第九章「湯煙」裏1


「いらっしゃいませ。本日は私、ルーミットにご指名をいただきありがとうございます」
 ―――と脱衣所で三つ指を付いて男性をお迎えしたのはもう何度目になるだろうか。
 旅をするにはお金がいる。……この町についてから、その事をいやと言うほど思い知らされた。
 基本的なところで食費に宿代。さすがにあたしと綾乃ちゃんの女の子二人旅で毎回野宿と言うわけにもいかない。特に綾乃ちゃんは体力がある方じゃないから、休めるときには出来るだけゆっくりと休ませてあげたい……と思うのが、男の甲斐性と言うものだろう。体は女だけど。
 フジエーダの街では娼館に借金もあったけれど、収支的にはしばらく旅をするには十分な額の金額を稼ぐ事が出来ていた。このお金で綾乃ちゃんの旅支度を整えても、冒険者ギルドのある街までは辿り着ける……と考えていたんだけれど、思わぬ事態により手持ちのお金が全て吹っ飛んでしまった。
 ―――物価の高騰である。
 何しろ隣の街のフジエーダが佐野が率いるモンスターに襲撃され、半ば壊滅させられてしまったのだ。食料や資材、武具などの値段は跳ね上がり、街全体としても水の神殿への巡礼客で潤っていた温泉町も客足が減少によって収入が減り、かなり物々しい雰囲気が漂っている状況になっている。
 そのおかげで、少し程度は落ちるけど一般的な魔法使い用装備一式を買い揃えただけで財布の中身はすっからかん。旅装束でない綾乃ちゃんの姿に足元を見られたこともあったけど、相場の三倍の値段にあたしは頭を抱える事となった。
 ―――どうしようか……
 お店の人に頼み込んで足らない分の支払いは待ってもらったけれど、右も左も分からない宿場町ではフジエーダのようにどこかで仕事をもらうわけにもいかないし、冒険者ギルドがあるのはまだ先のほうにある街だ。「冒険者」と言う肩書きがある程度の信頼を生んでくれてるから武具屋さんでの支払いを待ってもらえたけれど、払うまではこの街から一歩も出ることは出来ない。それをしてしまったら、あたしは立派な犯罪者の仲間入りをしてしまう。
 ―――今の街の状況では安全なバイトなんて早々には見つからないし……残る手段は……
 歩き旅は初めてと言う事で、疲れてはいるけどどこか嬉しそうな綾乃ちゃんに心配をかけるわけにはいかない。はてさて、どうしたもんだと途方に暮れている時に、あたしの目に飛び込んできたのが……この町の「温泉娼館」の看板だった。
 実際の話、いきなり「仕事させてもらえませんか?」と訊ねて行っても、仕事なんかないだろうな〜……と思ってたんだけど……思っていたのに………
『あなたがあのルーミット!? 知ってる知ってる、フジエーダにスゴい新人が現われたって、こっちの町でも結構噂になってたのよ。助かるわ〜、こんな時に来てくれるなんてアリシア様のご加護だわ。ウチの店の娘たちが何人か田舎に疎開しちゃってさぁ、少ない人数でローテー組んでんの。しばらくいるんでしょ? お金は奮発するからさ、ね、ね?』
 ………嫌な名声だけ先歩きしてるなぁ……あたしって、噂になるぐらいのスケベ女って…わけ…か……は、ははは……
 これも娼婦許可証による信頼の証……なのだろうか。あたしが「ルーミット」と言う名前で「仕事」をしていたことはすぐに確認され、あれよあれよと言う間に「お仕事」をすることは決定してしまったのだった……とほほほほ……
 だけど泣いてばかりいるわけにはいかない。
 仕事の約束をしたのは一週間。その間は綾乃ちゃんも「娼婦見習い」として娼館内の掃除や炊き出しを任されている。
 これ以上男の人に体を汚されるのは血の涙を流しそうなぐらいに嫌な事ではあるのだけれど、あたしだけじゃなくて綾乃ちゃんのためでもあるのだ……そう心に誓い、心の中で歯を食いしばり、苦悩を笑顔の裏に隠して今日も三つ指を突いて、お出迎えを―――
「ルーミットさん、ボカぁ、ボカぁもう―――!!!」
 入ってくるなり襲い掛かってきたのが弘二だと気付いた瞬間、あたしはそのアゴめがけて拳を突き上げていた。



「ごめんなさい。だっていきなりだったから変質者かと思っちゃってぇ♪」
「気にしないでください。ルーミットさんになら何発殴られたって全然ヘッチャラですから。むしろ殴ってください!」
「このお店は無理やりするのはいけないんですよ。気をつけてくださいね♪」
 ―――何でこんなに元気なんだろう……フジエーダの戦場に簀巻きで放ったらかしにしてたのに。………てか、ブリッ子言葉にサブイボが出そうぅぅぅ!
 感情は表に出すまいと決めていたけれど、弘二の背中を柔らかいスポンジで洗っている間にどうしても顔が引きつってしまう。幸いにして弘二の後ろにいるから、今にも怒鳴りつけてぶん殴ってしまいそうなあたしの表情を見られずにすんではいるが、このうかれポンチには言いたい事が山ほどある。
 ―――どうして世の中はこの強姦魔を野放しにしておくんだろうか!
 そう言えば弘二に無理やり犯された後はフジエーダの街がそれどころじゃなくなっていたんだ……
 弘二の運のよさと、そんなヤツに付き回られてる我が身の不運に心の中でため息を突く。ついでに、これから弘二とエッチな事をするかと思うと………そういえばこう言う時、女の人なら「はじまっちゃいました♪」とか言って仕事を逃げ出してた娼婦の人がいたような……
「そういえばルーミットさんはフジエーダにはおられなかったんですか?」
「え?……ええ、まあ」
 タイミングを逃した言葉を飲み込み、弘二が振ってきた話題に変な答えを返さないように身構える。
 娼館の建物には「認識阻害」の結界が張ってあり、娼婦は建物の中と外では別人として客に認識されている。けれど「実は同一人物なんです!」と告白したりして、同一人物である事が知られた途端、その客相手には認識阻害の効果が効かなくなって正体がばれてしまう。
「あたしは、その……た、旅をしてるんです。いますから同じ街にずっといるわけじゃないんです。大変だったみたいですね、フジエーダ」
 それほど身構える事無いんだけど、あたしとルーミットが同じだと言う事を知られたくない気持ちが、当事者の一人だったのにまるで他人事だったかのようなウソの言葉を言わせてしまう。
「じゃあ他の街でもルーミットさんに会えるんですね!?」
「………へ?」
「実は僕、迷っていたんです。ルーミットさんに会うにはフジエーダにずっといなくちゃいけないのかと。でも旅を宿命付けられた僕は一つの場所へとどまれず……だけど、行く先々でルーミットさんに会えるなら、こんなに嬉しい事はありません!」
 え……あ、そういえば…そうなるの……かな?………うわ、物凄くヤバい事を言っちゃった!?
「僕はこれからクラウディアの方へと旅をするつもりなんです。ルーミットさんはどっちに向かうんですか?」
 と言うと弘二が首だけを振り返らせ、スポンジ片手に戸惑っているあたしの顔を見つめてくる。
「え…えっと…あ〜…そりは……」
 すぐに答えを返せない。スポンジを持ってないほうの手の人差し指を頬に当て、明後日の方向へ視線を泳がせながらなんと答えるべきか思案するけど……ダメだ。うまく誤魔化す言葉も話題も思い浮かばない。
「北ですよね?」
 椅子へ据わった体を九十度回転させ、言いよどむあたしへ弘二が詰め寄ってくる。―――だから、あの、股間の大きくなってるソレを隠して欲しいんだけど……
「あ、あの………」
「北、です、ね!?」
 何も言えずにただ固まっているあたしの両手を弘二が握り締める。顔も今にも唇が触れそうな距離にまで詰め寄られてしまい、力強く尋ねてくる弘二の声がやけに大きく温泉個室に響いている。
 そして―――
「………う…うん」
 ―――押し切られる形で、あたしは顔を縦に頷かせてしまう。
「あたしもクラウディアへいくつもりだけど……だからってそんな、追っかけてくるわけじゃ―――」
「追っかけます! ルーミットさんがいくところへならどこへでも。僕とあなたを結ぶ赤い糸は必ず僕らを出会わせてくれる運命にあるんですから!」
 他の街の娼館ででも弘二と……………い、いやだ、そんなのヤダヤダヤダぁぁぁ!!!
 それはもう追っかけとか言うよりストーカーと言った立派な犯罪じゃないんだろうかと首をひねりながら、そういえばこいつは「たくや」のあたしにも似たような事を言ってたんじゃなかったっけとむかっ腹を立てる。
 ―――判決。弘二は結構浮気者だ。てな訳で、少しはこちらからも口撃させてもらわないと……
「でも、弘二さんにはいい人がいるんじゃないんですか? 噂ではフジエーダの街にはある女の人を追いかけてやってきたとか……」
 口からでまかせ。女性を追いかけてきた程度の噂が流れるほどフジエーダは狭い街じゃない。………が、そんな事は露とも知らず、情熱的にあたしに語りかけていた弘二は冷水を浴びせかけられたかのようにカチーンと凍り付いてしまう。
 ………もしかしてこれは、弘二を真人間に戻すチャンス?
 弘二が惚れている二人の女性は、娼館の中と外の違いはあるけれど、両方あたしだ。ややこしいけれど、うまく話を持っていけば、少なくとも「ルーミット」の追いかけはやめてもらえるだろう。
「もう……だめですよ、そんなの。好きな人がいるのにあたしの事を追いかけてばかりいちゃ。その人、弘二さんの事を嫌いになっちゃうかもしれませんよ」
 ―――うわ〜、自分の口で言ってるとは思えない台詞だ。「弘二さん」って言うたびに背中がムズムズする…!
 だけど、効果の方は抜群だ。固まったままの弘二は二度三度と衝撃を受け、あれほどいきり立っていたモノまでしょんぼりとしぼんでしまっている。その様子に確かな手ごたえを感じたあたしは隠しきれない喜びを口元ににじませ、あたしの手を握っていた弘二の手を逆に握り返す。
「もうこんなところに来ちゃダメ。その人に変な誤解をもたれたくないでしょ? だったら……」
 握る手から右手だけを離し、ぶるぶると今にも崩れ落ちそうなほどに力なく震えている弘二の頬を包み込むように撫でる。
 少しかわいそうな気もするけれど、これもあたしのため、引いては弘二のためでもある。弘二にはあたし以外の人を好きになってもらうために……そうでなければ、あたしはいつまでも男に言い寄られる事になる。そんなのは可能な限り御免こうむりたいのがあたしの本音だ。
 ―――でも、これで弘二もちょっとは懲りるだろう。
 楽天的とも言える弘二は、今まであたしに嫌われるなんて考えた事はないはずだ。だけどこうして「あたし」自身の口から可能性を示唆したのだから………
「………わかり…ました」
 前髪で目が隠れてしまうほどうつむき、ショックを受けていた弘二に指に力がこもる。そしてゆっくりと顔を上げ、
「ルーミットさんが僕の事をそこまで真剣に考えてくれてるなんて……感激です! やっぱりボクの事を愛してくれてたんですね♪」
「………は?」
 なんで…今の話の流れでそうなるの……?
 顔を上げた弘二の目にもはや迷いはない。それどころか、温泉個室に入ってきたときよりも真剣なまなざしであたしの事をまっすぐに見つめ……一緒に、股間の方もアレも、急速に元気になって………う、ウソ…前よりも大きくなってない!?
 湯気に包まれて薄衣一枚の舌に汗をかいている体が硬くなる。緊張するのは今度こそあたしの番だと言わんばかりに弘二は身を乗り出してきて、その圧力負けたあたしは右手を洗い場の床に付いて体を支えなければならなくなる。
「あの……あたしの話、ちゃんと聞いてたよね?」
「もちろんです。ルーミットさんのおっしゃった一言一句、ちゃんとボクの胸に刻み付けてあります」
「じゃあどうして……外に、好きな人がいるんじゃないの? 自分で言うのもなんだけど、あたしはお金で……」
「今の僕にはあなたしか見えていません! ルーミットさん、貴女を一番愛してます!」
「…………………!!!」
 ―――な……何言ってるのよ、この馬鹿。なにが「今の僕には」よ。どうせ娼館の外であったら、「たくや」のあたしが一番好きだって言うに決まってるのに……ああもう! あたしまで頭の中がこんがらがって……どうして弘二の顔を見てるだけで……こんな………!
 弘二の顔をまともに見ていられない。なぜか恥ずかしくなって、熱を帯びて行く顔を背けてしまうと、あたしはそのまま浴場の床へと押し倒されてしまう。
「弘…二………」
 あまりにまっすぐに見つめられ、まっすぐに告白され、あたしの感情は来るってしまったのかもしれない。薄衣だけをまとった体を横たえた途端、早鐘のように鼓動する胸の高鳴りが全身へと広がって行く。
 ―――あたしがどういう人間かも知らないくせに……
 ―――あたしが何を考えてるかも知らないくせに……
 ―――あたしが……本当は男だって知らないくせに……
 それなのに、
「なんで……そんな事が言えるのよ……」
 胸が高鳴っている。……それは隠しようもない事実。何人もの男の人に愛を囁かれてきた耳の奥に弘二の声がずっと木霊し続けていて、どんなに強く歯を食いしばっても、柔らかい膨らみの下でギュッと緊張した心臓が熱を帯びた血液を全身の血管へと送り込んでしまう。
「や……やめて……ここは娼館で…あたしは娼婦で……ただお金で、愛なんかなくて、ただそれだけの関係で……」
「僕を愛してくださいとは言っていません。僕がルーミットさん、あなたを愛している事だけが全てなんです」
「………この博愛主義者」
「何か言いましたか?」
「………なんでもない」
 ―――弘二のヤツ、真顔であたしに二股して、とんでもない事を言って………今の内に何処かの山の中に埋めてた方が世界平和に繋がるかも………
 顔と体の火照りに比例して、この状況を何とかしたいと言う気持ちが考えをかなり物騒な方向へと向けてしまう。けど……今、弘二の顔を見たらあたしは何も出来ないんだろうな……と考えていると、
「―――――――――ッッッ!!!」
 いきなり冷たいものが胸の谷間へ落とされる。見ると、あたしが「お仕事」用に傍らへ用意しておいた桶の中からネットリとしたローションを弘二が手の平いっぱいにすくい取り、薄衣が汗を吸って張り付いている膨らみへと垂らしていた。
 最初は少しずつ、そして大量に……冷水のような冷たさのローションが衣にしみこみながら胸に、そして脇やお臍に広がっていく感覚に、すっかり火照りを帯びていた体は震えを止められない。指を間で溢れそうになる喘ぎ声を噛み殺したあたしは、責めるような涙目でやっと弘二の顔を見上げる事が出来た。
「僕はあなたを愛しています……ええ、他の誰よりも、僕はルーミットさんとこういう事をしたいんです!」
 手桶の中のローションを全てあたしの体の上へ滴らせた弘二の手は、拭いきれない粘液で覆われている。その手で、まるで今にも溶けてなくなりそうなほど肌に張り付いて透けている薄衣を……その衣が張り付いているたわわな膨らみを握り締められてしまう。
「ひ…アッ………アアアアアッ……!!!」
 指を押し返すような弾力のある膨らみが弘二の手の中で形を変える。途端に、乳首が薄衣を突き上げるほど鋭敏な反応を見せてしまったあたしは、嫌悪しているはずの弘二の手によって、何度も、何度も何度も繰り返し、あられもない喘ぎ声を白い湯気の充満した温泉個室の中に響き渡らせてしまっていた―――


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