第十章「水賊」22
それなりに労力を費やして、ようやく舞子ちゃんの部屋へ入れてもらえたのだけれど……舞子ちゃんの機嫌はなかなか直ってくれなかった。
「舞子は怒ってるんですからぁ〜!」
―――はい、ごもっともです。
「本当に泣いちゃうところだったんだからぁ〜!」
―――女の子を泣かせちゃいけませんね。ゴメンなさい。
「もうお姉様なんて知らないんだからからぁ〜! だからぁ、舞子はお姉さまにと〜ってもひどい事しちゃうんだからぁ〜!」
―――ほうほう、少し距離を置いて深呼吸始めたね。顔は膨れたままだけど、何するつもりなんだろう。
「せ〜の……ツ〜ンだ!」
………それで?
「見ましたか? 見ましたね? 舞子はお姉さまに「ツ〜ン」ってしちゃったんですぅ〜!」
………今のってそんなにひどい事? あたし、「怒った横顔も可愛いなぁ」って見てたんだけど。
「だから反省して、これから舞子にウソついちゃダメなんですぅ〜! またウソついたら、舞子、今度は、今度は……「ツ〜ン」じゃなくて「プ〜ン」てしちゃいますからぁ〜!」
―――いや、ツ〜ンもプ〜ンも大差ないと思うんだけど……
なにはともあれ唇を尖らせてそっぽを向いた事で、舞子ちゃんの子供よりも子供っぽいお怒りは一段落付いたようだ。
一向に怒られた気はしないのだけれど、ここいらで話を逸らしておかないと、感情を昂ぶらせすぎて舞子ちゃんが本当に泣き出してしまいかねない。何しろあたしをベッドの端っこに座らせて、かれこれ三十分ぐらい身振り手振りを交えて喋りっぱなしなのだ。そろそろあたしからも話を切り出して、舞子ちゃんには一息入れてもらわないと。
「まあ、舞子ちゃんが無事だってわかってホッとしたな。ずっと顔を見せてくれないから、もしかしたら病気にかかって寝込んじゃったかって心配してたんだから」
「え……」
「だってほら、裸にマント一枚って姿で森の中を走り回ったでしょ? しかも雨が降ってたし。風邪でもこじらせてたりしたら、それって舞子ちゃんを巻き込んだあたしの責任な訳だし……」
「ち、違いますぅ〜!」
「何が違うの? 風邪引いた事? それともあたしが悪いって事?」
予想通りに否定の言葉を口にした舞子ちゃんへ問いかけると、かわいらしい口は答えに一瞬詰まる。
「りょ…両方ですぅ〜……」
舞子ちゃんの視線は再びあたしを責めるものへ。
それも仕方ないだろう。病気でもないのにあたしに会わなかったのは、自分が悪いのだと自分で認めたようなものなのだから。もしあたしが悪いのだと言えば、それはあたしが舞子ちゃんを助けた行為を否定する事となる。
―――つまりあたしは、舞子ちゃんの行為を利用してるわけでもあるわけで……う〜ん、罪悪感が……
「あの……お姉様、やっぱり怒ってるんですかぁ〜?」
「ん? 怒ってないよ。これっぽっちも。全然」
顔の前で手を左右に振って否定する……が、舞子ちゃんを責めるような言葉になってしまったのはわかってる。謝らなければいけないのはあたしのほうなのだ……が、
「怒るってよりも安心したって感じかな。舞子ちゃんが舞子ちゃんのまんまで……ってのも、なんか変な言い方だけどね」
そう、それが一番言いたかった事かもしれない。
出会ってから、まだほんの数日。顔をあわせていた時間なんて極わずかでしかないのに、目の前にいる舞子ちゃんが想像の中の舞子ちゃんと同じでいてくれたから、あたしは安心しているのだ。
本来なら、旅の途中で袖が触れただけのような縁。ここまで心配する謂れもなにもないのだけれど、だからってあたしの事を「お姉様」と呼び慕ってくれた女の子を無視して放っておけるほど薄情ではないし、いたくない。
―――だから……そう、本題のほうから入ってしまおうかな。
あたしの言葉の真意が分からないのか、それともとんでもない方向へ誤解しているのか、赤らめた頬に両手を当てている。
綾乃ちゃんとはまた違う、年下の女の子の恥らう行為にクスリと笑みをこぼすと、あたしは前々から考えていた事を口に出した。
「舞子ちゃんさ、もしよかったら、あたしや綾乃ちゃんと一緒に旅しない?」
「―――――――――」
舞子ちゃんの動きが止まる。その姿をやさしく見つめたまま、言葉をつなげていく。
前々から考えていた。こんな子を一人で放っておいたら危なすぎると。それに……舞子ちゃんの旅の目的、それも気になっている。以前、船の中で訊ねたときには憂いの表情を浮かべ、「北にいる“お姉さま”に会いにいく」としか言わなかった。それがどんな旅なのか、どんな意味を持つのかは、あたしに理解できるはずもない……ただ、あたしと同じように“お姉様”と呼ぶ人に対して舞子ちゃんが抱いている感情は、あたしへのそれとは真逆に様に感じられた。
そう言うわけだから、まあ、その……あたしは美里さんと恵子さんのパーティーへのお誘いを蹴っているわけでありますが、こうして舞子ちゃんを誘ったりはしていると。これは決してナンパだったりとか、年下の女の子に「お姉様♪」と呼ばせて自己満足ハーレムパーティーを構築したりとか、そんなやましい願望から舞子ちゃんを誘っているわけでは断じてない。
ただ、この提案が突然すぎる事に間違いはなかった。本当は何日も考えさせてあげたかった。そうすればきっと、舞子ちゃんも快く納得してくれると、そう思っていた。
「あたしたちの方も当てのある旅じゃないし、舞子ちゃんがどこまで行くか聞いてないから、いつまでもって訳じゃないけどさ、それまで三人一緒に旅するの。どう、楽しそうじゃない? 一緒に歩いて、一緒にご飯食べて、一緒に野宿しながら夜空を見上げるのって結構ロマンチックなんだよ。いっぱいお話したいし、いろんな物を見て歩けるし、それにさ、それに……」
舞子ちゃんは最初、あたしの言葉の意味を理解できていなかった。ただ、すぐに満面に喜びの笑みを浮かべ、嬉しさのあまりに瞳に大粒の涙を溢れさせる………だけど、そこまでだった。何かに気付き、小さく身体を震わせると、蕾を開いたかのような明るい笑顔は急に力を失ってしまい、それを見ていたあたしの口からも言葉は薄れ、消えていった。
そして舞子ちゃんの答えは……こんな顔を見せられたらもう、聞くまでもないだろう。
「ごめんなさい……お姉様と一緒に行くことは………」
「そっか……振られちゃったか」
「あ〜あ」と腕を振り上げ、背伸びをしながら、腰掛けたベッドに仰向けになる。考えていなかったわけではないけれど、やっぱりショックだ。もしかしたら、女の子に告白して振られるのと同じぐらいの精神的ダメージを食らったかもしれない……いや、シャイなあたしはアイハラン村で誰かに告白した事なんて一度もありはしなかったんで、「こんな感じかな〜」って言ってるだけなんですけれど。
「あの、舞子、舞子……」
「あ〜、い〜のい〜の。話を振ったのはあたしのほうだし、断るのも舞子ちゃんの自由だし」
それに、
「舞子ちゃんはちゃんと自分で考えて、自分の答えと自分の言葉で断ったんでしょ? だったら、それを無理やり捻じ曲げちゃうほどあたしは悪い人じゃないよ」
足を振り上げその反動で身体を起こし、ベッドから立ち上がったあたしはそのまま部屋の扉へと歩いていく。
「ま、いつまでも部屋に閉じこもってちゃ、みんなが心配するからね。今日の夕食はお別れ会だから、舞子ちゃんも顔出してよね♪」
努めて明るく、舞子ちゃんに振られたショックを感じさせないように、後ろ手をヒラヒラ振りながら部屋を出る……さすがにこれ以上、この部屋にいるのは恥ずかしくて居たたまれない。どこかギクシャクした動きで舞子ちゃんの視界から一刻も早く消え去ろうとする。
「お、お姉様、待ってください、舞子は―――!」
「気にしなくていいってば。んじゃね」
―――う〜む、もしかして、かなり格好悪い?
恥ずかしくて後ろを振り返れない。第一目的である舞子ちゃんの安否を確かめられたのだし、無理にここに長居する必要もない。本当ならもう少しおしゃべりするつもりだったんだけれど……あんなに暗い顔をされてパーティー入りを拒まれては、空気が読めなくてもこの場には居辛い。
―――くっ……ぬっ……ど、どうせ恋愛経験なんてありませんよ、えいチクショー!
こうなったら戦略的徹底だとばかりに、あたしの背後で扉を閉める。ただただこの場を離れることだけを考えて……けれど扉が閉じきる瞬間、強い力が加えられた扉はドアノブを掴んでいたあたしの手を引き離し、逆に開いていく。
身体がよろめく。ドアノブに後ろへと引かれた体は前へ進む力を一瞬失って、その場でたたらを踏む。―――そしてその間に、舞子ちゃんの小さな体があたしの背中へとしがみついてきた。
「行っちゃ……イヤですぅ〜……」
「ま、舞子ちゃん!?」
―――うっ……泣いてる……泣かせるような真似だけはしたくないって思ってたのに……
誰が泣かせたか……それこそ考えるまでもない。舞子ちゃんの部屋に押し入って、突然「パーティーに入れ」と無理難題を言って、勝手に部屋を立ち去ろうとしたあたしだ。
もっとやり様はあったはずだと、背中に舞子ちゃんの温もりを感じながら思う。……けれど今は、手足はおろか指の一本に至るまで硬直してしまっている。背中で女の子が泣いていると言う現実にどう対処すればいいか分からず、部屋の入り口から一歩出た場所で立ち尽くしたまま、慰めるための気のきいた一言を言うこともままならずにいた。
「イヤですぅ……お姉様が…どこかに行っちゃうなんて、舞子はイヤぁ〜……!」
そんな事を言われても……あたしだって舞子ちゃんの傍にいてあげたいとは思うけれど、男に戻る方法を探すと言う目的がある以上、いつまでもここに滞在し続けるわけにはいかない。それは……舞子ちゃんだって同じはずだ。
だけど舞子ちゃんは、あたしの背中に額を押し付け、しがみつく腕に力を込める。吐く息には嗚咽が混じり、離れて行こうとするあたしを離すまいと、強く抱きついてくるけれど……それに応えてあげる事だけは、できなかった。
「舞子、どこにも行かないから……お姉様も……どこにも行かないで……お姉さまの望む事なら何でもするから……だから……だから………」
舞子ちゃんがどこにも行かず、あたしもどこにも行かない……なさなければならない目的があっても、それを忘れていられる今のこの現状が舞子ちゃんの望みであるのだと、ふと気付く。あたしと一緒には行けなくても、あたしと一緒にとどまっていられる時間を少しでも引き延ばしたいから、舞子ちゃんはずっと部屋に閉じこもっていたのかもしれない。
舞子ちゃんらしい結論だと思う。子供っぽくて、自分に正直で、そんな舞子ちゃんだからあたしも交換をもって接する事ができたのだとも思う。………だけどそれは、何の解決にもなっていないのだ。
「………ゴメンね」
舞子ちゃんの手に自分の手を重ね、あたしを引きとめる戒めを解く。
ここでずっと舞子ちゃんといられると言うのも、なかなかに魅力的な提案のように思える……だけど、それを受け入れるわけにはいかない。男に戻るのだと、フジエーダで固めた決意を思い出す。
振り返れば、舞子ちゃんの泣き顔を見てきっと動けなくなる。あたしは未練を振り払う為にあえて舞子ちゃんを見る事はせず、廊下に沿って歩み進もうとする。―――その頬に、不意に痛みが走った。
「―――!?」
まるで一本の線を引かれた様な細く鋭い熱さに指で触れれば、わずかながら血がにじんでいた。まるでカマイタチが通り過ぎたような突然の怪我に首をひねるあたしの目の前で、何かがキラリと光を反射させる。
「なっ………!?」
宙に浮く金属片……ただひとつだけとは言え、それには見覚えがある。―――舞子ちゃんが操っていた防御用のマジックアイテム、竜鱗だ。けれどそれは魔法を受け止め、刃を逸らす本来の役割とは異なり、まるで獣の牙のように、鋭く尖った先端をあたしへと向けていた。
「あ……あの……舞子…さん?」
振り返るまいと決めてはいたけれど、事情が事情だ。油の切れた自動人形のようにぎこちなく振り向き、威嚇してくる竜鱗を指差してみるけれど、深く俯いている舞子ちゃんはこちらの動きに何も反応を見せない。それに加え、
「……………………………………………ヤダ」
―――どうやらあたしの声も聞こえてないようだ。それほどにショックが大きかったのか、目も耳も塞いで自分の殻に閉じこもってしまっている。
「お姉様が舞子を置いてどっかへ行っちゃうなんて……そんなの……そんなの………」
「ま、舞子ちゃん、まず落ち着こう。落ち着いて話そう。話せば分かるいろいろと!」
―――うわ、声が裏返った。落ち着いてないのはあたしのほうですか!?
何しろ剣の切っ先を突きつけられてる様な状況だ。下手な刺激は即刻命取りだし、かと言って何もしなければ今の不安定な舞子ちゃんの精神状況次第でいずれはこちらも命取り。
………となれば、逃げた方がいいのでは……?
そうだ、いくら鋭くても指先サイズの小さな金属片。避けて通れば大丈夫と一歩踏み出すと、途端に部屋の中から数え切れないほどの竜鱗が飛び出してきて、あたしの身体を掠めるように正面へ回り、行く手をさえぎった。
「ヤダ……グスッ……お姉様と離れ離れになるぐらいなら……舞子………」
マズい……背中を伝う汗の冷たさと全身に突き刺さるようなダメージ予測が、舞子ちゃんの精神が決壊寸前である事を悟らせる。
「舞子ちゃ―――」
こうなったらもう、破れかぶれで舞子ちゃんの肩を揺すって我に帰らせてそれからも―――ッ!!!……と作戦とも呼べない行動に映ろうとしたあたしの目の前で、舞子ちゃんが顔を上げ、大粒涙をポロポロと溢れさせる瞳と目が合ってしまう。
―――……はうっ!?
一気に押し寄せる罪悪感。女の子を泣かせたと言う事実があたしの胸を締め上げて、体の自由を一瞬だけ奪う………そして、舞子ちゃんが力の限り叫ぶのには、その一瞬の時間があれば十分だった。
「お姉様の………バカァァァアアアアアアアアアアアアッ!!!」
「―――――――――ッ!?」
鼓膜が破れそうなほどの大音量の声……耳を塞いでうずくまりたくなるほど頭に痛みと共に声が突き刺さるけれど、それを気にしていられる余裕はない。
全包囲攻撃。
右から、左から、後ろから、頭上から、足元から、唯一舞子ちゃんのほうを向いている方向以外から、一斉に竜鱗があたしの身体へ食い込もうと動き出す。
―――って、こんな攻撃食らったらやっぱり命取りだぁ!!!
数百数千という無数の刃が肌に突き刺さり、肉を食い破るのに一秒とかからない―――が、あらかじめタイミングを“読んでいた”あたしにだけは数秒間の準備の時間が与えられていた。
手の中で魔封玉が光を発する―――名前を呼ばずとも事前に呼び出していた魔封玉からは、あたしが危機に陥った事を察してスライムのジェルとリビングメイルのゴブアサシンが姿を現す。
竜鱗の攻撃は鋭く疾いけれど、軽量だ。
背後で爆発的に薄い膜状に広がったジェルは、その内部に膨大な水分を貯えていて、見た目以上に比重がある。結果、竜鱗の軽い攻撃では突き破る事はできず、そのジェルへ向けて跳び退る事で、あたしは自分の身体を安全地帯へ置く事ができた。
けれどそれだけでは、一瞬で切り刻まれるはずだったのが、ほんのわずかに伸びただけに過ぎない。その証拠に、今まであたしのいた位置ですれ違った竜鱗はすぐさま壁のように展開しなおし、小さな風切り音を無数に響かせてあたし目掛けて殺到してくる。
―――あたしに怪我させて、無理やりにでもここにいさせようって言うの!?
舞子ちゃんを精神的に追い詰めちゃったのはあたしではあるけれど、本当に容赦のない攻撃に冷や汗がさっきから背中に流れっぱなしだ。
ゴブアサシンが二本の短剣で打ち落とし、黒装束の一部をほどいた布で軌道を変えても、竜鱗の数は減るどころか増す一方。あたしの自分のジャケットを脱いで闘牛士のように竜鱗を叩いて防いではいるけれど、真横に降る豪雨のような攻撃を全てを防ぎきる事などできない。
頼みのジェルはと言うと、体内に絡め取ったはいいけれど抵抗し続ける竜鱗を抑えるのに結構手一杯で、目に見えて動きが鈍くなっていっている。
―――え〜っと、え〜っと、ほ、他に呼び出して役に立ちそうなモンスターはいなかったっけ!?
こう言う時に役立ちそうな鉄の鎧のゴブリンアーマーたちは、今ごろ中庭で体内に隠していた財宝を出している真っ最中で、スクナとオークもそっちにいる。
残るはポチとプラズマタートルと蜜蜘蛛だけど、炎獣形態のポチでは宿屋の廊下は狭すぎるし、獣人形態では何もできずに瞬殺だ。プラズマタートルを呼んだら老化の床が抜けるか電撃で宿が吹き飛ぶ。蜜蜘蛛の糸なら多少竜鱗を止めてくれそうだけれど、あれほど無数の小さい刃をどうにかできるかと考えると疑問視が浮かぶ。
「ああもう、迷ってる暇なんかぁ!!!」
こうなりゃもうやけっぱち。やらずに大怪我するよりもやって玉砕するのを選んだあたしは、竜鱗が体制を整えるわずかな間隙のチャンスに蜜蜘蛛が封じられた緑玉石の魔封玉を手の平ごと正面へ突き出した。
―――あれ? 蜜蜘蛛の魔封玉って緑だったっけ……?
間違えた。
その事に気付いた時には既に封印は解け………光の中から見た事もないモンスターが現われ、あたしは一瞬、状況も忘れてポカンと口を開いてしまった。
『バル〜〜〜〜〜〜ン』
大きさは大玉スイカほど。形は簡単に言えば丸……そう、丸だ。それ以外に表現のしようもないほどに丸かった。中央には大小の茶碗の淵をくっ付けたように分割線が入っており、局面にとってつけたかのような目と口が付いているが、特徴らしい特徴と言えば……丸い事以外に、一番下からバルーン……それこそ風船のもち手の紐のように細い尻尾が生えている事だけだった。
「も…もしかして、さっき契約した魔蟲!?」
『バル〜〜〜〜〜〜ン』
―――な、なんか気の抜ける鳴き声……てか、随分早く変化し終わったわね……
スライムがゼリースライムに、ミストスパイダーが蜜蜘蛛にと、あたしと契約したモンスターが姿や能力が変わるのだけれど、契約してから一時間ほどしか経っていないのに、あの不気味な肉塊のような魔蟲から、見ればそれなりに愛らしい玉のような姿に変わってしまったのは、ちょっと驚きだ。……もっとも、最初に魔力を大量に流し込んだのは五日前の事なので、下地ができていたとも考えられるのだけれど。
「そんな事より、戦力外通知〜〜〜〜〜〜!!!」
こんな丸っこくて柔らかそうなのが竜鱗をどうやって止められると言うのだ。契約していた事を今の今まですっかり忘れていたけれど、それでも今の状況で役立ちそうにない。もう既に動き出している竜鱗に背中(?)を晒したままでは、突き破られて破裂してシオシオ〜と空気が抜けるのが落ちだ―――と、あたしは予想したのだけれど、
『バル〜〜〜〜〜〜ン!』
飛び来る竜鱗の刃をものともせずにふよふよ漂って頭頂部を正面へ向けた魔蟲――この際、名前はバルーンでいいや――は、勢いよく回転し始めた。するとどうだろう、回転で生まれた遠心力でバルーンの身体は薄く広がってゆき、見た目の柔らかさよりもそれなりに分厚い表皮と回転力とで、鋭くも軽い竜鱗を次々にはじき散らして行く。
「おおっ!?」
―――これは思わぬ拾い物!?
自分陣営の意外な伏兵に拳を握る。盾の様に使えるモンスターの有用性に好機を得たあたしは、回転の中心部でもある尻尾の付け根辺りを手で押し、そのまま突き進む。
『バル〜〜〜〜〜〜ン!』
多少離れたけれど、舞子ちゃんのところまで十歩もない。近づきさえすればなんとかなると、バルーンを盾に前へ進むけれど……急に逆方向から押し返される。
「あ……れ?」
竜鱗の攻撃はいつの間にか止まっていた。……が、バルーン越しに感じる気配と、バルーンから感じる恐怖心に、あたしの心の中に的中率だけは高い嫌な予感が込み上げてくる。
「………バルーン、戻っていいよ」
意を決し、バルーンを魔封玉へ。これで舞子ちゃんとの間を隔てるものはなくなったはずである。
けれど、隔てるものがいた。涙目で起こったような表情を浮かべている舞子ちゃんのすぐ前に、天井に頭がつきそうなほど巨漢の、
「り、リザードマンですか!?」
「違いますぅ〜! 舞子が竜玉と竜鱗で作った竜人(ドラゴンニュート)ですぅ〜!」
――ああ、これは説明ご親切に………って、どっちにしても危険じゃないですか、主にあたしにとって!
確かによく見ると、表面は竜鱗で組み上げられ、突き出た口から覗いて見えるのは竜玉の光だ。竜玉を骨子にして竜鱗で体を成形したのだろうが、リザードマンにしろドラゴンニュートにしろ、ウロコは全部刃で見上げるほどの巨漢、しかも爪と牙装備と言うのは、いささか相手にするには凶悪すぎる代物である。
なので、
「やっちゃれジェル!」
床で弾んでアッパーカット。ジェル渾身の体当たりを下顎にくらい、バランスを崩した擬似ドラゴンニュートはそのまま舞子ちゃんをまたいで背後へと倒れ込み、さらに上から体積を倍加させたジェルに押さえ込まれて身動きが取れなくなってしまう。
―――あんなのと正面からやり合ってたら、命がいくつあっても足りないって……
不意打ちであっさり勝ったように思えるけれど、壁や天井がない場所でなかったら躱されていた単純な攻撃だ。竜鱗を防がれた舞子ちゃんが場所を選ばなかったからこそ、勝利する事ができたのだ。
さて……とりあえずこれで舞子ちゃんの攻撃は一段落付いたわけだ。あたしは舞子ちゃんの正面にひざまずくと、プ〜ッと頬を膨らませている舞子ちゃんの顔を覗き込みながら、
「ゴメンね」
先に謝ってから、その頬を叩いた。
「ひ……酷いですぅ〜〜〜〜〜〜!!! お姉様が、舞子の事ぶったぁぁぁ〜〜〜〜〜〜!!! え〜〜〜〜〜〜〜ん!!!」
「あったりまえでしょ! 見なさい、舞子ちゃんが暴れるから床も廊下もボロボロじゃないの!」
竜鱗の無差別攻撃を受けたのはあたしだけじゃない。命中せずに外れた竜鱗は壁や床や天井に数え切れないほどの穴を開けてしまっている。
「それはお姉様が避けるのが悪いんだもん。舞子、全然悪くないもん!!!」
「避けなかったら大怪我してるところでしょうが!」
「お姉様が怪我したら、舞子がずっと看病するつもりだったんだから。それで治ったら、また怪我させて、ずっと、ず〜っと舞子はお姉様の傍にいるつもりだったんだもん!!!」
「そ……それはちょっと考え方が恐いよ、舞子ちゃん……」
エンドレスで怪我人……そんな言葉を舞子ちゃんから聞かされて、少々目眩がしてしまう。
「フ〜ンだ。お姉様がいけないんだもん。舞子、こんなにお姉さまのことが好きなのに、それなのに置いて行くって言うから……だからお姉様なんて怪我しちゃえばいいんだぁ〜!」
「いい加減にしなさい! 本当に嫌いになるからね、舞子ちゃんのこと!!!」
………しまった。
あまりに自分勝手な舞子ちゃんの物言いに、思わず声を荒げてしまう。「落ち着いて話し合おう」と言い出していたのはあたしのはずなのに、しかも「嫌いになる」とまで言ってしまった。
「ぅ………」
もっとも、今の舞子ちゃんにとっては頭を冷やす言葉になったようだ。泣いているのには変わりないけれど、顔からは怒った表情はなくなり、迷子の女の子のように両手の甲で涙を拭って泣き始める。
………そう、迷子と言うのは似ているのかもしれない。きっと一人でいるのが不安なんだ。
すぐ傍にあたしと言う頼れる人がいるからこそ、今まで舞子ちゃんは何度も笑顔を見せてくれたのだ。だからあたしがいなくなる事を酷く恐れ、怒り、どうしようもなくなって不安になり、泣いているのだ。
―――う〜む、どうしたものかな……
あたしと一緒にいくと言う提案は舞子ちゃんに断られた。
舞子ちゃんとずっとここにいるのもちょっと無理。
じゃあどうするか……せめてあたしへの精神的依存を無くさなければ、いつまた舞子ちゃんの癇癪が起きないとも限らない。なんとかして舞子ちゃんを自立させるか、もしくは………
「………舞子ちゃん」
いまだシクシクと泣き続けている舞子ちゃんの肩へ、そっと手を置く。
「今夜、あたしの部屋に来て」
―――ぴくっ
舞子ちゃんの鳴き声が止まる。そしてクシクシと服の袖で涙を拭って顔を上げると、驚きの表情であたしの顔を見上げた。
「お姉様の……そ、そんなのダメですぅ……だって舞子、お姉さまに嫌われて……」
「あたしは舞子ちゃんがいい子でいてくれる限り、嫌いになったりしないわよ」
泣き腫れた頬に手の平を当てて、優しく撫で回してから唇を寄せる。
「んッ……」
涙の味のする肌を舌先で舐め上げると、舞子ちゃんがくすぐったそうに身をよじる。それでも逃げる事はせずに、小さな吐息を漏らしながら、されるがままにあたしの舌を受け止め続ける。
「さっき怒ったのは、舞子ちゃんが聞き分けのない子だったから……後で宿のおばさんに謝るのよ。あたしも一緒に謝ってあげるから」
「お姉…さまぁ……」
唇を離すと、舞子ちゃんは上気した頬に残るあたしの舌の感触を指でなぞる。そして指先に付いたわずかな唾液を熱のこもった視線でジッと見つめると、甘いクリームを頬張るようにおもむろに唇に咥えてしまう。
「そんな顔をしないの。今日の夜……日付が変わった頃にあたしに部屋で……ね?」
「はぁい………♪」
最後に額へ軽くキスをしてあげると、立ち上がった舞子ちゃんはフラフラと自分の部屋へと戻っていく。その後を、擬似ドラゴンニュートから分解した竜鱗と竜玉が後を追い、ジェルの吐き出したものも含め、一枚残らず部屋の中に入ると、ようやくパタンと扉が閉まった。
「………はぁ」
ようやく舞子ちゃんから離れられると、あたしは肩を落として脱力し、唇から大きくため息がこぼれた。
―――あたしってヤツぁ、年下の女の子をああも容易く手篭めにするなんて………
人間失格のレッテル貼られそうなスキルではあるけれど、あの場を上手く収めるのはあの手段しか思いつかなかった。もしまた舞子ちゃんが暴れていれば、確実に宿屋が崩壊していたところだし。
あとはまあ、運がよかったのもある。宿に残っていた見張りの騎士二人も寝こけているし、綾乃ちゃんは買出し、恵子さんも財宝発見の報をしに行って戻ってきていなかったみたいだし。宿屋のおばさんも見にこなかったのを見ると、夕食の食材の仕入れに行ったのだろうか。もし誰か人に見られていたら、とてもじゃないけれど舞子ちゃんを手篭め……じゃなくて、篭絡……と言うのも言い方が悪いし、要は丸め込む事なんてできなかっただろう。
「これで問題は夜まで先送りか……」
今ごろ舞子ちゃんは部屋の中であれこれ妄想していることだろうが、その妄想をどれだけ裏切る事になるのやら……考えれば考えるほど頭が痛くなってくる。
それでもこうしてここで跪いていても、上手い解決策が見つかるはずもない。ジェルとゴブアサシンを魔封玉に戻してその場を立ち去ろうとすると、舞子ちゃんの部屋の二つ隣の扉があたしが前を通り過ぎるタイミングで勢いよく開け放たれた。
「まったく……さっきからなんなんですの、いったい。私は疲れているというのに休ませないつもりなのかしら―――あら?」
部屋から出てきた金色の髪の女性――美里さんと目が合ってしまい、思わず一歩後退さる。
「なんなんですの、あなたは。私の顔を見て引くだなんて、どういう美的センスをしているのかしら。せめて跪いて感涙の涙を流しながら足にキスでもいたしなさい」
「やですよ、そんなの……そっちのほうが絶対変な人ですって」
―――とほほ……あたしこの人苦手なのに。嫌なところで会っちゃったなぁ……
「ん、まてよ?」
ふと思い至り、あたしはジッと美里さんの顔を覗きこんだ。
―――結構経験豊富そう……
―――恵子さんの話では二人揃って両刀だけど、どちらかと言えば女の子が好き……
―――自分勝手でわがままで、女王様気質で……
「そうだ!」
「な…なによ!?」
あたしは気付けば美里さんの両手を握り締め、ズズイッと詰め寄っていた。
「お願いします、今のあたしにはあなたしか頼れる人はいないんです!」
美里さんの顔に困惑の表情が浮かぶけれど、今のあたしにはそんなのに構っていられる余裕なんてない。さすがに一部屋はさめば舞子ちゃんに聞かれることもないだろうし、抵抗する美里さんをグイグイ部屋に押し込んで扉を閉めてしまうと、あたしはきちんと身なりを整えてその場に土下座した。
「先生、お願いします。あたしに一つ、教えていただけませんか―――女の子からの嫌われ方を!」
当然、しこたま怒られた。
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