stage1「フジエーダ攻防戦」48


「あらら、たくや君も災難よねー。あたしだったら、あそこまでややこしくなる前にさっさと逃げちゃうけどなー」
 赤毛の少女は泣き喚くたくやを見ながら、嬉しさを押さえきれずに頬を緩ませていた。
 どうすればあそこまでトラブルに巻き込まれて、しかも無事でいられるのか。―――初戦でフジエーダが陥落し、大勢がほぼ定まってから姿を見せたたくやだが、軽く十回は死んでなければおかしいぐらいの活躍を見せている。
 もしもたくや一人がいなければ、守備側の要となったジャスミンは早期の段階で倒されていたし、衛兵長以下の捕らえられていた戦力が開放されることもなく、それ以前に生きながらえている事もなかったはずだ。
 クラウド王国王女の静香に関しては彼女とその部下が密かに護衛していたが、彼女が無謀にも街に残ったのはたくやを追っての事だ。おかげでフジエーダの戦力に世界中でも類を見ない強力な戦力「ガーディアン」が加えられ、その暴走もただ一人の冒険者によって最低限に抑えられて敵側のモンスターをまとめて倒す事に成功している。
 「彼女」が事前に準備していたマジックアイテムもそれほど強力なものではない。そもそも戦闘用でさえないモノであれだけ戦い抜けたのは果たして実力か偶然か……そのどちらであったにしろ、直接的にも間接的にも、この街を佐野の手から開放するためにたくやの活躍が不可欠であった事は間違いが無かった。
「そして今、たくや君も「切り札」を出してきた……いよいよクライマックスって訳ね」
 たくやのスライム――元の名を取ってジェルスパイダーと言うところか――は、よく見れば全身に細い糸が神経か血管のように張り巡らされている。その糸をたどれば、佐野との初戦で召喚しながらも逃げ出した蜘蛛型モンスターへと行き着く。巨大な蜘蛛の形をしているのはそこが原因だろう。
 恐らく戦闘力は、スライム単体よりもはるかに高いはずだ。たくやの連れていたコボルトが巨大な炎獣へと姿を変えたように、たくやにはモンスターを強力な姿へと変える「何か」がある。それに姿こそ小さくなったものの、黄色い腹部が特徴的な蜘蛛は元々は静香のガーディアンと渡り合った戦闘力を持っていたミストスパイダーだ。スライムと融合して蜘蛛の姿をとった以上、外見だけと言う事も考えにくい。
 そのジェルスパイダーが巨大な体をもてあまして暴れている中庭から目をずらせば、光を放つ円柱型魔法陣の前で佐野がしている事も見て取る事が出来る。
 実際にあの魔法陣で「魔王」を召喚して佐野が魔王になれるかどうかは定かではない。――だが、神殿内で衛兵とモンスターとが攻防を繰り広げている間に佐野が行った出来事を子細漏らさず観察していたが、まさに悪魔の所業といわざるを得ない。とても感情のある人間にできることとは思えなかった。
「あたしの仕事は、今日ここに現われる「魔王」を確認する事……あ〜あ、こんな面倒な事を何であたしがしなくちゃいけないのよ」
 腰をかけた屋根の上で立ち上がると、少女はずっと同じ姿勢を取り続けていた体を伸び上がらせる。薄闇の中で固まっていた筋肉をほぐす動きにゆったりとした黒いマントが追随する。体の線は隠れているものの、普段の編み込みの癖がついた赤毛は彼女の肩から前へと降ろされていて、わずかな動きにも跳ね上がった毛先を弾ませている。
「さて―――もうそれほど時間は掛からないか。速くしてくれないとあっちに戻る時間がなくなりそうだけど……っと」
 強い風が拭き、足首まで覆うマントがなびく。彼女が立つ屋根はフジエーダで最も高い位置にある神殿の鐘楼の上であり、軽くよろめいた体を支えるために掴んだのは屋根の先端に掲げられた水の女神の聖印だった。
 だからと言って、形だけの信心しかしていない彼女には特に罪悪感も無い。その代わりに、彼女以外誰もいないはずの場所で口を開き、言葉を紡いだ。
「状況報告」
 その声に、彼女の周囲で空気が揺らぐ。魔法で姿を隠していた二人の部下が跪いて恭しく頭を垂れた姿勢で姿を現した。
「『ミ』へ。クラウド王国王女、静香=オードリー=クラウディアは侍従他、女一名と共に長老宅へ避難されました。魔蟲により性欲を増大させられた怪我人たちは今なお症状が進行中。死に至るまで持って数刻」
「『ミ』へ。神殿内で戦闘は衛兵側が苦戦。防衛は五箇所で行われ、神官長は昏睡状態。佐野側は街へ引き入れた馬車よりモンスターを十体投入。死者、男十七名」
 報告を受け、軽く頷いた彼女は振り返りもしない。中庭から裏庭へ、そして舗装された道路へと踏み出す巨大蜘蛛を見ながら、なんでもないように命令を下す。
「二人は静香王女の護衛に回って。決して気取られぬよう、必要とあれば毒に犯された人間の排除も許可します」
「………意見を申してよろしいですか?」
 その言葉を聞いて、楽しみを邪魔された子供のように不満そうな顔で振り返る。
 角度が急な屋根にひざまずいているのは、彼女同様黒いマントで体はおろか、頭まですっぽりと覆った手の者だった。声も中性的で聞いただけでは性別を判断できない。顔はといえば銀色に輝く仮面で覆われていて伺うことは出来なくなっている。
「現在『ミ』は明らかに一方へ好意的な感情を有しています。我等は観察者。事象には関わりを持たず、ただ生じた事を伝えるためのみに存在を許されています」
「報告したければ報告すれば。あたしは別に止めないわよ」
「ですが、『ミ』が瀕死のスライムを清めの泉へ投げ入れられた事は現状を鑑みれば明らかに加担行為です。また、アイテムの供与なども合わせて考えれば、『ミ』の行為が当該事象へ与えた影響は――」
「だからぁ、あたしは止めないって言ってるでしょ。好きなだけ告げ口すればいいじゃない。「たくや君をひいきにした」って。そもそもあたし、向いてないのよね、密偵って」
 部下の批判に苛立ちを募らせた彼女は、マントの内側から他の二人がつけているのに似た銀色の仮面を取り出す。だが、部下の仮面が目鼻だちだけで唇などの装飾などが無い無機質な物である事に比べ、『ミ』と呼ばれた女性の仮面は左半分に装飾が施されており、明らかに格が違う事が見て取れた。
「―――ゲームってのはね、フェアーじゃないと面白くないのよ。念入りに準備した相手なんだから、あれぐらいどうってこと無いわよ」
 自分の顔を仮面で覆い、マントのフードで頭を、そして髪の毛を隠す。
「それにたくや君は何処かの間抜けな密偵のせいで自分を不利な立場にしなければならなくなったのを忘れた? あの時、魔蟲の毒に犯されながらモンスターを召喚させたのは、明らかなあたしたちのミスよ。報告するならそれも一緒にすることね」
「………………」
「あたしのこの時間だけは誰にも譲らない……ほら、さっさと行きなさい!」
 苛立ちをぶつける鋭い言葉に、それ以上の言葉を飲み込んだ仮面の密偵たちは、音も無く鐘楼の屋根から姿を消した。
「さ〜て、これで邪魔者はいなくなった。特等席で観察させてもらおっか」
 振り返り、下界を俯瞰する。
「できれば頑張ってね―――」
 届くはずの無い応援の言葉を口にすると、仮面の下からそれまでの陽気さが凍りついたかのような声が放たれる。
「もし死んだって、助けてあげられないんだけど……」
 その言葉を最後に、黒いマント姿はもうすぐ朝を迎えようとしている空へ溶け込んでいった―――


stage1「フジエーダ攻防戦」49