第十一章「賢者」22
「う……ううっ……」
弘二が苦しげに身をよじる。
たくやにも、マーマンにすらトドメを刺されることを忘れられていた弘二だが、SEXの途中だった股間は気絶した今もなお大きく勃起し、右に左に動く腰に合わせてパンパンに張り詰めた亀頭を左右に揺らしていた。
見ている夢はよほどの悪夢らしい。低い声でうなりながら空へ向けて手を伸ばし、「あう」とか「ダメ」とか短い言葉をしきりに繰り返していた。
「せ…先輩とエッチするのはボクが先……ああっ! アナルは、ボクが調教してあげようと楽しみにしていたのに〜!」
夢の中ではどのような光景が繰り広げられているのか……鋭く声を上げたかと思うと、空に向けてカクカクと腰を振り、どうも使用後っぽい性器を突き上げる。
そして、傍らで癒しの光を手の平に灯して弘二の額に添えていた女性は、少しだけ後悔していた。
―――こんなバカは気絶しているうちに海に叩き込んでおくべきだったか。
女性がこの場に着いた時には、弘二と村の男の二人が倒れているだけで、一緒に行動していたはずのたくやの姿は何処にもなかった。その上、弘二は下半身を丸出しにしており、肋骨が粉砕されて瀕死状態。放っておけばさすがに死んでしまうので魔法で治療しているものの、
―――こんな事をしている時間がもったいない。
現在、マーマンとの戦闘が漁村で始まってから間もない頃だ。今頃は留美が圧縮して固めた砂の障壁を作り、村の男集に指示を出して互角の戦いに持ち込んでいるだろう。
だが互角と言うことは、なかなか決着がつかないことも意味する。村人とマーマンが入り乱れた戦場では大規模魔法で一掃するわけにもいかない。村にマーマンが出没することを虚言と判断し、初動で遅れを見せた留美のミスとも言えるが、村に雇われた立場でない留美が参戦したからこそ持ちこたえていられるのも事実である。責めることは筋違いであり、むしろ感謝されるべきだろう。
しかし、攻防が一進一退であることは確かだ。マーマンたちは種の存続がかかっているため女性を捕らえなければならず、多少のダメージを負っても必死に突き進んでくる。攻撃魔法と砂の障壁の支援、それに的確な指示があるとは言え、戦闘慣れしていない村人たちではいずれは押し込まれてしまうだろう。
そんな戦場を崩すのが弘二の役割だ。ただ一人でも訓練を受けた剣士が加わるだけで流れは変わる。今こそ名も泣き漁村を助けるために弘二の力が必要なのだが……
「おい、そろそろ目を覚ませ」
「えへへ……先輩ったらお尻の穴でそんなに腰を振っちゃって……エヘ、エヘヘ……」
「私も色々とやるべきことがあってな、今は一秒でも時間が惜しいのだ。わかるな? 分かったら今すぐ目を覚ませ、そして汚いものを振り回していることを土下座してわびろ………!」
「ここですか? ここですよね? 可愛いですよ、もう……では次は……ダメですって、そんな潤んだ目で見たって……♪」
逸(はや)る気持ちと込み上げる怒りを必死に押さえつけていた女性だが、ついに我慢の限界が訪れた。
癒しの光を灯した手が、空気をワキワキと揉みしだいて夢の中でお楽しみの最中の弘二の頭を鷲掴みにする。そして、いったん上へと持ち上げると、
「そんなに寝ていたいなら永眠させてやろうか露出魔が……!」
弘二の後頭部を、固い岩がむき出しになっている地面へと叩きつけた。
「あいたァアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」
頭がかち割られる激痛にさすがの弘二も目を覚ます。よい子もよい大人も絶対に真似してはいけませんと念を押したくなる女性の行動で、弘二の頭蓋骨は陥没してしまったが、即座に魔法で治療されたので致命傷になっていない。周囲に響き渡った鈍い音の割に、頭の被害はコブが出来た程度で済んでいる。
「ようやく起きたか。あまり手をかけさせるんじゃない」
「あ…あう………あれ、あなたは……」
その“女性”に弘二は見覚えがあった。―――けれど、それが誰だったか思い出せない。
岩場で耳にすることが出来た記憶や意思を奪う竪琴の音色は既に鳴り止んでいた。自分の名前やどうしてここにいるかなどは思い出すことは出来るのに、女性の金色に輝く左目に見つめられていると、浮かび上がってくる名前が霞みのように薄れてしまいうのだ。
もっとも、頭を叩きつけられた衝撃で夢の中でのことも、気を失う前後、目を覚ます前後の記憶もかなり吹き飛んでいる。クラクラする頭を押さえながら身体を起こすものの、目の前にいる髪の長い、弘二よりも年上の美女の名前を思い出すことは依然として出来ずにいた。
「さて……“身体は大丈夫か?”」
「ええ、全然なんともないですよ。ほら」
女性に問われ、地面に腰を下ろしたまま弘二が腕を振り回す。
岩をも砕くマーマンの水鉄砲をくらい、崖に叩きつけられたダメージは相当のものだったはずだ。けれど魔法での治療が上手くいっており、頭の後ろのコブが少し痛いぐらいで、身体の何処にも支障は感じられなかった。むしろ前より身体が軽いくらいだ。
「では次だ……“ここで何があったか話してくれるか?”」
「えっとですね―――」
女性に問われ、腕組みをして首を捻りながら、かすれて消えようとしていた記憶を掘り起こす。
「なんかボク、昨日の晩の記憶をなくしてたらしいんですよ。それで先輩と一緒に原因を探りにここまで着たら竪琴の音色が聞こえて、そしたらマーマンに襲われて、追い払ったら先輩がエッチしてくれました」
「“気絶していた理由は?”」
女性に問われ、弘二はアゴに指をかけて記憶を探る。
「ん〜…覚えてませんね」
「“たくやは何処に行った?”」
女性に問われ、空へと真っ直ぐ視線を向けながら弘二は首を捻る。
「ん〜…わかりません」
おかしな事に、弘二はたくやの行方が知れないと言うのに目立った反応を示さなかった。いつもの弘二なら、たくやがここにいないと気付いた時点で探しに走り出していただろう。
そんな弘二から簡潔に聞きだした言葉を頭の中で整理すると、女性はもうこれ以上質問する必要はないと判断する。立ち上がり、水着の上から羽織ったパーカーの襟を正すと、村の方角からまだ戦闘の喧騒が聞こえてくるのを確かめてから、ぼんやりと座り込んでいる弘二に向けて三本の指を立ててみせる。
「“三つ頼みがある”」
「はい、なんですか?」
「まず一つ目は“ズボンを履け”。今度その汚らしいものを私の目の前で振り回したら切り落とすから覚悟しておけ」
「はい、わかりました」
「では二つ目だ。今、村がマーマンの大群に襲われていてな。“大急ぎで助けに行ってくれないか?” できれば、そこに倒れている村の男も安全な場所に運んでおいてくれ」
「はい、わかりました」
「では最後の三つ目だ。“ここで私に会ったことは忘れろ”。“誰にも教えず”、“誰にも話さず”、“誰にも伝えるな”」
「はい、わかりました」
女性の“頼みごと”に言葉スクナに答えた弘二は、立ち上がるとまず、ズボンの中に愚息をしまいこんだ。それから周囲を見渡して自分のロングソードを探す……が、何処にも落ちていない。
「まあいいか」
今から戦いに行くのであれば、武器は必須のはずだ。それなのに弘二は自分の剣を探すことをあっさり諦めると、いまだ気を失ったままの男を肩に担ぎ、
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」
咆声―――たくやの事すら忘れ去っていた弘二は腹から声を絞り出して全身に気合をみなぎらせると、滑りやすい岩場をものともせずに漁村に向かって駆け出していった。
「………ああいう単純なバカは嫌いじゃないがな」
気を失ったまま腰を振っていた弘二を、何度骨まで消し炭にしてやろうかと考えたことか。けれど、どんどん離れていく弘二の背中を見つめる女性の顔には好意の感情が浮かんでいた。
―――あの男が行けば、膠着状態の戦場に多少の動きが出る。
宝石や黄金よりも蠱惑的な輝きを放っていた左目を手の平で覆う。
目蓋を閉じ、吸血鬼が所有する最上級の魔眼を再現した紋章魔術の最秘奥“魅了眼”への魔力供給を停止。瞳に刻み込まれた極小の魔方陣が効力を発さなくなったのを確かめると、女性は“自分の目”でたくやがいたであろう広い岩場をぐるりと見渡した。
―――さて、村での戦闘が終わる前に、私の目的を果たすとするか。
“魅了眼”に魅入られたものは自分で判断する能力が低下するため、ウソをつけなくなる。弘二の言葉と記憶が確かなら、たくやもマーマンに襲われた筈だ。
だが地面には血痕が飛び散った様子はない。確認はしていないが、何体ものモンスターを従えたたくやの戦闘力はそれなりにあるはずだ。まして、固有能力の衝撃波の威力は固い岩盤さえ粉砕する。マーマンを相手にしても簡単に引けを取るとは思えない。
―――竪琴の音色……記憶の喪失……おそらくは魔曲の類だろうが、その影響を受けたために戦闘自体が行われなかったのか。
女性は思考しながら目を凝らし、そこに“いた”たくやの跡をたどって岩場の淵にまで歩み寄る。そしてジッと波打つ海を見下ろし、
―――海の中に引きずり込まれたか。
陸上では太刀打ちできても、水中では人間はマーマンに勝つことは出来ない。手足があるとは言え、マーマンの進化は水中でこそ発揮されるからだ。
水掻きやヒレの付いた手足は、水中で魚以上の機動力を生む。硬い鱗は水中では動きの鈍る人間の斬撃を容易く跳ね返し、深い海での水圧にも負けない筋力と鋭い鉤爪は、酸素を求めて溺れもがく人間を容易く捉え、仕留めるだろう。
最悪、たくやは既に死亡している可能性もある。村でのマーマンとの戦闘に姿を見せておらず、この場にもいないとなれば、残るは海に入ったと考えるのが妥当だが、そここそがこの村でもっとも危険な場所なのだ。
―――さて、どうするか。
死んだと断定できるわけではない。だが漁村よりも遥かに広い海の中から一人の人間を探し出すのは困難を極める。水面に浮いていれば話も変わってくるが、手がかりもなく捜索する場合、労力も時間もどれだけ必要になるか分かったものではない。
だが、
―――これはどういうことだ?
女性が見ているのは、たくやの残留魔力だ。本人の魔力容量が膨大で、制御もあまり完璧ではないために、周囲に発散している魔力量も一般人の何十倍もある。弘二が攻撃を受けて飛ばされる前の位置を推測し、そこからたくやの魔力の痕跡を追って海に近づいたのだが、そこである異変が起こったことに女性は気がついた。
―――どうしてここで魔力属性までが変化しているんだ?
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