stage1「フジエーダ攻防戦」34


「突貫、突貫、とっかぁ〜〜ん!!」
 衛兵長の号令の元、オークたちから奪った槍や斧を手にした衛兵たちがトロール目掛けて突っ込んでいく。
 けれど体格差は大人と子供ほどもある。その上、支配から解放されたトロールは狂乱状態にあり、その怪力はさらに凶悪さを増している。
 棍棒を用いた技巧も何もない横殴りの一撃。――それだけで勝負がついた。一振りで数人の男たちが吹っ飛ばされ、直撃を食らわなかった人たちでさえ巻き起こった風圧で突進を止められ、バランスを崩して尻餅をついてしまう。
―――グアアアアアアァァァァァ!!!
 ケモノでさえ上げないような、飢餓と怒りが混在する咆哮。大きく開いた口は目の前で動きを止めた肉の固まり……服と鎧を着た人間を丸呑みにせんばかりに牙を剥き、涎を滴らせている。
 そして無慈悲に振り下ろされる巨大な棍棒。捕まる際に鎧は脱がされていなかったけれど、建物の屋根より高い位置から落下速度よりも速く、力強く落とされる棍棒で打ち据えられれば、どんな鎧でも簡単に粉砕されるだろう。
「―――ええい、もうミンチ料理は食べたくない!」
 しばらくハンバーグは食べれないだろうなと自覚しながら、メイド服のスカートを翻してあたしは前へ飛び出した。
 箒が斜め上へと向かって、落ちてくる棍棒を「掃き」払う。さすがにトロールの腕力と棍棒の重量すべてを無視して掃き飛ばすことは出来なかったけれど、一直線の軌道がやや外にずれ、倒れた衛兵の横へ落下して地面を揺るがせた。
「早く立って。じゃなきゃあたしは行くからね!!」
 白状と言う事なかれ。圧死直前だった衛兵さんは恐怖でガタガタと震えていたけれど、もっとヤバいのはあたしの方だ。なにしろ、トロールが狙う獲物は他の誰でもない、このあたしなのだから。
「そこから起きなきゃ踏まれるんだから、さっさとどいてぇ!」
 箒を一振りし、動けない衛兵の人を横へ掃き飛ばす。かわいそうな移動手段ではあるけれど、それに心を痛めている余裕はまったくない。箒を振り回す動きで半回転したあたしは、真っ赤に光る目であたしを凝視し、舌なめずりしているトロールの前から脱兎の如く逃げ出した。
 獲物が逃げる……そう判断したトロールは地面に敷き詰められた石畳を粉砕した棍棒を軽々と持ち上げ、逃げるあたしをまっすぐ追いかけてくる。
 動きは鈍くても、歩幅はあたしの倍以上。こっちが全力疾走しているのに駆け足程度のリズムで走っただけで、すぐに真後ろにまで迫ってくる。
 ―――追っかけられる恐怖って言うのも、ずいぶんと久しぶりよね……
 ちょっと前までは、怒り狂って攻撃魔法を連発する幼馴染からダッシュで逃げる事も時々あったので、逃げ慣れてるといえば逃げ慣れている。足の遅いあたしが、魔法も運動神経も一級品の幼馴染からどう逃げていたかと言うと、
「相手の入れないところを駆け抜ける!」
 後ろで雄たけびが上がるのを聞き、とっさにあたしは横道へ、半壊した衛兵詰め所の無事な方の壁沿いに裏道へと飛び込んだ。

―――グアアアァァァアアアアアアッ!!!

 ……背後で、建物がいとも容易く粉砕される音が響く。
 振り返っちゃいけない。振り返ったら……足がすくんで動けなくなりそうだ。
 連続して壁が破砕される音があたしの背中へ叩きつけられる。これが目覚ましなら身の危険を感じて一瞬で眠気も吹っ飛びそうだと、どうでもいい事を考えながら箒の柄で途中にあった窓を破り、道を塞ぐゴミ箱を踏み台にしてもう一度詰め所の中へ。そして乱れきった机の合間を走り抜けて、既に壁も柱も無くなっている建物の反対側を目指す。
 もちろん、これで逃げ切れるとは思っていない。
 振り上げの一撃で天井の大半が瓦礫になって夜空に舞い上がる。そうすることで建物の仲を動くあたしの姿を再確認したトロールは、棍棒を振り回して詰め所の建物を半壊から全壊へと変え、執拗にあたしの後を追いかけてくる。
「のわあああああっ! 何であたしばっかりこういう目に会うのよぉぉぉ! 娼館でも酷い目にあってるし街中でもモンスターに襲われるし依頼でもゴブリンに輪姦されちゃうしぃ!!!」
 最近のあたしの運勢は不幸の一途をたどっているに違いない。―――うん、よし。今ここであたしを助けてくれたら、あたしはその神様信じちゃう。ええもう、どんなエロい神様だろうと入信させていただきます!
 そう思うだけでも不遜とか罰当たりな事だけは確実だろうけど、そこまで状況は切羽詰っている。
 魔法の箒も通用しない。倒せる武器も無い。出来るのはただ逃げ回って時間を稼ぐだけ……けど、何の勝算も無く走り回っているわけじゃない。この凶暴トロールを倒せる手段はただ一つ!
「ファイヤーボーーーール!!」
 気合の入った「力ある言葉」……魔法の発動キーとなる呪文の響きは聞こえるけれど、その呪文どおりに火の玉が飛んでくる気配は一切無い。
「綾乃ちゃん、これで失敗何回目ぇぇぇ!?!?」
「えっと……に、二十六回目です……」
 てか、一体綾乃ちゃんは今どこにいるんでしょうか!? それに走り回りながらも声がよく聞こえてるよね、あたしってば。
「ええい、こうなったら!」
 綾乃ちゃんの攻撃魔法だけが頼りだったけど、こうなりゃ自力で何とかするしかない。地面を蹴って跳躍しながら反転したあたしは、涙を浮かべた瞳でトロールを見据え、足元に転がる瓦礫の一つを肩に担いだ箒で
「こんのぉぉぉ!!!」
 ―――全力で掃き飛ばす。
 人の頭ほどの大きさの瓦礫だ。直撃すれば大怪我どころじゃすまない。……はずなのに、頭へ直撃を受けたトロールは多少首を仰け反らせただけでケロッとしてる。
「多少はダメージ受けなさいよ、あんたは!!」
 幸い、攻撃を受けて驚いたトロールは足を止めている。その隙を逃さず、二発目、三発目と瓦礫を箒で飛ばすけど、岩の巨人とも呼ばれるトロールにたいしたダメージは与えられない。瓦礫の当たった場所をぼりぼり掻きながら一歩一歩あたしへ詰め寄ってくる。
「こ…この………」
 距離を詰められると、はるか頭上にある顔を上手く狙えない。ここから逃げなければと足を動かそうとするけれど、唇を開いたまま荒い呼吸を繰り返していたあたしは、頬に大粒の汗が伝い落ちるのを感じながら、その場にへたり込んでしまう。
「冗談じゃ…ないって……」
 箒にすがるように立ち上がろうとするけれど、体力なんて人並み以下しかないあたしがこれだけ走り回り、必死に抗ったのだ。メイド服を押し上げる胸の膨らみが張り裂けそうなほど心臓は大きな脈動を繰り返し、杯から熱い呼気を搾り出すたびに視界がぐにゃりと歪みそうになる。
 ―――今日のあたしは…頑張り過ぎだって……
 大立ち回りなんて、あたしのやる事じゃないって重々承知しているけれど、今になってはどうでもいいことだ。
 逃げなきゃいけない……せめて、綾乃ちゃんが魔法で攻撃してくれるまでは。けれど震える膝で立ち上がったときには、トロールの顔はあたしの真上へやってきていた。
 トロールの顔は影になっていてあたしからは見えない。けれど何をしようとしているのかは見えなくても分かる。……食べようと言うのだ、あたしを。
 ―――冗談じゃない。
 ―――女の体の方が美味しいのかもしれないけれど、
 ―――男に戻る前に食べられて死ぬなんて、絶対拒否してやる!
 箒を握る手に力が戻る。こうなったら噛まれる直前に横っ面を箒でぶん殴ってやる。……最後まで生きる事を諦めず、取れる手段はやりつくすと言うなけなしの根性であたしが顔を上げると、
「待てい化け物。先輩に狼藉を働く事は、天が許してもこの僕が許さないぞ!」
 ……それは、助けの声なのか。近くから、けれどどこか高い場所から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
 聞こえているのか鈍いのか、トロールは声を完全に無視している。だけどあたしは注意が声の方へと向いてしまい、瓦礫の中に一本だけ残された柱の上に、月をバックに誰かが見得を切っている。
 とりあえず、
「あんたはそんなところで何やってんのよ、馬鹿弘二ィ!!」
 怒りに任せ、トロールの顔へ箒で一発。アゴを横向きに掃かれ、首間接をゴキッと鳴らしながらひっくり返るトロールを最後まで見る事無く、立ち上がったあたしは手にした瓦礫を高いところにいる弘二へと投げつけた。
「のわぁ! せ、先輩、あ…危ないじゃないですかぁ!!」
「うるさい黙れこの簀巻き男。影がキッチリわら巻きじゃないの! あたしは今ものすごく命の危険にされされてるんだから、あんたはおとなしく引っ込んでなさい!」
「だから僕がお助けしようと…って、うわぁ! い、今のは頭部直撃コースを通過ってひえぇぇぇ!!」
 本気で助けるつもりがあるのなら、階段も梯子も何も無い柱をよじ登る前に何かしろ。そう言う怒りをこめて瓦礫を投げつけるけれど、狭い足場で右へ左へ体をくねらせる弘二になかなか当たらない。
 さすがにこれだけ避けられると頭にきた。かなり大きめの瓦礫だけどいいだろうか……と、足元に転がってる手ごろな瓦礫の中で最大な物へ箒の狙いを定める。
 これ以上状況をややこしくしないために必要な事だ、と箒を振りかぶる。なんか、あたしも疲れと緊張の連続で、頭の栓が五六本飛んでいる状態だし、手加減はしない。さらば弘二。……ちょうどその時になって、倒れていたトロールが方向を上げながら立ち上がってくる。
「ええい、あんたが一番やかましい!」
 方向転換。そして箒の一振り。
 掃き飛ばされた瓦礫は、まだ四つんばいでいるトロールの口へ見事に入る。
 ざまあみろ。これであたしを食べられないだろう。……けれど、口を塞がれてもトロールには二本の腕が残っている。怒りの眼差しであたしを睨みつけたトロールは右腕を伸ばしてあたしのウエストを鷲掴んだ。
 ……やばっ。
 逃げるのが遅れた。気付いた時にはトロールの怪力にくびれたウエストを締め付けられていた。なにもコルセットの締め付けがキツすぎたわけじゃないけれど、いやいや、お腹をこんなに締め付けて働いているメイドさんはやっぱりスゴい。
「なんかもう……全部吐き出しちゃいそうだけど」
 苦悶の表情を浮かべても、何故か口からは軽口が出てくる。実際に内臓まで絞り上げられ、背骨と肋骨の軋む音が体の内側に響くと、声も出せずに身をのけぞらせるしか出来なくなる。
「グ…ゥ……!」
「せ、先輩! 待っていてください、今すぐ助けに行きますから…うわぁぁぁあああっ!!」
 弘二のいた方から、まるで高いところにいた馬鹿が足を踏み外して落下して瓦礫の中に埋もれたように音が聞こえてくる。
 けれど見る余裕はない。それが弘二だと確かめる余裕も無い。時間の経過と共に締め付けを増すトロールの手指に、あたしを嬲っているのだと感じながらも抗えない。
 こちらが苦悶に顔をゆがめ、必死に抜け出そうともがく姿を見つめる瞳は異様なまでに赤々と輝いている。地面に這い、あたしの目線にわざわざ口の高さを合わせるトロールの頭の中では、あたしをどう料理するか――頭からか、肩からか、柔らかい胸からかぶりつくか、そんな考えで満たされているに違いなかった。
 ―――冗談じゃ、ないっての!
 ここで諦められるほど、あたしは人生捨ててない。せめて死ぬなら男に戻ってからと言うのがあたしのモットーだ。
 口の瓦礫の隙間から漏れこぼれるトロールの口臭に眉をしかめながら、あたしは右手に残った意識を集中する。
 握り締めた手の中に現れる魔封玉は三つ。どれも力が弱々しく、封印を解いてもトロールを倒せるとは思えないけど、生き残る手段はこれしかない。
「あたしを……あたしを食べても絶対お腹を壊すんだから!!」
 自分でも何を言ってるのか分からない。そもそも、あたしの頭の中はトロールと違って食べられたくないと言う思いで一杯なっている。まともな思考など出来るはずも無い。
 手の中で鈍く魔力を放つ魔封玉を握り締める。ありったけの魔力を手中の三玉に注ぎながらトロールを睨みつけ、ありったけの力で振り下ろした。

 ………そして、固いけれど乾いた樹木が折れるような鈍い音が手の下から聞こえた。

「へっ……?」
 耳にした音と手に伝わる感触の違和感に、あたしが呆けた声を出してしまう。
 粉砕した。恐らくは鉄よりも固いトロールの骨が、あたしのがむしゃらの一撃で――女になってさらに細くなった腕で殴っただけで、陶器のように砕け散った。
 ―――冗談じゃない。
 放つのを忘れていた魔封玉は未だ手の中にある。これの力じゃない。その証拠に、手の中から放たれる魔力の変化を何も感じなかった。
 ならなんなんだ、この力は。―――自分の力以外の「何か」が、あたしの中から噴きあがった感触に勝手に震えが込み上げる。
 恐いわけじゃない。これは……この震えはもしかして―――
『チェスト―――!!』
 すぐ傍で、気合の入った声が放たれ、途切れていた意識が急速に回復する。見れば、小柄な体型の鎧姿が角度がおかしくなっているトロールの腕へまっすぐ槍を突きこんでいた。
 あたしを捕まえて締め上げてたトロールの指に力は無い。身をよじって戒めから抜け出し、そのまま後ろへ飛び退ると、入れ替わるように別の小柄な影構えへと飛び出して行く。
『熱血必中! どたまカち割りゴブリンハンマー!!』
 中身の無い鎧――リビングメイルが、うつ伏せのトロールへ近寄るとアッパー軌道でアゴに鉄球を叩き込む。
 ちなみに砕いたのはアゴだ。どたま(頭)ではない。
「――――――――――――――――――――――――――――――――――ッッッ!!!」
 噛み締めていた瓦礫が口の中で粉砕する。何本もの歯が砕け、口から鮮血を噴いたトロールに、
『今必殺の、リーダースラッシュ!!』
『シールドパンチぃ!! パンチパンチパンチ!!!』
 残る二体のリビングメイルによる容赦ない攻撃が叩き込まれる。
「よ〜し、今がチャンスだ。全員突貫! 突貫っ!! 大とっかぁぁぁん!!!」
 号令の元、迂闊に近づけないでいた衛兵たちも武器や瓦礫を手にトロールへ攻撃を加える。
 ―――集団で取り囲んで殴る蹴るって……リンチと変わんない気がしないでもないわね。
 ともあれ、何とか死なずに済んだ事への安堵が込み上げ、杖代わりに地面についた箒へすがりながら、あたしは深々とため息をついた。
「ははは……なんかこー、生きてるって素晴らしいね……」
 トロールの指の感触が残るウエストの痛みに眉をしかめ、ゆっくりと呼吸を整える。
 詰め所の建物の中だったはずなのに綺麗な星空が見えていた。建物は修復可能と言うレベルではなく、建て直した方がはるかに安いし早いだろう。
 ここまで暴れまわった相手によく生きていられたよね……掴まった時はさすがに覚悟を決めたけれど、こうして五体満足でいられる自分の幸運には感謝しないといけない。
「………幸運って訳じゃ、無いんだろうけど」
 手の平を見つめながら握り締めても、感じられるのは自分の力だけだ。とてもじゃないけど骨を砕ける力なんて……
 あたしの中に「魔王」と言う厄介なものがいるのは自覚しているけれど、それの力なのだろうか。絶体絶命に追い込まれて「力」が現われたのだろうか。……考えても仕方の無い事かもしれないけど、そんな疑念が頭にこびりついて離れない。
「―――ま、いっか。考えるのは後にしよう」
 疲れた頭で考えても時間の無駄だ。とりあえずそう割り切りると、ふと、柱の上から落っこちた弘二がどうなったのかと気になりだした。
「あいつがあの程度で死ぬとは思えないけどね」
 とは言え、このまま放っておくのも目覚めが悪い。ダメージもかなり抜けて手足に力が戻ってきたのを確認すると、集団攻撃をしている衛兵たちを横目に弘二の立っていた柱の根元へと歩み寄った。
「―――弘二、生きてる?」
「すぇ…せんぷぁ〜い……」
 案の定、瓦礫の上へ落ちていた弘二は目を回して倒れていた。
 顔から落ちたらしく、額を汚して血を流している。それ以外には藁ゴザを巻いただけの体に目立った外傷はないけれど、これ以上頭が悪くなったらどうしようかと、ふと考えてしまう。
「まあ……こいつなら多少強く打っても、逆にまともになるようなならないような……」
 難しいところだ。ちょっと試してみたい気もする。
「せんぷぁいは…僕が……僕が守るんらぁ〜……」
 ―――今まであたしのしてきた仕打ちを考えれば、このまま見殺しにしても飽き足らないけど、ま、その心意気に免じて今回だけは……ね。
 自分でも甘いなぁと思いながらも、その場に座ったあたしはスカートとエプロンに包まれた太股の上に弘二の頭を乗せてあげる。いわゆる膝枕だ。
 ―――これは、別に感謝の気持ちでもなんでもなくて、ただ手当てしやすいようにってだけで別に他意はない…まったくない。変な誤解を招かないうちにさっさとしよう。
 なんでこんなに照れてるんだろうと不思議だけれど、膝の上に弘二の頭が乗っているだけで妙に気恥ずかしい。意識を失ってまであたしを守ると言ってくれたからだろうか、それとも何度かエッチされたからだろうか……
「まったく……あたしをどうこう言って格好つける前に、ちょっとは実力も磨きなさいよね」
 頬の火照りはこの際無視だ。あたしゃ腰のポーチから止血テープを取り出すと、なるべく機械的に弘二の額へバッテンに貼り付ける。
「………そうじゃなきゃ、あたしはあんたなんか振り向いてやらないんだから」
 そしてコツンと、弘二の頭を小突く。今回はこれで大目に見てあげる。
「えへへ……すぇ〜んぷぁ〜い………♪」
 一体どんな夢を見てるんだか……叩かれてるのに幸せそうい眠る弘二にクスッと笑みがこぼれてしまう。メイドさんの膝枕なんだから、きっといい夢を見れているに違いはないだろう。―――と、そっと頭を降ろそうとして、
「ひあっ!?」
 いきなり弘二は寝返りを打ち、あたしの股間に鼻先をうずめてきた。
「せんぷぁ〜い……ああ、先輩の膝枕……柔らかくて…最高ですよぉ……」
 ちょ、ヤダ、なに寝ぼけて変なところを……んあっ! こ、この馬鹿…そんなところに…鼻を押し付けないでぇ!!
 意識を失っている弘二は、あたしが跳ね除ける間も与えないほど素早くあたしの腰にしがみつく。そして鼻を鳴らしてあたしの恥ずかしい場所の臭いを嗅ぎながら、鼻先をスカートのうえからあたしの股間へと押し付けてきた。
「やんっ!! こら、バカ弘二ぃ! そこはダメだって……んあっ!!」
 頭を押しのけようと両手をかけたタイミングで、お尻に回された指先が二つの膨らみが深く形作る谷間の奥へと滑り込む。激しく動き回り、しっとり汗ばんだパンツの内側へ向けて指を捻じ入れ、指の先端がおびえるように収縮しているアナルの窄まりに触れると、周囲の肉を揉むように指を滑らせる。
「んッ……!」
 下唇を噛み締めると、あたしは耐え切れなくなって背筋を震わせる。メイド服の胸元を飾るリボンが乳房の跳ね上がりにあわせて揺れ動き、何度か荒い呼吸を繰り返すと今度はくの字に体を折り曲げてしまう。
 必死に脚を閉じようとしても、グリグリと弘二の頭が割り入ってきて鼻先を股間の膨らみへと擦り付ける。乱暴な動きではあるけれど、長いスカートを間に挟んだ刺激はくすぐったいものだった。だけど、神経が昂ぶっている今のあたしには犯されるのよりも相性が悪い。股間の匂いを嗅がれている恥ずかしさに腰を震わせるあたしの割れ目を鼻先でなぞり、お尻の丸みを手の平でこね回されると、熱を帯びた体液が体の奥からあふれ出そうとしてくる。
「すぇんぱいの弱いとこぉ……僕には全部お見通しですよぉ……ンゴォ……」
「こ…この……ッ!!」
 絶対に起きてる、わかっててやってる……そう思いたいけど、ときおり混じるイビキがあたしの頭を混乱させる。その間にもアナルは何度もこね回され、下着の中は滲み出した愛液のしるっけが充満してしまっている。
「人が…すぐ近くにいるのに……弘二…やめ…やめて……ここじゃ……」
「えへへぇ……やだぁ……すぇんぱいはぁ…僕のなんだからぁ……ほぉら…こんなに感じてるくせにぃ……」
「んうぅ! んんっ、んッ、ん―――っ!!」
 あたしのアゴがつきあがり、カクカクと全身に震えが駆け巡る。
 気を抜くと今にも達してしまいそうなぐらいに感じている。そんなあたしの意思を断ち切るように、弘二の指先は布地の上からアナルへ挿入しようと押し込まれ、小刻みなヴァイブレーションで唇からたまらなくなった喘ぎが漏れてしまう。
「こ…弘二……やめないと…あ、あたしも……怒る…から……ねっ!」
「そんな事言ってぇ…♪ 僕はぁ…すぇんぱいを気持ちよくしてあげたいだけなんですよぉ……ほら…ほら…ほらぁ……」
「――――――ッ!!!」
 鼻先がクリトリスに触れる。ほんのわずかな接触で、あたしの膣が震えてアクメを堪えようと膣肉が収縮する。
 ガクッと首を折ると、弘二の後頭部を見つめて歯を噛み締める。そして目を閉じ、深く息を吸い込むと乳房が震えるほど身をよじり、


 いいかげんにしろ、この寝ぼすけ変態ぃぃぃ!!!


 篭手をつけた左手で弘二の頭を思いっきりぶん殴った。
「のぐひでぢぃ!!」
 ―――全力と言っても、トロールの腕の骨を粉砕した一撃で殴れば頭がトマトのように弾け飛んでもおかしくは無い。目の前でスプラッタはごめんなので当たる寸前で手心を加えたけれど、鈍い音と共に頭が跳ね上がった弘二はそのまま三回転半して瓦礫の山へ仰向けに倒れこんだ。
「あ…あだもすてぇ………」
「そのままそこで死んでなさい」
 ……治療する前よりも出血量は増えたっぽい。まあ本人の自業自得だからなんら一切問題は無い。
 さして心も痛まず、もう一発殴っとこうかと思うぐらいプリプリ怒りながら、弘二の顔の感触の残る太股を手で払って立ち上がる。
 ―――ううう…それにしたって自分が情けない……こんなところで感じさせられちゃうなんて、変態っぽいのはあたしのほうかも……また一歩、男から遠ざかった……
『お〜い、姐さ〜ん』
 あたしがスカートの乱れや汚れを確認し終えると、まだ続いているトロールのタコ殴りの方から小さな人影が四つやってくる。
 突然現われて、結局何者かよくわかんないんだけど……中身は空っぽなので、とりあえずリビングメイルらしい。しかもここまで性格の味が出るということは、ゴーレム同様と同系列の魔法で生み出されたマジックアーマーではなく、鎧に何かの霊が取り憑いた怨霊系のモンスター……正直、幽霊は苦手なんだけど……
 とは言え、あたしを「姐さん」と呼んだり、妙に付きまとう感じから、どうもあたしと契約してるっぽいんだけど……こんな不思議な面白カルテット、出会ったのはさっきが初めてだ。もし会っていれば、これだけうるさい四人組みだ。忘れる事はまず無いはずだ。
「……………」
『いやん♪ 姐さんったら、そんな熱い視線でワイらの事を見つめて、ワイ、恥ずかしいわぁ』
「……………」
 とりあえず、寸詰めの鎧が身をくねらせる仕草は気持ちが悪いので問答無用で蹴り。ライトブーツの底が直撃すると、リビングメイルの頭は面白いように飛んでいった。
『うあああああっ! なにするんでっか、ホンマ! せっかくさっき引っ付け直したばっかやゆうのに』
 首が取れてもさしたるダメージも見せず、地面に落ちた兜をひょいっと乗っけて元通り。なかなか便利な体をしているらしい。
「………まあ、色々聞きたいことは山ほどあるんだけど、ますはこれから聞かなきゃなんないよね」
『聞きたいこと? も、もしやプロポーズの返事とか!? 夜のお供なら何回でも手伝います!』
『トロールやったらあっちで他の人らが袋にしてるから、まー、ワイらが手伝わんでもオッケーやろ』
『ふっふっふ、ワイらの秘密に気付くとは、さすがワイらの魔王様。実はこの鎧は全部拾い物やねん!』
『腹減ったなぁ。腹は無いけど気分的に腹減った。口も無いけどなんか食えるんやろか』
「………やっぱりやめた。封印!」
『『『『え……?』』』』
 どこで契約したとか正体とか聞こうかと思ったけれど、四重奏でワイワイ喋られると頭の奥の方がズキズキしてくる。そう言うわけで小柄な四匹のリビングメイルはさっさと魔封玉に封印してしまう。
『『『『そんなご無体な〜〜〜!』』』』
 四人――と言うべきだろうか――の姿が細かい粒子になって消えると、代わりにあたしの手の中に魔力が集まり、一つの鉄玉を作り上げる。
 そういえば鎧は拾い物だって言ってたわね。それで混ざり物が多くなってこんな色……って、四匹分の鎧を拾ったのって、もしかして防具屋さん……
 くすねたとか略奪したとか言わないだろうか……あたしが知らない間に犯罪犯していた事実に、弘二に火照らされていた熱が血の気と一緒にサ〜ッと音を立てて引いていってしまう。
「まあ……とりあえず黙ってよう」
「何を黙っておるんじゃ?」
「ひあああああああああっ!!!」
 あたしの心臓が一瞬止まる。その後、遅れを取り戻そうと大きく鼓動する胸を押さえながら振り返ると、衛兵長のお爺さんが砂埃にまみれたヒゲを撫でながらあたしの傍に立っていた。その横には黒尽くめのリビングメイル――黒装束でもリビングメイルと呼んでいいのか分からないけど――が影のようにたたずんでいた。
「いや〜、冒険者だとは知っていたが、あのトロールをほとんど一人で相手にするとは、見かけによらずなかなかの強者じゃのう。あの鎧たちを操る不可思議な術と言い、おぬしには助けられてばかりじゃな。うむ、大手柄じゃ」
「いや、あたしはなにも…ただ逃げ回ってただけだし……それに建物が……」
 褒められても少し困る。あたしが変な逃げ方をしたせいで、衛兵詰め所は全壊。裏手の壁がわずかに残っているだけ。衛兵長の傍からあたしの足元へとやってきた無口な黒子の頭を撫でながら周囲を見渡すほどに、「やっちゃったな〜…」と罪悪感が込み上げてくる。
「何もトロールの事だけを言っとりはせん。下水度から入ってきたが、あそこの扉は厳重に二重三重に封印結界を張り巡らせておったろう。それを掻い潜ってワシらを助けに来てくれた事、そして昼間はワシらの命を誰一人として失わせんように自分を犠牲に……いくら感謝してもし足りるものは無い。ありがとう」
「その……地下の結界とかって……実は壊して入ってきたんですけど……」
 あたしの頭の中に、引っこ抜いた鉄の棒とか、枠後と外れた扉の事が思い出される。
「壊した? あれをか?」
「えっと……まあ、はい」
「どうやって?」
「その…ズボッて抜いて、扉もグイッと引っ張ったら……は…はは……」
「……………」
 衛兵長は「信じられない…」と言ったまなざしであたしを凝視する。
 やっぱり怒られるかな……まるで、村長であるおばさんにしかられた子供の頃の気分で怒鳴られるのを覚悟していると、衛兵長は不意にくぐもった笑いをし、最後には耐え切れずに大声で笑い始めた。
「いや、結構結構! 嬢ちゃんが言うからには嘘じゃなかろう。しかしあの誰一人破れなかったクソ頑丈な結界をどうやって破ったかと思えば、壊して、しかも引っこ抜いてとは、いやはや恐れ入った。さすがトロールを倒せるだけの怪力じゃ、いや見事なり、ハ〜ハッハッハァ!!」
 なぜ笑うのか理解できない……いや、そもそもこれは褒め言葉なのか? 怪力怪力って言われても嬉しくないんだけど……
 ともあれ、お咎めはなさそうなのでホッと胸を撫で下ろすと、カンラカンラと笑う衛兵長はバシバシとあたしの背中を叩いてくる。
「まあ壊したことは気にせんでええ。上もこんだけ壊れたんじゃし、一から建て直しの作り直しよ。いやいやいや、それにしてもこれだけの別嬪でそこまでやれる器量持ち。どうじゃ、冒険者を辞めてワシの孫の嫁にならんか。歓迎するぞい!」
「え、遠慮しときます。あたしも色々事情がありまして……」
「そうじゃったの。この街へは解呪のためにきたんじゃったな。神官長から話は聞いておるよ。だがワシが保障してやる。お嬢ちゃんはきっと立派な冒険者になれるぞ。ワ〜ッハッハッハッハァ!!」
 それも喜んでいいのかどうか、ちょっと微妙だな。……けど、捕まっていたときとは比べ物にならない、けれど初めてフジエーダに来たときに見た衛兵長の明るい顔は、あたしの頑張りが無駄じゃなかったって言う何よりの証拠だ。助けられてよかった……
「さて、ところで今後の事じゃが、これだけ派手にやらかしたとなると、すぐにあの魔道師も気付くじゃろう。ここはすぐにでも再開発地区へ向かうべきじゃな」
「再開発って、あの無人の? なんであんなところに」
「うむ、あそこには敗戦を想定して―――」
 と、その言葉の途中で、―――周囲が光に照らされた。
「あれは………!」
 天から一直線に雷が落ちている。
 見たことがある。――それが落雷の魔法であると気付いた時には、遅れて飛んできた引き裂くような稲妻の音が周囲を重く震わせた。
「この街にあれだけの魔法を使える者は、今は一人しかいない。――ジャスミン殿か!」
 ジャスミンさん、無事なんだ……キッと静香さんも喜んでくれるであろう情報だけど、落雷の魔法とは穏やかじゃない。今落ちた雷は一本だけだけど、それでも威力がありすぎる。
 方角は話題に上った無人の再開発地区。そしてそこでジャスミンさんは……間違いなく戦闘行為を行っている。
「衛兵長、あたし、今からあっちに行ってみます!」
「いや待つんじゃ。行くならワシら全員じゃ。おそらく敵の襲撃を受けておるはずじゃからの。一人で行っては――」
 言うなり、今度は背後で何人もの悲鳴の声が上がる。しかも頭上から……みれば何人もの人影が篝火の灯りの中、土砂と共に上空に舞い上がっている。
 血まみれのトロールが立ち上がっていた。雷光と雷音で攻撃していた衛兵たちの注意が逸れたのだろう、その隙に力を振り絞ったトロールは囲みを破り、目を――赤い輝きをました二つの瞳でまっすぐにあたしを見下ろした。
「衛兵長、下がって!」
 狙いはあたしだ。背筋を駆ける震えは逃げる事を要求するけれど、魔法の箒を手にしたあたしは、とっさに衛兵長の前に出る。
 けれど既に、トロールは無事な方の腕で巨大棍棒を高く振り上げていて、―――避けられない!?
 先ほどの雷に似たトロールの咆哮。その豪腕が風をうならせ棍棒を振り下ろしてくる。
 頭上を見上げたあたしは、避ける反応がワンテンポ遅れた。前へ出た動きでトロールの間合いに踏み込んでいて、今から左右のどちらへ避けても吹き飛ばされる自分の姿しか思い描けない。
 終わったと、あたしの頭が判断を下した。―――ただ、体は勝手に動いていたけれど。
「!!!」
 下から上へ、何でも掃き飛ばす箒を勢いよく振り上げる。トロールの棍棒を迎撃するために、風を掃きながら先端を振り回す。
 こうなりゃ自棄だ。細い箒で棍棒を受け止められるかとか、この際考えない。ただ体の動きに意思を込めて後押しし、
 ―――迎撃する。
「ッううううう!!!」
 力を込めなくても対象を掃き飛ばせるのが、この箒の特性だ。けれどトロールの怪力と巨大棍棒の質量は想定外なのか、箒を頭上に抱えるあたしの両腕には殺しきれなかった衝撃が骨を砕かんばかりに叩き込まれる。
 加重はそれだけでは終わらない。振り下ろした勢いのまま、トロールはあたしを押しつぶそうと棍棒へ自分の体重をかける
 身長差がざっと二倍。体重なんて十倍も二十倍も違っていそうだ。……けれどまだ終わっていない。棍棒は掃き飛ばせず、重みと衝撃を完全に殺しきれていないけれど、箒と棍棒の間に集中する箒の魔力が必死の一撃を途中で押し留めている。
 ―――なら魔力だ。魔法剣などの魔法の武具も魔法のアイテムも、注ぐ魔力量が大きくなれば効力を増す。魔力を注ぎ込むだけなら……魔法が使えないあたしにも出来る!
「―――――――――――ッ!!!」
 あたしが魔力を注ぎ込む。
 魔力のコントロールは散々やった。魔法は結局使えなかったけれど、マジックアイテムに魔力を流し込むだけなら……!
 さしたる魔力制御も無しに効果を発動する魔法の箒に、必要以上の魔力が流れ込んで行く。便利かどうか判断つきかねる箒の中に張り巡らされた魔導式が飽和状態で暴れ狂い、箒の先に青白い電光がまとわり着く。
「こんなところで―――」
 足を踏み出す。
 男の時には踏み出せなくて、女になってから踏み出せるようになった、前へ進む意志のこもった強い一歩。
 足の裏が地面を噛む。そしてなけなしの力をありったけ箒の柄へ込め、
「―――止まってなんか、られないのよッ!!!」
 ―――振り抜いた。
 勢いで体ごと回転したあたしの頭上で、巨大棍棒が破砕する。棍棒の下向きの力と、箒の掃き上げる力。拮抗していた力のすべてを受け止めた結果だ。
 打ち勝った…いや掃き勝った。細かい破片は夜空へと舞い上がり、あたしの体へは一欠けらも落ちてきはしない。……けれどその代償は大きかった。
「ッ―――!!!」
 あまりやらない魔力の流動の負荷で両腕が痙攣した。唯一の武器である箒は握力を失った手の中から遠くへと飛び、回転した体はトロールへ背を向けていて直ぐには動けない。
 体より先に肩越しに振り返る視界の端で、トロールが折れた腕を振り上げる。その腕で殴られれば、骨折や棍棒の有る無しに関係なく、あたしの即死は間違いない。
「ヤバ――」
 今度は体も動けない。先を動く意識に追いついていない。
 だけど諦めたくはない。けれどトロールの腕は振り下ろされ……視界が真っ赤な光に包まれた。
「グガアアアアァァァアアアアアアアアアアアッ!!!」
「………へ?」
 トロールの全身が炎に包まれる。―――自然に発火したわけじゃない。いきなり横から飛んできた巨大な火球が直撃したのだ。
「や…やりました! 先輩、魔法がやっと成功しました♪」
 そう嬉しそうにはしゃいでいるのは、メイド姿の綾乃ちゃんで………ちょっと待て。今までずっと何やってた!?
「緊張してたから73回失敗しちゃいましたけど、私、頑張りました♪」
 頑張ったのはいいけれど……途中でトロールが倒されたのとか見てなかったのかな? さっきからずっと魔法を使おうとして失敗続けていたなんて……ある意味、これも才能か。
 けれど失敗は成功の母だ。体の回転が止まって地面へ尻餅をついたあたしの目の前では、通常よりも強力な火球を喰らったトロールが燃え上がる大木のように炎に包まれている。全身に斬撃、打撲の傷に、綾乃ちゃんが偶然放った強力なファイヤーボールを喰らった以上は、いくら生命力の強いトロールでも死に抗えるはずはない……はずはないのに、
「うそ……まだ動けるの!?」
 炎のせいで迂闊に近寄れなくなったトロールは、全身を焼かれながらもあたしの方へ歩み寄ってくる。
「ちょ、ちょっと待ってぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!」
 あたしの叫びなど届くはずもなく、トロールはゾンビのように腕を前へ突き出し、石畳を焼き焦がしながら迫ってくる。そして―――
「………ガーディアン」
 夜風に乗って聞き覚えのある声が聞こえた瞬間、トロールの胸から巨大な槍の穂先が突き出していた。


stage1「フジエーダ攻防戦」35