾乃ちゃんがどうして領主の屋敷にいるのか。連れ去った魔法使いはどうしたのか。
 単に屋敷へ連れて行くだけで、普通は宿を燃やしたりしない。だったら相手には、そうするだけの理由があったか、普通じゃないかだ。
 衝動のままに駆け出せなかったせいか、今の事態に異常なものばかりを感じる頭の回転だけが加速する。そして同時に、
 ………嫌な予感が、する。
 頭の奥にネジがねじ込まれているような痛む。
 走り出そうとしているのに、足が前に踏み出せない。疲労ではない。まるで骨の中に鉄の棒でも入れられたみたいに身体が動かない。
 ………あれ、おっかしいな。考えれば考えるほど、心臓がバクバク言って、心筋疲労でぶっ倒れちゃいそうなんですけど?
 相手のことでわかっているのは“赤毛”と呼ばれている魔法使いだということだけ。でも……ただそれだけなのに背筋の震えが収まらない。
 ―――“赤毛”で、炎を使う普通じゃない魔法使い……そんなことあるはずないよね。いくらなんでもこんなところにいるはずが……
 とある可能性が思い浮かぶけれど、あたしはそれを却下し、頭の中から閉め出した。
 まずは綾乃ちゃんのところに行こう。あれこれ考えて不安や悩みに陥るよりも、解らない事を一つ一つはっきりさせていくほうがずっといい。
 けれど、踏み出そうと一歩目はその途中で止まってしまう。
「これ飲んどきなさい。特製の解毒薬。それとお店の中に食べ物もおいてあったから、それも頂戴しましょうか」
 ミッちゃんがあたしの眼前に皮袋を突き出していた。
 摘んでいた指先が開き、重力に引かれて落っこちたそれを両手で受け止めると、ロングスカートのメイド服に身を包んだミッちゃんは、道具屋の裏の扉に手をかけ、鼻歌を歌いながら入っていこうとする。
「こんなときになにのんきなこと言ってんの! ミッちゃんは事情を知らないかもしれないけど、綾乃ちゃんはねェ!!!」
「相手は宿一軒ふっ飛ばしてでも、女の子を拉致っちゃうようなヤツなんだから。そんな今にも倒れそうな顔してて、どうこうできるはずないでしょ?」
「え……事情、わかってるの?」
「安心しなさいって。綾乃ちゃんは知らない仲でもないし、私のほうでいろいろ手を回しておいてあげたから。少し遅れたって逃げやしないわ。簡単に食事の用意してあげるから、それ食べてって。一波乱が起きる前に」
「ミッちゃん……前々から気になってたけど、いったい何者? 僧侶で娼婦で今はメイド……って、それだけじゃないよね?」
「ふっふ〜ん、謎の美少女メイドのミッちゃんの正体は、謎だからミステリアスなのだよ♪」
 ―――まともなのかふざけてるのか、これじゃ判断が付かないわよ……
 さっきとは別の意味で頭が痛くなってきた。……でもまあ、綾乃ちゃんがひとまず無事でいるというのなら、ここで一度、休んでおくほうがいいのかもしれない。
 でも……
「ねえ、ひとつだけ教えてくれないかな。ミッちゃんにもいろいろ事情があってこの街にきたって言うのはわかったから、答えられないことなら深く追求もしないし」
「いやいや、愛するたくや君のためなら何だって答えちゃうわよ。で、何が知りたいのかな? 私のこと? 私のこと? それとももひとつ私のこと?」
「そうね……ミッちゃんに関係してることかな?」
「うおっ!? ま…まさかたくや君、ついに幻の“ミッちゃんルート”に足を踏み入れる気!? いいの? 難易度高いよ? 攻略引き返し出来ないよ? それでもいいなら、カモン、マイハニー♪」
「ルートっていったい何のことだか……それよりも言質は取ったからね。いまさら答えられないって言うのは無しだから」
「ちなみに答えなかったら?」
 両の頬に人差し指を当ててかわいらしく聞いてきたので、こう答えた。
「触手」
「ヒィィィィィィ! たくや君、なんて恐ろしい子!!!」
「友達との約束破ったら恐いってことだから、必ず実行するから。あ、そうそう。あたしが娼館で初めてお仕事させられたときのように観客も付けてあげる。外で伸びてた自警団の人、女日照りで超がつくほど飢えてるそうだから。が〜んば♪」
「いやぁあああああっ! たくや君のドSぅぅぅ! あ、あいつらはね、あいつらは人の皮をかぶったケダモノなんだから。絶対にかかわったらいけない連中なんだから。視線合わせただけで妊娠させられちゃうんだからぁぁぁ!!!」
「え〜と……うん、まあ、あたしも言い過ぎた。あいつら酷い連中だよね。あたしも水浴びを覗かれそうになったから、よっくわかる」
「たくや君……わかってくれたんだ、ウルウル……」
「うん。嘘泣きしても、答えなかったら公開触手であいつら呼ぶのは変わらないから、きりきり答えなさい」
「これが……これが「おマ○コ」って言葉さえ知らなかった純真無垢なたくや君の成れの果て……時間の流れって残酷すぎる……」
「やかましい。人を娼婦になるように仕向けたのはミッちゃんでしょうが」
「だって、私が儲けるためだもん♪ ルーミットってドル箱だったよね。スカウトした私の目に狂いはなかったって感じ〜♪」
 そういうことを悪びれもせずに笑顔でいえるんだから、ある意味、ミッちゃんはスゴいと本当に思う。
 だからこっちもズバッと訊いた。領主のお屋敷で感じた、疑問の答えを。
 その問いにミッちゃんが笑顔が固まったけれど、実際に触手を呼んだら―――


 −*−


 タッカー家。
 カダの街の領主の屋敷にある食堂に、一人の男が座っていた。
 かつて家族が囲んでいた長机の上座に据わるその人こそ、領主その人であり、綾乃と涼乃の父親でもあった。
 日は正午を回り、あと一刻もすれば夕方になる。たとえ収める街は賑わいを失ったとしても、だからこそ多忙なる毎日を過ごすはずの領主ではあるが、もう何時間も椅子に腰をかけたままだった。
 ―――コン、コン、コン
 扉がノックされ、メイドが一人、ティーセットを載せた台車を押して入ってくる。
「ご主人様、お茶を持ちしました」
「いや……すまないが、私は……」
「昼食もとられなかったから、厨房のものが心配しております。軽食もご用意しております。綾乃様に会われる前に、少しでもお召し上がりください」
 そういってメイドが三つ編みを揺らすこともない洗練された動きで主人の前に紅茶とスコーンを差し出した。
「………綾乃は、そろそろ目を覚ましたか?」
「はい、ご主人様。綾乃お嬢様は今、仕立て直しを終えたドレスへの着替えをなさっておいでです。……時間稼ぎも、これが限界かと」
「そうか。では着替えを終えたらここへ。そのことを、あの女にも伝えてくれ。……忌々しいが、これも契約ごとなのでな」
 椅子の背もたれに身を預けて天井に向けられた顔には、深い苦悩が刻み込まれている。それは長年にわたって深く刻まれたものであるが、現時点において新たに上から掘り込まれている苦悩も見て取れる。
「僭越であることは重々承知しておりますが、よろしいのですか? あの女は、“赤毛”は街中で起こった放火の―――」
「娘を連れてきてくれた。それが全てだ。手段は問わんと言ったのは、私自身なのだし。……まさか、我が家の秘密を知るものがいたとはな」
「………承知いたしました。それではお嬢様の元へ参りますので、これで失礼いたします」
 メイドが頭を下げると、領主は身体を起こし、うなずきを返す。
 そしてティーカップへと手を伸ばすと、



「ああ、娘を頼んだよ。―――――『美月』」