第十一章「賢者」45
目の前の少年には見たことも会ったこともない。誰この子?―――と言う結論に達したのだけれど、なぜか綾乃ちゃんはアワアワしながら確認を繰り返してきた。
「そ、そんなはずないですよ!」
「知らない」
「先輩だったら知ってるはずです!」
「全然」
「よーく見てください!」
「さっぱりです」
「いやいやいや、もっとよく見るんじゃ、よーくよーくよ―――く!!!」
綾乃ちゃん一人には任せておけなかったのか、なぜか最後には少年の方も立ち上がって、ズイズイズイッと顔を近づけてくる―――けれど、
「………あんた誰?」
「んがァ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」
覚えがないと言うことがそれほどショックだったのか、少年は二歩、三歩とフラフラ後退さり、身をよじりながら悲劇の主人公っぽく地面へと倒れこんだ。
「ひ、久しぶりの再会を驚かせてやろうと思っとったのに……なにこの扱い!? この身体を作るのにどれだけ苦労したと!? ワシってもしかしてあわれな道化でしかないんかい!?」
「うるさいわね……知らないものは知らないし、覚えてないものは覚えてないのよ。だいたいねェ―――ちょっと待って」
あたしの記憶に引っかかるものがある。
少年……あたしのことを知っている少年……あたしが顔を知っている少年……それからもう一度男の子の顔を思い出し、口元に当てた人差し指を軽く唇に噛みながら記憶の糸を手繰り寄せていく。そして、
「もしかして……」
あたしはついにその正体を探り当てる。
「や、やっと思い至ったか!? そうじゃ、そうじゃろうとも、ワシとおぬしの切っても切れない深〜いつながりならば思い出しても当然の事じゃ。驚かすでないわい、アッハッハ!」
「………娼館に忍び込んで、あたしの部屋を覗き込んでたスケベ少年ね!?」
「そんなんちゃうわ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――!!!」
おお、スゴい魂の叫び。
「まあ、否定したくなる気持ちも解らなくはないけどね……よく「お姉ちゃんてママそっくりなんだ…」って言って胸を揉もうとしてし。あれ、周りに聞いたら誰にでも言ってたそうじゃない。でもって同情しようものなら胸に顔を埋めて……まったく、油断も隙もあったもんじゃない」
「しとらんしとらんしとらんしとらんしとらんしとらんしとらん〜〜〜〜〜〜!!! てか、うわ、なんか周囲の視線が痛い! 違う、ワシはそんな思春期真っ盛りのエロガキとはまったく関係ないんじゃ〜〜〜!!!」
「別にいいのよ気にしなくて……子供だもん、女性の身体に興味が出ちゃうお年頃なんだよね。恥ずかしいことなんてないからね?」
「ふっざけんなァ! ワシはなァ、ワシはなァ、その気になればハーレムだって築けちゃうスーパーにいい男―――」
「ふぅ……ここ熱いわね。服の胸元開けちゃおうかな」
「うわぁい、おっぱ〜い♪」
やっぱりそうじゃないか……あたしが破れたシャツの代わりに胸を覆い隠しているジャケットの首元に手をやると、少年は満面に最高の笑顔を浮かべて飛びついてきた……ので、それをオークが叩き落とす。
「……はっ!? ワシ、今何しとったんじゃ!? 記憶にない、だから思い出すためにもオッパイをまず一揉み……!!!」
「却下。ポチ、お手」
執念深くあたしの胸に手を伸ばしてくる少年を指差すと、炎獣モードのポチが巨大な右前足で“べしっ”と叩く。
「もう一回お手」
べし。
「おかわり」
左前足でべしっ。
「お手お手おかわりお手おかわり」
べしべしべしべしべしっ。
「い…いいかげんにさらさんかァ―――――――――!!!」
重力障壁があるのだし、たいして効いてないのは分かっていた。それでも頭を何度も足蹴にされ、留美先生を小バカにしていたときの余裕など消し飛ぶほどにプライドを傷つけられた少年は、頭の上にポチの左前足を乗せたまま鬼の形相で立ち上がってくる。しかも背後には鬼のオーラを背負ってだ。
「―――ま、それはともかく」
こんな少年が重力魔法を自在に振るえるのも、どうせ胸に抱きかかえている魔道書の力だろう。目の前で立ち上がられると本当にちょうどいい位置だったので、あたしは右手を伸ばし、少年の腕の中からひょいっと魔道書を抜き取った。
『「な、なにすんじゃああああああっ!?」』
「おとなしくしてれば返してあげるわよ。だから―――おや?」
今……確かに、魔道書を取り上げられて狼狽する少年の声が二重に聞こえた―――いや、二重に聞こえたのは確かだけれど、まったく同じタイミングで、同じ言葉、同じアクセントの声が少年の口とは別の場所から聞こえてきていた。
「もしかして……」
あたしは手にした魔道書をペシッと地面に叩き付けた。
『「ふぎゃあっ!!! な、何をするんじゃ、ワシの黒いお肌に傷でもついたらどうしてくれるんじゃ!?」』
「あ、なーんだ、エロ本じゃない、ひさしぶりー」
『「今の台詞、ものすごく棒読みじゃったぞ、て言うかナチュラルに踏むな、表紙に足型がつく―――――――――!!!」』
もう一つの声の出所はどこかと思えば……あたしの手の中、いや、今は足の下の魔道書からだ。
黒い革表紙のハードカバーは重々しい雰囲気をかもし出しているけれど、中身はあたしに“エロ本”と言う不名誉なあだ名をつけられるほどにドスケベな性格をしている。本のくせに。
「つまりは―――」
あたしはゴブランサーから槍を受け取ると、踏まれたまま身動きの取れない魔道書の横に勢いよく突き立てる。
『「ひょええええええええええええええええええっ……!」』
「あんたが元凶ってわけね……マーメイドさらってマーマン呼び寄せたのも、あたしがやっと仕事明けでのんびり出来ると思ってたのにトラブルに巻き込まれたのも……!」
『「で、でも、悪の親玉としては騒動起こすのが仕事のようなものでありまして、そりゃもちろん悪意はありましたけど勝手にそっちの方が首突っ込んでフギャ――――――!!!」』
やかましいので槍で串刺しにする……はずだったんだけど、思い武器を振り回せるほど体力が残っていない。目標からわずかに反れた槍は魔道書の角を擦るにとどまった。
『「ど、ど、ど、どうしてくれるんじゃあ!? ワシの美しい革表紙が……てか、金のメダルを返さんかい! あれがないからワシの威厳がた落ちなんじゃぞ!?」』
―――ここまでくれば、もうこのエロ本の正体は説明しなくても判るだろう。出来ればわかりたくなかったけれど、分かってしまった以上はため息をつくしかない。
あたしがアイハラン村のお祭りで“こいつ”の復活に巻き込まれてしまい、気づけば遠く離れた南部域の森の中で女にされて倒れていた。
そう、こいつはあたしの不幸全ての現況だ。それだけではない。人に“魔王”なんて言う今の今まで綺麗さっぱり忘れていた嫌な称号まで与えてくれた人格を有するこの魔道書、その名は、
「………………………………」
『「おい……なんじゃ、その間は」』
やはり魔道書を抱えていないと魔法は使えないらしい。本の上からあたしの足を何とかどかせようとしている少年と、足の裏の本から同時に突っ込まれると、あたしは明後日の方向に視線を向けながら悟ったように呟く。
「………久しぶりね、パンツ一丁」
『「何じゃその物凄〜く嫌な名前は―――――――――!!? しかも“パン”しか合っとらんし……もしかして貴様、ワシの名前を忘れたわけではあるまいな!?」』
「やだなぁ、そんなことあるはずないじゃない♪………え〜、パンくず団子」
『「やっぱり忘れとるじゃないか―――――――――――――――!!!」』
「別にいいじゃない、名前なんて。格好いいわよ、パンツ一丁。よ、男の中の男、パンツ一丁!」
『「男の中の男より女の中の男のほうがワシ的にはベストなんですじゃ―――……てか、誤魔化されんぞォ! 最低じゃ、人の名前を忘れるなんて最低じゃ、お主は最低の人間じゃ!!!」』
「う、うるさいわね。てか、何であたしがあんたの名前なんて覚えてなくちゃいけないのよ、この女の敵の廃品回収物!」
『「ああぁん、ら、らめェ〜……そ、そこグリグリしちゃラメェ〜……!!!」』
「踏まれて喘ぐな、この変体魔道書ぉ!!!」
不気味な喘ぎ声に背筋におぞましい怖気を感じたあたしは、生理的嫌悪感に身を任せてエロ本を蹴り飛ばしてしまっていた。
『「ふはははは、見たか、この知能的脱出方法! 表紙の角がちょっぴり折れ曲がったけど、後でおもしを乗せてまっすぐに伸ばせば万事解決よ!!!」』
「ポチ〜、あれ燃やしていいよ」
『「ちょ―――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」』
宙を飛んだ魔道書を少年が追いかけているけれど、ポチの吐く炎のほうが断然早い。
どんなにスゴい魔道書でも、燃えてしまえばただのゴミ。ああ、これで一気に酷くなった頭痛も治まる……かと思ったものの、ポチの炎はいつまで経ってもエロ本に向けて吐き出されなかった。
『グ……グルルルル……』
「ポチ!?」
先ほど、お手とおかわりを見事にこなしたポチが、今はおなかを地面に擦り付けるように巨体を倒れこませてしまっている。
―――しまった。留美先生との戦闘での傷が治りきってなかったのに無茶させたから……!
お腹の下からにじみ出てくる大量の血。傷口が開いたのは、あたしが重力魔法から逃れる際に召喚し、重力のいくらかを負わせてしまったことも原因だろう。
―――寺田との戦いでは気をつけてたのに
「ポチ、気づいてあげられなくてごめんなさい! 直ぐに魔封玉に戻って!」
『グルルゥ……』
「いいから早く! 後のことは心配しなくてもいい、ポチが頑張ってくれたんだから、きっちりケリをつけてあげるから!」
強制的にでもポチを魔封玉に封印しなおそうとするものの、なぜかポチは弱々しく首を振り、再封印を拒否し続ける。そんなポチを他のモンスターたちも心配そうに見ているのだけれど、腹部からの血液はまったく止まりはしなかった。
そんな時に、
「ふははははははははァ、ワシ、大復活ゥ! もう正体もばれたし少年らしく喋らんでもいいからテンションMAXじゃあ!!!」
と頭上から少年の……いや、少年を介したエロ本の声が聞こえてきたら、血管がブチ切れてもおかしくはない。
「ワシが肉体を得たということは、すなわちそれ、大魔王復活ということよ! 貴様らなんぞワシが小指をちょいと振るだけでペシャンコになるという事実を叩き込んでくれるわ!!!」
「やかましい、あんたは黙ってろォ!!!」
思わず足元に転がっていた手ごろな石を拾い上げると、重力を操作して空中に浮かんでいる少年に投げつける。狙いは……外れることなく顔のど真ん中。
「ふごォ!!!」
「すっ……すっっっとらぁぁぁぁいっ…くゥぅぅぅ………!!!」
砕けた骨が一気に軋んだ。身体が言うことを聞かないほどの激痛が全身を駆け巡り、あたしは立ったままビクンビクンと身体を打ち震わせる。
―――これじゃ第二球は投げられそうに……!
上手い一撃を当てられたけれど、それが続かない。もういつ倒れてもおかしくない、いや、立ってるのがおかしいぐらいのダメージを負っているのだ。攻撃なんて元から出来るはずがなかったのだ……が、
『ブヒブヒブヒブヒブヒ?(スクナはん、こんぐらいの石でえーでっしゃろか?)』
なぜかオークが大きめの石を手にしており、四本腕で大金棒を握り締めたシワンスクナが身体を捻り、金棒を肩に担ぐ。
『ブヒヒヒヒィン!!!(仲間ァやられた恨みは返させてもらうでェ!!!)』
『応。我、全力打撃!!!』
オークが放り投げた石を、シワンスクナが引き絞った全身の筋肉を一気に爆発させて金棒を加速させ、打撃する。巨大な金棒の運動エネルギーを叩きつけられた石は、あたしが投げたものより数段速い速度で少年へと飛来し、
「に、二度もそんな攻撃を食らうかァ!!!」
親指が下に向けられ、石に下向きの加重が加えられる。
防がれた……そう思ったあたしの目の前で、重力を受けた石は軌道をカクンと下に向ける。そして斜め下に向かった石は次の瞬間、吸い込まれるように少年の股間に突き刺さっていた。
「―――ぺぽっ」
しかも音は“ドゴン”……間違いなく直撃粉砕だ。
「ぴよ……ぽ…ぽっ…は…とぽっ……ぽぉ〜………!」
「よし、やった! オーク、スクナ、次弾装填! 準備が出来次第、第三射、とどめよ!!!」
「人の金玉が潰されたのにやったってなんじゃ―――! 貴様だって男だったのにコブシ握って喜びやがって。この痛みが貴様にはわからんかァ〜〜〜!!!」
「エロ本にかける情けなし!!!」
「じゃ、じゃったらワシだって……スペリオン、ミノタウロス、スレイブニル! いつまで寝取るんじゃ、そいつらを蹴散らせェ!!!」
第十一章「賢者」46へ