43 - 「三十路たくやプレ版「たくやの新生活」-後編2」


「―――で、ビンタ食らって部屋から全裸で追い出されたって? ……あいかわらず、なんかやるときは強烈だな、あの人」
 この数日、まるで連絡の取れなかった明をようやく部屋から連れだした翔は、バイト前の昼食にとやってきたヤクドナルドで事のあらましを聞き、少々当惑しながらバニラシェイクをすすっていた。
「うん……先生ったら優しいよね……ほんとに僕のことを心配してくれて……はぁ……たくや先生……♪」
 朝からストリーキングをさせられた――幸い、誰にも見られなかったようだけど――当の明はと言うと、たくやに怒られたことより、長年想い続けてきた相手と出会えた幸せの方が勝っていて、完全に惚けていた。
 その表情は北ノ都学園の明ファンクラブ(非公式)の会員には見せられないぐらいに弛みきっている。頭の中にはさぞやピンク色の靄がかかっていることだろう。
 ―――こりゃしばらく、使いものにならないな。ま、明にもまた春がやってきたって事か。
 子供の頃からずっと恋い焦がれてきた相手と運命的に出会えたのだから仕方がない……今日は二人して遊びにでも行こうかと計画していたが、早々に諦め、やれやれと肩をすくめるしかなかった。
 明の思い人、相原たくやのことは翔もよく知っている。翔自身も家庭教師をしてもらった事があるし、明と同様に筆おろししてもらった相手でもある。
 それだけにたくやが戻ってきたと聞き、思うところは翔にも色々とある。―――が、
 ―――うあ、やべ。思い出したら勃っちまった。
 たくやに女性の敵と表された明以上に、翔は何人もの女性をその毒牙にかけてきた。そんな翔でも、たくやほどの女性にはほとんど巡り会えてはいない。しかも女家庭教師と何も知らない教え子と言うのは、もう二度と体験することができない背徳的すぎるシチュエーションだ。
 理性では堪えようとしても、忘れられない初体験の生々しい記憶は若い翔の股間を刺激せずにはいられない。ズボンの中では愚息が早速充血を開始し、瞬く間に突っ張り、下腹部を圧迫する。それほどまでにたくやとの思い出はAV顔負けの興奮度だった。
 だからと言って、たくやに会いに行こうとは思わない。
 長年、たくやのことだけを想い続けてきた親友の翔への遠慮もある。それ以上に、翔にはすでに、たくやに負けず劣らず魅力的な”恋人”がいるのだ。
 ―――明日、やっと帰ってくるんだよな。ちくしょう。明の話聞いたから、まったく収まんないぞ、これ。
 たくやと恋人の肢体を頭の中で鮮明に想い描いてしまったせいで、窮屈なズボンの中ではギリギリと痛むほどに股間がフル勃起してしまっている。―――だが、まだ完全に勃起してはいない。なにしろ、翔のモノは父親に負けず劣らずの巨根だ。完全に勃ってしまうと突っ張りがキツすぎて立つこともままならなくなる。
「翔ちゃんも一度、たくや先生に会いに行きなよ……先生もきっと、よろこんでくれるよぉ〜……♪」
「まったく、人が遠慮してやろうとか考えてるのに……まあ、おまえがそれでもいいんならいいけどよ。少しは下手な勘ぐりとかしないのか、おまえは」
「?」
 たくやに会えた喜びで、明の頭の中はお花畑だ。翔がたくやと会うことで、二人がSEXするとは考えていないのだろうか? 嫉妬しないのだろうか?
 話を聞いた限りでは、たくやが結婚していたと聞いて明が嫉妬していたのは間違いない。それなのに、たくやに翔を会わせようとする明の言動に軽い頭痛を覚える。
 だがしかし、昔よりも美人になったというたくやに興味がないわけではない。
 ―――浮気? ばれなければ問題ない。ラーメン好きが蕎麦を食べて問題あるのか? ない。まったくない。じゃあ今晩は……
 しかし、そんな翔の考えを阻害するように、ズボンのポケットの中でメールの着信を知らせる着信音がバイブとともに鳴り始める。
「わり、ちょっとメールが……げ、店の前ぇ!?」
「どうかしたの、翔ちゃん?」
「バイト先の先生が外にいるって。仕事、一日早く終わったってさ。んで外から俺を見つけて、これから急ぎの用事があるから、遊んでるなら付き合えと……人の都合、ガン無視だな、いつものことだけど」
「獣医の助手のバイト、まだやってるの? 日本中飛び回ってるって言ってたよね、その先生」
「まあな。腕利きだから依頼の方もひっきりなしで猫の手も借りたいそうだし、色々大変だけどいい勉強になるしな、こっちも」
 現在、翔は明と同じ北ノ都学園に通い、獣医になるべく猛勉強をしている。
 その一方でこの一年、獣医の助手として現場の経験を積んでいた。助手って言っても、免許や資格を持ってないので下働きも同然だけれど、研究室では学べない多くのことを実際の現場で体験していた。
 ―――ま、動機はいろいろと不純だけどな。
 学業と獣医のバイトの両立は時間的にかなりの無理があるが、学生サッカーで培った翔にはまだまだ体力に余裕がある。むしろ現場で勉強できることの方がありがたい。
 けれど、理由はそれだけではない。――そう心の中でつぶやくと、残っていたハンバーガーを口の中へ放り込み、シェイクをすすりながら席から立ち上がる。
「この埋め合わせはまた今度な」
「気にしないで。それじゃ翔ちゃん、いってらっしゃい」
 雰囲気が明るく柔らかくなった翔に手を振って見送られ、翔は早足で店の外に出る。その際に外の通りに視線を向ければ、一際目立つ高級外車に目が止まった。
 ―――ディ○ブロかよ!
 同乗したときの悪魔のようなドライビングテクニックと、車の名前があまりにはまりすぎて、見るたびに突っ込んでしまう。
 ルーフ(屋根)をはずしてオープンカー状態にした高級車には、たむろするほどではないが、何人もの通行人が足を止め、車内をのぞき込んでいた。もっとも、その大半が目を奪われているのは車にではない。肩や胸元を大胆に露わにした服装にミラーグラスをかけた栗色の髪の女性が、あまりにも運転席にベストマッチしているからだ。
 ―――やれやれ、注目浴びるのが嫌いなくせに、服装はエロいんだもんな。この分じゃまた文句言われるぞ、俺のせいだって。
 そう思いながら歩を進めていると、ポケットの中でまたしても携帯電話が鳴り始める。
メール:「遅い。私が呼んだら五秒で出てきなさい!」
 せっかちすぎるだろ……歩きながら二度目のメールを確認し、携帯をポケットにねじ込む。そして衆目を集めている車へ苦笑を浮かべながら近づくと、
「遅いわよ、翔」
 待っていたのは、その一言だった。
「俺、今日オフでしたよね。それなのにこうしてやってきた俺への第一声がそれッスか?」
「奴隷にこうして喋りかけてあげてるだけ感謝しなさい。あんた、うちで働き始めるときに「奴隷でも何でも良いから」っていったものね」
「ぐうっ……そういうのを本気でとるか、フツー」
「やめたいならいつでもいいのよ。私のところで働きたいって言う助平男、何人でもいるんだから」
「………わ、わかりました。奴隷でも何でもいいんで……」
「容赦なくこき使ってあげる。ほら、そんなところに突っ立ってないで、さっさと乗りなさい。時間ないんだから」
「わかりましたよ、“センセー”……」
 労働基準法なんてお構いなし……それを承知でバイトを決めたのだけれど、雇用主の理不尽な扱いには納得がいかない。それでもこの美人獣医の元で働けることに、どこかマゾめいた悦びも感じてしまう自分に軽く悩みながら、車道側に回って助手席に乗り込むと、
「それじゃ行くわよ」
 アクセルが踏み込まれる。
 ギアチェンジ。
 タイヤが空転して煙を上げ、
 翔が獣の雄叫びにも似た盛大なエンジン音にドアを閉める手を一瞬止めた次の瞬間には、日本で走るには馬力が有り余りすぎている車が弾けるように車道へ飛び出し、弾丸のように風と音を切り裂いて疾り出していた。
「ウルセェエエエエエエエエエッ!!! てかシィィィトベルトォォォォォォ!!! んなことより道交法知ってんのかよ、あんたはぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
 前行く車の間をセンチ単位の余裕ですり抜け、信号が赤になる直前につっこみ、高速に乗ればさらに加速。助手席に体を押しつけられながら、なんとか扉を閉めてシートベルトを締めると、運転席でハンドルを握る女医に半泣きの目を向ける。
「俺、五回は死んだと思ったぞ!? 前から言ってんだろ、安全運転してくれって!!!」
「だからしてるじゃない、安全運転。海外にいた頃よりもずっとスピード落としてるわ。おかげでフラストレーションがたまるのよね。たまには300km/hでかっとびたいわ」
「そんなの横に人乗せてるときにすんなぁぁぁ!!!」
「あーもーウルサいわね。人が仕事こなして帰ってきて疲れてるってのに、なに文句垂れてんのよ。女に働かせて自分は遊び呆けるとは良い度胸じゃない。覚悟はできてるんでしょうね、この下働き!」
「そりゃいくら何でもあんまりだってぇぇぇ!!! あ、明日からT県だろ? それに、今日、休みだぜ? 出発前に友達と会って息抜きして、なにが悪いって言うんだよぉぉぉ!?」
「………悪いに決まってるでしょ?」
 高速に上がってからも、寿命が縮まるドライビングは収まるどころか、ますます冴え渡る。―――と言うのに、車内を容赦なく駆け抜ける突風に髪をなびかせ、ミラーグラス越しに翔へ視線を向けた“先生”は、右手をクラッチより先へ延ばし、翔の股間を鷲掴みにした。
「あら? 口では何のかんのと言ってるくせに、ぜんぜん縮こまってないじゃない」
「前、前、前ぇぇぇえええええええええっ!!!」
「大丈夫よ、見てるから」
 大型トラックに後ろから衝突する直前に華麗にハンドルさばき、減速することなく一瞬で追い抜いてしまう。
「―――なんだよ、したいならしたいって、いえばいいじゃんか」
 急ぎの用事があるとは言っていたが、それが「仕事」とは一度も言っていない。
 仕事は予定通り明日から。では今日の用事は……察しがついた翔はジト〜と半目で横にいる運転手をにらみつけた。
「な、なによ。街道沿いに良いホテルを見つけたんだから。家でするよりロマンチックじゃない。私だって溜まってるのよ、あれこれと!」
「へいへい分かりました。ご主人様には逆らえませんよ。一晩でも二晩でもお相手させていただきますよ。
「もう……そんな言い方しなくても良いでしょ?」
 次々と車を追い抜いてきたせいで、長い直線にさしかかったところで前を走る車がちょうどいなくなる。その隙にと右を向い愛しい女性を、翔は逆に肩を抱き寄せ、その唇を奪う。
「んっ………」
 一瞬の間に口内の奥にまで舌を押し込んで、絡めあわせる。そのまま何分でもネットリと唇を吸いあっていたい衝動を何とかこらえて顔を離すと、二人してフロントガラスを見つめる。
 翔は今にも暴走しそうな性欲を少しでも落ち着かせるために。
 そして栗色の髪の女性は、形の整った唇から艶かましい吐息をこぼしながら。
「ここからは……プライベートでいいからね」
「りょ〜かい。んじゃ、たっぷりかわいがってやるからさ、明日、腰が立たなくても知らねーからね、“明日香”さん♪」
 


 片桐明日香、本名・小林明日香。既婚。小林翔の恋人であり、入籍だけだが妻でもある。
 たくやはもちろん、このことを知らない。知りようがなかった。
 明日香も、過去の最愛の人が結婚していたことも、離婚したことも知らなかった。


 ―*―


 ―――うわ、スゴいエンジン音。こんなところにまで聞こえてくるなんて……
 日本車にはない豪快なエンジ音が、ベランダで洗濯物を干していたあたしにところにまで届いてくる。
 こんな真昼間からいったい誰が飛ばしてるんだろう……ふと、ある人の顔が脳裏をよぎるけれど、
「まさかね」
 故郷の近くに帰ってきたから、まだ感傷が抜け切っていないらしい。ただ車のエンジン音を聞いただけで幼馴染の顔を思い出したあたしは、小さくクスッと笑みをこぼす。
 ―――いつか、謝れたら……
 まだこのあたりに住んでいるのかどうかなんてわからないけれど、いつかはもう一度だけでも顔を合わせたい。……そんな我侭なことを密かに願いつつ、あたしは春をすぐそこに感じさせる陽気の中で、洗い立てのシーツを大きく広げる。
 不安はある。
 けど、春に向かって風は吹いている。
 心地よく、さわやかで、だけど止まることのない風が、あたしの背中を押してくれている。
 だからあたしはシーツを干し終えると、両手を振り上げ、青空へと声を上げた。


 ―――さーて、待ってろ新生活ぅ!!!


44-たくやはいったい誰の嫁?<ユージ偏> -前編へ