stage1「フジエーダ攻防戦」27
「ご飯ができました〜〜」
三人が一緒に時間を過ごすには広すぎる地下のベッドルーム。そこについている二つの扉のうち、台所につながる方からエプロン姿の綾乃ちゃんがサンドイッチの乗ったお盆を手にして出てきた。―――ちなみに、と言うか当然、裸エプロンじゃないのであしからず。
この部屋に落っことされてから睡眠時間も入れてかれこれ十五〜六時間と言うところだろうか。時計もないし日も差し込まない室内では正確な時間を知る事はできないけれど、腹時計の方はそれなりに動いているようで、朝食とも昼食とも、もしかしたら夜食かもしれない食事をとる事になったのだ。
「うわ〜、おいしそ〜♪」
簡単な食事と言って綾乃ちゃんは台所に入ったはずなのに、お盆の上のサンドイッチには色とりどりの具が挟まれている。卵やハムなどの定番の具財はもちろん、カツに野菜にソテーにフルーツと、バランスもボリュームも申し分ない。うん、これはかなり食べがいがありそうだ。
「はい、王女様。お茶もすぐにお入れしますから」
「………ん。ありがと」
食べやすいよう三角形に切られたサンドイッチを小皿に乗せて綾乃ちゃんが静香さんに手渡す。
さあ、次はあたしの分だ。結構運動したしたくさん盛り付けてね。―――と意気込んではみたけれど、綾乃ちゃんはティーポットからお茶を注ぐ方を優先し、あたしの分は後回しにされてしまう。
そりゃまあ静香さんはあたしとそっくりな顔をしていてもお姫様なんだし、仕方ないか……と納得する。たかだかお茶の一杯や二杯入れる時間を待てないあたしじゃない。待たされればその分だけサンドイッチが美味しくなると思えば、この時間だって有意義なもののはずだし―――
「王女様のお口にあえばいいんですけど。それではどうぞお召し上がりください」
はいは〜い、じゃあ次はあたしの分………のはずなんだけど、綾乃ちゃんは自分の分のサンドイッチを皿に取ると、勤めてあたしの方を見ないようにしながらパンに口をつけ始めた。
「えっ…と………」
な、なんだろう……ものすごく居心地悪くて手を伸ばしづらいんですけど……
どうも綾乃ちゃん、無視を決め込んでいるらしい。静香さんにはかいがいしくお茶を入れてあげたりしているのに、あたしには何もしてくれない………やっぱり服をちゃんと着てなくちゃご飯を食べてはいけないとか言う厳しいしつけでもあるんだろうか?
静香さんも綾乃ちゃんもそれぞれ服を着ているけれど、あたしだけは素肌にバスタオルを巻いている。
風呂場で脱いだ服は未だ乾いておらず、そんなに寒いわけでもないのでタオル一枚でも問題はない。覗いてる人もいないし。―――けど綾乃ちゃんに避けられてるとしたら、これぐらいしか理由が見当たらないんだけど……
「あの……綾乃ちゃん?」
「このサンドイッチはちょっとだけ自信作なんです。よければお召し上がりになりませんか?」
その言葉は当然静香さんに向けられたものだ。………ううう、やっぱり服が乾くまでご飯はお預けかぁ……
どこぞで旅をしているあたしの姉や遠く離れた幼馴染ならともかく、静香さんと綾乃ちゃんの二人では積み上げられたサンドイッチを食べきる事などできるはずもない。紅茶の甘い香りをまとった「早く私を食べて♪」と言わんばかりのお盆上の光景と、妹のように思えるほどかわいい綾乃ちゃんに突然嫌われたショックの板ばさみで何も行動できず……ううう、ひもじい。目の前にニンジンぶら下げられた馬の気持ちが分かるようだ。
手を出すか、それとももう少し様子を探るべきか、下手したら綾乃ちゃんにさらに嫌われかねない状況で堂行動するべきか、必死に頭をフル回転させていると、あたしの意識の外から声が聞こえてきた。
「………綾乃はたくや君が嫌いなの?」
あれこれ勝手に心配していたあたしが馬鹿に思えるほど、直球ストレートな静香さんの一言。予想外どころか普通なら、そう言うのは思っていても訊けはしない言葉に、あたしも綾乃ちゃんも驚きを隠せない。
「………みんなで食べた方が美味しいのに。たくや君のことが好きじゃないの?」
「あ、あの…その……そういうわけじゃ……」
「………じゃあ好きなの?」
「えっと……」
「………嫌いなの?」
「だから……その………」
これはキツい。単刀直入を絵に描いたような静香さんの問いに即座に答えられない綾乃ちゃんは、一方的に言葉を浴びせかけられながら返答に窮する事しかできずにいる。
そしてそれに追い討ちをかけるように、
「………じゃあ、たくや君は私の」
と、あたしのすぐ隣へやってきて、ギュッと体を密着させて抱きついて………って、うわ、だめ、柔らかくて弾力の膨らみが、あ、なんかヤバいって、あたしが寝てる間にお風呂に入ったでしょ、暖かくて甘い石鹸の香りが、おっぱいが、そんなに押し付けられたらしっかりはまった理性のタガがあっけなく吹き飛びそうで危ないですぅぅぅ!
―――そんな心の声、死んでも口に出来ない。静香さんの谷間にあたしの腕が押し付けられるほど、お盆の向こうで綾乃ちゃんが動きを止め、複雑に感情が入り混じった目であたしを見つめているのだ。そんな事したら致命的で修復しようのない切れるが綾乃ちゃんとの間に入ってしまう、確実に。
「………たくや君」
「は、はいぃぃぃ! な、なんでありましょう!?」
平静を装ったはずが、声が上ずってしまう。落ち着けあたし。―――だけど、静香さんがキスをねだるように顔を近づけてくる。
「………もう一回、しよ」
「なにを!? なにをするんでありますか!?」
「………エッチな事」
だめぇぇぇ!!! あたしが起きた時にプンプンと可愛らしく怒ってたのは静香さんじゃないですか。それに、ほら、綾乃ちゃんが見てるから。
「………ジャスミンがこう言えって言ってた。―――忘れられなくしてあげる」
十分忘れられません! あたし、男の子役でこんなにエッチしたのって初めてだしっ!―――その分女の子としてエッチしてるかと思うと悲しいけど……
「………こうも言ってた。―――なにされたって構わない。―――今夜は家に一人なの。―――滅茶苦茶にして」
「ダメェェェ〜〜〜!!! あたしの方が大いに構う! き、気持ちは嬉しいんだけど、今は状況的に色々とヤバいというか……」
「………嫌よ嫌よも好きの内」
うわぁあああああっ! すっかりジャスミンさん語録に染められてる。あんたは自国のお姫様に何を教えていらっしゃいますか!!
だけど、言葉の意味をちゃんと理解していて、それでも顔が赤く染まるほど恥らいながらもあたしを誘惑しようとする静香さんが……危ないほどかわいい。その威力に押されて仰向けに倒れこんだあたしは、自分と同じ顔が恥らうだけでこれほど破壊力であたしを魅了するのかと、この危機的状況から脱出する方法をそっちのけで考えてしまう。
「………たくや君は、こういうのって嫌い?」
だから、そうストレートに訊ねられたら……
「………嫌いならやめる。嫌い?」
嫌いか好きかって訊かれれば、そりゃ……
「う………シチュエーション的には苦手だけど、静香さんにこうされるのはそんなに……」
「………嫌いじゃないんだ。よかった……」
ああ、ヤバい、その顔はかなりヤバいです。そんな、赤みの残る顔で安堵しながら笑みを浮かべられたら、うわ、き、キスはマズいでしょ? 綾乃ちゃんも見てるんだし……あ、そんなのお構い無しでエッチな事したのってあたしだっけ?
あたしを押えつける静香さんの力は弱い。跳ね除けようと思えば当然できるけれど、ゆっくりと降りてくる唇からは逃れられそうにない。
ああ、あたしってどうしてこう意志が弱いのかな……だけど、心の何処かであたしも静香さんとキスできるならこのまま流されても…と状況を感受しようとしていたその時―――
「だめぇぇぇええええええええっ!!!」
―――あたしも聞いた事がない綾乃ちゃんの大きな声。これは…かなりびっくりした。
「あ、あの、だ、だから私………お茶が冷めますから、先に食事を済ませてからと、思って……だから……」
「………ん、分かった」
しどろもどろに綾乃ちゃんが言葉を紡ぐと、静香さんはそれまでの雰囲気を引きずる事無くあたしからはなれて行く。
少し残念なような気がしないでもない。……いやいや、ここは助かったって事にしておかないと……
「すみません……今すぐ先輩のお茶を用意しますから」
「あ……」
綾乃ちゃんはポットを手にして立ち上がって台所へと駆け込んで行く。何か声を掛けられれば良かったんだけど、上手い言葉が見当たらず、ただ見送る事しかできなくて……
「それよりも今は、静香さんに色々問いたださなきゃいけない気がするかも……」
「………?」
体を起こしたあたしはバスタオルの結び目を締めて静香さんに向き直る。―――警戒はしてるけど、再び迫られたらあたしに不利だ。ここはちょっと強気に出てでも、静香さんがなに考えてるか聞き出さなくては……
「………あ、そうだ。教えられてた言葉がもう一つあった」
え…いやそれは言って欲しくないんですけど……と、手を打ち鳴らす静香さんに抗議をする暇もなく、
「………責任とってね」
それまでで一番強烈な台詞の直撃に、あたしは顔からベッドへと突っ伏した。
「へぇ〜、娼館へは綾乃ちゃんが連れて行ったんだ。やっぱりあたしと間違えて?」
「………うん。綾乃、いきなりファイヤーボール飛ばしてきた」
「あ、あれは、王女様がオークに追いかけられてたから、私も慌てて……それに、たくやさんにそっくりだって気付いたのも娼館にお連れしてからじゃないですか。フードを目深にかぶってらっしゃいましたし……」
「………ん。あれは変装道具。あれを着てると誰にも見つからないの」
「いやいやいや、オークや綾乃ちゃんに見つかってるってば。なんかまったく根拠がないって、それ」
女三人よればかしましいとはよく言ったもので、サンドイッチ片手の会話は思いのほか弾んでいた。
二人に聞くことはたくさんある。娼館の事や避難した人たちの事。そしてあたしからは、―――相手が何者であるか、と言う事を話さなければならなかった。
休憩はもう十分だ。あまり自信はないけれど、あたしに出来る程度の飛んだり跳ねたりは問題ない。ただ……外に出る方法がどうしても見つからない。自然光い近い明かりで部屋を照らしている天井にも、あたしたちが落ちてきたはずの穴の姿は見当たらなかった。誰が、何の目的でこの部屋を造ったかは知らないけれど、あたし立ち居は行動しなければいけない時間を、ここでただ無駄に費やさなければならなかった。
それでも、脱出する手段が一つだけ残されているんだけれど―――
「………たくや君、外に出ないの? ガーディアンなら登って行けると思うよ」
それをやったら、瓦礫やなにやで生き埋めになる。とりあえず静香さんには絶対やらないように念を押しておこう。
「とは言え……この部屋ってなんか不思議な感じがするのよね。綾乃ちゃんならわからない? 妙に魔力が濃いし」
「えっ…と………私はあまりそう言うのは……」
「………ん。私は分かる」
あらら。魔法が使える綾乃ちゃんじゃなくて、魔法が仕えない静香さんの方が手を上げるとは……こういうところはジャスミンさんの教育の賜物かな? ま、魔力の探知はどれだけ魔力や魔法と触れ合ってきたきたか、その時間の長さと経験が重要だから、その内できるようになるでしょ。
「んじゃ綾乃ちゃんへの説明も兼ねて解説するけど、この部屋、どうも人為的に魔力を溜め込まれてる感じがするのよ。別に瘴気みたいな負の魔力って訳じゃないから、多分だけど、ここで休んだおかげでずいぶん回復も早かった……と思う。確証はないけど」
あたしの住んでたアイハラン村もそうだ。さすがにここまで不自然な魔力濃度じゃないけれど、魔力の吹き溜まりになっている場所は、そこにいるだけで体力や魔力を回復させてくれる。樹齢数百年の大木に寄り添っても木の持つ魔力が癒しを与えてくれるのと、原理的には似たようなものだ。
「だから別にあたしたちを閉じ込める場所ってわけでもないんだし、脱出できるルートを捜した方がいいと思うの。―――下手に壊してこれ以上借金増やしたくないし」
「そ、それは……」
「だから、綾乃ちゃんもあたしの言葉をいちいち気にしないの。あたしだって気にしてないんだし」
―――そりゃまあ、何人もの男の人とエッチな事させられて平気って訳じゃないけど……それはあたしが綾乃ちゃんを助けてあげたいって思った結果なんだし、それを綾乃ちゃんに押し付けるつもりもないし。いやいや、あたしも大人になったなぁ……と、自分勝手に自己満足していよう、うん。
「ま、そんなわけだから。静香さんも撫養にやたらにガーディアンだそうとはしないでね。あんな、巨人(ジャイアント)より大きいのにこんなところで暴れられたら、生き埋め前に踏み潰されて一巻の終わりなんだから」
「………ん、たくや君がそう言うなら」
「それにガーディアンを使うのは町の中にいるモンスターをやっつける時でしょ。その時には静香さんに頑張ってもらうから―――」
そこまで言って、はたと気付く。
「確認しとくけど、ガーディアンって…ちゃんと制御できるの?」
「………わかんない」
うああああ……た、頼みの綱がこれッスか……なんか戦う前からお先が真っ暗になってきた……
「あ〜……とりあえず、戦いになる前に分かっただけでもよしとするか……」
「あの、私も精一杯お手伝いしますから。そんなに気を落とさないでください」
綾乃ちゃんのお手伝い……これもあんまり当てにならない。―――本人の前では口が避けても言えないけど。
娼館で過ごした時間のほとんどが「お仕事」だったので、綾乃ちゃんと約束した「魔法の練習」には、あまり時間は取れなかった。でもまあ、綾乃ちゃんの呪文詠唱はとても綺麗で、魔導式も申し分ない。ちょっとゆっくりなのが問題と言えば問題だけど、致命的な問題じゃないし、魔法がさっぱり使えないあたしが教えられるものなんて何一つ無いと言っていい。
問題は発動するかどうかが不安定なところだった。式が出来てるのにこういう症状が出るのなら、その原因も察しがつく。アイハラン村では魔法を習い始めた子供によく見かけるし、直し方もそれなりに分かっている。
だけど、今の時点では戦力として不安定なのが痛い。静香さんと綾乃ちゃん、二人が協力してくれるのは嬉しいけど、本当にあたしたち三人でどうにかできるのかと心配になってくる。
「―――となると、頼みの綱はやっぱりこれかな……」
色々話し合っている内にサンドイッチも無くなった。多分八割ぐらいはあたしのお腹へ入っていったのは内緒にしておいて……とりあえずおなかも膨れたあたしは右手を軽く握り締めて開いた。
「わあ、綺麗な宝石ですね」
「………くれるの?」
「こらこらこら! これはダメ、あげない、て言うか危ない!」
この二人もやっぱり女の子。あたしの手の平に現われた黄玉石と紅玉石、それぞれコボルトとオーガが封じられた魔封玉の輝きに目が吸い寄せられている。かなり興味津々なご様子だ。
けれどこれを渡すわけにはいかない。何しろ中にはモンスターが入っている。あたしと契約して言う事を聞いてくれるだろうけれど、二人に襲い掛かったりでもしたらと思うと、近づけるのにさえ気を使ってしまう。
「説明するからよく聞いてね。―――あたしはほら、えっと、モンスターテイマーって言うよくわかんない職業で冒険者登録してるわけなんだけど……」
そういえば、はっきりとあたしが魔王だどうだと説明した覚えがない……静香さんならジャスミンさんから聞いてるかもしれないけど……ええい、省略だ!
「簡単に言っちゃうと、あたしと契約したモンスターがこの中に入ってるの。黄色がコボルト、赤いのがオーガ」
「わぁ…先輩がそんなスゴい方だったなんて。改めて尊敬してしまいます」
い、いたぁ、あたしは別にたいした事ないんだけどさぁ…たはははは♪
「そういえば先輩は小さなスライムさんを飼ってらっしゃいましたよね。じゃああの娘も先輩と契約なさったモンスターさんだったんですね」
―――と、それは…あまり触れて欲しくない話題だったんだけど……
「あ……もしかして私……」
「い、いいから、綾乃ちゃんが悪いんじゃないから……ははは……」
そりゃ、スライムって言ったらブヨブヨで見方によっては不気味だったりするけど、あたしのジェルはフジエーダに辿り着く前からの付き合いでそれなりに可愛がってたし、エッチな事もしちゃったりして、そりゃ大事にしてたけど………くぬぅ…佐野の奴、絶っ対にジェルの分までぶん殴ってやる……
あたしは、手元にある二つの魔封玉を握り締めて思い新たに敵討ちを決意する。―――そんな様子を見つめていた静香さんが、ポツリと口を開き、
「………モンスターが出てくるところ、見たい」
「え……いや、それはここじゃちょっと……」
「あの、私も見てみたいです。モンスターさんと意思を通わせられるのって素晴らしい事だと思いますし、是非後学のためにも拝見させていただけませんか?」
うわ、綾乃ちゃんまでそう言うか。う〜ん…そこまで言われちゃ仕方ない。まあ、あたしもちょっぴりノリノリで二つの魔封玉をベッドの敷き詰められた部屋の一角へと向ける。
そういえば、コボルトは調子が悪そうだったけど大丈夫だろうか。オーガも片腕をあたしに切り落とされ、全身黒焦げだったけど大丈夫だろうか。
モンスターの体力回復には魔力が一番だ。なら……その魔力を提供する一番手っ取り早い方法を出発前までにやって二匹……もとい、二人を少しでも万全に死しておいた方がいいかも知れないと、ふと思う。
………戦うために元気になれなんて、あたしもたいがい酷いご主人様よね。ペット虐待もいいところだ。
「コボルト、オーガ、無為っぽいなら無理しなくていい。大丈夫そうなら出てきて、顔を見せてくれない?」
う、なんか弱気だ。飼い主(?)としては、こうビシッと飴と鞭で持って躾けるべきなんだろうけれど、そう言うのはどうにもあたしの趣味じゃない。つい弱い言葉で呼びかけてしまうけれど、その言葉に応じるように、二つの魔封玉からは今までにないほど強い魔力が噴き出してくる。
「………来る!」
魔封玉が弾ける。軽い爆発から二つの人影が飛び出し、あたしの目の前へと着地する。
「……………………あれ?」
思っていた姿と、現れた姿の食い違いにあたしは首をひねる。
まずオーガ。―――どこも怪我をしていない。切り離された右腕までもが元通りに繋がっている。いや、よく見れば筋骨隆々の鉄板のような胸板には、ピンク色の真新しい肌の色として火傷の痕跡がうっすら残っているけれど、なんともなさそうだ。
2メートルを越える巨躯……さすがに床に座って見上げると、その迫力には気圧されそうな圧力を感じてしまう。けれどざんばら頭のオーガは澄んだ瞳であたしたちを見回すとゆっくりと片膝を突き、深々と頭を垂れた。
「我、召喚に従い馳せ参ず。主よ、救われし我が命、汝の物。故、我に命を」
「え…ちょっと待って。―――――――――ごめん。いまいち何言ってるかわかんない」
言い回しが変と言うか……さっきまで言葉を喋れなかったオーガが話してるだけでもスゴいんだけど、ちょっと古風な言葉に、たいして良くないと自覚しているあたしの頭がパニックに陥ってしまう。
「たぶん「助けてくれたから言う事を聞く」って言ってるんじゃないですか」
「是」
いやだから、「わかった」って言えばいいのを意味不明な言葉で切り返すから……もういい。とにかくあたしの命令を聞くって言ってるならそれでいいや。
「オーガ……てのも変よね。種族の名前なんだし。その内カッコいい名前を考えてあげるからね」
「応。命名、希望。一層の忠誠を誓う」
「今すぐってのは難しいけど……とりあえず元気そうでよかった。契約した時はボロボロだったもんね」
「封印中、自然治療」
「へえ、結構便利なんだ。―――あ、そうそう、こっちのあたしそっくりなのが静香さんで、こっちの娘が綾乃ちゃん。二人ともあたしの友達だから食べたりしちゃダメよ?」
「た、食べられちゃうんですか、私!?」
脅かすつもりは無く、軽い冗談で言っただけなのに綾乃ちゃんがサービス精神満点に驚いて見せてくれる。
「我、不食、人」
……なんとなく分かってきた。ジェルのときは言葉を交わさなくても意思疎通できたんだし、同様にあたしとあるはずの「つながり」を意識しながら言葉に耳を傾けると、何が言いたいのか聞き取る事も出来る。
「食べたりしないから大丈夫だって。……あ、でも綾乃ちゃんっておいしそうだから危ないかも……な〜んてね♪」
「せ、先輩!」
だから冗談だって。そんな涙浮かべて怒らなくたって。オーガもどう反応して良いのか分からなくて困ってるし。
―――けど、オーガを困らせている要因はどうやら別のところにあるらしい。
「………オーガ、初めて触った」
あたしと綾乃ちゃんがじゃれている間に、静香さんがオーガに近づいていた。しかも見るだけじゃなく、ぺたぺたと彫像のような見事な筋肉に触れ回っている。
「―――主」
「あ〜……まあ、我慢してくれる? いろいろ知りたい年頃って事で」
あたしと同じ顔だし、手を出すなとまで言っちゃったし、困惑の表情を浮かべているオーガに哀れみを感じないわけじゃないけれど、とりあえず静香さんの玩具になっていてもらおう。
「………たくや君、これ、欲しい」
「ダメ」
オーガなんかもらってどうすんだ。で………問題なのはもう一匹の方。オーガの迫力に目が行って静香さんも綾乃ちゃんも気付いてないけど、一緒に現われたコボルトに目を移すと―――
「―――のはずだったんだけど……」
こめかみが痛い。何でこうなったんだろうなと必死に考えてみるけれど、痛みが酷くなるだけで答えなんて出やしない。
コボルトが現われた場所には男の子が眠っていた。どこから現われたのか…と言うのは置いておくとしても、男の子は男の子だ。体を丸めてすやすや眠るその寝顔は、ちょっとくせっぽいけど柔らかそうな黒髪と合間ってかなり可愛らしい。
けど……何故か髪から飛び出す三角形の犬耳。そして何故かふりふりしてるお尻の尻尾。―――あ〜、そういえば娼館でそう言うアイテムがあったっけ。ネコ耳とかウサ耳とかゾウ耳とか。うんうんそうだ。この子もきっとそんなのをつけているに違いない。
「……けどどこにも継ぎ目とかないのよね」
ふさふさの尻尾を刺激しないようにそっと持ち上げて付け根を見てみるけれど、あるのは白くて可愛らしいお尻だけで、ベルトも無ければお尻の穴に挿してるわけでもない。
「あ〜…えっと……コボルト、戻って」
きっとこれは何かの間違いだ。こうして呼びかければ、どこかに隠れているコボルトが魔封玉に戻る……と一縷の望みに賭けたんだけど、戻ってきたのは犬耳の男の子で、もう一度開放してもやっぱり犬耳の男の子……な、何でこんな風になってるんでしょうか?
「………クゥン?」
やばい、出したり戻したりで目を覚まさせちゃった。ベッドに手を突いて体を起こした男の子は、眠たそうなまぶたを擦りながら首をめぐらせ、やっぱりと言うか何と言うか、記憶にある甘える声を出した。
「ワンワンワンワンワン♪」
「ちょ…ちょっと待て、まずは服ぅぅぅ!」
押し留める暇も無かった。可愛らしい声で鳴いたコボルト――いや、もうコボルトとは呼べない。姿を変えて獣人の男の子を改めてどう呼ぶかは後で考えるとして――は、一糸まとわぬ姿で嬉しそうにあたしに飛びついてきた。
なんか……静香さんと綾乃ちゃんの視線が痛いのは気のせいでしょうか……
stage1「フジエーダ攻防戦」28