47 - 「三十路たくやプレ版第2回「たくやと夜の職員室で」前編


「あなたを当学園にお招きできたことを幸いに思いますは、相原博士。今後、ぜひとも私どもにお力をお貸しください」
「―――あの〜、松永先生に博士とか言われると背中がむず痒くなっちゃうんですけど」
「あらそう? じゃあ昔どおり、相原くんって呼ばせてもらおうかしら」
 そう言って可笑しそうに笑う美人保健医――もとい、今は宮野森学園の理事長となった宮村先生に、あたしも釣られて困った笑みを浮かべてしまう。
「私も変な感じだったもの。あの相原くんが“博士”って呼ぶなんて。少なからず知っている教え子が立派になって帰ってきてくれて、嬉しくはあるけど、やっぱり相原くんは相原くんね。その方がしっくりくるもの」
「でもあたしの方はぜんぜん変な感じが直りませんよ。松永先生が、宮野森の理事長だなんて……」
「あら、そう? でもそれはおいおい慣れていって。肩書きはどうしようもないから」
「ははは……では改めまして、よろしくお願いします、松永理事長」
「こちらこそ。ようこそ、宮野森学園へ」
 初日の挨拶をするために校長室へ通されたものの、どうも調子が狂う。なにしろ、学生時代はあれこれお世話になった人が、今やあたしをスカウトした張本人で上司様。だからといって堅苦しいやりとりも似合わない。
 けれど、あたしも学生ではなく、社会人だ。差し出された松永先生の手をとると、硬く握手を交し合う。
 でもまあ、何で保健医から理事長なんかに……あたしが学生だったころから謎の一面を持つ女性教諭だったものの、この数年で宮野森学園をその手中に収めてしまったことには、別の意味で驚きを隠し得ない。
 そしてあたし、相原たくやが離婚直後にスカウトの連絡をもらったのは、この松永先生発案による新クラス設立が背景にある。
 宮野森学園ではなんと、今期から『性転換実習コース』を開設する。つまり、男から女へ、女から男への性別変更を希望する学生のための専門課程を、今年から日本で初めて開設するというのだ。
 もうすぐ認可の下りる性転換薬『Xchange』が最初に開発された学園だからこそ、膨大な実験データを有している。それにあたしの持っているデータを合わせれば、考えうる限りの万全の備えを取れるというわけだ。もちろん、今も研究を続けている麻美先輩や千里などからもお互いに協力し合うことになる。
 また、折りよく離婚して自由になったばかりのあたしは、性転換薬での被験者第一号であり、世界で一番性転換を繰り返した人間だ。政府に認可された性転換薬『エックスチェンジ』の開発にも麻美先輩や後輩の千里らとともに携わり、遺伝子研究においてもそれなりに名前が知られている。ついでに言うと教員免許も持っているので、そのコースに関わるにはうってつけの人材といえる。
 研究者の道に戻ることも考えないではなかったけれど、この宮野森学園の設備は麻美先輩・千里と言う二人のマッドサイエンティストを輩出しただけあって、かなり充実している。しかも校舎の一角に専門の研究所も作ってくれるのだから、誘いを断る理由はどこにもない。
「それにしても松永先生、ぜんぜん変わってないというか、前より美人になってませんか?」
「あらあら、相原くんもお世辞がうまくなったわね。……ああ、自分が言われてたから覚えちゃったのね」
「ち、違いますよ。そんなじゃなくて!」
「ふふふ、ありがと。でも私なんかもうおばさんよ。毎日若い子の相手をしてると、自分の年齢を思い知らされるわ」
 松永先生がおばさん……たぶんウン十代だろうけれど、握手するために近寄って見てみても、目元口元に小皺も弛みも一切なく、肌の張り艶なんて二十代と言っても通じそうなぐらいだ。白衣を着ていた以前と違ってスーツ姿だけれど、大胆に開いたブラウスの胸元からは豊満な乳房の深〜い谷間が覗き見えていて、男でなくなって長年が経過したあたしでも、ゴクッと生唾を飲みたくなるほど妖艶で濃厚な魅力を醸し出している。
「昔なら十人でも二十人でも余裕で相手できてたけど、いまだと逆にイかされちゃって弄ばれちゃうもの。女の身体に興味津々でガツガツした若い子たちの性欲を一度にぶつけられちゃうと、もう……んっ、濡れてきちゃった。今晩まで待てるかしら……」
「は、ははは……そのあたりも相変わらずなんですね……」
 気に入った男子生徒とエッチする性癖も変わっていないらしい。いかにも松永先生らしいと、苦笑いを浮かべていると、
「でも、そういう相原くんだって―――」
「あたしですか? あたしは別に何も……」
「そう? 私はあれこれ耳にしているんだけど……そういうことにしておきましょうか」
「うっ……」
 心当たりがあるだけにギクギクギクッと心臓が何度も跳ね上がる。
 なにせ引越し初日から明くんとエッチしちゃったし、夫とは露出ありの変態行為の毎日だったし、研究員時代もあたしも若かったんだな〜…という思い出がいくつもある。基本、被害者はあたしの方なのだけれど、
 ―――土下座で「童貞もらってください!」なんて言ってくる男、普通の女の人なら笑いものにするんだろうけど、あたしは心中が痛いぐらいに解るからなァ……
「だけど、私からすれば今の相原くんのほうが驚きよ。あなた、本当に男の子だったっけ?」
「当たり前じゃないですか、なに言ってるんですか、学生時代に何度も見たでしょ、男のあたし!」
「でもおチ○チンを見たわけじゃないもの。あの頃、手を出すべきかどうか悩んでたわ。相原くん、母性本能をくすぐるタイプだったから。―――でも、今ではすっかり一人前の女性ね。いいのよ、この学園では遠慮しなくて。合意の上なら好きな子にちょっかい出してあげてね」
「し・ま・せ・ん!」
「ふふふ……若い男の子に囲まれていると、すぐに身体が疼いて仕方なくなるわよ。相原くんほどの美人なら、回りも放っておかないもの」
 それに、
「あなたが受け持つ性転換実習科は、“そういう”ことも教えてあげなくちゃいけないから。がんばって教えてあげてね、色々と」
「え……そういうって、き、聞いてませんよ、そんなこと!?」
「言ってないもの」
 うわー! そ、それ聞いてたら来なかったのにぃ!
「教えていたら断ったでしょ、相原くんの性格からして」
 当然じゃないですか! あったりまえじゃないですか! 保健体育じゃすまないんでしょ!?
「だから断れない状況にしてから話したわけ。契約書にはサインを貰ったし、今から辞めたら損害賠償請求で何億何十億と払ってもらうことになるから。法改正とか設備投資にいくら支払ったか知ってる? ええ、私、経営者だからお金に関してはきっちりしてるわよ」
「詐欺だぁぁぁぁぁ!!!」
「相手に断らせる余地がある時点で、交渉としては不合格よ」
 く、くそう。これが敏腕経営者とのんびり(?)主婦をしていたあたしとの差なのか!
「―――と言うわけだから、相原くんには二年生のXクラスの担任をしてもらうわ。拒否権はなし。いいわね?」
「はぁ……しくしくしく」
「けど、コース選択はまだ先。夏休み前からだから。最初のうちは通常クラスの副担任で経験を積んでもらうことになるから。仕事には徐々に慣れていけばいいわ」
「わかりました……」
「それと入学式や始業式では新任挨拶や性転換実習科の説明をしてもらうから、文章は今日のうちに考えておいてね。あなたには宮野森学園の“顔”になってもらうんですもの」
 そんなことまで……なにやら先行きが一気に不安になってしまったものの、やめるという逃げ道さえ断たれた。もう、どうしようもない。
 ―――コンコンコン
 いったいどうなることやらと暗い気持ちになっていると、校長室のドアがノックされ、聞き覚えのある声が扉の外から聞こえてきた。
「失礼します。理事長、お呼びだと聞きましたが」
 もしかして――ある直感とともに振り返ると、開いた扉の向こうには、どこかうだつの上がらなさそうな、だけど第一印象では親しみの持てそうな顔の男性教諭がいた。
「宮村先生!?」
「やあ相原、久しぶりだな」
 片手を挙げてそう挨拶したのは、あたしが二年の時に担任だった宮村先生だった。
「元気そうで何よりだ。これから同僚になるって聞いて、会えるのを楽しみにしていたよ」
「うわぁ、お久しぶりです。まだ宮野森にお勤めだったんですね」
 差し出された右手を両手で握り締め、十年ぶりになる恩師との再会に声が上ずるのを抑えられない。
 なにしろ初めて性転換してしまった時の担任でもある。いろいろと迷惑をかけて、あれこれ心配してくれたり、本当にお世話になった先生だ。
 そんな宮村先生が突然が現れたことで、さっきまでの不安なんてどこかへ吹き飛んていた。
 松永先生と違って少しおじさんらしさを感じさせるようになってしまったものの、むしろその方がいい。ポロシャツ姿のしゃれっ気のなさに変わりはないものの、かざりっけのなさがむしろあたしには好印象に感じられる。
 ―――夫がアレだったからなぁ……あ〜あ、せめて宮村先生みたいな人と結婚してれば……………て、本人目の前にしてなに考え始めてるのよォ!
 ベッドの上で優しく、けれど二人とも徐々に押さえが聞かなくなって最後には獣のように激しく―――なんて想像が鮮明に頭の中に描き出されてしまうなんて、自分でもちょっとどうかしていると思う。
 そんな卑猥な妄想が態度に出ないようにするのには、少々精神力を使わなければならなかった。ただまあ、顔が火照っちゃったのは再会の喜びのせいと言うことでお願いします。
「相原くんは宮村先生のクラスの副担任になってもらうから、仕事については彼から教えてもらいなさい。宮村先生、後はよろしくね」
「はい、わかりました。それじゃ相原、職員室で他の先生たちに紹介するから」
 その言葉に二つ返事でうなずき、松永先生に一礼してから校長室を出る。
 これからあたしの教師生活が始まるのか……資格は取っていても、実際に教鞭をとったことはないので出来るかどうかは分からないものの、精一杯がんばるしかない。ま、なんとかなるだろう―――そう覚悟を決めたものの、ふと目に付いたあるものが、脳内から決めたばかりの決意を追い出してしまう。
 ―――宮村先生……まさか、モッコリしてる?
 理事長質から出たあたしは、いまさら案内されるまでもなく、かつての学び舎の職員室の位置は知っているので宮村先生と廊下を並んで歩く。
 あのころはどうだ、いままでどうだったか……そんな会話に花を咲かせながら歩を進めつつも、あたしは視線を下げないように理性を総動員し続ける。
 もはや視線を下げられない……下を向くと目が宮村先生の股間を確認してしまいそうになるからだ。けれどズボンの股間の膨らみぐらいの光景を頭の中で何度も確認していると、
 ―――もしかして……あ、あたしを見て、その、興奮しちゃったって……やだ、あの、えと、ど…どうしよぉ……!
 あたしの格好は至って普通だ。女性用のスーツにブラウス。ちょっと昔のことを思い出し、学生時代の制服のものに似たリボンタイで胸元を飾っているけれど、性的過ぎるということはあまりないはずだ。学園で教師と言うことで、そうならないようにコーディネイトしたのだし。
 それに校長室には松長先生もいた。そっちの色気に当てられたのかもしれない。でも、いつも笑顔で生徒に接してくれる宮村先生も、女性に興味を持つ一人の男性なんだと自覚した途端、あたしの身体には言いようのない熱さが湧き上がってきてしまう。
 あたし……どうすればいいのかな……
 見なかった、知らなかったではもうすまない。離婚して惚れっぽくなったのか、節操もなく胸が高鳴るのを感じながら、あたしは宮村先生とお喋りしながら職員室に向かうのだった―――


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