第七章「不幸」01


「それではごゆっくりどうぞ」
 屋外へ置かれたテーブルの上に果汁ジュース二つを置いてくれたウエイトレスさんは上品にお辞儀をしてその場を去っていった。
 ……あたしの目がつい遠ざかっていく後姿を見つめてしまう。小ぶりながらも綺麗な曲線を描く胸元のラインは注文したときにも十分鑑賞させてもらったし、エプロンをつけた女の子と言うのはなんとも男心をくすぐるものがある。
 けれど、その子は決して華やかな美しさを持っているわけではない。あたしやジャスミンさんのように、道を歩けば男が振り返り声を掛けてくるように、そう言った人目を引き寄せる輝きは無いけれど、微笑みかけられ、声を掛けられるだけで胸の奥に安らぎがもたらされる暖かな印象を持った可愛らしさだ。
 テーブルに頬杖をつき、頭の左側に結い上げた髪の毛を揺らしながら離れていく女の子を、あたしはぼ〜っと見つめ続ける。
 きっと…ああいう子をベッドに招き入れたらかわいいだろうなぁ……とか、もう一回注文したときに後ろから抱き付いて、あの形のいいおっぱいに指を食い込ませてどんな反応をする上手みたいなぁ…とか考えながら―――って、な、なに考えてるんだか。あたしは別に、そういう事をしたいわけじゃなくて……いや、したいんだけど……でへ。
「たくや君……私も人の事は言えないけど、その顔はやめた方がいいわよ」
「………へ? あ、あたし、変な顔してた?」
「そりゃもう。目の前にこーんな可愛い子がいるってのに他の子に目移りしてるなんて……サイテー」
「ち、違うって! ミッちゃん、変な誤解をしないでよぉ!」
「いーんじゃない? たくや君も元々は男なんだしさー。あたしは別に、どうだっていいけどー」
 あうう……あたしからミッちゃんを呼び出したのに、いきなり機嫌を損ねちゃった……
「あ、あのさ、それで例の話なんだけど…どうかな。やっぱりダメ?」
 それでもこれだけは聞いておかないと。つまらなさそうにコップから伸びるストローを咥えるミッちゃんのご機嫌を伺うように下手に出ながら「例の件」について尋ねてみる。
「ダメって事は無いわよ。たくや君だって登録は済ませてるんだし。レベルCなら個室を使ってくれても構わないわ」
「ホントに!? ありがとう、ミッちゃん♪」
「た・だ・し…うちに滞在するからにはちゃーんとお仕事して上前をはねさせてもらうからね」
「そんなぁ……そこを何とか、お金ならちゃんと払うからさ、お願い!」
「そういうわけにはいかないわよ。娼館は宿屋じゃないんだから、泊まるなら娼婦として働くか、お金を払ってエッチをするか……いいじゃない。お金は結構残ってるんでしょ? だったらぱーっと使って酒池肉林の毎日を過ごすのもいいんじゃない?」
「そんな事したら一日で借金生活になっちゃうわよ。………じゃあ…仕事をすれば、娼館に泊めてくれるのね?」
「仕事といっても雑用じゃないからね」
「うっ……わ、わかってるわよ……とほほ……」
 これも神殿から出るためだ。もうすぐこの町を出るからには無駄な出費は抑えたいし……今ならかえって、娼婦として働く方がいいのかもしれない。
 そう自分を納得させて顔を頷かせると、仏頂面だったミッちゃんが一転して満面の笑みを浮かべる。―――その笑顔にさえ体を震わせ、顔を赤らめながらもエッチな事を妄想してしまう今のあたしには……



 精神世界から帰還して三日が経っている。
 最初は頭がボーっとして気だるかったものの、一晩眠れば体調も復活し、肉体の内側からこみ上げる魔力と気力の充実振りに驚きを感じたものだ。魔王の力と言うものに目覚めたわけではないけれど、ジャスミンさんによるお墨付きの潜在能力が多少目覚めた…と言う感じだ。
 でも、魔力があったって魔法が使えないからあまり意味は無い。かと言って、魔力が上がれば魔法防御力とかも上がるはずだし、まったく役に立たないわけじゃないから悲しんでいいのか喜んでいいのか微妙なところだ。
 他にも、あたしと魔王の書に結構影響が出ていたりする。
 あたしと意識が繋がっていた魔王の黒本は「豚が…触手が…ふおぉぉぉ!!」とか言って意識不明の重体だし。―――本が重体と言うのもおかしいけれど。
 そしてあたしの方はと言うと……その…女の子を、無性に汚したくなってしまうのだ。
 こういう感覚は初めてだ。男だったときにさえ感じたことのない女の子への劣情が、こう…ふつふつと胸の奥で煮えたぎっていて、放っておいたら本当に噴火しちゃいそうで困っている。これが「魔王の力」を取り込んだ影響か、精神世界でサキュバスになってしまった影響かはわからないけれど、今のあたしはとてつもなく危険な精神状態にあった。
 それに水の神殿という場所も悪い。めぐみちゃんに静香さん、それにジャスミンさん……それにミッちゃんもか。可愛い子、美人な女性が多くて、興奮をいつまでも押さえ込んでおく事が出来す、夜はいつもオナニーだ。
 一番性欲が激しかった初日には、気を失うほど魔法のバイブを使ったオナニーをする事で衝動は収まった。幸いにして、回数を重ねるごとに情欲は平静を取り戻しつつあるから、そのうちなんともなくなるんだろうけど……静香さんたちとエッチをしたい気持ちをそれまで押さえ込める自信が無い。
 もし、お願いすればエッチをさせてくれるんじゃないか……そういう考えが無いわけではないけれど、そんなエッチがしたいだけと言う気持ちで女の子としちゃいけないというか……とにかく、ダメなものはダメなのだ。
 だからあたしは神殿を出る事を決意した。
 いつか誰かを襲ってしまいそうな自分をみんなから遠ざけるために……「魔王」と言う不名誉な称号を背負っているから神殿の監視から離れる事が望ましくないって言うのは分かっているけど、とりあえず、この衝動が収まるまでの間だけ。
 そしてあたしが滞在するのに選んだのが、娼館「女神の泉」なのだった………んだけど―――



「それで、なんで、いったい、どうして、こういうことになってるのか説明してくれない?」
「まーまー。せっかく期待の新人のルーミットちゃんがお仕事してくれるんだから、盛大にぱーっと宣伝しないとね、ぱーっと。にゃはははは♪」
「にゃははは、じゃなぁい! なんなのよこれは。なんであたしが競りに掛けられちゃってんのよ!」
 時間は夜。場所は娼館の地下ステージ。
 装備や道具類を買い揃えるために初めて訪れた日に、いきなり視覚と聴覚を奪われて拘束され、姿も見えない男たちに慣れていなかった女の肉体を蹂躙され尽くしたのもこの場所だ。
 その同じ場所に、露出はそれほど多くはないけれど娼婦用のドレスの衣装を着せられ立たされたあたしの目の前では、
「50ゴールド!」
「あんたは娼婦を舐めてるの? 安すぎ、次ぃ!」
「150!」
「この子の一晩独占権よ。一発やるのと違うんだから、もっとドンといきなさい、ドンッと!」
「だったら500!」
「750でどうだ!」
「おお、いいとこ行った。けどもう一声。ルーミットちゃんはこの日のために体を磨き上げてあなたを待っているぅ!」
「ええい、1000ゴールドだぁ! 逆さに振っても鼻血も出ねぇ!」
 ―――なんてな感じで、あたしを「一晩自由にする権利」=「エッチできる権利」の値段が吊り上げられていっている。なにしろ、期間限定の美少女娼婦、この機会を逃したら……という売り文句。加えて、スケベ仲間の噂にあたしの評判――絶対エッチな内容だ――が広まる時間も十分にあったために、地下ステージの客席は満員御礼状態だ。
 ちなみに、いの一番に最安値を口にしたのは……まぁ、あえて名前は言わないけど。なんでいつもここにいるのかな、こいつは……
「1200! 1205! こら、ちびちび上げるな。男ならどーんと行きなさい、どーんと!」
 ともあれ、着々とあたしの値段は吊り上げられていく。……まぁ…あたしがそれだけ可愛いと考えればそれほど悪い気はしない。けど、この後にエッチが控えている事を考えると心中複雑だし、女として褒められても……はぁ……
 そうこうして落ち込んでいる間に金額も1500ゴールドに近づいてきた。金貨で言えば十五枚だ。1000ゴールドを超えた辺りで勢いも落ち始めたし、さすがに1500まで届く事は無いだろうけど、村の道具屋でそれだけ稼ごうと思えばどれだけかかる事か――
「金貨百枚!」
 そう高らかに声が響き、地下に設けられた客席とステージに静寂が広がった。
 指折り1500ゴールド稼ぐのに何日かかるか考えていたあたしも、一瞬思考が止まってしまう。
 金貨百枚……10000ゴールド。さすがに何かの間違いだ。一晩で…あたしとエッチするだけで10000ゴールドだなんて信じられるわけがない。
 いきなり提示された破格の金額に頭の中は半ばパニック状態だ。前のときは何回射精されたか分からないけど百発と考えてもらったのが金貨50枚で一回50ゴールド。逆算すると金貨百枚だと……に、二百回!? そんなの、さすがにあたしが壊れちゃうっ!!
「あ、あのっ!」
 まだ普通のエッチをするだけだからと口を挟まず我慢していたけれど、さすがにこれは行き過ぎだ。あたしは一歩踏み出し、司会をしていたミッちゃんを横へ押しのける。
「おお、これはこれは。こうして間近で見ると、その美しさはまさに天使、いやいや女神のようだ。今宵は素晴らし夜になりそうだね」
 そう言ってステージへ歩み出てきたのは、メガネをかけた細身の男だった。顔は整っているほうだとは思うけれど、あたしを迎え入れるように両腕を広げて笑みを浮かべるその姿は……出来ればお近づきになりたくないタイプだ。もし明日香がこの場にいれば、近づいてきただけでぶん殴って湖のそこに沈めてしまいそうな…言い換えれば、全身から根拠の無い自信と女っ垂らしの雰囲気をかもし出している男だ。
「さて、そちらのお嬢さん。これでルーミットさんは僕の相手をしてもらえるのかな?」
「え……ええ、はい。お客様は神様です♪」
「こ、こらこらこらぁ! 人を勝手に売るんじゃない!」
「しゃーらっぷ! ここで働く以上、口答えは許しません!――ささ、お客様。405号室の方に準備を整えておりますので、今宵はご存分にお楽しみくださいませ〜♪」
 もはやミッちゃんは完全に破格の10000ゴールドの虜になっていた……あたしの反論も聞かずに男をステージへ引き上げると、残念そうな表情をしてパラパラと拍手をする客席を前にして部屋の鍵を渡すと、頭痛を抑えようとこめかみを抑えていたあたしの首を引き寄せ、耳元に口を寄せる。
「いい? この街の人間じゃないけど、とびっきりの上客よ。失礼の内容に満足させてあげて。いいわね?」
「だけど、あたし、そんなこと言われたって!」
「どうでもいいからエッチさせれば大丈夫! たくや君の体なら10000ゴールドでも安いぐらいなんだから。後は客の要求をなるべく拒まないこと」
「できたらまだ、普通なエッチの方がいいんだけど…とほほ……」
「状況次第で自分から積極的に求めちゃってOKだから。口でも胸でもお尻でも、しっかりご奉仕してくるのよ」
 あたしからご奉仕……いや、そんなのやだぁ……
 ミッちゃんとの短い内緒話も終え、あたしは男を改めて観察し直す。
「おや、どうかしたのかい?」
「い、いえ、別に…」
「ふふふ……僕の前で強がる必要はないんだよ」
 着ている物は上等な品質のものだし、顔だっていい。メガネをかけた表情には何処か賢者に近い知的な香りを感じる…のに、あたしは近づいてくる男に警戒心を抱かずにはいられない。まるで蛇が獲物を飲み込もうとするような、そんな錯覚に陥ってしまい、思わず腕で胸元をかばいながら後退さりそうになってしまう。
「は…ははは……あの…や、優しくしてくださいね?」
「安心したまえ。僕は紳士だからね。女性の扱いは十分心得ているよ」
 あまり信用できないその言葉に、あたしは引きつった笑みを浮かべる。
 男の手には既に部屋の鍵が握られ、ズボンの股間の部分はその下で大きくなり始めたものによって押し上げられている。―――オークやクラーケンのそれと比べると感覚が麻痺しそうだけど、結構大きい……それに貫かれるのかと思うと、体の奥に重たい疼きが駆け巡り、震える体を寄り強く抱きしめてしまう。
「さあ、これで君は僕の物だ。存分に愛し合おうじゃないか。はははははっ」
 笑いながら肩に腕を回されると、もうあたしに逃げ道がない事を思い知らされた。
「よ…よろしくお願いします〜〜…は…ははは……」
 ああ…これからまた男とエッチか……
 そう思ってしまうとあたしの顔から引きつりが消える事は無く、無言で「スマイル、スマイル!」と叫んでいるミッちゃんの視線に晒されても、これだけはどうしようもなかった……


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