23・お見合いは人生墓場だなんて言ってみる!?(XC3)-前編


「え〜ん、やだやだやだ、お見合いなんて行きたくないィ〜〜〜!!!」
「往生際が悪いね。タクシー待たせてだからさっさと手を離しな!」
「イヤだぁ! ここで離したら男がすたるゥ〜〜〜!!!」
「お前の男はとっくに廃れて亡くなっただろうが! 女のままで何ヶ月いると思ってんだい!」
「だってだってだってぇ〜! それはあたしが悪いんじゃないもん。薬ができないのが悪いんだもん〜〜〜!!!」
「んじゃ廃れてないってんなら今ここでタマでもチンでも見せてみな。即座に切り落としてキッチリ男とおさらばさせてやるよ!」
「ひどッ! もしかして旦那さんにもそんなことしてるわけ!?」
「残念ながら、うちは夜の生活が満たされてるから家庭円満だよ! そんなことより、親の金で大学行かせてもらってるオカマのくせして親と私に逆らうなんていい根性してんじゃないのさ!」
「あ〜ん、オカマじゃないもん、あたしはれっきとした男なんだから〜〜〜!!!」
「………はッ!」
「うわ、鼻で笑われたァ!」
 太陽が昇っているから玄関先で門柱にしがみ付いて何をやっているのかと訊かれたら、あたしは「人生を賭けた姉弟(妹?)喧嘩」と答えるだろう。なにしろこれに負けたら、あたしは男でありながら男とお見合いをする……と言う、おそらく今後の人生において最大級のトラウマを背負う羽目になってしまうのだから―――



 あたし、相原たくやが後輩である弘二の陰謀で女になってから早数ヶ月。男に戻るタイムリミットと言われていた一週間はあっという間に過ぎ去ってしまい、麻美先輩と千里と言う二人の天才の口からも男に戻れるのはかなり難しいと言われてしまっていた。
 それでも男に戻る事を諦めきれずにいる間、明日香は関係修復できないまま海外留学に行ってしまい、仲間内でもかなり微妙なスタンスに立っていた。弘二や周囲の男性からは口説かれるし襲われるし、その一方で女性陣とは仲は良いけどその先の親密な関係にまでは進めない……つまり、誰もがあたしが男に戻る事を望んでいるのを知りながら、誰もが男として見てくれていないのだ。
 確かに、あたし自身も時々自分が男だと言う事を忘れそうなほどに、今の姿は女性として魅力的だった。90センチを越え宮野森時代よりも一層ふくよかで魅力的になった乳房にキュッと小股の切れ上がったヒップライン。出るところは不必要なほど出っ張っているのにウエストは細くくびれ、女性的な曲線を描き出しており、その一方でショートヘアのかわいらしい童顔で……鏡を見るたびに「自分は男だ、男なんだ…」と自己暗示を掛けていないと、身どころか心まで女になりきってしまいそうな恐さも感じる毎日を過ごしていたりする。
 本人でさえそうなのだから、周囲の見方も言うまでもない……そしてその見方は相原家内部にまで広がってしまっていた。
『たくや、あんたにいいお見合い相手を見つけてきてやったよ』
 ある日のこと、結婚して家を出た義姉の夏美がお見合い写真片手にあたしを訪ねてきた時には、あたしの戸籍上の性別は特別な事情と言う理由で知らないうちに男から女に変更されており。例え相手が男でも結婚するのはノープロブレムな状況が既に作り出されてしまっていた。
『相手はあたしの大学の同級生でね。実家は一流料亭の金持ちのボンボン。顔も悪くないし背も高いし将来性の見所もあるヤツだよ』
『それじゃあ玉の輿じゃないの。ねえたくや、このお話、絶対にものにするのよ。お父さんの定年前にこの家のローンを払えちゃうかもしれないんだから!』
『たくや、大学で勉強して将来自立するのもいいけれど、こういういい機会は一度逃すと二度とめぐり合えるものじゃないんだ。その事をよく考えて結論を出しなさい』
 周りに誰も味方がいないのを思い知らされた……あたしをおもちゃとしか見ていない夏美だけならともかく、一緒に生活している父さんや義母さんまでよってたかってお見合いするように勧めてきたのだから。
 父さんたちがあたしの将来を心配なのも分かる。―――が、あたしは男に戻る事を諦めていないのだ。それなのに何に絶望して男とお見合いなんてしなければいけないのだ。
 お見合い写真や釣書を見るのも断固拒否。話を聞くのも断固拒否。するのかしないのかと訊かれれば必ず『NO!』と答えてきた……そのはずなのに、ある朝突然着物を着せられ、ヘアメイクをされ、あれよあれよと言う間にお見合いへの直行便タクシーに乗せられようとされていた。
 ―――あぁ…誰もあたしの意見なんか聞いてくれないんだ、シクシクシク……



「無駄な抵抗するのもいいかげんんしな、ほら、とっとと出な!」
「ひゃあああっ!」
 結局タクシーに蹴り込まれ、降りる時にも蹴り出され、あたしは抵抗の甲斐なくお見合いの場所である相手の実家の料亭の前へと連れて来られてしまった。
「ホント、世話焼かせてくれるわね。美味い飯が食えて美味い酒が飲めていい男に会えるのに、何が不満なんだい?」
 あたしの後からタクシーを降りてきた夏美も、とても人妻とは思えないミニスカワンピースでビシッと決めており、あたしの代わりにお見合いしてもおかしくないほど気合の入った格好をしている。
「その最後の部分が問題なのよ。何が悲しくて男に会わなきゃいけないのよ、ぶつぶつぶつ……」
「文句は終わってからいいな。とりあえず会うだけあって、イヤならそこで断ればいいんだから。会いもしない内から拗ねたってしょうがないだろ?」
「問題はそこじゃないと思うんだけど……」
 完全に夏美の頭の中では、あたしは男だと言うことは忘れ去られているようだ。もうこれ以上ぶつぶつ言ってもどうしようもないと悟ると、あたしは大きくため息を突いた。
「そうそう、これ、お見合い相手に渡しといてくれる?」
 夏美はそう言うと、バッグから封筒を取り出した。
「なにそれ?」
「結婚届」
「――――――ブッ!」
 慌ててひったくって中身を取り出してみると、確かに「結婚届」と書いてある。しかも「妻になる人」の欄には「相原たくや」とあたしの名前が書き込まれており、その他の必要事項もキッチリ記入されてハンコまで押してあった。
「今日から家に帰ってこなくていいからね。相手はかなりの乗り気だから、それ渡したら今日中にでも役所に提出して――」
「ダァアアアアァァァァァ!!!」
 こんなものを渡すわけにはいかない。あたしはやや錯乱気味に奇声を上げつつ結婚届をビリビリに破り捨てた。
「ハァ、ハァ、ハァ……ね、義姉さん!」
「別に構いやしないよ、予備があるから。―――んじゃ、直接渡しとこうかね」
 あたしが肩を怒らせてにらみつけても、夏美は珍獣でも見て楽しんでいるような余裕の笑みを崩さない。そして封筒に入った結婚届をもう一通取り出すと、それをいつの間にか隣にいた男の人へ手渡してしまう。
「ちょ、ちょっと、それ渡して!」
 どこの誰かは知らないけど、持ち逃げされたらあたしは本当に男の人と結婚させられてしまう。頭に血が上りすぎて自分でも訳のわからぬままに男の人の手から結婚届を奪おうとするけれど、相手は羨ましいほどに背が高い。頭上へと結婚届を掲げられてしまうと、あたしがどんなにジャンプしても指先程度しかかすらなくなってしまう。
「お願いだからその封筒を渡して! そんなのがあったら、知らない男の人と結婚させられて、人生の破滅がぁ〜〜〜!!!」
「あれぇ、そんなにボクはお気に召さなかった? ボクは一目ぼれに近かったんだけどな」
「………へ?」
 ふと我に帰り……自分が今、目の前の男性に胸を押し付けて身体を伸び上がらせている事に気がついた。
「あ……ご、ごめんなさい!」
 用意されていた和製ブラには入りきらなかったたわわな胸にはさらしを巻いて、辛うじて着物のラインが崩れないようにボリュームを圧縮してあるけれど、それでも胸である事には変わりない。いつもと感触が違うので気付くのが遅れたけれど、冷静になった途端に気恥ずかしさが込み上げてきて後退さってしまい……慣れない草履はスニーカーと違って踵の高く、そのまま後ろ向きにバランスを崩してしまう。
 倒れる……胸を晒しで締め付ける苦しさと、寸胴にするために帯の下でウエストに巻きつけているタオルの圧迫感とで、反応も動きも共に遅い。着物で足が動かしにくいのも災いしている。そのまま地面に身体を引っ張られて仰向けに転倒………すると思ったのだけれど、あたしの背中に腕を回され、傾いでいた身体を誰かが受け止めてくれる。
「ね、義姉さん、助かった………って、あれ?」
 抱きとめてくれていたのは、先ほど目の前にいた男性のほうだった。傍にいるものと思っていた夏美は数歩離れた位置でニヤニヤとあたしを見ており、一度は収まったはずの困惑が気恥ずかしさと共に再び込み上げてきてしまいそうになる。
「な、なによ……」
 顔が熱を帯びていくのを感じながら、男性の腕の中から夏美をにらみつける。けれど我が義姉がそんなもので怯むわけがない。むしろ今にも噴き出しそうなのを必死に堪えているようにも見える。
「たくや、あんたまだ気付かないの? そいつが今日のお見合い相手よ」
「へ……この人?」
 言われて、身体を起こされながら改めて視線を男の人の顔へと向ける。
 確かに……言われてみれば、ほんのチラッとだけしか見ていないお見合い写真の男性のようにも見える。整った顔立ちで芸能人にも負けないほどのイケメンだけれど、表情に浮かべている微笑みは相手の機嫌を伺うだけの軽いものではない。正面から見詰め合ってしまうと不覚にもドキッとしてしまうような魅力ある笑みで、これだけで堕ちてしまう女の子がいても不思議じゃないだろう。
 話に聞いていたとおり背も高く、背中に回されている腕も結構逞しい。抱きとめられたときに触れた胸板もスポーツ選手ほどではないけれど贅肉もなくしっかりしていて、これでお金持ち………どうにも世の中の不公平を感じずにはいられなかった。
「たくやさん、はじめまして。雄介といいます。今日はようこそいらっしゃいました」
「え? や、あの、あたしはその……」
 倒れそうになった身体を支えてくれた腕はそのまま肩へ。少し馴れ馴れしいとは思うけど、いきなりの対面で困惑はパニックになり、タクシーに乗っている間ずっと考えていたお見合いをお断りする台詞を必死に思い出そうとして頭は高速で空回りしていて、その手を振り払う事も出来ずにいた。
「それじゃあ行きましょうか。お見合いと言っても形式ばったものじゃありませんから堅苦しいのは無しで。さあ、案内しますよ」
「ちょ、待った、あたしはだから……!」
 このままじゃマズいと本能が叫んでいる……が、
『たくや様、いらっしゃいませ』
 タクシーから蹴りだされたり、奇声を上げて結婚届を破り捨てたり、こけそうになって間一髪で助けられたりと、恥ずかしい姿ばかりを晒していた料亭の玄関前。その料亭の跡取り息子の若旦那とそちらへ進もうとすると、いつからいたのか左右にズラッと並んだ二十人か三十人はいそうな仲居さんが一糸乱れぬ動きであたしに向けて頭を垂れた。
「あ…ぅ………」
 お断りの言葉はもう出せない……一部の隙も見せずに腰を曲げて頭を下げている従業員の方たちを前にして、その光景にあたしは完全に言葉を失った。
「さ〜て、今日は存分に飲み食いさせてもらうわよ。覚悟はしてるんでしょうね」
「ハハハ、夏美は結婚しても変わらないな。ほどほどに頼むよ」
 なにか、遠いところで夏美と雄介さんが話しているようだけど、その会話はあたしの耳を右から左に通り過ぎていく。
 ―――気付いた時には、あたしはししおどしの音が鳴り響く日本庭園に面した一室へ無抵抗のまま通されてしまっていた。






「はぁ………」
 トイレの洗面台に手を付き、鏡を前にしてあたしは重たい空気を締め付けられている胸の奥から吐き出した。
 お見合いはつつがなく進んでしまっていた……と思う。
 「形式ばらずに気楽に」と言う雄介さんの言葉どおり、日本庭園には似つかわしくない飲み会のようなノリは最悪の事態ばかりを考えていたあたしの予想を裏切ってくれた。
 夏美はビールの生中をグビグビと飲み、さすが高級料亭と度肝を抜かれた刺身の船盛りや料理の数々にあたしも舌鼓を打っていた。そのおかげもあって、雄介さんとその隣りに同席していた父親との会話は思ったよりも滑らかで、あたしの学園での話や性転換に関するエピソードを、また逆に雄介さんから花摘みも交えた大学時代の思い出話や最近進出して成功を収めつつあるレストラン部門の事業の話など、会話の華はしぼむ事無く咲き続けていた。
 驚いたのは、相手側があたしの体の事を知った上でお見合いに承知した事だった。多少の不安はあったそうだけれど、実際にあたしを目の前にしたらそんなものは吹き飛んでしまったらしい。親子ともどもに気にいられ……それはいいんだけれど、今回はむしろ嫌悪丸出しで嫌われてくれた方が、こんなに苦しい思いをせずに済んだかもしれない。
「どうしよう……完全に気に入られちゃってるよ……」
 そう、そこが問題なのだ。
 あたしの方も雄介さんたちには好感触を抱いているけれど、結婚を前提にしたお付き合いなど絶対にするわけにはいかない。この分だと対してトラウマになりはしないだろうけれど、押しの弱いあたしのことだ。なし崩し的に交際させられかねない。先ほどまでも「子供は何人欲しい」だとか「結婚しても学生は続けてOK」だとか「いつから同棲してしまうかね?」とか、どちらかと言えばストッパーになるべきはずの父親側からゴールインを確信した言葉がポンポンと出てきていた。あの性格からすると、断ったとしても諦めてはくれなさそうだ。
 このままではマズいと、一旦会話の流れを切ってあたしも相手も冷静になろうと御不浄(トイレ)に立ちはしたものの、底なし沼で溺れているかのように解決策はどこにも見当たらなかった。
「………いっそ逃げ出すか」
「それをあたしが見逃すと思ってるの?」
「………思っていましぇん」
 とほほ……と泣き出したい。顔を上げて鏡を覗き込めば夏美が背後に立っているのが見えた。顔がほんのり赤くなっているけれど意識ははっきりして不敵な笑みを見せており、あたしが強引に押しのけて逃げ出したとしてもたちまち取り押さえてくれるだろう。
「ま、諦めて結婚しちまいな。玉の輿なんだし、望まれて嫁に行くなら幸せにもしてくれるって」
 ハンカチを口に咥えて手を洗いながら夏美はそう言うけれど、その言葉に頷けるはずがない。
「冗談じゃないわよ」
「あれ? たくやが気にいりそうないい男だと思って紹介したんだけどな」
「あのね……」
 雄介さん親子よりもまず夏美を何とかしなければどうしようもない。けれどここで夏美を説き伏せる事が出来れば、親しい友人でもある雄介さんを説得する事も可能じゃないか……と考えていると、ふと頭に名案が浮かんだ。
「あの人、義姉さんとも付き合ってたんでしょ? そんな人と結婚する気はないからね、あたしは」
 そうだそうだ。考えてみれば、夏美の男友達と言えばセックスフレンドに決まっているのだ。
 大学時代の夏美の彼氏と言うと誠司さんだけど、その頃から何人もの男性と肉体関係を持っているのは間違いない。今は別々に暮らしてるから分からないけど、結婚する直前までユーイチさんやユージさんのような夏美と付き合いのある“男友達”に弄ばれてきたのだし、雄介さんもその一人なのだと言う確信があった。
 ―――が、
「はあ? なに言ってんの。あたしがあんなヤツと付き合うわけないじゃん」
 と、あっさり否定されてしまった。
「確かにいい男だし、一緒に乱パに参加した事もあったけど、アイツ変な性癖持っててさ。だから一回も寝たことはないよ、安心しな」
「………親指立ててそんなこと言われて、信じると思う? そもそも義姉さんも嫌がるような性癖ってなんなのよ」
「アイツさぁ、付き合った女全員孕ませようとすんだよね〜」
「孕ませ……って、妊娠!? しかも全員!?」
「そ。ああ見えて自己満足欲が強くてね、たっぷり中出しして妊娠させる事で自分の女だって自己満足に浸るのよ。でもあたしは誠司と付き合ってたじゃない。だから遊びででも雄介とだけはしなかったってわけ」
 ―――冗談じゃない。
 夏美が誠司さんと付き合っている時、あたしが誠司さんにエッチな悪戯をされた事がある。それがばれた時、あたしは襲われた立場なのに理不尽にも散々怒られた……ユーイチさんやユージさんにあたしをあてがった時と反応が全然違う。実際に男性関係がどうだったかなんて分かりはしないけれど、“妊娠”と言う境界線だけは踏み越えなかったと言われれば、なるほどと納得できる部分もあった。
 が、夏美さえ避けた雄介さんの孕ませスキーな性癖があたしに向けられた場合、物凄くマズい結末を迎えるのは明らかだ。
「でも……それじゃあたしはダメだよね。義姉さんだって知ってるでしょ。あたしってば生理がまだだから―――」
 これまで何度男性に襲われ、女性器の奥に精液を注ぎこまれたことか……それでもあたしが妊娠してこなかったのは、女になったばかりの身体が見かけの成熟度とは裏腹に、生理さえ迎えていないほど幼かったからなのだ。
 仮に雄介さんがあたしを妊娠させる事が望みなら、その事を告白してお見合いをご破産させることができるかもしれない。―――それなのに、手を洗い終えた夏美はあたしの言葉を途中でさえぎり、
「たくや、家でナプキン使ってるのがあんただけだって知ってた?」
「なッ―――!?」
 既に……あたしの秘密は夏美にばれていた。
「母さんがさ、いきなり電話してきたわけよ。お赤飯炊いた方がいいんじゃないかって相談しにね。もうその時はお腹抱えて笑っちゃったわよ、あのたくやが遂に初潮まで迎えちゃったんだってね。―――おめでとうたくや、あんたはいまや一人前の女の子だね、ククククク…♪」
「さ…最初から知ってて、知ってたのにこのお見合い話を持ちかけてきたの!?」
「知ってたから話を持っていったのさ。あいつなら孕ませてもキッチリ認知してくれるだろうし、たくやみたいないい女なら元の性別なんて気にしやしないしね」
「じょ、じょじょじょ冗談じゃない。何で今まで誰にも言わなかったと思ってるのよ、妊娠なんかしたら男に戻れなくなるのに!」
 それは麻美先輩と千里、二人の一致した見解だ。妊娠中に男に戻ろうとした場合、胎児にどのような影響が出るか分からないし、倫理的な問題も発生する。仮に出産し、その後で身体が戻れるかと言えば……時間の経過と女性ホルモン、その他様々な問題が現状に上乗せされ、男に戻れる確率は限りなくゼロになるだろうと脅されていた。
 だから体調管理的な意味合いを込め、特に弘二も含めた周囲には知られないようにしてきたのに……まさかトイレのゴミ箱に捨てたナプキンから義母さんにばれているとは思わなかった。しかもそれを義姉さんにまで知らせているなんて……
「いいじゃない、戻んなきゃ。別に不自由してないんだろ、女の身体でも。明日香には新しい男が出来たらしいしね」
「―――――――――ッ!!!」
 そこまで知ってるのか……一番知られたくない事を口に出されて息を飲んだあたしに勝ち誇った笑みを向けると、トドメをさすように夏美はワンピースのポケットから一枚の写真を取り出した。
 ………それは、本棚の裏に隠していたはずの明日香の写真だった。
「肩に腕まわしてる白人と、隣でガッツポーズしてる黒人。さ〜て、どっちが明日香の新しい彼氏なんだろうねぇ。どっちもチ○ポのデカそうないい男じゃないか。知ってんだろ?」
「イヤイヤイヤイヤ聞きたくない言わないでそんなのウソだぁ〜〜〜!!!」
 信じられない事実を封印したくて隠していたものを目の前に突きつけられ、あたしは耳を塞いで目を閉じて頭を振った。
「往生際が悪いねェ。諦めな、明日香はあっちで白いのと黒いの、二本同時に咥えこんで楽しんでるのに。こんな写真を送ってきたんだ、あんたと付き合ってたことなんて今ごろ思い出しもしないぐらい吹っ切ってるだろうさ」
「あ〜〜〜ん、義姉さんの馬鹿ァ〜〜〜!!! そこまで言わなくたって〜〜〜!!!」
「だからこのお見合いはあたしの義姉心(あねごころ)だって。なんでわざわざあんたの超危険日に合わせて見合いの日取りを決めたと思ってんだい」
「そ…そこまでする―――――――――!!?」
 完全に駄目押しだ……妊娠することは嫌がっていたけれど、これまでいくら膣内射精されても妊娠する事のなかったあたしには、いささか危険日に関する知識が欠けていた。
「生理の周期も把握済み。これで心置きなく孕ませられて明日香の事も忘れられるだろ? 優しいお義姉さまに感謝する事だね」
「夏美のどこが優しいお義姉様だぁ〜〜〜! この鬼悪魔ァァァ!!!」
「ここはトイレの中でも、格調高い一流料亭だよ。あんまりはしたない大声上げるんじゃないよ。………ま、後はあんた等二人っきりで話を決めな。雄介の親父はあたしが引き受けておいてやるからさ」
「ううう………」
 もう人生の終わりかも……本気で逃走を図ろうかと思案を始めていると、トイレを出ようとしていた夏美が、何かを思い出したように足を止め、何かを差し出してきた。
「はい、コンドーム。六枚つづりだから一晩ぐらい大丈夫じゃない?」
「う…あうう………」
 何か言い返したいけれど、今はこんなものにでもすがるしかない。当然避妊具の用意なんてしていないあたしにとって、このコンドームが最後の砦になるかもしれないのだから、心で血の涙を流しながらも黙って受け取るしかあたしに道は残されていなかった。
「さて、残り半分か……ま、足らなかったら誰かに買ってきてもらうか」
「へ……義姉さん、もしかして……使うの? 今から?」
 六枚は1ダースのちょうど半分。つまり夏美もコンドームを六枚持っていて……トイレから出てすぐのところに立っていた男性を見つけると、その腕に自分の腕を絡みつかせた。
「………って、雄介さんのお父さん!?」
「あたしは「雄介とはやってない」としか言ってないよ。それじゃ今日は久しぶりに……ね♪」
 そう言って“女”の顔を覗かせた夏美は、もと来た道ではなく別の方向に向かって廊下を歩き出す。そんな義姉の背中を、あたしは見えなくなるまで呆然と見送っていた。
 ………同級生の父親と肉体関係って……てか、今の夏美は人妻じゃなかったっけ……
 窓の外は既に夜。
 あの美しかった日本庭園にも夜の帳が下り、ポツンポツンと灯された石灯籠の照明が困惑しているあたしの頭の中をさらに幻惑させる。
 ―――妊娠なんて……冗談じゃない。
 手に握り締めたコンドームが最後の砦……だけど、お見合い相手の雄介さんが話に聞いたとおりの人なら、こんなものを着けさせてくれるはずがない。もし“そう言う”流れになれば……あたしの意思は無視されて、望みもしない赤ん坊をおなかの中に宿されてしまうだろう。
「あたし……」
 生理を迎えて身体は完全に“女”になってしまった事。
 記憶の奥底に封じ込めていた明日香の事。
 そして夏美が去り際に見せた、これから抱かれる事を期待していた“メス”の微笑み……
「どうすればいいのよ……」
 逃げたいのに逃げられない。拒みたいのに拒めない。あたしは……どんなに拒絶しようとも、お見合い相手の待つ部屋に向けてゆっくりと歩み出した足先を呪わずにはいられなかった―――


ミニ小説23中編へ