第八章「襲撃」01


「ゴブリン退治…ですか?」
 一週間ほど頑張ったおかげで――「何を?」とは訊かないで…――借金完済も目前と迫ったある日の事、ミッちゃん経由で呼び出されて久しぶりに水の神殿へとやってきたあたしは、仕事机に狭そうに座る神官長から単刀直入に依頼を受けた。
「そうアルが、正確には違うアルね。ゴブリン退治を引き受けた新米冒険者の様子を見てキテ欲しいアル」
「あの…あたしも新米だと思うんですけど……それに、この街って冒険者ギルドがないんじゃなかったんですか? それなのになんでそんな依頼が」
 フジエーダが奉っている神様は水のアリシア。慈愛と豊穣を司る優しい女神様なのだが、争いごとが嫌いと言う教えなので冒険者ギルドを街においていないのだ。神殿では冒険者登録の業務もやっているので冒険者ギルドと繋がりも深く、こういう事があるのはアリシア神信奉の街だけらしい。
 聞いた話では、神官長も昔は冒険者として大陸中を冒険していたらしく、ギルドの建造には好意的なのだが、熱心なアリシア様信者の街の有力者が大反対しているそうな。
「まあまあ。本当なら、ソレは神殿の僧侶戦士や神官戦士の仕事だったアルヨ。フジエーダはたくさんの観光客が集まるから安全第一でないといけないアルから。ケド、その彼の熱意に負けてネ〜〜」
「………つまり面倒だから押し付けたと」
「ナ、ナンノコトアルカナ? ワタシ、ムツカシイコトバ、ワカラナイアルヨ」
 いや、片言言葉に変えたって動揺丸分かりだし。
 あたしも数日前までここに滞在させてもらっていたから神殿側の事情は分かっている。
 現在、水の神殿内には超大物VIPがご宿泊されている。クラウド王国の第一王位継承者、静香=オードリー=クラウディア様だ。けれどその静香さんはフジエーダに到着した直後に一人で街を出歩いた末に誘拐されてしまったのだからさあ大変。幸い救出が早くて彼女に怪我は無かったけれど、もし万が一のことがあれば国際問題に発展する可能性が非常に高い。下手したら戦争にさえなりかねない。
 そのため神殿の警備はいつも以上に厳しい。一応顔見知りのあたしが中に入るのにも、警備に立っていた神官戦士の人に軽い持ち物検査などを受けなければならなかったほどだ。
 その辺の事情を考慮に入れたとしても、今回の事は「自分の仕事を他人に押し付けた」ようにしか思えない話だ。しかも経験のある冒険者に正式に依頼するのなら話は分かるけど、冒険者になった直後の人間に仕事させているわけだから。―――でもまあ、ゴブリン程度なら初心者に任せてもそれほど危険は無いと思うけど。
「マぁ…渡りにフネだた事は認めるアルが、決シテこちらから押し付けたわけではないアルヨ。その冒険者の彼、近くの街の領主の息子さんデネ、頼みを無下に断る事がデキなかったアル」
「頼みって…ゴブリン退治させろって?」
「イヤイヤ。「早く一人前になりたい〜〜」言って何かサセろと駄々こねたアル。登録済ませた直後に神殿入り口で一時間ホド」
 うわ……なんつーかそれ、やだ。立派な営業妨害じゃない。神官長たち、ずいぶん困ったんだろうな……
「そんなわけで、そろそろゴブリンの繁殖期アルから彼に様子を見てくるか適度に追っ払うようにお願いしたアル」
 う〜ん…ま、事情は分かったけど……その「新米冒険者」って言うのが気になるな……なんか記憶の隅っこに引っかかるものがあるんだけど……
「期間は五日。範囲はこの街の周囲の森だけで良いと言っておいたアルが、一週間たっても報告にこないアル。だから何かあったかもしれないカラたくやちゃんに様子を見てきてもらおうと思ったわけアル。たくやちゃんもこれから冒険すルなら、最初は簡単な仕事からコなすといいアルよ」
「ちょ、ちょっと待って。帰ってこないって…それじゃ遭難!?」
「そうなんで……イヤ、冗談アル。おちゃめアル。だから拳骨は痛いからやめてアルぅ〜〜!」
「ったく……それより遭難したなら、あたしに頼むよりもっとたくさん人を集めないと!」
 森の中での遭難と言うのは非常に見つけにくい。例えば遭難者が雨露をしのぐために岩の窪みとかに入ってしまうとか、倒れているすぐ横を通っても茂みが深くて見つけられなかったとか、地形や植物が入り組んでいる場所での遭難者の捜索は困難を極める場合がある。だと言うのにこの神官長と来たら……
「マぁ落ち着くアル。その青年、三日前には街に戻ってきてるから遭難じゃないアルよ」
 なんて事を平然と口にして…………三日前!? なんで!? ゴブリン退治に出かけてたんじゃないの!?
「イヤァ、これがナカナカ向上心溢れる青年で、約束の五日を過ぎてもまた退治に出かけてくれたアルよ。けど放っておくのも色々問題があるアルし。ゴブリンを倒しすぎると街に報復しに来るアルから」
「はぁ……大事じゃないみたいだし、様子を見に行くだけなら……」
 できれば大事はもう二度と経験したくない。王女様の救出とか多額の借金とか。あたしの身体はそう言った大暴れには向いてないんだから……と、そういえばすっかり忘れてた。
「その仕事は引き受けますけど……あのエロ本どうしました? ここ最近姿を見ないんですけど……」
 あたしが神殿を出るときに預けていった――決して忘れていったわけじゃない――魔王の書の事を訊ねてみる。
 さすがに娼館に「あれ」を連れて行く訳にはいかない……もしそんな事をしたら、体がないくせに人並み以上のスケベ心を持つあいつがどんな騒動が起こすかわかったものじゃない。そういうわけで神殿を出るときに預けていったんだけど……
「おとナしくしてるアル。一度大暴れしたケド、男性僧侶が入った後の湯船の一晩経ってほのかに垢の臭いが香る湯に落ことシタら文句も出なくなたアルよ。だけど、おかげで書庫ですすり泣くから不気味でしょうがないアル」
「ははは……あたしだって嫌ですよ、そんなお風呂……」
「マぁ、あの本は責任もて預かておくカラ、若者探しをよろしく頼むアルよ。見つけたら一度神殿に顔を出すように言て欲しいアル」
「わかりました。神官長には色々お世話になってますし。準備したらすぐに出発します。………でも、なんであたしなんですか? この街ならギルドはなくても冒険者は何人もいるでしょ?」
「ハッハッハ、彼らに頼んだらこちらの尻の毛までむしられるほどにぼったくられるアルよ」
「確かに……で、あたしがもらえる報酬は?」
「………取るアルか?」
「と〜ぜん。……と言いたいんですけど、一つお願いを聞いてくれたら、それでいいですよ」
「も、もしかして愛人契約アルか!? いやいや、神に仕えるものとしてたくやちゃんの気持ちは嬉しいあるが、出来ればそういうことは神殿の外でしっぽりと」
 はっはっは、何を寝ぼけてるんでしょうこの肉だるま。お疲れ過ぎて頭が危ない世界に染まりつつあるんじゃないだろうか。
 眉がぴくぴくと跳ねるのを意識しながらも、叩き付けたい言葉を飲み込んで笑みを浮かべる。……男のときに比べて感情がストレートになってきてるなぁ……
「実はあたしの友達に生まれつき呪われてるって女の子がいるんです。この街にいるから解呪は試してるかもしれませんけど、出来れば力になってあげてくれませんか?」
 この友達と言うのは綾乃ちゃんのことだ。
 あたしはもうすぐフジエーダの街を旅立つつもりだ。彼女には色々教えて欲しいと頼まれてはいるけれど、魔法を使えないあたしに何が教えられるのか……結論、何もない。そんなわけで前々から神官長に頼もうと思っていたけどいい機会だ。身勝手なお願いかと思うけど、綾乃ちゃんの事を放っておく事も出来ないし、交換条件で一度でも綾乃ちゃんに会ってくれれば、きっと神官長だって気に入ってくれると思う。
「うむ、いいアルよ。今度つれてくるアル」
「………えっと、一応あたしも、神官長を説き伏せようって何通りか台詞を考えたりしてたんですけど……いいんですか? まだ何も言ってないのにそんなあっさり」
「構わないアルよ。たくやちゃんの事情と性格は知っているつもりアルし、たくやちゃんがそこまで親身になろうとする娘ならきっといい娘だろうアルから」
「さっすが神官長! 話がわかる!」
「ただし交換条件言う話アルから、今回のお仕事の報酬はなしアルよ」
 ま、それは仕方がない。あたしが言い出したことだし。
「それで構いません。綾乃ちゃん…その娘の事はミッちゃんに聞いてくれればわかりますから」
「それじゃたくやちゃんも依頼の方を頼むアル。初心者は調子に乗って引き際を間違えることが多いから少し急いで欲しいアルね」
「やるだけやってはみます。あまり期待しないでくださいね」
 そう苦笑交じりに言うと、あたしは扉から外へ出ようと歩き出し、ドアノブを掴んだところで重要な事を聞いていないのに気が付いた。
「そういえば、その人の名前はなんていうんですか?」
「弘二アル。クドーの街の弘二、見た目は貧弱アルからすぐに分かると思うアルよ」
 ―――しまった。この依頼、引き受けるんじゃなかった。





 あの神官長のことだ。あたしと弘二が旅の途中で出会っている事を知って、今回の話を持ちかけたんだろう。そうでなければ、あたしみたいに頼りないのに話を持ちかける理由が見当たらない。あの弘二なら頼まれなくてもあたしとの出会いを美化して話してそうだし。
 はっきり言って、弘二との事は甚だ迷惑な話だ。会う時はなにがしかのトラブルが起こっている時だし、あたしに求婚…結婚してくれって迫ってくるし。
 正直に言えば、慕われる事は素直に嬉しい。暴力的な幼馴染と超暴力的な姉に囲まれて過ごしてきた子供の頃から、かわいい弟や妹が欲しくて仕方が無かったし。―――だけど、あれはダメだ。他人の事を何も考えようとしないあの性格がどうにも受け入れることが出来ない。
 できればもう二度と顔も合わせたくない。スライムに襲われていたところを助けたりしなければよかった……そう思っていた奴ではあるんだけど、行方不明になっているかもしれないと考えると多少心配してしまうのはあたしの悪いところであり、後を追うあたしの足は自然と速まってしまう。



 フジエーダが水の街と呼ばれるのは水の神を奉っているとか地下水が豊富だからと言うだけでなく、いくつもの水源を街の近辺に持つことに由来している。湖に川、それらの水を引き入れ、街を取り囲む深い水堀や生活用水の水源として利用している他にも、物資の運搬にも利用されるなど、日常生活からして水と深い関わりを持っている。
 そして水との関わりは人間だけのものではなく、近隣に生息する野生の動物たちや魔族も利用している。その存在のカタチすら理解できない魔族ならともかく、ゴブリンなど比較的人間に近い亜人間系の魔族は生きていく上で、当然ながら物を食べれば水を飲む。時には人間の住む村や街を襲い、略奪を行う事もある。
 ゴブリンなどの魔族退治は、そう言った略奪などで被害が出ないようにする事が目的だ。人間の生活圏内から魔族を追い出し、生息する範囲を重ならないようにすれば、共存とはいかないまでもお互いを無視して生きていく事が出来るので、無駄な争いが避ける事が出来る。
 出立前に神官長から預かった地図には、フジエーダを中心にした大まかな探索範囲と道順とが示されている。弘二は最初の五日間で街の北から西にかけてのゴブリン退治――言い換えれば、ゴブリンたちが近づかないように人間の臭いをつけて回る仕事――を頼まれたらしい。
「そうなると……次はこっちの方かな」
 南の街道からあたしも弘二もやってきて、北と西の方とくれば素人考えで次は東。大きな湖のある方向だ。
 その考えは見事に的中し、街の東門の門兵が張り切って出かけて行く弘二の姿を覚えていた。
 弘二が街を出たのが二日前。湖は急げば一日で着く距離にあり、そこにキャンプを作って周囲の探索、と言うことになっている。
 とりあえずそこまで行ってみよう。……神官長から任された依頼は、まるで「自分で判断しろ」と言わんばかりに情報が断片的だ。けれど冒険者の仕事はいつも決まりきったものばかりと言うわけじゃない。そう考えると今後のいい経験になるだろう。
 そして冒険者としての初仕事と言うこともあって、多少胸を高鳴らせながら湖に向かって森の中を歩く。アイハラン村の森や、転送の魔法で飛ばされた森よりも歩きやすい木々の間を森林浴気分で気持ちよく歩きながら弘二を見つけたのは……出立して半日ほど経った昼過ぎの出来事だった。


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