02「僕の人生、終わりました…」
学生服を着た少年、霜月神奈(しもつき・かんな)は未だに現状を把握できず、赤い絨毯と目の前にある豪奢な椅子しかない大広間の真ん中に正座させられたままボンヤリとしていた。
背は男子の平均よりも少し低め。目が悪いわけではないけれど普段から近くのものを見る機会が多いので黒ぶち眼鏡をかけて視力を調整しており、それ以外は平々凡々。成績は中の下。運動神経も中の下。どこにでもいる何かひとつは特徴のある類の人間ではなく、髪の毛が少し長めである事以外は外見上は至って特徴もない小柄な青年だった。むしろ髪を短くした方が注目を浴びるだろう、そんな地味な学生だった。
(えっと……僕は何でこんなところにいるんだろう?)
神奈の心はどれだけ時間をかけても彼の体に届かない。だからゆっくりと時間をかけて思い出せる記憶を手繰り寄せていると、彼の着ているブレザーのポケットに生徒手帳が入っていた事を思い出した。
持ち主は神奈ではなく「高菱弥生」。
葉桜学園において、高菱弥生以上の有名人はいないだろう。成績は常に学年トップ。体育祭やスポーツ大会ではその運動能力を遺憾なく発揮して大活躍したかと思えば、音楽や美術のコンクールでも数々の賞を受賞している。およそ学生に必要な才能を考えうる限り全てを有しており、弥生の名前を聴かない日は一日としてないほどに学園中が彼女に注目の視線を集めていた。
けれどそれ以上に、弥生の事を語る上で彼女の美しさをはずす事は出来ない。数多の賞も名誉も彼女の笑みの前では意味をなくし、学園の女王、完璧淑女(パーフェクトレディ)、金色の明星など周囲から与えられた様々な異名ですら彼女の肩書き足り得ないと神奈は思っている。高菱弥生は高菱弥生だからこそ美しい……言葉としてはおかしいが、神奈が彼女を褒め称えるのに精一杯搾り出せした末の言葉はこれしかなかった。
そんな彼が高菱弥生の生徒手帳を拾ったのは下校時の事だ。コンクールの前でもない限りほとんどの部員が顔を出さない美術部で彼だけは毎日美術室に足を運び、筆を取っていた。神奈が描くのは主に風景画だったけれど、自ら足を運んで目蓋に焼き付けた光景を思い浮かべながら一心不乱に筆を運んでいると、放課後の部活動の時間は瞬く間に過ぎていく。窓から夕焼けの赤い光が差し込んでやっと帰る時間だと気付くと、顧問すら顔を出さない美術室から慌てて飛び出し、校門へと向かっていたのだが、その途中で、茂みからほんの少しだけ顔を覗かせていた生徒手帳に気が付いたのだ。
もちろん、神奈は高菱弥生の心酔者である。二年生の神奈より一つ上の三年生だが、弥生のご尊顔見たさに友人たちと教室にまで行った事もある。その時は弥生の周囲に集まる取り巻きの数に圧倒され、結局影すら拝む事は出来なかったけれど、それで求めに見かけたり出来ればその日一日はなんとなく幸せな気分に浸れるほどに憧れを抱いていた。
けれど神奈の胸にある想いは他の人と少し違っているのかもしれない。
高菱弥生の名前を強く意識しだしたのは、一年生の頃の美術コンクール。その時に出展された弥生の絵を見て以来、顔もまともに見た事がなく、声を聞いた事さえもない一年先輩の女性の名前は、神奈の心に深く刻み込まれてしまった。
弥生の絵は最優秀賞を受賞し、その翌年、神奈の絵は同じコンクールで佳作に入選した。―――それでも神奈の心には一年前の弥生が描いた絵から感じた印象が焼き付いて離れず、出会いの機会なんて永遠に訪れない金色の髪の先輩に一度でもいいから質問してみたいと思い続けていたのだ。
そして今日、偶然にも拾ってしまった手帳こそが、その望みを叶えるチャンスのように神奈には思えて、落とした手帳を届けると言う名目で手帳に記載された住所にまでやってきた……はずだったのだが、
(どこまで行っても壁しかなくて、それで近くの公園に生えてた背の高い木に登って中を覗き見ようとしたら……)
そしたらなぜか、狙撃された。
だがしかし、ゼェゼェ息を切らして壁より高い場所にまでやっと登ったと思ったら、こめかみを掠めて何か小さいものが木の幹に直撃した。それに驚いて飛び上がった神奈は自分が樹上にいる事を忘れており、そのまま足を滑らせて地面まで落下するかと思いきや、途中の丈夫な枝に引っかかると反動で軽い身体が上空へと跳ね上げられ、運悪くそのまま壁の内側に落ちてしまった。………そして確か顔を上げたらすぐ目の前にギラッと光る刃が突きつけられていて、それに驚いて走り出したはずなのだが、そこから先のことは逃げ回るのに無我夢中でよく覚えていない。
(そういえばあれ……木の幹に直撃したのって、本当はなんだったんだろう?)
そもそもあれが狙撃だったかどうか定かではない。一般ピープルである神奈が銃で撃たれるという経験をこれまでの人生で経験した事などあるはずがなく、本当に狙撃されたのかどうか、少々怪しい。
だが、神奈の後ろに実銃を携えた人間がいるとなれば、話は変わってくる。
「あ…あの……」
見てはいけない。見たら殺されるかもしれない。………それでももう一度見て確かめたい衝動を抑えられず、まるで油を差していないさびたネジのように固まった首を後ろへとひねると、神奈を捕まえてここまで運んできたメイドにニッコリと笑みを返されてしまう。
「はは……あはははは……」
そのメイドはショートボブの髪に大きなレンズのメガネを鼻からズリ落とし気味にかけている、神奈とそう歳が離れているとは思えない美少女だった。おかっぱにしたヘアスタイルは少々古臭そうにも思えるけれど、彼女の笑みが生み出す柔和な雰囲気と、紺色の生地と白いエプロンの対比が格調高さを生み出しているメイド服とによくよくマッチしている。
けれど彼女が手にしている物は、とてもメイドの持ち物には思えない物だった。
右手には時代劇などで目にするような大薙刀。神奈が広い敷地内を走り回るきっかけになった得物である。
左手には戦争物などで目にしそうな重機関銃。どう見ても薙刀よりも重量のありそうな無骨な鉄の塊は、逃げ回る神奈へ向けて無数の弾丸を吐き出した得物である。
たまには何発も打たれたけれど、全てゴム弾だった。もしそうでなければ神奈の体にどれだけ風穴が開いて何本手足が千切れ飛んだか分からない。……が、法治国家である日本に巨大な機関銃が存在しているはずがない。存在しているのは映画の中ぐらいなものだ。そもそも神奈とさして背の高さが変わらない少女が左手一本で鉄の塊で何キロもありそうな重機関銃を抱えて肩に乗せているなんて現実感がなさ過ぎる。
(そうだ。きっとあれオモチャなんだ。ゴムしか撃てないんだ。なーんだ、あは、あははははは)
「ダメですよ、ちゃんと前を向いていませんと。今度はパウダー増量したのを撃ち込んで欲しいんですか?」
まだ魂が戻ってきておらず、後ろを振り返ったまま現実逃避しようとしていた神奈のこめかみに、メイドの少女は微笑みを浮かべたまま機関銃の銃口が押し付けられる。
もしそれがプラスチックだったなら、どれほど幸せだっただろうか……だが実際には、硬く冷たい鉄の感触だ。理性を保つために編み上げていた拙い幻想は微塵に打ち砕かれ、背中にビッショリ冷たい汗を描いた神奈は、振り向いたときと同じようにギギギ…と軋んだ音を上げそうな首を必死になって正面へと向ける。
(なんで……これが現実なんでしょう? でも、だったらあの子の胸……あれも現実なのかな?)
大薙刀と銃機関銃にばかりに注意が向いていたけれど、目蓋を閉じれば、この広間の壁には一列になってメイド服に身を包んだ女性が並んでいた。そしてその光景の真ん中で機関銃をこちらへ向けるメイドの胸が―――
(いや、だって、あんなに大きな胸って……雑誌のグラビア写真でもあんなに大きな人って見たことないですよ? 絶対にGカップよりも上だよね……H? I? J? うわ、僕ってばこんな状況で何を考えていますか一体、そんなにスケベだったつもりはないんですが!?)
「今、何を考えてます? ダメですよ、不埒な妄想をしたらあなたの後頭部にズドンと―――」
「うわー! すみませんゴメンナサイ健全な青少年で申し訳ありません! 心頭滅却煩悩退散ハンニャーハーラーミータージー!」
「はい、よろしいです。よく出来ました。神様は反省する者には慈悲を与えてくださりますよ。生まれ変わったらきっと幸せな人生を送れると思います」
「それってボクの死亡は確定ですかッ!?」
「だって、先ほど告白なされたではありませんか。退散させなきゃいけない煩悩を抱いてらしたんでしょう? 私の胸をじっと見詰めて何を考えてらしたんですか……いやらしい」
「ち…違います! 誤解です! 僕が見てたのはあなたの手の―――」
「まあ、あなたは指フェチでしたの?………ひ、卑猥です!」
「うわぁ、僕が何言っても物凄く偏見のある受け止め方されてると思います!」
「あなたのような変質者に人権なんてありませんから。今、こうして生きながらえているだけでも神とご主人様に感謝なさい。ろくじゅう、ごじゅうきゅう、ごじゅうはち……」
「わぁ〜ん! ボクの命ってあと一分なんですか!? カウントダウンが恐いよぉ〜!」
「ご主人様の生徒手帳を盗んでおきながら、盗人猛々しいとはこの事です!………あれ、いくつまで数えましたっけ? えっと……じゅ〜、きゅ〜、はち〜」
「四十秒以上数え忘れてます、だから、あ…あ―――! ボクの人生があと三秒!」
「大丈夫です。一思いに殺ってあげます。それでは、にー、いちー」
終わった……後頭部に押し付けられた銃口越しにガチャッと不穏な振動が伝わってくると、神奈は自分の死を覚悟した。
そして可愛いメイドが楽しそうにゼロの「ゼ〜」まで口にしたその瞬間―――扉の開く音が室内に木霊する。
「蓬(よもぎ)、そこの彼が侵入者? 葉桜の生徒と聞きましたけど」
(あ、金色の髪……あ、あっあっ、あの人が高菱先輩!?)
広間の右前部の扉を開けて入ってきた弥生の姿に、神奈は一瞬で目を奪われる。
噂以上に美しく整った顔立ちは某国のお姫様と言われても納得するだけの気品を讃えている。湯上りなのだろうか、金色の髪はしっとりと湿っていて証明の灯かりを受け止めて蜂蜜のように蕩ける色合いを見せ、そして……
「んな、なっ、なんて格好なんですか先輩!?」
「ご主人様にいかがわしい目を向けちゃダメですッ!」
後ろから銃口をグリグリ頭に押し付けられるけれど、神奈の目は弥生のバスローブ姿から離れない。なにしろ丈がミニスカート以上に物凄く短く、弥生が歩くだけで張りのある太股の付け根まで見えそうなぐらい際どいのだ。帯の結び目の下でヒラヒラと揺れ動く合わせ目からは見えてはいけない部分まで見えてしまいそうだし、当然お風呂から上がったばかりではブラなどつけているはずもない胸の膨らみは重力に逆らうかのようにボヨンボヨンと小さく揺れ弾んでいる。
(ああ、そうか。先輩って姿勢も歩き方もいいからそんなに胸が弾まないんだ……って、あれ? 僕ってば命の瀬戸際であと一秒足らずの人生だって言うのに、どこに血液集めちゃってるの!?)
弥生が神奈の眼前にある椅子に向かって近づいてくるにつれて、湿り気を帯びた空気と香りが神奈の鼻腔へと流れ込んでくる。すると回りがメイド桟だらけな上に憧れの存在の高菱弥生が近くにまできている状況なのに、窮屈な学生ズボンとブリーフの中でおチ○チンが一気に膨張してしまう。
(ダメだって。いくらなんでも今興奮するのはいけなさ過ぎるよォ!)
だけど一度股間に流れ込んでしまった血液はすぐには別のところへ移動してくれない。とりあえずの緊急手段として、正座している太股の間へと両手で押し込むと左右から強く挟みつけて鎌首をもたげないように抑えつける。血管が折れ曲がって血が流れなくなったのか、根元がかなり苦しく痛いけれど、弥生や何十人と言うメイドさんたちの前で股間を大きくしてしまう恥ずかしさに比べれば、まだ耐えられるものだ。
だが、そんな神奈の決死の努力に対し……
「あなた……霜月神奈くんではありませんか?」
「は、はにゃわぁあああああああっ!?」
てっきり椅子に座るものだとばかり思い込んでいたのに、その横を素通りした弥生は神奈の前でしゃがみこみ、顔を覗きこんできた。
(ダメですって、今そんな格好で近づかれたら……あっ、せ、先輩の胸の谷間が……それにスゴくいい香りがして……いや、ダメ、お願いだからこれ以上大きくならないでください、おチ○チン様ァァァ!!!)
憧れの先輩がお互いの息が頬を撫でるほど間近にいる……そんな状況で平成を保っていられるほど、神奈の本能は腑抜けではなかった。強く締め付ける太股を押し分けてブリーフの内側に亀頭を擦り付けるように跳ね上がると、チャックを壊しかねない勢いで学生ズボンの股間部を押し上げる。こうなっては抑えようもなく、せめて人目に付かないようにと両手で包み隠すものの、膝を立ててしゃがみこんだ弥生は悪戯っぽく微笑む表情とバスローブの胸元から覗き見えるくっきり一本の線になった胸の谷間、そして浅く開かれたふくらはぎの間の向こうには太股からヒップへの滑らかなラインが横や後ろからではなく上から、もし弥生が立っていれば真下からのぞき見るのと同じアングルが一直線に並んでいる。ましてや弥生のスタイルはグラビアアイドル顔負け。健全な青少年にとって、あまりに刺激が強すぎる光景に股間の脈動は収まるどころか激しさを増し、それ以上に胸の鼓動は早鐘のように高まり、急接近されている顔は火が灯ったかのように熱を帯びていった。
「もう……ダメよ、そんなに目を動かしちゃ。私を見て……まっすぐに」
「ひにゃひぃ!?」
もう自分の口が何を言っているのかも分からない……メイドたちの失笑を買う奇妙な声を上げている神奈の頬に、温もりを帯びた弥生の指先が触れる。美人は手が冷たいなんてとんでもない話ではあるけれど、頬から耳へとなぞり上げられると、氷の塊のような冷たい衝撃が背筋を打ち震わせ、神奈は全身を硬直させたまま背後へ倒れこんでしまう。
「逃げちゃダメだって……きゃあっ!」
それはとっさの事だった。バランスを崩した事に気が付いた神奈は体を支えるために反射的に手を伸ばし、思わず弥生の手を握り締めてしまう。けれど神奈を追って身を乗り出そうとしていた弥生も、引っ張られるままにバランスを崩し、自分よりも小柄な神奈の上に覆いかぶさってしまう。
「ッ――――――――――――――――――――――――――――!!!」
気が付いた時、頭に銃口を押し付けられているよりも、さらに最悪な状況になっていた。
弥生のたわわな胸の膨らみが神奈の胸へ押し付けられていた。しかもご丁寧にバスローブはなぜか肌蹴ている。
神奈の股間が弥生の下腹部の“どこか”に触れてしまっていた。見えないし経験もない神奈にそれが何処かまでは分からない……が、布地越しに伝わってくる肌の熱さと湿り気が、いたいけな少年の股間をさらに滾らせる。
そして……神奈の唇が、弥生の唇が、絡み合うかのように互いに密着しあっていた。
(せ…先輩と……学園のアイドルの高菱先輩と……キ…キス、キスしちゃっ…た? 本当に? 本当にこれって現実なの!?)
ありえなさ過ぎる偶然的偶発的な状況に神奈の頭が「これは夢だ」と現実を否定し始める。けれど、弥生の唇から伝わってくる温もりと口内に流れ込んでくる唾液、そしてメガネのレンズの向こう側で心地よさそうに瞳を閉じている弥生がいて……やはりこれは夢なのだと、ありえないと、今にもブレーカーが落ちそうになっている理性が必死に訴えかけていた。
(僕が初対面の高菱先輩とこんな事になるなんて……やっぱり夢だ、ありえるわけない、し…舌まで入れらて……ああ、僕…ふぁ、ファーストキスなのにぃ………!)
手も足も動かせない神奈の口の中から、ピチャピチャと蠱惑的な音が響いてくる。次々と流れ込んでくる弥生の唾液をゴキュッと喉の奥へ飲み下すと、アルコールを流し込まれたみたいに全身が熱くなり、ただ一点、必死に昂ぶりを訴えている股間だけがビクビクと脈打って弥生の下腹を突き上げる。
無礼だ、不敬だ、不躾だ……神奈などに決して手が届く存在であるはずがない高菱弥生と唇を重ね、あまつさえ勃起させた股間を押し付けるなんて、妄想だからといっても行き過ぎていた。
(だから、ほら、僕の望んだとおり先輩の唇が離れていく。その代わりに―――)
にゅる…と生々しい感触を神奈の唇から弥生の舌が引き抜かれると、入れ替わりに眉間へ冷たくて硬い感触が押し当てられ、喉元には冷たく固く、その上鋭さも兼ね備えた感触が押し付けられる。
眉間のそれは重機関銃の銃口で、喉もとのそれは大薙刀の湾曲した切っ先だった。
そして視線を少し上に向ければ、微笑んでいるのに死神のように見える蓬の顔。
(これは夢だこれは夢だこれは夢だ………ああ、何でだろう。僕の夢なのに本当にここで死んじゃいそうな気が全開です)
「斬首と銃殺、どちらがお好みですか?」
「出来れば僕だと見分けが付く方法でお願いします」
「了解しました。では切り落とした後の首は塩漬けにして高菱家に仇をなした怨敵として毎年首改めをして差し上げます。ついでに額には“米”と書いてあげます」
「せ、せめて“肉”……いや“中”に!」
「あなたの生殺与奪は今、私の手の中です。故に決定権も私のものです。では―――」
大薙刀を持っているほうの蓬の手に力がかかる。これで殺されても夢の中なら目が覚めるだけで大丈夫……なわけがない。現実の逃走から死の危機を前にしてようやく魂が戻ってくると、死の0.1秒の間に声を上げようと唇を開く。
しかし、
「蓬、彼には私が用があるのです。邪魔しないで」
「失礼いたしました、ご主人様」
と、神奈に馬乗りに乗ったままの弥生が追い払うように手を振る。すると蓬も滑らかな動作で一歩下がり、その代わりに神奈の視界を塞いだのは、やはり弥生の顔だった。
「せ、先輩…あの、僕……」
「恐がらせてしまってごめんなさい。眼鏡……少しはずさせてね」
「あ………」
眼鏡をはずすと、間近にある弥生の顔がより鮮明に瞳に映る。
あの唇に初めてのキスを奪われた……そう意識するだけで、神奈の顔は茹ダコの様になってしまう。そんな神奈の前髪を掻き揚げじっくりと覗き込んでいた弥生は嬉しそうに呟きを漏らす。
「思っていたとおり、綺麗な瞳をしているのね、神奈君」
「え…なんで僕の名前……」
「それに、想像していたよりもずっと可愛らしい顔……どう、うちのメイドになってメイド服を着てみない?」
「全力でお断りします! こ、子供の頃のトラウマが蘇っちゃいますぅ〜!」
実は神奈はかなりの女顔だった。子供の頃から母親が神奈を女装させるのが趣味だったせいで散々な目に合い続けており、黒ぶち眼鏡をかけているのもそんな自分の顔を隠すためでもあったのだ。
もし眼鏡をかけていなければ、神奈の平凡な学園生活は一転して男子から貞操を守らなければならないデンジャラスライフになる危険性を秘めている……そんな男心をくすぐる神奈にすぐさまメイド服を着せようとした弥生は、神奈の母親とある意味同種の人間なのかもしれない。
「う〜ん残念。うちのメイド服以外にも色々取り揃えていたのに。似合うわよ、絶対。私が保証してあげる」
「そんな保証はいりません! それよりも……き、聞きたいことがあるんですけど。何もかもが突然すぎて、訊く暇もなくて……」
「そうね。神奈君は危険な人間ではなさそうだし。質問を認めてあげる.何が訊きたいの?」
「………えっと、まず、あの、物凄く言い難い事なんですけど……胸を、隠してもらえませんか?」
神奈の顔を覗きこみ終えた弥生は体を起こしている。おかげで神奈が弥生に顔を向けて話をしようとすれば、否が応にも張りのある美しい形の弥生のバストが目に入ってしまう。決して見たくないわけではないのだが、すぐ傍に重機関銃と大薙刀を携えた蓬がいる以上、直視するわけにはいかないのだ。
それなのに、
「どうして?」
と、本当に不思議そうに弥生は首を傾げた。
「わたくしの胸、隠さなければいけないほど恥ずかしい形をしてるのでしょうか? それとも大きすぎて不細工ですか? ねえ、殿方の目にはどう映ります?」
「どう映るかって、そんな…のは………えと………」
言えない。
言えるわけがない。
弥生の乳房はボリュームもさることながら、見事すぎるほどのロケットおっぱいだ。神奈の胸に手を付いている性で左右から二の腕に押し寄せられた乳房は更なるボリュームを得ている。重力に従って下を向いた小さな乳首が、まるで「吸って」と言っているみたいに弥生の身動ぎに合わせて揺れ動いていて、一目見ただけで催眠術にかかったかのように目を奪われてしまう。そして普段であれば白磁のように白く滑らかな肌も湯上りの後ではほんのりと桜色に染まっていて、しっとりと潤い吸い付くような質感を帯びた乳房は、得も言われぬ色艶を漂わせていた。
そんなものを見ていて、いつまでも平静を保っていられない。憧れの高菱弥生先輩の前でこれ以上の痴態を晒すまいと視線を逸らせてまで股間にリビドーが集中しようとしているのを押さえ込んでいるのに、当の弥生が神奈に見せようと顔の間近に膨らみを近づけてくる。まさに乳地獄(?)だ。
「お、お願いします! 見たくないわけじゃないんですけど、見ちゃうと先輩と話が出来なくて、だから、だからぁ〜!」
「わたくしは貴方に見られるなら気にしません。自分の美貌には絶対の自信を持っておりますし、芸術家の前で肌を晒して恥らうようでは美は語れませんから」
「僕は芸術家なんかじゃありません! だから、前、前ェ〜〜〜!」
「何を言うのですか!」
思わぬ弥生の鋭い声に身を強張らせる。そんな神奈の頬を弥生は両手で挟むと、自分にまっすぐ向けさせた。
「霜月神奈、貴方の絵、今年の美術コンクールで拝見いたしました―――残念でしたわね」
「い…いえ……僕、佳作入選で、物凄く嬉しかったんですけど……」
けれどそれ以上に、自分の絵を弥生が見てくれていたのだと知った喜びの方が今は大きい―――それなのに弥生は、悲しそうな顔で首を振る。
「いいえ。あの絵はもっと評価されるべきです。確かに技術的には未熟な麺はありますが、それ以上にあの絵は素晴らしかった。貴方の絵はただ風景を写し取るだけではなく、あの場所の光や音、風すらもキャンバスは感じられました。わたくしが見た限り、あの絵ほど書き手の思いのこもった絵は他にありませんでしたのに……あの審査委員が」
「………その人、お知り合いですか?」
「冗談ではありませんわ! あんな芸術を見る目もなく権威に尻尾を振るだけの俗物、名前すら聞きたくありません。不愉快です! 貴方の絵は権力者の子息が描いたと言うだけの取るに足らない未熟な絵に負けたのです。努力の跡も才能の煌きも何もない、ましてや本人が描いたかどうかも怪しい絵でした。そのような絵に賞を奪われて評価を貶められて、神奈、貴方は残念に思いませんでしたの!?」
感情を荒げた弥生の指が学生服越しに神奈の胸に食い込む。その痛みがそのまま弥生の怒りであり、感情の昂ぶりなのだと感じながら、神奈は唇を開き、
「綺麗…です……」
見たまま、感じたままにそう呟いてしまい、ハッと我に帰ってとんでもない事を口にしてしまったと気づいた時には、弥生は怒っていた事も忘れたかのようにポカンと神奈を見つめていた。
「あのいえこれは違うんです先輩の怒った顔が綺麗だって思ったのは本当なんですけどうわ僕何をとち狂って口走ってるんでしょうかでですね先輩が何をそんなに怒ってるのか分からなくてでもボクの為に怒ってくれたことがちょっぴり嬉しくてってダメです口が止まんなくてあわわわごめんなさいィ!!!」
「貴方……悔しくなかったんですか?」
「そんなの元から考えてないし僕はただ先輩が去年出展されたからってだけで応募しただけで順位や優劣なんて気にしてませんでしたし先輩に憧れンム―――――――――――――――――――――ッ!!!」
突然目を塞がれ、頭の中で一回転させずに思考をそのまま垂れ流していた口が生暖かいものに塞がれる。そのいきなりのショックと唇を塞いだものの正体に気づいた事による更なるショックで脳内の思考が全て吹き飛んで一度リセット。そして、二度目と言う事で気の先端ほどの余裕が芽生えていた神奈は、鼻腔の奥に流れ込んでくる高菱弥生の香りを胸いっぱいに吸い込むと、ンッ…と小さく鼻を鳴らしてこの至福の時間に酔いしれていく。
「落ち着きましたか?」
「は……はい………すみません、僕……」
「いいえ……これはわたくしから貴方への表彰ですわ。他者との優劣よりも自分の絵に全てを込めた霜月神奈君へのね。そんな貴方だから、私もあの絵を見て会ってみたいと思ったのでしょうね。それがまさか、侵入者として我が家を訪れるとは思いませんでしたけれど」
佳作の賞状なんて比較にもならない表彰です……とクスクスと笑う弥生に答えたかったのだけれど、二度目のキスで胸の中の空気を全て消費しつくして喘いでいたのと、なぜか全身に突き刺さる冷たい視線のせいで金縛りにあったかのように動けなくなってしまう。
(め、メイドさんが恐い……あああああ、よ、蓬さんだっけ? 顔は笑ってるのに視線が物凄く恐怖ですが―――!)
仰向けの神奈が見れるのは馬乗りになっている弥生と、その様子をニコニコと見ている蓬の顔だけだ。そして蓬の視線が「ご主人様が完全に離れたら蜂の巣にして差し上げますよ、哀れな子犬さん♪」と暗に言っているようで、冷たくざわざわした感覚が背筋を這い上がっていく。
(殺される……僕は間違いなく今日、殺されてしまいます―――だ、だったら当たって砕けて、先輩にあの事を訊いてから死んでやるぅ!)
「あの、先輩!」
「どうかしましたか?」
「その、ぼ、僕、訊きたいこと……まだ訊いてないんですけど!」
すぐそこに迫った死の緊張から声が上ずってしまうけれど、その事を気にしている余裕は今の神奈にはない。
「ああ、確かわたくしの胸の魅力が神奈君にはお気にめさないと言うお話でしたね」
「ちが〜うッ! てか、せ、先輩の胸だったら物凄く……って、うわわわわ、なに誘導されて自爆してますか僕は!?」
「落ち着いて。なんでしたらもう一度落ち着かせて差し上げましょうか、わたくしの“ここ”で」
弥生は人差し指を伸ばすと自分の唇に押し当て、神奈にウインクしてみせる。しかも依然として、胸のふくらみをバスローブで隠していないまま。
一体葉桜学園の中で何人の人間が弥生にこの様な事をしてもらえただろうか、そう考えると今日が人生の終焉の日でも構わないとさえ思うのだけれど、それはそれ、これはこれ。去年の美術コンクールからずっと抱き続けてきた疑問を訊かなければ、死んでも死に切れるものではない。
(どうせ死ぬんだ。勇気を出して訊くんだ、僕!)
「あの、実は去年のコンクールに出された先輩の絵!」
「………?」
「物凄く上手で、僕、本当に感銘を受けたんですけど、なぜか心に引っかかって―――」
胸から口へとあふれ出した言葉……もう神奈自身に求められないと思えたその言葉は、神奈の唇に押し当てられた弥生の人差し指に押し留められる。
(………間接キス? ですか? でも直接キスした後だけど……で、でも、うわぁ、またまた頭が加熱しそう……!)
だけど、弥生と視線が合った瞬間、冷水を浴びせられたように頭の中が冷たくなっていく。
寂しそうな弥生の顔……神奈は自分がしてはいけない質問をしてしまった事を悟ってしまう。
「キミなら…感じてしまうんですね……」
「先輩、すみません。僕、調子に乗ってしまって……」
「………わたくしの絵、どんな絵だったか覚えてますか?」
心なしか、表情と共に髪の輝きも薄れたように感じられる。周囲のメイドたちの殺気も、事情を知っているのか困惑を隠しきれず、先ほどまで弥生以外は誰も喋らなかった椅子一脚しかない広間にかすかなざわめきが広がり始める。
「人物画……です。微笑んでいる女性の……」
「そう。でもあの女性は、私には一度もそんな笑顔を向けてくれたことはありませんでした」
「え……?」
「さあ、これで質問は終わりです」
不意に話を気って、弥生はバスローブで体の前を隠してしまう。「胸を隠して欲しい」と懇願していた神奈だが、いざ隠されてしまうと名残惜しい気持ちが湧き上がってきてしまう。
(ううう……ボクのスケベ、エロス、色情魔。憧れの先輩をいやらしい目で見ちゃうなんて……)
だけどこれで人生終わりなのだ。待っているのはおでこに“米”と書かれた首を塩漬けにされる運命のみ。弥生の唇を奪って胸まで見たのだから、最低でも不法侵入に色々な罪状をつけて警察に突き出される……もしそうなれば、命があるだけ御の字だ。
しかし―――
「ああ、そうだ。そう言えばわたくしの生徒手帳、落としたのではなく誰かに盗まれたのでした」
その弥生の一言で、事態は別の方向へと進み始めた。
「あ、あの…僕、先輩の生徒手帳、学園の茂みの中から……」
「これは背後関係を調べなければならないかもしれません。蓬、彼の身体検査は貴方が行ったのですか?」
弥生は金色の髪に覆われている背中を向け、神奈の声を完全に無視。そしてそのままただ一脚の椅子へと腰掛けながら銃と薙刀を手にしているメイドへと問いただす。
「はい。彼が携帯していたのはご主人様の生徒手帳以外には、腕時計、携帯電話、財布のみ。財布の中身は1532円とレシート数枚、学園近所のケーキ屋のポイントカードです」
「ああ、ケーキ屋さんのことまでばらさなくても〜! あそこは美味しいんですよ〜!」
「彼の鞄らしきものは進入経路に使われた屋敷外の木の傍に落ちていました。また、携帯電話のメモリーにテロリストや危険思想を持った要注意人物の連絡先は記録されていませんでした。また撮影データからも変質者と推定するに足る画像は検出されていません。レシートからは画材の他にコンビニでの食料品の購入記録を得ております」
「はうう〜…ぼ、僕の個人情報、だだ漏れですゥ……」
蓬は今まで神奈が弥生と密着しているのを我慢していた鬱憤を晴らすかのように、所持品から推測される神奈の情報を全て報告していく。それもノートの隅に書いていた落書きにまで言及されるほど微に入り細に入り、子と細かく調べ上げた上に適切な推測も加えられていて、これ以上の羞恥プレイはないと言うぐらいに憧れの先輩の前で恥ずかしさに悶絶させられてしまう。
「―――以上のことから、霜月神奈なる人物は絵が描く事だけが取り得の、極々普通の人物でして、決っっっしてご主人様が直接話をされるような人物ではないと思われます♪」
(な、なんて晴れやかな顔で報告終えるんだよぅ……ううう、僕、もう、立ち上がれないよぅ……)
もっとも、それほど人様にばれると恥ずかしいような生活は、ほんの少ししかしていない訳なのだが……それでも弥生に知られてしまったショックは隠しきれない。
「追跡調査は明日より行います。彼の交友関係をすべて洗い出し、生徒手帳を盗み出したのが単独犯なのか複数犯による企てなのかを明らかにし―――」
「不十分」
弥生の声が蓬の言葉を遮る。
「貴方の調査にはミスが見受けられます。直ちに再調査をなさい」
「み、ミスですか? 申し訳ございません。ご主人様にそのような不完全な報告をしてしまうなんて……」
「もっと念入りに身体検査をしなければいけなかったわね。彼……神奈君はズボンの中に物凄い凶器を隠し持っているわよ」
『………は?』
神奈と蓬の声が思わずハモる。二人の視線は椅子に腰をかけている弥生に一度向けられ、そして言われた言葉を頭の中で何度か反芻してから、同時に神奈の股間へと向けられる。
「わ、わっわっ、うわわわわァ! ごめんなさいすみません煩悩退散できてませんでした!」
「あら、どうして股間を抑えてうずくまるのかしら、霜月神奈君? そんな態度を見せたら、そこにわたくしたちに見せたくない“凶器”を隠していると自分から白状しているようなものですよ?」
「これだけは、今だけは、お見せする事はできません! あの、一時間ほど待っていただけたら血も抜けて―――え、あ、あ……はうッ!?」
フカフカの絨毯に顔を押し付けるようにうずくまった神奈から弥生を見上げれば、当然脚の方が先に目に入る。その脚を弥生がゆっくりと前へ伸ばして左膝の上に右足を乗せる瞬間、確かに神奈の目は弥生のバスローブの奥を捉えてしまっていた。
(先輩……は、履いてない!? て事は、僕、さっき圧し掛かられてたときに先輩のアソコへ股間を押し付けて……あ、うぁあああああああっ!?)
事実に気づいてしまった途端に、ある程度平常心を取り戻せていた股間は痛みを発するほどに充血し始める。膨張は限界に達しているのに全身から興奮した血液が流れ込むと、唇を噛み締めていなければ溢れだしてしまいそうなほどの悲鳴が喉に込み上げてきてしまう。
(先っぽがパンツの内側に擦れてる……こんなに膨らんだ事ってないのに、どうしよう、こんなところを調べるだなんて!)
「え…えっと……えっと……」
だが、困惑しているのは神奈だけではない。両手にそれぞれ凶悪な武器を携えている蓬だが、「神奈のズボンの中を調べろ」と言う命令にただオロオロとうろたえているだけだった。
主人の命令は絶対だ。けれどうら若き乙女に殿方の股間を調べろという命令はあまりに酷過ぎる。しかし椅子の肘掛に頬杖を突いて楽しそうに蓬の様子を見ていた弥生は、
「何をしているの? わたくしの命令が聞けないわけではないでしょうね?」
「いえ、そのような事は……ですが、その、こう体を丸められていては、手荒な事をしなければ調べる事は出来ませんし……」
「そんな事は手荒な真似はせずとも簡単にできるでしょう。貴方が武器を持って威圧しているから霜月神奈君は怯えて身を守っているんです。だから蓬――」
その時、神奈は弥生の目がスッ…と細くなり、怪しい輝きを灯したのを見る。
「あなた、全裸になりなさい」
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人物紹介その2
・霜月神奈(しもつき・かんな、♂)
絵の才能があるのと眼鏡を取れば美少年(美少女?)なのが見た目からまったく分からない、瓶底眼鏡をかけた少年。
成績も運動も取り得がなく、パニックになると魂がどこかに飛んで支離滅裂になりやすい。女装にトラウマあり。
弥生とは面識がなかったけれど、一年違いでコンクールに出展した絵で互いに存在を意識していたらしい。
・蓬(よもぎ、♀)
主に敷地内の警備を担当しているSM(シークレットメイド)で構成された第四メイド隊隊長。
ショートボブ、昔風に言えばおかっぱのメガネっ子。胸はIカップの超巨乳。
重機関銃と大薙刀をそれぞれ片手で操る腕力は巨乳を支えるために鍛えに鍛えたため。
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