いんたーみっしょん「±0」
たくやが消えた。
朝のHRの前、一年の河原千里ともみ合いながら屋上に行ったのを最後に、気付けばどこにもたくやの姿はな
かった。
カバンは机に置きっぱなし。下駄箱には靴もある。
暇を見つけては学園中を探し回ったけれど、朝以降、その姿を見た人は誰もいなくて捜索は徒労に終わった。
そして放課後、今日は何度も足を運んだ屋上へと最後にもう一度だけ…藁にもすがるような気持ちで来てみた
んだけど――
「――やっぱりいない…もう…どこに行っちゃったのよ……」
取り壊されるはずの巨大な装置――河原さんはタイムマシンと言っていた――のある屋上には人の隠れる場所
は確かにある。だからと言って、ずっと隠れている事なんて出来ないだろうし、それこそ床下に這いつくばって
までたくやのいた痕跡を探したけれど探偵じゃない私に何を見つける事が出来るだろうか……
「たくや……また変なことに巻き込まれていないといいんだけど……はぁ……」
溜息…というよりも胸の奥にたまった疲れを吐息と一緒に吐き出すと、私は虫の羽音のような作動音を立てて
いる黒い装置に寄りかかり、すぐに力なく床へと座り込んでしまった。
担任の大村先生や保健の松永先生にもたくやがいなくなったことは話してある。たくやの家に電話だってした。
けど、それでも心配が収まらないから、授業と授業の間の短い時間であちらこちらと走りまわったんだ。
一日中、心も体も休まる暇がなかった。もう…今日は疲れた……
立てた両膝を腕で抱き、その上に額を乗せる。
いっそこのまま意識を無くしてしまいたい。起きていると、女になってしまった幼なじみがどんな目にあって
いるかを想像してしまうから……
姿が見えないだけなのに、想像は悪い方へとばかり流れていく。そんな考えをやめれば少しは気が楽になるだ
ろうけど、どうしても考えずに入られなかった。
「たくや……無事でいて……」
膝を抱く手に力がこめ、祈りの言葉を口にする。今の私にはそれぐらいしかする事が残されていない。
本当に…私には何も出来ないんだろうか……
なんの手掛かりも無く、張り詰めていた意識が失意の底に沈みかけようとしていたちょうどその時だ。機械の
物陰――階下へつながる扉の方からカチャカチャと小さな金属ぶつかり合う音がいくつも重なって鳴り響いてき
た。
「はぁぁ…どうして…どうしてこの偉大な発明を誰も理解してくれないんですか……」
スローテンポではあるが一定のリズムを刻む音を引き連れて現れた小さな人影は、背を丸めた白衣姿の女の子
――そう、この訳のわからない機械を作った、
「河原…千里……」
「おや? 誰かと思えば片桐先輩じゃないですか。今日はまったく頼りにならない相原先輩は一緒じゃないんで
すか? はぁ……先輩たちが先生たちをちゃんと説得してくれていれば、こんな事にならなかったのに……」
彼女も疲れた顔をしてはいるけれど、まるで私がここにいたことが意外と言うような顔、そしてわざわざたく
やの名前の前に「頼りない」とつけてくれる物言いに、いささかやつ辺り気味ではあるけれど、頭の中で何かが音
を立てて弾け飛んだ。
「ちょっと、たくやをどこにやったのよ!」
「へ?…えっ、え?」
「しらばっくれないで!」
理由も無く湧きあがる怒りに任せて立ちあがると、戸惑う千里に歩み寄って制服の上から来ている白衣の胸元
をギュッと握り締めた。
「今回もたくやを何かの実験台にしたんでしょ!? 言いなさい、何をしたの!」
「し、知りません! 私は今朝から装置の事で頭がいっぱいで相原先輩の事なんて――」
足元に彼女の持っていた工具箱が落ち、盛大な音を響かせる。それに気を向ける事無く、私は自分より体の小
さい河原さんの胸元をグイッと押し、離れていくその体を逃がすまいと、今度は白衣を強く自分のほうへと引っ
張る。
「出しなさい、早く…早くたくやを連れてきて!!」
「ちょ…落ちついてください! いったい何の話ですか、私は相原先輩の事なんて…あああああ、揺らさないで
ぇぇぇ!! 頭が…頭が揺れるから止めて、冷静に、まずは話し合いをぉぉぉ!!」
「うるさぁいっ!! たくやは、たくやはどこなのよぉぉ〜〜〜!!」
溢れ出る感情を抑えられない。ここや化学室にもいなかったし千里が犯人だと言う証拠もないのに、彼女の体
を大きく前後に揺する手の動きは一向に止まろうとしない。それどころかますます激しさを増し、カックンカッ
クンとその頭を大きく前後に振りたくった。
しばらくすると必死に私を止めようとしていた千里の声も途絶える。気を失ったのだろう。けど、今の私はそ
んなことにすら気がつかず、涙をぽろぽろとこぼし、そうしていればたくやが現れるんじゃないかと言わんばか
りに、脱力した体を力なく揺らし続けた……
「たく…たくや……ヒック……うう…たくやぁ……」
「片桐さん、もうその辺にしてあげたら? 河原さんはとっくに気を失ってるわよ」
白衣を握る手を上から包む様に横から別の手が伸びる。その暖かな感触でやっと我に戻り、顔を上げた私の目
に映ったのは――
「………あっ…松永先生…」
「相原君がいなくなって心配なのはわかるけど、もう少し落ちつきなさい。下に戻ったら鎮静剤を処方してあげ
るから、今日はもう帰って休みなさい」
「で、でも……」
「これは教師、そして医者としての命令です。このままだとあなたも倒れてしまうわ。それに相原君は私が待っ
ててあげるから、あなたは家に帰って早めに休む事、いいわね?」
「……わかり…ました……」
優しく念を押され、私は固く握っていた手を全身の力が抜け落ちるのに合わせてゆっくりと解いた。そして同
時に、自分が泣いていた事にも気付いて慌ててハンカチで顔を拭った。
「さて、次は河原さんね。もしもし、起きてる?」
「う…う〜ん……ここは……?」
私の手から松永先生への腕へと移り、頬を軽く叩かれてゆっくりと目を開けた千里は額に手を当て、頭を振り
ながら自分の足で立ち、どこにいるかを確認するかのように周囲に視線を巡らせた。
「たしか私はここに………そうでした。これを…これを解体しなければ…………あううううっ……」
なんだか私の事なんて目に入ってないみたいだけど……そんなにこのガラクタを壊すのがいやなのかしら。タ
イムマシンなんて言う空想上のものを作れるはずないのに……
でも彼女にさっき自分がした事への罪悪感も手伝って、機械にすがり付いて悲しむ千里の姿に少しばかり同情
してしまう。
「ああっ…私が少ない研究費を工面してここまで完成させたのに……これも頼りない先輩がちっともお金を稼い
でこないから……」
――前言撤回。つまり何? たくやが男に戻る薬の研究費にって必死に稼いだバイト代をこんなものに費やし
てたってわけね……
再び湧きあがる怒り。もはや遠慮の必要無し。そう決めて拳を鳴らしながら背後から近付くが、それよりも先
に松永先生が間に入りこみ、うなだれてる千里の背に優しく腕を回した。
「河原さん、元気を出しなさい」
「しかし…私の世紀の大発明を無知で無能で天才をまったく理解しようとしない低能な教師たちに無理矢理破壊
させられるのかと思うと……」
そこまで言う……そんな事は一度でもまともに実験を成功させてから言って欲しいんだけどね。もしかして自
分は失敗の天才だって言うのかしら?
たくやの件もあって(さっきから頼りないって連呼してるし…)おもわずそう皮肉りたくなるけれど、それより
も先に松永先生が白衣の内側から一枚の紙を取り出し、千里の顔の側に差し出した。
「安心していいわよ。この装置の設置許可を校長から貰っておいたから」
「「……へ?」」
くしくも、私とは性格的にまったく合いそうもない千里と驚きの声がハモってしまう。
「おおおっ! ついに私の偉大な発明が世に認められたのですね!」
「そう言うわけじゃないんだけど……一応相原君が戻ってくるまでの期限付きと言う事で許可を貰ってあげたわ」
「そうですか。あんな先輩でもたまには私の役に立つものですね。これで研究を続けられるのですから」
むっ…なによ、その言い方は。いつもいつもたくやを実験台にしてるくせに……
「むぅ〜〜〜」
「ほらほら、片桐さんもそんな顔をしないで。あなたも相原君に無事に帰ってきて欲しいでしょ?」
「それとこれとは話が別です! なんで先生はこんなヤツの肩を持つんですか。たくやは彼女のせいで女にさせ
られたって言うのに!」
「それのほうが話が違うでしょ? 相原くんの事はたしかにに責任がるけれど、今回の話とは無関係よ」
「うっ……」
私が詰め寄っても笑みを浮かべたまま冷静に指摘され、二の句が告げずに言葉を飲み込んでしまう。
「ふふん、松永先生は当然私の味方ですよね」
「………河原さん。今回はあくまでも相原君が戻ってくるまでの限定的な措置です。もしこの装置の故障、及び
人的ミスによって相原くんの身に何かが起こった場合は科学部は即刻解散、あなたも退学かそれ以上の処罰を受
ける事を覚悟しなさい」
「えっ……な、何で私がそんな事を言われなければならないんですか!? 相原先輩の行方がわからないみたい
ですけど、それは私の関知する事ではありません!」
確かに……今の物言いはいつもの松永先生らしくなく、かなり事務的且つ厳しいものだった。それに対して理
論と実証された結果しか信じないとたくやが言っていた千里が猛然と反論するが、松永先生はと言うと涼しい顔
をして周囲を見渡し、私の方に顔を向ける。
「たぶんそれね」
私たちの視線にまったく動じる事無く、松永先生は私の方へ……正確には私の背後で地響きにも似た音を立て
る装置へと歩み寄ると、人の身長ほどの高さがありそうな装置に手の平を当てた。
「先生、それは……」
改めて見ると、それは装置と言うにはおかしな形をしていた。
まず、表面には何もない。床の付近には何本ものケーブルがつながれているけれど、その板一枚か二枚ほどの
高さから上にはディスプレイもキーボードも、それどころか表面にはツギハギやネジの頭の姿すらなく、あるの
は角だけ。もしかしたら機械ではないのかもしれないという印象さえ受けてしまう。
そしてもう一つ気になるのがその感触だ。さっき持たれかかった時は気付かなかったけれど、手の平を当てて
みると確かにそこに何か壁のような物がある。でも金属や紙、木などとは触感が違う。例えるなら……空気の壁
だろうか? 時折妙な具合に光を反射して鈍く輝くその存在は本当に触れているのかどうかさえわからなくなり
そうな物で出来ていた。
「これが何かは河原さんが説明してくれるわ。そうよね?」
「……それは…ワームディメンションです。時間逆行を行う際に一定空間の存在を固定化することで高々度の演
算上の不確定要素を可能な限り排除すると同時に、四次元崩壊を最低限度で留め、T−空間と現次元とを直結さ
せて長時間維持するものです」
「…えっと……つまり……」
「簡単に言えばあれが過去への入り口です。扉や机などではなく、立体的に構築する事で存在しないはずの物を
…まぁ、これ以上は先輩にお話しても無駄でしょうが」
学年で五本の指に入る才女と言われるあたしでも理解しがたい言葉の突然の羅列に理解が遅れる。そこに嫌味
な説明が加えられるかと思っていたけれど、千里は私を無視してそのワームディメンションの前に立つ松永先生
に警戒した視線を向けていた。
「……説明してもらいましょうか。私はこのタイムマシンの原理・構造を他人に説明した事はありません。です
が、何故か起動していた装置を見て先生は大体を理解しておられたようですが、その理由を聞かせてもらえます
か?」
「そういえば……」
考えてみればおかしな事だらけだ。
私が彼女を揺すっている時にタイミングよく現れた松永先生。
先生たちの誰もが即刻解体を要求していたにもかかわらず、校長の設置許可証を貰ってきた。
そして今、タイムマシンと言う物を知っているかのような――いや、どうもこの装置の原理を知っているかの
ような発言。
「そんなに教えて欲しいのかしら? それほどたいした答えじゃないんだけど……」
「これは重大な事です。もし私の個人情報をハッキングしたのであればプライバシーの侵害に当たります」
「そんな事はしてないわよ。私はただ聞いただけ。あれは、そうね……十年以上前かしら」
キツい目をして睨みつけられても一向に気に介さず、長い髪を右手でかき上げて背中に流した先生は目を上に
向けてまだ夕焼けには早い空を見つめ、過去に思いをはせるように口を開いた。
「じゃあ先生はそんな昔からこの機械の事を……」
「そ、そんな事はありえません! 十年以上前に私と同じ原理にたどり着いた人がいるはずが――」
「そんな人はいないわ。だけど知っている人なら現にここに」
松永先生の右手がワームディメンションと呼ばれた直方体の表面に当てられる。
ここにいるって言うことは……もしかして……この中!?
今までの先生の言動から導き出される答え……それはかなりとんでもない事実だ。だとしたら、あの意味不明
な設置の条件にも納得できる。
千里もそれに気付いたらしい。戸惑う私たちを見つめて松永先生はクスッと口元に笑みを浮かべると、一呼吸
置き、おそらくは過去にあった出来事を懐かしむ様に語り出した――
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