stage1「フジエーダ攻防戦」52
「ヒャ〜〜ヒャッヒャッヒャアッ!! そうとも、デーモンに犯されて狂わない女などいるはずが無い。そうとも、キミはこれからボクの実験台にしてあげよう。たとえば、魔蟲をキミのアナルに挿入するとかねぇ!!」
佐野が袖を振ると、ボトリと白い虫の幼虫のようなものが落ちてくる。大きさは人間の男根よりも大きく、体の至る場所から白い液体を細く噴き出している。
「この魔蟲はキミに打ち込んだ媚薬を生み出すためのものだ。普通は薄めるが、キミには原液を使ったから、さぞやいい思いを見れただろう。それこそ百人の男に抱かれても―――」
………耳障りだった。
虚ろな目を佐野と、落ちた魔蟲へと向ける。―――そんなに自慢したいなら、自慢できないようにすればいい。そうすれば、うるさくなくなるし、この、頭の痛みも治まるはずだ。
「これをキミのヴァギナへ直接捻じ込んであげよう。そうすればもう何も考えずに生きて行ける。ただ快感だけを貪って………え?」
振るう力は手足と同じ。呼吸するのと同じ感覚で、あたしは指先を佐野のほうへと向け、沸きあがる黒い力を震った。
―――瞬きする時間ほどもかかりはしない。あたしの魔力は魔蟲を半分にし、さらに半分にする。その行為を十二回ほど繰り返した後、ついでに佐野が手にしている杖を細切れにする。
「うん………これで静かになった。変な音がするのよね、その杖……うるさくて、頭に響いて、しかたがないの」
静かになったのはいいけれど……あたしは今、何をした?
まるで自分の中にもう一人あたしがいて、体を勝手に動かされたような気分だった。けれどそれが「あたし」である以上、原形をとどめないぐらいに魔蟲を切り裂いたのは間違いなくあたしの意思だ。別人でも誰でもない。―――だからこそ、普段のあたしとの違いに違和感を感じてしまう。
そもそも、どうやって魔蟲を切り裂いたのか。―――考えるまでも無い。あたしの「魔力」を使って切り裂いた。―――でもあたしは魔法が使えない。どうやって「魔力」を使ったのか。―――そもそも「どう使うか」なんて考える事がおかしくて―――
今のあたしと、数分前のあたしは、明らかに異なっていた。それに違和感を覚えるのに、自分では何もおかしいと感じられない。……まるで魚の小骨が引っかかったような、落ち着かない気分だ。
「いったいどうなって……―――!?」
「音」が消えて痛みの和らいだ頭に手を当てると、何か固い物が指先に触れた。
「角………?」
手で形をなぞれば、牛と言うよりも山羊のようにねじれた角が後ろから前へ、側頭部を覆うように生えていた。
なぜこんなものがあるのか……と、考えてやめた。なぜなら、
「今のあたしには当然ある」
鳥に翼があるように。蜘蛛に足が八本あるように。魚が水中で呼吸が出来るように。「当然」と言う言葉で納得してしまうと、今のあたしのありようが違和感なく受け入れられていく。
頭には曲がった角。
背には黒影の翼。
ボタンのはじけたメイド服をかき寄せる動きのままに自分の体を抱きしめれば、全身が脈を打っているみたいに熱い魔力が駆け巡っているのが感じられる。
―――そう、これは紛れも無くあたしの「力」だ。
「もうちょっと楽しみたいところだけど……んっ―――」
あたしが右手と、篭手をつけた左手をデーモンの肩に置く。そして腰を上げて長い射精の余韻が続いているペ○スをズルリと膣内から引き抜くと、あたしの背で黒い翼がビクッと左右へ広がった。
「ハァ……濃いのが垂れてる………」
まるで亀頭を舐めるように、最後までペ○スに吸い付く膣口をチュポンと引き剥がす。そしてデーモンをまたいだまま立ち上がると、太股を伝い、ストッキングに染み込みながら垂れ落ちる精液を拭い、口へ運ぶ。
思ったとおり……いや、想像以上に、デーモンの精液は濃厚で味わい深く、大量の魔力を含んだ極上の味だった。あたしは脱力して倒れ伏したデーモンの素顔を想像しながらヴァギナへ指を差しいれ、グチャグチャと自分の愛液と混ぜ合わせるようにかき混ぜてから手首にまで滴るぐらい白濁液を掬い取り、直接口をつけてすすり上げた。
「ふふふ……この子と契約したら、毎日こんなに美味しい精液飲ませてくれるのか……どうしよっかな〜」
スカートを下ろして身なりを整えるけれど、さすがに地面の上でアレコレしすぎだ。娼館で借りたメイド服だけど……弁償しなきゃいけないかな? ま、背中の裂け目は翼を出せるから便利なんだけど。
「な…何者だ、お前はぁ!!?」
「ほえ?」
それまで、すっかり静かになっててその存在も忘れ去っていた佐野が、不意に叫ぶようにあたしへ問いかけてくる。
「何って……まあ、メイド服を着てるけど平和主義の冒険者といいますか……」
「そんなことではない。なんだその角は、その羽根はぁ!! まさか…まさかデーモンに犯された者は悪魔になるとでも言うのか!?」
「そんなわけ無いじゃない。これは自前だもん」
言って、あたしは篭手をつけた左手を佐野へ向けて開いてみせる。
「魔王スキル「変身」、タイプ・サキュバス。―――頭の中の情報だと、そう言うことらしいわよ」
以前、魔王の書の精神世界で手に入れていた力の一つだ。
ワーウルフ、マーメイド、そしてサキュバス……今ならわかる。理屈はともかく、体が全てを理解している。
時々感じていた体の軽さ、あれはポチの精液から吸収した魔力でワーウルフの能力が一時的に発動していた。
そして今、デーモンの精液から得た闇の魔力が、最も近しい属性を持つサキュバスの力を目覚めさせている。
この力は単に内側から沸きあがってくるだけのものじゃない。精神世界で手に入れた「因子」を元にあたしの体が魔力によって作り変えられ、その力を振るうのに最も適した存在へと「生まれ変わっている」。
これまで変身が明確に発動してこなかったのは、因子に対応するモンスターがいなかった事。唯一ワーウルフに対応していたポチの魔力が、因子を目覚めさせるほど強くなかった…と言うところだろう。
まあ、小難しい話は抜きにしても、この力は恐いぐらいに最高だ。
まるで空っぽのタンクに予備のくせに十倍以上は大きい別のタンクをつなげられたみたいに魔力が次から次へと吹き上がってくる。しかも……デーモンに近い「闇」の魔力属性になっているせいで、魔法に似た力まで行使できる。―――って、
「ああ、夢にまで見た魔法攻撃ぃ♪」
あたしは特大の魔力弾を撃ち放つ。嬉しさのあまり、魔力過剰で発射しております。
普通に打ち出すのに比べて五倍以上の魔力を注ぎ込んだ一撃は、威力の倍掛けで優に建物五・六個は吹き飛ばせるほどの破壊力を秘めている。
それなりに近い距離から攻撃だったけれど、佐野は辛うじて障壁を展開して防いだ。けれど、あたしが左手をグッと押し込めば、勢いを増した魔力弾は障壁を容易く破壊する。
「ぐぁあああぁぁぁ!!!」
障壁が壊れる際の耳障りな音で、佐野が使っていた障壁が衝撃属性のものだと理解しながら、あたしは背の黒翼を羽ばたかせ、空気を打つ。
「――――――ッ!」
短距離飛翔。
脚力ではなく翼力で体を前へ飛ばすと、空気の壁を容易く突き破る。自分でも慌てるほどのスピードにブレーキをかければ、吹き飛ばされた佐野と一瞬にしてすれ違い、あたしは広場の中央へと移動していた。
「うわぁ……跳ぶのってこんな感覚なんだ。びっくりしたぁ」
少しドキドキしている胸を撫で下ろしながら足元へ目をやれば、元々黒い革表紙とそこにはめ込まれた金のメダルがコゲとススで見事にボロボロになっている魔王の書が落ちていた。
―――別にどうでもいいことだったんだけど、こげたままにしておくのは可哀相かな……て言うか、よくもまあ燃え残ってたよね。しぶとい……
「生きてる?」
拾い上げて呼びかけると、ビクッと震え、
『し…死んでたまるか……ワシの、全世界美女の姉ちゃんのおっぱいでパフパフしてもらっちゃうハーレム計画を実行に移すまでは…死んでも死に切れん!』
「死んでなさい!」
あたしは全力で、そのまま地面へ叩きつけた。
―――まあ、とりあえず元気そうだ。そんなわけで、あたしも手加減せずに全力で地面に叩きつけても良心はこれっぽっちも痛まない。むしろ、この世から悪を一つ退治した満足感させ込み上げてくるほどだ。
「いや〜、あたしってば全世界的規模でいい事したかも♪」
『ぬわぁぁぁにが「いい事」じゃアァァァ!!!』
「む……まだ生きてる」
『あったり前だのコンコンチキィィィ!! いたいけな魔道書を地面へ叩きつけるなんて、おぬしには過去の英知に対する尊敬の念は無いのか!?』
「なにが過去の英知よ。あんたなんか過去のエッチで十分なの。いい加減変な願望抱くのやめて真面目にならないと、紐で縛って廃品回収で捨てちゃうからね」
『そ…そんなのたくやじゃないぃぃぃ!! おぬしはそこで「いやん♪ 魔王様のい・け・ず♪」って言ってシナを作って崩れ落ちてくれちゃうようなキャラだったはずでゲフゥ!!!』
「あんたの脳内のあたしは一体どんなキャピルン乙女なのよ!」
足に影をまきつけて破壊力を増した一踏みで魔王の書は沈黙。―――よし、これで静かになった。
久しぶりに再会しても、やはりその五月蝿さには慣れることがない。クラッときそうな頭を手で押さえ、改めて角の固い感触に興味を覚えながら、今度は佐野へと目を向ける。
―――このフジエーダでの戦いと、あたしがされた凌辱への恨み、その何もかもを終わらせるために。
「く、来るなぁ! 僕に近づけばあいつ等が、あいつ等が死ぬことになるぞ!?」
あたしが魔王の書と話している間に呪文詠唱を終えたのだろう、佐野は巨大な火球を倒れたままのめぐみちゃんの方へと向けている。
けれど、尊大だった声は可哀相なほど震えている。わずかに刺激しただけで本当に魔法を撃ち放ってしまいそうだった。
「また人質? 言う事もやる事も、どんどん三下になってるって自分で気付いてる?」
―――あ……刺激したらマズかったっけ。佐野には恨みがダース単位であるような感じだけど、とりあえず落ち着いて……よし、めぐみちゃんを助けるためだもん。動かないぐらいどうってことないかな。
「さっきの言葉は忘れて」
と、いい直しても遅いんだけど。
「―――別にいいけど、もしめぐみちゃんに怪我一つでも負わせたら、ただじゃおかないわよ」
「黙れ! 優位なのはボクのほうだ。お前は黙って僕の言う事を聞けばいいんだ!」
「完全に三流悪人の台詞ね、それ」
「う…うるさい! 僕を、ボクを小悪党だとでも言うのかぁ!」
実際そうなんだから「そうよ」言ってしまいそうになる。―――そのぐらい、今のあたしと佐野のパワーバランスは見事なまでに逆転してしまっている。
「わかりました。あたしはここから一歩も動かない。それでいいんでしょ」
両手を挙げて降参の意思を示すと、やっと安心したのかどうしようもないぐらいおびえていた佐野の表情にほんの少しだけ余裕が見えてくる。
「そ、それでいいんだ。ぼ、ボクは、世界を統べる、魔王になる男だ。お前なんか、ボクの、ボクの……」
「まだ言ってるの? 魔王なんてやめた方がいいって」
「黙れ黙れ黙れぇ!!!」
巨大なファイヤーボールを維持したまま、佐野は呪文を唱えてあたしへ衝撃弾を放ってくる。
「っ……!」
「貴様に何が分かる。僕は魔王になるんだ。肩書きじゃない、本物の魔王になって世界をすべる、それこそがボクの全てだ!!!」
衝撃弾が続けざまにあたしへ直撃する。けれどダメージはほとんどない。あたしの周囲を取り巻く膨大な魔力の壁は意識しなくても魔法に抵抗しようとする。しかも魔法の杖を失った佐野が放つ衝撃弾は威力も弱くて数も少ない。せいぜい小突かれる程度の威力しかなく、躱しも防ぎもしなくても、あたしを倒せるような攻撃ではなかった。
「………もう一回だけ言ってあげる。魔王なんてやめた方がいい。ちゃんと罪を償ったら、魔法ギルドかどこかで研究者になったほうがずっとマシよ」
「黙れと言っているぅぅぅ!!!」
やれやれ……わざとやってる余計な親切に逆上した佐野は、今度は維持したままだった特大の火炎球をあたしへと投げつけてくる。
それでも今のあたしには物足りない。佐野の魔力と火属性魔法の相性が悪いのだろう、人を一人飲み込めるほどの大きさがあるのに、向かってくる火球に見た目ほどの脅威を感じなかった。
「しょうがないなぁ……」
あたしはこの場から前へ出ることは出来ない。そう約束したからだ。―――だから代わりに、
「ポチ、出てらっしゃい」
魔力を急速充填した魔封玉から、大型の炎獣へと進化したポチを呼び出した。
「あたしは動いてないわよ。だからこれはルールの範囲内よね♪」
「グォオオオォォォォ!」
炎を操るポチには、この程度の魔法の炎は意味を成さない。火球はあたしへ当たる前にポチの口へと吸い寄せられ、そのまま飲み込まれてしまう。
「ば…馬鹿…な……火炎系最強の…ア、アグニブラストが……」
「これでおしまい? じゃああたしの勝ちって事で、おとなしく捕まって街の人に謝ってもらうわよ。それからあたしに酷いことした分もきっちりと――」
「ふざけるな、僕は、まだ負けていないぃ!」
これじゃ子供の駄々と変わらないな……と思っていると、佐野はローブの内側から先端に紫水晶のついたワンド(短杖)を取り出した。
「ウォームの杖を壊しただけで勝った気になるなよ。ボクは既にあの杖の構造を完璧に把握しているのだからなぁ!」
―――となると……次はデーモンで攻撃してくるわけか。わざわざ口にしなければ、杖の正体を探るためにあたしも警戒したのに……
「起きろ、デーモン! 貴様の両腕、両脚、翼の封印を五分間開放する。あいつを殺せぇ!!」
佐野が命じると、あたしとのSEXの疲れも見せずにデーモンが跳ね起きる。その目があたしを捕らえたとき、ほんの少しだけ迷いを感じた気がしたけれど、佐野の命令に逆らえないデーモンは翼を広げ、そのまま宙へ飛び上がった。
「出来れば戦いたくないんだけどな……」
先ほど体を重ねたせいか、デーモンに対してあまり闘志が湧き上がらない。
そんなあたしへ何も感じていないのか、それとも命令に逆らえないだけなのか、目で追えないほどの高スピードで飛びまわっていたデーモンは一気に勝負をつけようと上空からあたしへ襲い掛かってくる。
―――予想以上にデーモンのスピードが速い。あたしの隣で首を右往左往させているポチでは相手は務まらないだろう。
「―――そう言うわけだから」
あたしは赤い輝きを放つ魔封玉を手の上に生み出す。
「手加減してあげてね、オーガ!」
足りていなかった魔力を充填すると、今まで出番を与えてもらえなかったオーガの力強い脈動が伝わってくる。
腕を振り上げ突っ込んでくるデーモンに、あたしは手にした魔封玉を突き出した。すると小さな魔封玉は一気に弾けず、まずはとばかりに豪腕が飛び出してデーモンの顔を鷲掴みにした。
「う…うわぁあああああっ!!!」
現われたオーガの長い腕は、捕まえたデーモンを佐野めがけて投げ飛ばす。
叫びながら尻餅をついた佐野へ、残念ながらデーモンは直撃しなかった。翼をはためかせてバランスを取り戻し、空中からあたしと、少しずつ姿を見せようとするオーガへ注意深く目を向けている。
「………オーガ?」
けれど、あたしの手の上から現われ、地面へと降り立ったオーガは、思っていた通り、以前とは違う姿をしていた。
逞しい四肢は以前と変わりない。けれどその全身は青い色をした鎧に包まれていて、防御力が上がっている事は一目で見て取れた。以前のように腕だけが長いわけではなく、全体的なバランスは人間の男性とさほど変わりは無い。ただ二メートルを越える巨躯は鎧をまとうことで肉体美にいささか欠けてしまったけれど、筋肉の曲線と身にまとう鎧の鋭角さが、オーガの頃に感じられた獣じみた野生ぶりを無くし、より洗練された戦士としての存在を感じさせてくれる。
それ以上に目を引いたのは、頭部から天を突くように突き出た角だった。あたしのねじれた角とは違い、まっすぐ伸びる二本の角はどこか神秘的な力をまとっているようにも見えた。
そして、
「―――――――――!!!」
一瞬にして死角から突っ込んできたデーモンを、オーガ――と呼んでいいのかよく分からないけれど――は、見えていたかのように左腕でデーモンの顔を掴んで軽々と受け止める。
角や魔眼など特殊能力の大部分を封じられているとは言え、ジェルスパイダーとリビングメイルを一撃で倒したデーモンだ。それを容易く止めたオーガの膂力は計り知れないものがある。―――が、デーモンの攻撃は「爪」だ。振るわれる左腕をオーガは右手で止めるけれど、デーモンの本命は右の五指。魔力を込め、あたしとの間に立ちふさがるオーガを切り裂こうと振り上げられるけれど、その前に、オーガが振り上げた腕がデーモンを地面へ叩き伏せた。
「うわぁ……」
デーモンが弱かったわけではない。生まれ変わったオーガが強すぎるのだ。
おそらく今のあたしでも太刀打ちできない膂力に加え、肩から生えたもう一対の腕。最初の二本よりも一回り大きいその腕の力は、デーモンを石畳にめり込んだ事から容易に想像できる。人に近い姿形をしていながら、その力は以前のオーガよりも格段に跳ね上がっていた。
「………まあ、手加減したから死んでないのかな」
デーモンは起き上がってこないけれど、辛うじて手足がぴくぴくしている。もう少し優しくしてあげればいいのに…と思わないでもないけれど、あたしの言葉にオーガは返事を返さない。四本の腕で腕組みをしたまま、佐野の一挙手一投足に目を光らせ、警戒してくれていた。
「………油断、大敵」
「そう言う物言いのところは変わってないのね……」
もっとも、腕の数が倍にまでなった上に性格まで変わってしまっていたら、以前のオーガとかけ離れすぎていて、受け入れるのに時間が掛かっていたと思う。どこか古風な以前と変わらない喋り方が何故か嬉しくてクスッと笑みをこぼすと、あたしは最後の切り札をあっさり倒された佐野へと向き直った。
「いい加減観念したら? これだけの事をしでかしたんだから無実ってわけにはいかないだろうけど、命ぐらいは残しとくようにあたしからも言ってあげるし」
「お…鬼……」
………な、なんで情けをかけてあげてるのに鬼呼ばわり!?
「ひ…ひどい……なによなによ! 散々人を嬲り弄んでおいて、最終的には鬼悪魔の大魔王だなんて、ひどい言い様じゃない!」
思わず反論してしまうけれど、佐野の様子がおかしい。あたし……と言うよりオーガの方を震える手で指差し、恐怖を堪えて搾り出すと言った感じで言葉を紡いでいる。
「し、信じられない。鬼……違う、あれは鬼神だ。まさか、そんな、亜種でない純粋な鬼族が存在するなんて……いや、鬼であるならば腕が四本などありえない。では古代の神の眷属だとでも……」
―――なに言ってるかよく分からないんだけど。
「鬼」と言えば、人に向ければ残酷とか無慈悲と言う意味を持つけれど、モンスターを指すことも多い。ゴブリンなどの小柄な妖魔は「小鬼」、オーガも「屍食鬼」と呼んだりするのがその一例だけど、「鬼」と言う名前のモンスターは聞いたこともない。何々犬とか何々猫と同様の言葉であり、鋭い牙や爪を持つ亜人モンスターの総称と言うのが世間一般の解釈だろう。
もし仮に、純粋な「鬼」と言うモンスターが存在するのなら……亜人系のモンスターの中でもかなり上位に位置するのかもしれない、とちょっと贔屓目で隣のオーガ……いや、「キシン」を見てしまう。
ともあれ、佐野が狼狽するほど強力なモンスターである事は事実だった。デーモンと言うカードを失い、逆にあたしには鬼神と言う新たな手札が加わった。魔法も魔蟲もあたしには通じない以上、佐野が勝つ方法は―――
「ぼ…僕はまだ負けていない!」
―――めぐみちゃんを人質に取る事だけだ。そしてその手段を取るのなら、あたしも黙って立ってなくてもいい事になる。
不利を悟った佐野は手を突いてあたふたと立ち上がると、あたしや鬼神に背を向けて、めぐみちゃんの方へと走り寄る。けれどそれも事前にわかっている。あたしは慌てず騒がず、
「リビングメイル!」
佐野の横に並んで走る黒装束のリビングメイルへ命令を飛ばした。
「………………」
軽量で武器も無い黒装束では佐野を倒しきれるかどうかは難しいところだ。けれどゴブリンの魂が入っているリビングメイルは佐野の前へ回り込むと、自分の体を覆う黒い布をほどいて佐野の顔へと巻きつけた。
「ムグッ、な、なんだこれは!?」
「ジェル、蜜蜘蛛!!」
デーモンの切り裂かれた傷は、あたしがサキュバス化した直後の魔力供与で既に治っている。
透明のスライムボディーの中にいる蜜蜘蛛が空中に五本の糸を吐き出す。それに大量のスライムがまきつき、巨大な握りこぶしを形作ると、顔を覆われてもがいている佐野を、燃やされた恨みや合成モンスターにされた恨みなどを込めて全力でぶん殴った。
「――――――ッ!!!」
「オーク! 寝てた分、がんばって!」
口から鮮血を吐いて吹っ飛ぶ佐野の向かう先はめぐみちゃんのいる方向……そしてそれはオークのいる方向だ。
目覚めはすっきり。体力もばっちり。魔蟲で操られて散々こき使われてきたオークはゴキゴキ指を鳴らし、
「ブヒイッ!!!」
「ッ―――――――――――――!!」
気合一発。
ここまで拳の風切る音が聞こえてきそうな強烈なアッパーで佐野の華奢なボディーを夜明けの空へと舞い上がらせた。
―――さすがに死んだかな?
障壁も張らずにあれを食らってピンピンしてるはずがない。悶絶の形相で高々と空へ………空へ!?
怪力のオークに殴られたとは言え、佐野の体は上昇しすぎている。既に二階の屋根を越え、空中で姿勢を立て直した動きは自然現象ではありえない。おそらく上位魔法使いならほとんど一言で呪文の終わる浮遊(フロート)の魔法だ。
「ま…だ……負けて…な……なぃぃぃいいいっ!!」
佐野の絶叫と共に黒いローブが膨れ上がり、数え切れないほどの魔蟲が解き放たれる。それはまさに黒煙の様に白く染まった早朝の朝を覆い尽くしていった。
stage1「フジエーダ攻防戦」53