第三章「神殿」裏1


「あ〜……トイレはどっちですかの?」 「トイレは…おばあちゃん、あそこにある扉がそうですよ。さ、連れて行ってあげるから手を離さないでね」 「神官長の説法はどこでやってますか?」 「そっちの通路を進んでいただければ広間へ通じる大きな扉があります。まだやってると思いますけど、入る時 は静かにお願いします」 「ああぁ、君はなんて美しいんだ。これこそ神のお導き。僕ぁ…僕ぁもう!」 「あたしそう言うのに興味無いから。はい、次の人〜〜」 「猫除けの聖水は――」 「はい。瓶一本で2ゴールド。ガラス瓶に移し変えて外に置いてくださいね」  ――あたし……なんでこんな事をしてるんだっけ。  あたしがいるのは水の神殿の受付口。神様を信仰しているわけじゃないのに僧侶の格好をして受付に立ったあ たしは、次から次へとやって来る客や信者の人達をさばきながら、どうにも自分の想像を越えて流れて行く世の 中に対して疑問を覚えながら小さく溜息をついた。  当初は神官長不在の為に説法会など一部を休業すると言うはずだったのに、神官長の突然の帰還、そして一部 の高位僧侶の人達を集めて何かの準備を始めだした。  元々神殿には20人ほどしか僧侶の人がいない。だって言うのにみっちゃんやめぐみちゃんも神官長達の仕事 に駆り出され、水の神殿は急遽人手不足に陥っていり、白羽の矢が立ったのがあたしだった。 「まぁ、魔王の書ヤたくやちゃんが女の子になちゃた事を色々調べてあげるヨ。だからその代わり―――」  ああ…思い出すだけでも頭が痛くなる。あの汗だらだらの顔で詰め寄られては断ることも出来ず、ここでこう して受付をさせられているのだった。  けれど、この申し出はあたしにもありがたかった。何しろあたしは無一文。アイテムはそこそこ持ってはいる けれど、解呪に必要なお布施だって払えないし、空いてる部屋を貸してくれる上に食事もついて、さらにその上 バイト代として幾ばくかのお金も貰えちゃうのだ。  しばらくここで働かせてもらえないかな……手に出来るお金はわずかとは言え、宿屋に泊まって別の仕事をす るのよりもずいぶんと条件は良いし、なにより一日中歩いたり野宿しないで済むというのが、三日という短い時 間ではあったけれど旅をしたあたしには何よりも嬉しかった。  でも……ここにいて、男に戻れるのかな……  梅さんはあたしに言った。「自分で男に戻る方法を探せ」と。  昨日、神官長の以外にスゴい実力を目の当たりにしたものの、それでも不安が胸にわだかまる。男に戻りたく ても、自分で何もしていないから何もわからない……全てを他人任せにして、戻れるか、戻れないか、その運命 さえも自分で掴み取る事の出来ない現状が拭い去れない不安を煽り立てる。  ここでこんな事をしていていいんだろうか。――この神殿はめぐみちゃんやみっちゃんがいて、とても居心地 がいい。  だからこそ、あたしは不安を感じてしまう。  けれど今のあたしはフジエーダの街から次の街に行くだけの力もお金もなにもない。仮に今すぐ旅だったとし ても、数日とたたずに身動き一つ取れなくなってしまうだろう。  目には見えず、手で触れる事すら出来ない見えない壁……あたしは不安と言う名のその壁を乗り越える事が出 来ず、この神殿を立ち去る事が出来ずにいた……… 「やっほ〜〜。お疲れお疲れぇ。どう、受付って簡単そうだけどとてつもなく大変だったでしょ」  時刻が昼を回り、太陽が最も高くなる頃になってようやく人の数が少なくなった。それを見計らい、午前の受 付終了の看板を入り口の外に置いたあたしは、外に出ている間に受付に現れたみっちゃんの笑顔に迎えられた。 「はい、差し入れ。フジエーダ名物、「キンキンに冷えた美味しい地下水」。美味しいわよぉ」 「ど…どうも……ふぅ……」  足首近くまで覆う長さのイメージとは異なり、シャツと短パン姿の上に羽織った僧服は風を良く通してくれた。 けれどそれでも南部域の熱く湿った空気は涼しい森の傍で暮らしてきたあたしにはキツいものがある。  額ににじむ大粒の汗を袖をまくった腕で拭い取り、冷たい素焼きの瓶を受け取るとその中身をあおって一気に お腹へと流し入れる。そうしてようやく一服を付いたあたしは空になった瓶を両手で包み持ちながら受付広間の ベンチへとぐったり座り込んでしまった。 「それにしてもスゴいじゃない。アレだけの人数を一人でさばいちゃうなんて。途中で何度も覗きに来たけど、 あたしには無理だわ」 「いやぁ……最初は照れくさかったけど、途中からはもう無我夢中で……でも、見に来たんなら手伝ってくれた って……」 「ニャハハハ。あたしの方の仕事も手が離せなくてさぁ。任せられるなら任せちゃおう、と思って。いやいや、 あたしもたくや君一人じゃ大変だろうなとは考えたんだけど、それでも複雑な事情があって」  汗だくのあたしと違ってミニスカ僧衣のみっちゃんの表情は涼しげなものだ。確か食堂で朝食を取っている時 に「たくや君でも出来る楽な仕事だから」と言われて受付を任された気がするんだけど……  そんなあたしの「だまされるもんか」という思念を込めたジト目を受けて、さすがのみっちゃんは笑みをわずか に崩す。そして頬をぽりぽり掻きながら明後日の方向に目を向けると、 「えっと……一応これって部外秘だから…ごめん、離せないの。ホント〜〜にごめん!」  あたしの目の前でパンっと手の平を合わせ、腕の間に通すかのようにかなり低いところまで頭を下げてきた。 「えっ、えっ?」  自分で下げる事はあっても、項まで謝られた経験の無いあたしが戸惑いの言葉を上げて慌てて立ちあがる。す るとみっちゃんは目に涙を浮かべた顔を上げ、あたしの両手をとって胸の前でキュッと握り締める。  女の子(しかもかなり可愛い)の涙を浮かばせた顔をこんな、息が吹きかかるような距離で見るなんて、それこ そ初体験。みっちゃんの目尻に玉のような涙が浮かぶのを見て、あたしの旨は思わずドキドキしてしまうのであ った。 「実は…今、この神殿では関係者以外には極秘である計画が進行しているのよ……」 「ご、極秘!?」 「そう。たくや君はあたしの友達、ううん、親友だと持ってる。だけど一時のアルバイターに極秘計画を知られ てしまえば……分かるでしょ?」 「う………うん……」  そんな目で見つめられたらあたしに反論する術は無い。加えて極秘という一言にただならぬものを感じたあた しは顔を肯かせるより他に術を持たなかった。 「―――というわけで、たくや君には午後も受付を続けてやってもらうって事で、ひとつよろしく♪」 「へっ……あ、ウソ泣き!」 「いやぁ、たくや君てば素直と言うか擦れてないって言うか、こんなに簡単に騙されちゃう様ならこれからが大 変よ。と言うわけで、はいこれ」  騙したのはみっちゃんじゃないの!――そう反論するよりも先に、けろっと笑顔に戻ったみっちゃんはあたし の前に一枚のカードを差し出した。 「冒険者登録カード。性別は女ってことにしてあるけど、これから旅をするなら何かと必要だと思って登録しと いたから。強力な武器とか魔法はこれが無いと買えないしね」 「ちょ…ちょっと待って。冒険者!? あたしが!?」 「うん、そう」  そうって……随分簡単に言ってくれるけど、あたしは冒険者になるつもりなんて無いのにぃ!!  確かにこの先も旅に出るとなると、冒険者として登録しておけば損は無い。それは同時にあたしの身分を保証 するものだからだ。  大なり小なり神殿と呼ばれる場所には悪意ある人間は近寄りづらい。加えて場所を清める為にも幾重にも浄化 の結界が張られていて、そこに足を踏み入れて厳然たる審査を通過して冒険者の証を受け取ると言う事は、自分 が冒険者として相応しい人間だと証明する事でもある。  だが実際に、巷にはガラの悪い冒険者も大勢いる。そう言う人の多くはモグリ…というわけではなく、単に登 録していないだけだ。まぁ、パーティーのうち一人でも登録しておけば仕事の斡旋は受けられるし、噂ではお金 で登録カードを手に入れることも出来るそうだ。  アイハラン村には神殿はおろか教会も無かった。けれど魔法補助機としての性能が高いスタッフや魔法の知識 を求めてやってくる冒険者は時々やってきては、あたしの家を兼ねた道具屋で買い物をして行ったのでそう言う 事を一通り聞いてはいたけれど…… 「あたし、いつ審査受けたっけ……」 「まぁまぁ、たくや君はもうあたしたちの仲間みたいなものなんだし、犯罪に手を染めるような人間じゃないっ て分かってるもの。だから審査期間は省略して、ほら、ここのところに神官長のサインも入ってるでしょ。だか ら偽造でもなんでもない、正真正銘まっとうな登録だから安心して良いわ」  反射的に受け取ってしまったけれど、トランプとそう変わらない大きさのカードにはあたしの名前と出身地、 登録したアリシア神殿が身分を保証する事などが細かく書きこまれている。しかも確かにあの神官長の承認まで 入っているし。―――結構いいかげんなんだなぁ……  と、納得できないところはあるけれどせっかく貰えた冒険者カード、あたしの名前の入ったそれを珍しそうに じっくり眺めていると、 「………モンスターテイマー?」  職業欄に聞き慣れない言葉が書かれていた。  冒険者の職業と言えば戦士や魔法使いなどが一般的だけれど、中には学者や薬士、吟遊詩人と言った人もいる。 言うなれば、その本人がどのような能力で持って何を生業にしているかが職業欄に一般的な名称として書きこま れるのだ。  けれど、モンスターテイマーと言う職業をあたしは見た事も聞いた事も無かった。 「あ、それね。なかなかかっこいいでしょ。たくや君がモンスターを操れるって聞いて、あたしがつけたんだ。 意味は魔物を使役する、ってところね」 「魔物…モンスターを?」 「そうそう。あの黒い本に聞いたんだ。それってスゴい才能よ」 「け…けど、普通は戦士とかそう言うのじゃ……」 「じゃあ聞くけど、剣を振りまわせるの?」 「うっ……」  武器を持って勇敢に戦う戦士。――あたしにはナイフかそこらがせいぜいだろう。 「魔法も使えないんでしょ?」 「あうっ……」  さまざまな魔法を行使し、仲間を助ける魔法使い。――あたしが魔法を使えないのは今更言うまでも無い。 「カギ空けできる? 足は速い? 薬の知識は? 実家は道具屋さんって言ってたけどお金を持ってないんでし ょ?」 「あ…あうあうあう……」 「そういうわけだから、たくや君の職業は魔物使い、モンスターテイマーで決まりぃ! それがイヤなら無職っ て言うのもあるけど……未分掌底時のたびに無職ですって晒して回るのは恥ずかしいわよぉ……まぁ、あたしに は関係無いから、どうだっていいんだけどね」 「あうううう〜〜〜〜〜っ」  言葉もありません。あたし…そんなに無能なんですね……しくしくしく…… 「でも冒険者の職業なんて見栄か自称よ。それに比べてたくや君のは立派な才能なんだし、世界に一人だけの職 業だと思えば立派なステータス。おおやったね、これでたくや君も有名人♪」  別に有名になりたいわけじゃないのに……しくしく……  けどまぁ、もし旅に出るなら冒険者カードがありがたい事に変わりは無い。これ一枚で身分証にもなるし通行 手形にもなるし。――いろいろ言いたいことはあるけど、午前の仕事で付かれきってるし黙ってもらっとこっと。 「ところで、この街はいつ出立するの?」 「………あうっ」  い…一番聞かれたくない質問をさらっとしないでよぉ……  受付の仕事を慌しくこなしながらも頭でずっと考えていた事だけれど、先立つものが無い以上、結局日取りな んて決められるはずが無い。どちらかと言うと、 「あの……もう少しここにお世話になろうかなと。路銀も無いから旅なんてとても…ははは」 「そうなの? じゃあたくや君はプリーステス(女僧侶)になるのね」 「………へっ?」  ずうずうしいかなと自分でも思いつつ、照れ笑いを浮かべながら口に舌提案に返ってきた答えを聞いて、あた しの頭は一瞬動きを止めてしまった。 「それもいいかもね。神官長も仕事の合間を縫ってはあの黒い本を持って書庫に篭ってるし、そのうち元の体に 戻る方法も見つかるわよ」 「そうかもしれないけど……」 「たくや君がここにいてくれるって知ったら、きっとめぐみも喜ぶわ。あ、当然あたしも嬉しいわよ。女性は多 いけどほとんどが年上だから肩身が狭かったしね♪」 「そ、そうなんですか……ははは」  そっか……べつにここにいたっていいんだ。ここで待ってれば、そのうちきっとあたしの身体も戻してもらえ る……  みっちゃんの言葉にあたしはわずかばかりの安心を得る。あたしの行動が少しでも許される……そう思うとあ れだけ思い悩んでいた心がスッと軽くなり、気分的に楽になる。けれど、 「………だけど、ずっといるのはイヤなんでしょ。顔に書いてあるわよ」 「えっ? あっ、ええっ!?」  そう言われ、困惑しながら顔を手に当てる―――が、顔に墨などで文字が書いてあるはずも無く、あげた視線 の先ではまたしてもみっちゃんが口に手を当てて笑い声を噛み殺していた。 「み…みっちゃん! またあたしを騙したわね!」 「いや、騙したって言うか、たくや君ってば考えが顔に出過ぎよ、アハハハハッ」  もう…お腹を抱えて爆笑しなくたっていいじゃない。そりゃ…村でも明日香によく笑われたけど……直らない ものはしょうがないじゃない。 「う〜〜〜っ」 「まぁまぁ、そんなに怒らない怒らない。もう笑わないって。だからお詫びにお姉さんがたくや君の悩みを聞い てあげようじゃないの」 「お姉さんって言っても、それほど年は変わらないし」 「シャラァァァップ! これでも僧侶暦10年。人呼んで懺悔室の女神様とはあたしの事よ!」  女神……かなり騒々しそうな女神様よね。 「ん? 今なにか変な事を考えなかった?」 「い、いえ。別になんでも…ははは……」  なんて感の鋭い…… 「こほん…まぁとりあえずあれよ、今のたくや君って欲求不満と言うか若い子にありがちな可愛い女の事一晩同 じ屋根の下にいてなんにもしなかったから、ずばり、溜まってるんでしょ?」 「んなっ!?」 「ふふん、やっぱり図星ね。どうせ朝はあたし達に見られない様に慌てて朝だちしたおチ○チンを小さくする為 に昨日のあたしやめぐみの指の感触で一発……ああ、神よ。あたしったら神様に使える身なのに男の人を誘惑し ちゃうなんて悪い僧侶です。だけど、想像とは言え男の人の煩悩を少しでも紛らわせて上げられるならそれもま た神に仕えるものとして喜ぶべき事なんじゃないかとあたしは思っちゃったりするんですけど〜〜」 「な、なにを、何を口走ってんのよぉぉぉ!!」 「あ、そっかぁ。今のたくや君にはおチ○チンが無かったんだっけ。てへっ♪」 「可愛く言ったってダメッ!! それに神様がどうのこうの言ってる割りになっ…なんつー事を…あああああっ、 どうしてみっちゃんのようなのが僧侶なのよぉ!!」 「落ちついて落ちついて。これもたくや君のストレスを紛らわせる為のジョークじゃないの」 「そんな言葉で誤魔化されないわよっ!―――ストレス?」 「ほぉら、誤魔化された♪」 「うっ…うわあぁぁぁん、みっちゃんがいじめる〜〜!!」 「はいはい、いい子だから泣かないでね〜。飴玉でもあげよっか?」 「いらないわよっ!―――うぅ〜〜〜……」 「あはははは、ま、これから良い事もあるから泣き止みなさいって。葛藤してるのも分かるけどさ」  あたしの背をぽんぽんと叩くみっちゃんは一緒にベンチに腰を下ろすと、あたしの前に一枚の紙を差し出して きた。 「グスッ……なにこれ?」 「ん〜〜、地図。この街に一件だけある娼館のね」 「………娼館?」  涙を拭って受け取った紙にはみっちゃんの言葉通り、神殿から街壁近くの娼館への道筋が書かれていた。 「まさか…あたしに娼館に行けって?」 「そっ。多分そうした方がいいんじゃないかと思ってさ」 「!? そんな……」  みっちゃんは簡単に言葉を告げるが、あたしの困惑は大きい。  娼館と言えば女性がエッチな事をして男性からお金を貰う場所……だって聞いている。つまりみっちゃんはあ たしに男に抱かれろと間接的に言っているのだ。  手にした地図と笑みを浮かべたままのみっちゃんの顔とを交互に見つめても答えは出ない。結論―――そんな ものは決まっている…はずなのに、「イヤッ」と一言口にする事がどうしても出来ない。まるで不思議な魔法をか けられたみたいにあたしは口をつぐんだまま、頭に渦巻く悲しみに似た混乱に当惑するだけだった。 「―――あたしが思うにね、たくや君の悩みって自分で何もできないことだと思うのよね」  いつまでたっても喋らないあたしの横で、みっちゃんは正面に位置する受付へと視線を向けながらゆっくりと 語り始めた。 「男に戻りたい〜戻りたい〜って言ってもさ、結局ここにいる限りは神官長に頼むしかないし、お金も無いから 方法を探しに行く事も出来ない」 「……………」  あたしは黙したまま、みっちゃんの言葉に耳を傾ける。 「きっとここに泊めてもらえなかったら先代神官長の家にでも行ってたんじゃない?」 「………うん。そう思ってた」 「そうでしょ。そうして他人に甘えて自分では何もしない。何かしようと思ってても結局は他人任せなのよね」 「そんな事無い!」  自分じゃなんにもしていないなんて…そんな事、ない。  みっちゃんの言葉に反射的に声を荒げてベンチから腰を上げたけれど、それに続く言葉をつむぐ事が出来ない。  あたしが女になってからやった事―――せいぜいが泣いた、叫んだ、後はここまで歩いてきた事ぐらいだ。  食べ物だって梅さんや重と松って言う商人からタダで貰ったものばかり。服も、荷物も、全て他人から与えら れたものばかりだ。  自分の力で手に入れたものといえばスライムのジェルぐらいだけど、それだって状況に流されて、結果的に契 約できただけ。  今日、ここで働かせてもらえたのだってみっちゃんに話を持ちかけられたから。進んで自分から働かせてもら っているわけじゃない。  ―――何も言えない。言い返せない。  拳を作っても震わせるだけで何処に向ける事も出来ない。みっちゃんの言葉はあたしの抱えていた矛盾を的確 に付き、それをあたし自身が無意識に認めていたから……もし怒りを向けるとすれば、今まで何もしようとして こなかったあたし自身に向けられるべきだった。 「たくや君、立ってるのも疲れるでしょ。さっきまであんなに頑張ってたんだから。ほら、座って座って」 「………うん」  立ちあがったときの勢いを失ったあたしは引かれるがままに腰を落とす。そして入れ替わる様に立ちあがった みっちゃんは一歩前に進むとしゃがんであたしと視線の高さを合わせると、変わる事の無い明るい笑顔を浮かべ て、 「だ〜いじょ〜ぶ。たくや君ならそのうちなんでもやれちゃうようになるって。それにさ、考え様によっては女 の子になったのもラッキーかもしれないよ。だってものすごく可愛いんだもん。男の人が娼館で働くのは難しい けど、たくや君なら即採用!…って感じになると思うから」 「けど……あたし、娼婦なんて………」 「そうよね。男の子なのに男に抱かれるって言うのも……あたし的には耽美的でいいと思うけどなぁ♪ 純潔を 守りたいって言うんなら勧めないけど、冒険者やってる女性にも娼婦をやってる人もいるし、まぁお金を手に入 れる手段の一つ、って事で考えてみて」 「…………………」 「それともう一つ、今のたくや君にとって何が一番大事か、って事もね。――さ〜て柄にも無い事ばっかり言っ ちゃったからお腹減っちゃった。どう? たくや君も食べに行かない?」 「………うん。そうだね。あたしも朝から働きっぱなしだし、午後に備えていっぱい食べよっか」  あたしは俯いていた顔を勢いよく跳ね上げると、みっちゃんを押しのける様に立ちあがる。 「おっ? 急に元気が出てきたじゃない。さては吹っ切れたなぁ〜〜?」 「ふふふ、なんだか言いくるめられたって感じがしないでもないけどね。さ、行こっか。めぐみちゃんもたぶん 待ってるよ」  そう言うとあたしは足を前へと踏み出した。  あたしにとって一番大事なのは男に戻る事。  だったら他の事は二の次にしてでもあたしは前に進まないといけない。  その事を教えられ、決意を固めたあたしはやっと自分がどうするべきかわかったような気がした―――のだけ れど、  いざ足を踏み入れるとなると覚悟がいるのよね……  あれから二日、目の回るような受付業務を一人でこなしながら娼館をたずねてみようと決心を固めたあたしは マントを頭から被って夜の神殿宿舎をこっそり抜け出し、夜の賑わいを見せる歓楽街を抜けて娼館の前までやっ てきていた。  ―――けど、これが娼館の門……って言うにはかなり貧相な気がする。  歓楽街の脇道に入って右に左に何度も曲がり、直進すれば近いだろうとは思いながらも月明かりに照らされた 地図を頼りになんとか辿り着いたのは、今にも朽ち果てそうな掘建て小屋だった。  周囲は高い壁に囲まれて星の光もほとんど届かない。そんな不気味な場所に建つ倒壊寸前のボロ小屋は扉も傾 いて今にも倒れそうな上に、隙間からは明かりの一つも漏れ出ていない。  さすがにこれは道を間違えたかな……そう思いながらもここまで来たんだし、誰もいないか覗くだけ覗こうと 腐りかけた扉の取っ手を掴んで蝶つがいの錆びた扉を開け、薄暗い小屋の中へ首を差し入れた。  当然小屋の中には何も無い。明かりはおろか真っ暗な室内には家具の一つも無い。  やっぱりここじゃないんだ……覚悟は決めていたはずなのに何処かほっとした胸を撫で下ろして小屋を後にし ようとするけれど、小屋の奥の壁にあった扉の存在が振り返ろうとする視界の端をかすめた。  こう真っ暗で人気がない場所はいやな思い出を思い出してしまいそうだから長くはいたくないんだけれど、ど う言う訳か入り口の扉と違って朽ちた感じの無い扉に違和感を覚えたあたしは小屋に足を踏み入れる。  ふ〜ん……隣に部屋があるのかな?  あったとしてもどうせボロボロの小さい小屋だろう。――そんなあたしの予想を裏切る様に、軋む音を立てず に滑らかに開いた扉の向こうは木製のボロ小屋などではなく、明るい照明に照らされた煉瓦造りの建物の中だっ た。 「………えっ…これ…どう言う事?」  部屋はそれほど広くは無いけれど、入ってきた扉の正面には小さいがしっかりした作りの受付カウンターがあ る。――が、酒場の延長線上のような退廃的なイメージを娼館に抱いていたあたしは、あまりのイメージの食い 違いに困惑が隠せない。 「あ〜、やっと来た。遅いよ、もう。どうせ迷子にでもなってたんでしょ!」  !? こ、この声は……  カウンターの奥の扉から響いてきた聞き慣れた声にあたしは自分の耳を疑った。  けれど声に遅れること五秒ほど、その扉を押し開いて現れたのはあたしのよく知る服装ではなく体のラインが 浮かび上がるドレスを身に纏い、三つ編みを解いた彼女の名前を、姿が現れた直後に思わず叫んでしまっていた。 「みっちゃん、どうしてここにいるのよ!?」


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