09「恋人よりも強い絆で…」


「よ〜お、チビメガネ。お前の顔を見んのもずいぶん久しぶりだなァ♪」
「うッ……や…ァ………」
「―――――――――なに授業前から死んでんの、お前?」
 「チビメガネ」と言うのはクラスメートから神奈につけられたあだ名だ。グリグリメガネと背の低さという外見的特長をなんのひねりもなく言い表しただけの、その上「カンナ」の三文字より二文字も多い五文字のあだ名で呼ばれることを神奈は嫌がっているのだけれど、今は言い返すだけの気力も体力もない。できるのは、スペアのグリグリメガネを掛けた顔をだらしなく机に乗せ、うめき声を上げることだけだった。
 神奈が高菱家を訪れた日から五日経っていた。………が、今朝までベッドから起き上がる事もままならない生活を余儀なくされていた。
 驚いたことに、神奈が最初に目を覚ましたのは自分の部屋のベッドの上でだった。確かに弥生の家を訪ねていたはずなのだが、両親ともども曖昧な笑顔を浮かべて言葉を濁すだけで、どうやって帰ってきたのかなどはっきりした事は分からなかった。妹も同居している従姉もその時は家にいなかったので、真相は闇の中である。
 実のところ、神奈が衰弱していたのは知らない間に飲まされていた怪しげな薬の副作用なのだが、薬を飲まされた事実を知らないのだから気付くはずもない。8キロ減という、ダイエット中の女性からすると怨念をぶつけたくなるほどの、そして小柄な神奈にとっては文字通り命を削られたかのような体重の減りようだったが、医者に行った覚えもないのに用意されていた服用薬のおかげか、体調はこれでも順調に回復しつつあった。。
(先輩の家で何やらされたんだろ……まさか、あんなのは夢に決まってるし……)
 思い返せばいろいろと記憶はよみがえってくるものの、そのどれもが有り得るはずのない事ばかりだ。狙撃されたり機関銃を手にしたメイドに追い掛け回されたり、あまつさえ―――
「うわぁああああああっ!!! うわっ、うわぁあああぁん! 違う、違うんだこれはぁ〜〜〜〜〜〜!!!」
「………悪いことは言わねェ。霜月、お前病院行け。大丈夫、俺たち、いつまでも友達だからさ―――妹さん紹介してくれたら」
「な、なんて最低な友達だ! 兄の前で妹に欲情なんてするなよォ!」
「んじゃサツキちゃんを、むしろそっちが本命で♪」
「担任教師を本命って言う時点で人間終わってるし……エロスも程ほどにしとかないと人間ダメになるよ。てか、紹介した時点で僕は殺されてるよ……」
「ならば是非お母様で! 俺、お前んちの子供になる!」
「人の母親なんだと思ってるんだァ!!!………あ、ダ…ダメ…だぁぁぁ……」
 体力タンクが空っぽの状態で声を荒げたものだから、一度は起き上がった身体もすぐにヘナヘナと崩れ落ちてしまう。
「う〜……本当はもう一日休んでたかったのに……今日はサツキお姉ちゃんの授業があるからって無理やり……」
「けどそこに惹かれる憧れる……俺も一度でいいからサツキちゃんと同じベッドで同じ朝を向かえてェなァ〜♪」
「………死因が寝相ってロクな死に方じゃないと思うよ?」
(だけど同じベッド………ううう、僕はなんて夢を見てるんだ。高菱先輩が僕と同じベッドでだなんて……)
 やはり無理を言ってでももう一日休むべきだった。回復していると言っても一人ではろくに歩けないのだし、学園一の美女である高菱弥生とのありえない幻想を何度も夢に見てしまうのも、きっと疲れが残っているせいだ。
(先輩の家に手帳を届けた日のこと……記憶はあやふやだけど、夢に見るほどはっきり顔を覚えてるって事は……会えたんだろうな、やっぱり)
 だけど思い返そうとすると頭と、なぜかお尻がズキズキする。それで結局記憶の発掘を断念して諦めの溜め息をついていると、
「霜月く〜ん、君に会いたいって人が来てるんだけど〜……?」
 クラスの女子が教室後部の出入り口から神奈を呼ぶ声を上げた。ただ、その声にはなぜか最後に「?」と疑問視が付きそうな声音で、神奈が眼鏡越しに視線を向けても女子はただ首をひねるだけだった。
「誰だろ?」
 土日をはさんで五日も休んだから誰か心配して見に来たのだろうか?―――けれど人付き合いの苦手な神奈にはそれほど親しい友達がいるわけではない。美術部の部員も神奈以外は幽霊部員だ。
 いったい誰が来たのだろうか。さすがに行かないわけにはいかないので、よっこらしょと年寄りっぽく席から立ち上がった神奈はふらつく足取りで教室の入り口に向かい……その途中で、
「神奈様、ご回復なされたようで何よりでございます」
 と丁寧にお辞儀をするメイドを見た瞬間、脱兎のごとく逃げ出した。
(あれって……夢じゃなかったの―――――――――!!?)
 制服に身を包んだ生徒たちの世界である学園内にメイド服の女性だなんて、場違いにもほどがある……が、その場違いの女性を見た瞬間、神奈は電撃的に高菱邸で自分がどんな目に合わされ、何をしてしまったのかを思い出してしまった。
「体調が優れないのでしたらご無理は禁物です。先日の健康ドリンクを持参しております。よろしければグイッといかがですか、1ダースほど」
「嫌だァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 脱兎のごとくと言えば聞こえはいいけれど、体育の成績は出席点だけの赤点ぎりぎり。その上病み上がりで右にフラフラ左にフラフラする足取りで机にぶつかりながらなので、ライオンに追いかけられているかのような必死さで走っているのに、神奈を訪ねてきたメイド―――詩雨の歩みに簡単に追いつかれてしまう。
 一時限目を待っているクラスメートたちの何事かと問う視線に晒されながら、それでも早めに逃げ出した先行分のリードのおかげで教室前方の扉へは神奈が先にたどり着く。追う詩雨も無理に捕まえようとはしていないのだが、言い知れぬ恐怖に怯える神奈は魂をどこかに落っことして錯乱しながら、廊下に飛び出そうと扉の取っ手に手を掛ける。
 ―――が、不意に扉に三角形の穴が開くと、映画で目にするようなオートマチックの大口径拳銃が鼻先に突きつけられていた。
「ホールドアッププリーズ。これ以上逃げようとなさるなら、ズドンと一発撃っちゃいますよ?」
「はい! 逃げません! だから撃たないでぇ〜〜〜!!!」
 もし届くのなら、神奈は天井に届くほど手を上げていただろう。何しろ扉の向こうから聞こえてきた声には聞き覚えがある。やるといったら容赦なく慈悲なく躊躇いなく銃弾をぶっ放す人だ。
 扉がいくつも刻み込まれた斬線に沿って、寄木細工のようにずれてスライドし、ジェンガの様に一気に崩壊する。そして向こう側から現れたのはメイド服のウエストに日本刀を差し、にっこり微笑みながら神奈の鼻先にずっと重厚を突きつけている超巨乳メガネっ子メイドの蓬だった。
「うわ〜ん、助けてぇ〜! 僕が死ぬこと前提に話を進めないでェ〜〜〜!」
「………ちょっと詩雨、何で神奈様がこんなに怯えてるのよ?」
「知らない。とりあえず手を上げさせてるのはあなただし」
「あ、そっか。神奈様にお会いするのは久しぶりだったから、つい張り切っちゃって♪」
 拳銃を引っ込めて小さく舌を出す蓬だけれど、神奈はガタガタ震えながら、上げた両手を下ろそうとしない。そんなクラス一小柄な神奈と、クールビューティー&和製ホルスタイン+メガネっ子のメイドさん二人組みにどう対処するべきか、教室や廊下にいた他の生徒たちは判断に困っていた。
「あああああのォ! どどどどどうしてお二人が学園内にいるんですかァ!? せめて死ぬならそのぐらい教え―――」
「あ〜ん、もう! そんなに怯えなくってもいいじゃないですかァ!」
「もがァああああああああああっ!!!」
 誰の目から見ても胸囲が1メートルを下回ることがなさそうな胸の膨らみに、メイドさんの一人が今にも涙が決壊しそうだった神奈の頭を抱きかかえ、柔らかい髪の毛にスリスリと愛おしそうに頬擦りする。
 ―――その瞬間、クラス中の男子から神奈は「敵」と認定された。
「蓬、それぐらいにしておきなさい。そろそろ弥生様がいらっしゃる時間よ」
「ざんね〜ん。んじゃ神奈様、逃げずにここで待っててね♪」
 結局手を下ろすこともなく蓬の胸から開放された神奈。入り口に身体を向けたその背後に蓬と詩雨が回りこむと、切り刻まれて戸板をなくした教室の入り口から幾重にも重なる声の波が近づいてくるのが聞こえてきた。
『ああぁ……弥生様、今日は一段とお美しいですわ……♪』
『うおおおおおっ! 生の高菱先輩ィ! 二年ファンクラブ一同はデジカメ・携帯その他ありとあらゆる記録媒体で記録し続けろォォォ!』
『な、なんで二年の階に高菱先輩が!?―――ちくしょう、こんなことなら鏡のように廊下を磨き上げておけばゲフォ!!!』
『弥生様に不埒なことを考えるものには“死”あるのみィ!』
 まるで地震のように空気と校舎を震わせながら、次第に近づいてくる人の群れ。そしてその先頭が閉じられることのなくなった教室の入り口に差し掛かると、金色に輝く長い髪の女性と、神奈の視線が絡まりあった。
「ヒッ―――――――――!!?」
 弥生の視線は明らかに怒っていた。きっと人さえも殺せるだろう鋭い視線が神奈を射抜くと、最初は歯がガチガチと打ち合わされ、次に背骨がブルブルと震えだし、その振動は手や足の末端にまで伝わり、捕食されるのを目前にした小動物の哀れみを見ている者が感じるほどに、神奈は情けなく怯えていた。
「………蓬、後ろの者たちを」
「はい、お任せください弥生様♪」
 神奈から視線をはずすことなく、Gカップのバストを強調するように制服姿の弥生が教室に足を踏み入れる。それに続いて入ってこようとした弥生の取り巻きやファンクラブ会員などは、蓬が指先に引っ掛けて持ち上げた教卓の天板を叩きつけられ、無理に入ってこようとすると問答無用で廊下に吹っ飛ばされた。
「あ、あ、ああああ、あ、あの、高菱センパ―――」
 ―――ギンッ!
「ひウゥ!?」
 弥生の名前を呼ぼうとしただけで、神奈を射抜く眼差しがさらに鋭くなり、メデューサの瞳よろしく、神奈の心臓は恐怖と緊張で石になったかのように動きを止めようとしてしまっていた。
(ああ……僕、ここで死ぬんだね………)
 思えば生まれてこの方、女装をさせるのが趣味の母親に、酒と肉体言語と従弟なぶりが趣味の従姉、そして兄の成長を吸い取ったのようにすくすく育った妹と、とても女運に恵まれていなかった神奈だが、その最後が憧れていた高菱弥生で終わらせてもらえるのなら、ある意味、とても幸せな終わり方かもしれない。
(あはは…♪ 今度生まれ変わったら、絶対に普通の家に生まれたいな〜♪ 普通の顔で普通の身長で、僕、普通の男の子になるんだ〜♪)
「……………弥生とは、もう呼んでくれないの?」
「あはは〜……先輩のことを弥生さんて親しく呼べるなら、もうどうなったっていいかも〜…♪」
「それは本当なの、神奈!?」
 突然……それは突然いきなり前触れもなく、無我の境地に達しかけていた神奈が放った言葉に弥生が過敏に反応した。教室中のクラスメートが見つめる中、廊下から窓を開けて身を乗り出す取り巻きたちが見つめる前で、前がダメなら後ろからだと教室になだれ込んできた高菱弥生ファンクラブの前で、


 弥生は神奈を押し倒し、唇に唇を重ね合わせていた。


「…………、〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッ!!?」
「ハァ…んムッ……どうして…登校したのならわたくしに…んウッ…すぐに…会いに来てくれないのよ……わたくしが……この五日間、どれだけ心配したか……んッ、チュ…ンッ、ンウッ……!」
 学園一高貴で美しくて誰もが憧れる完璧な女性である弥生と、学園男子で一番背が低くて瓶底メガネでうだつが上がらなくて全然冴えてない神奈との濃厚濃密なキスシーンに、しかも弥生の方から神奈を押し倒し、覆いかぶさっての激しい口付けに、目にした誰もが言葉を失い、視線を奪われ、呆然と口を開いた。
「神奈ァ……わたくしの事が嫌いになったのではないのですね? わたくしとの事は一夜限りの戯れではないのですね? わたくしは……信じてもいいのですね?」
「えと……あの……夢じゃ、ないんですよね? 僕の都合のいいように勝手に捏造した妄想じゃ―――」
 これは妄想ではない、これは現実だと、本当の愛なのだと訴えるように、弥生は神奈ともう一度唇を重ね、舌を絡め、音を立てて唾液をすすり上げる。
「んムゥ―――――――――!!!」
 ベッドの上から動けない間におぼろげになっていた記憶と、肌に直接感じていた弥生のぬくもりとを思い出してしまうと、キスだけなのに達してしまいそうなほどに制服の下でペ○スが脈打ちだす。
「プアッ………ご、ごめんなさい……弥生さんのこと好きだって言ったのに、僕、こんな簡単に忘れてて……」
「わたくしだって……ここに来れば神奈に迷惑がかかると分かっていたのに我慢できなかった。すぐ近くにあなたがいるって分かったから……あなたの瞳に見つめてもらいたかったから……」
「あ……め、メガネ……」
 弥生の指が神奈の瞳を隠していたメガネをはずすと、クラスの一部からどよめきが上がる。今まで長い時間を同じ教室で過ごしていたのに、メガネの下に隠されていた美貌に今になって気付いた女子たちの声だ。
 おそらく、霜月神奈は全校男子の「抹殺対象」に認定されただろうけれど、同時に一目で心奪われた女子たちの間で次第に人気が高まって行くだろう……もちろん恋愛対象としてではなく、あの“高菱弥生の恋人”として、だ。もう神奈が「メガネチビ」などと品性の欠片もないあだ名で呼ばれることもない。それだけの輝きを持つことを弥生が認め、弥生が周囲に知らしめてしまったのだから。
「ねえ……授業が始まる前に、わたくしからの贈り物を受け取って欲しいの……」
 まだ夢と現実の狭間を幸福感と一緒に漂っていた神奈に、弥生の言葉を拒否できるはずもなく、もちろんどんな贈り物でも喜んで受け取るつもりだ。
 神奈が小さく、けれどしっかりとうなずくと、学園の女王とまで呼ばれた弥生の顔に満開の花のように恥じらいと喜びの入り混じった笑顔が広がっていく。ほんのり赤く染まった恋人の―――恋人にこれからなっていく弥生の微笑みに胸震わせた神奈は、ゆっくりと息を吐き出しながらもう一度弥生の唇を受け入れ―――


 ガチャリと不気味な音を響かせて、首に首輪を巻きつけられた。


「………あの、僕、お金持ちのことってよくわからないんですけど、なんですかこれ?」
「世間一般的に、これって首輪って言わないかしら? GPS内臓で、神奈がどこにいても分かる優れものよ♪」
「………もう一つお聞きしますけど、何で首輪?」
「意味がよくわからないわよ? 主人がペットの所有権を主張するなら首輪がいいと詩雨が言ったから首輪にしたの。それに………ああァん♪ かわいい、子犬みたいで良く似合ってるわよ、神奈ぁ♪」
「う……うれしくなぁい! 似合ってるって言われたって、全然うれしくなんかなァァァい!」
 やっぱりこんな落ちか……嫉妬や羨望の視線を浴びながらもところどころから嘲笑と侮蔑の眼差しを感じ出す。所詮は身分違い、かわいい“生き物”を飼うだけの事だと言う言葉が神奈の耳に届いてしまうと、いくら弥生からの贈り物とはいえ、とても受け入れる事などできる心境ではなくなってしまう。
「僕……弥生さんにとってはやっぱりその程度の存在でしかないんですか? 弥生さんとの事を思い出せて僕、物凄くうれしかったことまで思い出せたのに……こんな…ペットだなんて…ひっく……や、弥生さん、ひどいよ…ひどいよォ………」
 ペットでも愛してくれるなら……けれどどうしようもなく涙が溢れ出し、手の甲で何度ぬぐっても、大勢の人間が見ている前で神奈は涙を流し続けてしまう。
 きっと、このままだと神奈は弥生を受け入れられなくなってしまう。ペットでも、奴隷でもいいから憧れていて、大好きな弥生の傍にいられたらと思っているのに、周りの目を気にしていずれ傍にいることを拒んでしまう……それが悲しくて、涙が止まらないのだ。
「―――神奈、顔を上げて」
 嫌、と神奈は俯き首を振る。
「あなたに絵を描いて欲しいとお願いしたわたくしが、あなたを悲しませることをすると思う?」
 少し考えて、否、と首を横に振った。
「わたくしは……神奈が心の中に思い描き続けてくれていたわたくしは、あなたを悲しませるわたくしだった?」
 それにも少し考えて、否、と首を振った。
「ではわたくしの言葉を信じて顔を上げて。贈り物は、あなたの首輪一つじゃないんだから」
 涙を拭っていた神奈の手を弥生がとり、自分の方へと引き寄せる。その動きに引かれるように神奈が涙に濡れた顔を上げると、視線の先でカチャリ…と神奈の首輪が奏でた音と同じ音が小さく鳴った。
「どう? 神奈とお揃いのデザインの首輪なの……似合ってる?」
「え………あの……………なんで弥生さんも首輪してるの?」
 弥生の首には金属製の鍵と一体になったベルトが巻きついていた。恥ずかしそうに、だけど神奈とお揃いなので嬉しさが押さえきれず、えへへと微笑むと神奈の手の中に小さな鍵を押し付けてきた。
「これは首輪の鍵。お風呂に入る時とかははずしていいから。それと……わたくしが嫌いになったら、私のベルトをはずしてね」
「だから……なんで? 何で弥生さんまで首輪するの? おかしくない? だって、ペットは僕で、弥生さんは……」
「うん……神奈はわたくしのもの。だけど、わたくしも神奈のものよ。だからわたくしたちはお互いに相手のペットでご主人様……ふふふ、面白い関係でしょ?」
「面白いかどうかじゃなくて訳分かりません! そう言うの、普通は恋人って言うじゃないですか!」
「いやよ。わたくしは神奈と恋人になるつもりはないし、他の人ならなおさら論外。あんな軟弱な関係、こちらからお断りよ!」
「あの……す、少し考えさせてもらうわけにはいきませんでしょうか? 僕、頭が悪いから一晩じっくり考えてからお答えしたいんですけれど……」
「考えることなんて必要ないでしょう? わたくしを支配できる男性にあなたを選んだだけ。その代わりわたくしも貴方を支配できる対等な関係。一方的な支配と言うのは……あの二人のことかしらね」
 そう言って弥生が指差した先を見てみると、いつの間にか二人並んでいた詩雨と蓬の首にも、リードの取り付けられた皮の首輪が巻きつけられていた。
「現状では私たちの主人は弥生様です。ですが……か、身体のほうは神奈様専用で……お望みならば何時でもご使用ください」
「また神奈様の匂いを身体中に染み込ませて欲しいな……マーキングされったっぽくて、ゾクゾクしちゃうから……特に…胸?」
 弥生だけではなくメイドさん二人まで―――しきりに「4Pかよ…」と怨念のこもった言葉が聞こえてくるけれど、脳の処理能力が追いつかなくて何も考えられなくなっている神奈には、その言葉の意味を理解できなかった。今現在理解しているのは、神奈にアナルのトラウマを刻み込んだ悪魔のようなメイドだったはずの詩雨が顔を赤くして俯いて前髪で目元を隠しているのと、弥生の手前、神奈に抱きつく事が出来ない蓬がしきりにうずうずしていることだけだ。
(こ、怖い……なんかわかんないけど、あの二人見てたらなんか……身体が小刻みに震えてくるぅ……)
 あの二人の首に巻かれた首輪は、凶暴で抑えの利かない猛犬をおとなしくさせるための物にしか神奈には見えない。首輪から垂れ下がったリードを取れば言うことを利くのだろうかと思うけれど……すると今度は、人をペットのように扱ってはいけないと言う至極まっとうな倫理観が神奈の頭を締め付けた。
「では神奈様、これを」
 時間稼ぎなどではなく、事態を理解するためにゆっくり考えさせて欲しいのだけれど、金色の髪のデレデレ女王様と二人のメイドはそんな余裕を神奈に与えてはくれない。詩雨がまるで運命の赤い糸だとでも言わんばかりに真っ赤なリード紐を手渡すと、弥生は何も言わずに瞳を閉じてアゴを突き出し、首輪のリードを取り付ける場所を差し出した。
「さあ……♪」
「え………あ、あの……さあって言われたって……弥生さんに紐って……そんなの…そんなの……」
 やめろと訴える声、神奈を呪う怨嗟の声、蓬に吹っ飛ばされた苦痛の声、神奈と弥生を応援する女子たちの黄色い声、妹を紹介しろと叫んで袋叩きにあってる馬鹿な声など、教室の中には大勢の人間のさまざまな感情が入り乱れている。
 ただ一つ……感情の大嵐の中心で、鍵の付いた首輪を巻いて神奈への想いを目に見える形にした弥生にゴクリと唾を飲むと、心臓の鼓動が加速して行くのを感じながら手にしたリートの先端を……
「やっぱ無理――――――――――――――!!!」
 神奈は両手を振り上げて後ろへ放り投げてしまった。
 そもそも、他人を紐で繋いで支配しようなどと言う行為が受け容れられない。本当に好きあっているのなら、こんな隷属を強いる道具で拘束しなくてもいいはずなのだ。―――が、両手を上げるという大きな隙を見せて無事でいられるはずがない。なぜか嬉しそうに笑った弥生はその隙を付き、抵抗を受けることなく神奈の首にまんまとリードを取り付けてしまう。
「んなァ――――――!? なにこれ、く、鎖じゃないですかァ!?」
「わたくしと神奈を繋ぐ絆が切れやすい紐でいけません。ですから手錠に鎖を参考にしてチタン合金製の細工鎖を特注で作らせました。これなら決して切れませんわ♪」
 説明しながら、弥生はリードのもう片方の先端を自分の首輪に取り付ける。これで名実ともに弥生と“結ばれて”しまった神奈だが、自分が弥生に犬と同じようにリードをつけることができないと完全に見越された上で罠にはめられたショックで、開いた口が塞がらないでいた。
「これで神奈はわたくしのもの……そしてわたくしは神奈のものですよ♪」
「こ、こんな鎖で繋いでどうするんですか!? もうすぐ授業が始まるのに、クラスも学年も違うのにィ!」
「今から帰宅するのに授業なんて関係ありませんわ。今夜はあの日の続きを……で、でも、神奈が望むのなら明るいうちからでもわたくしは一向に構いませんのよ?」
「僕は構う! 一時限目どころかホームルームの段階でサツキお姉ちゃんに殺される、ただでさえ授業中は目の敵にされるのにィ!―――あ、そうだ鍵、首輪の鍵は!?」
 気が付くと、弥生に手渡された小さな鍵は手の中からなくなっていた。ポケットに入れた記憶もないし、床にも落ちていない。
「神奈様、鍵でしたらリード紐と一緒に放り投げになられましたが? そう、あの開きっぱなしになっている窓から外へ、ポイッと―――ああ、なるほど。あれは意思表明なのですね。弥生様と二度と離れないという。大胆な決断、ご立派です。さすがは私たちの未来のご主人様」
「違―――――――――――――う! 違う違う違うぅ! お願いだから僕と普通に会話してぇ〜〜〜!!!」
「何も嘆く必要はありませんわよ?」
 きっと二度と神奈の手の中には首輪の鍵が戻ってこないことを悲しんでいると、弥生は神奈の背中に腕を回してともに立ち上がる。
 二人の首を繋ぐ首輪と鎖。小さくも硬く澄んだ音色を響かせる鎖に指を絡めながら弥生は神奈しか見つめていない瞳をゆっくりと近づけてくる。
「あなたが好きよ……神奈」
「………卑怯だよ、こんなの」
 そう、卑怯だ。
 神奈から言いたかった言葉を先に言うなんて。神奈が望んだ形よりも確かな絆で結びつけるなんて。―――これでは、神奈がして上げられることは何一つ残っていない。
 それに弥生に「好き」と言われただけで、魔法に掛けられたかのように神奈は言葉を言い返せなくなってしまう。―――なぜなら、本気の言葉で語りかける弥生には、想いを込めた本気の言葉しか返せないからだ。
「僕も弥生さんのことが大好きだよ。忘れたままならモヤモヤしてるだけですんだのに、全部思い出したから、自分の気持ちを押し込めてなんかいられない……だから僕は、ずっと弥生さんの事を見てる。そしていつか……僕の想いを全部込めた弥生さんの絵を描いてあげる」
 それが、ここまで神奈を愛してくれたことへ唯一報いる方法。そして絵を描くことしか出来ない神奈が、自分の想いを形に出来る唯一の手段。
「神奈………♪」
 弥生は目じりに涙を浮かぶ。
 好きだと言われたから。
 神奈が本気で答えてくれたから。
 力ずくででも神奈と永遠に結ばれようとした弥生なのに、形を未だ持たない神奈の想いに胸から喜びが留め止めとなくあふれ出し、目頭が熱くなったかと思うとポロポロと涙を頬を伝い落ちて行く。
 もう誰が見ていようとも構わない。背後にクラスの担任が来ているのを気にもとめない。ただただ、自分だけが映る瞳にぎこちなくも精一杯の笑みを向けて涙を拭うと、キスを求めて唇を近づけていく。
「でも……あんまり僕を振り回さないでね? 僕ってほら、ハプニングとかトラブルとかにスゴく弱いし、色々と能力的に貧弱だから……」
「それはイヤ♪ だって、神奈に見てもらいたい私は自分の思うとおりに生きているんですもの。だからこれからもあなたを巻き込み続けますわ。私の、高菱弥生の世界に」
 キスをするたび好きになる。初めてのキスから落ち着くどころか心が波打ってしまい、唇を重ねるほどに自分が抑えられなくなっていく。
 だから弥生は心を抑えない。好きな人といるためなら、好きな人と口づけするためなら、プライドも恥じらいも捨て去って神奈を抱きしめに駆けつけてしまう。


「神奈……わたくし、今もあなたに一目惚れしています。あなたに見られてからずっと……そしてこれからもずっと、神奈のことを好きになり続けますわ。―――だから覚悟していなさい?」
「お……お手柔らかにお願いします……弥生…さん♪」


<完>