]]][.環話
「たくや、なぜ正座させられておるかは分かっておるな?」
「……はい」
わざわざ大広間の中央に正座させられたあたしの目の前に仁王立ちしている――腰はちょっと曲がっているけ
ど――梅さんの眉根を寄せた顔の迫力に、髪飾りをつけた頭を下げて、恐る恐る返事を返す。
宿泊客全員が集まって食事をしていた広間にはあたしと梅さんの姿しかなく、夕食の後も従業員総出(一名を
除く)で片付けられ、さっきまでのにぎやかさとは打って変わって、声が響いて聞こえるほどの広さと静けさが
広がっていた。
「今日のお前の仕事態度には目に余るものがある!」
「ひっ!」
声が響くだけに…余計に迫力が……
頭の上から降ってくる怒声に身体中がビリビリと震える感じがする。まさに雷。あたしはそれを避ける事も出
来ず、短いスカートと新しいソックスの間から除く太股の上で手を握って、ただジッと身をすくめているだけだ
った。
「午前中は旅館の仕事が忙しいと言うのに、一体どこで何をしておった?」
「そ…それは……」
問い詰めるために少し声は小さくなったものの、怒っている感じが消えたわけじゃない。それどころか、いつ
噴火するか分からない火山がすぐ近くにあるような恐怖に、より一層からだが固くなる……
「し…真一さんに頼まれて……そう、町の方へ観光案内に」
「嘘をつくでないわぁ!!」
「ひぇぇ! ごめんなさいぃぃ!!」
もう怒声と言うより轟音。広間の天上や襖がビリビリと震えるほどの声に、身体が無意識に身を守ろうと正座
をしたまま肩をすくめて頭を低くする。
う…嘘って………もしかして、梅さんは知ってるの!? あたしが真一さんと遙くんに……
旅館の裏手での数時間に渡る凌辱…最後の方はあたしも記憶が残らないぐらいに徹底的に二人に犯された…そ
の事を目の前の梅さんが知っているとしたら……
梅さん…見てたの!? そんな…やだ…あんなとこ……嘘でしょ? だったら…あぁ、全然わかんない!!
「どうせ仕事をサボれると思うて、遊び気分でついていったんじゃろうが!! 土地鑑もないおぬしがついてい
ってなんの役に立つか!! つくならもっとマシな嘘をつけぃ!!」
あ…そう言う意味でしたか……ビックリしたぁ……
さらに眉を逆立て、今にも尾でこの血管が破れそうなほど怒っている梅さんを前にびくびくしながらも、心の
中で自分のあんなところを見られていなかった事に安堵の息をつく。
「午後も体調が悪いとかで夕食前まで寝ておるし、お客様を呼びにいくだけの仕事でも途中でサボりおるし、一
体この仕事をなんだと思っておるのじゃ!!」
「いえ…あれは…その……」
隆幸さんとあゆみさんの三人でエッチな事をしてました……なんて、口が裂けても言える事じゃない。ある意
味、旅館の主人の公認で休ませてもらったようなものだけど……休んでないか……
でも夕食前のはあたしが悪いんじゃないのに……えっと…名前も忘れたけど、あの男たちがあたしに変な事を
したり、松永先生がトイレに引っ張り込んだりしたせいなのに……しくしく……
かといって、こっちもおいそれと口に出来る事じゃない……もし言っちゃって、あたしと松永先生の関係をあ
れやこれやと聞かれたら困るし…うう…松永先生が変な薬を渡さなかったらこんなに怒られる事もないのに……
「あ…あの、梅さん…そろそろ許してあげたら……」
こうなったら松永先生が部屋に来た時に、この事で文句を言って何とか逃げ出そう…あ、砥部さんの方はどう
しよう…などと、梅さんの怒声をなるべく聞かない様にあれこれと考えていると、あたしの後ろからあゆみさん
の声が聞こえてきた。でも、いつもより声が小さめ…やっぱり人当たりのいいあゆみさんでも、怒っている梅さ
んは怖いようね……
「どこを許せと言うのじゃ!!」
やっぱり……
「初日はまぁまぁ真面目に働いておったわ。じゃが、一昨日は寝坊はするは、昼寝はするは、昨日なんぞ湖で遊
んでずぶ濡れになって帰ってきおったではないか!! まだ不慣れと言うから一度や二度は見逃したが、このま
までは頭に乗るばかりじゃ!!」
「それは…でも、たくやくんは……」
梅さんの怒りの矛先はあたしから微妙にずれ、あゆみさんにも向けられる。圧力さえ伴っていそうな梅さんの
声だけど、それでもあゆみさんはさらに細くなっていく声で必死にあたしをかばってくれた。
ありがとうございます…あゆみさん……このご恩は忘れませんから……
とはいえ、梅さんが言ってるのって、ほとんどあたしが悪いんじゃないような気がする……
二日目は…思い出したくもない、布団置き場の暗闇の中で、どこの誰かも分からない男に無理やり犯されて、
昨日は真一さんにいろいろと……
「たくやくんだって一生懸命頑張ってるんです。私や真琴さんのお仕事を自分から手伝ってくれたり…」
「じゃからというて自分の仕事を放り出してよい理由にはならん!!」
「で…でもたくやくんは……」
「あゆみが甘やかせばつけあがるだけじゃ! お前もこの旅館の女将なら従業員にはもっと厳しゅうせい!!」
二人の言い合い…ほとんど梅さんが一方的に怒鳴っているだけだけど、それでもあゆみさんはあたしを必死に
かばってくれている。
特に布団部屋での出来事はあゆみさんや真琴さんに色々と迷惑をかけている。たぶん…あたしがかなり落ち込
んだ事も……その事で二人とも本当にあたしの事を心配してくれたから、こうやって一緒に謝ってくれてるんだ
ろうな……
「お願いします。今度だけは許してあげてください。私からもたくやくんに色々と言っておきますから……」
「ええい、分かったわい! 今回だけじゃぞ!!」
怒鳴られても引き下がらないあゆみさんの態度に梅さんが根負けしたように、唐突に話を打ちきった。
あゆみさん…すぐに引き下がると思ったんだけどなぁ……
声の感じからして、あゆみさんも梅さんに怒られるのはやっぱり怖かったに違いない。それでもあたしの為に
……
「ほっ……たくやくん、よかったね」
「あゆみさん、ありがとうございました。あ、梅さん…その…すみませんでした……」
首だけ振り向いて、あゆみさんに笑顔でお礼を言ってから、正面を向き直って梅さんに頭を下げる。
「あゆみに感謝する事じゃな。それと本気で次はないものと思え。この旅館に役立たずを雇うほどの余裕はない
からの。次にサボるような事があれば、荷物をまとめて帰ってもらうからそのつもりでおれ、分かったな!!」
「は…はい……」
「それと今日のバツとして、今から調理場で真琴の後片付けの手伝い、その後風呂掃除、最後は従業員室で十二
時まで待機じゃ。よいな!!」
「わかりました……」
「ふんっ!!」
あたしに今日最後の仕事をたっぷりと言いつけた梅さんは、その小さな身体には似つかわしくないほど、畳の
上をドスドス歩いて大広間を出ていった。
「……………はぁぁ〜〜…怖かったぁぁ……」
「うん…私も……ふぅ……」
梅さんの足音が聞こえなくなってから後ろを振り向き、腰の曲がった後姿が広間から消えている事を確かめる
と、あたしたちは長い溜息をついて、あたしは正座の足を崩し、あゆみさんはへなへなとその場に座りこんでし
まった。
「………くす…くすくす……」
二人揃ってお小言の時間から開放され、身体から緊張が抜け落ちるのと一緒に力も抜けて、畳の上にそのまま
座りこんでいると、後ろに座っていたあゆみさんが急に小さく笑い始めた。
「? どうしたんですか、あゆみさん」
振り向いたあたしの視線の先には手を口に当てて楽しそうに笑うあゆみさんの顔。目の端に涙を溜めながら、
止めようとしてるけど止まらない笑いの衝動に苦しそうに、それでも本当に楽しそうに笑みを浮かべていた。
「だって…私、あんなに梅さんに逆らった事ってなかったから…なんだか嬉しくって、うふふ」
漏れ出る笑い声にあわせて零れ落ちる涙を指先で拭い、それでも笑う事をやめない。
あゆみさんって、あんまり自己主張しないタイプだもんね……あたしのためとはいえ、あそこまで引き下がら
なかったのって滅多に…と言うか、今までなかったんだろうなぁ……
「あれ? あゆみ、なに笑ってんだ?」
あゆみさんが笑い続けている様子を見つめたままあたしが動かないでいると、先ほど梅さんが出ていった広間
の入り口から、真琴さんがひょっこり顔を出した。
「いえ、なんだか…あたしにも……あはは…」
「? ま、いいや。それよりもあたしたちも飯にしようか」
襖の陰から出て、あたしたちに近づいてきた真琴さんの手にはそれぞれお盆とヤカンが握られ、お盆の上には
海苔の巻かれたお握りが山と積まれていた。
「さっき梅さんが調理場の方に来たぜ。タク坊に食器洗いをさせろって大声で怒鳴りやがった」
「あう……」
「その言い方がむかついたから、食器は綺麗に洗ってやったけどな」
「ほえ?」
右手の上に乗せたお盆のバランスをとりつつ、真琴さんが畳の上に胡座をかく。下はショートパンツを履いて
いるとはいえ、もうちょっと恥じらいを持たないと…と思わなかったことにして……
目を真琴さんの股間から(別にイヤらしい気持ちで見ていたわけじゃ…)お盆の上に移すと、お握りのほかにも、
お湯のみが三つ、お箸が三組、そして小皿に程よい小ささに切られたたくわんが盛られていた。
「ほれ、タク坊は風呂掃除が残ってるんだろ? さっさと食って終わらせちまおうぜ」
「あ、あの…なんだかその言い方って……」
ひょっとして手伝ってくれるんですか?
お盆を前にし、正座しなおしてそう言おうとする前に、
「二人でやればあっという間だろ。仕事は今日だけじゃなくて明日もあるんだからな。疲れて寝こまれたらそれ
こそ面倒だ」
「ま、真琴さん……」
「そうだよね。みんなでやればすぐに終わるよね。でもその前にご飯を食べよ」
「あゆみさんまで……」
なんだか…今度はあたしが泣いちゃいそ……
梅さんに厳しく怒られたばかりのせいで、優しく接してくれる二人の態度がやけに心に染み渡る……
「で、ちゃんと聞いといてくれたか?」
こんな事で感動しているのがばれるのがなんだか気恥ずかしくて、泣いちゃいそうなのに俯いていると、真琴
さんの声が聞こえる。
主語とかの言葉が無くて意味はよくわからなかったけど、それがあたしの横に座っているあゆみさんに向けら
れた言葉だと言うのはなんとなくわかった。
「あっ………そ…それは……」
「ふぅん……その口ぶりからすると、ちゃんと聞いてるようだね。偉い偉い」
………んっ? な…なんだか…いつもながらにイヤな予感が……
最後の方はなんだかあたしの方に向けて話していたような気がする……
「で、タク坊の彼女ってどんな娘だって?」
「……………えええっ!?」
あ…あたしの彼女って…明日香の事!? なんで真琴さんがあゆみさんにそう言う事を聞くの!?
「あの…学園でも一・二を争う可愛い子だって……」
「へぇ〜〜、タク坊もすみに置けないねぇ…で、もっと詳しく聞いたんだろ? 顔なんか真っ赤になってるじゃ
ないか」
「だ…だって…啓子さん…エッチな話ばっかり……」
「おおっ!? エッチと言うと…タク坊のかい?」
真琴さんのその言葉には答えず、みるみる首筋まで真っ赤にしたあゆみさんは黙って縦にうなずいた。
「あっ…あああああぁぁぁ〜〜〜〜!!! あ、あゆみさん、まさか…まさか松永先生から……」
あたしの問いにも…縦に首を振る。
もしかして…さっきの夕食の時にあゆみさんがもじもじしてたのって……
「よし、それじゃあ早速聞かせてもらおうか。タク坊はその彼女とどんな事をしてたのかな?」
「ダメぇ〜〜〜!! ダメダメダメ、あゆみさん、絶対に言っちゃダメェ!!」
顔を赤くしながらも口を開こうとしたあゆみさんの口を塞ごうと手を伸ばすけど、それよりも早く、回り込ん
だ真琴さんがあたしを羽交い締めにする。
「いいじゃねぇか。あたしたちは同じ旅館で働く仲間だろ。だったらこう言う事もよく知っとかなきゃな♪」
「真琴さん、ひどい! あゆみさんにこんな事聞かせるなんて!!」
「別にタク坊が話してくれてもいいんだぜ。それがイヤなら黙って聞いてなって。きししし♪」
「うわっ、性格わるぅ!」
「あ…あのね…たくやくんって…その……」
「うわ〜〜ん、離してぇ〜〜! あゆみさん、言わないでぇ〜〜!! あたし、帰るぅ〜〜!!!」
「誰が返すか。こんな面白い話、主役無しなんて勿体無い。仕事は後で手伝ってやるから、じっとしてな」
「鬼ぃ〜〜! 真琴さんの鬼ぃぃ〜〜〜〜!!」
どんなにもがいても真琴さんの腕から逃れる事は出来ず、あゆみさんは松永先生から聞いたというあたしの男
の時と女の時の両方の恥ずかしい話を無理やり聞かされたのであった……
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