第4章「−?」第2話


「はい、これで手を暖めなさい」 「あ…ありがと。つっ…くうううぅぅぅ〜〜〜!!」  名前も知らない女の子に連れられて自販機前までやってきたあたしは差し出されたホットコーヒーの缶を握り 締めた。  指が…指が痛いけど…気持ちいいぃ〜〜〜!!  伝わってくる熱さで凍りついた指の神経がほどけていくような感覚にたまらず苦悶に似た声を上げてしまう。  服装の方はと言えば、これまた女の子に貸してもらった飾りのない実用一点張りのロングコートを羽織ってい るので何とか我慢できるぐらいに寒さをしのげている。それでも剥き出しの太股は空気が動くたびにゾクッと肌 の表面に鳥肌が立ってしまうので、あたしはそばにあったベンチに座ると手に持ったコーヒーを足の間に押しつ けてちょっとでも暖を取ろうとする。  ああぁ…これだとアソコまで暖かい……パンツまで汁まみれだからものすごく冷るんだもん。あ〜、風がない だけでも極楽だなぁ……  耳をすませば、壁越しに外で吹きすさぶ風鳴りの音が聞こえてくる。あたしが金網に登るのに手間取ったせい で、ここに来るまでに日もすっかり暮れてしまった。あの屋上にあのままいれば寒くて暗くて、そして……うう う、今考えるとメチャクチャ危険な事しようとしてたよね……よかったぁ……助けてもらえて。 「そろそろ缶も冷たくなったんじゃない? 二本目もいる?」 「へ? ああ、いるいる。色々とありがと。コート貸したりしてくれたし」 「気にしなくていいわ。帰ろうと思ったらたまたま目に付いただけだし、飛び降りようとしている人を助けるの は当然の事でしょう? もっとも、本当に人生に嫌気が差してのことなら止めなかったかもしれないけどね」 「は…ははは……波乱万丈な人生は送ってるけどね。でも自殺って言うわけじゃないから」  人肌以下にまで冷えた一本目のコーヒーとあっつあつの二本目のコーヒーを交換してもらいながら、あたしは 普通の人なら絶対に経験しないような目にあっている境遇を改めて思い出し、苦笑いを浮かべた。  なにしろ男から女になっただけでも十分過ぎるぐらい珍しい体験なのに、一度でいいところを二度も三度も続 いて、今度は過去にタイムスリップ……平穏無事な日常ってどこに行ったんだろ? 「ふぅん、あなたも大変なのね」  あたしの笑みからどれだけの事が読み取られたのかは分からない、もっとも照明は既に落とされているので、 廊下を照らす明かりは自販機の電灯のみ。そんな薄暗さであたしの顔が満足に見えたかどうかもわからない。  けれど、全てを納得した様に一つ肯いた彼女は、あたしから受け取った冷えたコーヒーのプルタブを上げ、一 口、コクリと喉をわずかに鳴らして液体を飲みこんだ。  たったそれだけの動作なのに、どこか優雅さを感じさせる彼女の姿にあたしはついつい目を奪われてしまう。 「……そういえば聞きたい事があったんだっけ。いいかしら?」 「えっ…聞きたい事……ですか?」  それはまずい。彼女が誰かは知らないけど、あたしが未来から来たって知られたら……えっと……エッチな事 をされちゃう…っていうのは時間移動と関係ないだろうし……とにかくヤバい、うん。ここは慎重に答えないと ……  さすがにここまで親切にしてもらってだんまりを決め込むわけにもいかず、しばし黙考してから顔を縦に肯か せる。 「そう。それじゃ聞くけど、あなた、どこの学校に通ってるのかしら?」 「学校って……あの、ここ…だけど」  拍子抜けするような質問だった。もっと根掘り葉掘り聞かれるのかと身構えていただけに、予想外に簡単な問 いに、あたしは素直に答えてしまう。  そういえば……この子はどこの学校なんだろ? うちの学園の制服じゃないのに、こんな時間に屋上にやって くるなんて…… 「ここと言う事は宮野森学園?」 「う、うん。そう、宮野森…なん…だけど……」  言っちゃってから、どうにもものすごくイヤな予感がしてきた。  コーヒー片手にこちらを見つける彼女の視線に居心地が悪くなったあたしは、なるべく自然を装いながら明後 日の方向に目をそらすと今更ながら缶のプルタブを開けて飲み口に口をつけた。 「じゃああなたは未来から来たのね」 「ぶっ!?」  うわっ、コーヒー噴き出しちゃったよ、汚いな、コートも汚れちゃったし、ってこれ借り物じゃない! ああ あ、違うんです、これは突然真相を突かれた犯人の気持ちと言いますか、あたしは何にも動揺なんてしてないけ ど、うわ、こっち見て笑ってるぅぅぅ〜〜〜!!  たった一つの質問でいきなり突拍子もない誰も信じないような正解をクリティカルに答えられてしまい、あた しはパニックに陥ってしまう。 「なっ…なななななななっなんでわかったって言うかそんな事ないです、絶対違うっ!!」 「…その動揺で全てを物語ってる気がするけど……」 「は…ははは……あたしには一体何の事やらさっぱり……はははのは〜〜♪」 「そう? じゃあちゃんと説明してあげましょうか?」 「ははは……はっ?」  もはやあたしの事もコートの事も笑って誤魔化すしかない、そう結論付けたあたしだったけれど、響き渡る乾 いた笑い声になんに反応も見せなかった彼女が、薄暗い廊下にいても濡れたように輝く瞳をスゥ…と細めると、 気分は2時間推理ドラマの犯人役。今から語られようとする言葉の前に、彼女のプレッシャーに息を飲んでしま う。  でも……この目。まるであたしの心を見透かすようなんだけど、なぜかやさしい感じがする……どこかで…ど こかで見たような……  吸い寄せられるように彼女の瞳に魅入ってしまっていたあたし……だけどすぐに、彼女の発した言葉によって 現実に引き戻される事となった。 「いいかしら? まずあなたの着ているその服――」  そう言って彼女は缶を持っていない右手を伸ばしてあたし――正確には丸く膨らんだブラウスの胸元――を指 差すと、 「宮野森学園の制服じゃないわよ」 「………へっ?」 「正確には、まだ、だけどね。新制服の導入は来年度から」  ええっ!?…い、今ってそんな昔なの? じゃあ彼女が着てるのが今の制服で、制服が変わったのって…そん なのあたしが知るわけないじゃない! あたしのときも夏美のときも女子はずっとこの制服だったんだから! 「なのに、あなたはどうしてその服を着て宮野森学園の生徒だって言うのかしらね。ようやくデザインが決まっ たばかりで一着も作られていないはずなんだけど?」 「えっと…あれよ、あれ……だからその……あたしがこれを着ているのは……あうう……」 「それに屋上に入たのも不自然だわ。ちゃんと誰もいないことを確認してから私が鍵をかけたんだから」  あうっ…どうしてそんな余計な事を……そのおかげであたしはあんな寒い思いを…… 「………今、「余計な事を…」って思わなかった?」 「い、いえいえいえいえいえ、滅相もないです!」  う、うかつに物も考えられない……なんて感が鋭いのよ……  動じ、うろたえるあたしを観察するかのように、彼女の視線は鋭い。 「それじゃあ教えてもらえるかしら? あなたは屋上で何をしていたのか……そもそもどうやって入りこんだか もわからない。夕暮れとはいえ、空に気球でも浮かんでいれば気付くはずだし、あなたは下に降りようとしてい た。上ってきたのではなくね」 「え…えっと……あたしが屋上にいたあのを見落としたって言うのは……」 「仮にそうだったとして、あなたは仮に作られたばかりの新しい制服を着ていたとして……あんな場所で何をや っていたのかしら? こんな寒い日に夏服を着て……いったい何時間、屋上にいたの?」  いたのは………結構長い時間だった。義姉の手によって手錠で拘束されて、その後ちょっと寝ちゃったし、夏 美や男の事いろいろとしちゃったわけで……ざっと考えて六時間は屋上にいたと思う。  でもそれを彼女に言ったところで余計に話がこじれるだけだと判断したあたしには、取れる行動は黙秘を決め 込む事しかなかった。 「ふぅん……話す気はないのね?」  ごめんなさいごめんなさい、コーヒー奢ってもらったりコートを貸してくれたりしてもらったのにダンマリだ なんて…あたしはなんて悪人なんでしょう…… 「………じゃあ最後に一つだけ、宮野森学園の生徒だったら誰でも知ってる事を答えてくれるかしら? 今の… 先日の選挙で選ばれた新しい生徒会長……知ってるわよね?」 「生徒…会長?」  し…知ってるわけ…ないじゃないの……あたしの代の人の名前さえ知らないのに、そんな過去の会長の名前な んて…… 「どうなのかしら? 知ってるか知らないかだけでもいいんだけど?」  うっ……ええい、こうなったらあてずっぽうだぁ!! なるようになっちゃえ!! 「も、もちろんですよ。知らないはずないじゃないですか。は…ははは…あはははは……」  頬が引きつる。無理やり作った笑みは自分で分かるほどにぎこちなく、笑い声もどこかすすけてしまっている。 「そうよね。あんなに話題になったんだから知らない方がおかしいわよね。女子に物凄い人気だったんですもの」 「あっ…えっ…と……そうそう、実はあたしも彼に興味があるかな〜〜なんて、あはははは」 「きっと喜ぶわよ。あなたのようなかわいい子に告白されたら」 「そんなかわいいだなんて、照れちゃいますよ、あはははは♪」 「ふふふふふ♪………生徒会長は「女」よ」 「あはははははは……」 「………………………」 「ははは…はは………」 「………………………」 「……………ほんと?」 「ええ、異性どころか同性からも慕われて、まだ一年生なのに前会長から推薦されたの」 「う…うそつきぃぃぃぃぃ〜〜〜〜〜〜!! 罠にはめたぁぁぁ〜〜〜〜!! ゲームじゃ投げハメ待ちハメ禁 止なのにぃぃぃ〜〜〜〜〜!!!」 「あら? 私は嘘なんて一度もついてないわよ。嘘を並べ立てていたのはあなたの方じゃないの?」  うぐぅ……それを言われると何も言い返せない…… 「さて…これで「宮野森学園の生徒」だっていうのも嘘だって証明されたわね」  コーヒー缶を握り締めたまま黙りこむあたしの前にやってきたセーラー服の女の子は、ベンチの背後の壁に左 手を突き、あたしのアゴに空いた右手をかけて顔を上向かせると、やさしい笑みを浮かべながら覆い被さってく る……  ………やっぱり…見た事がある……この人に会ったことが……  自分の身に危機が迫っている……昨日(あくまであたしの体感で昨日)の"拓也"相手の自分自身とのSEX…そ して義理の姉と幼い男の子(あくまで見た目)との屋上での痴情……そして三度目の、まるでそれがあたしの運命 だと言わんばかりに迫ってくる唇を前にして、あたしは彼女が誰なのかを必死に思い出そうとしていた。 「二つ……あなたに教えてあげるわ……」  彼女の両手はあたしの肩に軽く乗せられ、夜闇の冷たさに熱を奪われた白息が吹きかかるほどの距離にまでお 互いの顔が近づいたとき、身じろぎ一つせずにキスをされる瞬間を待っていたあたしの耳元へ、さっきよりもも っとやさしい蕩けるような甘い声が届く。 「一つは……生徒会長は私だって言う事。あなたに告白されたらうれしいって言うの……あれも本当よ」 「あっ……」  ………そうだ…この声…この感じ…この瞳は……  目の前にいるセーラー服姿の女の子と、そしてあたしのよく知っている人の姿が、あたしの頭の中で一つに重 なっていた。それは―― 「ふふふ…驚く余裕もない? じゃあもう一つも教えてあげる。私の名前は――」 「松永……先生………」  硬い音がやけに大きく廊下に響き渡る。  あたしの手から滑り落ちたコーヒーの缶が廊下のタイルの上を転がりながら中に入っていた液体をあふれさせ ている。  けれど、あたしはそれを拾い上げる事ができずにいる………松永先生に……いや、過去の松永先生に唇を奪わ れていたんだから………


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