第三話
一階と二階をつなぐ階段を上る真由。両手は後ろに回し、しっかりとスカートを押さえ
ている。普段は駅の階段でもここまではしないが、下着を撮り続けていたオーナーに対す
る当て付けのように、露骨に手を回している。
「くくく、よっぽど恥ずかしかったんやなぁ。いや、こら悔しい言うた方が合ってるかな
ぁ」
陽はそんな彼女の様子を眺めながら、楽しそうに呟く。彼はここで盗撮する気など最初
から無かったが、必要以上に警戒する真由の姿に皮肉な笑みを浮かべていた。
「さて、俺もそろそろ準備せなな」
変わらぬ笑みを浮かべたまま、陽は立ち上がり部屋から出る。主のいなくなった部屋に
残されたモニターには、目を吊り上げ、時折後ろを振り返りながら階段を上る真由の姿が
映し出されていた。
※
(ここでは写真は撮っていないみたいね)
階段を上り終えた真由は、その間シャッター音が聞こえなかった事に、わずかながら安
堵を覚えていた。もっとも、すでに充分すぎるほどの写真を撮られてしまっているが。
二階に到着した彼女の目には、まず今までと同じような扉が目に入る。ついでその横に
ある張り紙と、机の上にある懐中電灯に気が付いた。
『ここから先は、真の闇が待っています。置いてある懐中電灯で足元を照らし、床に書か
れているラインに沿って歩いてください。もしもラインから外れ道が分からなくなった時
は、大声で助けを呼んでください。』
(助けを呼ぶ?そんな事できるわけないじゃない!)
助けを呼んだとして誰が来るか分からないが、このホラーハウスの関係者には間違いな
い。ただでさえ大声で助けを求めるなど恥ずかしいのに、そんな人間を頼るなど論外だ。
彼女は多少乱暴に懐中電灯を手に取ると、扉を開きその中へと入っていった。
「……本当に真っ暗ね」
真由が思わず呟いてしまったその言葉の通り、扉の中には闇しかなかった。以前理科の
授業で入った暗室のように、その部屋には一切の光源は無く、まさに一寸先すら見えない。
そしてその部屋の特徴は暗闇だけではない。一階とは正反対に、寒さすら覚える室温な
のだ。
かなりの冷房が入っているのだろう。まるで冬の朝のような寒さだ。1階でかいた汗は
急速に冷え、思わず身体を震わせてしまう。
「本当に何を考えているの?こんなの、身体に悪いだけじゃない」
文句を言いながら、手に持っている懐中電灯の電源を入れる。その光は弱々しく、一メ
ートル先が見えるかどうかといった明かりだが、全く光の無い状況よりかは随分ましだ。
足元にその光を向けてみると、幅5センチほどのラインが見える。しかも親切な事に、
約一メートル間隔で矢印が付いている。これに沿って進めという事だろう。
(いいわ、行ってあげようじゃない。それにこんなに暗かったら、写真も撮れないでしょ
うしね)
その事に若干安心しながら、彼女は第一歩目を踏み出した。確かに当たりは真っ暗だが、
懐中電灯で足元を照らしていれば転ぶ事も無い。
そして何より、パンチラ写真など撮れるわけないほどの部屋の暗さ。それが彼女の警戒
心を緩ませてしまっていた。
サワッ……
「ひやぁ!な、何なの、今のは!」
30秒ほど歩いた所であろうか。突然彼女の細い首筋は何かに撫ぜられた。その触り方
は触れるか触れないかのぎりぎり、まさにフェザータッチといったものであり、完全に油
断していた時に敏感な箇所を触られた真由は、少々はしたない声をあげてしまった。
慌てて懐中電灯の明かりを周囲に向けるが、自分に触れたであろう人影は発見できない。
跳ね上がる心臓を押さえつけ、彼女は辺りを見渡しながら考える。
(まさか今のもここのオーナーが?くっ、本当に最低ね)
「誰、私を触ったのは!?卑怯な真似をしていないで出てきなさい!」
油断していた自分に対する悔しさと、直接的なセクハラを仕掛けてきたオーナーに対す
る怒り、そして変な声をあげてしまった事への羞恥といった様々な感情を押さえつけるた
め、彼女は大声で暗闇に問いかける。しかし、当然の事ながら応える声はない。
しばしその場に立ち尽くしていた真由だったが、半分予想していたように反応がない事
を確かめると、再び足元のラインを照らし歩き出した。
(いいわ。あくまで卑劣に逃げ続けるんだったら、逃げ切れない所まで追い詰めてあげ
る!)
※
(くくく、ホンマに強気な娘やな)
暗闇の中、陽が声を出さずに笑いを漏らす。
彼は真由の後ろ、三メートルほどの位置にいる。その姿はモニター室にいた時と同じ、
黒の上下である。それが彼を暗闇の中に溶かし込ませており、真由が彼に気づかない一因
となっていた。
もちろんそれだけではない。彼が幼い頃から受けていた修行、その成果として、彼は常
人には悟られないほどに気配を消せるようになっていた。その気にさえなれば、昼間でも
他人に気づかれずに行動する事もできる。それが暗闇の中となれば、彼に気づける人間な
どそうはいないだろう。現に真由も、後ろから離れずに付いてくる彼に全く気づけないで
いる。
そしてもう一つ。彼からは真由の姿がよく見えていた。彼女が明かりを持っている事が
大きいが、彼自身が一般人とは比べ物にならないほどに夜目が利く事もその理由だ。さす
がに明るい場所のようには見えないが、それでも彼女の表情を確認できるくらいには見え
ている。
(よっぽど怒ってんねんな。まぁ、その方が俺も楽しめるっちゅうもんや)
一階以上に顔を強張らせている真由をじっくりと観察しながらも、彼は足音を全く立て
ずに彼女の後ろをついていき、イタズラをするチャンスをうかがい続けた。
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