第六章「迷宮」01


「くっ!」
 ―――頭の横へ風をまとった穂先が突き抜けて行く。
 鼻先にまで迫った一撃をとっさに首を捻って躱したまではいいけれど、下がるタイミングが遅すぎた。そのまま横へと振り払われた訓練用の槍にこめかみを打たれると、為す術もなく地面へと倒れこんでしまう。
 神殿の中庭――石畳が凹凸なく並べられた灰色の場所は、「有事の際には人々を守るために戦わなければならない、そのために鍛える場所アルヨ!」と力説された訓練場だ。本来なら神官や僧侶がメイスや杖を手に戦いの基礎を身につけ、僧侶の魔法では数少ないであろう攻撃魔法を試すための場所なのだが、今、この場で武器を手にして立っているのは二人だけだ。
 一人はこの水の神殿の神官長。もう一人は買い揃えたばかりの防具一式に身を包んだあたし、たくやだ。
 相変わらず、横幅があたしの三倍はあろうかと言う肥満体系に汗びっしょりで、とても威厳を感じられない風体ながら、武器を手にした途端、鋭い攻撃を次々と繰り出し一方的に攻め立ててくる。その昔、僧侶戦士として大陸中を冒険していたと聞いた時は眉唾だと思っていたけれど、どうやら……本当の様だ。本職の戦士に勝るとも劣らない一撃は、棒の先に布を幾重にも巻きつけた訓練用の槍+ずいぶんと加減してくれているといっても強烈で、打ち据えられたあたしはそのたびに地面へ手を突かされる羽目になっていた。
「そらそら、訓練はまだまだこれからアルヨ。立つヨロシ。アイヤァ〜〜〜!!」
「ひゃあっ! ちょ、タンマタンマァ!!」
 うずくまっても神官長の攻撃はそれで終わりではない。膝を突き、頭を振っているあたしへ容赦なく槍を向けると足元に向けて突き込んでくる。
 急かすだけで本当に直撃させるつもりはないだろう。――けれど、よけなければ食らってしまう攻撃だ。地面についた左手と足のバネを総動員し、はじけるように後ろへ飛ぶと、石畳だろうが関係なく叩き込まれた槍の連激が地面に散乱する小石を風と衝撃だけで舞い散らした。
「その手に持ってるのは何アルカ? 武器アルヨ! 逃げるだけじゃナクて、たまにはやり返してみたらドウネ!」
「っのお、言われなくたってぇ!!」
 間合いは十分に開いた。今度はこっちの番だと、あたしは右手に持った片刃のショートソードを強く握り締めた。
 当然ながら、剣の刃にはカバーを被せて切れないようにしてある。ここまでするなら神官長と同様に訓練用の剣を使えばいいと思うんだけど、「少しでも自分の武器の扱いに慣れていたほうがいい」らしい。そういう理由もあって、訓練ではあるけれどあたしは買い揃えたばかりの装備をすべて身につけていた。
 あたしの装備は防御力よりも動きやすさを選んだ軽装備だ。スピードに自身があるわけじゃないけれど、重い装備じゃ動けないし疲れてしまうので、鎧と呼べるのはニーソックスの上から膝につけたニーガードと、防火ジャケットの肩に取り付けたショルダーアーマーだけ。なめし皮を蝋で煮詰めた硬革製の肩当は軽いけれど刃を跳ね返すのには十分な防御力を持っている。
 そして手にしているのは片方にだけ刃がついたショートソード。ナイフよりも重く、けれど扱いやすく、頼もしい重さ。―――そして、冒険に出ればあたしが命を預けることになる武器だ。
「………よしっ」
 息は整った。隙なく槍を構える神官長を前にして最後に一つ深呼吸をすると、右腰に構えた剣を両手で握り、膝をたわませると全力で前に駆け出した。
 ―――剣と槍では、間合いの広い槍の方が圧倒的に有利だ。自分から攻めなくても飛び込んでくる相手を突き放すだけでいいのだから。
 その事はお腹や腕に貰った攻撃で身にしみて分かっている。なら――勝つにはその初激を躱すしかない!
「こんのおぉぉぉっ!!」
 叫び突撃するあたしへ向けて、神官長の構えた槍の穂先がぴたりと照準を合わせる。
 来る―――ほぼ直感で剣を右下から左上へと振り上げると、腕に衝撃が走るのと同時に、木製の訓練用の槍が大きくたわみ、あたしを外れて体の横を突き抜けていく。
「行った!」
 距離にして約三歩。剣を振り上げたまま前へと進んだあたしは手首を返すと、逆袈裟に剣を振り下ろした。
「まだまだアルヨ!」
 ―――あたしの攻撃は、ついに神官長に届くことはなかった。前へ出た槍を追うように一歩踏み出し、右手と左手の幅を広げた神官長は槍の柄を歩幅の分だけ引き戻し、長く持ったその柄であたしの手首を押し返したのだ。
「きゃわあっ!」
 膂力と体重の差は歴然だ。最後の力を振り絞ったはずの突進の威力をそのままはじき返されたあたしは無様に尻餅をつき、さらに追い討ちで眉間に突き入れられた槍の一撃で、
「はうっ」
 いともたやすく気を失ってしまった―――



「う〜〜…神官長のヤツ、乙女の顔を何だと思ってるのよ。あ〜あ、こんなになっちゃって…はぁ……」
 鏡で額のはれ具合を確認すると、井戸で冷たい水をくみ出した桶に手拭をひたし、赤くなっている場所に当てる。
 他にも痛い場所は山ほどある。お腹はカウンターで押し返されるようにしか突かれなかったし、肩は鎧を着けていたのでマシだけれど、そのぶん腕や足は面白いように打ち据えられ、どこもかしこもアザだらけだ。
「う〜…玉のお肌が……」
「おやおや、たくやちゃん、ついに女ノ子になっちゃう決心がついたアルカ? オジサンはそのほうが嬉しいアルガ」
 む、来たな。――復讐するは我にあり!
 せめて一撃入れなければ気がおさまらない。訓練用の槍から眺めの木の棒を手によってくる神官長へ、こっそり手に取った剣で切りかかる――というか、カバー付きなので殴りかかる。
「まだまだアルネ」
 カッコーンと音を立てて、あたしの手から剣が弾き飛ばされる。どうもバレバレだったらしく、神官長は軽く棒を回しただけで防がれてしまった。
「ちっ…次こそは……」
「セ、性格歪んじゃったアルナ」
「ええ、そりゃもう♪ あれだけビシバシ叩かれたら誰だって、あっはっは〜〜♪――コノウラミ、ハラサデオクベキカ」
「こ、こめかみ引きつって恐ろしいこと言うアルネ……次はもう少し加減してあげるから許すヨロシ。ホラ、これをたくやちゃんにプレゼントしてあげるアルから」
「プレゼントって…その棒?」
「チガウチガウ。これは棍と言って、斧とか槍とか長柄の武器の基本形みたいなモノネ。刃物使うのはアマリ向いてないみたいだから、これで相手をぶん殴ってツツくといいアルヨ。それに、これなら相手が死んじゃうコトもないアルカラナ」
 確かに……どうしようもない時は仕方ないとしても、出来れば人を斬ったりモンスターを斬ったりするのは精神衛生上よろしくないし、長い武器はそれだけ有利だ。
「ちょっとツカて見せヨウか」
 棍…と言ったか。神官長はただの長いだけの棒に見えるそれを槍のように構えると、フッと短く息を吐きながら鋭く突き出した。
 ―――確かにそれは「槍」だった。訓練の時と違って本気で突き出す神官長の迫力と相まって、突き出せば槍に、払えば剣に、下ろせば斧に、刃の付いていない木の棒が風を裂いては先端で弧を描く。
「ほ…ほえ……」
 井戸の側で舞うかのような棍のの動きを目で追う内に簡単の息を漏らしていると、いつの間にか鼻先にぴたりと真新しい丸い断面を見せる棍が突きつけられていた。
「――とまぁ、こんなところアルかな。要は使う本人しだいで木の棒もリッパな武器になるということアル。とりあえず武器と言うよりも杖のカわりとして持っているといいアルよ」
「あ……ど、どうも」
「それとこれもサービスしとこう。神殿の倉庫にコロがってたモノアルが、なかなかの逸品アルよ」
 あっけに取られていたあたしの腕に棍が押し付けられ、その上にもう一つ、布にくるまれたものを押し付けられた。
「それでは痛い場所を出しテ。ヒーリングを掛けてあげるアルヨ」
「はぁ…で、これは?」
 井戸の傍に置かれた長椅子に腰をかけ、変色した古い布を解いて中身を取り出してみると、出てきたのは腕を守る防具の篭手だった。
 あたしでは盾を持ち歩くだけでも疲れてしまうし、板金で出来たガントレットのような腕防具は着けるだけで剣が振れなくなる。動きやすさ重視という基本方針に適したものが見当たらなかったので腕はとりあえずいいか…と、特に何も買ってきていなかった。
 そのことは神官長にも食事の時などに話しておいたから探してきてくれたのだろう。渡された篭手はあまり見かけない形な上に左手だけだけれど、ショートソードを右手で扱うのなら防具をつけるのは左手だけで十分。それにショルダーアーマーと同じく硬皮製の篭手は見た目よりもわずかに重みを感じる。おそらく中に鋼線でも編みこんであるのだろう。
 サイズは…問題ない。手首から肘まできちんと覆ってくれる。これなら軽盾の代わりとしては十分、いや、もしかするとかなり上等な品かもしれない。なんとなくあたしの道具屋としての感がそう告げていた。
「ん〜……ありがたく頂きます」
 何度も角度を変え、こての品定めをしたあたしは、後ろからヒーリングの魔法をかけてくれている神官長に顔を向け、小さく頭を下げる。
「イヤイヤ、喜んでもらえてこちらとしても嬉しいアル。デモ、今日のたくやちゃんの逃げっぷりなら必要ないかもしれないアルネ。ハッハッハ」
「はっ…ははは…それ、笑い事じゃないですって」
 なにはともあれ、せっかくの神官長のお心遣いだし、ありがたく受け取っておくとしよう。―――そう思った頃には体中のあちらこちらで自己主張していた痛みと疲れも引いていて、話している内にあれだけささくれ立っていた神経もずいぶんと穏やかになっていた。
「ふぅ……」
 最後に残っていた胸の奥の重たい空気を吐き出す。
 正直な話……今日の訓練を思い返してみると、あたしとしてはよく動けたほうだ。いや、信じられないぐらい…と言ったほうが正しいかもしれない。
 最後の切り上げでそれまで踏み込むことが出なかった神官長の懐へ入ることも出来たし、直撃だけは何とか避け続けていたし、もう少し頑張れば一本ぐらい取れたかもしれない……そこまで甘くないだろうけど。だけど、運動神経ゼロのあたしにしてみれば、それだけで大金星だ。
「………これも明日香のおかげかな」
 特に戦闘訓練なんて受けた事のないあたしがこうまで避けられたのは……そんな理由へ思いをめぐらせていると、久しくあっていない幼馴染の顔が脳裏へと浮かんでくる。
 日々繰り返される攻撃魔法……そして続けて繰り出される報復。
 ほんの少しでも我侭を言ったり下手な行動をとろうものなら、村の端まで吹き飛ばされたり屋根より高く舞い上がらされたり……思い返せば、村にいた頃のあたしは明日香と交わしていたやり取りのほとんどが攻撃魔法の雨あられ。
 ………よく…生きてるな。いやいや、なんか自分が生きてるのが不思議に思えてきた……
 けれど……それでもだ。ふと思い出しただけの明日香に振り回されていた頃がどこか遠く、今のあたしにはとても懐かしく感じられてしまう。
 いつかそんな日々に戻ることは出来るんだろうか……
「―――たくやちゃん、故郷に好きな人がいたアルカ?」
「……はい?」
 何気なくつぶやいた明日香の名前を聞かれたのだろう、神官長は魔力が集まる手の平をかざしながらとんでもない事を口にした。
「べ、べ、べつにそういうんじゃないです! 明日香とはただの幼馴染で、ああえっと、明日香って言うのはあたしの幼馴染で、物語にありがちな展開は残念ですけどありません。ない、絶対にない、もしそんなことになってたら死ぬ、あたしはとっくに殺されてます! それに……」
 一気にまくし立てる否定の言葉。その最後の言葉が、なぜか重くなってしまう。
「―――あっちだってあたしなんか願い下げですよ、きっと」
 そう言ってしまうと、逆に胸がすっきりしてしまった。
 変な期待はしない。そんな事を考えるだけで明日香に失礼と言うものだ。周辺に噂が広がるほどの美少女にして、そこいらの賢者では太刀打ちできないほどの魔法の才能を持つ明日香と、魔法も使えず果ては女になってしまったあたしとでは釣り合いなど取れるはずもない。
 それ以前にあたしと明日香は家族同然の関係だ。恋愛感情などあるはずもないし生まれるはずもない。あったとしても最初っから諦めるしかない。
「神官長〜〜、そう言うのってセクハラですよ。別にあたしは懺悔室も人生相談も必要ないですからね」
「いやいや、男女の仲は分からないアルからね。ここは人生の先輩としてアドバイスを――おお、そう言えばたくやちゃんには」
 治療の魔法も終わり、非難がタップリこもった瞳を避けるように神官長がポンッと手を打って言葉をつなごうとするけれど、それをさえぎるようにあたしは先に立ち上がった。
「静香さんの事には緘口令ですよ。下手に口にしたら……」
 そう言って右手で首を掻き切る仕草をしてみせる。
「うっ……ジャスミンさん、恐かったアルからな……くわばらくわばらアル」
 あたしへは好意的なジャスミンさんだけど、神官長へは容赦しなかったようだ。静香さんと二人して朝からお風呂を占拠したり、ミッちゃんを監禁しての取調べ等から神殿内でもあれこれ噂が立っているけれど、少しでも口の端に乗せようものならジャスミンさん直々に魔法の電気ショックで記憶を消されるそうな……確かに怖い。
「まぁ、それはさておき、アレアレ」
 神官長が言おうとしていたのはあたしと静香さんの関係を追及することではなかったようだ。―――と言うよりも、神官長が太い指で指し示した茂みの頭から、その誰かさんの頭の先だけがぴょこんと飛び出していたのだから。
「……静香さん?」
―――ピクッ
 どうやら当たりのようだ。そんなところにいるならこっちに来てくれればいいのに――そう思いながら茂みへと近づくと、回りこみながら静香さんの姿を覗き込んだ。
「あっ………」
「そんなところでどうしたの?」
 一昨日の夜の事はあるけれど、出来る限り普通に話しかけると、静香さんはあたしの顔を見て驚きの表情を浮かべ、プイッとそっぽを向いてしまう。
「? 静香さん、あの……」
 とりあえず話をしよう。なんか誤解とか色々ありそうだけど顔も見てくれないし話もしてくれないではどうしようもない。
 ―――が、あたしが静香さんの視線の前に回りこむと、顔は再び明後日の方向を向き、それを追ってはまた別の方向へ……そんなやり取りを茂みの裏で延々と繰り広げた。
 このままじゃ埒が明かない。それならここで………謝る? う〜ん、それもおかしいよね。どうして顔もあわせてくれないんだろう。そんなにあたしとのアレが気持ちよくなかったとか……やっぱり精液を掛けたのがまずかったのか…でもあの後……うあああああっ! 心当たりが多すぎてぇぇぇ!!
 あの夜の最後の方は覚えていない……と言うか、もとより記憶することさえ出来ていない。ミッちゃんを問い詰めてみると、あの擬似男根から吹き出る精液は着用者の体液と魔力で精製されてて、出せば出すほど体力を消耗するらしい。―――簡単に言えばあたしの出しすぎだ。
 まぁ……あたしも男のこの方では初めてだったし、抑えが聞かなくなっちゃっても仕方ないかな〜〜…とか自己弁護したいんだけどダメかな? それにほら、静香さんだってジャスミンさんに言われるままにあたしのをこう…ペロペロと舐めたり…胸に挟んだり…口では言えないような体勢であたしのを迎え入れたり………思い出すだけで興奮するけど、なんとなく股間が寂しい……って、ダメ、ダメダメダメ! あたしは今、静香さんに対してなんていうものすごい妄想をぉぉぉ!!
 仮にも相手は一国の王女様。その事を差し引いたって、あたしと同じ顔だけど、男のあたしなら照れて赤面してしまい、何も話せなくなってしまいそうなほどの美しさの静香さんに抱いた不埒な思いを頭を振って振り払う。と……
「………あの時の事は…忘れて」
「えっ……あの時ってやっぱり…あの時?」
 今も思い浮かべていたばかりの事だったので、何も考えずに聞き返してしまう。するとあたしを見ずに明後日の方向の地面へと視線をさまよわせていた静香さんの表情が見ていて「しまった…まずいことを言っちゃった」と鈍感なあたしでも分かっちゃうほどに赤く染まり、その後も何度か口を開こうとするけれど何も言えぬまま、逃げるようにあたしの前から走り去って行った。
「えっ…と……」
 忘れようたって……忘れられるはず、ないんだけど……
 ジャスミンさんとの初体験も強烈だったけど、静香さんとのエッチはなんて言うかその…心まで気持ちよくなれた…と、自分で言ってて思わず赤面しちゃうぐらいに気持ちよかった。それに静香さんだって初めてだったんだし、それを忘れろとかどうとか……うあああああっ! あたしは、あたしはどうすればぁぁぁ〜〜〜!!!
「まったく……たくや様はもう少し女心と言うものを理解できるようになってもらいませんと。それでは姫様が可哀想です」
 静香さんの言葉を頭の中でリフレインしながら頭を抱えて地面へうずくまっていると、頭上で凛とした女性の声が響く。それを聞いて顔を上げると、ジャスミンさんが頬に片手を当てて困った顔を立っていた。
「………それはいいとして、そのもう片手にぶら下げたちょっぴり血の付いた棍棒は……なに?」
「これですか? 実は先ほどの姫様の真情をご説明して差し上げようと思ったのですが、姫様とたくや様のご関係を知っているのはこのジャスミンのみ。あまり他の者へ知られるわけにはまいりませんから、ほら、あちらにおられる神官長の後頭部をコツンと、軽く叩いて気を失っていただいたのです」
 か、軽くって……神官長の後頭部、真っ赤に染まってるんですけど……それにしても、あたしの攻撃がかすりもしなかった神官長を殴り倒すって、ジャスミンさん、何者?
「さて…それでたくや様は姫のお願いをお聞き入れになるのですか?」
「えっ…あ〜…それは……色々と熟慮したんだけど………やっぱり無理かなぁ〜と……」
 そう素直に答えると、こめかみに指を当て、ため息を一つ突いたジャスミンさんは「いいですか?」と一つ前置きをして、
「あの夜の静香様が催淫系の薬を飲まれていたことは知っていますね? そしてあのように乱れた姿……まだあって間もないといえど、思い人のたくや様にそのような姿を自分のすがたと思われてしまうことが、姫にはとてつもなくお苦しいのでしょう……よよよ……」
 あれ?……確かあの時、ジャスミンさんがもっとエッチな事をしろって煽り立ててたような……あ、そっか。こういうことを言っちゃいけないんだね。もし言ったら……電気ショック。嫌だし。
「そういう事なら……ちょっと忘れられないような出来事だけど、静香さんのためなら……」
「何を言っているのですか! 本当に忘れてしまうおつもりなのですか? 静香様とはじめて肌を重ね、純潔を逞しいもので破り引き裂き、それでも二人が一つになった思い出を忘れ去ってしまうといわれるのですか!?」
「だって今ジャスミンさんがそう言ったんじゃない!」
「私は本当に忘れろとは一言も申しておりません。ただ、静香様の前でその事を口にするのは出来る限り控えて欲しいと申しているのです。それに……睦言の最中にその事を静香様に囁かれれば……ふふふ…静香様の恥らう姿が見られるという寸法ですわ♪」
 こ、この人は……一体どっちの味方なんだか。静香さんもかわいそうに……
 つまり、あたしには忘れるふりをしろ――短くこう言えばすむだけの事を、ジャスミンさんは芝居がかった身振り手振りを交えて、あたしが口にしたときの静香さんの反応を事細かに表現してくれる。もしこの場に静香さんがいれば……その時はなにごともなかったかのように平然としてるんだろうけど。
「これから姫には多くのことをお教えしないければ。もちろん、たくや様以外の方に姫のお肌を触らせはしませんのでご安心を。次にお会いする時には私の知る限りのテクニックを全て伝授し、たくや様を心行くまでご満足させて差し上げられるよう――」
「ジャスミンさん、ちょっと妄想ストップ。……それはいろいろとヤバすぎなんじゃ……」
「そうでしたわね。お二人の仲はこれからですもの。それをあれこれと私の独断で決めてしまうのは少々野暮でしたわね」
「あ…あはは……」
「ですが……私は何も、姫様のお気持ちだけでこう申しているわけではありません。クラウド王国の国益の点から見ても、お二人が結ばれることは喜ばしい事です」
「こくえき? え〜…それってどういう……」
 そもそも、あたしのような一般人と静香さんがナニしちゃったって言うのは、考えるまでもなく超一大事のはずだ。ミッちゃんは擬似男根の精液で妊娠はしないと言っていたけれど、嫁入り前のお姫様を傷物にしてしまったんだから……ギロチンに掛けられてもおかしくない。
 けれどジャスミンさんは咎めるでもなく、逆にいい方へ考えているようだけど……はて?
「まぁ……あまりご自覚がないようですが、たくや様はご自身の「魔王」と言う力をどのようにお考えなのですか?」
「エロ本のこと? できれば焼却炉に放り込んで灰も残さず消し去りたいけど」
「そうではありません。魔王の書パンデモニウムから継承した、たくや様の内に眠る「魔王」の力です。魔王と縁を結ぶことはそれだけで他国に対しての抑止力になりますし、また、その力を王家の血筋に取り入れることは決してマイナスではありません」
「魔王の…力? あたしの?」
 そんなスゴそうなもの、あたしのどこにあるって言うんだろう。試しに集中して最も基本的な明かりの魔法を唱えてみるけれど、やっぱりさっぱり、魔力を流した手の平からは一瞬たりとも明かりが生まれることはなかった。
「む〜〜…冗談ばっかり。力なんて全然使えないじゃないですか」
「魔法と魔王の力は異なります。先日は大蜘蛛を取り込み、意識と言うものを持たないスライムと主従関係を結ぶ……そういった特異な能力の事を言っているのです」
「だけどそれだけじゃないですか。モンスターと契約できるからって、国の力になるなんて……」
「はぁ……過信しろとはいいませんが、自分の力にまったく自信を持っていないというのも困りものですね」
「だって、あたしは魔法も使えないし、剣だってろくに振れないし……」
「否定ばかりでは何も生まれません。それによろしいですか?」
 懇望を放り捨てた右手の指を立ててあたしに突き出すと、まるで学校の先生のような口調でジャスミンさんは語り始めた。
「魔王になったからと言って、突然全ての能力に目覚める……そのような事もありうるでしょう。ですが逆に、経験を積まなければ力に目覚めないということもあるはずです。
 それに私の見立てでは、魔法不感症ではありますがたくや様の魔力量は膨大。「無」と言う属性のためか詳しく探ることは出来ませんが、内に眠る魔力量は最低でも平均的な魔法使いの二倍を越えていると思われます」
「に、二倍!?」
「潜在的な力は申し分ありません。ですが魔王の力が制限されているのもまた事実。属性か、別の理由なのか、そこまで現時点で判断することは出来ませんが、クラウディアの魔法ギルドならば詳しいことも分かりましょう」
 う〜ん……確かに「未熟未熟ぅ! ぬわぁ〜はっはっはぁ!」ってエロ本にバカにされてきたけど、未熟ならこれから成長するという事だってあるはずだ。魔王…にはなりたくないけど、モンスターと契約する以外の能力があれば、これからの旅に何かと役に立つはずだ。
 となれば―――やるべきことは一つ。
「幸い、魔法ギルドや冒険者ギルドの長とは多少交流もあり親しくさせていただいています。ですので、たくや様さえよろしければ我々と共にクラウディアへと――」
「ジャスミンさん、教えてくれてありがと。じゃあ行くところがあるからこれで!」
「えっ……た、たくや様!?」
 考えるまでもない。魔王の事は魔王に聞け……あのエロ本にあたしの「力」の使い方を教えてもらえばいいんだ。
 そう気づいたあたしは、逸る心にままに脚を動かし井戸の傍を走り去ると、一目散に魔王の黒本がいる場所へと向かった―――





 クラウド王国にある王立図書館などと比べれば蔵書の数は少ないけれど、南部域の国々の栄枯盛衰を記録した歴史書や、今は失われた古代の魔法へ冠する魔道書、知識書、医学書、地図、神話など、数多くの貴重な書物が水の神殿の書庫には眠っている。
 だが南部の空気は暑く、そして湿っている。多少の変化はあるものの一年を通して日差しがキツくて高温多湿な地域では書物が痛みやすい。そんな環境から本を守るため、書庫の四方の壁は窓がない石壁で、日に二度は魔力で動く換気扇を回して湿気を払う作業を行わなくてはならなかった。
「はぁ……」
 神殿地下にある清めの泉の冷気が篭り、外とは別世界のように快適な室内。幾列にも書架が並べられ、わずかに部屋の片隅に置かれた閲覧机の周囲だけが開けた場所なのだが、昼でもランプをつけなければ暗闇に包まれるその場所で、箒を手にしためぐみが動きを止めて何度もため息を突いていた。
(私…どうしちゃったんだろう……)
 自分の中で何かがおかしくなり始めたのは、たくやの部屋を訪れてからだ。
 気を利かせてシーツを取り替えた……その後、テーブルに置かれていた不思議な果実ジュースを惚れ薬だったとも知らずに一口飲んでしまっためぐみは、一時的にではあるがたくやの事を考えられなくなってしまったのだ。
 そしてさらに、帰りが遅いたくやを心配して探しに出かけた矢先、神殿の近くの細い路地からジャスミンと交わるたくやの狂おしいまでの喘ぎ声を耳にしてしまい(相手が誰かまでは確認できなかったが)、その場にいられなくなって神殿へ逃げ帰ると、自分の部屋でいけないこととは知りつつも、下着からあふれ出るほど愛液がにじみ出ていおる秘書へと指を滑らせてしまったのだった。
(違う……あの時の私はどうかしてたんです。たくやさんにあんな…淫らな妄想を抱くなんて……)
 めぐみも年頃の女の子だ。それに先輩の女性僧侶から色々と聞かされていて、数えるほどではあるがオナニーも経験していた。――だが、あの夜の自慰はそれまで行っていたものが子供の戯れにしか思えなくなってしまうほど激しいものだった。
「んっ……」
 床を掃く手を止め、長い箒の柄を胸へ抱きしめためぐみは少し逡巡すると右手の指先を自分の体のラインに沿って滑らせるように下ろして行き、薄いブルーと白いラインとで彩られた僧衣の上から自分の股間を軽く押さえつけた。
(まだ…ジンジンしてる……あんなに恥ずかしいことを繰り返したのに……たくやさん……)
 めぐみの股間の奥にはジンジンとする疼きがわだかまっていた。
 ………たくやと全裸で肌を重ねる自分の姿が、頭の中を埋め尽くしていた。まだ男性器を見たこともなく、実際に経験したことのないめぐみでは、そこから先の詳しい想像をすることは出来なかったものの、たくやを想うだけで快感が噴出し、こらえが聞かなくなって胸へ指を滑らせただけで全身が震えるほど感じてしまう。僧衣の胸元をこれでもかといわんばかりに突き上げるほど硬く尖った乳首を摘み、息を震わせながらこね回して身をよじれば、そこから全身に広がって行く暑いものが性の喜びだと知るのに、そう時間はかからなかった。
「たくやさん……どうして……」
 箒を抱きしめたまま近くの書架へともたれかかっためぐみのレンズ越しの瞳が潤み、今にも零れ落ちそうなまでに涙をたたえていた。
 その胸を占めていたのは、朝食のときに耳にしたたくやと静香の噂だった。
(やっぱり……ドジで暗いし…かわいくないから……私なんて相手にしてもらえないのかな……たくやさんや静香さんのように綺麗じゃないし、体つきだって……)
「………んっ!」
 指先をほんの少し股間へ押し込んだだけで、沸騰するかのように性欲が噴出し、左手をそっと胸にあてがってしまうとたくやの名を呼びながら指を蠢かせてしまう。
「あっ……たくや…さ…あっ……私……こんなこと…だめ……んっ……!」
(こういう事を……静香さんと………いや、そんなの……たくやさん…たくやさん……!)
 下唇を噛み、切ない思いの詰まった胸をこね回すと、ランプの明かりに照らし出されるまでもなく、そばかすの残るめぐみの幼い表情が朱へと染まって行く。
「たくや…さん……わ…わたし…わたし……こんな…いやらしい子じゃ……んんっ!」
 腰に震えが走る。書架にもたれたまま背を一度反り返らせると、反動で体を丸め、股間の膨らみへ下着と僧衣の上から指を押し込むと、恥ずかしさと興奮で頭の中をドロドロにとろかせながら止める事の出来ない指で自分の弱く、痙攣を繰り返す場所を拙いながらも必死に責め立ててしまう。
「んんっ! んんんっ! んはぁ…あっ…たく…やさ……あ…ああああああああああっ!!」
 めぐみの腰がガクガクと震え出し、必死に体を支える両脚とお尻とがパンッと張り詰める。
 僧侶としての信心深さと敬虔さが、めぐみの体の中で羞恥心や快感と混ざり合って、爆発するように股間の割れ目から噴出する。軽い絶頂だが、下着をぐっしょり濡らすほどにあふれ出した愛液は、めぐみの肉体が上り詰めてしまったことをなによりも明確に語っていた。
「…………お掃除…しなきゃ……」
 快感の余韻で放心し、ほうけた表情で湿った呼気を吐き出していためぐみは箒を握りなおすと、まだヒクヒクと震えているアソコの痙攣を無視して書架から背を浮かせた。
 一時の気の迷い……それでもめぐみの今までの価値観に深く突き刺さった興奮の記憶。それを忘れ去ろうと頭を振ると、視線を落としてボンヤリ箒で床を履き始めた。……が、
『ふむぅ〜、いや、グラッチェグラッチェ。ぱっつんボディーの姉ちゃんもいいが、幼い体系の女、しかも処女のオナニーと言うのもなかなかこう…グッとくる!』
「えっ……」
 誰もいないはずの書庫に男の声が響き分かる。
『しかもシスター! いやさプリーステス! お、おおう、ワシの、ワシの心のチ○チンが暴発しそう。頼む、お願いじゃからこの封印を解いてくれぇぇぇ〜〜〜!!』
「も…もしかして……魔王さん…ですか?」
『イエェ〜ス、ザット、ライトォ! めぐみちゃ〜ん、お願い、一生のお願い。封印解いてくれたらワシのスーパーパワーで極上の快楽を味あわせてやるから、封印といてエロエロさせてぇ〜ん♪』
「そんな……そんな……」
 めぐみの頭が考えることを拒否していた。
 たくやへの想いは自分の胸のうちだけに仕舞っておくべきだった。――それを聞かれてしまった。さらに一人で火照る体を慰めているところも、たくやの名を呼んでいるところも、なにも、かも、自分の恥ずかしい場所を全てこの本に……
『解いてくれなきゃ言っちゃうぞ? 「めぐみちゃんはお仕事中にオナってましたぁ。しかも相手は〜〜」って。ええのんか? 神にお仕えしとる僧侶の女の子が、それでもえ〜のんかぁぁぁ!?』
「い、いやです……いやああああああああっ!!!」




「―――あれ? この声って…めぐみちゃん!?」
 神殿内には似つかわしくないショルダーアーマーを身に着けたままの姿で書庫へと向かっていたあたしの耳に、めぐみちゃんの悲鳴が聴こえてきた。
 声が聞こえてきたのは―――ちょうどあたしの進行方向。……ということはもしかするともしかするまでもなく、
「あのエロ本、めぐみちゃんに手を出した!?」
 あたしは廊下を走り出した。そしてあたしが着くより先に書庫の前に集まっていた数人の僧侶を掻き分けると、書庫の中へと飛び込んだ。
「めぐみちゃん、大丈夫!?」
―――バシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシバシッ!!!
『うげ、ほげ、ぬがっ、へぶぅ、ま、待て、タンマ、ストップ、へ、ヘルプミー〜〜、げふっ!!』
「お願いです、それだけは、それだけは……えぇ〜〜〜ん、お願いだから言わないでください〜〜〜!!」
 ………室内には悲鳴と悲鳴、なぜか懇願の泣き声が二人分響きまくっていた。
 それに混ざるのは机の上を箒で何度も叩く音。さぞかし、あのチクチクが何度も刺さって痛いことだろう、うん。
「あ〜〜ん、魔王さんお願いだから、たくやさんには、たくやさんにだけは…うぇ〜〜〜ん!」
『た、たくや、いいところに! ワシ、このままだと撲殺されるぅ〜〜〜!!』
 ふむ……本で魔王のくせに箒で撲殺されるのかとか言う疑問は置いておくとして、いつもおとなしいめぐみちゃんがこれだけ取り乱してるんだから……
「そうね…わかんないけど、あんたが悪い」
 ――と言って、思いっきりしっかりと魔王の黒本を指差しておいた。
『なんでじゃあああああああああああああああああっ!!――げふっ!』
 とりあえず……錯乱中のめぐみちゃんに近づくのは危険だし、ここはいったん退避しておこうかな。
 さらに激しさを増して箒を叩きつけるめぐみちゃんと、だんだん声に力がなくなってきた魔王のホントの奇妙な喧嘩を前にしてうんうんと頷いたあたしは、訓練後と言うこともあって運動をしてお腹も減っていたので、そのまま食堂へ向かって歩いていく事にした。
『こ、この薄情モノぉぉぉぉぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!――ぐはぁ!』


第六章「迷宮」02へ