第十一章「賢者」41
―――あれをこの距離で食らって無事って、どれだけ頑丈だって言う話よ。
落雷にさえ匹敵するプラズマタートルの最大電撃。洞窟全体を震わせるほどの轟雷が、まともに身を隠せる場所のない真っ直ぐな洞窟で正面からそれが直撃したはずなのに、雷が通り過ぎた跡にまだ寺田の姿は残っていた。
―――あれは……フォトンシールド(光子盾)?
筋骨隆々ではあるものの、背は決して高いとは言えない寺田には大きすぎるように思えた巨大なショルダーアーマー。そのうち、電撃に向けて突き出された左の肩鎧は、口を開いたかのように中央で分割し、内部に仕組まれていた魔導体となる水晶をむき出しにして薄明るく輝く放つ光の障壁を丸く形作っていた。
―――斧だけじゃなく、あんな防具まで身につけてるなんて……
光の盾自体はそう大きくはなく、片膝をついて身を屈めてやっと電撃に対して全身をカバーできるというぐらいだ……けれど、むき出しになっている肌に多少の火傷を負ってはいるものの、寺田は健在。分割していたハルバードを再び連結すると、右肩に担ぎ構える。
「面白い亀まで呼び出しやがって。なかなか楽しませてくれたじゃないか」
「ふん……そんなこと言ってるけど、そっちだってグロッキーなんじゃないの?」
「少々驚いただけだ……人もモンスターもまともに殺せない甘ちゃんだって話だった聞いていたんだけどな」
「自業自得でしょ。自分を襲った強姦魔に命の保障をしてやるほど優しくないわよ、あたしは」
「あれは負けたお前が悪いんだ。どうする? 今なら負けを認めれば優しくしてやらんこともないぞ?」
「冗談でしょ。あんたこそ観念してぶちのめされなさいよ。色々と訊きたい事もあるし」
言葉を交わしあいながらも、お互いに動けない。相手に隙がないわけではない。どちらも消耗が激しく、次の行動に移れないのだ。
―――さっきの電撃に、あたしも残ってた魔力の大半を注ぎ込んじゃったしな……
後ろからシワンスクナに支えられていなければ、立っていることすらできない。留美先生との“連戦”があったせいで貧血になり、体力的なハンデがあったとは言え、まだ自分の足で立っていられる寺田の方が体力的にはこちらを上回っているだろう。
―――さて、どうしようか。
ゆっくりと呼吸を繰り返しても、打開策は何も思いつかない。電気を一時的に使い果たしたプラズマタートルを魔封玉に戻すと、まだ余力のあるモンスターたちを魔封玉のまま再び手の平の上に呼び寄せる。
ところが、
「―――――やめだ。このままだと、どうも分が悪い」
いともあっさり寺田はそう言い、肩に担いでいたハルバードをぐるりと手の中で回転させて地面に突き立てた。それはもう戦うつもりはないという意思表示だ。
「じゃあ負けを認めるのね?」
「冗談言うな。ただ、このままだと本気で殺し合いになりそうだからな。命を掛けるにしては、この場面はあまり面白くない………だから逃げるのよ」
言い終わると同時に寺田は煙玉を取り出し、地面に叩きつける。大介が何度もめくらましに使用したのと同じように、風の流れの少ない洞窟が一気に白煙で溢れかえると、寺田の姿もあっという間に見えなくなってしまう。
「ケホッ、ケホッ、に……逃がすもんですか!」
『はっはっはァ! せっかくここまでマーメイドを助けに来ておきながら残念だったな!』
「………まーめいど? なんのこと? あたしは綾乃ちゃんを探しに……」
鼻と口を押さえながら首をかしげると、煙が充満した洞窟内に妙な空気が漂い始める。
『………いや、だからマーメイドを助けにきたんだろ?』
「違うわよ。そっちは留美先生に任せて、あたしは綾乃ちゃんと一緒にこの村を出ようって……ってことは、あんた達がマーメイド捕まえてた犯人!?」
『―――はっはっは、また会おう!』
「こ、こらァ! 白状してから行きなさい、なんか物凄く誤解してたよね!? 逃げるなこら、筋肉ダルマァ!!!」
『今度会ったらまた犯してやる。今の言葉、それまで覚えてやがれ!』
どうも最後の「筋肉ダルマ」は、それなりにダメージを与えられたらしい。……が、シワンスクナが闘気を放出して煙を押し流したその時には、寺田の姿はこの場から消えてしまっていた。
「ち、ちくしょう、逃げられたァ〜〜〜!!!」
ここまで追い詰めていながら……留美先生との戦いで炎獣のポチが大怪我をおっていなければ、追撃の火炎放射を煙の中に叩き込んでやったのにと悔やむけれど、それももう遅い。仇敵とも言える相手を後一歩まで追い詰めておきながら取り逃がしたショックで、完全に緊張の糸が切れしまい、あたしはその場でヘナヘナと崩れ落ちてしまった。
「そう落ち込むなって。あんな化け物みたいな親父と戦って生き残れたってことだけで、今んとこは満足してようや」
「大介……」
「他の連中も、さっきの煙に紛れて逃げてったぜ。とにもかくにも、俺達の勝ち……ってことだろ、これは」
今にも倒れてしまいそうな背中をスクナの腕に支えられているあたしの横に大介がやってくると、そう言って笑う。
―――ま、ものは考えようか。
一度は取り押さえられてレイプまでされたのだ。ボロボロにはなったけれど、確かにこうして生き残れただけでも勝ちと言えば勝ちだろう。
そしてそう思うだけでも、疲れ果てた心と身体に涼やかな“風”が流れ込んできて軽くなった感じがする。
ただ、
「ぬおおおおおおおおっ!?」
横でなぜか大介が拳を握り締めているのが気になるのだけれど。
「どうかしたの……?」
「い、いや、なんでも……それよりもたくやちゃん、疲れてるんだろ? そう言うときは深呼吸に限る。ほら、大きく息を吸って〜」
「なんなのよ、もう……」
何を言っているのか解らないけれど、あたしは戦いを終えた開放感から、苦笑しながらも大介の言葉に従って大きく息を吸い込む。
「フォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!」
「だからうるさいって。隣でそう叫ばれたら、おちおち深呼吸もできないわよ」
「そ、それは悪かった。んじゃ最初からやり直そうか。はい、大きく、大きく、大きくいっぱい胸を吸い込んで〜」
―――むね? 何を言ってんのよ、大介は……
妙な胡散臭さを感じながら大介の顔を見上げてみるけれど、こちらに向いているはずの視線はあたしの顔とは少し違う咆哮に向いている。やや下向きのその視線を追いかけてみると、寺田に切り裂かれていて、
「あ」
そう、圧倒的なボリュームの二つの丸々とした膨らみが露わになってしまっていた。
しかもそれだけではない。下半身なんてズボンもパンツも脱がされていて、身に着けているのはニーソックスだけだ。脚の付け根には白く濁った体液が飛び散っており、陵辱の跡もいまだ生々しい………って、
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!
大介、どこ見てんのよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
叫んだ瞬間、同時に気付いたシワンスクナが大介をぶん殴っていた。
「ここが終着点みたいね……」
「ほ…ほうらね……」
シワンスクナの拳で顔の左半分が人間の顔とも思えないぐらいに腫れた大介が、喋りにくそうにそう答える。
洞窟を抜けた先に待っていたのは、地下とは思えないほどの大空洞だった。以前崩落させてしまった水賊のアジトよりもさらに広い。手にした松明をかざしてみても、光は天井にまで届かず、今にも飲み込まれてしまいそうな暗い闇をそこへ湛えている。
―――綾乃ちゃんがこのあたりにいてくれると助かるんだけど……
逃げ去った男達が残した銛を杖代わりにしてすがりつき、ようやくこの洞窟の一番奥にまで辿り着いてはみたものの、綾乃ちゃんは未だに見つかっていない。寺田たちが焚いたのだろうか、広大な空間のあちらこちらには篝火がいくつか燃え残っているので広範囲にわたって見渡すことができるけれど、動くものの影も形もない。
「ふぅ………」
こうなると、マーメイドたちが連れ出されたと言うもう一本の洞窟も捜索しなければならないのだけど、あたしの足はもう限界。激しい陵辱と戦闘による疲れ以上に、大量出血による体力の低下がふらついている原因だ。一休みしてすぐに動けるようになるとは思えないけれど、立っていることすらままならず、あたしはその場にへたり込んで意志の壁にもたれ掛かってしまう。
「う〜ん……位置は間違ってないと思うんだけどな……」
「どうしたのよ、大介……」
「いやあ、今まで歩いてきた距離を考えると、ここ、どうも村はずれの崖の向こう側辺りになるんだなって思ってさ」
大介は手に村の周辺を書き表した地図を持ち、その縮尺や歩いてきた距離や方角から現在位置をブツブツ呟きながら計算している。
「そんなとこまで歩いてきたの? うわ〜…どおりで長かったわけね……」
露天温泉のさらに先、ゴツゴツした岩場を抜けたところで目にしたそそり立つ壁を思い返す。あそこまでは漁村もかなり小さく見えるほどに距離があり、岩場を歩いて抜けるだけでも一苦労だった……のだが、
―――どうしてあんなところまで行ったんだろ?
たしか留美先生に情報を集めてきて欲しいと頼まれてたはずなのに……そうそう、弘二があまりしつこく付きまとうからどんどん村はずれにまで行っちゃって……
―――弘二は、その後どうしたんだろ?
「ッ………!」
頭が突然鋭く痛み、あたしは額に手を当てて小さくうめく。
こうじは、途中で、いなくなった……違う。崖の前までは一緒だったはずだ。
じゃあ、どこで別れた? どんなに突き放しても纏わり付いてきた弘二が、どうしてあたしの傍からいなくなった?
それにだ、あたしは聞き込みをしていたはずなのに、どうして人が一人もいないあんな岩場の奥にまで行く必要があった? いくら弘二があたしに他の男性を近づけないようにしていたからって、あたし自身が人のいないところに行ってしまっては本末転倒。ただ散策気分で弘二と二人きりで人気のない場所にまで行ったと言うのだろうか?
―――違う。大事なのはそこじゃない。もっと先……崖の目の前で、何か……なにかあったはずなのに……
頭の奥に釘でも突き刺されたかのような痛みが納まらない。キツく目蓋を閉じ、脂汗をかき、必死の形相で記憶を引っ張り出そうとするけれど、あの崖に近づくほどに途切れ途切れになり、やがては何も思い出せなくなる。
はっきりと記憶が戻るのは海中。マーマンやダゴンと戦闘を始める直前の時だ。
いくらなんでも状況が飛びすぎている。崖の前で、あたしはマーマンに掴まったのか? そのとき、弘二はどうなったのか? 抵抗はしなかったのか? なんで海中でも呼吸できたのか?―――どうして、それらを今まで疑問にも思わなかったんだろうか?
「ク……ゥぅ………!」
何かあったはずだ。記憶が不自然に途切れる前に、記憶を失う原因があったはずなのだ。頭を殴られて記憶を一部分失ったのだろうか? いや、目を覚ました時には頭部に痛みはなかったはずだ。それならなぜ……!?
「たくやちゃん、しっかりしろ、おい、聞こえてないのか!?」
「んっ………あ、だいす…け? どうかしたの?」
「ふ〜、どうかしたのじゃないぜ、まったく。顔を抑えていきなりうめきだすから何かあったのかと思ったぜ」
「ごめん……ちょっと考え事してただけ。別に何ともないから……」
大介に身体を揺さぶられて割れに帰ったあたしは、高すぎて見ることもできない天上を見上げながら長く息を吐き出した。
空洞内はむしろ涼しいぐらいなのに、体中からはじっとりと汗が滲んでいる。突然の頭痛も記憶を探るのをやめた途端に幾分和らぎはしたものの、まるであたしの行動を監視するかのように頭の奥で鈍く疼いている。それを無視して記憶の空白の間に何があったかを思い出そうとすれば、再び鋭くあたしの意識を断ち切ろうと襲い掛かってくるだろう。
「………大介、悪いんだけどあんた一人で綾乃ちゃんを探してきてくれないかな? あたしも、もう少しだけ休んだら後を追いかけるから」
「おいおい、見損なってもらっちゃ困るぜ。もし襲い掛かられたり、オレ、あっさり死んじゃうぜ?」
「………今、あんたの事を思いっきり見損なったわ。うだぐだ言わずにさっさと行きなさい、危なくなったら逃げればいいんだから!!!」
「ひえぇぇぇ〜〜〜!」
あたしが叫ぶと、大空洞にもう一箇所入り口を開いている洞窟に向けて大介は駆け出していく。
こんなにも頭痛のする状態では、むしろあたしが付いていくほうが足手まといになる……と言っても、自分の弱さに奇妙な自信(?)を持っている大介に言ったら、もう一本の洞窟を抜けたと言う寺田の仲間達とマーメイドを追いかけるのをやめ、あたしの傍にいると言い出すかもしれない。
―――ま、一番厄介なヤツは追っ払ったんだし、大介だけでも何とかなるはず……よね?
あたしの前から逃走した寺田が、マーメイドを連れ出した仲間と合流した……と言うのは考えにくい。イメージがわかないといったほうが正しいだろう。
寺田に初めて会ったのは、あたしが西部域のアイハラン村から南部域にまで跳ばされてすぐ、保護してもらった商団でのことだ。その頃の寺田は護衛の傭兵団を率いていたけれど、野営地でガルム率いる野犬の群れに襲撃され、あたしの処女を無理やり奪った直後に消息はわからなくなってしまった。
その後すぐに商団と分かれてフジエーダに向かったあたしには、寺田の生死を知る術はなかった。フジエーダに到着してからもトラブル続きで気にしている余裕もなかったし、恨みしかない相手の事を無理に調べようなどと思いさえしなかった。
でもその寺田が、今回いきなりあたしの目の前に現れた。しかも敵としてだ。誰に雇われたのかは知らないけれど、
―――偶然とは言え、嫌なヤツの相手をさせられたなぁ……
何とか撃退できたから良かったものの、あたしもボロボロだ。左腕は応急処置をしたものの、巻きつけた包帯は朱に染まっている。体力も魔力もほとんど底を付いているし、モンスターを連携させて戦闘させたことで頭にもかなりの過負荷がかかってしまった。複数のモンスターの位置と視界を同時に認識するのは、貧血で弱っていた精神力では頭の血管が破裂してもおかしくないぐらいの無茶だったと今更ながら思い知らされてしまう。
―――けど、その無茶をしなきゃ寺田は撃退できなかった。あたしやモンスターの行動を前もって知っていたみたいだし……
そう、それが一番の謎なのだ。
最初の接触の際、あたしが魔力剣を放つ前に間合いを詰められ、必殺の攻撃は容易く封じられた。寺田にもプレスアックスと言う遠距離攻撃があったにもかかわらず、わざわざ遠間を詰め、見たこともないあたしの必殺技をつぶしたのだ。
それだけではない。性的な刺激や興奮の中にあるときにはモンスターを呼び出せないことまで知られていた。村の中では、綾乃ちゃんの護衛にと蜜蜘蛛を呼び出していたので、あたしがモンスター使いだと知り得る情報がなかったとは言えないけれど、だからと言ってそこまであたしの能力の秘密まで知りえるものかと言えば、答えは否。あたし自信でさえ気付くのに時間がかかったのだ。あの決して頭がよさそうには見えない筋肉ダルマの寺田に、魔封玉の秘密がそう簡単に解るはずがない。
―――じゃあ……前もって知ってたってことになるのよね……
留美先生の話だと、昨晩、蜜蜘蛛に眠り薬を一服盛られたらしい。普通、昆虫型のモンスターの退治には煙タイプの薬を使うらしく、飲ませる薬もなくはないけれど一般的ではなく、常備しているとは考えづらい。だからあたしが来る事を知っていて前もって用意していた誰かがいる……と言う話なのだろうけれど、その“誰か”が寺田か、もしくは寺田と関係のある人物である可能性は高い。
―――寺田は、あたしのモンスターたちも知ってる様子だった……
ゴブリンアーマーたちを見ても中身がゴーストである事を見抜いていたし、シワンスクナの姿にも驚いた様子も見せずに切りかかってきた。どちらもリビングメイルやオーガなどとは見た目からしてかなり違うはずなのに、警戒がまるでないと言うのは……どうなのだろう。少しおかしくはないだろうか?
―――………いや、寺田も驚いていた時がある。
モンスターたちによる連携攻撃を仕掛けたとき、何度か寺田も驚きの表情を見せていた。
―――確かあれは、
ゴブハンマーを蹴り倒そうとして、跳ね返された時。
バルーンが口を開いて大量の触手を吐き出した時。
プラズマタートルを目にした時は……その前にモンスターがいっせいに姿を消したから、あまりはっきりとはしない。
―――ゴブハンマーとバルーンは、アマノ・コーヤの街の騒動で……
バルーンは佐野が見捨てた淫蟲と契約した際に、取り込んでいたあたしの魔力によって姿を変えた。ゴブハンマーもその翌日にあたしとベッドを共にして木の身体を手に入れた。もし寺田がこの二つの情報を知らなかったとしたら、あたしの情報を寺田に教えた人物はそれ以前にあたしが出会った人物と言うことにならないだろうか?
―――でも、あたしのモンスター召喚の弱点まで知ってて寺田に協力する人なんて思いつかないんだけどな……
スクナたちの情報を持っていたのなら、少なくともフジエーダで佐野が大暴れした事件の直後にあたしの情報を掴み、水賊のアジトでの騒動の後の出来事を知らないことになる。その間にも大勢の人に出会ったけど、寺田に情報を売りそうな相手と言うと、
―――そうか、確か水賊のボスって逃走中だったよね。その辺りかな?
水賊のアジトでは全モンスターを召喚して戦闘を行っている。そしてその後のことは知らないはずだけれど……それでもいまいち釈然としない。
「ん〜……ま、いっか。考えるのも面倒だし」
とりあえず休憩は終わりだ。馬鹿の考え休むに似たりと言うけれど、貧血で意識が朦朧としている時に面倒な事を考えても答えなんて出るはずがない。記憶の空白も同じだ。焦って思い出そうとするから頭痛がするのであって、落ち着いて考えればそのうち思い出すだろう。
とにもかくにも、今は綾乃ちゃんの捜索が第一であることに変わりはない。マーメイドを連れ去ったと言う寺田の仲間達と、それを追いかけた大介も気になるし、一通り大空洞の中を探索したら急いで後を追いかけた方がいいだろう。ここは寺田たちの拠点だったみたいだし、そんなところに綾乃ちゃんが隠れていられたとも考えにくいし。
「じゃあ……」
さすがにもう足で歩くのは限界だ。ここはまたバルーンに乗せてもらおうかと考え、魔封玉を呼び出すために手の平に意識を集中させていると、不意にこの広い大空洞に、澄んだ音色が一つ鳴り響いた。
「竪…琴……?」
それは聞き覚えのある弦楽器の音色だった……が、あたしの意識はすぐに別のものに向けられる。
「………男の子?」
何でこんなところに……竪琴の音色がどこから聞こえたのかと周囲に視線をめぐらせていると、いつの間にかあたしの目の前には年端もいかない少年がいた。背も低く、まだ十歳にも満たないように見えるけれど、それでも少年は長い前髪で顔を隠し、胸に黒い箱のようなものを抱きしめて、あたしの前に立っていた。
「えっと……どうしたの、こんなところで。もしかして洞窟に入ってきちゃったの?」
まさかこんなところに子供がいるとは思わなかった。内心でビックリしながらもそれを隠し、バルーンを呼び出すのをやめて立ち上がると、少年をおびえさせないように笑顔で微笑みかける。
「あ、そっか。マーマンが村を襲ったから洞窟の中に隠れたんだね」
―――違う。
「でもここも危険だから、急いで村に戻ったほうがいいよ。お父さんもお母さんも、きっと心配してるからさ」
―――違う、そうじゃない。
おかしい。おかしすぎる。あたしが魔力剣で吹き飛ばすまで、洞窟の中はトラップだらけだったはずだ。それなのに、洞窟を抜けてここまで来れるはずがない。
それに洞窟の中は明かりもなかった。松明やランプもなしでは、暗くて進むことなんてできない。
ではどうやってこの少年は、一人でこんな洞窟の奥深くにまでやってこれたのだろうか?………結論は、すぐに思いつけたはずなのに、“ありえるはずがない”と否定してしまい、
「―――蹂躙しろ、スタリオン」
油断してしたあたしは、これから始まる最後の戦いの先手を少年に奪われることになってしまった―――
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