stage1「フジエーダ攻防戦」36
「―――あと、もう少しだ」
周囲に置いた大量の篝火に照らされ、魔王を名乗る魔道師のまとう黒いローブの色が映える。
魔道師の回りには誰もいない。手足となる部下たちは立てこもる糞蟲の様な連中を潰すために出払っている。今頃は汚らしいオークと共に土と鮮血にまみれている頃だろう。
奴等が頑張るのは当然の事だった。なぜなら自分はこの世のすべての支配者となるべき人間であり、この世で最も優れた人間であるからだ。そんな自分のためにあらゆる他者が労力を惜しまないのが当然だと、魔道師は考えていた。
この世の財はすべて自分のもの。
この世の知識はすべて自分のもの。
この世の美女はすべて自分のもの。
「だが、いささか物足りないな。世界で最も美しいこの僕が世界の頂点に君臨するのは扱く当然の事ではあるけれど、やはり倒すべき勇者でも現われてくれなければ、面白みに欠けるというものだ。これでは僕のサクセスストーリーが舞台で演じられる時に盛り上がらないではないか」
フードを掻き揚げ、肩に掛かる長髪とメガネをかけたそれなりに理知的な素顔をさらけ出す。
「ああ、どうしたものか。運命の女神はどうしてこのように僕を困らせるのだろう。それほどまでに愛する僕を振り向かせたいのかい。はっはっは、ダメだよ、僕はすべての美女のために生きる男なのだから。君だけを愛したら、世界中の美女の涙で大陸が水没してしまうじゃないか」
芝居がかった動作で語る言葉は全部、魔道師佐野の本心の言葉であり、本人は本気でそう信じている。
事実として、佐野にはそれだけの「力」があった。裕福な家の出で、魔法大学でも優秀な成績を収め、あらゆる面で恵まれていると言っていい人生を過ごしてきた。けれどその境遇が彼の妄想癖がかったナルシストぶりに拍車をかけ、根拠のない自信のままに魔蟲の研究を続け、次第に道を踏み外して行く。周囲が彼を見放しても、普通の人間なら数十人が一生暮らして行けるだけの財産を使えば、おこぼれに預かろうとする人間が列を成して佐野へと頭を垂れる。
そうして自尊心を肥大化させた末に思い至ったのが、「世界征服」と言う荒唐無稽な野望だった。何もかもを手に入れるために、自分の欲望をすべて満たすためにこの世のすべてを支配して、最強の「魔王」の力も手に入れる。その後でどうするのでもなく、どうしたいのでもなく、ただ欲しいから欲し、行動して今に至る。
佐野には才能があり、財力もあった。けれどその使い道を間違えている。頭に描く子供と同程度の発想でしか物事を計ることが出来ていない。―――だが、英雄と呼ばれた者もまた、そのような考えで動く人間だったのかもしれない。
「つまらない、つまらない、つまらない、つまらない、つまらナイ! ああ、天よ。僕に蹴落とされるのを戦々恐々と天上で震えている神々よ。今ならば許そう。僕の野望を阻めるだけの勇者をよこしたまえ。これでは偉大なる僕の人生に汚点が残る。今すぐに、僕の栄光に輝きをもたらす強敵を、さあ、今すぐに!」
両手を大きく広げ、星の輝く空を仰ぐ佐野。そのような事を叫んだところで勇者がすぐさま現われる事などあろうはずもない。
―――だがその代わりに、世界を踏みしめている佐野の足の下から、小刻みな振動が伝わってくる。
最初は地震かといぶかったけれど、揺れがいつまでたっても収まらず、少しずつ大きく、近づいてくるような感覚を覚える。
佐野一人を照らし出す篝火のいくつかが倒れて炭と炎を地面へ撒き散らす。それほどにまで激しくなる振動が自分の後ろから伝わってくるものだと気付いた佐野は、振り返ると同時に闇の中でもうっすらと輝きを放つ白金の巨人が迫ってくるのを目にした。
「な……なんなんだこれは!!?」
それこそが、自分の駒となるにふさわしいと思い、手に入れる事を切望していたクラウド王家のガーディアンと気付く前に、
「とっかぁぁぁ〜〜〜〜んっ!!!」
見上げるほどの巨体は躊躇する事無く佐野へと突っ込んできた。
「ちょっと待てえええぇぇぇ!!!」
慌てて防壁を張り逃げ出すけれど、全身を鎧で固めた金属の巨人の突撃は想像を絶する破壊力を秘めていた。地面を踏み砕いた破片やら衝撃やらを背後に受けて吹っ飛ばされた佐野は、辛うじて致命傷こそ免れたものの、自慢の国威をボロボロにされて地面へ仰向けに倒される。
「な…なんなのだあれは、なんなのだぁ!」
完全勝利まで後一歩と言うところで味合わされた屈辱は格別に佐野の自尊心を傷つけた。
既に巨人は自分のいた場所を通り過ぎて戦いが起こっている場所へと走り去ったけれど、それもまた無視されたと感じてしまう。
「僕を誰だと思っているんだ。僕は―――」
体を起こし、叫ぼうと口を開く。けれど祖ノアkれのか尾へ、頭上から重たいものが降ってきて、ど真ん中に直撃した。
「――――――!!?」
今度は防壁を張る間もなく、硬い地面へ後頭部を叩きつける。幸い、常時展開の魔法障壁のおかげで、古くなってヒビの入っていた石畳が一枚割れた程度で済んで即死には至らなかったものの、鐘の様に衝撃が響き渡った頭は痛みとショックで、意識が真っ白に吹っ飛んだ。
「いたたたた……やっぱ全力は違うわ。振り落とされちゃった」
―――誰だ。誰の声だこの声は! 偉大なる魔王になるべきボク様を助けもせずに! 助けろ、このままでは窒息してしまうではないかぁ!!!
目と鼻と口をふさがれた佐野は両腕をもがかせた。これまた幸いにして、落ちてきた者はそれなりの重量だけど弾力があり、かなりの熱を帯びている。
「ひアッ!? な、なんか下にいるぅ…!」
せめて呼吸だけでもと鼻をピスピス喘がせると、えもいわれぬ興奮を誘う香りが鼻腔の奥へと広がっていく。それが何の匂いなのかを考える余裕もない佐野は、股間をいきり立たせながらも顔の上の物体を除けようと両腕で挟むこむ。
「ど…床触ってんのよ、このどスケベェェェ!!!」
心地よい感触だな……と、窒息寸前で朦朧とする意識の中ででも両手から伝わるスベスベした感触を堪能していると、顔をふさいでいた物体が浮かび上がり、何か湿った布地のようなものが―――
メキッ
「〜〜〜〜―――――っっっ!!!」
固い物――今度はそれがなにか気付いた。人の膝だ。――が鼻先にめり込んだ。ペキッと骨の折れる音が頭蓋を伝わって脳に届くと、戒めから開放された佐野は鼻を押さえてその場でのた打ち回った。
「………あ〜〜〜! あんた、何で人の股間に鼻を……こ、こ、この変態どスケベ魔道師ぃ!!」
「ひ、ひみは…!」
鼻血が止まらない鼻へ治療魔法をかけながら顔を上げると、そこにはメイド姿の美女が立っていた。
見覚えがある。―――すぐさまそれが誰なのかに思い至った佐野は、血が止まるとすぐに迷う事無く叫んでいた。
「君は僕のメス奴隷! メイドになってまで僕に会いに来るとはげふぅ!!!」
今度は爪先が鼻へ突き刺さり、また鼻血が止まらなくなってしまった―――
「ええい、後から後からうっとおしい!」
「さすがにこの戦力差はキツいね。逃げられるんなら逃げ出したいよ」
「元はといえばオメーがあの女から依頼を受けたのが悪いんじゃねーか!」
「ジャスミンさんに鼻の下を伸ばしていたのはユーイチの方だろう。何でも任せろって大見得を切って」
それぞれ、狂戦士のように襲ってくるオークを相手に切り結びながらユーイチとユージが愚痴を言い合う。さすがに腕利きの冒険者だけあって、二人の斧と剣は何匹ものオークを斬り倒しているけれど、絶命の傷を負っても死ぬその瞬間まで襲い掛かってくる敵モンスターたちとの戦いで消耗しきっていた。
廃墟街に立てこもっていた衛兵たちの数1に対してオークたちは3から4。その上、怪我人が多く、まともに戦えるものの少ない衛兵たちと死を恐れないオークとでは個々の戦闘力にも差があり、実質的には十倍近い戦力の開きがあると言ってもいい。
それだけ戦力に差があっても戦線が崩壊する事無く戦い続けてこれたのは、建物間の狭さを利用し、大群と一度に戦わなくてもいい地の利があったからだ。また、歴戦の神官戦士でもある神官長や途中で加わった腕利きの冒険者などが奮闘していた事もある。
だが、戦えば戦うほどに尽きる事のない敵戦力に厭戦ムードが漂いつつあった。
本来ならこの地で戦う限り、守備側に敗北はないと考えられていた。狭い道で敵を塞げば、ジャスミンと言う高位の魔術師の雷撃魔法の格好の餌食になるからだ。
しかし既にジャスミンの存在を知っていた敵側は、表面に雷避けの紋章を刻んだ木の盾を装備していた。雷撃の威力を和らげる盾とは言え簡易的なものであるため、威力の高い魔法なら十分効果を発揮する。けれど魔力の回復が十分ではなかったジャスミンは序盤から早々に消耗してしまい、戦闘は魔法の支援のない肉弾戦しかなくなってしまったのである。
「悪いアルね、二人とも。分の悪い勝負に巻き込んでしまっテ」
フレイルでオークを打ち倒した神官長がユーイチたちに声を駆ける。
「ったく、これじゃ割りに会わねーよ。あとで依頼料にタップリ色つけてもらうからな!」
「こいつ等を操ってる奴を倒せればいいんだけど……チッ、これじゃあ……」
防衛線は既に崩壊しようとしていた。三人の他にも戦っている者はいるが、目の前には守備側の数倍のオークが殺到している。既に戦いを始めた場所からかなり後退しており、押し切られるのも時間の問題だった。
その時、
「―――なんだ、この振動」
最初の気付いたのは、勘のいいユーイチだった。オークの頭を割ったハンドアックスを引き抜きながら顔を上げると、
「………げっ」
見た物が信じられないと言う感じの声を出した。
巨大な騎士が槍を構えて突っ込んでくる。それが敵であれ味方であれ、一直線に今いる場所へ向かっている事に気付いたユーイチは、とっさに叫んでいた。
「死にたくない奴は逃げろぉ!!!」
全身を鎧で包んだ騎士の存在は、戦っていた衛兵たちもすぐに気がついた。ユーイチの声に従ったわけではないが、慌てて後ろへ向かって走り出すと、思い思いに建物の隙間の路地へと飛び込んでいく。
そして―――
「―――――――――――――――――――――――――――!!!」
密集していたオークを蹴散らし、狭い道の左右に並び立つ建物を轟音を伴って粉砕して行く。建物の前面の壁を見事に砕きながら一直線に突貫したガーディアンは、奇しくもルック(城兵)のガーディアンによって崩壊させられ、今まだ瓦礫だらけの空き地へと突っ込み、後ろ足を滑らせて横向きになりながら急停止した。
「な…なんだったんだ、今の……」
路地に避難した人間が一人、また一人と頭を出して状況を確認する。
あれだけ苦戦していたオークたちはほとんど壊滅。
空き地で停止した巨人も光に包まれたかと思うと、細かい粒子に還元されてその姿を消しつつあった。
そして巨大な騎士が消えたその場所には、
「………あれ、たくやちゃんか?」
「そう…だよな。なんであんなのと一緒にいたんだ? それにもう一人の子は……」
メイド服を着た少女が二人残されていて、なぜか一人がもう一人の首を後ろに傾けるようにしがみついて気を失っていた。
「ぶ…ぶれ〜きぃ………せんぱぁい……わ、わたし…もうダメですぅ……」
「………ふにゃ」
「ともあれ助かったけどよぉ…この二人、どうする?」
「どうするって、そりゃ……」
ユーイチやユージ、神官長などたくやの顔を見知ったものに囲まれてもいっこうに目を覚まさない二人をどうしたものかと思案に暮れていると、人の輪の後ろから鋭さのある女性の声が聞こえてきた。
「静香様! 静香姫様はご無事なのですか、姫様!!」
―――フジエーダにクラウド王家の王女が滞在していると言う噂を知らない者はいない。
「アイヤ〜…ジャスミンさん、声、大きすぎアルよ……」
戦いの疲労も忘れて一斉に驚きの声を上げる衛兵たちに、たくやと静香の事情を知る神官長はどうしたものかと、こめかみに指を当てた―――
stage1「フジエーダ攻防戦」37