stage1「フジエーダ攻防戦」11
あたしの体の様子が変なのには気付いていた。
地下の浄水池から階段で一気にフジエーダの街にたどり着き、そのまま街の中を走り回ってもほとんど息を切らしていない。
既にフジエーダの街がモンスターたちに襲われていたことに驚きを隠せないけれど、まるで勝手に体が……いいや、その言い方は少し違う。
あたしの体はあたしの意志を忠実に反映して動いていた。まるで獣のように、本能に従っていく感覚はどこか異様であり……なぜかすぐに慣れてしまう。
街の中を徘徊するゴブリンたちを打ち倒し、まるで跳ぶようにフジエーダの中を駆け巡る。そして遠くから不自然な……明らかに魔法による電撃が飛び交うのを見つけた時、あたしはそこに生き残った誰かがいると信じて駆け出していた。
そこにいたのは顔見知りの人間だった。どうしてここにジャスミンさんが……街の人たちが退避していたから、てっきり静香さんと一緒に非難していたと思っていたのに…………あ、危ない!
ジャスミンさんがこれほどまでに強い事も驚きだけど、いきなり現れた大柄のモンスターはそれ以上に強い。決してジャスミンさんの力が劣ってるわけじゃなく、根本的にあのモンスターと魔法使いとは相性が悪すぎる。
―――だから、あたしは考えるよりも先に足を動かしていた。
間一髪……ジャスミンさんが殴られる前に間に割り込めたのは良いけれど、あたしはそのまま横へと殴り飛ばされてしまう。
そして頭から崩壊した建物の瓦礫の中へと突っ込んで……大きなコブが頭に出来た。
あのモンスターは体の割に力は弱い。あんなに不と言うどぉしているのに、あたしが一発で倒されてないのが良い証拠だ。
吹き飛ばされる前に、反撃の種はまいておいた。前に一度使った手だけど、あたしが頭をさすりながら瓦礫の中から立ち上がると、大柄なモンスターは半身をスライムに覆われて動きを束縛され、事前にロングソードを渡しておいたゴブリンも、その足へと刃を食い込ませている。
―――大丈夫。あたしでも戦える。
恐くないと、そう思えばあたしの足は前へと駆け出していく。
両手は剣の柄を強く握り締めている。まだ……何かを斬るのは恐い。あたしにはそういう事は向いていない。気の弱い、ただの弱虫でもよかったのに……今は……今だけは……!
相手はあたしが投げつけた軽い瓦礫を振り払い、懐が大きく開いた。そこへ向かって一気に走りこむ。
「グァアアアッ!!」
大丈夫……こんなのくらったって痛くない!
咆哮と共にモンスターの拳があたしの顔めがけて振り下ろされる。けれど目を離さす、当たる寸前で身を屈めて紙一重で躱す。
―――耳の横を、風をまとった拳が突き抜けていく。空気が避ける音をうなじに感じながらさらにもう一歩、あたしは奥へ踏み込んだ。
「こん…のやろぉぉぉ!!!」
叫び、逃げ出したくなる心を奮い立たせると、あたしは頭上に向けて剣を振り上げた。
手ごたえは―――ない。やけに重く感じる剣を振り抜いたというのに、モンスターの右腕を斬りつけた感触は返ってこなくて、剣を振りぬいたいきおいのっまバランスを崩したあたしは、そのまま石畳の地面へと倒れこんでしまう。
「わたたたたっ!?」
こんなところで転ぶなんて、襲ってくださいって言ってる様なものだ。一秒でも早く身を起こし、構えなおすべく右手を突いてモンスターの背後へ回り込むように滑り込む。
「まだまだこれからなんだから!」
そしてそのままモンスターを睨みつけながら後ろへ跳び退る。―――すると、背中を見せたままのモンスターとあたしの間に、どさっと、上から何か重たいものが落ちてきた。
―――腕だ。さっきまでモンスターの体と繋がっていたはずの長くて太い、逞しい右腕が肘の根元から切り離され、上から降ってきた。
「………のわぁあああああああああっ!? な、なんでそんなのが上から降ってくるのよぉ!?」
「たくや様、お下がりを!」
「―――――ほえ?」
斬ったはずが無いのに斬られた腕が目の前に落ちてきたことで混乱しかけていたあたしの耳に、ジャスミンさんの鋭い声が突き刺さる。その声に従い、反射的に後ろへ飛び、モンスターの体から離れたジェルをコボルトに抱えて離脱させるとその直後、周囲の空間が膨大な魔導式で埋め尽くされた。
「荒れぶる戦神・天翔ける雷神・その手に握りし黄金の鉄槌を今・虚空の彼方より振り下ろさん」
げ……その呪文はもしかして………!?
あたしが斬ったのかよく分からないけれど、失った右腕からの出血を止めようと脇に手を挟んだまま動きを止めているモンスターを中心に、ジャスミンさんが紡いだ魔導式が展開されていく。
感じられる式の構成は雷。しかも加圧に加圧を重ね、対象一体に膨大な魔力で生み出した電撃の全威力を叩きつける強力無比の攻性魔法だ。
「ちょ……ちょっと待ってぇぇぇ〜〜〜〜〜!!!」
追いついてきたジェルとコボルトを魔封玉に戻すと、あたしは背中を見せて一目散に駆け出した。そして―――
「滅べ・砕けろ・神々の園より・下れ・神槌―――トール・ストライク!」
「きゃああああああああああああ!!!」
あたしの背後で炸裂した電撃系最強魔法の余波で、あたしの体はまたもや吹っ飛ばされてしまった。
「―――申し訳ありません。あのオーガを確実にしとめるためにはあのクラスの魔法を使う以外に手を思いつきませんでしたので」
「もう済んだ事だし、たいした怪我もしなかったから構いませんって。はは…あはははは……」
後始末は大変だろうなぁ……街の中にこんな巨大なクレーター作っちゃったんだし。
対象がモンスター一体だったとは言え、最上級の攻撃魔法の余波はその周囲に深い爪あとを残していた。電撃を受けた地面は石畳が粉々に粉砕し、地肌を見せた地面までもが大きくすり鉢上に抉れている。
周囲の建物の窓と言う窓が吹き飛んだり割れ飛んだりしているし、基礎の辺りにもなんか危なそうな亀裂が入っていたりする。ここに住んでいる人たちが戻ってきても……とても住めるとは思えない。
けれど、肝心のモンスター――オーガの死体はどこにも見当たらなかった。
電光の速度で撃ち付けられるトールストライクを回避するのはほぼ不可能だ。だとしたら……跡形も無く消し飛んだか、まだ息があって逃げ出したか……恐らくは後者の方だ。あたしの直感ではあるけれど。
「誰が建物壊したかは黙っていれば分かりません。証人はたくや様しかいないので、できればご内密にしていただけるとありがたいのですが」
「ははは……まぁ、モンスターがやったって事にしとけば……あはははは……」
こうなったら笑うしかないとは言え、あたしの声も少々乾いている。―――だまし通せるかなぁ……
「それよりも……どうしてお戻りになられたのですか」
爆風で地面を二回三回と転がったあたしにたいした怪我がない事を確認すると、ジャスミンさんは疲れが見える顔をきりっと引き締めて、問い詰めるようにあたしをにらみつけた。
「だって……街がモンスターに襲われてるし、あたしにもなにかできることが無いかなって…それで……」
「―――失礼ながら、街の外におられたのならば、たくや様はそのまま他の街へ避難されるべきでした。神官長が御身を心配して別の冒険者の方を向かわせていたはずです。彼らと共にここを去り、安全な場所で――」
「で、でも!」
それでもあたしは何かしたかった。めぐみちゃんや神官長、ミッちゃんや綾乃ちゃん、静香さんにジャスミンさんだっている。知ってる人が大勢街の中で困ってるのに、あたし一人だけ逃げるなんて……そんな事、したくない。もしやっちゃえば、あたしは本当にただの弱虫になっちゃう気もするし……それに、それに……
必死に言いすがろうとするけれど、言葉がノドから上手く出てこない。次第に声も小さくなり、地面へと視線を落としてしまう。
「今からでも遅くはありません。街を離れた住民の方々を追うのは危険ですが、いざと言うときのために街の中にも避難場所を確保してあります。そこで安全を確保してから街を離れてください。よろしいですね?」
「……………」
目を伏せたまま動けない。既にみんな安全な場所に逃げ出してるなら、今はジャスミンさんの言うとおりにした方がいいって頭では理解しているのに、あたしの体は動こうとしない。
「だったら……」
せめて……と、自分の中で決めた逃げ出すための最低条件を言葉にする。
「だったらジャスミンさんも一緒に。そうじゃなきゃ、あたし、ここから動かないから!」
「たくや様!」
「だって!」
もう、自分で自分の感情を抑えられない。
恐くて、それでも必死にフジエーダに戻ろうって頑張って……いつものあたしらしくない、危ない事だっていっぱいやって、その間中ずっと押さえ込んでいた感情が一気に吹き上がってくる。
「………だってジャスミンさん、一人で戦ってるじゃない。さっきだって危ない目に会ってたじゃない。それなのにあたし一人で逃げる事なんて出来ない。絶対にイヤッたらイヤ!! あたしだって戦えるから。誰かのために何かが出来るから!」
「ですが……この戦はもう負けが確定しています。門は破られ、多くのモンスターが街へ侵入を果たした以上、もう逃げる事しか道は残されていません。お願いです、あなた様を見初めた静香様のために、そしてあなたを危険な目にあわせるわけにはいかない私のためにも、今はどうか私の言葉を……」
「だって…だって……」
ジャスミンさんはあたしの肩に手を置き、やさしく諭してくれるけれど、納得はいかない。だって、あたしが逃げればその分だけジャスミンさんが危険な目に会い、怪我をするかもしれない。……その方がずっとイヤだ。
ジャスミンさんが正面からあたしを見据えたまま、ここが戦いの場と言うことも忘れるほど静かな時間が流れていく。お互いの意見が相容れない以上、これ以上言葉を交わしても意味が無いのかもしれない。けど―――時間は止まっているわけじゃなく、ゆっくりとだけど確実に動いていた。
「―――!? ジャスミンさん、逃げて!」
首筋に冷たいざわめきが駆け抜ける。それが意味するものが何か、それを理解するよりも先に動いた体はジャスミンさんに飛び掛ると、二人折り重なるように地面へ倒れこんだ。
―――爆音。いや、振動音といったほうが正しい。一瞬遅れて、今まであたしたちがいた場所に不可視の衝撃波が叩き込まれる。
「攻撃魔法!? なんで、ゴブリンやコボルトばっかりなのに……」
ゴブリンの中にも魔法を使う者はいるけれど、依頼を受ける前にこの辺りにそんな高等種いないと神官長から聞かされている。それならここにいるのは……
「魔法使い……なんでこんなところに」
「お下がりください。恐らく敵方の将でしょう。今ならまだ間に合いますから――」
―――逃がしはしませんよ。クラウディアの姫君
「こ、この声……」
体勢を立て直し、不気味な男の声が聞こえた方へジャスミンさんともども視線を向ける。
そこにいたのは、見るからに怪しい黒いローブで全身を覆った男だった。背後にはこれまで街中では姿を見せなかったオークたちを引き連れているところを見ると、魔法で気配を隠して近づいてきたようだ。
そうなると、さっきの攻撃がこいつなんだから……出来れば、お友達にはなりたくないタイプよね……
もはや言い争いをしてる場合ではなくなり、あたしはショートソードの柄に手を添え、手の中の二つの魔封玉を握り締めて、その存在を確かめる。望んではいなかったとは言え、あたしと並んで戦うことになたジャスミンさんも突然現れた「敵」に意識を集中し、体の内側から他所の休憩で回復したばかりの魔力を噴き上げ始めていた。
「そのように警戒なさらずとも、これ以上攻撃はしませんよ。―――静香姫が私と共に来てくださいすればね」
………うわ、なんか今、スゴく嫌な予感がしたんだけど……もしかしてこいつ、あたしと静香さんの事を間違えてない?
「既に水の神殿は申し上げたとおり、占拠させていただきました。なぁに、三日もすればお返ししますよ。あなた方の態度次第ではね。―――ではもう一つ、所望したものを頂くとしましょうか」
ヤバい。……主導権は相手に掴まれてる。この場は一旦引いて………
「ウゴォァアアアアアアアアアッ!!!」
どう見ても不利な状況から逃げ出すべく視線を周囲に走らせると、ほぼタイミングを同じくして黒ローブの男の背後に並んでいたオークたちが、手に魔法文字を刻み込んだ木製の盾を手にして前へ進み出てきた。
「この盾には耐雷撃の紋章を刻み込み、私が魔力を流し込みました。オークともども使い捨てとは言え、今のあなたに打ち倒せますか? く…くくくくく……」
「―――ディグボルト!」
男の安っぽい挑発に乗ったわけじゃないだろうけれど、ジャスミンさんがいきなり電撃の魔法を発動させる。かなり魔力を上乗せして、低級ながらかなりの威力を秘めた電撃は指先からオークたちへと疾走し………一匹のオークを吹き飛ばしながらも、電撃自体も軌道をそらされて通りの左右に並ぶ建物の一つへと突き刺さってしまう。
「たいしたことはありません。威力を完全に殺せないようでは、やはり半端ものですね」
「ほう……さすがさすが。クラウド王国にその人ありと称させる電光の魔術師殿。その力量、その美貌、静香姫ともども手にいれたくなってきましたよ」
パンパンと手を叩いて賞賛を送る黒ローブの男だけれど、声にはあざけりの感情を含んでいる。―――やれるものならやってみろ、と。
確かにジャスミンさんの電撃は強力だけど、オークたちは的になるために前に出てきたわけじゃない。一匹減った分の隙間を埋めると、盾と盾の間から鋭い穂先の石槍を突き出し、奇声を上げてあたしたちへ向けて突っ込んでくる。
「さあ、どうします? 粗末な武器でも、刺されば死んでしまうかもしれませんね。せいぜい頑張ってあなたのお姫様をお守りください。ク〜ックックック」
「き…貴様ぁ!」
珍しく、ジャスミンさんが怒りの感情を露わにするけれど、今はそれが命取りだ。集中は乱れ、呪文の詠唱のわずかな遅れが相手に攻撃を与える隙になる。
それなら―――
「ジェル、あいつらを足止めして!」
あたしは透明の魔封玉を突進してくるオークの足元へ投げつける。直後、まるで殻から赤みがあふれ出るかのように、粘液状態のジェルが地面へ素早く広がっていく。
足にスライムが触れたオークたちの動きは急激に鈍くなる。自分の意思もなく命じられたままに動くモンスターたちでも、さすがに隊列を崩し、足が溶かされていく痛みで醜い顔をさらに歪めて咆哮を上げる。
「オークには山ほど恨みがあるから……手加減なんかしてやらないんだから!」
動きが止まったオークならあたしで持たせる。この好機に切り込もうと、あたしは鞘からショートソードを引き抜いて両手で構える。―――――と、なぜか剣に刃がついていなかった。
「あれ? なんで、なんでぇぇぇ!?」
新品同様のショートソードーなのに、もう折れちゃったの!? 不良品だあ〜〜〜!!!
慌てて鞘をはずして逆さに振ると、粉々に砕けた刃の欠片が地面へと落ちていく。折れるどころか粉砕……不良品を通り越して、粗悪品だよ、これぇ!
「だったら……コボルト、手伝って!」
棍はジャスミンさんを助けるときに放り投げてから、まだ回収していない。残された攻撃手段は徒手空拳かロングソードを持っているコボルトだけとなったあたしは、黄玉石の魔封玉からコボルトを呼び出す。
「ほう……これはスゴい。呪文もなしにモンスターを召喚……いえ、空間の歪みも起きなかった。これは実に興味深い……私の物にした後、じっくりと調べさせてもらいますよ、静香姫」
「じょ、冗談にしちゃたち悪すぎだって! 絶対それ以上のこと調べるつもりでしょ!」
なんかこー粘着質なおぞましさに身を震わせながらも、あたしはコボルトと共にオークたちへと突っ込んだ。
今の身体能力ならパンチやキックでも十分に戦える。―――動けないオークたちにならそれも確かだったのだろうけれど……
―――開け・竜の顎
「!?」
「やれやれ、噂とは大違いのかなりおてんばなお姫様ですね。破壊王女と呼ばれるだけの事はあります。これは少々……調教が必要ですか」
オークたちの後ろから膨大な魔力が放出される。これがあの男の魔力だとすると……かなりの高位、賢者か大魔道師クラスの魔力量だ。
けど、あたしと魔法使いの間には相手のオークがずらっと並んでいる。この位置関係で、今唱えている呪文を使うはずがない。いや……使えないはずだ。さもなければ――
「ですがあなたと言う高貴な女性を我が物とできるなら、オークの二十匹など塵芥に等しい。さあ、跪きなさい。そして僕の――いや、私の寵愛を受け入れなさい。ハハハハハハハハハッ!!!」
こいつ……全然まともじゃない。本気で撃つ気だ!
ジャスミンさんもそれを悟り、唱えていた呪文を中断し、急いで防御用の魔法を展開する。それに倣い、あたしも自棄っぱちの突撃をやめてコボルト共に後ろへ飛び退る。そして――
「ジェル、急いで戻――」
後ろへ下がりながら手を伸ばし、オークたちの足を止めているじぇるをよびもどす。だけど―――遅すぎた。
「さあ、これが私の愛のムチです。ヘルファイア!!」
「ジェル!?」
あたしの眼前が一気に赤い炎で埋め尽くされる。地面から吹き上がった業火は仲間のはずのオークを巻き込みながらさらに強く燃え上がり、それでも飽き足らずに墨と化した半豚半人の体を原形すら留めぬほどに焼き崩していく。
そして焼き殺される運命はあたしのジェルにも覆いかぶさっていた。立ち上る爆炎の壁が相手では、広範囲に広がっていたジェルには逃げる暇さえない。いかにジェルが他のスライムより強くても、薄い状態では炎を浴びる事で一気に水分を失ってしまい、その力も生命も、一瞬にして焼き尽くされてしまうしかなかった……
「ジェル、戻ってきて、ジェル! ジェル!!」
―――あたしのミスだ。オークたちの突進を止めなければならなかったとは言え、相手に魔法使いがいるのに炎や冷気の弱いスライムを出したあたしの判断が、一番付き合いの長いジェルを……
あたしの頭には、それがものを言えないスライムの断末魔の悲鳴であるかのように鋭い痛みが突き刺さっている。そこへ――
「たくや様、横へ!」
「―――――ッ!!」
ジャスミンさんの指示が飛ぶ。
今は落ち込んでなんていられない。動きを止めようとする脚に悲鳴を上げさせながら横に跳び、地面へ体を投げ出す。
その直後、あたしが今いた空間を突き抜け、幾重にも絡まりあった電撃の大槍が炎を切り裂いた。―――貫通力と威力を併せ持つ、サンダーランスの魔法だ。
黄金の輝きを放つ雷の槍は一直線に魔道師へと飛ぶ。
まさに電光の一撃。
余波は圧力となり、周囲の空間を震わせる。地面を、炎を、あたしの体をも震わせる電槍の威力は、いかなる防御も貫く必殺の威力を秘めている。
「は」
それに対し、黒い魔法使いの声で聞き取れたのは、わずかにそれだけだった。
左右に分かたれた炎の向こうに刹那の間だけ垣間見えたのは、右手を前に突き出しただけの姿勢。―――それだけの動きで、電撃の槍はその姿を維持できなくなってしまう。
「なっ……!?」
ジャスミンさんが必殺の意思を込めて放った電光の槍は、高く澄んだ音を響かせて砕け散った。遅れて、その魔法を構成していた魔力は強い風となって周囲に吹き荒び、残ったのは焼け焦げた地面と、何事もなかったかのようにその場を動かなかった黒衣の魔法使いだけだった。
「ジェル……」
当然、そこに仲のよかったスライムの姿は無い。
失ったスライムの名前を呼んでも、もう戻ってはこない。
いつもよく弾む小さな体を乗せていた肩が急に寂しくなり、あたしはそっと肩鎧の上からそこへ手を置いた。
「これは驚きましたね。なかなかの威力ですよ、なかなかの。主の為とは言え、まだこれだけの魔力を搾り出せるとは、本当に驚きです。―――ですが、それも限界のようで」
「あ………ジャスミンさん!?」
くぐもった魔道師の笑い声では以後の様子を悟り、振り返ると、額にびっしりと汗をかいたジャスミンさんが前のめりに倒れようとしているところだった。
その体を腕を伸ばして受け止める。背中へ回した手の平には、スーツ越しにでさえも汗の湿り気が感じられる。こんな状態では戦うことは出来はしない。それよりも一刻も早くポーションを飲ませるか休ませるかしないと……
けれどあたしの荷物も、棍と同様にその辺りに放りっぱなしになっている。今から探す時間はないし、捜させてくれるとも思わない。
「無駄な抵抗をしなければ、そのような目に会わずとも済んだものを。私には勝てないのに…ククククク……」
「………それ以上、ジャスミンさんを笑わないで」
ジャスミンさんを地面へ横たわらせる。―――まだ辛うじて意識は残っているようだけど、精神力は尽きかけている。これ以上戦わせるわけにはいかない。
「―――コボルト、魔封玉に戻って」
このまま戦場に立たせていても、ジェルの二の舞になるだけのコボルトを魔封玉に封じると、その場に残されたロングソードを両手で構え、切っ先を魔道師へ向ける。
「何をなさるおつもりですか? 返答次第では……いくらあなたでも、手荒な手段をとらざるを得なくなりますよ? できれば無傷のまま、私の元へ来て欲しいのですがね」
「イヤよ。あたしが欲しいって言うんなら……全力で抵抗してやる!」
一歩。―――ジャスミンさんの元から焼けた地面を跳び、魔道師へ一瞬にして肉薄すると長剣を下から上へ振りぬいた。
「なっ……」
さすがに一歩で跳ぶには間合いが遠すぎた。切っ先は浅くローブを切り裂いただけにとどまり、返す刃は驚きながらも地面を滑るように遠ざかる魔道師へは届かない。
「き、貴様……よくも僕に剣を向けたな!?」
急に、魔道師の呼び方が「私」から「僕」へと代わることに疑問を覚える。―――けれど、それを気にするのは後回しだ。
先ほどの動きを見る限り、もう奇襲は通用しそうに無い。多少魔道師の怒りを誘い、その集中力を乱すことには成功したけど、あたしに取れる対抗手段は……もうこれしか残ってない。
「今まで大目に見てあげていましたが、もう許さないよ。僕の物にならないなら、痛い目を見てもらうからな!」
まるで子供の駄々だ。けれど、徐々に魔道師が本性を見せるにつれて、何故か疑念だけが胸の中で膨らんでいく。
―――あたし、こいつに何処かであった事があるかも……
聞き覚えのある声。聞き覚えのある口調。―――最近、思い出したくないことばかりが多すぎるせいで、早々に忘却した「誰か」……それを必死に思い出そうとしながらも、あたしは魔封玉を手の中に出現させる。
ジェルが失われ、コボルトは戦力にならないと戻した。そして、あたし一人の力ではどうしようもなくなった以上……切り札は、この魔封玉の力だけだ。
「出てきて、ミストスパイダー!」
いつまでも大蜘蛛と呼ぶのは格好がよくない。以前から考えていた名前で呼びかけて魔封玉を前へ投じる。そして、今までその力の強さのために呼び出すことを躊躇っていた霧の大蜘蛛を、ついに呼び出した。
―――――そのはずだったんだけど、
「あ、あれ?」
一瞬の青い光の後、現れたのは蜘蛛だった。ただ……とても大蜘蛛などとは言えない、せいぜい手の平サイズの大きめで大きいとは思うけれど、とても戦力にはなりそうに無い蜘蛛だった。
お腹が黄色く透き通っていてとても綺麗ではあるが、どこからどう見てもガーディアン・ルークと正面からやりあった巨大モンスターには見えない。
「え…えっと……」
ここは……大きさだけが実力じゃない。小さくても秘めた実力はスゴいんだと信じて命令を下すしかない。せめて隙でも作ってくれれば、後はあたしが飛び込んで切り伏せる事も出来る。
「うっ……」
迷っている暇はない。戸惑っている時間もない。―――それでも、何の戦闘力も持たないことが見ただけで分かるこの蜘蛛に、あたしは戦えと命じる事が出来ない。
「……………あ〜〜〜、もうこうなったら!」
残された手段は剣で戦うことだけだ。
あたしは剣を握りなおすと、強く地面を蹴って魔道師へと駆けて行く。もう蜘蛛の事は忘れ、ただ一心に急ぐ事だけを考える。
人を斬る事になっても。ジャスミンさんだけでも助けるために。あたしがここへ戻ってきた意味を示すために。
―――けれど、あたしの甘さが何もかもを台無しにしてしまう。
ジェルが焼かれ、ジャスミンさんが倒れ、呼び出した蜘蛛に自分の代わりに戦えと命じられなかった。
その全ての甘さが……衝撃の矢が腹部へ突き刺さるという現実へと繋がってしまう。
「あ―――――」
動きが止まる。
外傷は無い。魔道師が放った魔法の矢は、全力で拳を叩き込むような衝撃をあたしの腹部へと与える。
剣が手から滑り落ちる。
呼吸が出来ず、お腹を抑えることも出来ずに、ゆっくりと地面へ倒れこむ。どんなに頑張っても、もう指一本動かせない。―――そう、あたしは負けたのだ。
「こ……この……僕の手をここまで煩わせるなんて。―――だが……ついに、ついに手に入れたよ。僕の花嫁を。はは……ハハハハハ!! これで世界は全て、なにもかもが僕の物になるんだ。ヒャ〜〜〜ハッハッハッハッハ、ハハ、アハハハハハハハッ!!!」
…………思い出した。この……笑い声………
何で最初に気付かなかったんだろうか。この嫌気がするような笑い声………娼館に来た、あの眼鏡をかけた嫌な客だ。
「―――――………」
でももう…名前も思い出せない。
意識が途切れようとしている。もしかしたら……これで何もかもが、本当に終わってしまうのかもしれない、そんな思いを抱きながら、静かに暗い闇の底へと意識が落ちていった―――
「たくや様……………くぅ…おのれ……!」
たくやが自分のみを犠牲にして時間を稼いでくれたおかげで、ジャスミンは何とか逃げ出せていた。
けれど、将来静香の夫となるであろう――そのためには色々と解決しなければならない問題が山積みだが――たくやを助けだせなかった。その全てを自分の責任としたジャスミンは、強く奥歯を噛み締める。
「これで終わりではありません。……きっと、きっとお救いいたします……」
強い意思を込めた言葉は、自分自身への誓いとなる。
いずれ黒衣の魔道師と再戦には必ず勝利する。その事を強く心に刻み付けていると、誰かの足音がジャスミンのいる場所へと近づいてくる。
「ジャスミン様、どこにいるんですか、ジャスミン様ぁ!!」
追っ手かと思い、物陰へ身を潜めたものの、そこに来たのは水の神殿で何度か顔をあわせた事のある僧侶のめぐみだった。
「めぐみさん……どうしてここに?」
戦闘が出来ない僧侶は、住民と共に避難しているはずだった。あちらには癒し手がいくらいても足りないほどだし、めぐみの性格からしても戦いに戻ってきたとは考えにくい。
(―――たくや様の性格は読み違えてしまいましたけど)
ジャスミンの中で、まだ何処かにたくやへの不信が残ってはいなかったか……もしあの時、共に戦うことを提案していれば、連携を取って魔道師を倒せていたかもしれない。―――そんな仮定の話を振り払うと、ジャスミンは涙ぐみながら必死に自分を探しているめぐみの前へ姿を見せた。
「あ………よかった…私…私もう……どうしていいか分からなくて……」
「落ち着いて。モンスターは引き上げ始めたようですが、ここが危険な事には代わりが無いのですから」
レンズの向こう側では、めぐみの瞳には大量の涙が溢れかえっていた。よほど恐い思いをして戻って来たに違いない。………なら、それに見合うだけの「何か」があったはずだ。
「何があったのです。避難した人々に何かがあったのですか? それとも――」
「あの……静香様が、静香様が…………いなくなっちゃったんです!」
「………な…なんですって」
「静香様が乗ってるはずの馬車の中が空っぽで、だけど騎士の人たちは皆を守らなくちゃいけないから、だから、だから私が、ジャスミンさんに伝えようと思って、だから!」
言葉を伝えようとするめぐみの言葉は、ほとんど叫び声に近かった。
けれど静香が疾走した事にショックを受けたジャスミンに、その声はほとんど届いていなかった―――
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