第十一章「賢者」10


 翌朝。
「―――と言うわけだ。昨晩の事は本意ではなく、授業中の不幸な事故だと分かってくれたかな?」
 綾乃ちゃんが先に朝食を食べ終え、厨房で後片付けの手伝いに向かったのを機に、テーブルに同席していた留美先生に昨晩何があったのかを説明してもらったのだが……昨晩の夕食の残りと朝食とを空腹を猛烈に訴えているお腹へまとめて流し込んでいたあたしは、一旦ナイフとフォークを動かす手を止め、申し訳なさそうに苦笑いを浮かべた。
「事情は分かりましたけど……こちらこそすみませんでした。綾乃ちゃんの“アレ”、驚いたでしょ?」
「まあな。二重属性の人間は前にも診たことはあるが、男性器が生えるなどと言う症状はさすがに初めてだ。是非じっくりと研究してみたいところだが……」
「いや、あの……そんな目をしてもあげませんよ? 物じゃないんだし、欲しいからって勝手に持って行ったら誘拐ですからね?」
「分かっているさ。無理強いするのは私の趣味じゃない。もちろん年下の少女を手篭めにするのもな。―――たまには楽しむのもいいかとも思うが」
 ―――うわ〜、そう言うことを堂々と言っちゃいますか。綾乃ちゃんが聞いてたらどういう反応したかな…ははは……
「ともあれ、しばらくはお腹いっぱいだ。途中で男性器が引っ込まずに明け方まで犯され続けていたら、さすがに体が持たないところだった。誰かさんは私もパートナーも両方見捨ててさっさと逃走してしまったしな」
「だからあたしの方も大変だったんですってば……ちょっと口には出来ませんけど」
 温泉で種付けされてました……なんて他人に言えるはずも無く、あたしは甘酢を絡めてあるお魚のフライにフォークを突き立てると、ハムッと咥えて唇を塞いでしまった。
「別に詮索はしないさ。授業料も特にいらないし―――私も久しぶりに楽しめたことだしな」
 昨日のことを思い返して顔を赤くしてモグモグお魚のフライを感じるあたしとは対照的に、テーブルに頬杖を突いた留美先生は綾乃ちゃんとの事を思い返して口元を緩めていた。
 ―――う〜ん、なんと言うか、大人の余裕って言う感じかな?
 女になってほんの三〜四ヶ月のあたしには出来ない表情と態度だ。エッチな事をされるたびに落ち込んだり困惑したり……なにも留美先生みたいに余裕タップリで受け入れてしまいたいと言うわけではないけれど、自分がまだまだ幼い子供だと言う事実を突きつけられているようで居心地が悪くなってしまう。
 ―――それにしても、今までどうしようもなかった綾乃ちゃんの魔力属性をたった一晩で……まだ信じられないな。
 綾乃ちゃんの身体には二種類の魔力が存在しているのだから、魔力を吸収しやすい場所――特に生殖器の粘膜――から魔力を流し込み、それぞれの魔力が体内にどう流れているかを体感させると言うのは、話を聞けば理に適っているとも思う。
 二人以上の魔道師間で魔力のやり取りをする魔法も存在する。あたしがまだ男だった頃、魔法も使えずに無駄に魔力を余らせているからと、村長をしている明日香の母親に魔力タンク代わりに手伝わされたこともあるし、契約モンスターたちへも意識せずともあたしから魔力が流れ込んでいってる。
 つまり魔力の移譲、それ自体は珍しい事例ではない……のだが、他人に提供された魔力は受け取った人の魔力属性にすぐに変化してしまうのだ。あたしの魔力は魔法が使えなくなる“無”と言う物凄く珍しく、物凄く役に立たない属性だけれど、他人に提供すれば属性も変わって魔法にもちゃんと使えてしまう。
 そんな魔力の性質を無視して、綾乃ちゃんの体内に自分の魔力を浸透させたと言う留美先生のやり方……いや、能力こそが驚くべきところなのだ。
 ―――本当にこの人、何者なんだろう?
 突然あたしたちの前に現れた美貌の魔道師は、その正体が未だに謎だらけだ。
 冒険者ギルドの嘱託冒険者――つまり超が付くほどの一流冒険者の証明であるブルーカードと言うものを持っていることから、決して怪しい身分の人間ではないだろう。
 けれど、無詠唱での連続空間転移と言い、綾乃ちゃんの二重属性への対応と言い、ただの「凄腕の女魔法使い」程度では説明できない気がする。謙遜するわけではないけれど、あたしなんかでは底を測ることすら出来ないほどの実力を秘めているように思われる。
 ………もしかしたら、あたしの体の事を説明すれば何か分かるかもしれない。
 男から女へと性別が変わった事、それに加えて魔王やらエクスチェンジャーやら、一般人だったはずのあたしには訳のわからない事柄にも何らかの答えを示してくれるかもしれないと、魚のフライをゴクンと飲み込んだあたしはテーブルに身を乗り出してみた。
「あ、あの!」
「質問は一つに付き1万ゴールド(約百万円)、授業を受けたいなら10万ゴールド(約一千万円)でどうだ?」
 ―――な、なんなのよ、そのべらぼうに高い金額設定は!?
「悩める人生の道しるべになるのだ。これでも破格だと思うがな」
 いったいどこの詐欺か悪徳商法だと言わんばかりの金額を見事なタイミングのカウンターで要求されては、開きかけた口から質問の言葉を紡ぐことが出来なかった。
「いやいやいや、て事はなに? 綾乃ちゃんが受けた昨晩のエッチな“授業”も10万ゴールド!? 滅茶苦茶だァ!」
「ハハハハハ、その報酬はいらないと先ほど言ったばかりだぞ。ありがたく思うのだな」
「ちょっと問題ありすぎでしょ!? あくどく金を要求する冒険者がいるってギルドに訴えてやるゥ!」
「構いはしないぞ。むしろ厄介事を持ち込まれなくなってありがたいぐらいだ。ああ、それと―――下手に声を荒げると、厨房の彼女に気付かれてしまうぞ。いいのか?」
「ムグッ…グヌヌッ……!」
「覚えておくといい。世の中はたいてい等価交換、ギブアンドテイクだ。価値ある情報には当然それだけの値段がつくものさ」
 財宝や遺跡の情報などは冒険者ギルドなどでも販売されている。その事例を挙げられて言い返せなくなってしまうと、あたしはいらだち紛れに食べかけのパンを手に取り、スープに浸して口に放り込んだ。
 そんな子供っぽいあたしの態度がおかしかったのか、留美先生はクスクスと笑うと、
「まあ私は気前がいいからな。ただで教えてやらないこともない」
「ほ、本当ですか!?」
「本当だとも。ただし……対価は身体で払ってもらうぞ?」
 あたしは身を引いて慌てて胸を両手で隠す。すると留美先生は「そっちではなく労働でだ、馬鹿者め」とクスクス笑い出した。





「ゴニョゴニョゴニョ……ファ、ファイヤーボール!」
 綾乃ちゃんが呪文を唱え終わると、手にした杖の先端に赤く輝く炎がともる。
 いつものような不発でもなく、暴発して大爆発するのでもない……綾乃ちゃんの意思で正しく制御されて生み出された魔法の火球だ。
 ………が、
「えと、えと、えとォ……と、とんでください! とんでいってってばァ! えい、えい!」
 多少制御に何があり、炎に揺らめきが見えるファイヤーボールは的代わりに砂浜に突き立てた流木に向かって飛ばず、慌てて振り回している杖の先からなかなか飛ぼうとしない。それでも可愛い掛け声に合わせて上から下に杖を振り続けていると、火球は遂に糸が切れたみたいにヘロヘロ〜と飛んで行き、流木にあたってポカンと小さく破裂した。
「や…やったじゃない、綾乃ちゃん! これで十七回中七回も成功しちゃったよ!」
「あの〜……今のも成功したことになっちゃうんですか?」
「あったりまえじゃない! 夢の一割越えを達成したどころか四割よ、四割! 後もうちょっとで五割六割七割八割ィ!」
「そ、そんなに急には無理ですよォ……」
「それにしたって物凄い進歩じゃない♪」
 なにしろ今までは、百回呪文を唱えて三回成功すればいいほうだった。絶好調で3パーセント、そして調子が悪ければ1パーセントさえ割り込んでしまっていたのだ。それに比べれば、成功率だけは天地の開きがあると言っていい。
「でも、本当に嬉しいんです。魔法の勉強では私、ずっと落ちこぼれでしたから……留美先生にはいくら感謝してもし足りませんね」
「うっ……そ、そだね……」
「二つの魔力を意識して切り替えるなんて思いにもよりませんでした。ビックリするぐらいちょっとしたコツなんですよ。まさかこんな方法で魔法が使えるようになるなんて……えへへ、なんか嬉しすぎて涙が……♪」
「あうっ………」
 ―――涙ぐむほど喜んじゃって……けど昨晩のことはしっかり忘れてるっぽいね。
 魔法が普通に使えるようになって嬉しがってる綾乃ちゃんの気持ちに水を差すわけにはいかないけれど……あたしの方は綾乃ちゃんが留美先生との「床の上でのくんずほぐれつ特別授業」の事を忘れてくれているかどうか気が気でない。
 なんでも催眠術で記憶操作したらしいけれど、下手な事を口走って思い出させてしまうかもしれない。そう思うと口にする言葉も選ばなければならず、結構なストレスが……
「先輩? あの、どうかなさったんですか?」
「へ……ああ、いや、なんでもないのよ、ホント、あは、あはははは」
「?」
 ―――ま、綾乃ちゃんが思い出したら、その時に考えればいいや。あたしってば考えが顔に出やすいから。
 心配をさせるぐらいなら普段通りにしているほうがいい……そう心を決めると多少は気持ちも楽になる。大きく息を吸って胸の奥のもやもやした感情ごと吐き出すと、あたしはにっこり笑って綾乃ちゃんの肩に手を置いた。
「後は綾乃ちゃんの努力次第。後方支援、頼りにしてるからね♪」
「は…はいっ!」
 期待されたのがそんなに嬉しかったのか、綾乃ちゃんは両手で杖を強く握り締めて満面の笑みを浮かべた。
「私、一生懸命頑張ります! 命賭けます! 今度こそ先輩のお役に立てるように!」
「………そ、その心意気だけは貰っとくから。無茶はしないでね?」
「わかりました! 先輩にご心配をおかけしないように命をかけます!」
 ―――お〜い、だから命を簡単に賭けちゃダメだってば〜……
 魔法が少しは使えるようになって嬉しいのは分かるんだけど、人の話はきちんと聞いて欲しい。特に綾乃ちゃんは献身的過ぎるところがあるから、これからは魔法の練習で根を詰めすぎないように注意したほうがいいかもしれない。
 ―――それにしても……
 話が一段落付いたところで、綾乃ちゃんは練習再開と気合を入れて、的代わりの流木に向けて杖を構える。その姿を頬をポリポリかきながら見つめていると、あたしの視線はいつもとは異なる格好をしている綾乃ちゃんの服装に向いてしまう。
 綾乃ちゃんの身体を覆っているのは、あたしが貸してあげた大き目のシャツだ。体の線が出ない服として持ち歩いているものだけれど、それを綾乃ちゃんが着ると小柄な体がすっぽりと収まってしまい、しかも裾のラインから大切な場所がチラチラ見えるものだから、目のやり場に困ってついつい視線を横にそらしてしまう。
 ―――し、下に水着を着てるって分かってるんだけどなぁ……
 降り注ぐ日差しが肌を焼くほどの眩しい浜辺には、必ず水着を着てくること―――そう言う留美先生のお達しで、、あたしと綾乃ちゃんは宿屋で売っていた一着50ゴールド、二着で100ゴールドの“水着”という名の長い布を身体に巻きつけていた。
 せっかく海まで来たのだし泳いでから帰るのも一興かと思いはしたものの、何の縫製もなされていない長いだけの布地に100ゴールドはいささか暴利だ。
 ………けど、綾乃ちゃんの水着姿を見ちゃったら……う〜む、いい仕事…なのかな?
 布は、股間にはふんどしも同然に巻きつけ、胸には背中から回して左右の乳房の間でよじってから首の後ろで結び合わせている。あたしはさらしの様に胸に巻こうとしていたのだけれど、綾乃ちゃんが「この方が似合うから」と着せてくれたのだ。
 ま、どうせ自分の姿なんて大きな鏡でもない限りわからないのだから特に気にはしないのだけれど、綾乃ちゃんの水着姿は話が違う。あたしと違って胸の膨らみはそれほどない綾乃ちゃんが同じ水着の着方をしているのだけれど、染めてなどいない白い布地で大切な場所だけを隠した姿は、思わず抱きしめたくなるほど可憐だった。
『そんなに見られたら……は、恥ずかしいです……』
 思わず見惚れてしまい、気付いた時には綾乃ちゃんの顔は真っ赤だった。
『こんな大胆な水着……初めてだし……』
 そう言って腕で身体を隠してモジモジ太股を擦り合わせて……はっきり言って、逆にあたしの男心はしっかり刺激されてしまいました。
 今までに何度か綾乃ちゃんの裸も見てきたし、肌を重ね合わせたこともあるけれど、思い返すだけで胸がドキドキしてしまう。そこに昨晩目撃してしまった留美先生に覆いかぶさってる姿を重ね合わせて……嫉妬してしまっている自分がいることに気付いてしまう。
 ―――いや、だけど、あたしも綾乃ちゃんを縛り付けるつもりはないし、誰と何してようが……とか言いながら、旅のパートナー兼保護者としては気にかけちゃうのも仕方がないわけで……
 慕ってくれる女の子が他の女性になびいてしまうのかと思うと、気にするなと言うのが無理なのだ。今だって、水着の上にシャツ一枚と言うマニアックにエロスな格好で呪文を唱えている綾乃ちゃんの裾からチラチラしているお尻や太股の付け根に目が行ってしまっているし―――って、あたしは何処を見ているんでしょうか。これじゃ助平扱いされても言い訳できない気がしてしまう。
「コホン……そ、そう言えば留美先生、なかなか来ないね。なにしてるのカナァ?」
 声が裏返った!……平静でいられない自分をなだめつつ何気なく話題を振ったつもりなのに墓穴を掘ったようだ。が、魔法の練習に集中していた綾乃ちゃんは差して気に止めた様子もなく振り返った。
「そうですね。―――あ、もしかしたら留美先生も水着に着替えてるのかも」
「………それホント?」
 綾乃ちゃんは何気なく口にしたのだろうけれど、思わずその話に食いついてしまう。
「たぶんですけど……ありえると思います。だって私たちにだけ水着を着ろって言うのもおかしいじゃないですか、男の人ならともかく」
 あたしは男だけど水着を着ろなんて強要したりしなかったんですが……とエッチな妄想をしてしまった罪悪感から冷や汗を流しながらも、ついつい昨晩の留美先生の床に組み伏せられた姿を鮮明に思い返してしまう。
 ―――考えてみれば、ある意味物凄い光景だったのよね。綾乃ちゃんが押し倒されてるんじゃなくて、その逆だったんだから……あううっ、う、羨ましくなんてないよ? だけど留美先生もボンッキュッボンッなわけで、若くて健康な男子ならつい期待しちゃうのが正常なわけで……
「あの〜…先輩?」
 頭の中で曲線を構築し、弾力を想定し、色艶を再現する。
 巨乳だ何だとよく言われるあたしでも見惚れてしまいそうな体つき。それはあたしよりも身長が高いこともあって、肉感的でありながらも絶妙のバランスを保っていて例えようもなく悩ましい。年上だからと言ってたるんでいるところなど何処にもなく、むしろキュッと引き締まったヒップになら敷かれてしまっても良いとさえ思えるほどだ。
「先輩、後ろ、あ…あの、先輩ってばァ!」
 そんなたっぷり量感のある乳房を可憐な少女である綾乃ちゃんが揉みしだき、白磁のような滑らかな肌を嘗め回し、組み伏せ、突き刺し、見事な形の双丘にパシンパシンと腰を叩きつけていたわけだ。……一体どんな“授業”をしてたんだ!? 弘二に服を持っていかれてゴブリンアーマーの鎧を借りる事を思いつくまでに手間取ったのに、今頃になって涙が出るほど悔やまれてしまう。
「先輩先輩先輩ィ〜! 目を覚まして、だから後ろですってばぁ!」
「………ほえ? どしたの、綾乃ちゃん。そんなに慌て―――」
 妄想が口に出していた……なんてベタベタな事はしていない。
 ただ、慌てふためいて手足をパタパタさせている綾乃ちゃんに首を傾げて見せていると、ポンと、後ろから肩に手を置かれ……そこでようやく、自分がとんでもない失態を犯していたことに気がついた。
「さて……何を考えていたか聞かせてもらおうか?」
「え…え〜っと……留美先生は何で気配もなくあたしの背後におられるのでしょうか?」
「それはどこかの馬鹿者を海に叩き込むためだ」
 あたしの言葉に留美先生が笑ったかどうかは定かではない。―――が、その直後に足元の砂が爆発し、あたしの身体は轟音と共に朝の海岸の空へと舞い上がっていった。


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