第一章「転性」03
後ろ手に縛られたあたしが連れてこられたのは森沿いの道の途中にある広めの空き地。ぽっかりと森が抉れた
かのように広がる円形状の土地に、今は大き目の馬車が五台停まっていた。
時間も日が沈む夕暮れ時と言う事もあって、馬車の周囲には石を積み上げてかまどがいくつか作られていて、
なべを載せて煙を上げるその間を夕食の準備の貯めに数人の人たちが走りまわっているのを見る事ができた。
「これ……キャラバン?」
あたしを捕まえた男たちの様子から山賊かとも思っていたけれど、旅装束は着ているけれど武装はしていない
人々の光景を見て、長かった緊張もようやく解けていく。
キャラバンと言うのは、元は隊を組んで砂漠を渡る隊商の事だったけれど、今では大陸中を移動する商人の一
段の事を指し示す。アイハラン村にも年に数度やってきて、市場に大陸中の珍しいものを売る出店を開いたり、
道具屋をしているあたしは村の特産物を売ったり買ったりと色々と付き合いもあった。
並んでいる馬車のうち四台は布で荷台を覆っている大き目の幌馬車で、残る一台は頑丈そうな木製の馬車だ。
規模としては小さいかもしれないけれど、後ろにいるような連中を護衛として雇っているぐらいなんだから、こ
れらの馬車を生活の場、兼、移動する商売拠点としているキャラバンか、もしくは――
「残念ながら外れだ。こいつらは東の方から珍しいものを運ぶ途中なんだとよ」
そう答えたのはあたしを縛る紐の端を握っているリーダー格の筋肉男だ。
大陸の東――それが意味するのは大陸とは文化の異なる東部諸島のことだろう。行き帰りが大変らしいけど、
オリエンタルと称される品々は高値で取引されている。
ふぅん……だからこんな連中を護衛に雇ってるんだ。山賊に襲われたら一たまりも無いもんね。
とはいえ、こいつらの方が山賊っぽいんだけど――
「よし。それじゃこの女の取調べはメシの後にするか。お前ら、最初は俺がやるからそれまで手を出すんじゃね
ぇぞ」
「「「へい、親分」」」
「―――へ? と、取り調べぇ〜〜〜!?」
突然言われた物騒な言葉にあたしは慌てて振り向いた。
「なんであたしが取調べなんてされなきゃいけないのよ! なんにも悪い事してないのにぃ!!」
「ふん。随分とふてぶてしい女だな。お前が山賊の一味だと言うのはとっくに分かっているんだぞ。それでもし
らを切るのか?」
「山賊って……あたしがぁ!?」
「ああ、そうだ。こんな森の中に一人でいるやつが山賊でなくてなんだと言うんだ。森の中で迷っていた? ―
―ふん、確かに服はボロボロだが……」
訳もわからず山賊扱いされて憤慨するあたしを見ながら筋肉男はニヤニヤと笑いながらこちらに向かって手を
伸ばし、さっき野犬の爪に引き裂かれた肩口をつかまれた。―――ビリッ!
「見ろ、肌に傷一つ無い。どうせあの犬も飼いならしてたんだろう?」
「え…う、うそ!?」
引き裂かれた袖の下には先ほどの野犬に襲われたときの傷がついているはずだった。
けれどあたしの肩には傷など一つも無かった。まるでゆで卵を思わせるような白い肌にはまだあの時の鋭い痛
みの感触が残っていると言うのに、だ。
どうし…て……?
その不思議な現象に、山賊扱いされた事への怒りも忘れてしばし呆然と自分の肩を見つめてしまう。
昨日まで――魔王と名乗る本に出会う事も無く、女ではなく男の体のままのときにはこんな事は一度も無かっ
た。明日香に無理やりやらされた剣の素振りで怪我したり木刀でアザだらけにされた時は治癒呪文で直してもら
ったりしたけれど、そうでなければ簡単に直る事なんてありはしなかった。
ひょっとして……魔王の本が直してくれたとか?
いや、それも考えにくい。森の中で突いたたくさんの傷もどうやら治ってしまっているみたいだけど、ついさ
っき傷ついてからここに連れて来られるまでの間に魔法を掛けられた気配はまったく無かった。
じゃあ、あたしが女になったりしたことに何か原因が……
あまりに不可思議な事が連続しすぎて思考はさらに深みにはまっていく。けれど、背中に回した手首を縛る紐
を引かれる感触で我に帰り、力を加えられるままに一歩二歩と後ろに歩んでしまう。
「ちょ、ちょっと待って! あたし本当に山賊じゃないの、ねぇ、だから引っ張らないでってば!」
「お前が山賊かそうじゃないかは夜になれば分かる。今晩一晩、たっぷり取り調べてやるからな、くっくっくっ
……」
あ〜ん、なにか嬉しそうに笑ってるよ。どうして、どうしてあたしの話を聞いてくれないのよ。ほんとうに、
あたし、なんにも悪い事してないのに〜〜〜〜〜〜!!! せめてこの紐どうにかして〜〜〜!!
「で、どこにつないどきますか?」
「そうだな…地面に杭でも打って首輪でもつけるか。明日の朝まで犬扱い、どうだ?」
「せっかくの上玉なんだぜ。やっぱり亀甲縛りで全裸さらして…ど、どうよ!?」
「その前に処女かどうか賭けねぇか? 山賊の仲間なんだってんだから非処女に100!」
うわぁ〜〜〜、なにかものすごく危ない事を口走ってるよこの人たちぃ! あたし男なんです、だからそう言
うマニアックかつ変態さんプレイは――
「これ、おぬしら警備の仕事もせずにこんなところで何をやっとるんじゃ!!」
「ひっ……!」
大気一喝。
まるで雷でも落ちたかのような大音量の叱責の声に、あたしを含め、この場に居る人間全員がその動きを止め
てしまう。
キーンとする耳鳴りに頭を振りながら声の聞こえてきた方を見ると、どうやら馬車の方から来たらしい、一人
の腰の曲がった老人があたしたちのすぐ側に立っていた。
旅装束で武器を持っていないので荷を運ぶ商人の一人なのだろう。小柄でやや痩せ型だけれど、糸目のその表
情には長年培ってきた威厳に満ち溢れていて、こうして前に立っているだけでもいつ怒鳴られるかとハラハラし
てしまうほどだった。
「寺田殿。今回の仕事はあなたを信じて依頼したものだったが、小娘一人さらってきて何を遊んでおるのですか
な!?」
「さ、さらってきたわけじゃない。ただ、この先にいたんで…その…怪しかったんでとりあえず……」
「またですか! 先日もそう言って近くの村の娘に手を出し、私が謝罪したのをお忘れか!?」
「いや、今度、今度は間違いない。この女は本当に怪しいヤツで――」
「まだ言っておるのか!!」
うわ……あのおじいさん、貫禄あるな……筋肉男――寺田って言ったっけ?――がタジタジになってる。
会話の内容や態度から察すると、どうやらこのおじいさんが商団のリーダーのようだ。雇い主の機嫌をなだめ
ようとする寺田だけれど、老人の厳しい叱責はより激しさを増す一方だった。
少し可哀想なほどに怒鳴られる寺田の様子を未だに縛られたままぼんやりと見つめていたけれど、ふと、老人
が腰の後ろにつけていた奇妙な形の物に目が行ってしまった。
――あれ? なんだろ…あれってたしか…瓢箪……だったかな?
一度だけ、アイハランの村に来たキャラバンの人に見せてもらった事がある、東部諸島原産の植物……だった
はずだ。水やお酒を入れる容器として使われるという中央がくびれたその独特の形は記憶に残っている。けれど、
あたしが昔見たのはビン程度の大きさだったのに、このおじいさんのは人の身長の半分はあろうかという大物だ。
「――ところでお嬢さん、ちょっとよろしいかな?」
「……………………」
「もし、聞こえませぬかな? もしもし?」
「………へ? あたし?」
そっか……そういえばあたし、女の子になってたんだっけ。
ひとまずお叱りは済んだのだろう。少し肩が下がった寺田を後ろに残して歩み出たおじいさんはあたしの前に
やってきた。
「あの…すみません。まだちょっと慣れてないみたいで……あはは……痛っ!」
呼ばれているのに気付かなかったことを笑って誤魔化そうと――したんだけれど、あたしの手は未だに拘束中。
手を上げようとしたときに縄がよじれて肉に食い込んだ痛みに顔を歪めると、おじいさんににらまれた護衛の剣
士の一人がやっと縄を切ってくれた。
「いやいや、ワシの配下のものが手荒な扱いをいたしましてすみませなんだ。さぞ不愉快な思いを為された事で
しょう、いや、まことに申し訳ない」
先ほどまでの怒鳴り声は雷雲と一緒にどこかに行ってしまったかのように、商売用の笑みを浮かべた老人はあ
たしに向かってぺこりと頭を下げた。
「そ、そんな、そんな事ないです。そりゃ縄で縛られたりしたけど、野犬に襲われてたところを助けてもらった
し、――だからそんな、気にしないで頭を上げてください」
こんなに丁寧に謝られたら…もう許すしかないじゃないの。
「ふむ……どうやら旅のお方ではないようですが、この近くにお住まいで?」
「えっと…そう言うわけじゃないんだけど……あたしにもそこのところがよく分からなくて……う〜ん……」
さすが商人……というほどでもない。あたしの格好は儀礼用の鎧の下に着ていたシャツとズボンだけ。見た目
よりも丈夫さや肌の露出を減らす事などを重視する旅人用の吹くとは明らかに材質が異なっている。きっとあた
しでも同じ判断を下すだろう。
それに荷物を何も持っていないというのもおかしい。旅をするなら全部の荷物を入れる背負い袋に、何かと使
う頻度の多いナイフ、予備の衣服、テント、食料――と、いろいろなものを持って歩かないといけない。他にも
護身用に剣とか杖、魔法使い初心者なら魔力さえあれば使える魔道書とか…………あれ?
「…………あ、魔道書!」
いっけない。もしかしてあそこに置いてきた!?
こめかみに指を当てて考え込んでいたあたしは自分の手の中にあの黒い本が無い事にようやく気付き、ここに
落ちているはずがないと知りながら慌てて辺りを見まわした。
「魔道書? それはどのようなもので?」
「えっと…黒くて分厚くて古くてボロボロで…それとあと、喋るんですけど……」
「喋る? ――まぁ、それはともかくとして、その本ならほれ、そこの者が今背中に隠しましたぞ」
老商人が相違って傭兵の一人をあごで指し示す。
雇い主の老人と持ち主のあたし、この二人の視線を浴びて最初は空を見上げて口笛を吹いていた男も居た堪れ
なくなったのか、ばつの悪そうな顔をして後ろに隠していた本をあたしに手渡すと、寺田を始めとする他の護衛
の人たちと一緒にそそくさとその場を立ち去ってしまった。
「あ…どうもありがとうございます」
よかった…こいつがいないと男に戻れなくなっちゃうもんね。
今のところ、あたしが元に戻る手がかりはこの本だけだ。本当は捨ててもかまわないぐらい迷惑な本だけど…
…とりあえず見つかった事でホッと安心してしまう。
「―――どうやら色々と訳がおありのようじゃな。どうかな。よければあちらの馬車で落ち着いて話を聞かせて
もらえんかの?」
肉体的にも精神的にも疲労がピークに達し、少しでも休みたかったあたしは誘われるままに唯一の木製馬車の
中へと足を踏み入れた。
「わぁ……」
中に入った途端、あたしは思わず感嘆の声を上げてしまう。
馬が二頭で引く大型の馬車は小さ目の部屋一つに車輪をつけたようなものだった。天井につけられたガラスの
はめ込まれた大きい天窓から明かりが差し込む室内は荷物が積まれていささか手狭ではあるけれど、そこに染み
付いた「仕事」の雰囲気というものを強く感じさせるものだった。
出入り口はあたしが入ってきた馬車後部の扉と御車の席へとつながる小さな扉の二箇所。側面の壁には窓はつ
いていないもののベッドや棚といった調度品が取り付けられていて、中央には小さいながらもテーブルと椅子が
二脚置いてあり、その上には地図や取引の明細を示す書類などが散乱していた。
親に任されたものとはいえ、あたしも道具屋を切り盛りしていたためか、商用として用いられてきた馬車内に
漂う年季に尊敬に似た感情を抱いてしまう。
「まぁ、旅の途中じゃから対したおもてなしもできんがの。ほれ、ここに座りなされ」
「あ…ど、どうも……」
この馬車はおじいさんの私室なのだろうか、テーブルの上にあったものをかき集めて部屋の隅に置かれた収納
箱にまとめて押し込むと、あたしに席を勧めてくれる。
「まだお若いようじゃがワインなどいかがかな? 東部の銘酒「霧隠れ」もありますぞ」
「い、いえ、そこまでしてもらわなくても、い、いいです! あたし、えっと、お酒はあんまりだし、だから、
あの、えっと……」
いささか過分過ぎるおもてなしに困惑したあたしがしどろもどろに断ると、おじいさんは「それでは食事でも」
と言って、ドアの外に居る人に言付けをしてしまう。
「あの…本当にありがとうございます。あたし、もうお腹ペコペコで……」
そう言いながら押さえたお腹は、今にもグ〜となりそうなほどの減り具合だった。なにしろ、儀式の前の朝食
昼食は緊張のあまり喉も通らなかったし、森の中では水一滴さえ口にしてはいないのだ。
「カッカッカッ、遠慮する事はありませんぞ。困っている時は助け合うのが旅人の礼儀ですからな。そうそう、
果実の絞り汁があったな。あれならばお嬢さんでも飲めるじゃろうて」
壁に取り付けられた棚からビンを取り出したおじいさんは、あたしの前にグラスを置くと黄色い色の果汁を手
ずから注いでくれた。
宝石のように透き通る液体からほのかに立ち上る柑橘系の甘い香りは唾液さえ出なくなった喉の渇きを思いっ
きり刺激してくれた、その誘惑に耐えきれなくなったあたしは老人の目を気にしながらもグラスに口をつけると、
ついつい一気に中身を喉へと流し込んでしまう。
「〜〜〜〜〜〜っ!! ―――はぁ、生き返ったぁ♪」
「ほれほれ、遠慮せずにもう一杯。――おお、良い飲みっぷりじゃ」
そうして注がれ飲み干し、あっという間に一本ビンを空にしてようやく人心地がついた。
そんなあたしの様子をみて頃合と取ったのか、おじいさんは笑みを少々引き締めるとテーブルを挟んだ正面に
座り、
「さて……それでは事情を話してくれますかな?」
と切り出してきた。
「先ほどはかばいましたがワシもこれでも商人の端くれ、なんの確証も無しに人を信用したりはいたしませぬ。
美人を疑うのは心苦しい事ですが、善人面をして悪事に手を染めておる人間などごまんと見てきましたからな」
「………美人? あたしが?」
商人の老人はまじめに話をしているのだろう。あたしのように簡単に人を信用してしまうのはさまざまな事か
ら益を求めようとする商人としては不用意過ぎる事だ。
けれど、そう言った事を理解しているにもかかわらず、あたしは思わず「美人」という言葉を聞き返してしまう。
「………いや、やっぱりそれはないでしょ? だってあたしが美人って…もう、冗談ばっかり」
「何を言いますか。この梅吉、商売柄女性を見る目にはいささか自信がございます。誰と比較してご自身を卑下
しておるかは知りませぬが、あなたなら都の美姫にも決して引けを取りますまい。いやいや、磨けば貴族への輿
入れも夢ではありませんぞ」
「ビキ? コシイレ?」
「む、あまり使わぬ言葉でしたかな。美姫とは美しい姫、聖央都クラウディアには美しい女性も集まりますので、
そのような美女を指してそう言うのです。それと輿入れとは貴族の側室に入る事。もしお世継ぎを生んで正室と
もなれば巨万の富を手にする事は夢でもありませんぞ」
「ちょ、ちょっと待って、何を嬉しそうな顔してとんでもない事言ってるのよ!」
「いやいやいや、これはお世辞でもなんでもありませんぞ。もし身元をちゃんと証明できましたら、この梅が、
あなたを社交界にデビューするまでサポートいたします事も――」
「そうじゃなくて! あたしは男なの! 声も喋り方も女の子っぽくなってるけど、それでもあたしは男だから、
貴族の側室とかには絶対に入れません!」
「………男?」
あたしが急に叫んだから驚いたのか、老人は細い目を白黒させ、テーブルに手を叩きつけて立ちあがったあた
しの顔を呆然と見上げていた。
「そう、あたしは男なの! 誰がどう言おうとそれだけは譲れないんだから。それに、こう言っちゃ悪い気もす
るけど、おじいさん、絶対に目が悪いでしょ。あたしが美人だなんて、そんな事は、絶対に、ない!!」
ただでさえ女になった自分を想像しただけで気分が悪くなりそうだって言うのに……美人だなんて言われたら
背筋におぞましい震えまで走りぬけてしまう。
「い…いやいやいやいやいや、もしや鏡を見た事がないのでは? しばし、しばしお待ちなされ」
そう言って自分でも何に怒ってるのか分からないあたしを押しとどめると、狭い馬車の中を駆けるように棚へ
と向かうと、なかなか凝った作りをした手鏡を一つ取り出した。
「ほれ、ご自分の顔を御覧なされ。もし判断の基準がわからぬというのであれば致し方ありませんが、あなたの
顔は十分過ぎるほどの美貌ですぞ、ほれ、ほれ!」
あ〜ん、なんでそんな鏡を押しつけるのよ。女になった自分の顔なんて見たくない〜〜!! どうせ首から下
だけ女になって顔は元通りのままで、そのものすごいギャップが……………え?
「これ………あた…し?」
手渡された鏡に映っているショートカットの女の子が、最初は誰だか分からなかった。それがあたし――たく
やだと気付いたのは優に一分以上経ってからの事だった。
いったいどうなってるの? 魔王のやつ、あたしの顔まで変えちゃったって言うの?
そう思ってはみたものの、よく見れば目や鼻といったパーツの一つ一つは男の時とそれほど変わりは無かった
し、男だったときの面影も残っている。もしあたしをよく知る人物に会えばたくやだって分かるぐらいには。
けれど鏡の向こう側にいる女の子は、あたしの目から見ても紛れもない美少女だった。
やや顔の輪郭は小さくなったように感じる。鼻筋や口元もそれに合わせて少し形が変わったのだろうか、童顔
だった自分の顔は幼さを残しながらも……なんていうか…自分でこう言うのもなんだけど……ものすごく…かわ
いい……
「はぁ………」
―――まだ信じられない。こんなにかわいいのがあたしだなんて……
もし村にこんなにかわいい子がいたら自分はどうしていただろうか。――そんな事を想像しながらサクランボ
のようにかわいらしく膨らんだ唇から小さく息を吐いたあたしは、鏡を握り締めていた両手のうち右手の力を緩
めると、パッチリと開いた目元から形よく尖った顎へと指を滑らせるとキメの細かな肌が指先に吸い付いてくる
ようだ。
なんで…こんな……どうしてあたしがこんなに可愛くなってるのよ……
昔から「拓也ちゃんはかわいいね♪」なんて近所のおばさんに言われつづけ、そのたびに成長しない自分に軽い
ショックを受けていたけれど、こうなってしまうと……
あっ……胸が…ドキドキしてる……
ずっと鏡の中の自分を見つづけていたせいか、どこか自分と似ている美少女に見つめられているかのようにな
ってしまったあたしの心臓は、今にも張り裂けそうなほどの勢いで全身に熱い血液を送りこんでいた。
今まで女の子と付き合った事なんて一度も無い。そんなあたしが自分の顔とは言え、女の子とこんなに近くで、
しかも視線を合わせて見詰め合うなんて初めての体験だった。
「あたしは……あたしは……」
熱く火照っていく頬に右手を当て、あたしはうわごとのように言葉をつむいでいく。けれど最後まで放たれな
かった言葉は今のあたしの心中を表すかのように、なんの意味も形も為さないまま空気の中にかすれていくだけ
だった。
「―――さて、鏡を見るのはそろそろよろしいかな?」
「ひあっ!?」
なにか悪い魔物に魅入られたかのように鏡を見つめつづけていたあたしは、不意に語り掛けてきた梅吉さんの
声に驚き、ビクンッと体を震わせながらなんとも言えない奇声を放ってしまう。
「とりあえず、ご自身が美人だと言う事は理解いただけたようですな」
その問いにコクコクと何度も肯いたあたしを見て梅吉さんは口元に嬉しそうな笑みを浮かべる。どうも「自分
が美人と判断したあたしが美人だということに納得してくれた」――という感じの笑みだろうか?
「それでは本題に入りましょうかの。とりあえず、事情を説明してもらうのは後にして――」
ふと、梅吉さんの口元に浮かんでいた笑みが、何か別のものへと変わった気がした。
そして――
「まずは全ての衣服を脱いで、危険物を隠していないか調べさせてもらいましょうかの」
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