たくやちゃんと赤ちゃんパニック −3


 いつ性転換してもいい様にとロッカーに男物の服が一式揃えてあったのは不幸中の幸いだった。
 あれだけの爆発事故がおきても野次馬が集まらない程度に人の少ない研究棟。その女子トイレの個室で弘二に犯された跡を拭ったあたしは、胸やお尻のキツい服に着替えをすませると、ズキズキ傷みこめ髪を指で押しほぐしてから隣の個室側の壁をコンコンとノックした。
「弘二、そっちの着替えは終わった?」
「は、はい、先輩、もう少しで終わります!」
 返ってきた声はいつもの弘二のものではなく、可愛らしい女性のものだった。頭痛の一因であるその声の持ち主が結局一度も覗いてこなかった事は良しとしても、わざわざ待つ必要も特に感じはしない。
「あたしは先にゼミ室に戻ってるから。着替えが終わったらさっさと片付けすんのよ?」
「ま、待って、終わりました、今着替えが終わりました……きゃあ!」
 隣りからバタンと扉が開く音が響くのと同時に、女の子の悲鳴までもが聞こえてくる。あたしは顔を手の平で覆い、「あちゃ〜…」と声を漏らしながら外へ出てみると、床にメイド服を来た女の子が倒れこんでいた。
「何やってんのよ」
「あ…その、足がもつれちゃって……」
「そうじゃなくて……なんでメイド服を着てるのか、そっちの方を訊いてみたいんだけどね……」
「それはもちろん、先輩に着てもらう為に用意していたんです!……けどまさか、自分で着る羽目になるなんて……」
 ……こいつ、パソコン部に持っていって最新式のパソコン一式と交換してやろうかしら?
 立ち上がり、ミニスカートで太股が大胆に露出している上に胸元まで覗けて見えると言う、“本来のメイド服”からは掛け離れたメイド姿の女弘二の答えに、あたしの頭はますます痛みが強くなってきた。
 千里の持ってきたクイックレボリューションで女性化した弘二ではあるが、こうして喫茶店でご奉仕してくれそうな可愛らしいメイド服を着ていると、それなりに女の子に見えてしまうから不思議だ。胸もかなり大きいし、性格も普段よりもおどおどとしているから、ついいじめてしまいたくなる衝動に駆られてしまう。
 ――ゼミ室に戻ったらデジカメで記念撮影しておこうかな。ちょっとした弱みにはなるだろうし……
 けど今は先にやらなきゃいけないことがある。とりあえず弘二のほうも着替えが終わったというのならトイレに用は無い。服が乱れていないか鏡の前で前や後ろをチェックしている弘二は放っておいて、あたし一人でゼミ室へ戻ることにする。
「あ、先輩、待ってくださぁい!」
「ええい、あたしに纏わり付くな! 言っとくけど、無理やりレイプした事、怒ってるんだからね!」
「あれは愛情表現ですよぉ…」
「ウソつくんじゃないわよ! 赤ちゃんに嫉妬して我を失ってたくせに!」
「はぅぅ……」
 ――う〜む、すっかり“いじめてちゃん”になってるな……ま、しばらくはこの方がいいかな。女の体でいる間は無理やり迫ってくる事も無いだろうし。
 せめて赤ちゃんがいる間だけでも安全でいたいし……そんな事を考えながらゼミ室に戻ると、中では机の上に寝かされた赤ちゃんを前にして、麻美先輩と千里が顔を並べていた。
「う〜む……無い。見事に無い。男性器どころか毛の一本も無いほどツンツルテンですね」
「私の薬の効果が実証されたのは嬉しいんだけど……これはちょっと、複雑ねぇ……」
 ――こらこら、二人してなに赤ちゃんの股間をマジマジと見てるのよ……
 とは言え、あたしも二人同様、頭が痛い思いをしているので、股間を覗き込みたくなり理由もわかっている。なにしろ事故だったとは言え、預かっている赤ん坊の性別を入れ替えてしまったのだから。
「ダァ…ダァ……アブゥ……」
 オムツを脱がされ、膝を開いている赤ちゃんの股間は、先に千里が言ったように、な〜んにもない。あるのは小さな縦筋だけで、誰が見ても「女の子の赤ちゃん」である。顔には取り立てて変わったところは見受けられないが、元々こんな年齢の赤ちゃんの顔で性別なんてはっきりと分かるはずが無い。―――だからこそ、股間のその場所におチ○チンがあるかないかで大問題なわけなのだが……
「どうですか? この子、元に戻して上げられそうですか?」
 あたしの顔を見るや否や、小さな手を伸ばして抱っこをねだってくる赤ちゃんを両腕で抱きかかえると、会うに指をかけて思案顔をしている麻美先輩にそう訊ねてみる。
「この子を預かってるのは三日間か。―――今から大急ぎで薬を作れば、ギリギリ間に合うと思う」
「ホントですか? よかったね、元に戻れるんだって♪」
「アブ、アブゥ…キャハ♪」
 騒動の当事者であるのに、本当に何も分かっていないのだろう。言葉すら分かるはずの無い赤ちゃんは、あたしが笑顔を浮かべると一緒になって声を上げて喜んだ。
「じゃあ先輩、薬の方はよろしくお願いします。あとは――」
「ちょ〜っと待ったァ!!!」
 話がまとまりそうになったその時、千里が黒髪のツインテールを揺らし、あたしと麻美先輩の間に割り込んできた。
「なぜ私ではなく佐藤先輩に話を振るんですか。私のクイックレボリューションなら今すぐにでもこの子を元に戻してあげられるんですよ!?」
 そう言って千里は、一昔前の柄付き手榴弾型のクイックレボリューションミニマムをどこからともなく大量に取り出した。
「では早速、改めてこの携帯型クイックレボリューションミニマムの威力を―――」
「見せるなぁぁぁ!!!」
 性転換の機械のはずなのに、なぜか付いてる安全ピンを引き抜こうとする千里の頭を、あたしはスリッパを手にして力いっぱい引っ叩く。
「む、何をするんですか。痛いじゃないですか」
「やっっっかましぃ! それ爆発するでしょ? 絶対爆発するでしょ!? 確実に爆発するんでしょ!!?」
「いや、そんな事は……データからも、爆発するのはごく稀ですし」
「“ごく稀に”爆発しないんでしょう?」
「………大丈夫です。多分」
「こめかみに汗を垂らしながらそんな答え方されて、安心なんか出来るかぁぁあああっ!!!」
 とりあえず危険物は全て没収、そして廃棄。クイックレボリューションミニマムは全てビニール袋に詰め込んで、ゼミ室の外へポイッと放り出す。
「わ…私のクイックレボリューションミニマムぅ〜……相原先輩、あんまりです! 人の発明をなんだと思ってるんですか!」
「爆発危険物」
「人間の文明に爆発は付き物です!」
「ええい、これだけ言ってもまだわかんないの!? そんな爆発ばっかりしてる爆弾同然の代物使って、赤ちゃんに大怪我でも負わせたらどうすんのよ!?」
「………それは相原先輩に責任を取ってもらいましょう」
「だから今とめてんのよ。ど〜してもクイックレボリューションを使いたいんなら、あたしからの条件はただ一つ.絶対爆発しないのを持ってきなさい!」
「ぐ……む……」
 あたしに鼻先へビシッと指をつきつけられ、千里は何も言い返せない。―――どうやら「絶対に爆発しない」と言う条件が、千里にとっては非常に高いハードルであるらしい。
 そんなあたしと千里の一連のやり取りを見ていた麻美先輩は、話の流れが一段落したのを見計らうと、域を荒げているあたしの腕から赤ちゃんを抱きかかえる。
「今回は諦めて私に任せなさい。それよりも、乳幼児の性別を短期間にまた入れ替えるのは身体への負担も大きいだろうから、調整がシビアになると思うの。私一人じゃ期間内に作り上げられないかもしれないから、よければ手伝ってくれない?」
「なっ……なぜ私が佐藤先輩を手伝わなくてはいけないんですか!?」
「性転換の薬は前に作った事があるんでしょ? だったら改めて説明する手間も省けるし、私も心強いもの」
「むっ……」
 普段は仲たがいしている麻美先輩にそう言われ、千里は一瞬何かを言い返そうな表情を浮かべる。けれどあたしのジト目に気付くと、出掛かっていた言葉をグッと飲み込み、少しだけ赤くなった顔をプイッと横へそらしてしまう。
「まあ……そこまで私の協力が必要だというのなら手を貸して上げない事もありません」
「よかった。助かるわ♪」
「ふん、今回だけです。今回だけ手を貸してあげるだけなんですからね!」
 ツンデレだなぁ……普段は互いの発明・開発で競い合っている仲だけれど、こうして麻美先輩から素直に協力を申し込まれては、千里もどう答えていいか分からないようだ。
「と言うわけだから、河原さんは私が面倒見ておくわ」
「……もしかして、千里が何かする前に?」
「この状況であの子に暴走されたら、それこそ取り返しが付かないもの。今回の騒動は私にも責任の一端があるしね。出来る事からしておかないと」
 ありがたい。……麻美先輩と千里が珍しくタッグを組みからには、三日の間に赤ちゃんの性別を元に戻す薬も何とか出来上がるに違いない。その上、麻美先輩が千里の手綱を握ってくれるなら爆発騒ぎもこれ以上は起こらないだろうし。
「……それよりもさっきから気になってるんですけど、どうして麻美先輩たち、あのタイミングでゼミ室に来たんですか?」
 いつもあたしを追いかけている弘二ならともかく、春休み中だと言うのに、まるであたしがここにいる事を知っているかのように二人して男に戻る薬と機械を持ってきてたのは、あまりにもタイミングがよすぎる。
「五条先生から新幹線から電話をかけてきたんです。相原先輩が困ってるから手伝って欲しいと」
「相原くんを元に戻す研究は休みの間もやってたから、薬を渡すのにもちょうどいいな〜って思ったんだけど……本当にごめんね、手伝うどころか迷惑かけちゃって」
 まあ……トラブルには慣れっこだし、ことさら責めるつもりも無い。
「謝らなくてもいいですよ。別に先輩も千里も悪気があった訳じゃないし。―――ただし、あんたは許すつもりは無いからね、弘二。キリキリ働いてゼミ室をさっさと片付けなさいよね」
 そう言い、麻美先輩たちと離している間は笑顔で無視していたメイド姿の弘二へトゲのある言葉を言い放つ。
「はうう……分かりました。頑張ります……」
 あたしが目を向けると、弘二は床にひざまずいて、散らばった本や紙を拾い集めていた。その際にミニスカートから太股どころか女性用の下着に包まれたお尻までむき出しになっているのを見てしまい、あたしはコホンと咳をする。
「あ、そうだ。そういえばミルクやオムツの替えは?」
 麻美先輩と千里の白い目に耐えられず、話題を逸らそうと机の上に置いてあった荷物へと目を向ける。
「あの〜…その事なんですが……」
 弘二が言いにくそうに口を開くと、蓋の開いた粉ミルクの缶と、ベコベコにへこんだ哺乳ビンとを掲げてみせる。
「オムツは大丈夫でしたけど、こっちはダメみたいです」
「……………」
 しばし、ゼミ室内に無言の空気が流れる。そして、
「相原くん、出番よ」
「がんばってください」
 と、左右から先輩と千里に肩を叩かれる。
「んなっ……で、出るわけ無いでしょ、そんな、母乳なんて!」
 二人の言わんとしている事に気付いて叫び声を上げるが……そんなあたしの目の前へ、麻美先輩が液体の入った試験管を突きつけた。
「………なんですか、この薬?」
「母乳の出る薬。副作用で胸が大きくなる効能もあるそうよ。よかったわね、相原くん♪」
「よくなぁぁぁ〜〜〜い!!! 何でそんなに都合よく、そんないかがわしい薬を持ってるんですか!?」
「北ノ都学園に移った頃にね、院生の人からこの薬を手渡されて告白されたのよ。もちろん、その人にはキッチリお返しはしたけれど、結局薬は私の手元に残ってたから、今回の件にちょうどいいかなって思って持ってきたの」
 麻美先輩に……母乳の出る薬?
 視線を下げれば、メガネをかけた知的な美貌のすぐ下に、確かに見事な膨らみが……
「け、けど、それはあたしが飲まなきゃいけないわけじゃないでしょ?」
 顔が熱くなるのを感じながら先輩の胸から目を逸らし、そう言葉を続けるけれど、
「私は薬を作らなきゃいけないし」
 と、麻美先輩から答えが返ってきて、
「胸が大きくなるというのは興味深いのですが、私にもしなければいけないことがあります」
 と、千里も言う。
 ――しかたない。こうなったら弘二に……
 一瞬、頭の中に浮かんだ考えをあたしはすぐに振り払った。弘二がこのゼミ室で最初にどういう行動を取ったか、それを考えると、赤ちゃんを任せておけるとはとても思えなかった。
「相原くん」
 けれど母乳なんて……と葛藤を続けるあたしに、麻美先輩はニッコリと微笑みかけ、
「安心して。データは取ってあげるから」
「やっぱり本音はそれですかぁぁああああああっ!!!」
 あたしは再び叫ぶと、頭を抱えてその場にうずくまってしまった。


4へ